http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/so_alienation.html
疎外(alienation ; Entfremdung)
◆総論
□「疎外とは、人間が作り出した観念、制度、生産物などが、人間自身の手を離れてそれ自体で存在するようになり、そもそもの作成者であるはずの人間の主体的なコントロールが困難となる結果現れる状態のことをいう。その場合、人間の手を離れて存在する観念、制度、生産物は、今度は逆に人間をコントロールする力として現れてくる」(今田[2012:821])
□「人間の社会的活動による産物、たとえば頭の活動の産物である観念や、手の活動の産物である生産物が、それ自身生命を与えられ、独自の力をもつかのように見え、それを作り出した人間に対して、逆に彼を支配する疎遠な力として現れるようになることをいう。この状態のもとでは、人間の活動そのものが、当の人間には属さない、外的で強制的なものとして現れ、人間的本質は人間に外在するものになる」(社会学小辞典[1997:391])
□「自己に帰属するはずのものが自己から離反し、他者的なものとして自己に対して疎遠な関係をとること。この概念の基になった「外化([羅]alienatio)は、18世紀の啓蒙主義的な社会契約説のなかでは「譲り渡す」という意味を表現し、のちにヘーゲルGeorg Willhelm Friedrich Hegelによって「自己疎外」を意味するする哲学的概念に組み替えられた[…]」(正村[2002:556])
□「人間が作ったもの(商品、貨幣、制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配する状態、またそれによって、人間が人間性を失う状態をいう。マルクスはこの用語をヘーゲル『精神現象学』(1807)から継承し、経済学用語に鋳直した。近代的・私的所有制度が普及し、資本主義市場経済が形成されるにつれ、人間と自然とが分離し、資本・土地・労働力などに転化する。それに対応し本源的共同体も分離し、人間は資本家・地主・賃金労働者などに転化する。同時に人間の主体的活動であり、社会生活の普遍的基礎をなす労働過程とその生産物は、利潤追求の手段となり、人間が労働力という商品となって資本のもとに従属し、ものを作る主人であることが失われていく。また機械制大工業の発達は、労働をますます単純労働の繰り返しに変え、機械に支配されることによって働く喜びを失わせ、疎外感を増大させる。こうしたなかで、賃金労働者は彼自身を疎外(支配)するもの(資本)を再生産する」(岩波現代経済学事典[2004:493])
◆ヘーゲル
□「[…]外化を通じた自己実現としての労働の論理を、哲学の体系構成の論理としてはじめて全面的に適用し展開させたのは、ヘーゲルである。たとえば『精神現象学』においてヘーゲルは、学の体系を「意識の経験」の過程として、すなわち主体としての精神が「自己自身を定立する運動」を通して学の境地=絶対知へと上りつめてゆく過程として叙述する。ここで外化とともに「疎外」も語られるのだが、それは、概念としてあった精神が自己自身を二重化し他在となりつつ自己実現を遂げていくというように、「精・・671 神の労働」として学を展開してゆく際の不可欠で積極的な契機としてであった」(中野[2002:671-672])
□「外化はヘーゲルの草稿『イエーナ体系構想Ⅲ』〔1805/06執筆〕で初めて体系的機能をもつ。「彼岸的な、自己を物となすこと」としての労働は、自己を外化しつつ他在において自己を見るという再帰性をもち、これを基軸に言語、生産と交換、所有権の承認、法的諸関係、人倫的共同性の存立が説かれ、個別意志が自らの自然性を離脱して普遍的なものを知り担い、また普遍意志(法)が個別意志に知られ担われる過程が外化=教養形成として展開される」(滝口[1998:980])
◆フォイエルバッハ
□「[…]ヘーゲル哲学が「精神」を主体としてしまうこと、このことに「人間自身の本質の疎外」を見て批判の一の矢を放ったのは、フォイエルバッハである。この時に「疎外」は、現実的で感性的な主体としての「人間」を、その本質の疎外態である「精神」に従属させてしまうことを指弾する道具立てとして、鋭い批判概念となったのである。この批判の形が、フォイエルバッハにおいては、キリスト教という宗教の批判にまで広げられ徹底されている。すなわち、この宗教の秘密とは、人間自身が自己の本質を対象化し、そうして外化されたこの「本質」の方を神=主体とみなす一方で、みずから自身をその客体に貶めてしまうというところにあり、この意味でそれは、「人間の自己疎外」に他ならないとされるのである。ここでの批判の焦点は、まずは人間の主体からの疎外にある」(中野[2002:672])
□「フォイエルバッハは『キリスト教の本質』〔1841〕で、主体を「人間」にすえ、自己対象化-自己外化を述語とし、宗教の秘密を「人間が自己の本質を対象化し、それから再び自己を、対象化され主体に転化した本質の客体にする」点に見る」(滝口[1998:980])
◆マルクス
□「マルクスは抽象的な精神や神や人間と、そうした概念によって本来的な自律性を奪われている感性的存在という図式から、現実の資本主義社会における労働者の状態へと眼を向けることで、それまで宗教批判として機能した「疎外」という概念を、歴史的・社会的な観点からみることを可能にした。マルクスは、近代資本主義社会の発展において、人間が資本家・地主・賃金労働者となった場合、生産手段をもたない労働者は、労働力という、ひとつの商品として市場に現れなければならないので、その労働はつねに自分以外の者のためになされねばならず、労働は「疎外された労働」となるとした。労働は具体的・肉体的な力の外化である一方で、生産される商品は、彼にとってまったく疎遠なものとして存在し、労働者は労働すればするほど、つまり自らの力を外化すればするほど、他者の利益に仕えつつ、そうした構造を再生産する」(今田[2012:821])
□「「人間の自己疎外」というこの批判の形を、私有財産制-資本制の下での労働という具体的場面から組み上げ、社会体制への現実的な批判の武器として展開したのは、マルクスであった。資本制の下に組織された労働においては、生産過程もその生産物も資本に帰属するのだから、労働者は、多く生産すればするほど、生産物に対象化された自己をますます奪いさられ、その下に従属せざるをえないし、生きていくための単なる手段としてこの労働に関わる労働者は、多く働けば働くほど、人格的な自己実現としての労働をいっそう徹底して喪失することになるだろう。すると、その時に資本の側に蓄積された「私有財産」とは、労働者の自己疎外の帰結である「疎外された労働」に他ならず、人間が生産と労働を媒介に他の人間たちの生命活動につながりあっていること(これを「類的存在」と言う)を考えれば、それはむしろ、労働者をこの類的存在から疎外し、それゆえ人間を人間から疎外するものなのだ」(中野[2002:672])
□「『経済学・哲学草稿』のなかでマルクスは、人間の疎外を(1)労働生産物からの疎外、(2)生産活動における疎外、(3)類的生活からの疎外、(4)人間からの人間の疎外という四重の意味で理解した。マルクスは、労働を人間的本質の発現として捉えたので、生産活動およびその結果である労働生産物の疎外は、類的存在としての人間そのものの疎外を意味した。マルクスにとって疎外の克服は、人間と自然の対立、人間と人間の対立、個と類の対立の克服でもあった」(正村[2002:556-557])
◆20世紀
□「20世紀中葉は、大衆社会化や管理社会化が進展した時代である。現代人の孤立化と没個性化という、一見相反的にみえる2つの論点は、一方では伝統的集団からの解放を通じて個人を原子化し・・556 つつ、他方では大衆の一員として個人を匿名化する大衆社会の両義性に対応している。現代的な疎外論は、マルクスが問題にした個の疎外と類の疎外を20世紀の大衆社会的状況に即して展開したものといえる」(正村[556-557])
▼文献
このシナリオを描いているのは誰かについたコメント参照
ヘーゲルオタクの訴訟好きさんのコメントが気になったので............
https://genkimaru1.livedoor.blog/archives/2258944.html#comments
- 2023年06月15日 00:31
- 論証する結論つまりシナリオを書いた者はブログのイデオロギーをであることを前提として論述したした点が誤り。BEG THE
QUESTIONという意味を考えてくれ(辞書にもあるが論理学の基本であるし弁証法でもある)。弁証法は今、夜であるが夜でないのように否定的な現実(朝がくるという措定されているから)が運動の原理というプラトンの思想だ。ならば13年前の措定はどのように運動したのか、民衆と政治エリートの運動で前提としないシナリオが顕出した。これは運動の主体者が認識するがシナリオを固定すれば。見えない。
シナリオを書いたものは悪魔、サタン(イザヤ書の天から落ちたマンモン崇拝者)なら、悪魔に反攻する善人がいる。
マルクスのイデオロギーでなく思想を具現化したなら、後者を論証しろ。思想とは何ですか(アリストテレスの定義)。
ダイアナ、JFKjrは生きている(弁証法の運動原理)、訂正することは多い。真理は全体だ(ヘーゲル)という意味を考えろ!
困難な問題は自分で考える、人に振るな! -
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- 2023年06月14日 19:22
- 神様に あった事ある人に限りますが 頭が重くて痛い場合は 目を閉じてその状況を思い出すと 痛みも引くし スッキリします。
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- 2023年06月14日 15:59
- 訴訟好き君へ
以下のサンカの記事を読んで君の考えを述べてください。以上
サンカとゴシェン
サンカとゴシェン その2
天竺から慈悲の光 その1
天竺から慈悲の光 その2
空(くう)の彼方へ
サンカとゴシェン その3
サンカとゴシェン その4
サンカのルーツは創世記のヘテ人
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その2
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その3
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- 2023年06月14日 15:55
- 訴訟好きさまへ
>13年前のブログを訂正せずに、どこが誤りか反省しない...........
どこが誤りか教えてくださいませんか?
こういう文章構成だと嫌われますよ。
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- 2023年06月14日 13:18
- 13年前のブログを訂正せずに、どこが誤りか反省しない精神構造なら、当時はペドフィリアの害悪はあっても真実だと伝播しだしたのは最近トランプ政権成立後であるから、マルクス、多布施、サンカやロスチャイルドなどがそれを述べたことを知っていたが、ブログは隠していたぐらい書いてよかろう。
サンカ、については有名な阿修羅掲示板のアーカイブに五月晴朗が編集した矢切史観や、大菩薩峠に、ことに後者はエタと共に述べられている、畢竟、孔子(論語)のいう「先人の跡を踏まなければ奥義の部屋に入れない」皮相日本人の多さの中の一人を自他自認するになった?深いDS排除はできない。
「人権(ことに自由権)は理論が規則であり、実践は例外だ」と定式した(ユダヤ人問題について)マルクスは、偽ユダヤ人のロスチャから資金を出せてもらったのが本当であっても真のユダヤ人魂は売らなかった証拠になる(レーニン憲法に人権規定がなく例外があるから真の理解者でない、米国憲法とは異なる)そして、共産党宣言はその趣旨だよ(G7は団結しても世界中の労働者はそうしないのは何故?)。
悪魔に魂を売らない日本人は減ったかな?
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- 2023年06月14日 09:48
- 田布施の岸家は回船問屋だったので、川の民=河童の筋じゃないだろうか? 河童については蜘蛛塚のタブラツヒメを調べていくと面白いことがわかるよ。
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サンカは両刃の剣を使う民なので、蕨手刀の蝦夷とも直刀の渡来系とも違う、あえて類似品を探すと環頭太刀や銅矛とか密教の倶利伽羅剣が近いが、抜歯や鯨面の風習もないし、仏教や景教の信仰もない。
ただ弟子を殴りつけて芸術を仕込むので、一度は平地で文明化された集団が再び山人化したものだと思える。というのも生粋の山人は他者を家畜の様に殴って陵辱する事を極度に嫌うから。
サンカは独自の文字を持っていたが、幽真界神字や阿比留草文字などの神代の文字との比較論は余りないので、今度調べて機会があったらここに報告しようと思う。
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- 2023年06月13日 05:33
- フルベッキ英語塾と田布施・高麗の部落民
の下級武士達・・・
https://www.dropbox.com/s/dory19d40b4ph7t/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0%E3%81%A8%E4%B8%8B%E7%B4%9A%E6%AD%A6%E5%A3%AB.jpg?dl=0
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
亦は、
https://www.dropbox.com/s/dory19d40b4ph7t/%25E6%2598%258E%25E6%25B2%25BB%25E7%25B6%25AD%25E6%2596%25B0%25E3%2581%25A8%25E4%25B8%258B%25E7%25B4%259A%25E6%25AD%25A6%25E5%25A3%25AB.jpg?dl=0
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- 2023年06月13日 01:51
- 目からウロコ状態の自分❗トランプ♠️大統領ドミニオン不正から、
ようやく考える人間になって殺人ワクチン💉💀も家族全員が、
射たなくすむようになった。
既に10年以前からこのようにユダヤ💀外道🔥の今後の
人類滅亡計画を指摘注意してる方々おられた事も知らなかった。
今となっては自分の不徳の致すところです。
せめて今後考える方々に情報を共有できるように精進有るのみですね。
🌅⛩️🌸🇯🇵👪
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- 2023年06月12日 22:46
- 田布施の事をサンカとは?
サンカとは、おそらくだけど、弥生人渡来系が縄文社会に入ってきた時、融和する事を嫌い定住せずに山間部に移り住む人々の事だろうと思われる。
五木寛之氏の「風の王国」にサンカの人々の事が小説として描かれている。
朝鮮部落の田布施などの人の事では全くない。
サンカとは、戸籍も持たずに暮らしてきた人々だが明治維新だったかで強制労働に従事させられてきた。
大阪と奈良の間の二上山もその舞台であった。
サンカ=田布施、朝鮮部落の人の事ではない。
しっかり調べて書いて貰いたい。
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おまけ~日本人の敵は日本人
人間よりよっぽどましだね