インターハイ予選
鹿児島城西・松陽・鹿児島実業・鹿児島玉龍の4強
うちの代表やU-12監督の時代の4強は
鹿児島実業・鹿児島商業・志布志・志布志実業
この4校が常連校
今朝食べたメニューも思い出さないくせに
昭和58年のインターハイ予選準決勝
鹿児島実業志布志
の試合は良く覚えている
左からのグラウンダーのセンターリングを
きれいに決めた1点を守りきって
志布志高校決勝進出
点を取ってからがすごかった
当時志布志のフィールドプレーヤーの練習には
サンドバッグを使うくらい当たりの厳しさを求めていた
そんな練習をしているもんだから
相手チームのプレーヤーは
ほんんんとに志布志と対戦したくなかったらしい
U-12の監督なんかその代表格
もちろんボールにアタックしているんで反則取りようがない
センターバックにはもう一人
今の横浜Mの栗原選手のような方もいたんだが
これまた体が強い強い
2人して外から入るクロスボールには競り負けない
グラウンダーのボールはクリアしまくり
試合球は2個限定
マルチボールシステムな訳がない
鴨池緑地公園球技場(今は人工芝になっちゃったな)での試合は
クリアボールを海まで蹴りだし
鹿児島実業の1年生たちは
目の色変えて海に落ちたボールを取りに行っていた
休む時間もとれて一石二鳥…じゃないか
今でも当時を知る他校サッカー部出身者と話をすると
「あん頃はよ、じゃねかったがね」
「H中さんとO上さんは人間じゃねかったたっどが」
などとよく聞かれる
みんな朝の食事メニューが思い出せない人達だ