今朝早くに電話が… 2日は元気だった寅さんが
今日一日、寅さんと過ごした25年をずっと考えていた。
恐くて泣かされて、でも、ずっと一緒だった寅さん。
亡骸は今も警察署にあるときいた。
寅さん 寅さん 何で?どうして?
やっと来ました!この日。
綿が開花しました
ちょとピンボケですが。
芽を出した頃。
こんなに可愛い綿が、立派になりました!
花は受粉すると色が変わります。
その写真は、きっと明日か明後日かに報告できるかな、って思います。
9本の綿にたくさんの花芽がついています。
きっとみんな開いて、こっとん・こっとんになるかな!
今から楽しみです。
昨日の雷様のプレゼントか、昨夜からとても涼しい。
今朝など「寒い!」と窓を閉めてしまった。
今も冷たい空気が窓から入ってくる。嬉しいけれど変!
遅番だと、家族は夕食を済ませ、そろそろお眠むの時間に帰宅する。しかし、私はそれからがくつろぎの時間。当然お酒も入るわけで。でも、相棒が見つからない。せいぜいラブがまだ寝ないの?と、ベッドの横で恨めしそうに見ているだけ。それが心地よくなっているここ何年かの自分が少し恐い。
庭に梅の木があります。
結構大きな梅がなるのですが、最近はサボっていて取りもしません。今夜はその梅で作った年代物の梅酒をいただいています。
ホワイトリカー35度だから結構強い!
私はお酒はすべての種類一切割って飲むのが嫌い!
だから梅酒もストレートです。
もう5年の梅酒だから、トロ~ンとまろやかで、美味い!
ケントビューティーが元気です!
名前を忘れてしまったお花。
今週末は長野の夏祭り。
楽しい季節ですが、何故か乗れない私が寂しいです。
何故って? 踊りにいかれないから! お仕事です
一人の日曜日。
思いっきりのんびり。のんびりし過ぎて、お腹もすかなかった。
しかし…
2時を過ぎた頃から、雲行きが怪しく。
ゴロゴロと音がしだした!
実は私、雷が大嫌い。
いい大人が、と笑われることしばしばあるが、好き嫌いに年齢はない。学生時代に山で散々恐い思いしているから余計にだろう。
私のそんな気持ちを察してか、実はラブも駄目なのである。
それまで玄関で伸びていたに、私の足元へぴったりと。
雨も大きな音を立てて降ってきたので、家中の窓を締め切り、ラブと「恐いね~、雷様がラブのお臍とりにくるぞぉ~、お線香焚いて、くわばら・くわばらって言えば雷様は来ないよ」と、昔祖母から聞いた迷信を、ラブに話し恐さを紛らわしながらの数時間。
4時を過ぎる頃から、やっと雨も小雨。雷様もそろそろお帰りの準備のようで。主人を迎えにお出かけ。
移動中だったので、うまく撮れていませんが、
虹です。
とても大きな虹で、しっかりアーチが見えました。
虹をとってから少しして、夕焼け。
我が家の東に見える山です。真中がこれからのシーズン全国からラガーマンが集まる菅平の四阿山と根子岳です。
何だか火事みたいだけど、思いっきり夕焼けの綺麗な空でした。
この時期は、どこでも夏祭り。
長野もご多分に漏れず、「長野びんずる」という祭がある。
私の職場でも来週の土曜日、参加をするのだが。
今夜はその練習。みなさんご苦労様!
実は、私はこの祭に四半世紀参加をしてきた。
25年ともなると、もう音楽が流れれば、身体は自然に動き出す。
嫌で参加していたのではなく、お祭大好き女の性。
ただし、それは結構意志が働いていたものだったのです。
私が学生時代をすごした1970年代後半、養護学校は義務化されました。どんなに障害が重くても、教育を受ける権利があるということで。でも私は…たとえ、障害があっても普通学級で教育を受けたいと思ったら、それでいいじゃない、養護学校義務化なんて必要ないじゃない!と思っていました。
「養護学校はあかんねん」という映画もでき、それを自主上映したりしてもいました。囲い込みは必要ないと。
そして、地元に戻って仕事を始めたのが、障害者の施設でした。
時期は国連障害者の10年の始まったばかりの頃。
そして、夏祭りが私のライフワークになっていったのです。
この夏祭りを機に、これから少しの間、その私の思いを書いていこうと思っています。
そう、唄でいえば、中島みゆきの「世情」とか「れいこ」の頃。
サザンがデビューして少し経った頃。
アルタができた頃。成田空港が開港した頃。
そんな時代からの思いです。
紫式部の花です。
いつも気がつかず花の時期は終っていたのですが、初めて写真に収めました。