今日はドイツ・フランクフルトに在住で、ノンフィクション作家のクライン孝子さんの著書「歯がゆい国・日本」より転載します。ヨーロッパから見た日本の姿をお伝えしたいと思います。20年前の著書なので、当てはまらない箇所はあしからず、ご容赦ください。
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日本をだらしない国にしてしまった諸悪の根源ですが、私は、冷戦後の動向、枠組み、秩序の組み替えを読み切れなかった日本の政治家、官僚、財界、そして一連の有識者にあると思っています。
メディアの責任を問う人もいますが、むしろそのメディアコントロールできず、いたずらにマスコミに迎合してしまった、そんな安易な体質を備えた日本、とくに政治家に責任があります。
いや、それよりも、この誤ったリーダーの舵取りを黙って許してきた日本の国民一人ひとりに最大の責任があります。
国民一人ひとりがもっと、政治というものをシビアに受け止めて、冷静に処していたらこんな事態には至らなかったからです。
といって、なすがまま、事なかれ主義というのも芸がなさすぎます。今この状態から脱出すること、早急に出口を見つけることが大切だからです。
それには、私は一刻も早く、日本の国民意識を変えることが必要だと思います。それは簡単に言えば、戦後、日本人が持ち続けた「小国」、「普通の国」意識から脱却し、代わりに「大国」意識を持つことだと思います。
もっとも「大国」というと、日本人はすぐ戦前の「軍国主義」や、戦後はソ連や中国の「覇権主義」を連想してしまいます。
実はここに、日本人の落とし穴があり、「大国」に対する誤解が生じていると私は思います。
そうではなくて、かつての誤った「大国」意識ときっぱり手を切り、別の「大国」に生まれ変わること。そして国民一人ひとりが新しい「大国」意識を身につけ、世界へ堂々と羽ばたくことだと思います。
「だって、日本は小国なのにどうして大国なのですか。大国でもない日本が大国意識を持ったら、それこそ外国人に鼻つまみにされ、変人扱いされるのではありませんか」と危惧する人に、私はこう問いかけたいのです。
日本の一体どこが小国なのですかと。
日本は、物資に恵まれた世界で有数の豊かな国です。
最近もドイツの新聞では、日本の外貨準備高は世界一、という統計を出していました。国連分担金や経済協力開発機構分担金支払いでは、アメリカに次いで二位です。
しかも、世界200カ国近くあるなかで、日本はG7に所属しているれっきとした大国です。有色人種国中ではたった一カ国なのです。
第二次大戦直後、国連創設と同時に行われた常任理事国五カ国の選出は、明らかにドイツと日本抜きの政治的意図に基づいたものでした。国連憲章の旧敵国条項・第五十三条の取り決めが、その何よりの証拠です。
G7は違います。
ロシアなどは、このグループに入れてもらいたくて、NATO東欧拡大の交換条件にしていましたが、日本は、そのG7の最初からの主要メンバーです。しかも、実力で勝ち取っています。
戦後、敗戦国として、戦勝国や周辺諸国からたたかれ、背水の陣を布き,歯を食いしばって、ゼロから出発し、世界の一、二に数えられる経済国にまで回復したのも、ドイツを除いて日本だけです。
確かに、戦後の日本は、ドイツに比べて比較にならないほどラッキーでした。だからといって、日本はそのラッキーに甘えていたのではありません。自助努力で立ち上がってみせました。
その結果、みごとに経済復興を果たし、アメリカやヨーロッパ主要国の恐怖心を煽るほど、強力な国になりました。EU加盟国の結束を早めた理由の一つは、EU諸国が日本の経済力を警戒しはじめたからだと言われてきました。
その日本人に、冷戦後の新秩序に順応していくだけのバイタリティーが、ないはずがありません。
これまで日本人は、「大国」であるにもかかわらず、戦後、日本を襲った敗戦意識に足を取られ、政治を片隅に追いやって、故意に「大国」であることを放棄していただけなのです。「小国」だと思い込み、臆病になっていれば、逃げ道になったからです。
昨年、急用で日本に一週間帰国したときのことです。
私は偶然、ある韓国の法律家と、二時間余り議論をしました。そのとき彼も「日本は押しも押されもしない『大国』だ」と断言していました。
彼はその理由を、
「普通の国ならですよ、九十五年の春に立て続けに起きた例の三大事件ね。神戸の阪神大震災と、行政府の集中する霞が関の地下鉄サリン事件と、司法取り締まりの最高峰・警察庁の国松長官暗殺未遂事件ですが、たとえば、韓国であの大事件が起こっていたら、国は持たなかった。たぶん国中の機能が止まっていたと思います。
それなのに日本という国は凄い。びくともしないし、日本人も平然として自らの務めにもくもくと励んでいる」というのです。
極東の小さな島で、資源も充分にない貧しい国が明治維新を敢行し、教育を施し、全国民の識字率を飛躍的に伸ばし、やがて、当時の世界の大国、中国とロシアを破りました。
第二次世界大戦では、敗戦を喫したものの、アメリカに挑戦し、戦いました。
このような世界の強国に立ち向かって戦った国が、世界のどこにあるでしょう。
もちろん少し図に乗り過ぎて、周辺諸国に迷惑をかけましたが、ウラを返せば、これこそ日本のバイタリティでもあったのです。
そもそも、日本が彼らと戦ったのは、正当な理由がありました。
徳川末期、1958年の「日米修好通商条約」にはじまる、ロシア、英国、フランス、オランダとの不平等条約、その後の極東で起こった一連の流れの中で、欧米列強の植民地になることを避けるためには、決死的行動に走らざるを得なかったからです。
もし、あの時点で日本が近代化を行わなかったとしたら、不平等条約は、その後もほぼ永久的に持続されていたに違いありません。
そしてもし、日本が中国やロシアとの戦争に負けていたとしたら、今日の日本の繁栄はあり得ず、せいぜい大国の餌食になって、奴隷以下の生活をしいられていたかもしれません。
その意味では、日本の当時の海外でのこうした行動は、不可抗力だったといってもいいでしょう。
むしろ、中国やロシア、あるいはアメリカという大国に戦いを挑んだこの日本の歴史は、勇気ある行動として称賛されてしかるべきです。なぜなら、弱い国をいじめたわけでなく、強い国に立ち向かって戦ったからです。
つまり、日本はそのころからすでに勇気ある国として「大国」としての素質と風格を充分備えていたのです。
その日本が、第二次世界大戦で敗北したばかりに、戦後50年、「大国」意識を捨て、ひたすら「小国」に徹しようとした。そこに無理が生じたのです。大きな器を小さな器に無理にはめ込もうとしても、はまるわけがないではありませんか。
いや、日本の戦後は、バランスというハカリが、政治から経済に傾きすぎていた。つまり、第二次世界大戦後の「大国」の定義が、大幅に変わってしまったのに、日本はそのことに気がつかないで、修正するのを怠っていたというだけのことです。
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以上で転載終わり。
日本は過去の戦争のカルマを長く引きずりすぎています。今、世界のトップリーダーになろうとしているのに、自国の立場が分かっていません。
もともと日本は、勇気ある国にして「大国」であったのです。
日本は、世界各国への責任をもっと感じなければなりません。アジアやアフリカだけでなく、欧米にまで責任を感じなければいけない時期に来ているのです。
世界を、これから待ち受けているものは、平和と安定の時代ではない。
世界はいま最も危険な時期を迎えつつあります。人類の滅亡をも招く危機を内包しているのです。
それゆえ、これからの世界の動向により、未来は決まってくる。特にこの暗雲たなびく世界社会を救うべき日本のリーダーシップが大きな鍵になる。
人類七十数億人の運命が、今、日本人の手に委ねられているのである。そのような時が来たのである。一つの民族に、それだけの運命が託されたのである。
---owari---