埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

3.20さようなら原発全国集会そして肥田舜太郎さんを悼む

2017-03-21 16:49:24 | 活動報告


 20日、「いのちを守れ!フクシマを忘れない!さようなら原発全国集会」が代々木公園で開かれた。家の用事でもたもたしてしまい、開会には間に合わなかったが、全国キャラバン隊が登壇しているころ到着した。これで3月の主要な全国集会に全参加することが出来た。集会の閉会あいさつには鎌田慧氏が立った。鎌田氏の声を直接聞いたのは始めてかも知れない。
 17:00ころには帰宅しなくてはならなかったので、池袋でジュンク堂で何冊か調達したのち、帰路についた。
 今日になって紙上で肥田舜太郎さんが亡くなったことを知った。100歳だった。紹介するまでもないが、肥田さんは1944年に陸軍軍医として広島に赴任し、原爆投下に遭遇した。自らも被爆しながら被爆者の救援にあたった。戦後は被団協や民医連で活躍され、核兵器廃絶運動にたずさわった。
 全国的・世界的に活動されたが、医療者としては埼玉を拠点になさっていた。「原爆のことを伝えるためだったらどこへでも行く」として、予定さえ合えばどんな小さな集会でも出かけて来てくれた。
 最後にお目にかかったのは数年前に朝霞で催された学習会でだった。若い方が付き添われてだったが、穏やかな中でも次第に熱をおびてくるお話ぶりは健在で、少しも乱れたところがなかった。広島で被爆者の救護にあたっている最中、自らの身体にも異変が起こったとき、軍医長の判断で「どうも症状からすると血液の異常に原因があるような気がする」ということから、若く健康な兵士をつのり、輸血を受けたところ、危機を脱したというお話は初めてうかがった。
 それもこれも、自らの体験を後世に伝えなければという深い使命感から発したことなのだろう。謹んでご冥福をお祈りする。

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3.11反原発!国会前大集合+首相官邸前抗議

2017-03-12 02:39:32 | 活動報告

 6年目の3.11。「反原発!国会前大集会」に参加してきた。3月4日の日比谷野音集会に連続してになったが、3月11日をどこで過ごすかと考え、行ける条件のあるときにと思って出かけた。毎週金曜日の集会には参加したり、しなかったりなのだが、このところ参加人数は少し寂しい。今日は3.11にあわせ、曜日も土曜日に変更したせいもあり、開会時間前にけっこう人数が集まっていた。

 主催は首都圏反原発連合。東日本大震災・福島第一原発事故の翌年、2012年3月29日に大飯原発再稼働のための4閣僚会議に抗議して第1回「首相官邸前抗議」を開催して以来、毎週金曜日の国会正門前と首相官邸前における抗議行動を続けて来た。
 デモではなくスタンディング、「非暴力直接行動」というスタイルは、その後の秘密保護法や安保法制反対の運動にも新しいあり方を提起していった。今日も反原連の集会らしく、ジンタらムータの演奏によるオープニングからはじまった。
 ミサオ・レッドウルフ氏のスピーチを聞くのは今月2回目。政党からは4野党が参加した。菅直人氏は発言の冒頭で、自身の「名誉毀損裁判」について触れていた。「敗訴」と報じられたが、「海水注入を止めたのは菅首相」という安倍晋三議員(当時)のブログ記事(2011.5)がまったくの虚偽であったことは裁判所も認めた、だが安倍議員は虚偽をうのみにして信じてしまっただけで、「名誉毀損」の意図は認められない、という判決内容だったそうだ。
 今や安倍首相の政治手法はフェイクあるいは「ポスト真実」そのものである。「虚偽」が虚偽のまままかり通るとした原点がここにあったのかと妙に合点がいき、悪い冗談を聞いているようだった。

 菅直人氏以外にも今日は民進党議員がスピーチに立った。社民党は福島瑞穂氏、自由党議員がスピーチに駆けつけた。共産党は6人の議員が出席し、志位委員長がスピーチした。野党共闘の要に位置するだけに、そのバックボーンである市民との連帯を重視している姿勢が伝わって来た。阿部知子議員も「原発ゼロの会」としてスピーチした。小児科医としての発言に説得力があった。
 集会は様々な運動体の交流の場にもなっている。各国の活動家とも交流があるという方からは、日本の原発メーカーによる原発輸出の問題について訴えがあった。昨年11月11日に結ばれた「日印原子力協定」は、今国会で承認がはかられようとしているのだそうだ。「森友問題」に揺れる今国会であるが、共謀罪といい、過労死ライン80時間を超える月100時間残業を可能にしようという「働き方改革」法案といい、社会のあり方を変えてしまうようなとんでもない悪法が矢継ぎ早に推し進められようとているのだと痛感する。

 1時時間くらいスタンディングしたら早めに引きあげようかと考えていたのだが、古賀茂明、佐藤学、香山リカらの各氏のスピーチが充実していて、結局散会までいてしまった。スピーチの最後は落合恵子氏。日もとっぷりと暮れていた。参加者は主催者発表で8000人とあった。

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今日のつい一言 2017.3

2017-03-10 16:31:13 | 意見交流
自分のブログと重複するのですがこちらにも投稿させて下さい。せっかくブログを開設しても投稿がないとなかなか訪問してくれる人がありません。かといって、同一人だけの投稿では個人ブログになってしまいますので、この記事を更新していく形態をとりたいと思います。まあ、枯れ木も山の賑わいということで…。(元西部A高校 Y.S)

 「教育勅語」の「勅」は天子の命令という意味である。天皇の大権を定めた「明治憲法」の下では、議会で定めた法律よりも「勅」の方が重かった。教育のあり方が国家のあり方を決する上でいかに重視されたかが分かるのだが、そのように定められた「教育勅語」が国民主権を定めた「日本国憲法」のいかにそぐわないか、その一点のみで自明というものである。
 したがって「森友学園」問題から端を発した「教育勅語」に対する発言を聞いていると、まるで亡霊が生き返って来たかのような錯覚をおぼえる。否、きっと亡霊はどこかでひっそりと生息していたのであり、今、急速に息を吹き返しているというのが正しいのかも知れない。
 だとすれば、今度こそしっかりとその息の根を止める必要があるのではないか? 「教育勅語」の復活を許し、戦前のような社会を甦らせるのか、すでに「明治憲法」よりも長い歴史を数えるにいたった「日本国憲法」のめざす社会の完成をはかるのか、その正念場であるように思うのだ。
  ※
 稲田防衛相は国会答弁で「教育勅語の精神である日本が道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」と述べたという。
 どこに日本が「道義国家を目指すべき」と書いてあるのかは不明だが、後半で述べているのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」あたりを指しているのだろう。これらは儒教にある「五倫」思想をもとにしているのは間違いない。「五倫」とは父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信である。「夫婦の別」とは夫には夫の役割があり、妻には妻の役割があるという意味で、それと比較すると「夫婦相和シ」とあるのは近代的な装いにあらたまっているようにも見える。しかし、戦前では女性の参政権が認められていなかったことでも明らかなように、人権における男女差別を前提とした規範の下にあったことは疑えない。
 儒教はこれらの徳目が守られることによって社会の秩序が守られるとした。稲田防衛相のいう「核の部分」というのは、人としてのあり方を示したというより、国家の統合原理として「維持」したいということなのだ。
 そして、最も重大なのはここまでには触れられなかった「君臣の義」であり、「教育勅語」では一番最後になって、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と続くのである。つまり、ひとたび国家に一大事があったときは、親子の親愛も、夫婦の契りも、友情も顧みることなく、「皇運」のために命を投げ出せ、というのが主旨なのである。
   ※
 「森友学園」の籠池理事長は、「何かことがあったとき、自分の身を捨ててでも人のために頑張んなさい。そういう教育勅語のどこが悪い。まったく悪くない」と述べたという。ここにも見逃しがたいまやかしがある。「教育勅語」には「博愛衆ニ及ホシ」という文言があることはある。だが、先の「一旦緩急アレバ」はそこに続くのではなく、「義勇公ニ奉シ」に続くのである。
 その籠池理事長の本音があらわれた発言が、「国家のために、そして国家社会のためにいい人材を創出しようとしている教育の中身を阻止しようとする人たちがたくさんいます。そういうようなことでは困るんじゃないですか。日本国を存続させるために、立派な人材を作っていくというのが教育であるんであれば、もう少し温かい目で見るべきじゃないですか。」である。
  ※
 さらにいえば、稲田防衛相にせよ、籠池理事長にせよ、それらの徳目を国民に押しつけはするが、自らは少しも守ろうとしていないように見えるところに根本的な矛盾がある。
 いや、「朋友相和シ」だけは守っているのかな?と、一瞬だけ皮肉まじりに思ったことがある。それは右派団体「日本会議」のお仲間である。だが、国会で追及されるや、「10年間、お会いしたことはない」(夫は「森友学園」の顧問弁護士だったというが)とか、「まったく迷惑だったんですよ」(妻は名誉校長に就任していたというのに)と、まったく無関係であるようにふるまい、幼稚園児に「安倍首相頑張れ」と唱和させていたほど入れ込んでいたのに、少し冷たくされたら「トカゲのシッポ切り」と恨み言を吐いている様子をみると、その朋友間の「信」も本物ではないらしい。
  ※
 私までもが、このようなことをことさらにするまでもない筈なのだが、やはり一言せずにはいられなかったのである。(3月10日)

 少々うんざりなのだが、第2の疑惑が起こっているらしい。しかも、今度の方が規模が大きい。
https://lite-ra.com/2017/03/post-2975.html

大阪・豊中市で建設中の「瑞穂の國記念小學院」の問題について、一部の新聞だけでなく、ようやくTVでも取り上げられるようになってきた。維新の会・松井氏との関連もとりざたされ、
 https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=123807
 闇はいっそう深まるばかりである。少なくとも安倍首相夫妻には大打撃のはずだが、このまま致命傷にはいたらずうやむやにされてしまうのか、国民は当分注視しなくてはならないだろう。
 だが、ここへ来て、またもしてやられた感がどこかで禁じ得ない。斎藤美奈子氏が「米トランプ大統領と金正男氏暗殺事件を追うのみでマスコミはいいのか」と警鐘を鳴らしているが、これに国内問題を加えるに「森友学園」疑惑が衆目を集めているうちに、日本の進路にとってもっと重要な事態が密かに進行しようとしているのではないか?
 もちろん安保法制と「共謀罪」(「テロ等準備罪」)のことである。稲田防衛相はアメリカの軍事費増を歓迎するとし。自民党二階幹事長は「共謀罪」を今国会で成立させると明言した。(3月1日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201702/CK2017022802000254.html

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原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国大集会

2017-03-05 17:20:25 | 活動報告

 4日、「原発ゼロの未来へ 福島とともに3.4全国大集会」が日比谷野外音楽堂で開かれた。

 オープニングセレモニーのあと、13:30に開会。メインスピーチには宇宙飛行士でジャーナリストの秋山豊寛氏が京都から駆けつけた。震災当時、秋山氏は福島県でシイタケ農家を営んでいたとのことで、自身を「原発難民」と紹介。74歳とは思えない力強いスピーチで参加者を勇気づけた。「私は確率90%の晴れ男」という自慢話?も飛び出したが、その言葉どおり、この日は上着を脱ぐほどの暖かさだった。

 この日の集会の主催は「原発をなくす全国連絡会」だが、「さようなら原発1000人アクション」からは富山洋子氏、「首都圏反原発連合」からはミサオ・レッド・ウルフ氏が連帯のあいさつをした。政党からは日本共産党の藤野衆院議員が岩渕参院議員をともなってあいさつ、自由党、社民党それぞれの党首からのメッセージが読み上げられた。民進党は参加議員の紹介があった。(民進党は「30年原発ゼロ」方針をめぐって党内が統一できないでいる。しっかりと腰が定まって欲しいものだと思う。)

 参加者は3500人と発表された。集会アピールにあたって福島からの参加者250名が登壇した。閉会後は銀座までのパレードが催された。
 3月は他に11日に反原連主催「反原発!国会前大集会+首相官邸前抗議」、20日に1000万署名市民の会主催「いのちを守れ!福島を忘れない さようなら原発全国集会」(代々木公園)が開かれる。

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原稿募集について

2017-03-01 00:41:57 | 申し合わせ
ブログ 埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」の原稿を募集しています。

1.地域・職場の活動報告、9条への思いや情勢に対する意見などをおよせ下さい。
2.個人名および顔写真は原則として掲載しません。講演会の講師の紹介など、必要のあるときは本人の承諾を得て下さい。
3.会員の職場名・個人名の公開を希望する場合はその旨を明記して下さい。それ以外はイニシャルで表示します。(例:西部A高校 Y.S)
 ※最初からイニシャルでは投稿しないで下さい。会員の確認が出来なくなります。
4.写真を添付するときはjpegのファイル形式でお願いします。個人の顔や姓名が特定できないように加工したものとしますが、送付後の加工も可能です。(プリント写真のスキャニングも可能ですが画質は低下します。)
5.原稿は電子ファイル(メール、一太郎、word可)だとありがたいですが、紙ベースでも差し支えありません。
 ※投稿された記事に対するブログ上でのコメントの書き込みは出来ません。
6.原稿はインターネットでも投稿できます。送付先のアドレスは印刷物を参照するか、事務局にお問い合わせ下さい。(アドレスはnet上には公開しないで下さい。個人間のメールのやりとり上は差し支えありません。)

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今日のつい一言 2017.2

2017-02-04 18:56:51 | 意見交流
 日報の存在を自ら隠蔽したのか、大臣ともあろうものが蚊帳の外におかれてしまったのか真相は不明だが、「戦闘」を「衝突」といいかえて平然としている稲田防衛相。再々々(もうひとつ々くらいか?)浮上した「共謀罪」の直接の担当者という自覚がどれだけあるのか、国会での「質問封じ」をしかけながら、報道機関向けに配布した文書をあわてて撤回した金田法相。安保法制と共謀罪という現に進行している政治の焦点にある問題で、閣僚にこれだけの不具合が明らかになれば、普通なら内閣はすでに死に体である。それがいまだに存立しているのは何とも気味が悪い。
 しかし、最近のニュースで、気味の悪さからいって引けを取らないは、大阪府豊中市で4月の開校をめざして建設中という「瑞穂の國記念小學院」である。設立主体である学校法人「森友学園」は、大阪市内で運営している「塚本幼稚園」で園児に「教育勅語」を暗唱させることで知られ、そればかりか軍歌を教えたり、皇族が大阪を訪問する折には日の丸の旗を持って出迎えることを恒例としているという。同校の開校準備室のHPでは、「日本初で唯一の神道の小学校」を謳っているとのことだ。
 だが、気味の悪さというのはそのこと自体ではない。その「小學院」の建設がすすめられている土地がもともと国有地で、最初(財務局サイド)の評価額が9億5600万円だったのが、森友学園からの申し出から大阪航空局が「地下のごみの撤去に8億円かかる」と算出した結果、1億3400万円で払い下げたというのである。「地下埋設物」とされたものがどのようなものであったのか、本当に撤去費用に8億円を要したのか、このような場合だれが費用を負担すべきなのか、森友学園はその費用を支出してまで土地を購入したのか、国はなぜ売却する必要があったのか、ミステリーというしかない。
 しかもその火種は安倍首相にまで飛び火している。国会では、「私(安倍首相)の考え方に非常に共鳴しているから『安倍晋三小学校にしたい』と言われたが断った。…私も妻も一切、認可にも国有地の払い下げにも関係していない」と答弁した。だが、「安倍晋三記念小学校」の名目で寄付が集められたという経緯(先の幼稚園では1回2万円以上の寄付が繰り返し要求されたケースもあったという)があり、HPでは安倍昭恵夫人が名誉校長として顔写真付きで紹介されているという。
 「もし関係しているということであれば、首相も国会議員も辞めるが、全く関係ない」と安倍首相が強弁している様子は私もテレビでみたが、直接か間接かはともかく、誰が無関係であると信じようか? 
 国有地は国民にとっての財産であるはずである。「愛国者」の仮面の下で薄汚れた利権を貪ろうとするものの存在が見え隠れしながら、国民の財産がみすみす失われていこうとするのを、なぜ人々は見て見ぬふりを続けるのだろうか? (2月21日)
 ※昨日、上記を投稿したら今朝になって次のような報道が流れた。これはいったいどうなっているんだ。
http://www.asahi.com/articles/ASK2N63DNK2NPTIL02R.html?iref=comtop_8_01



 福島第一原発2号機の格納容器内部の撮影画像が公表された。写し出された黒い物体は、溶け落ちた核燃料と思われるという。事故が起こって6年目にしてようやくここまでか、と嘆息していたのも束の間、翌日の2日には内部の放射線量は最大毎時530シーベルトと推定されるという映像解析の結果が発表された。
 推定とはいっても誤差の範囲は30%程度、人間は積算7シーベルト被曝すると死ぬとされ、毎時530シーベルトは1分弱で死ぬほどの高いレベルだという。すぐさま頭をよぎるのは核燃料の取り出し作業の困難さである。廃炉にいたる事故処理の道は遠い。もしかすると、何万年後かに放射線が弱まるのを待つしかないのではないか、とさえ思ってしまう。
 米国の原発企業を買収した矢先に3.11に遭遇した東芝は、その後も原発事業に固執し続け、最大7000億円程度の損失が見込まれる危機におちいった。その巨額損失の穴埋めのために、稼ぎ頭の半導体メモリー事業を分社化し、「切り売り」するという発表があったのはつい先日のことだ。今後は「(エネルギー事業の中での)位置付けを変えていく」、国内は「廃炉、保守・改修を中心に社会的責任を果たす」という。
 東芝と同じく原発企業である日立はウラン濃縮の新技術を米国で開発している事業から撤退し、3月期の連結決算で約700億円の損失を計上するという。ずいぶん以前に、米原発に納品した部品の不具合から賠償請求を受けた三菱は、その後どうなっているのだろう。
 いまや、原発はまったく採算が合わないばかりか、企業にとっても重荷でしかないことは誰の目にも明らかではないのか? ごく少数の「原発村」の住人たちの利権のために、「安全神話」「安心神話」「技術革新神話」「ベースロード神話」「採算神話」を振りまくのを止めにすべきではないのか?
 日本の進路にかかわるもう一つの焦点は辺野古である。辺野古に新基地を作れば少なくとも100年は使い続けることになるだろう。「基地撤去」「原発撤退」を決断するのは今しかない。トランプごときに尾を振っている場合ではない!(2月4日)

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今日のつい一言 2017.1

2017-01-15 17:42:22 | 意見交流
 アパホテルが客室に「南京大虐殺」否定本を置いていることが中国版ツィッターで問題視され、批判が広がっている。問題となった本の題名は「理論近現代史学Ⅱ」、著者・藤誠志はアパホテルの元谷外志雄代表のペンネームであるという。
 アパグループが右派パトロンであることは周知の事実で、田母神元航空幕僚長が日本の侵略戦争を正当化したことで更迭された懸賞論文を主宰したのも同グループである。
 それで止まらず、今度は新年早々問題になっている東京MXテレビ「ニュース女子」に化粧品メーカーのDHCが深く関わっていることが明らかになった。ネットで検索できる(DHCシアター)ので調べてみると、2日放送の番組では、沖縄・高江の米軍ヘリパッド建設反対派は「金でやとわれている」「韓国人が参加」「「(逮捕されても生活に困らない)65歳以上のシルバー部隊で組織されている」などのデマと中傷を並べたて、あきれるばかりの内容である。同番組は「反対派の暴力で近づけない」などという口実で、実際には現地で取材していないことが明らかになり、批判をあびている。
 他の日に放送された番組では、オスプレイの墜落事故に関連して米海兵隊トップの「(人家に墜落しなかったのは)感謝されるべきだ」との発言をめぐって、コメンテーターが「感謝するのが当然だ」「感謝できないのは米軍に対する感謝を忘れているからだ」など、声高に暴言をまき散らして平然としていた。
 DHCはMXテレビのスポンサーとしての広告費が23億円、全体の14.3%になるのだという。だが、放送は国民共有の電波を預かるもの。放送法にある「公平公正」の精神はどこ吹く風でいいはずがない。電波停止発言でマスコミに脅しをかけた高市総務相は何も言わないのか?
 (私は化粧品には縁がないが、健康サプリメントではDHCの製品をいくつか買っている。だが、今後はいっさい手にしないと決めた。)(1月25日)


「共謀罪」(組織犯罪処罰法改定案)は実際に犯罪を犯す以前においても「共同謀議」が認めれれば予備拘束および処罰が可能であるという法律である。先に制定された秘密保護法(国家機密法)とあわせて戦前の「治安維持法」の復活であると批判されている。
 その「治安維持法」について興味深い記事があった。施行直前、当時の東京朝日新聞は「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ」と警視庁当局の見解を伝え、「社会運動が同法案のため抑圧せられる事はない」と報じたというのである(赤旗「潮流」1.13)。その後、「治安維持法」がどのような猛威をふるい、日本という国家を破滅に導いていく一翼となったかはいうまでもない。
 「強権国家」と「強い国家」とは異なる、との感を深くする。政府は東京オリンピックに向けての「テロ等準備罪」と喧伝しているが、とんだレガシー(負の遺産)になりそうだ。菅官房長官は「一般市民には関係ない」などと煙幕をはっているらしいが、対象犯罪は676に上るらしく、確かに殺人や詐欺、覚せい剤の密輸などは「一般市民」とは関係はないだろうが、「組織的威力業務妨害罪」などは市民団体によるデモや国会前集会にも適用されないとは限らない。
 これまで3回国会へ関連法案が提出されながら、いずれも廃案になっていることが同法案に対する批判がいかに強いかを物語っている。国会内での数の力で押し切られようとするか、国民の力で跳ね返せるか、今年最初の関門である。(1月15日)

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ゆいま~るin沖縄  4日目

2017-01-08 08:30:06 | 活動報告


最終日は元白梅学徒である中山きくさんによる講演からはじまった。宿泊したリゾネックス那覇の会議室で、時間は9:00から11:00までの2時間。1時間ではどうしても足りない、2時間は欲しい、というのは中山さんからの要望であったようだ。お年にもかかわらず、椅子をすすめても、ずっと立ったままであった。



 沖縄戦の女子学徒隊は女子師範・県立第一高女のひめゆり学徒隊をはじめ、白梅学徒隊、なごらん学徒隊、ずゐせん学徒隊、積徳学徒隊、梯梧学徒隊、宮古高女学徒隊、八重山高女学徒隊、八重山農校学徒隊があった。
 白梅学徒隊は県立第二高女の生徒によって編成され、東風平村富盛八重瀬岳の山第一野戦病院に軍属として配属された。衛生看護教育隊に入隊したのが3月6日、23日には米艦船による艦砲射撃と爆撃が開始、24日人工壕の野戦病院に配属、以来戦線の移動とともに各地を転々とし、6月4日に解散となった。司令部が機能しなくなったからだが、医療のための薬品類も底をついてしまったからだという。
 問題はそこからで、解散後は軍属としての身分を失ったため壕には入れず、激戦地の南部一帯を彷徨することになり、除隊後に22名の学徒が命を落とすことになったというのである。国を守るという軍隊は、実は国民を犠牲にする軍隊であったのである。
 中山さんは長く小学校の先生をお務めになっていたが、国家公務員であった夫が沖縄の本土復帰後に転勤するようになり、たまたま転勤先が広島・長崎であったことから被爆者の方々と交流する機会があり、戦争体験を語り継ぐことの大切さを自覚するようになったということだ。かつての学徒たちも高齢となり、第一線からは撤退し、後代の人にどう継承させていくかが課題になっているらしい。貴重なお話を聞くことができた。



 午後の南部戦跡見学に先だって昼食場所に選ばれたのはアーサーそばの「屋宜家」(糸満市)である。もともとは戦後直後に建てられた純琉球建築様式による古民家で、国の有形文化財に指定されている。入口を入り、主屋正面に配置されている塀を「ひんぷん」と呼び、単なる目隠しだけでなく、邪気の侵入を防ぐという役割があるとのことである。



 予約席として案内されたのは「あしゃぎ」(離れ)である。



 内装・調度もとても品がよく、すっかり気に入ってしまった。藤崎紅型工房でも感じたことだが、谷茶ベイのような巨大なリゾート施設だけでなく、沖縄の文化遺産を生かして経済的に自立していこうとする意気込みのようなものが伝わって来た。(もちろん、そばも美味かった。)



 花はブーゲンビリアである。



 最終日にガイドを務めて下さったのは「糸満市観光ガイド」の大谷さんである。あえて「観光ガイド」を名のっているが、やわらかい口調のうちにも、父母の体験も含め、沖縄の戦争と平和を伝えようとする意志の強さが伝わってくる人だった。
 その大谷さんが平和祈念公園で最初に案内してくれたのは韓国人慰霊塔である(後ろに見えるのは平和祈念堂)。墳丘に積まれている石はすべて祖国韓国から運ばれたもの、円形の窪地の真ん中にはめ込まれた矢印は祖国を指している、という説明があった。



 平和の礎の扇の要に位置する平和の火。いちばん左にいらっしゃるのが大谷さんである。



 沖縄県知事島田叡・沖縄県職員の慰霊塔。



 平和の丘。この前が式典広場になる。



 植えられている樹木の名前はモモタマナ(沖縄ではクァデサー)だと教えられた。葉が大きいことから、沖縄では墓地によく植えられているとのことである。



 魂魄の塔。激戦地に建てられたが、当初米軍は遺骨の収集を禁じたということだ。



 ひめゆりの塔。ぽっかり口を開いている壕は沖縄陸軍病院第三外科壕であった。



 女子師範・県立第一高女と併称されるのは、もともと同一の学校であったからだ。師範学校と高等女学校の二課程があったということになる。
 ひめゆり平和祈念資料館に入ると、同校には正門から80mの相思樹の並木道があったという掲示がある。大谷さんの説明で、この資料館そのものが、かつての女子師範・県立第一高女を模した建物であり、植樹されているのも相思樹であると知った。



 相思樹の葉。裏表がないことから命名されているらしい。



 南部戦跡をあとにし、16:00には那覇空港に入る。17:00、空港発。沖縄に別れを告げる。

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ゆいま~るin沖縄  3日目

2017-01-07 16:30:27 | 活動報告


 3日目(ゆいま~るとしては2日目)、14のコースをバス23台に分乗してフィールドワークに出発する。一度には発車できないので時間差で出発。私が選んだコースは8:30発だったので少しのんびり。
 それにしても、この谷茶ベイは規模といい、構えといい、整備されたビーチといい、広々とした駐車場といい、(沖縄資本のみではないのだろうが)、沖縄が本気でリゾートで再生していこうという象徴のようなホテルでだと思った。



  最初に着いたのが辺野古、昨日に連続して座り込みテントを訪れる。今日は全教としての行動であるから、人数も多く、バス3台になった。
 14のコースの中で希望が集中したのはヘリパッド建設反対でゆれる高江を回るコースだった。このコースにはバス4台が配車されたが、すぐに定員になってしまったらしい。



 レクチャーはバスごと。説明してくれているのがテント村に詰めている方、右端で白い帽子をかぶっている人がバスについてくれたガイドの上里さんである。
 珊瑚礁の海では海岸は白砂であるのが本来なのだが、米軍の砲撃訓練で崩れた山から赤土が流失し、このような色になっているのだ、というのは昨日の湯浅さんから聞いた。私たちから見ると、十分きれいな海岸であるのだが。



 実は私が選んだコースは、辺野古に限らず、ほぼ埼高教単独で回ったコースと重なる。だが、2度目は2度目で新しい気づきがある。
 これは上里さんの受け売りだが、この道路は沖縄に落とされたお金(振興費)で作られた、しかし漁村である辺野古にとって道路の舗装はともかく、住民数から考えて歩道は不要だった、使われないからまたたく間に野草に覆われてしまった、というのである。何に使うのか、役に立っているのか不明な建造物が多数ある、というのである。今は退職されているが、不当に退学させられた先輩たちへの処分に抗議して琉球大学を自主退学したという学生時代をへて、教組の支部役員として長年活動してきたという上里さんは、いかにも筋金入りという人物であった。



 嘉手納基地も2度目。この日は日曜日であるので訓練は行われていなかったが、普段はタッチ・アンド・ゴーの騒音が飛び交っているそうだ。



 道の駅の真ん前には、昨日は気づかなかった騒音計が設置されている。軍用機の離発着時には軽く100㏈を超えるとのことだ。



 北谷町美浜区公民館。ここで昼食の弁当が配られた後、普天間基地をめぐる問題についてレクチャーを受ける。



 レクチャーしてくれた地元の町議の方。失礼ながらお名前をメモし損なった。パワーポイントを使って、現状と問題点、今後の課題について丁寧に説明してくれた。



 いかに米軍基地が地域を圧迫し、被害をもたらしているかのみならず、世界への出撃拠点として機能しているかが明らかにされる。



 沖縄経済の「基地依存度」は1955年の25-27%から減少を続け、現在は5%程度だといわれている。「米軍がいなければ沖縄はやっていけない」というのは時代遅れの神話であり、むしろ米軍基地が沖縄経済の発展の最大の阻害要因である。ハンビー飛行場跡地は商業地・住宅地となり、返還地利用の最も成功した例であるという。



 コースの最後は嘉数高台。今日もオスプレイが機体を並べている。上里さんから「ベースとキャンプの違い」というお話があった。空軍・海軍の基地はベース、つまり出撃の拠点である。日本語では同じ基地でも、海兵隊の場合はキャンプになる。キャンプは駐屯地というような意味合いになり、米海兵隊が海外での武力行使を前提とした外征専門部隊であることを象徴している。沖縄は米海兵隊にとって前線基地なのである。



 居住表示案内板には基地にあたる区域にも町名の記載がある。暴言で知られる「作家」の百田氏が「基地が住宅地に近接しているというが、もともと何もなかった基地の回りの土地に住民が集まってきたのだ」と発言して顰蹙をかったことがある。米軍は「銃剣とブルドーザー」によって接収した土地に基地を建設し、収容所から帰された住民たちがもどったら土地が奪われていたというのが真実だ。
 ところで、これも上里さんのレジメによるのだが、百田氏の発言には前例があることが分かった。2005年、米4軍副官が「普天間はサトウキビ畑とパイナップル畑でなにもなかった」と発言しているそうだ。百田氏は何の検証もなしにこれを引用したのに違いない。
 これに対し、上里さんが地元民らしく、ユーモアをまじえて反論している。沖縄本島は南部が石灰岩質のアルカリ性でサトウキビの栽培に適し、北部は赤土で酸性でありパイナップルの栽培に適する。つまり、「サトウキビ畑とパイナップル畑だった」というのはまさに「見てきたようなウソ」だったというのである。



 この日のフィールドワークは16:00頃には終了した。新潟や大阪等からの参加者はこのまま帰路につくということで、バスは最初に那覇空港に、もう一泊する県の参加者は国際通りの県庁前まで送ってもらい、流れ解散となった。





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ゆいま~るin沖縄  2日目

2017-01-05 15:25:22 | 活動報告
 

2日目、8時にホテルを出発し、いよいよ辺野古に向かう。写真はバスを降りてから基地に向かう途中の第2テント村である。



 このフェンスの向こう側がキャンプ・シュワブということになる。



 突きだした辺野古岬とその先端に見える島の間が新基地のために埋め立てるとされているエリアである。



 辺野古は漁港である。船溜まりのそばに設置されている座りこみテントを訪問する。



 テント村の方からレクチャーを受ける。このあと、キャンプ・シュワブの正門前に向かうのだが、残念ながらバスで通りすぎるだけになってしまった。



 埼高教のツアー部分には若干の観光コースも含まれていた。ガイドの湯浅さんがきれいな海を紹介するという。灌木のトンネルをくぐり抜けていく。



 トンネルをくぐるとき、湯浅さんが怪我をしないように、と皆に注意する。アダンの葉には鋭いトゲがびっしり生えている。沖縄戦の最中、この中なら米兵も追ってこないだろうと、住民たちが血だらけになりながら潜んでいたのだという。



 若者たちであればこそ絵になる風景。したがって私は入っていない。



 カヌチャリゾートで二手に分かれてグラスボートに乗り込む。この樹脂製の桟橋はなかなかスリルがあった。



 グラスボートから覗いた珊瑚礁。今年は台風が来ず、海水が混ざらなかったため、珊瑚礁にとっては悪条件であるらしい。それでも日光を受けようとテーブルを広げている。クマノミの魚影も見えた。



 藤崎紅型工房も見学した。



 手作業による染め付けである。



 小さいながら庭はきれいに手入れされていた。気持ちのよい一時であった。



 昼食後、名護市から恩納村へ。全教未来プロジェクトの会場であるリザンシーパークホテル谷茶ベイに入る。けっこう早めについたので待ち時間が長かったが、いつの間にか会場が参加者で満杯になったころ、創作和太鼓集団「心」による演舞がはじまった。



 文化行事がはじまったのが14:30、15:00からの全体会のオープニングは「仲間とつながる」各地のとりくみと題して、ゆいま~るの成功のための全国各地の活動が映像で紹介された。実行委員長あいさつのあと、来賓として登壇したのは稲嶺進名護市長である。翁長沖縄県知事からもメッセージがよせられた。



 記念講演はジャーナリスト、ドキュメンタリー映像作家の三上智恵さんである。大阪毎日放送をへて、琉球朝日放送のニュースキャスターを19年務めたのち、沖縄では放映されるものの、なかなか全国放送されないことに限界を感じ、独立した。「標的の村」「戦場ぬ止み」は全国で上映されている。沖縄の米軍基地強化のみならず、集団的自衛権体制づくりの背景には、ロシア・中国の太平洋進出の抑制を目標とするエアシーバトル構想の存在があることが強調された。



 講演に続いて三上さんと青年たちとのトーク。受け身なだけでなく、若者たちの声を反映させようという企画らしい。



 エンディングは北海道・東京・静岡・京都・高知・私教連の代表による報告と決意表明。北海道からは吹雪の影響で飛行機が運休し、会場に到着できなかった参加者もあったとのことだ。それでも1091名の参加が報告され、集会は目標を達成した。
 閉会後、急ぎ会場設営をして、同会場で夕食交流会が開かれた。マイクの声も隅々まではとどかず、十分な交流ができたかどうかは別として、1000人規模の立食パーティは壮観ではあった。

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