魚鳥木、申すか?申さぬか?

ぎょ・ちょう・もく、申すか?申さぬか?
申す!申す! 魚⇒ニシキゴイ。鳥⇒ニホンキジ。木⇒制定無し、花は桜と菊

野菜の栄養素の減少を煽る表現には注意してください

2017年08月09日 | アロエベラ
文部科学省科学技術・学術審議会資源調査分科会で
報告している『日本食品標準成分表』(※1)
過去のデータを比較して、野菜の栄養素が
激減と煽っているサイトを多数見かけます。



しかしながら、
その行為は、『日本食品標準成分表』
データーに対して誤った使用方法なのです。

なぜならば、
日本食品標準成分表に関するQ&A - 文部科学省 
の中にある

設問:『過去の成分表の数値と最新の成分表の数値を
比較してもいいですか?』
との問いに無いし

回答:『本食品標準成分表の策定にあたっては、初版から
今回改訂に至るまでのそれぞれの時点において最適な分析
方法を用いています。

したがって、この間の技術 の進歩により、
分析方法に違いがあります。

分析に用いた試料についても、それぞれの時点において
一般に入手できるものを選定しているため、
同一のものでは なく、品種等の違いもあります。

また、栄養素の定義が異なる場合もありますので、
食品名が同一であっても各版の間における成分値を
比較することは適当では ありません。

と回答されています!

赤文字で記載されているように
『日本食品標準成分表』の年数別で比較するのは、
間違った使い方であり、不安を煽る悪意のある行為なのです


「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」
という言葉があるように多くのデータを集めれば、
その中から、自身の望むデータを選別することが
出来るかもしれません。

その数字の背景まで考察しなければ、
大きな過ちを犯す事につながります。

私達に必要なのは、
現在の野菜の栄養素が減ったのか?ではなく、
現在、十分な栄養素が摂取できているか?なのです。


残念ながら、統計データを見ると、
特に若者の間で野菜や果物の摂取不足が言われています。

一部の専門家等はサプリメントを勧めることがあるようですが、
サプリメントに無関係な多くの専門家は食生活の見直しを勧めています。

効果不明なサプリメントを買うぐらいなら、
出来合いのお惣菜を買ってきて食卓に加えたり、
野菜ジュースやアロエベラジュースを飲んだりする方が
よっぽど効果が大きいと言えるのではないでしょうか?




(※1)日本食品標準成分表について 文部科学省HPより転記
日本食品標準成分表2015年版(七訂)について
2017年現在、2015年の七訂版が最新です。
新たな情報は追補として毎年補われます。
食品数2191。15年ぶりに食品数が増加。成分項目に
「利用可能炭水化物(単糖当量)を追加し、
別冊として「炭水化物成分表編」を新設されました。


日本食品標準成分表2015年版(七訂)追補2016年
 について
文部科学省科学技術・学術審議会資源調査分科会は、
日本食品標準成分表2015年版(七訂)追補2016年を作成しました。
日本食品標準成分表は、昨年5年ぶりに改訂を行いましたが、
追補2016年は、新たに45食品を分析し、成分表を充実したものです。
なお、今後も同様に毎年、成分表の充実について公表する予定です。



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「死者を悼む」とは、

2017年08月09日 | 民俗学探究

「死者を悼む」とは、
命に対する限りない慈しみに対しての感情であり、
“人の死を悲しみ嘆く”という事である。

さまざまな死を受けとめる文化装置として、
有史以来、人類は民族や宗教によりさまざまに形態を異にするが
葬送文化を形成しており、日本人もまた、
「死者を悼む」方法として、葬送文化の葬儀や墓を形成してきたのである。

この葬送文化である葬儀や墓が形成されていくのは、
肉親の死に伴う喪失感や哀惜の念に対し、死者を弔い埋葬すると言う
物理的処理が必要とされるのであり、また、家を支える者を失ったことによる
将来への不安に対し、葬儀という儀式を故人に縁のある人々と行うことにより、
残された家族が生きる社会との新しい関係づけがもたらされるためと考えられる。

日本における葬送文化である葬儀・墓について、戦後の都市化、地方の過疎化、
核家族化によって、規範となる家(イエ)が失われていく中で、
個人化・個性化が進み、葬儀・墓の多様化の要望が進んでいる。

この葬儀・墓の多様化の事例として、従来の通夜や葬儀を省略して火葬だけ済ませ、
自然葬という形で遺灰を海や森に散骨する方法や無宗教という形式でお寺の僧侶による
法要も行なわず、故人が好んだ音楽を演奏する形での音楽葬等がある。

なかでも、「直葬(ちょくそう)」という、従来は経済的な事情や
行旅死亡人(こうりょしぼうにん)等の特殊事情から余儀なく選択されていた、
火葬だけで葬儀を行わない方法を選択する遺族が増えてきている。

これは、今まで一般的に行われてきた、仏教系式の寺院が主導する形での
葬儀でなければならないという意識が薄れてきている中、
核家族化している現状において葬儀の弔問者が減ってきている事で、
親族だけで密葬を直葬で行なうほうが良いという判断も働いているという
背景が有ると考えられる。

この様な背景が進行している中、現代に生きる我々の生活意識を反映した形で、
死者を弔い、死者と遺族の関係を大切にし、
人間の生と死を深く考え「生の共有・共感」という物を見つめ直すために、
「死者を悼む」という行為についての葬儀として、「神葬祭」について説明していきます。


神葬祭の死生観と葬祭史① へ続く


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