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戦後の民法は、日本の家制度を破壊した”左翼民法”

2017年08月21日 | 政治・経済

戦後、改革して悪くなったものは憲法だけではありません。民法もそうです。今の民法は、日本の家制度を完璧に破壊した“左翼民法”なのです。これについて、「間違っているところ」を考え直してみる必要があると思います。

 

「相続税をきつくしすぎたり、核家族やシングルの所帯ばかりを増やすような政策をたくさんつくったりするのは、よろしくない」と私は思っています。

 

「もう少し家族で助け合う世界をつくれる」と思うのです。

また、高齢の人たちが孤独にならないようにするためには、お金を使う法制度のことばかりを考えるのではなく、宗教組織というものをしっかりと広めていかなくてはなりません。

 

宗教の持っている「公的な使命」、「公益性」の部分は何かと言うと、社会の人々を結び付ける「絆の力」になるところです。これが宗教の大きな使命なので、政治の足りざるところを宗教が補っていくのは、とても大事なことなのではないかと思います。

 

ところが、宗教は今、どんどん衰退しています。伝統的宗教も新宗教も、いろいろなところで衰退してきています。

 

そして、コンピュータ会社系の人が、それに取って代わったり、唯物論的に考え、「死んだら終わりだから、あとはゴミのようなものだ」というような考えに取って代わっていこうとしたりしています。

 

しかし、私は、「この考えだったら、結局、唯物論者の孤独な人ばかりがたくさん増えます。これはよくありません」と言いたいのです。

 

また、「そういう国が世界のリーダーになる資格はないと思います。世界の人々がついていくためには、きちんとした宗教的な思想を持っていないといけません。世界では宗教的思想がまだ支配しています。この日本だけがそんなことでよいのでしょうか」とも言いたいと思います。

 

そういう精神性がないので、日本はあまり尊敬を受けていないのです。

「伊勢志摩サミット」をやってもよいのですが、「そこに神がおわします」ということを言えるようでなければ、「神国日本」としては恥ずかしいことだと思います。

 

「木の建物です。あとは、鳥居です。参道には砂利があります。そこを通過しただけです」これに何の尊さがありますか?外国の人は、「これは原始人の信仰ですね」と思って帰るだけです。

 

これでは駄目です。ピシッと内容を言わなくてはいけないのです。

 

そのあたりの精神性を、今、立ち上げなくてはいけません。

アメリカ的な考え方、そうした実用主義のなかにも唯物論がそうとう入っているので、これに対抗するべきなのです。

 

そのためには、東洋的なもののなかにもともとあった信仰生活、宗教生活の大事さを掲げながら、この世をよりよく利便化していくものと調和していくことが大事です。

 

科学的な発展と調和していくものが、未来を必ず拓く考え方になると思います。

 

---owari---

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