二足の草鞋

よくある話のよくある一人の凡夫のブログ。これは日々のわらじの足跡・・・。

ダイエット・・・その後(2)~震災を越えて

2004年11月23日 | Diet
10月19日に「ダイエット・・・その後」を記した4日後に「新潟県中越地震」が発生した。その後、体重測定をするような心の余裕のない日々をずっと過ごしていたが、昨日久しぶりに自宅の体重計で測ってみた。70.8キロ、体脂肪率22%になっていた。 19日のブログには72.2キロと記している。従って震災を経て1ヶ月経過した今はそれより1.4キロの減だ。当初の目標は12月末までに70キロを切ること。6月の8 . . . 本文を読む
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裏山の応急危険回避工事の開始

2004年11月21日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
地震発生から3週間が経過した。先週15日頃からこの滝谷の山でも復興工事が始まった。滝谷山の奥の方(寺はその一番奥にある)の数軒は、庫裏の裏山から続く山に亀裂が入っているために未だ避難勧告が解除されないままであるが、今後の解除に向けての準備工事が開始されたようである。 庫裏と書院の部分は著しい前傾をしているために居住することはできないが、平成5年に新築した住居は、裏山の更なる崩壊の危険が回避されれ . . . 本文を読む
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「応急仮設住宅」の申込み

2004年11月10日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
10月26日(火)に裏山の崩壊に伴う避難勧告が発令されてすでに16日目となった。現在も義妹家族の家で寝泊まりをさせてもらっている。今日は私たち夫婦の19年目の結婚記念日。避難所ではなく、義妹の家でこの日を過ごさせていただいていることに心から感謝している。 昨日、私の携帯電話(被災時の連絡には携帯電話が命である)宛に長岡市住宅建築課から連絡があり、すでに提出していた仮設住宅の仮申込みについて、改め . . . 本文を読む
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庫裏と本堂・新居部分の切り離し

2004年11月09日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
庫裏の棟と本堂とは、それぞれが山を背にして逆L字型をしている。山門から正面に本堂を見て、左側が庫裏である。 庫裏の棟は3つの家屋で構成されている。庫裏正面を見て一番左が平成5年に完成した新居(我々東院家族が同居するために建築)、中央が昭和10年代に前住職夫婦が建てた庫裏(1Fが主として門信徒のための集会所、2Fが寺族の住居)、そして一番右側の奥が、上の間として住職が昭和60年頃に建てた書院(主と . . . 本文を読む
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新潟県中越地震速報-5.現在の状況

2004年11月07日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
地震直後の裏山の崩壊と、さらに今後の裏山の地すべりの危険発生のために、滝谷の山11世帯40名の避難勧告が出たままで、まだ自宅に帰ることができない状態である。避難場所を義妹の家とし、寝起きしている。地震発生12日後の11月4日(木)、義妹の家にようやくガスが供給され、その地域はライフライン完全復活となった。 滝谷の山では、水道、電気はようやく4日(木)に復旧したが、灯油のFF用ラインとガス(この地 . . . 本文を読む
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新潟県中越地震速報-4.地震発生後

2004年11月06日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
当初は、地域の小学校が避難所に指定されたが、体育館の天井が高く寒い、また余震時の揺れが大きいということで、一部の人が保育園に避難することを希望したため、2日目から保育園が正式に避難所となった。 避難所の様子は、各報道機関で紹介されている通りである。これまでテレビで見ていた他県の災害の光景と同様の光景をまさに目の当たりにし、大災害の発生を実感した。 保育園が避難場所になったことにより、結果として . . . 本文を読む
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新潟県中越地震速報-3.地震発生後

2004年11月05日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
ライフラインが切れていたので、義父の住職を除く私たち家族は、昼間は境内に設けたテントでガスボンベで煮炊きして食事を取りながら、倒壊寸前の庫裏から重要な荷物の運び出し作業、夜は車の中で寝る・・・激しい余震の恐怖にに耐えながら・・・という日が続いた。寺を守る者としては、本堂を放棄して避難所に逃げるわけにはいかなかった。一方、住職は、町民の避難所になっている保育園に寝泊まりし、管理者としての役目を果たし . . . 本文を読む
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新潟県中越地震速報-2.地震発生時の状況

2004年11月04日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
私は新居2Fのリビング、次男は庫裏2Fの庫裏2Fの自室にいた。家内は買い物の帰りで道路上、長男は塾からの帰宅途中で、友人と共に発車寸前の電車の中であった。同居している義父母については、義母は新居1Fの厨房、そして住職の義父は市の中心部の床屋で洗髪の最中であった。 最初の揺れで停電、その後すぐ復旧したが2回目の揺れで再び停電。その後は暗闇の中で、連続する震度5強~6弱の揺れに耐えていた。少し落ち着 . . . 本文を読む
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新潟県中越地震速報-1.被害の概況

2004年11月03日 | ◆10.23新潟県中越地震とその後の復興
裏山が崩壊し、庫裏(1Fが寺の集会所と住職夫婦の居室と台所、2Fが私たちの住居・・・私の書斎、夫婦の寝室、子どもの部屋など)と奥の書院(庫裏より裏山に近い)が前に押されて傾いた。この庫裏の1F部分には裏山の土砂と樹木が(特に、台所には斜め上方の天井を突き破って太い幹が突き刺すように侵入)、2F部分の私の書斎には樹木が窓ガラスを割って侵入した。 幸い、私たちが寺に同居することになった際に建てた新居 . . . 本文を読む
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国立教育政策所研究指定校 栃木県立足利工業高等学校訪問

2004年11月02日 | ◇日々
本年度7月から、国立教育政策研究所の「平成16年度全国的かつ総合的な学力調査の実施に係る研究指定校事業」の企画委員(研究主題「工業」)を仰せつかっている。 震災から10日後の11月2日(火)、その指定校になっている足利工業高等学校を、教育課程調査官に同行して訪問した。当初の予定では上越新幹線の高崎を経由して両毛線で足利まで行くことになっていたが、地震による被害で上越新幹線が不通になっていたため、 . . . 本文を読む
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