天下太平のやせ我慢日記

近くの孫達
男の子は中二で受験戦争を控えその下は修学旅行で胸躍らせ、一番下は苦労しましたが3年生、ピアノを習い始めた

散歩コース

2011年08月31日 | Weblog

毎日ウオーキングしているが、長くしていると四季の移ろいを身に感じながら時に感動する。虫の声も時の流れにいろいろ変化、ついこの前はヒグラシの声に感動していたかと思えば、今騒がしい虫の声に変わってきて、

蝉やカミキリムシの死骸がゴロゴロしている。野辺の草花もまだ少しだがコスモスが顔を出し、秋の風情が深まっていく気配、虫の声もリーンリーーんというスズムシの声が時折聞こえ侘しいような雰囲気だ。

夜空の星は夏空はあまり綺麗と言えないが、秋から冬にかけて空気が澄んでくるごとに見事に輝いてくる、冬の空は本当に美しい、北の空には北極星がありその隣には北斗七星その対極にカシオペア

頭上に偉大な大三角、はくちょう座が姿を見せる。北斗七星を中心に北斗七星とカシオペアはその位置を夕方と朝には正反対の位置を変え。流星もよく見えて遙かなる過去より永遠の未来に向かい壮大なドラマを繰り広げる。日本の総理が瞬く間に変わっていく当然とはいえ、ちっぽけに見える、蝸牛角上の争いの争いとはこのようなことか、

 


地蔵盆

2011年08月23日 | Weblog

今日は地蔵盆で、近隣でも子供たちがお地蔵さんに化粧を施していた。私たちの子供の頃より子供の数が少ないためか、年々寂しそうな感じだ。

孫たちはこのあとみんなでご飯をよばれるらしい、いつまでも

続いてほしい昔からの伝統、でも少子高齢化の影響は避けられない

かつては各家々にも自宅に飾るお地蔵さんがあり、地区で飾る多くのお地蔵さんとは別に家々で飾られ、お参りの人々が絶えることなかった、実は私の家にも一体あるのだが、車庫の裏にヒッソリと置かれ何年も寂しい思いをさせています。

子供にとっては一年で最も楽しいお祭の一つでお供えを分け合い、お賽銭も結構ありこれを分配するのが楽しみの一つであった。

今はそれも小規模になったが、伝統は引き継いでいる。子供たちもこの日は朝からはしゃいでいた。

孫の住む大宮の方へ覗きに行った、今年からはじめて参加する小1の夢佳のことが気になったからだが、心配無用だった。嬉々としてお兄さんやお姉さんと頑張っていた。

いい思い出作りができますように、南無

 


A1C下がる

2011年08月22日 | Weblog

ヘモグロビンA1Cがまた、下がった、この指標は血糖値の過去2ヶ月くらいの平均を表すとかで重要な指標で、ここでの数値がこれまでの自分の行った対策の評価を表すので自身も重視してきたゆえにエクセルによりグラフ化を当初より表しきた。空腹時血糖値も下がっていたが、これはその日その時の状態を表すので過去の状態を評価する一目瞭然のアイテムだが、

素晴らしい女傑に出会う。凄いの一言

 それより、採血室で待っている時凄い女性にあった。見れば同年令かなと思っていた。これから血糖値が高いので検査ですわ、毎日ウオーキングと食事療法やってます。というようなことを私が喋ると、彼女は

私は泌尿器科で検査後この病院で散髪を頼まれボランティアで来たとのこと、ウオーキングで彼女は50キロぐらい歩くという、舞鶴から京丹後市のここまでよく歩くらしい、

びっくりして,えー!それでは病気などされないでしょう?少し疑いの眼で言うと、いや、これまで3度癌の摘出手術しました。と答える。それが生き生きとして語られ、大きな癌の時は60日位入院しましたという。本当に驚いた、お年も70は大分超えていると言っていた。

随分前向きに考える性格のようですねと言い、どちらかと言うとそのような時は内にこもり暗く考えることがある私には大変驚異です、と答えた、また、他の入院患者も彼女と同室になりたいとよく言われると言っていた。明るく前向きな影響をうけるようだ、

さもありなん、彼女から数分の時間話しただけですが、私自身も沢山のパワーをもらった。勇気を頂いた。血液検査のあと、もう少し話を聞こうと思ったが、会えることはなかった。各地のツーデーマーチとかスリーデーマーチなどにも今でも参加すると言っていたが、彼女の目は輝いていた。70歳をとうに超えたと言っていたが、

 


相田みつおさんより

2011年08月16日 | Weblog

 

相田みつおさんより、メッセージもらいました。迷い迷いの連続でした我人生癒されました。いつも身の丈以上の夢をもち、叶わぬはかなさに打ちひしがれていた、でも相田さんは、人間だもの、と癒してくれる。

そうだ、人間だもの、迷いがあって当然、人はそうして死ぬ時まで生きる、生かされる存在なのだ、と改めて気づく、

 


灯篭流し

2011年08月16日 | Weblog

 

 

伝統的な宮津の灯篭流しがいよいよ今日になりました、ご先祖さまを向こうの世界にお送りする日本の伝統的な行事で灯篭と共にナスの馬、キュウリの牛その他供物をお水に流すのですが、近年野菜等供物は海等に流してはいけなくなりまいした。でも灯篭は流します。

宗教的な考えは別にして日本人の心のありようを示す良い行事だと思う、茄子の馬は早くこちらに来てくださいというメッセージを迎え火と共に託したもの、キュウリの牛はゆっくりお帰り下さいというメッセージとか、


盆踊り

2011年08月14日 | Weblog

昨年度は地区でも盆踊りが行われていたが、今年は中止のようだ、私も青年時代は府中館内の各地区の盆踊りにでかけた。

暑い夏の夜に盆踊りはよく似合う、いろいろ変装したりして周囲を脅かすものがいたり、結構な賑わいであった。

今は、ヨサコイとか阿波踊り、すずめ踊り、とか全国的な大イベントになり、ヨサコイ等はテレビで見るだけで興奮する。

仙台の七夕とか、ねぶた祭りとか夏のイベントは元気になる。パワーを貰える。

 このような踊りが夜を徹して、しかも各地区が創意を工夫して続けるパワーに圧倒される、ヨサコイは全国的なイベントになり、丹後地方の各イベントなどでミニではあるが、見せてくれる。先日は飛天で可愛い幼稚園児が競って見せてくれた、ジイジもパワーもらいました。

 


お墓参り

2011年08月13日 | Weblog

今日はお墓参りの一日目、剛と家族が19時頃来宅、娘里砂と子供たち同乗し出かける。私は生涯初めて家出お留守番する事にした。

夜勤であるし、最近疲れが抜けにくいためだ。夏場はホテルの草花や芝生等の水やりが夜中中あるので疲れがとれない、

 

今日の棚行は3ケ寺来てくれた。合掌

ご先祖様まだ、暫くそちらにはいけません。

お迎えはご遠慮しときます。来月くらい精密検査を病院でします。


前述の

2011年08月12日 | Weblog

網野の海水浴場で無くなった小6の生徒、孫の同級生で運動会では同じ組みで頑張ったらしい、今日は6年は午後登校した。先生から色々お話を受けているだろう。

悲しい夏休みとなった、子供の両親と引率していった子供の友人の親御さん、辛い立場に立たされるものと思う、

時間がかかっても双方の親や子供の友人など癒される時が来ることを祈ります。そして亡くなった子供さんが天国で安らかに眠られるように黙祷します。

 


孫の同級生

2011年08月12日 | Weblog

今朝の朝日新聞で大宮町の小学6年生が網野で泳いでいて無くなったとでていた。孫の勇輝と同じ小学校で同じ6年生、夜勤明けてしばらくしてから娘に聞こうと思っていたら、娘からメール、本日午後勇輝達は登校するそうだ。、察して余りある親の嘆き、

人はいつどんなことに遭遇するか分からない、東日本の大災害で多くの人が無くなった、また、事故でなくともどのようなことに遭遇するか予測はできない、私たちはいつもそのことを肝に命じ注意するしかないのだ。

数十年前、前の職場で働いていたとき、知人の家族が近所の子供を連れて海水浴に行き、連れていった子が溺れて亡くなった。善意で連れていったのに、結局近所同士わだかまりができ、家を捨てて遠くへ引っ越して行かれた家族を思い出した。

私たちは心しなければならないのは例え善意であっても、こうした事故に遭遇することを逃れることはできない 故に、、他所様の大事な子を、誘ってどこかへ行く場合は最新の注意が必要なのだ。

網野の八丁浜

 

 


炎の架け橋

2011年08月10日 | Weblog

天の橋立で炎の架け橋があった、今年で最後だそうだ、経費が捻出できないとのこと、デジカメで自宅前より記念に撮っておいた、橋立をまるで炎が渡っていくかのように美しく最後の煌きを放っていた。

あと、宮津灯籠流しで夏の終わりを告げるが、この暑さはまだ、暫く続くのだろか(´・ω・`)

自宅から1分のところにある海岸から撮影、出船祭、炎の架け橋、灯篭流し、冬花火全て自宅の2階から一等席で見ることができる。あばら屋なれど特権

 


極暑

2011年08月09日 | Weblog

日中は本当に暑い、家でじっとしていても流れる汗、階下の部屋は全て窓など開き戸はオープンにしているが、温まった空気を冷やすまでには至らない。扇風機のお世話に成っている。

エアコンは3台あるができるだけ使わなくても済むように心がけているが、このパソコンの部屋はその時だけ使っている。いよいよお盆が目の前、供え物とかお花など12日には揃えなくてはならない、

今年は子供たちはどれだけ来るのかわからない、それぞれサービス業のため、各自理由があるし、私もお盆とか正月等関係なく仕事だし、年齢が高くなるだけ何かに精を出すことが億劫になる。ゆったりとして一日がすぎればいいというふうに考えている。

 

体調はそれほど悪くはないが、今年も胃部レントゲンで要精密検査を申し渡された、昨年度は保健婦さんが何度も自宅に来て病院での検査を進められるもこれを断った、恐ろしいわけでなく、結果が悪くてもその処置一人暮らしのため、明確な対処ができないからだ。

娘の病状など安心できないし、入院してどうこうする体制が取れない、一人暮らしだし、経済的にも、、、、色々考えると出できる状況にはない、それと、約10年くらい前同じ事を言われ、この時は入院を覚悟し、下の娘に暫くの付き添いを頼み、真新しい下着を購入、生命保険の在り処とか、遺言とか揃えてこれに控えたが、レントゲン~胃カメラ~CTを全て受けたが異常は見つからず、数カ月後再検査という手はずが、会社のリストラになり、健康保険を失効したこともあり、これをすっぽかし、今日に至る

だが、もう少し涼しくなったら検査だけでもしてもいいと思っている。