JICAのシニア海外ボランティアとしてパラグアイ共和国に赴任中の夫の所に
娘と二人で出かけたのは、7月27日で8月14日に帰国した。
出発までにやった事は大ざっぱに、パスポートの取得、円を外貨両替店でドルに交換、
アメリカ経由なのでESTAの取得、、夫に頼まれた品物や自分達の買い物、
荷作りなど初めてのことが多く大変だった。
7月27日、7月28日
出発は、成田空港からコンチネンタル航空15:55、なのでバスを利用して空港に
12時頃着くようにした。
昼食を食べて、前日に宅配便で送ったスーツケースを受け取り、
しばらくウロウロとしてから、コンチネンタル航空のチェックインカウンターで
搭乗手続きをして、また何と無くフラフラして手荷物チェックを受けていざ機内へ。
席は35E、35F(Eが真ん中、Fが右通路側)中はいきなり冬のような寒さ、
冷房効きすぎでしょう!と言う感じ。アスンシオンに着くまでずーっと寒かった。
(日本のような丁度良いとか、適度なとか言う繊細さが無いらしい。)
機内食はあまり美味しい物ではなかった。
娘はゲームをしたり、映画を見たり夢中だったようだが、
私は目が疲れるのでフライトの進行画面を時々見るくらいで、
寒さに震えてブランケットにくるまりながら、睡眠と人間観察を繰り返しているうちに
時間が経ち、飛行時間約12時間、現地時間13:50、ヒューストン空港に着いた。
(二人ともチビなので手荷物の上げ下げが大変だった。
たまにはにっこり微笑んで手伝ってもらってサンキュー!)
さあここからが緊張 緊張 緊張の連続。
機内で配られた税関申告書に記入をして、降りてから迷子にならないように
皆の後について行くと入国手続きの場所は長蛇の列。
しばらく二人で人間ウォッチングをしいるとやっと順番が来た。
係り員に税関申告書とパスポートを見せて簡単な質問に答えて、
顔をモニターに向けた後、両手の指紋を取られて問題が無ければ入国OKのはず。
ところが簡単な質問なのに答えても分かって貰えない。
勿論答えるのは私ではなく娘だ。
「どこへ何をしに行くのか」を聞かれているのは分かるのだが、
パラグアイと言っても分かって貰えない。何度言ってもダメ。
やっと分かって貰えた時なるほどと思った。それはアクセント。
パラグアイ、パにアクセントをつけるものらしい。
その後は少し楽になって、余計な話までしてOK。
娘はチョット満足そうだった。
さて今度はどこに行けばいいの?
キョロキョロしながら皆の行く方向に下りエスカレーターでついて行くと
そこは一階で、手荷物の受け取りと税関の場所だった。
トイレがあったので入ってみた。だだっ広くて扉を閉めても隙間があり過ぎて
チョットチョットって言いたい。広いのは手荷物も一緒に入るからいいのだけれど。
手荷物はアスンシオンで受け取る手続きをしてあるので、
次はどこに行けばいいのかなと思っていると、数メートル離れた所から
「何処へ行くのですか?」ちょっと癖のある日本語が聞こえてきた。
ハッとして振り返ると空港の職員で不慣れな人に気軽に声をかけていた。
サンパウロ行きに乗り継ぎたいと言うと、
ここをまっすぐ行って税関を通って右に行って上がればいいと教えられ、
礼を言うと「いってらしゃい!」と手を振ってくれた。
感激 感激!!!とっても嬉しかった。
言われたとおりに上がった二階乗り継ぎゲートはかなりごった返していて
不審物等の検査は靴まで脱がなければいけなかった。
ここは問題無く通過。道なりに歩くとターミナルに出た。
次の出発時間はコンチネンタル航空21:00、それまでの数時間をフラフラしながら
過ごしたが、冷房の効きすぎで凍えるほどに寒かった。
時刻表で出発ゲートを確認してから、人間ウォッチングをしたり店をのぞいたり
ベンチで休んだり、それでも時間は嫌と言うほど余った。
窓から見える飛行機はコンチネンタル航空ばかり、当たり前かな。
夜8時でもまだ明るい、日本とは大違い。
なぜかおなかは全然すかなかった。緊張し過ぎたせいかな?
出発ゲートに係員が現れたので搭乗券を見せて機内に入った。
座席は35K,35L右窓側だった。(この機内もかなり寒かった。)
くたびれていたからか食後はボーっとしているうちに眠ってしまった。
ヒューストンを飛び立ったときは暗かったが、目が覚めるとブラジル上空で明るかった。
7月28日8:50、サンパウロに着いた。飛行時間12時間。
ブラジルはポルトガル語でほとんど英語は話さないと聞いていたので
どうなるのだろうと思いながら、機内から降りた。
皆について歩いていくと制服を着た女性が私達の名前を書いた紙を持って立っていた。
ビックリしてどうかしたの?と思いながら行くと、
ここで荷物の検査をして乗り継ぎなのであっちの方へ行くように、と言う意味らしかった。
お互い多少の英語で話して理解しただけだったので、兎に角あっちの方へ歩いていった。
長い通路でほとんど誰も居ない。四、五人の掃除をする人が休憩をしているだけ。
心細くて、不安で、ウロウロ、ウロウロしていると
エスカレーターから上がってくる人たちを見つけてたので降りてみた。
正解。ターミナルだった。
大勢の人でごった返していたのでここで間違いないと安心した。
次の乗り継ぎはタム航空13:55、なので時刻表を見たがまだ出てなかった。
乗継までの時間が5時間もあるので仕方が無いと思い、
ベンチに腰掛けてウトウトしたりウロウロと歩いたり人間ウォッチングをしたり、
でもなかなか時間が進まない。
3時間ほど経ったのにまだ時刻表が出ない。イライラ、心配、如何すればいいの?
やっと出発1時間ほど前にゲートが分かったが、場所が分からない。
小さい空港なので分かるはずなのに、イライラしながら歩いていると
エスカレーターを上り下りする人がいるのに気づいたので降りてみたら、
あった!!!ほっとした。
バスで移動し飛行機に乗った。出発は、少し遅れた。
16:40、アスンシオン空港に着いた。予定より40分遅れだった。
飛行時間約3時間。
やっとパラグアイに着いた。でも入国までにまた厄介な手続きがある。
荷物を探して受け取り、検査も楽に通過できると思っていたが
スーツケース1個を渡してくれない。
何を言っているのかわからない。スペイン語がわからない。
どうしようかと思っていると、通りかかった人が分かりにくい英語で、
中を見せるように言っているよと教えてくれた。
仕方なく開けて見ると、エッ何これ!!白い粉があふれていた。
私はすごく驚いたが係の人は、手まねでいいよと言ってくれた。
通過できたのはうれしかったが、
私の頭はパニック。税関も何とか通過した。
兎に角、迎えに来た夫と、自動車を手配してくれた知人と一緒に家に向かった。
家に着いたのは5時過ぎだった。
(家と言うのは夫が借りているマンションの事)
ヒューストン空港
ブラジル上空
サンパウロ空港
ここは南半球で今は冬のはずなのに日本と同じ真夏のような暑さで驚いた。
家に入ってすぐ気になっていた白い粉は何なのか?
スーツケースを開けてみた。
ナントそれは「すしのこ」。袋に穴が開いて粉がこぼれた物だった。
でもどうしてなの???
たぶんアメリカで引っかかって不審物?で穴を開けられたのかも。
酸っぱい匂いと他のものに付いたベタベタをきれいにするのが大変だった。
夕食は、夫の手料理で久しぶりに家族三人で食卓を囲んだ。