hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●根津美術館「燕子花図と夏秋渓流図」

2017-05-28 | Art

根津美術館「燕子花図と夏秋渓流図」2017. 4.12~5.14

ずいぶん前に終わってしまったのですが、書きかけの備忘録を一応しめておきます。

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入ってすぐ、伊年印の六曲一双「四季草花図屏風」

右隻は春から夏へ

左隻は秋から

一つ一つの花が生き生き、見て描いたよう。右隻はアザミと牡丹から始まり、屏風の内へと誘ないこむように茎を内へしならせていた。巻き付く先を探す蔓、意志がありげな植物は、かいかい時代の其一のよう。其一から光琳、宗達へと戻る。

アザミや撫子、萩、牡丹などは一本のなかに赤白ピンクと三色の花が混じり、菊はほんのりピンクのグラデーション。植物図鑑のような写実さだけど、非現実的な咲き方、生え方。菊や南天であやしく収束していた。

帰宅後調べると、68種もがこの中に咲いている。タネツケバナ、メガルカヤなんて初めて聞いた。百合だけでも、ひめ百合、鹿の子百合、笹百合と。大根、かぶ、ささげマメ、茄子と、野菜がまた愛らしい。

 

「桜下蹴鞠図」17世紀 なななんだこの面白い屏風は。宗達及びその周辺で描かれたものらしい。

右隻は、桜の下でけまりをする公家や稚児。

それを上から見おろして描かれているのだけど、それとは逆に、公家はまりを追って上を見上げる。だからそれを追う私の視線も浮遊し、くらり。まりは上に半分だけ見えている。もっと高く上がるのだろうから、空間がどんどん広がる。

そして桜の幹と枝のなまめかしさ。桜の気持ち的には、蹴鞠に参加しているんでしょう。いえ、桜だけで、ちゃんとバレーボールの円陣パスが成立している!。ヒトと桜のパラレルワールド。

左隻は、画面を斜めに分断する塀で、右隻とは別の世界。ご主人たちの手がかからないひと時、従者たちの開放感あふれる顔、そこまで嬉しいのかい。いつも脇役の従者を主役に据える。

のどかな情景なのに、構成は対比と呼応を計算している。右隻は、建物の直線に木の曲線。人は分散。左隻は、塀の直線に水流の曲線、人はひとまとめに。左右の色の分量もちょうどいい按配にしてある。宗達の空間創造力、恐るべし。

 

「燕子花図屏風」18世紀、尾形光琳 やっと見られた。リズムにのみこまれそう。目の前にすると思いのほか、花が大きい。

右隻の燕子花は、横から見ているんでしょう。左隻は見下ろす視線。

離れて見ると、余白の広がりを感じるのに、近づくと花の迫力にたじろぐほど。もはや、美しいとか生易しいことでは、すまない。

右隻はそれでも、葉の緑・花の紫・金地とが、三者ちょうどよく目に入ってくる。1,2扇は黄金比率くらいのバランス、3,4扇あたりでは少し隙間があり、すうっと心に風も入ってくるよう。それが5,6扇になってくるとなんだか花がこちらに向かってくるような気配。いつのまに葉はこんなに妖しくなっていたんだろう。

左隻は大きな余白から始まり、水辺の広がり。じわじわ姿を見せる燕子花、立つ私の足元すぐにいたのだ。足先がぞくり。3,4扇は息苦しいほどの密度で花がひしめいている。立つ自分はその中に囲まれてしまっている。5,6扇には少しゆとりが取り戻され、去ってゆく燕子花たち。燕子花のイリュージョンからはっと覚めたような感覚。体験型の屏風だった。

これは鈴木其一のカイカイ時代へとつながったのでしょう。解説には、同型反復は染色の応用だとあった。

 

鈴木其一「夏秋渓流図屏風」は、サントリー美術館で見て以来。やはり、鮮烈な色とアメーバのような渓流が凄い。惜しげもなく使われた金にも圧倒される。

右隻からすでに異世界。トロルのような笹がこちらを見て、点苔は小さなエイリアンか舟虫のようにうごめく。渓流も水というよりも、粘度のある半固体のよう。青は勢い余って、岩にも色が移っていた。幹が細密なのに気づくのだけど、百合がこっそり顔を出している。

左隻は、秋の情景。点苔も少しおとなしくなり、水の流れも夏に比べると勢いを減じている。はらはら舞い落ちる枯葉は、白い百合の対比のように赤く、枯れた部分が金で、やっぱり美しい。五扇では、目の前に大きな幹が立ち、もしやここが結界なのか。そこで私は外の世界にでたのでしょう。

離れて見ると、右隻の夏の情景は、妖しくむんむんした空気。左の秋は、冷たい風が吹き抜けて、もののあわれな感じも。

解説に、応挙の保津川図屏風(1794年)の影響を指摘していた。確かに似ている。其一は1833年に京を旅している。

 

光琳では「夏草図屏風」18世紀も。近衛家熈の花木真写に登場する花が多いことを指摘していた。

光琳「白楽天図屏風」は、謡曲「白楽天」を画題にしたもの。

日本にやってきた唐の詩人、白楽天が、漁師(実は住吉明神)に和歌の偉大さを思い知らされる。三角山のつらなりのような波に、大きな三日月のような舟。対して横水平な山と、構成が爽快。それぞれの人物の表情におかしみがある。


尾形乾山「錆絵染付金彩絵替土器皿」は、制約のある色数なのに、明暗まで表現していて感嘆。

海上の帆船は太陽の光にきらめいていたし、芒は月の光で浮かび上がり、梅も雲のかかる月光を浴びている。


渡辺始興(1683~1755)「梅下寿老人図」18世紀 楽しみにしていたうちのひとつ。

ユーモラスな人物、文様なような梅、幹や枝の機知的な構成は、光琳を学んだとされる、と。

そのことは尾形乾山・光琳「錆絵梅図角皿」から見て取れるということ。

どちらも、集中しながらも肩の力ははいってない感じがいいなあ。気迫メラメラの絵もいいのだけれど、(トシのせいか)この余裕にひかれる最近。


立林何帠「木蓮棕櫚芭蕉図屏風」18世紀

もくれん・しゅろ・バナナと私の好きなお題がそろいぶみのこの絵は、以前の根津美術館での展示の時にも、渡辺始興の「木蓮棕櫚図」の影響を指摘していた。(画像とその時の日記) 

何帠は乾山の弟子。乾山から光琳風を学んだと。始興の絵は色が美しいけれど、こちらは色が少ない分、うすやかなたらしこみにほれぼれ。バナナにしゅろというと、私の中ではエスニックでトロピカルなのだけれど、先日の東洋館での中国絵画にあったように、当時は屋外のしみじみとした風情の扱いなのかな。


この後は、江戸後期の作が続く。

住吉広定(1793~1863)「舟遊・紅葉狩図」19世紀は、住吉派7代目。やまと絵が幕末風になっていた。

谷文晁(1763~1841)「山水図」1794は、どこか現代風な文人画。山紫水明、みずみずしくて空気も澄んで深呼吸。

文晁は、抱一とも交流があった。下谷のご近所飲み友。文晁は交流が広い。次に展示されてた立原杏所「枯木寒月図」、喜多武清「牡丹鸚鵡図」と、この二人とも文晁の弟子。喜多武清は、文晁の松平定信「集古十種」の編纂のための大阪行きにも同行したそう。大阪に来た時には浦上玉堂との交流もなにかで読んだ。

高久隆古は、文晁の弟子の高久何某の跡継ぎとなった絵師。「狐嫁入図」はお気に入り。やまと絵風にちらちらと赤い狐火、山里の様子もいいなあ。

企画展の最後は、渡辺省亭「不忍蓮・枯野牧童図」

晩年の作。画壇から距離を置いて、どこにも無理の野心もないような作だった。

昨年から今年は、各美術館が是真を展示していた。おそらくこれで最後だろうと思うけれど、最後にこれを見られて本当によかった。心に残る絵だった。

右隻は不忍の池。おぼろな上野の山は緑が淡く。蓮の葉は、ぽんぽんと筆をおいて、もはや呼吸するくらい自然なのでしょう。

左幅は、牛も童も本当にかわいらしい。

こちらは秋の空気か、はっきりしたラインの丸くぽかりとした山。でも間には淡く靄がかかり。

色は小さな童の着物の青、たったこれだけ。右幅もわずかな点のような蓮のピンク。

お行儀よく笛の音を聞いている感じの牛がけなげで、やさしい絵だなあと思う。

辛辣でどこかナナメな省亭だけれど、この一年省亭の絵を観てきて、心の中の寂しくも優しいところがたまに出てしまうところが愛しくなってしまった。

 

二階の展示室「行楽を楽しむ器ー堤重と重箱」と燕子花のお庭は次回に

 

 



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