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クレオパトラとローマ、そして聖書 第13回 ソン・ケムン

2017年09月17日 | 日記

当時は、オクタビアヌスよりアントニウスが強力な勢力を持っていました。 アントニウスはすでに強力な軍隊を持っていましたが、オクタビアヌスは、当時19歳の青年でした。 ちょうどその頃オクタビアヌスはローマにいませんでした。 若いオクタヴィアヌスよりアントニウスが、エジプトを任せる適任者と彼女は思ったようです。 それでアントニウスをエジプトに呼び入れ、彼を誘惑しました。

最初は国のために始めたことでしたが、アントニウスとクレオパトラは本当にお互いを愛するようになりました。 アントニウスは結婚の贈り物として莫大な利権がかかったオリエント地方の統治権を与えました。ローマには遺言の相続を事前に行う慣例があって、彼女は多くの財力と権力を所有する女王になりました。

しかしこの件がローマ人に知られるようになりました。 もちろん、彼女はもともと財力と権力を所有したエジプト女王でしたが、このことがローマ人の怒りを買うことになり、カエサルの後継者であるオクタビアヌスはアントニウスとクレオパトラに対抗してBC31年にアクティウムの海戦を起こしました。 結果はローマの勝利でした。戦いに敗れたアントニウスは自殺し、クレオパトラの胸に抱かれて最後を迎えます。 クレオパトラは本当に愛した男の死を目撃して希望の光を失ってしまいます。10年間、クレオパトラとアントニウスは結婚生活を維持しましたが、アクティウムの戦争に敗れ、辛うじて守ってきたエジプトの独立も最後を迎えたと思いました。オクタビアヌスの勝利の凱旋行列に、捕虜としてあちこちと引き回されて、侮辱を受けないための最後の道として、クレオパトラは果敢に自殺を選びます。 こうしてエジプトは主権を失ってローマの属国になりました。

フランスの数学者であり哲学者であったパスカルが“クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界史は変わっただろう”というほど、クレオパトラは世界史に大きな影響を与えました。

当時の最高実力者、二人の男をとりこにしたクレオパトラ。 そのクレオパトラがなぜアクティウムの海戦で惨敗して最後を迎えたのでしょうか。 預言がそう言っているからです。 クレオパトラが勝てば預言が成就しません。


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