中野系

この銀河系の中心、中野で考えること

ぞう、いぬ、中野

2005年05月20日 | 日常
「暴れん坊将軍」にすっかりはまってしまい、仕事中にもかかわらず毎日10時半になるとテレビのスイッチを入れてしまう。自宅勤務の功罪。罪のほうですね…

で、そのあと「徳川吉宗」でしばらくネット検索をかけていたら面白い情報をみつけた。

徳川吉宗治世の享保13年、長崎にてインド象が輸入され吉宗に献上されたようなのだが、タダでさえ倹約家として名を残した吉宗。最初こそ喜んで飼育していたものの(自分で餌もあげたりしたようだ)、その半端でない餌の量にねをあげて早々に手放そうとしたらしい。
当時としてはものめずらしかったにも関わらず、飼育の手間ゆえか、結局引き取り手は10年以上も現れず、最終的には中野の源助さんという農民に引き取られたとのこと。

この源助さんはなかなかの商売上手であったようで、象を見世物にして小銭を儲けたようだが、最後はないがしろにして象は早死にしてしまったらしい。商魂たくましい源助さん、さらにこの残った牙自体を見世物にして商売をしたそうだが、最終的にはこの象の遺物は中野の宝仙寺に収められたとのこと。
宝仙寺はいまも中野坂上に存在するが、牙は空襲で焼けてしまい、炭化したその一部だけまだ保存されているみたいだ。今度時間があったら行ってみよう。吉宗が餌をあげた象の牙。ぜひとも見てみたいし(公開はされてないかもしれないけど)。

江戸時代、この中野に象がいたこと。想像してみるのも不思議な気分だ。

ちなみに中野と動物といえば犬公方、徳川綱吉が「御犬小屋」を作ったことで有名。今も中野区役所前に犬の像とレリーフがあるので、来訪の折には見学あれ。タイトルのためにとってつけたような話題で申し訳ないですが。

象の話詳細はこの辺ご参照
「中野に住んでいた象物語」
http://sakaue.vis.ne.jp/sanpo/sakaue/nakasaka.elephant.html