2015-08
太宰府第一バプテスト教会執事:有岡博一
コリント人への手紙 第二 8章1-9節
Ⅰ.喜んでささげる人は、神の愛を知っている
Ⅱ.喜んでささげる人は、神に献身している
Ⅲ.喜んでささげる人は、神への愛をあらわしている
2015-08
太宰府第一バプテスト教会執事:有岡博一
コリント人への手紙 第二 8章1-9節
Ⅰ.喜んでささげる人は、神の愛を知っている
Ⅱ.喜んでささげる人は、神に献身している
Ⅲ.喜んでささげる人は、神への愛をあらわしている
2015-07
「なぜ献金するのか」(3)
エペソ人への手紙 1章22-23節
(関連聖句:エペソ人への手紙 5章25-27節)
A.教会はキリストの体であるから
1.キリストの手足となって活躍する共同体。
2.キリストの足跡と踏んで行きたい願いを持つ団体。
3.キリストの喜怒哀楽を共にする者の集まり。
B.教会は信者の家族であるから
1.共同体の絆で結ばれている家族。
2.共通の関心を持つ家族。
3.聖霊に導かれる群れ。
4.互助の精神が発揮される家族。
C.教会の目的はそいたいから
1.キリストの宣教命令に従順でありたい願いが優先。
2.宣教のヴィジョんを常に最優先する心構え。
3.教会の目的達成のためにささげた初代教会の例 ‥‥使徒4:32-37
2015-06
「なぜ献金するのか」(2)
ルカの福音書 10章25-37節
A.注意による導入
1.これら仮定の話、または「たとえ」として考えることは誤りである。
2.差別されている弱者であるサマリヤ人が敵視するユダヤ人を助けることは、あり得ない話ではあるが事実の話である。だからその真否はここでは誰からも問われていない。
B.ユダヤ人の旅人をどのように見るかが問われている
1.主イエスは、助けを必要としている人は誰でも助けるべき隣人であると主張する。
2.律法の専門家は、隣人とは誰かという議論の対象でしかなかった。
3.強盗にとっては、私利私欲を充たす対象であった。
4.祭司とレビ人は、関わりを避けるべき人として見なした。
5.良きサマリヤ人には愛を示し、助けそして実際に必要なものを与える対象であった。
C.隣人を愛する三つの原則
1.愛の不足を誤った理由で正当化することはできないことに注意する。
2.人種、宗教そして社会的背景に関係なく困って人は誰でも隣人である。
3.愛とは、人の必要を満たすために行動することを意味する。どこに住んでいて、困っている人はすぐそばにいるはずである。彼らを助けない正当な理由は存在しない。
2015-05
「なぜ献金するのか」(1)
マタイの福音書 22章36-40節
A.愛が献金の最大の動機
1.愛の第一歩は神/キリストへの愛を表現するためのもの。
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(Ⅰヨハネ4:19)。
2.神/キリストへの信仰のしるしとして信者は愛する。
B.愛は従順によって表現される
1.従順は、信仰の現場である生活で表わされる。
「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。」(ヨハネ14:23)。
2.神への愛が動機であるなら、献金は重荷にはならない。
「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(Ⅰヨハネ5:2)。
C.愛は奉仕へと導く
1.私たちのために死なれたキリストのために奉仕をする。
「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(Ⅱコリント5:15)。
2.奉仕はキリストのなされたことを自分もすることである。
⑴.弟子たちによる奉仕。
⑵.使徒と初代教会による奉仕。
⑶.歴代教会による奉仕。