臨済宗南禅寺派圓通寺

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大乗仏教の起源

2020-04-20 | 坐禅研修

◯仏像はどこで生まれたか

紀元前1世紀から4世紀にかけて中央アジアから北西インドを領有したイラン系民族のクシャン王朝がありました。2世紀にこの国にカニシカ王(在位144?~171?)が出て仏教をあつく保護しました。この国は、西のギリシャ、東の後漢(中国)の中間に当たりましたのでシルクロード貿易で多くの富を成しました。遺跡からはギリシャ金貨や、それを鋳つぶして鋳造なおした金貨がたくさん出土しています。当初、カニシカ王は広い国土を治めるにあたり仏教を利用したといわれていますが、王自身はだんだん仏教に深く帰依し、ガンダーラのラニガト遺跡に見られるような大規模な仏教寺院や仏塔、仏像を建立するようになりました。仏像はギリシャ文化の影響を受け、この地で初めて作られるようになりました。

◯カニシカ王

 この地方では多くの墓が発掘されています。仏教徒になる前のクシャン人は人が亡くなると口にコインをふくませて埋葬しました。そうすれば天国に行っていい生活ができると考えられていたのです。そのころのクシャン人はゾロアスター教を信じていました。ゾロアスター教はハルマゲドンの後、最後の審判で神の審判を受け、そこで天国に行けるかどうかが決まるとされています。したがって人は亡くなって口にコインをふくませても天国へ行けるかどうかは分からないことになります。仏教では、この世の富は来世にはもっていけないと説きます。この世で自ら正しい生活をし、お返しができない人に施しをするなどの功徳を積むことでブッダの悟りに近づけると説きます。カニシカ王はインドから来た僧侶のそのような説法に耳を傾けました。

◯仏像彫刻の経緯

 ガンダーラで仏像ができる以前、仏教徒は法輪を拝んでいました。当時、戦いのときに戦車の上にのって兵士が投げる鉄製の武器がありました。仏教では煩悩を破壊し教えを広める象徴にこれを転用しました。あるいは戦車の車輪がその由来だとする説もあります。ラニガト遺跡からそのような法輪を拝む仏画が発掘されています。それまでは、それまで仏教ではブッダの像を作ることを禁止していました。元はゾロアスター教徒だったクシャン人は王様や神、アフラマツダの像、あるいはアレクサンダー大王を石に彫っていましたので、ブッダの像も掘ってみたいということになったのでしょう。そこにはきっとギリシャから来た職人がいたのです。ガンダーラにはギリシャ風の豊かな着物をきたブッダの像が残されていて、すがすがしく、凛々しい姿です。彼らは感動を以てブッダを拝んだことでしょう。

◯仏陀の悟りに近づくために

 大乗仏教には「六波羅蜜」(布施、持戒、忍辱、精進、智慧、禅定)の教えがあります。このことばがラニガト遺跡から出土した経典にでています。それ以前の仏教遺跡にはありません。一般の在家信者は僧侶のように多くの厳しい戒律をまもる生活はできません。そこで彼らは布施、すなわち施しをすることで仏陀の悟りに近づけると理解しました。実利を重んじる多くのクシャン人は仏教徒に改宗し、多くの仏像や仏塔、寺院を建立するようになりました。ここに仏像彫刻が生まれ、およそ二百年で全インドに伝播し、中国、朝鮮、日本と伝播しました。

 の 教 え

◯ブッダの説いた「空」

大乗仏教で「空」は最もたいせつで、最も教義の発展を遂げた教えです。しかしながら仏教で最も古いとされる経典にこれがあることから、仏陀在世のころより一貫した教えといえます。ブッダはここで修行者モーガラージャの「死の王の観察」に関する質問に我執にとらわれないことを説きました。これがブッダの説いた「空」です。死の不安に対しての指導ということができましょう。

つねによく気をつけ、自我に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができよう。このように世界を観ずる人を、死の王は見ることがない。『スッタニパータ』1119節

またブッダはピンギヤの「生と老衰の不安」の質問にこのように答えました。

ピンギヤよ、ひとびとは妄執に陥って苦悩を感じ、老いに襲われているのをそなたは見ているのだから、それ故にピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存に戻らないようにせよ。『スッタニパータ』1123節

◯大乗仏教の「空」

私たちは日ごろ物事を判断するのに「もう一つの考えがある」と、なかなか思えないのです。ことに宗教や政治になるとこれが難しいのです。先にも紹介しましたように、ブッダは「妄執を捨てよ」と説いておられます。まことに私たちの悩みや困難はそこにあるといえます。

あるときブッダは在家信者に「他の教え(宗教)を学びなさい」と言われました。またあるときブッダは弟子たちに「正しい教えも捨てなさい」と言われました。このような教えは仏教のみです。しかし、私たちはなかなかそう思えません。ブッダの教えを受け止める方法としては修行という道があり、信仰という道があります。この信仰という道に力を注ぐのが大乗仏教です。ブッダは「自分を信じなさい」と言われました。その自分とはブッダのような静かな姿です。サンスクリット語の「空」という言葉には「しずか」という意味があります。己の静かな姿を見つめる、ブッダの教えを全身で受け止める、それが「空」です。

 NHKの人気番組で「チコちゃん」があります。コメンテーター方は五歳の女の子チコちゃんに毎回「ぼ~と生きてんじゃねえよ!」と叱られます。禅の道場で新入りの雲水(修行僧)は毎日、先輩からチコちゃんのように叱られます。坐禅や読経のときはもちろん、立ち居振る舞い、履物の脱ぎ方や食事の作法など何もかもが一般の生活とは違います。先輩が自分より年下という場合は叱られるのが辛いのです。「空とは何か」などと考えている暇はありません。禅の修行は己の全身で取り組むのみです

◯『維摩経』の登場

紀元前1世紀ごろ大乗仏教は起き、1世紀中ごろから『大乗経典』ができていきました。その背景には在家信者たちの現実主義がありました。かれらは森を開墾して農地を広げ、遠方より水路を広げる仕事をしていました。あるいは大きな舟で外国との通商をしていました。したがって彼らは「空」を虚無的に理解することを嫌いました。現代的にいえばポジティブな考えだったのです。

色(現実)すなわちこれ空、色滅して空なるにあらず 『維摩経』「入不二法門品第九」

「色即是空空即是色」のくだりで有名な『般若心経』はこれよりも後の経典です。その意味は同じであり、最初にブッダが説かれた説法「中道」と同じです。実行が伴っての「空」です。文字を並べると、どうしても観念的になります。頭で考えると現実感が無くなります。先ずは心と身体の静けさを保ち、手を合わせて祈る。坐禅や祈りは自らの妄執を捨てるのが目的です。出家者も在家信者も共に手を合わせて大きな船に乗ってブッダの悟りに到りましょう、という教えが大乗仏教です。

資料:岩波書店『ブッダのことばスッタニパータ』中村元訳: 『宗教学辞典』東京大学出版会

〒839-0803久留米市宮ノ陣町大杜1577-1  著作編集 吉富宜健

●坐禅会 毎週土曜日午前6:25~8:00 久留米市宮の陣町大杜1577-1圓通寺 

初心者歓迎 参加費無料 詳細は電話でお問い合わせください。℡0942-34-0350

初回参加者は6:15までに来てください。

●学校やクラブなど団体研修 坐禅申し込み随時うけたまわります。出張も致します。

費用はご希望に応じます。宿泊はありません。出張講座もいたします


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