田舎主婦の日日是好日

今日も生きてることに感謝かな。

でんでんむしのかなしみ アナタの悲しみ ワタシの悲しみ

2018年02月13日 | 人間・社会
こういう本がある。



青空文庫から引用させて頂きます。
原文のカタカナでは読みにくいのでひらがなに変換いたしました。

 でんでんむしの かなしみ
新美南吉

 いっぴきの でんでんむしが ありました。
 あるひ そのでんでんむしは たいへんな ことに きがつきました。

「わたしは いままで うっかりして いたけれど わたしの せなかの からの なかには かなしみが 
いっぱい つまって いるでは ないか」

この かなしみは どう したら よいでしょう。

でんでんむしは おともだちの でんでんむしの ところに やって いきました。

「わたしは もう いきて いられません」
と その でんでんむしは おともだちに いいました。

「なんですか」
と おともだちの でんでんむしは ききました。

「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう 
わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです」
と はじめの でんでんむしは はなしました。

すると おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。 わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」

それじゃ しかたないと おもって はじめの でんでんむしは、
べつの おともだちの ところへ いきました。
すると そのおともだちも いいました。

「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」
 
そこで はじめの でんでんむしは また べつの おともだちの ところへ いきました。

こうして おともだちを じゅんじゅんに たづねて いきましたが 
どの ともだちも おなじ ことを いうので ありました。



とうとう はじめの でんでんむしは きが つきました。

「かなしみは だれでも もって いるのだ。わたしばかりでは ないのだ。 
わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない」

そして この でんでんむしは もう なげくのを やめたので あります。

 

* **

私がこの「でんでんむしのかなしみ」のお話を知ったのは皇后さまの講演からだった。
(1998年第26回IBBYニューデリー大会基調講演)
新聞に全文が載った時に読んだのだけど。
(ネットにも全文載っている)

その頃の私ときたら、
世の中の悲しみを全部背中に背負っているような気持でいた。
だから、このお話は心に残ったのだけれど。

今だって悲しみが全く無いわけではないが、
生きていることへの感謝が湧いてきて、
気持ちが悲しみの方にはあまりシフトされないような気がする。

悲しみの部分から目をそらして、
いい方を見ているということなのかもしれないが、
マイナス部分は、
雪だるま式に大きくはならない感じだ。

一時期、
必死で自分自身と戦ったんだから、
今は戦わずして(自然に任せて)生きていきたい。

(*^^*)

さて、皇后さまのこの講演の、
結びを掲載してみる。

どうかこれからも,これまでと同じく,本が子供の大切な友となり,
助けとなることを信じ,
子供達と本とを結ぶIBBYの大切な仕事をお続け下さい。
子供達が,自分の中に,しっかりとした根を持つために
子供達が,喜びと想像の強い翼を持つために
子供達が,痛みを伴う愛を知るために
そして,
子供達が人生の複雑さに耐え,
それぞれに与えられた人生を受け入れて生き,
やがて一人一人,
私共全てのふるさとであるこの地球で,
平和の道具となっていくために。

どんな人にもある悲しみ。

でんでんむしにも、アナタにも、ワタシにもある悲しみ。
皇后さまのおっしゃられるように、
それぞれに与えられた人生を受け入れて生き
ということなんだろう。

人生にはいろいろなことが起きるけれど、
感謝と笑顔で生きていけたらいいな。

願わくば最後の日まで。

コメント (18)
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