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ベツレヘムの星

http://web.archive.org/web/20170502034645/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/251.html

私たちの次元で昨日起きたことは,別の次元(四次元)でそれと全く同じことが今日起きている。私たちの次元で明日起きているはずのことが,四次元で今起きている。(多賀千明)

過去記事(ハムレットの水車小屋)は以下で見る事ができます

http://web.archive.org/web/20170502093843/http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/archive?b=10


 ヤコブの梯子参照

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  パリを見渡すガーゴイル

P.Dウスペンスキーは著書「奇跡を求めて」(1931年)において、「魂の複雑さ」を表すものとしてノートルダム寺院のガーゴィルにふれている。「ガーゴィル」をはじめとするノートルダムの彫像には極めて不思議な特性がある。これら彫像のそばで描かれたり撮影されたりするものは誰もいない。これらの彫像のそばに近づくものは,死んでしまったように,表情もうつろで石像のように見える。写真はノートルダムのガーゴィルのなかでおそらくもっとも有名な,パリを見渡すガーゴィルである。(102ページ)

ヨーロッパにおけるもっとも印象的な中世のガーゴィルは,明らかにパリのノートルダム寺院の塔にあるガーゴィルであって,その大半は13世紀末の様式による。ガーゴィルの一つは錬金術師の像であり,これらガーゴィルが人間の内なる性質を表しているのだという。こうしたオカルティストたちは,キリスト教教義の目的が,人間におけるデーモンの要素をあがなう(変成)ことだとしている。この仮説の観点では,デーモンの形態は人間の諸要素を表し,人間はこうした要素を贖(あがな)われ,天使の堕天を逆転するようなやりかたでもって,天にひきあげられるのである。
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意味不明なスイスのある教会のガーゴイル。

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フィレンツェの画家ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年 – 1337年)の「東方三博士の礼拝」。ベツレヘムの星は幼子の上空の彗星としてあらわされている。ジョットは1301年に出現した彗星(ハレー彗星)を見てこれを描いた。ところでクリスマスツリーあるでしょ。その一番上にある星が「ベツレヘムの星」です。その家の主人が最後につけることになっています。でも家人や子どもがつけてしまい御主人がケーキを買って酔っ払って帰ってくる.......いやはやなんとも幸せな光景で!

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東方三博士の訪問の日は,東方教会では12月25日(降誕祭)

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紀元前7年11月12日午後6時から9時半にかけてのエルサレムの南の夜空。
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 エルサレムのBeit Alphaのシナゴーグにある,黄道12宮を書いた6世紀のモザイク画。

古代ユダヤ教会に描かれた禁じられたデザイン参照

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 古代エジプトで発見された黄道12宮

お星様きらきら参照

またお星様きらきら参照

またまたお星様きらきら参照

これは何を意味するかですが宗教は「春分点歳差運動=Vernal Equinox Precession」であることを決定的に示しているのです。。これが原点。しかし聖書がもしなかった世界は毎日殴りあいや取っ組み合いなどとくにアングロ・サクソンはそうだったでしょうね。そういう意味では聖書の存在は大切だと感じます。日曜日には善人も悪人も教会へ行く。ある者は懺悔室の窓を開け罪の懺悔を。ベクトルが並行になる瞬間です。

 『都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる(管理人注:魚座の次は水瓶座の意味)男に出会う。その人について行きなさい』
 マルコの福音書 第14章13節 

ミトラ教の存在は,キリスト教徒が最も触れられたくない異教の一つです。なぜなら,ミトラ教こそ,キリスト教のルーツであり(管理人注:ゾロアスター教もその一部ですがグノーシスなどは別),ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼,例えば洗礼や聖餐など,そのほとんどを生み出しているためである。

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彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 (マタイによる福音書第2章9節

https://www.sankei.com/article/20170522-XQHPEK325RPYVKLNXQHIUDAROE/

【巨編に挑む】背教者ユリアヌス 今こそ尊ぶ「寛容の精神」(1/4ページ)

【巨編に挑む】背教者ユリアヌス 今こそ尊ぶ「寛容の精神」(1/4ページ)

 身も蓋もない本音が叫ばれ、寛容であろうとする気持ちが世界から失われつつある。人類が共存しようとするなら、寛容の精神以外によりどころはないはずだ。だが、流動す…

産経ニュース

 

ミトラ教と神智学より一部抜粋

おまけ: キリスト教とミトラ教の共通点

キリスト教とミトラ教の共通点を簡単に挙げておきたい。

【誕生の予言と目撃】

ミトラ誕生は、3人の占星術の学者たちが予言し、羊飼いがその誕生を目撃する。そして彼らは捧げ物をもって誕生を祝いに行った。これは福音書のイエス誕生と通じている。

【誕生日】

ミトラの誕生日は、冬至の日、12月25日。これはイエス・キリストの誕生日に置き換えられた。

【奇蹟】

ミトラは死者をよみがえらせ、病気を治し、目の見えない者の目を見えるようにし、歩けない者を歩けるようにする。イエスの数々の奇蹟と共通している。

【12弟子】

イエスには12人の使徒がいた。ミトラは12星座に囲まれる。ミトラ教において、12星座は12人の神に象徴される。

【復活祭】

ミトラの勝利を春分の日に祝うことがもとになっている。(キリスト教の復活祭)

【最後の晩餐】──もとはミトラのオリンポスでの祝宴

これはミトラが天上に帰還する前日に12人の光の友たちと最後の晩餐をすることがモデルになっている。

【聖体拝領】(パンとブドウ酒)

もとは、ミトラとアポロンが催す宴席に信者一同が参加し、聖なるパンとワインを分けてもらうことで自分たちがアポロン同様に「ミトラの友」であることを確認する儀式であった。新しい仲間を迎えるときも、同様の儀式をした。
ミトラ教の密儀では、牛を殺して、その肉と血をメンバーとともに食べる。これは、そのままキリスト教における聖餐の儀礼である。ただ、食べるのがイエスの肉=パンとイエスの血=ワインであるかの違いである。

【洗礼の儀式】

ミトラ教では、メンバーが水に体を浸す洗礼という儀式がある。説明するまでもなく、これはキリスト教の儀式そのままである。

【昇天と再臨の予言】

もとはミトラの天への帰還と再臨の予言である。ミトラは天上に帰る際、自分が再び復活して、光の友と一緒に歩むとの言葉を残している。

【復活の日と最後の審判】

もとはミトラ教におけるコスモスの終末に先立つ、死者の復活とその最後の審判のことである。

【最終戦争とハルマゲドン】

もとはミトラの最終戦争である。ミトラの友は最後の戦いで光の天使軍に加わり、闇の軍団と戦う。『ヨハネの黙示録』によれば、終末の日、イエスは白馬に乗った姿で現れる。同じくミトラも白馬に乗ってやってくる。

■その他の共通点

●イエスはメシアである。ミトラも救世主である。

●イエスは厩(うまや)で生まれた。当時の厩は洞窟であり、岩屋でもあった。ミトラはまさしく岩の中から生まれた。

●ミトラ教の聖なる日は、日曜日である。『旧約聖書』によれば安息日は土曜日であったが、キリスト教はミトラ教の影響で、安息日を日曜日にした。

●ミトラ教の最高司祭は「パテル・パトルム」(父の中の父)と呼ばれていたが、これがそのままカトリックの教皇の名称「パパ(父)」に通じる。

●ミトラ教の密儀は、洞窟や地下で行なわれた。原始キリスト教徒は、みな地下の共同墓地カタコンベで儀礼を行なった。

●イエスは創造主なる御父がいる。『アヴェスタ』においてミトラは創造主アフラ・マズダの子供とされている。

●イエスは自らを世の光と呼び、ときに義の太陽と称される。ミトラは光明神であり、太陽神でもある。

キリスト教の奇跡

このように、ミトラ教の儀礼をみれば、キリスト教にオリジナルな儀礼など、何もないことがはっきりとわかるだろう。結局、「イエス・キリスト」は何者だったのか? これについては、別ファイル「秘教的キリスト教」において詳しく考察していきたいと思う。

 なぜ今さらということなのですが,昨日夢の中に出てきたのがマタイ福音書第2章にある「イエスがヘロデの時代,ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき,東方の博士たちがエルサレムにやってきてこう言いました。.........ベツレヘムとその近辺の2歳以下の男の子をひとり残らず殺させてしまいます」ということなんですが,本当に男の子たちを殺したんでしょうか。それは全く違います。聖職者の多くが何の解説もしないので解説をしなくてはならないと思いここに記事にしたわけです。もっともそれに関する東方の三博士に関しては以下の記事を参照ください。これも前の記事同様いいたくないのですが「黒魔術」の一環なのでしょうね,きっと。

聖書ものがたり・マタイ福音書の東方の三博士参照

東方の三博士は「シオン長老の議定書」の最終章で三賢人と表現されている。
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    イシスとホロス     マリアとイエス

ホロスは12歳で天才児として教育者となり30歳でイエス同様洗礼を受けアナップとして聖職活動を始めた。ホロスには12人の使徒たちと旅を共にし病を治したり水の上を歩くなど奇跡を起こした。

ホロスは多くの名前で知られていた。真実,光,神の子,よき羊飼い,神の羊など様々だ。タイフォンに裏切られた後,十字架にはりつけられ埋葬されたが,三日後に生き返った。このホロスの話が原作かどうかは別として,その他多くの異文化の神話にも同じような内容が共通している。紀元前1200年,古代ギリシャのアティス(ATTIS)は12月25日聖母ナナから誕生。十字架に架けられ死亡したが三日後に甦る。紀元前900年インドのクリーシナ(KRISHINA)は12月25日聖母デヴァキから誕生,その晩に東方の輝く星が出現。彼は弟子達と奇跡を起こし死亡した後復活した。

紀元前500年ギリシャのダイナイシース(DIONYSUS)は12月25日聖母から誕生し,旅の宣教師となり水をワインに替えるなどの数々の奇跡を起こした。彼は王の王,神の唯一の息子,アルファとオメガなどその他多くの呼び名で知られた。そして死亡後復活した。

紀元前1200年ペルシャのミトラ(MITHRA)は12月25日聖母から生まれました。12人の弟子を持ち軌跡を起こし死亡して埋葬され,三日後に復活した。彼もまた真実,光やその他の呼び名を持っていた。興味深いことにミトラの神聖な崇拝は日曜であった。実は多くの時代の異なる世界の様々な神や救世主も同じような話になっている。

ここで疑問がある。なぜこの内容なのか?なぜ12月25日にバージンから生まれたのか?なぜ死亡した三日後に必ず復活するのか?なぜ12人の使徒なのか?

では答えを探すため最も最近の「太陽の救世主」を分析してみよう。イエスキリストは12月25日ベツレヘムで聖母マリアから誕生した。彼の誕生は東方の輝く星(BRIGHT MORNING STAR)によって知られ三人の博士が新しい救世主を崇拝するために訪れた。彼は12歳で天才,時として教育者となり,30歳で宣教師,ヨハネの洗礼を受けて聖職者となった。

キリストは12人の弟子と旅を共にし,病を治したり水の上を歩いたり人を生き返らせたりと様々な奇跡を起こした。彼は王の王,神の子,世の光,アルファとオメガ,神の羊などその他多くの呼び名で知られた。弟子のユダに裏切られ30枚の銀貨で売られ,十字架に架けられ命を絶ち棺に納められた後三日後に生き返り天国へ渡った。

まずこの証明は完全に占星術学的である。東方の星とは最も輝くシリウス(SIRIUS)を指している。シリウスは12月24日にオリオン座の三つの星と直線に並ぶ。この輝く三つの星は今でいう「三人の王」と呼ばれている。三人の王と最も輝くシリウスは12月25日の太陽の昇る位置を指している。

だから三人の王が東方の輝く星に導かれ太陽の誕生を訪れる太陽の誕生(日の出)のことだ。シリウス,神の子,そして三人の王(博士)

聖母マリアとは乙女座乙女のバージンのことである。ラテン語で乙女座はバージン(聖母)=VIRGO THE VIRGIN である。古代エジプト文字では乙女座はMと表記される。だからマリアを含むその他の聖母マイラ(MYRRA・アドナスの母)やマヤ(仏陀の母)は全てMの頭文字ではじまる。モーゼもそうだ。

また乙女座は「パンの家」を意味しており穀物の束を抱えている聖母を表している。「パンの家」は小麦のシンボルで8~9月の収穫期を表している。実はベツレヘムとは「パンの家」という意味がある。よってベツレヘムとは天空の乙女座の場所を指しており地球上の場所ではない。

さらにもう一つとても興味深い現象が12月25日冬至に起こる。夏至から冬至にかけて日中の時間は徐々に短くなり気温が下がり続ける。北半球から観測すると太陽は南下し弱まり乏しくなる。日が短くなり作物が絶える冬至の接近とは古代人にとっては死を意味していた(12月1日)。それは太陽の死であった(12月15日)。12月22日までには太陽の消滅は明らかになり,夏至から6ヶ月かけて南下し続けた太陽は空の最低点に到達する(12月22日)。
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ミトラはキリストより古い神で,神話で牛を殺した。キリストとは時代を”魚座の時代(二匹の魚)”へ導いた人物だ
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春分点歳差で「魚座」の次は「水瓶座」だ。だからイエスはこう言っているだけだ。魚座のつぎは水瓶座の時代がくると。我々は"時代の終わり””世界の終わり”を聞いたことがあるだろう。聖書のヨハネの黙示録の記述にもあるが,この記述はマタイ28・20からくる。米国では魚のシンボルを車のナンバーに見ることがある。この意味は「異教徒の太陽の王国」のシンボルであり「魚座の時代」を意味している。

 フリーメーソンの天文学的考察参照

 凝縮された曼荼羅参照

 Ω祖型からバチカンまで参照

勝利を得たキリスト教のパンテオンにおいて,マリアの,神の偉大なる母への変貌という形で,キュベレやイシス(ISIS)の姿が再現しているし,また戦うキリストのうちにミトラなどの面影が認められる..............なぜキリスト教は,ユダヤ教の,神は愛であるという洞察を承認し,宣言した後に,それと相容れない,ユダヤ教のねたむ神の概念をふたたび取り入れるようになったのか。それ以来絶えずキリスト教に大きな精神的損害を与えてきたこの逆行は,キリスト教がカイサル崇拝との生死にかかわる争いにおいて勝利を得るために支払った代価であった教会の勝利によって平和が回復されたのちも,互いに相容れないヤーウエとキリストとの結びつきは解消するどころか,かえって一層強化された。勝利の瞬間に,キリスト教殉教者の非妥協的態度が,異教や異端を迫害するキリスト教会の不寛容に移行したのである。(注:特に13世紀のスペインで顕著であった)

「その日,ダビデの家とエルサレムの住民のために,罪と穢(けが)れを洗い清める一つの泉が開かれる...........剣よ,起きよ,わたしの羊飼いに立ち向かえ わたしの同
僚であった男たちに立ち向かえと万軍の主は言われる。
羊飼いを撃て,羊の群れは散らされるがよい......。この地のどこでもこうなる,と主は言われる。三分の二は死に絶え,三分の一が残る。この三分の一を私は火に入れ 銀を精錬するように精錬し金を試すように試す。彼がわが名を呼べば,わたしは彼に答え「彼こそわたしの民」と言い 彼は,「主こそわたしの神」と答えるであろう,と<ゼカリア書第13章>。つまりヤハウエというイスラエルの神の名の正義のもとに神は殺せと命じ絶対的封建主義的王国を造る意味なのである。

第二イザヤはトインビーによると「千年期・the Milleniumの間支配する王は,まだ神自身ではなく,単に別の代理者,すなわちメシアにすぎない。しかし,この世界が”別の世界”によって取って代わられるまでの間,”この世界”に出現する奇跡的な”至福千年期”=エデンの園(神の国ではなくて地上の楽園)の思想は,異なっているばかりでなく,結局において互いに相容れない二つの思想を妥協させようとする支持しがたい試みである。第一の思想,すなわち,第二イザヤ書の思想は,奇跡的に改善された未来主義的な現世王国の待望である。第二の思想は,”神の国=CIVITAS DEIは時間のうちに存在するものではなく,別な精神的次元に置かれているものであって,このように次元を異にしているからこそ,かえってわれわれの現世生活の中に浸透し,それを変貌させることが出来る,という思想である.......千年期の終末観思想が不可欠な思想的はしごの役目を果たしたかも知れないが,一度上に登ってしまえば,もうそのはしごはなくなっても差し支えない」(注;千年期が俗に未来の”黄金時代”の意味で用いられるのは,ここからきているのである)

 キリストが王として統治する王国は,アカイメネス朝の王をユダヤ人の王に変え,おまけに未来に投影した,世界征服者としてのメシアによって打ち立てられるいかなる王国とも,同じ標準で計ることができない。ピラトに,「あなたの言うとおり,わたしは王である」と答えたのち,「私は真理についてあかしをするために生まれ,また,そのためにこの世にきたのである」<ヨハネ福音書,18・37>。この思いがけないことばは,あるいは無視することも出来よう。

 このCIVITAS DEI(神の国)がいやしくも時間の次元に入ってくる限りにおいては,それは未来の夢としてではなくて,現在に浸透する精神的実在としてである。もしわれわれが,実際にどうして,神のみこころが天に行われているとおり,地にも行われるようになるか,ということを問うとすれば,その答えは,神学特有の表現を用いて言えば,神の遍在という概念の中には,超現世的平面における超越的存在だけでなしに,現世における,また,現世に生きるあらゆる人間の魂の中における内在が含まれる,ということになる。

 キリスト教の神観では,神の超越的な面(あるいは”ペルソナ”(三位一体の神のおのおのの位格)は”父なる神”のうちに現れ,内面的な面は,”聖霊としての神”のうちに現れる。しかし,キリスト教の信仰の独特の,かつもっとも重要な特徴は,神が二元的存在でなくて三位一体であること,そして”子なる神” としての面において他の二つの面が統一され,この神秘によって,人間の頭では理解できないが,人間の胸ではっきりと感じることのできる一つのペルソナを形成していることである。”まことの神”であると同時に,”まことの人間”であるイエス・キリストのペルソナのうちに,神の社会と現世社会は,この世ではプロレタリアートの間に生まれ,罪人として死ぬが(注:バラバかイエスかという意味で),別の世界では”神の国”の王,神そのものであるところの王となる, 共通の成員をもつ。一方は神的で他方は人間的な二つの性質がどうして単一の人格のうちに同居しうるのだろうか。この問いに対するいくつかの答えが,信条の形で,キリスト教父の手により,ヘレニック社会の哲学者の専門語を用いて作り上げられているのだ。


部落差別で日本人がどれだけ残酷なことをしたのかについて管理人はよく知っています。管理人が幼い頃藤沢市石上の朝鮮部落のリヤカーを引いた老人にある子どもが朝鮮人と叫びながら石を投げたのを見た管理人はその子どもを殴り倒した。
その夜その子どもの父親と思われる人物が何人か引きつれて我が家を急襲した。対応したのは特攻隊くずれの父親である。あっという間に彼らを半殺しにした。その後いつも着流し姿で気風のいい父親は全国の極道にその名を轟かせた。それから部落の人たちはいろいろ相談にくることが増え父親は「男を見せる」ことが多くなった。貧乏なくせに父親は見栄をはって当時貴重だったウイスキーやすき焼きを自宅で何十回も振舞ったしまた招待されて韓国料理をご馳走になった。生まれて初めてサムゲタンをそこで食べた。うじがついた生豚肉のうじを払いながら食べた味は本当にうまかった。差別され貧乏の極みの部落の人にとって最上級のもてなしをしてくれたということだ。そういう姿を見て管理人は大人になった。その時の何人かの(我が家で毎日腹いっぱい飯を食った)子どもがヤクザ社会の大幹部をしている。アンちゃんのためなら命をいつでも落とすと言ってくれるが.........いい奴らだ。歴代総理が田布施の朝鮮部落出身?いいじゃないですか。日本人部落民と較べれば。

ある読者からのコメントを参考までに転載します。

ベツレヘムの星 
2011/8/5 9:38
若い時にもっと聖書を勉強しておけばよかった・・・
在日朝鮮人の箇所を読んで涙が止まりません。
私は幸運にも「人種差別」を受けたことがありませんが、周囲には楽園を求めて北朝鮮に行く人が結構いました。
また、祖母の後姿を観てましたので、差別がどんなものか「感覚」として解ります。
また半島人としての感性もDNAに刷り込まれてもいるのでしょう。
在日は日本を乗っ取ることはしないでしょう.......

日本の方はすぐネットなどで「在日叩き」をしますが、日本人にも在日にも得はないと思います。
確かに、犯罪は在日が起こす確率も高いのかも知れませんが・・・
竹島問題にしましても、韓国は教育で教えてます。
日本が自国のモノだ!と主張するなら、小学校から教えればいいのではないでしょうか?
娘は「独島(竹島)って韓国のモノなんでしょ?」と学校から帰ったある日言ってました。私は「それはあんたが大人になったらどっちのモノか判断しなさい」と答えました。
ある意味、朝鮮学校生も韓国学校生も憐れです。
両国の教育のはざまで学ばなくてはなりませんから。いつもジレンマなんです。
で、私は中2の時に「共産主義」に納得が行かず、日本の学校に編入しましたが、そこでも私は日本の教科書って何か変だ!と思い担任に抗議しました。「こんな社会科の教科書では勉強できません!」と。
日本はもっと誇りを持って真実を子供たちに伝えるべきです。
自然豊かな日本列島を汚染されてしまった上に、経済力、生命力まで失われてしまうのは口惜しいです!

http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2007/post_540.php

だから情報はありがたくいただいて無智を脱却する必要はあるわけです。.......

上の記事の部落なんですが日本人の最大公約数の基本は「あいつは我々の仲間かどうか」なんです。それを脱却しない限り日本人は誤解され嫌われますよ。かつてラマダンあけの夕方管理人は町を歩いていると見ず知らずの人々に何回も声を掛けられました。「ごはんたべてかない?」と。タイには長くおりましたが同じような優しい声が一杯ありました。「キン・カオ・マイ」ご飯たべますか?と。彼らは人種でどうこうする人たちではないのです。みんなこの地球にいる同じ人間でしょ,ということです。昔の朝鮮部落はこれをやっていたのですよ。石を投げられたにも関わらず,つまり「汝の敵を愛せよ」を実践していたのです。もちろん,夜中にリヤカーで我が家の自転車を持ってゆかれたことくらいありましたけどね(笑)。わかっているから被害届けなんかは出すな,と父親は笑っていた。


旧ブログについたコメントから

投稿者:tatsujin
2011/8/6  17:03
拍手転載

ベツレヘムの星 
2011/8/6 14:36
いつも拝見しております。

最近、この先日本はどうなるのだろうと、不安と絶望的な気分に押し潰されそうです。

このブログが最後の砦(希望)のような気がしますので、勇気のある管理人様どうか書き続けてください。

 

 
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