こんにちは、のほせんです。
このあたりでは 雲が晴れたり急に時雨れて、霙になったりと不順だった天気もおさまり、
ホッとやわらいだこの二三日ですが、
みなさんは、いかがお過ごしですか?
日々の暮らしに精を出しているあいだに、
わたしたちの頭越しに、人でなしの悪法がつぎつぎと採決されています。
このブログでもたびたび都合のいい「民主主義」の虚妄性に言及してまいりましたが、
いまや政権がみずから、その民主主義の仮面を投げ捨て、
国民主権の大原則を全面的に否定する内容の悪法をたちあげ、
なんとそれを、民主主義の採決によって決めるという馬鹿馬鹿しい茶番劇で閉めようと図っています。
さてこの悪法は、大正14年に普通選挙法と引き換えのように制定されている治安維持法に類似したもので、
なかなかに年代モノで、「人でなし政権」にとってはよだれが出るほど美味しい得物といえよう。
昭和二十年の敗戦までに大勢のひとたちがこの国民主権を問答無用とした悪法に辛酸をなめさせられたが、
先日来書きついでいる高橋和巳の著作「邪宗門」のモデルとなる、
俗にいう大本教にも昭和十年に適用され、
第二次大本事件といわれる凄絶なたたかいが、治安当局と交わされている。
その前にさかのぼれば大正十年(1921年)から始まった政府による弾圧である
第一次大本事件があった。
出口王仁三郎氏が逮捕・拘束されたほか、既成マスコミ(新聞)からの総攻撃を受けた。
容疑は不敬罪と新聞紙法違反の罪である。
マスコミはいつの時代でも政権にすり寄り、
御上のご意向どおりのデマをヒステリックに煽り立てる番犬でしかないことがよくわかる。
-- 高橋和巳「邪宗門」 その二 前史から・・・
“ 文明開化の恩恵を受けられず、かえって追いつめられていった小作農や、
機械の間をこまねずみのように走りまわるうちに体を冒されていく女工たちの間に、
開祖の教えは急速にひろまった。
胸を病んで解雇され故郷に帰ろうにも帰れぬ女工たちが訪れ、
この此岸に幸せのありえぬ貧者の宿命を説かれ、
それが強烈な宿命論であるゆえに、
ある女は熱狂的な使徒となり、またある者は病による死を待つことなく自殺していった。”(一部略) --
こうした教団の生い立ちを経て数十年後に、時の政権による教団弾圧がおこなわれた。
すでに開祖は亡くなり、のこされた者たちで再建会議をもつに至る。
“ もう数ヶ月も、差し入れが許されるだけでO氏との面会は許されませぬ。
伝え聞くところでは、警察や新聞雑誌の流す悪質なデマの為に迫害や圧迫が各地の信徒におよんでいると聞きます。” --
“ もちろん、不当な言いがかりなんじゃから、黒白をつければ、無罪は当然ですが、
なぜ予審がこんなに長引くんでしょうな ” -
“ それはですね、最初の告発から無理があったからです。
表面の告発理由とは別な政治的な意図がかくされていたりする時、
裁判はでたらめに早く帰着がつけられて闇から闇へほうむられるか、
今度のようにぐずぐずして、予審の過程で何ヶ月も費やされることになるものなのです。” -
“ さかのぼれば明治十年、政府は外国の干渉によってやむなく「信仰の自由」をみとめたものの、
明治九年の「衆庶参拝禁止令」は撤回されず、新しく神仏を祀ること、信者が集まりをもつこと自体が
弾圧の理由として残されました。天理さんにせよ、金光さんにせよ、何度かの幹部の投獄をみております。” --
司法の独立などあったものではなく、これが当時の政権の振る舞いであるわけですが、
時が移った現在の政権の本性は、まったくこれと酷似していて、あきれるほかない。
わたしたちの「個の尊厳にかかわる自由」の根幹が、今にも音を立てて崩されようとしている。・・・・・
- 当時の大本教の最高幹部の一人が、教団を救わんとしてまた、天子の心を動かそうとして「死諫」をつらぬいた。
葬主の二代目教祖が哀悼の辞をのべる。・・
“ たぶん天は私たちを見捨てようとなさっているのでありましょう。・・・
もし鬼神にも情あるならば、この私たちの悲しみを見よ。
教団創業の折より、かげに日なたに教徒をいつくしみ、教主をたすけたもうたOO先生は
教団を救わんとて、
天子に諌暁の書をたてまつり、そしてそのことで教徒に迷惑の及ぶを避けんとして、自刃したまいしを。・・・
にもかかわらず私たちに加わる迫害は日ましに激しく、・・・。
私たちはこの悲しみによって、悲しみというものがどういうものかを知りました。
私たちはこの怒りによって怒りが何であるかを知りました。・・・・・・”(一部略)
(次回につづきます)
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