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★このブログは、私の長年の夢を叶える過程を記録してきましたが、
2007年5月末に思いを実現する事ができました。

館内 その5

2007年07月12日 06時43分48秒 | 夢の実現

小さなデジカメで撮ったのでかなりゆがんでしまいました。しかし長年あこがれたスタイルです。これはATSFのダイニングカーです。

この車両は、博物館スタッフがサウスダコダで元サンタフェのNo.1474を7,500ドルで売りに出されているのを見つけ「Cochiti」と名付けました。1978年9月21日グレートノーザンのポストオフィスカーと共にバーリントンノーザンから博物館に寄贈されたこの車両は、元スーパーチーフの食堂車として造られ36席のCochitiは1936年4月に発注された新しい流線型のコルゲート客車で、シカゴとロサンゼルスの間を週に一度走っていた8台の内の1台です。サンタフェのライト級ステンレスコーチは、フィラデルフィアのエドワードG.バッドで製造され、1936年1月にATSFから発注されました。1937年4月に納入された8輌のスーパーチーフは、1ヵ月後に定期運転を開始しました。

以上は博物館ホームページ説明からの抜粋ですが私の翻訳がかなり怪しく、間違った解釈があるかもしれません。実際の展示車両の中には、各鉄道で当時使われていた食器が何組も展示されていました。

 



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10 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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食堂車の食器 (Jackおじちゃん)
2007-07-12 20:56:33
この時代の食器もいいですよね。
グレートノーザンの食器もそれなりに有名でして、今でも本物がオークションに出ています。
また、レプリカは、GNのメッカ、アイザックウォルトンインのショップで買うことができます。
http://www.izaakwaltoninn.com/giftshop.htm
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Re: 食堂車の食器 (F'Track)
2007-07-12 21:53:51
このダイニングカーの中にはもちろんグレートノーザンの食器フルセットも飾られていました。手持ちの写真にないのが残念です。実はその車内で写真に写っている係りのおばさんから色々話しかけられてしまい、正直なところ落ち着いて見る事ができませんでした。

大変好意的に説明してくださったのでしょうが、私の英語力では・・・・・・・

というわけで柄その物も良く覚えていません。今回ご紹介くださったサイトに載っている写真と同じだったかどうか答えられる自信はありません。

ところでご紹介くださったサイトに載っていたグレーシャーパーク駅の写真、アームトラックのジェネシスが写っていましたね。大変残念に思いました。エンパイヤビルダーの素晴らしいカラースキムが私の目に焼きついて離れません。
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飾られていた食器 (kiichi Yamamoto)
2007-07-12 22:46:40
此の食堂車のテーブル上には各鉄道で使われていた食堂車の食器が飾られていました。
西部ではGNのグローリー・オブ・ザ・ウェストとATSFのミンブレオが飾られています。
食堂車は1937年のスーパーチーフ初の流線型の二代目編成で全車バッド社製のフルステンレス車です。
この食堂車とミンブレオのデザインはメアリー・エリザベス・ジェーン・コルターの手によるもので南西部の先住民の文化を採り入れたデザインです、此のミンブレオの復刻品がアリゾナ州ウィンスローの駅ホテルのラ・ポサダのギフトショップで売られています。
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Re: 飾られていた食器 (F'Track)
2007-07-12 23:43:58
kiichi Yamamotoさん、良いお話ありがとうございました。

Santa Feは南西部先住民の住んでいる近くを多く走っていましたからその文化も大切に多く取り入れたのでしょう。このバッド社製の車体に付けられた名前「Cochiti」私はとても気に入っています。
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サンタ・フェ以後 (Kiichi Yamamoto)
2007-07-15 19:22:23
 サンタ・フェ鉄道の歴史の中で列車食堂(食堂車)の歴史は多く取り上げられています。サンタ・フェ鉄道の列車食堂の成功が各大陸横断鉄道間での食堂車戦争の契機となり、鉄道での食事の歴史はサンタ・フェ以前とサンタ・フェ以後は大きく変わっています。
列車内の食事のレシピが公開されている鉄道は少なくサンタ・フェとチェサピーク&オハイオ鉄道位です。
 サンタ・フェ鉄道歴史模型協会(Santa Fe Railway Historical & Modeling Society)の公式会報誌のザ・ウォーボネット(The Warbonnet)にも取り上げられています。名物は朝食のフレンチトーストで多くの乗客を虜にしました。
 サンタフェ鉄道ではラートン、グロリエッタ、カホン、タハチャピの各峠を越えるためミズーリ州カンザス・シティーより西では重くて乗客を乗せられない食堂車を連結していませんでした。その代わり主要駅に提携したホテル兼レストランを設置していました。レストランの有る駅で列車の補給停車させてその合間に乗客を列車から降ろして駅内のレストランで食事を提供していました。此のレストランは食堂車がサンタ・フェ鉄道に現れる前から乗客に食事を提供していました。
 時代が下ってサンタ・フェ鉄道と並行する幌馬車の道に66と云う番号が付き、酋長の名前が付いた列車が走り出した頃から、此の駅内のレストランの客層が変わり66号線を車でを往く人々の間でも大変な評判をとるようになりました。その名残がアリゾナ州ウィンスローに残っています。
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Re: サンタ・フェ以後 (F'Track)
2007-07-15 20:13:56
アリゾナ州ウィンスローは、なつかしく聞こえる名前です。残念ながら私は訪れた事がありません。たぶんROUTE66の本の読みすぎだったのでしょう。

Kiichi Yamamotoさん、いつも素晴らしい情報ありがとうございます。ATSFに関する知らない情報は私の宝です。
アリゾナから西へ向かう山越えに食堂車がつながれていなかったという事を今回始めて知りました。言われてみれば当然でアリゾナを出る時は先頭に黒煙を上げる大きなSLが増結されていました。あの重い食堂車はさぞかしネックとなっていたのでしょう。

余談ですが、私はアリゾナ州プレスコットの街に親近感を覚えています。F'Trackレイアウトはその地をイメージモデルにしています。理由は単にそこを通るATSFのルートの脇を道路のROUTE69が並行して走っていたからだけですが。
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Re Re: サンタ・フェ以後 (Kiichi Yamamoto)
2007-07-15 22:23:07
 食べ物の恨みにまつわる力はその欲望に対して最も力を入れたサンタ・フェ鉄道が旅客輸送で華やかな歴史を飾ることが出来た最大の原因です。 更にサンタ・フェ鉄道の沿線には世界有数の動員力を持つグランド・キャニオン国立公園が有り、シカゴ~ロサンゼルスを40時間台で結ぶことが出来る高速性を持っていたことも一因です。
 サンタ・フェ鉄道と提携したフレッド・ハーヴィーは此の食事に力を入れる主役となりました。サンタ・フェ鉄道の宣伝文句には「フレッド・ハーヴィーの食事」が入っていました。此のしたフレッド・ハーヴィーは「卑しい仕事」とされていたレストランのウェイトレスに高待遇を与え、ハリウッドの大スターが演ずる「映画の主人公」になる迄地位を高めました。
 
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Re Re2: サンタ・フェ以後 (F'Track)
2007-07-15 22:44:01
確かサクラメント鉄道博物館の敷地の隣にある旧SPショップ内(もしかするとその隣の敷地)には、ハービーハウスがあったのではないでしょうか。私はそれをどこかのアメリカのサイトで見ましたが、それを見た時点ではその存在の意味が良く理解できませんでした。
そこには
>「卑しい仕事」とされていたレストランのウェイトレスに高待遇を与え、ハリウッドの大スターが演ずる「映画の主人公」になる迄地位を高めました。
という説明のくだりもありました。


今回の解説で合点が行きました。
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飾られていた食器をよく観ると (Kiichi ymamoto)
2007-07-15 23:34:46
 飾られていた食器をよく観るとサンタ・フェ鉄道だけは二卓分の食器が飾られています。
 
 ハーヴィー・ハウスはサンタ・フェの駅にしか置かれていませんでしたが、サンタ・フェと他鉄道との共同駅にも有りました。シカゴ・ユニオン駅はサンタ・フェが乗り入れていませんがテナントとして入っていました。サクラメントに近いのはベーカーズフィールドのサンタ・フェ駅にフレッド・ハーヴィーの食堂が有りました。
 汽車狂ウォルト・ディズニーは夏休みの数ヶ月間ミズーリ州カンザス・シティー~東のミズーリ州マーセリン間で列車販売の売り子をしていましたが、そのマーセリンはサンタ・フェの本線上に有ります。フレッド・ハーヴィーはホテル・食堂ばかりではなく車内販売や駅売店まで手掛けており、その車内販売も品格の高さで他社の追随を許さないものでした。
 フレッド・ハーヴィーの歴史を綴った本の中にウォルト・ディズニーの本名ウォルター・イライアス・ディズニー・ジュニア(Walter Elias Disney, jr.)と云う名前を見つける事が出来ました。
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Re: 飾られていた食器をよく観ると (F'Track)
2007-07-16 00:07:44
私が以前見つけた サイト内で発見したハービーハウスの説明は、この旧サザンパシフィック ショップ跡見学記の中に載っていたので私はてっきり、その施設内か隣接した場所にあるとばかり思っていました。ベーカーズフィールドも行きましたが、その施設の存在に気付きませんでした。
その昔シカゴのユニオン駅に行った時もです。何かとても残念です。

鉄道博物館内のATSFディナーカーの中に飾られていたATSF向け食器が2組合ったことも記憶にありません。ただかなりの鉄道会社の物が集められていた事だけを覚えています。この場所は英会話で苦労した場所なので、目の方がおろそかになっていたのかもしれません。
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