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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デイビット・カン説教集・17顔おおいを取りのけよ 第2回

2017年03月13日 | 日記

 戒めの精神

 神様はどのようなお方でしょうか。神様がご自身の品性を私たち人間の心の中に入れて下さったなら、私たちはどのような生き方をするのでしょうか。もし神様が人間になってこの世に生きていかれるとするなら、どのような人生を生きていかれるのでしょうか?それはどのような心でしょうか。品性はどうでしょうか?神様の品性が、人間の肉体の中に表現されたなら、どのようになるのか、それを言葉で表現したものが十戒でした。主は二枚の石の板に、直接主のみ手で十戒を彫り刻んでくださいました。十戒は神様の政府の基礎、神様の愛の現れ、神様の品性の写しだったのです。

この十戒は、実際には人間が罪を犯した後に見せてくださったものです。神様は十戒を与える時、私たち自身の力ではまったく守ることが出来ない、非常に高いレベルの戒めを与えられました。神様がそのようにされたのは理由があります。戒めを守るためには、戒めの精神を受けなければなりません。戒めは、霊なる神様のご品性の現れですから、神様の聖なる品性、神様のみ心、そのみ心を私たちが受けたなら、その戒めと一致することが出来るのです。神様の霊をいただくなら、戒めを守ることができるのです。

戒めは、私たちが守ろうと頑張って満たすことが出来るものではなく、戒めを守らせてくださる清い神様の霊、主が与えられる品性の精神、それが私たちの心の中に入って、私たちの心と神様の戒めの精神が一致しなければなりません。そうしたら戒めを守ることが出来るのです。戒めは、私たちが守ろうと努力するのではなく、聖霊が私たちの心の中に入って留まってくださったら自然に守ることが出来るようになるのです。

人々は十戒の意味をよく理解出来ず、ただ聖書に書いてあるとか、読んだことがあるとか、知っているだけに過ぎないことが多くあります。これは、神様のみ力だけで守ることができます。十戒は、生まれ変わった者に与えられた義の標準なのです。生まれ変わってない者、聖霊を受けていない者は戒めを守ることが出来ません。肉は戒めを守ることが出来ないと聖書に書かれている通りです(ローマ8:7参照)。この戒めは、神様のみ力でのみ、守ることができるのです。


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