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終戦の日に寄せて 【戦争を避けようとした軍人】

2017年08月14日 | その他
最後まで戦争に反対し、意に沿わぬ戦争を指揮しなくてはならなかった男 山本五十六海軍大将 【後に元帥】

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。
  ※引用~ウキペディアから

高野五十六から山本五十六に
牧野家の長岡藩家老だった山本帯刀家を継承し、旧会津藩士族の子女と婚姻


『一生の計は少時にあり』 山本五十六大将の言葉

『一年の計は元旦にあり』は、中国の官僚、学者でもあった馮應京が記しました。
『一日の計は朝にあり』もあります。
日本では、江戸末期の儒学者、安井息軒も『一生の計は少壮の時にあり』とも記しています。

その子の一生を決めるのは子供時代です。と山本大将は言っています。
小さいころから愛情を持って厳しく育て教育する必要があるということ。
子供だから仕方ない? 歪んだまま大きくなったらもう言う事はききません、大人になっても我儘放題、果てはニートか犯罪者Orパラサイト? 親の足かせ? 国の足かせ?


山本五十六大将の言葉の書
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

これは、我が国より諸外国で尊敬されている
上杉鷹山 (出羽国米沢藩の第9代藩主)による有名な「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」の歌とともに
「してみせて 言って聞かせて させてみる」の言葉を残しており、山本五十六の言葉にも影響を与えたのではないかとされているそうです。

山本五十六の言語録には、ほかに
◎苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえて行くのが男の修行である。
◎人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するもの。
◎百年兵を養うは、ただ平和を守るためである。
◎内乱では国は滅びない。戦争で国が滅びる。
◎男は天下を動かし、女はその男を動かす。


などもありました。

常在戦場の書

『常在戦場』もかなり知られた言葉ですが 本来 『常在戦場』 とは長岡藩の藩訓・藩風だそうです。
長岡藩は、「常に戦場にあるの心を持って生き、ことに処す」という意気込みを藩士に持ってもらいたいという希を込めていたとのこと。

※藩主の牧野氏の家風
牧野氏は、三河国出身で、長岡藩初代藩主牧野忠成は、徳川十七将に数えられた武将。
【日本民族の勢力地であった日本国 (三河国) は、アジアの要で、日本民族は、西の中国・北朝鮮、北方のロシア (武田氏、織田氏、徳川氏) と対峙していました。
大国で世界の警察官である米国の勢力が衰え始めたため、このアジアの地に、ギャングのような北朝鮮や中国・ロシア連合軍などが一方的に侵略や攻撃の様子を示し、日本民族は常に強盗殺人グループの脅威に晒されることになります。】

                ※日本民族を牧野氏と読み替えて御覧ください。

「常在戦場」の家風が牧野氏に生まれた理由は、こうした四囲に注意せねばならなかった牧野氏の事情によります。
「常在戦場」は、長岡藩士にとっての精神規範でした。
小林虎三郎の米百俵の精神も、根っこはこの「常在戦場」の精神から来ています。

山本五十六大将が子供の頃から尊敬していた米国のベンジャミン・フランクリン

そのベンジャミン・フランクリンの言葉には
・愚か者の第一段階は、自分をよりよく見せようとする事である。
       第二段階は、それを他人にしゃべることである。
       最終段階は、他人の考えを馬鹿にすることである。

・どんな愚かな者でも、他人の短所を指摘できる。
           そしてたいていの愚かな者が、それをやりたがる。

・井戸が干上がってはじめて、人は水の価値を理解する。
※なにか現代の日本政党や国会質疑の様子を表しているような気がします。


新潟県出身の偉人・著名人といえば最近では、田中角栄代議士や娘の「新潟は、日本海側に居ると北朝鮮に拉致されちゃうのよねぇ~」と、テレビで笑い飛ばした田中真紀子などが記憶に新しいところです。

少し時代が下がれば、直江兼続や戦前の日本の思想家で北 一輝氏
【「明治維新の本義は民主主義にある」と主張し、天皇制を激しく批判した。
 「天皇の国民」ではなく、「国民の天皇」であるとし、
 国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由が保証され、
 華族や貴族院に見られる特権階級の廃止、男女平等社会、男女共同政治参画社会などの達成
に 向け「維新革命」「国家改造」が必要である
と主張した方。】

 案の定、二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死しました。


 ・ 「天皇の国民」ではなく、「国民の天皇」
 ・ 国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由を保証すべき
 ・ 華族や貴族院に見られる特権階級を廃止する
 ・ 男女平等社会、男女共同政治参画社会などを達成する

この思想のどの部分に問題があったのでしょうか?? 私には判りません。


長岡市に在る山本五十六記念館。 小さすぎて見落としそうな建物です


館内の片隅に置かれた山本五十六像
撮影禁止だった実際の山本元帥のお写真と比較するとお顔の柔和さが違っています。スナップ写真では非常に温厚そうなお顔でした。


山本大将の戦死現場
ブーゲンビル島で米機に撃墜された山本大将搭乗機の実写真


パプアニューギニア政府の好意により1989年に機体の左翼が我が国に還されました


山本長官が搭乗していた海軍航空隊一式陸上攻撃の左翼実物




展示されている左翼部分の説明




傷痍軍人徽章
山本大将がお上から戴いた勲章の中で最も喜び、大切になされていた徽章だそうです。
 勲一等旭日大綬章もお持ちでしたが、同章もそれ以上の勲章さえも皇族ならほとんど自動的に何の功労もなく得られますが、この徽章は 「軍人」 かつ 「戦場で戦闘中に負傷」 しなければ戴くことはできませんから皇族・華族では絶対に得られない一平民としては貴重な徽章です。


※大勲位菊花章頸飾は、日本の勲章のうち最高位に位置します。
今上天皇は、最高位の大勲位菊花章頸飾、勲一等旭日桐花大綬章、瑞宝大綬章等々を自らお持ちであります。

 山本五十六元帥は、その大勲位菊花大綬章という大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章を死後に授けられています。

国葬については、昭和天皇が 「皇族や華族以外の一平民の山本を国葬にするのか」等々の疑義を挟まれたそうですが最終的に皇族以外で初めて国葬にして戴きました。
【皇族、華族ではない平民が国葬とされたのは唯一でした。】

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