Ange(アンジュ)~7号食友の会~

~自己創造による社会変革への貢献~

おかしな講演

2011-10-13 23:32:01 | 日記
本日、仕事の関係で講演を聴かされる?ことになりました。

現役の73歳の営業マンの方で、いろいろな所で講演をされている方でした。

73歳とは思えぬ容姿をお持ちの方で、話し方などもからり若く感じられました。

セールスやコミュニケーションについて研究をされているので、講演の内容も

その方面のことでした。

ところで、こういう方たちは研究をれていると言っても、一から全ての事を構築されていないので、

個々の事は十分に納得がいくのですが、所々、どうしても理論の弱さが出てきます。

というより、大体においてどこかの学者が研究して発表したことをそのまま伝えているだけに

過ぎないという面が多々有ります。

例えば、今日の講演のなかで

「生きることは辛い事だ。だから、楽しいフリをししなければならない。」

ということをお釈迦様が言っているとおっしゃていました。

これは完全な対処療法的考え方です。

もし生きることが辛いならば、どうして辛いのか?

本来、生きることは楽しい事ではないのか?

など、もっと根本に言及していただきたいものです。

ちなみに、私の考えを披露させていただくと、

「生きることは本来このうえなく楽しいものです。

楽しくない、苦しいのはそのような構造が存在するからです。

また、その構造が維持されているからです。

自然は私たちに苦しみを与えたりしません。なぜなら、私たちも自然だからです。

不自然さ=人工的構造

から苦しみが生まれてきているのです。」

話を戻しまして、

そうは言いましても、講演の内容を個々に見ると

食養に通じることにも話題が及んでいました。

「確かなことはこの体だけ。」

唯物論ですね。これは納得です。

でも、唯物論で話をされているのに、先ほどは観念論(宗教)。

ごちゃごちゃで哲学がないといわれても仕方ないです。

結局、資本主義的発想なのです。

どうすれば儲かるか?

そのためのコミュニケーション方法論、セールス論なのです。

誰のためのサービス活動ですか。という問いに

他人のため。

というのは納得します。そうであって欲しいからです。

でも、これは対象が人に限定されています。

講演の主旨からすると当たり前なのですが、

自然界にサービスというものは存在するのでしょうか?

身体という自然物を発想の源にした時に、サービスというのは

何ぞや?と疑問を持たざるをえません。

敢えていうなら、自然そのものがサービスです。

自然は色々な物を無償で提供してくれます。

空気や光や水。

まとめますと、

今回の講演は「総論間違い、個々は正しい。」となります。









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