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満州事変その19-リットン調査団に関する三笠宮崇仁の告白

満州事変から満州国建国について昭和天皇裕仁本人や、その周辺の人物たちによる日記や回想録などがたくさん残されており、当時宮中では満州事変に対しどのような認識を持っていたのかがそれらにより分かる。
 
これらの日記や回想録なども今後掲載していく予定だが、まず始めに三笠宮崇仁によるものを掲載してみたい。
 
出典は、三笠宮崇仁「古代オリエント史と私」(学生社 1984年6月)である。この回想録の最初の部分は、三笠宮崇仁の戦争当時の体験であるが、そこで語られているのは「聖戦」とはほど遠いものである。
 
 

 

 
 一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。ここではごくわずかしか例をあげられませんが、それはまさに氷山の一角に過ぎないものとお考え下さい。   
 
 ある青年将校-私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったです-から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるにかぎる、と聞かされました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌をつけた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。   
 
 「聖戦」のかげに、じつはこんなことがあったのでした。(三笠宮崇仁「古代オリエント史と私」学生社 1984年6月)15-16頁
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