若葉のころ🎵そして枯れ葉のころ😂

山登り、野菜作り、人生大相撲、ギター弾き等

恋する那須の日 3

2022-08-01 11:40:10 | 山登り

1989年 お盆休み

 裏銀座

予報では13日から1週間は雨、新宿駅のプラットフォームから見上げた青空が見納めとなった。

「あずさ〇〇号」松本へ。13日15時55分、信濃大町駅着、そこから乗り合いタクシーで葛温泉下車。高瀬ダムまで徒歩2時間の距離である。。歩き出して30分、イエローのランクルが我々を追い越そうとした瞬間、美紀が突然道路に立ちふさがった。ショートパンツからの長い脚をこれ見よがしにさらしたのである。ランクルは急停車した。「ダムまでかい?」と作業服を着た30代の男性。「ありがとうございます」美紀はすかさず助手席のドアを開け「3人おねがいします」と言って乗り込んだ。俊介と純一が後部座席にザックを載せお互いの顔を見合わせた。美紀やるな!といった表情である。

高瀬ダムの河原にテントを張り宴会、我々のほかには単独行者が一張りのみ。星の見えない夜である。

14日、ブナ立尾根に取り付き11時半に2209mの三角点着、13時50分に烏帽子小屋に着いた。空には重い雲が一日中のしかかっている。

15日、この日も朝から雨、三ツ岳から野口五郎小屋を経て18時に水晶小屋にたどり着く。美紀がヒステリックにつぶやいた。「もういや、濡れたシュラフで寝たくないわ」俊介も純一も同感である。次の台風が来たら間違いなく倒壊しそうな小屋である。

しかし濡れたシュラフよりは少しマシだ。囲炉裏端で50代くらいの夫婦と小屋のスタッフがなにやら話している。「ここは北アルプスの最深部です。体調が悪い場合、明日中に下山は無理です」とスタッフ。「どうしたらいいんですか?」と不安そうな女性。「ヘリを呼ぶことはできます」「ヘリ?」「そうです。民間のヘリコプターです」「お願いします」「30万円ほど掛かります」「お、お願いします」と奥様が後悔と非難のまなざしで夫を見つめながら言った。

16日、太陽はないが今日の目的地、鷲羽岳、ワリモ岳の稜線が見えた。しかし午後から雨になった。霧にむせび泣く三俣蓮華山頂を踏み15時に双六小屋に着いた。槍の稜線が雲間から見え隠れしている。ここで純一は初めて本格的な料理にチャレンジだ。肉野菜炒め、麻婆豆腐、エビチリと次々に出てくる。入山4日目で初めて3人の笑顔がそろった。

          

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17日、双六小屋、テント撤収し7時、肩にずっしり沈むザックを担ぎ槍ヶ岳を目指す。樅沢岳山頂を踏み千丈乗越で額から吹き出る汗を拭って視線を上げると槍の穂先が左に首をかしげ微笑んでいるように見えた。西鎌尾根に取り付くと頭上には青空が広がっている。5日ぶりに見る青い空だ。13時15分、槍ヶ岳山荘着、山頂を目指すか、それとも先にビールを飲むか、3人満場一致でまずは生ビールに決まった。14時20分、槍ヶ岳山頂、少しガスが出始めている。

      

19時40分、槍沢ロッジに入る。なんだこんな時間に!とでも言いそうなスタッフが我々を見下ろす。「部屋は全て満室です。宿泊なら物置小屋になります」

テントを張る気力もない俊介と純一が首を縦に振った。案内された物置小屋はまさに物置小屋そのもの、スキーの板、スコップ、ザイル、ストーブ。昨日の昼、三俣蓮華のトイレのひさしで雨を避けラーメンを食べた環境よりは少しましだ。

18日、横尾には9時30分に着いた。徳沢から上高地、バス・電車を乗り継ぎ今日中に家に帰るとなると予定していた松本駅前の「おかめの湯」には入れそうもない。1週間風呂に入ってない体で山手線に乗るには相当の覚悟がいる。

「何を心配してるんだ、あずさの中で3時間宴会をやれば、その勢いで山手線も新幹線も怖くない」俊介の力強い言葉に純一も美紀も白い歯を見せた。

1991年10月20日 徳本峠

徳本峠からの穂高が見たい、俊介の長年の夢であった。

松電で新島々を降り、島々宿から登りだす。11時、岩魚止め小屋、13時50分にあこがれの徳本峠に着いた。周りは全てガスの中、数組のパーティがベンチで寒さを堪えながら温かそうなコーヒーを飲んでいる。ためらうことなく俊介は冷えた缶ビールを売店で買った。ブシュッ!グビグビ!体が芯まで冷える。ビール党にはこの醍醐味がある。明神へ下り16時半に上高地に着いた。

「今年最後の松本行きバスが間もなく出ます。このバスに乗り遅れると次のバスは来年の5月になります」

ジョークなのか哀愁なのか、俊介は今年最後のバスに乗った。

1994年10月10日~11日 常念岳・蝶ヶ岳

登山は初めて、もちろんテントに寝るなんて生まれて初めての経験だわ。そんな女の子、藤崎彩と西田由衣の二人と半年前に大阪支店から赴任した南国育ちの経理課北川信次郎を乗せ車を出した。北川は全くの初心者らしく家の玄関から登山靴を履いてきた。まだ新婚である。登山とはそういうものなのかしら?新妻の亜紀も素直に納得し北川を送り出した。

三俣から前常念、16時には常念小屋の物置を借り宴会、ほぼ泥酔の由衣をテントの中に入れまた小屋に戻り二次会に突入。

       

       

翌日も快晴、雷鳥の親子を見ながら常念岳、蝶ヶ岳と鼻歌まじりで歩く。

       

蝶ヶ岳ヒュッテのベンチで昼の宴会、登山家の風上にも置けない男だ。それも登山初心者を連れての縦走である。

三俣に着いたのは22時15分、ヘッドライトの電池切れと沢の渡渉を誤り登山道をはずれ沢に迷い込んだのが敗因、しかし1番の敗因はリーダー俊介の酒気帯び登山である。

         続く

 



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