社労士みょうみょうのちょこっとセミナー

社会保険労務士の仕事を通して思ったことや考えたことを書いています。また制度や法律について、自分なりの解釈でお伝えします。

労働基準法ができる前その3

2014-03-15 10:19:13 | 労働基準法
  1916年(大正5年)ようやく労働保護法である
工場法が施行されるわけですが
その中身をもう少しくわしくみてみましょう

保護の対象となるのは
15歳以下の少年・少女たちでした
(年長の労働者もいたのですが
多くは年少者だったからでしょうか)
適用事業所は工員15人以上のところでした
小規模なところは適用外でした

・最低年齢12歳(特例で10歳以上も可)
・拘束は12時間まで
・夜10時から朝4時までの就業禁止
(ただし15年間は2組ニ交代の昼夜勤務が認められる)
・毎月2回の休日
・業務上の傷病や死亡についての補償

などが規定されていました

改正で保護年齢が16歳に、
最低年齢が14歳に引き上げられたり
適用範囲が工員15人から10人以上に拡張されたり
拘束11時間になったり
産前産後の女子の保護ができたり
よくはなってきましたが
世界的にはすごーく遅れていたようです

産業の発達や国防の面が強く
労働者の保護というよりも、むしろ
人的資源としての労働力の保護
とみたほうがいいかもしれません

なんか少子高齢化・年金問題みたい…
将来の労働人口が減るからもっと産めとか
1人の労働者が2~3人の高齢者を支えなきゃいけないから
もっと産めとか…
たしかにその通りなんだけど
でもやだよね
食べられるために飼育されている家畜と
なんか似てる…

話を工場法に戻します

昭和12年、日中戦争が始まったことで
戦時特例が設けられはじめ
戦時中はその機能が完全停止し
ほとんど名ばかり保護法に成り下がって
しまったようです

戦後労働基準法ができたことにより
工場法は廃止されました

労働基準法ができる前その2

2014-03-15 05:41:28 | 労働基準法
 前回は戦争の歴史でしたが

今回は産業の歴史です

明治政府は、紡績業(綿糸の生産)・製糸業(絹糸の生産)などの
軽工業を推進しました

1972年(明治4年)には鉄道が開通し
群馬県に富岡製糸場ができています

政府が外国から機械を入れたり技術者を呼んだりしました

最初のうちは、政府が直接いろんな工場を運営していましたが
民間に払下げられ、民間の会社が増えていきました

八幡製鉄所もでき、重工業も発展していきました

工場ができると、そこで働く人が必要になります

工場労働者の多くは
零細農家の次男・三男・娘たちでした
貧しい家計を助けるため
10歳になるかならないかの年齢で
働きにでていました
(この当時、一応小学校4年までが義務教育でした)

大規模な紡績会社では労働者の大半が女子で
昼夜ニ交代の12時間労働(実働11時間)
休日は隔週1日、日給7~25銭ぐらいでした

小規模な工場の多い製糸業や織物業では
労働条件がさらに厳しく
労働時間は1日16~17時間だったそうです

彼女たちは寄宿舎で生活していましたが
衛生状態は悪く、肺結核などの病気に
かかる人が多かったようです

『ああ野麦峠』で有名ですね

官営の砲兵工場の男子労働者は
1日10時間労働で日給は30~35銭
時間外労働を含めて1日50~70銭の賃金
だったそうです
(山川出版社・現代の日本史より)

ところで

日給7~25銭って、今の感覚だと
いくらぐらいなんでしょうか?

当時の米の価格が1升(1.5キロ)15銭くらいです

ってことは…

1日に11~16時間働いて230円~750円
1つきに28日はたらいて6500円~21000円か…

ちなみに当時の大卒給与生活者の初任給は
月給132000円~165000円
(当時の貨幣で40~50円)

すさまじい違いです
20倍以上の差があります
現在の格差とは桁(ケタ)が違います

他所の国の話のようです

これじゃいかん!なんか規則作って
年少の労働者を守らねば!と
政府も思っていたのです

少年少女の夜間の就業禁止や
毎月2回の休日などを盛り込んだ
工場法案なるものが出ていたのですが
産業界からすごい反対がおき
成立には至りませんでした

政府は修正を余儀なくされ
ようやく1911年(明治44年)
工場法が成立しました

しかし

日本の産業の中心をなす中小工業経営者に
負担をかけるものであること
少年・少女の夜間就業禁止により
紡績業が不利になる点をあげて
猛烈な反対運動がおき
結局この法律が施行されたのは
5年後の大正5年でした

この工場法こそが、労働基準法の前身である
労働保護法です 

労働基準法ができる前その1

2014-03-15 04:29:54 | 労働基準法
  日本という「国家」ができたのは明治時代です

この明治から、労働基準法ができる

昭和22年までって、いったいどんな時代だったのでしょうか?

ささーっとみていきたいと思います

1894年(明治27年)日清戦争が起きます
中国(当時は皇帝が支配する清という国でした)相手に
朝鮮半島の覇権をめぐって戦いました。
日本が勝っちゃいました。

1904年(明治37年)日露戦争が起きます
『坂の上の雲』でおなじみですね!
反戦派もいたんですが、なにせ日清戦争勝ってますから
国全体が、「こりゃいけるぜ」ムードで
背中を押されるように戦争に進みました。
増税や国債の発行じゃとうていカネが足りず
外債も発行しまくっての戦費調達でした。
世界中から負けると思われていたので
なかなか買い手がつかず
発行価格は安く、利率は高い不利な債券でしたが…
そしてこれまた勝っちゃいました。

1914年(大正3年)第一次世界大戦が起きます
イギリスから日英同盟を理由に、参戦を求められ
日本はドイツに宣戦布告しました。
といっても、戦場は遠い外国、直接利害のない戦争でした。
この戦争で日本は儲けました。
好景気に沸き、インフレとなりました。
儲けるのは今だ!と思った抜け目のない商売人が
米を買い占めたり、売り惜しみをしたりして
多くの庶民の生活が苦しくなり、
米蔵などを襲撃する米騒動が全国的に起きました。

1937年(昭和12年)日中戦争が起きました
この辺から泥沼に浸かっていきます…
今まで神風かなんか知りませんが
大国相手の戦争に勝ってきましたので
「まだいけるはずだぜ!」
という気持ちを捨てきれなかったのでしょう
1945年(昭和20年)ようやく長い戦争が終りました
原爆を落とされるという最悪の結果でした

戦争・戦争・戦争の50年間でしたね。

なんでこんなに戦争ばっかりしてたんだろう?

長い鎖国時代が終わり、世界を見ると
ヨーロッパの大国がアジアを食い物にしている
このままでは日本もやられる!
という危機感がまずあったと思います
そうならないためには、産業を興して
国を強くして、対等に渡り合う必要があると思ったのでしょう
それはまあいいとして
日清・日露戦争に勝ったことで、自分たちも
「大国」であると思ったみたいです
アジアを支配してもいいと思ったみたいです
ヨーロッパ諸国のように
国内の不満を外国の植民地化で解決しようとしたみたいです

なんか偶然と勢いと根性で
突き進んできたかんじです

戦争の話で終ってしまいました…

次回は労働関係の法律にすすみます! 

労働基準法って知ってますか?

2014-03-12 05:00:53 | 労働基準法
労働基準法って聞いたことありますか?

ある!ある!

そうですよね、働く人の多くは

この法律の名前ぐらいは聞いた事があるはずです

高校生や大学生、もしかしたら

中学生でも知っている人がいるかもしれません

とっても身近な法律です

アルバイトをしている高校生にだって

関係のある法律なんですよ

名前は知っているし、なんとなくどういう

法律なのかも知っているけど…

という人、もう少しくわしく中身をみてみましょう!

まずこの法律は

昭和22年(第二次世界大戦終了の直後ですね)にできた

けっこう古い法律です

同じく労働に関する法律「労働契約法」は

平成20年にできているので

歴史がずいぶん違います

(労働契約法については後でお話しますね!)

労働基準法の目的は

労働者の保護です

雇われて働くということは、

労働力を提供するので、その対価として

賃金をいただきますよ

ということです。

労働者は働く義務と、賃金をもらう権利があります

会社(社長とか)は賃金を支払う義務と、
労働力を得る権利があります

つまり、労働契約が結ばれるのです

法律上の拘束が生じるのです

さて、この契約ですが

契約自由の原則というものがあり

中身は当事者が自由に決めることができるのです

たとえば社長さんが

「時給は300円だ、休みは半年に1ぺんほどでいいだろう」

という条件をだしたとします

誰がこんな条件で働くかって?

すごーくお金に困ってて、にっちもさっちもいかないとき

「とりあえず、メシぐらいは食わせてやる」

と付け加えられたら、ひょっとして働くかもよ…

まぁ、これは極端なたとえだけど

言いたいことはこういうことなんです

社長と労働者だと、社長のほうが立場が強いってこと

弱い立場の労働者は、労働条件が悪くても選択肢がなかったり

あっても知らなかったりして

悪い条件で労働契約を結んでしまうってことです

だから、労働者が不利に、

不当(道理に外れた、常識外のとかいう意味です)に

扱われないように

労働条件の最低基準をこの法律で規定しているのです

これが労働者の保護です

ところで、最低基準って…

ひとによって最低基準が違う気がするけど…

法律では人たるに値する生活

ができるだけのものとなってます

これは憲法25条の

">「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する


からきています

最低基準、最低限度と続くと不安になってくる

最低でいいのか…法律が保証しているのは最低の基準なんだな

そう心得といて間違いない

最低の基準を定めた法律が守られていないとしたら…

次回はちょっと歴史をさかのぼります