東京絵の具

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鳥居強右衛門 墓所

2010年10月21日 | 中部
国道沿いにある長篠城址への案内。鳥居強右衛門磔死が描かれている。

所在地:愛知県新城市有海字稲場2

鳥居強右衛門(とりい すねえもん)。この人物は長篠の戦いで、長篠城が
武田勝頼率いる武田軍に攻囲され追い詰められていた際に、城を脱出して
岡崎城にいる徳川家康に援軍を要請し、数日以内に織田・徳川連合軍が
長篠へ援軍に赴く手はずが整ったことを長篠城に伝えに帰って来たが、
武田軍に捕えられはりつけの刑に処せられた。

武田軍は長篠城を援軍が来る前に落城したかったため、鳥居強右衛門に
城兵の助命も条件として「援軍は来ない」と、城に向かって叫ぶように命じた。

ところが、強右衛門は「援軍は数日以内に来る。だから頑張れ!」と武田勝頼が
命じた内容とは全く逆のことを城に向かって叫んだのである。
そして、強右衛門は武田軍に磔(はりつけ)の刑にされこの世を去った。

この働きもあり、長篠城は援軍が来るまで持ち堪え、武田勝頼に勝利した。
この事から、鳥居強右衛門は男の中の男として後世に名を残したのである。

また、JR飯田線の鳥居駅は、彼の最期の地に因んでの命名である。


長篠城址から少し離れた場所に、鳥居強右衛門の墓所はある。
寺院名は「新昌寺」。磔死の碑は少し離れた場所にある。

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