時事砲弾

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集団免疫説を考える-異端者・木村もりよ-

2020-06-20 16:55:17 | 日記

 このところ「ビートたけしのTVタックル」に、木村もりよが毎回登場している。しかも専門家枠を独り占めという形でである。今週初めて、「ハゲ」など秘書へのパワハラ問題で落選した元衆議院議員の豊田真由子が、対立する論客として出演した。豊田は元厚生官僚で、感染症対策にも関わった経験があり、このところ急にテレビへの露出が目立っている。冒頭、「180度心を改めまして」という豊田の発言に対し、たけしは「昔、長嶋さんが360度改めましてと言ったけど、グルッと一周してまた元に戻っちゃうじゃないかよ」とギャグを飛ばしていた。

 ところで、木村の持論は集団免疫説であり、英国のジョンソン首相やドイツのメルケル首相が一時この立場を取っていたが、内外からの激しい反発にあい、すぐに引っ込めてしまった。国としては、唯一スウェーデンだけがこの学説に基づいた政策を実行しているが、やはり国内の反発を受けている。集団免疫説についてはさんざん紹介されてきたので説明の必要もないと思うが、要するに、人口の60%ぐらい(20%という説もある)が感染またはワクチンによって免疫を獲得するまでは本当の意味での終息はありえず、緊急事態宣言やロックダウンなどの対策は所詮小手先の弥縫策に過ぎない、という考え方である。集団免疫説は学説としては有力であろうが、終息に至るまでのプロセスにおいてたくさんの犠牲者が出るので、一般国民にとっては到底受け入れがたい考え方と言えよう。したがって、マスコミでこの立場を取る者は少数派であり、テレビでは恐らく木村一人ではなかろうか。ちょっとした批判も恐れる今のテレビ業界において、このように視聴者からの反発が予想される専門家を招くというのは、かなり異常なことと言えよう。現に、コロナウィルスの感染が起こった当初、木村は他の番組にも度々出演していたが、最近ではほとんど声がかからないようである。それでは、なにゆえ「TVタックル」だけが、あえてリスキーな専門家を呼ぶという大胆な決断をしたのであろうか。それは、恐らくたけしの後押しがあったからではないかと、想像されるのである。

 ところで、木村がマスコミに頻繁に登場したことが、過去にも一度あった。それは2009年、新型インフルエンザが流行した時、当時現役の厚生労働省医系技官であった木村は、マスコミを通して厚労省の方針に背き、全面対決を挑んだのである。そして同年には、厚労省の役人がいかに愚劣で無能かということを暴いた暴露本(『厚生労働省崩壊』)を出版している。私はリアルタイムでこの本を手にしたが、現役の官僚が身内の批判をよくここまで書けたなと衝撃を受けた覚えがある。同書では、同僚たちがSNSで一般市民になりすまし、自分に対する批判を書き込んでいることや、彼らは医師資格だけは持っているが臨床経験もない無能な輩だとか痛烈に批判を加えている。それに比べ、ジョンホプキンス大学に留学した頃出会った教授がいかに優秀ですばらしかったか、ということも述懐している。木村はこの本を書いた後もしばらく厚労省に居座り続けたが、2014年に遂に退官する。内部告発した後5年間もとどまった理由が、経済的なものなのか、あるいは一人で内部改革を目指していたのかはわからない。しかし、その間、ずっと針のむしろであったろうことは想像に難くない。木村の尋常でない度胸の据わり方と精神的タフネスぶりは驚嘆に値する。

 さて、「テレビタックル」の話に戻る。もしたけしが、木村の出演に影響を及ぼしていたとしたら、それは木村のこのような一匹狼的生き様に対して共感を覚えたからではなかろうか。たけしは、今でこそ誰からも批判されることのない、神様のような存在になっているが、今のこのような自分のポジションに対して、きっと居心地の悪さを感じているに違いない。もともと彼の芸風は、放送コードギリギリのトークを連発し、世の中に「毒」を解き放つ、というものであった。オールナイトニッポンでは、自殺願望の投稿者に対して、「さっさ死んじまえ」と言ったり、「ジジイやババアがあんまり増えすぎると政治を勝手に動かされてしまうから、75歳以上からは選挙権を取り上げろ」などと言い放ったり、今なら到底許されないコンプライアンス・アウトの発言を繰り返してきた。たけしだけではない。今では「ブラタモリ」などで博学ぶりを披露しているタモリも、昔は、たけし同様「毒」を含んだ笑いを世間に撒き散らしていたのだ。その後たけしは、フライデー襲撃事件やバイク事故を経て、死を意識するようになったという。そして、たけしの本質は、コンプライアンスが重視され、表面的正義ばかりが横行する現在の風潮とは、対極にあるものだったはずなのである。

 木村は、厚労省在職中にたった一人の反乱を起こし、退官後しばらく経ってからも、再び世間の主流派と対峙することを余儀なくされている。木村のこのような異端者としての風貌は、若い頃のたけしに似ていなくもない。それゆえ彼は、自分同様、世間の中心からはぐれた者たちを応援したいという気持ちが人一倍強いのではないか。すなわち、「世界のたけし」として功成り名を遂げた彼は、その立場と権力を利用して、ささやかな社会貢献をなそうとしているのではなかろうか。


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