普天間基地 野嵩ゲートから

普天間基地、野嵩ゲートにて、オスプレイの配備撤回と基地閉鎖と撤去を訴えて2012年09月から抗議の行動を行っている。

毎週フェンスを掃除に来る人達は、ウチナーンチュとしての自尊心は有るのだろうか?

2013年10月23日 | 日記
汚いとか、見苦しいとか
幼稚園生にでも見透かされるような事を言って、フェンスの抗議を剥ぎ捨てる、破り捨てる、大人達。
これは、幼稚園生でも判ることだ、私達もオスプレイは嫌だ、怖いってね、そのオスプレイに出て行って貰う為の印だとね。

沖縄は戦時中は本土防衛の為の捨て石にされ、米軍の艦砲弾を雨あられのように受け(鉄の暴風)。
日本兵には食料を奪われて、命からがら逃げ込んだ壕からは追い出され、仕舞には自決しろと爆弾を持たされたり、自ら包丁や、釜で親兄弟を斬り殺す事を強要された人達。

日本兵の食料がままならなく成ると、自分達の食料を確保するため、子供達を疎開という名目で、敵の潜水艦が手ぐすね引いて待っている海へ船を出させた(沈められるのは判っていた、運が良ければ助かるかもね)。

山へ行くとマラリヤが蔓延していて生死に関わると判っていて、無理矢理にマラリヤの蔓延している地域へ行かされた(戦争マラリア)。

米軍に白旗を揚げようとするとそれを止められて、それでも白旗を上げようとすると日本兵に鉄砲で撃たれる。
壕から出ることも出来ずに、アメリカの火炎放射器で焼き殺されたり、手榴弾を投げ込まれて、爆殺された。

命からがら戦禍を免れ生き延びても、日本による沖縄の切り捨て、米軍による無茶苦茶な統治。
銃剣で脅されて、追い払われて、ブルトーザーで家を押し潰されて、米軍基地が建てられた。

戦場と隣り合わせに生きている米兵、毎日米軍の寝袋に入った米兵の遺体が沖縄に届けられ、次は俺の番かと、米兵は気違いに成って、沖縄住民に襲い掛かる。

嘉手納基地にはB-52の異様な尾翼がそそり立ち、ベトナムに爆弾の雨を降らせている。
枯葉剤を撒きに嘉手納から飛行機が飛び立つ。
ベトナム戦争の頃だ。

それは今も続いている、目に見えない形でね、普天間で訓練された海兵隊がイランやイラクでそれと同じ事をしてきている。

基地を抱えるとはそういう事です、今までは銃剣とブルトーザーで追い払われて無理やり基地が造られたが。

辺野古はそうじゃない、沖縄の住民に決定権が有り、いまボールが投げられている。
沖縄がNOの返事を出しても、日本政府は見えざる暴力で抑え込み、基地を造るかも知れない、それでも、自らYESと言って造らせるのは次元が違う話である。

いま、沖縄が辺野古の新基地を認めると言うのは、これまで米軍が全世界でやって来た戦争行為、絨毯爆撃、焼夷弾爆撃、枯葉剤散布、無人機攻撃、誘導ミサイル等に拠る誤爆、民間人の無差別爆殺、そして日本への原爆投下、等など全部ひっくるめて、米軍の基地OKという事に成ります。

米軍や、それにタカリ、たい、ユスリ、タカリ屋は、いや、あれと此れは違うとかノー天気な事を言うと思うが、少なくとも米軍に酷い事をされた所や、普通の国や国民は、日本は、沖縄はそんな米軍を認めたんだなと言う認識にしか成らない、それが世界の常識である、物の見方、考え方だ。

そういった戦争の悲惨さや無意味さ、基地の存在を解っているから、ゲートでの抗議です、フェンスへの抗議です。
それを知ってか知らずか、ただ汚いとか、見苦しいとか言って、掃除という名目で剥ぎ取る、引きちぎる、大人達。

知らないでやっていれば、あまりにも無知が過ぎる。
知ってやっていれば、この人達には自尊心や、人間の心が有るのかと思う。

毎週フェンスを掃除に来る人達は、ウチナーンチュとしての自尊心は有るのだろうか?

週末の剥がされる前の、フェンス抗議


週明けの剥がされた後のフェンス。

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