僕の細道

国道425号線(しにごうせん)

エンジンOHを今月したばかりの「おしん2号」(ヤマハセロー92年式約2,2万㌔)で名古屋から東名阪経由で、針ICから奈良県大台ケ原へ登る。「おしん1号」は数年前に盗難にあった初期型セロ-で、4月の大阪/和泉葛城山キャンプツーリングと5月の長野県大鹿村へ出掛けたセロ-は「おしん3号」(92年式約9,200㌔)である。
 これらの「おしん号」はロングツーリングに出たり、街中の買物を始め、林道やエンデューロコースを走らせたりとずいぶん虐げられているので歴代のセロ-は「おしん」と命名されているのであった。まだ、我が家には「赤ベコ号」という大型ツアラーバイクが鎮座している。

 大台ケ原の麓は晴れていても山頂部はやはり、伊勢湾上空の雲の影響からか天候不良であった。山頂駐車場にはカメラを持ったハイカ-やバードウオッチャ-の姿が多くあり、他府県ナンバーの車両が停まっていた。
 下山途中に一匹の大きな蛙が、路上に座っていた。車に轢かれるのではと思い、バイクを停めて蛙を持ち上げ、路肩に避難させる。ノンビリした蛙だったので、写真を撮ってみた。蛙もこちらをジ~っと見ている。バイクに跨り、200㍍程進んだ所で、もっと面白い写真を撮ってみようと考えて蛙の場所まで戻ってみた。
 そこへ空中からカラスが現われ、蛙を鷲づかみして飛び立とうとしていた。そのまま、一気に空高く持ち上げ、視界から消えてしまった。あのまま、あそこに居ても轢かれたか、捕らえられたか、それとも、動かしたから、見つかったのか。自然の摂理を実感した瞬間であった。

 下山後は更にR169で南下し、奈良県上北山村の温泉でゆっくり浸かる。ここまで来れば、あと少しと判断し、昼寝を決め込んだ。目覚めたあとは一気にR425で和歌山/龍神村の小又川キャンプ場へ向かっていたら、R425途中のトンネル通行止めで40km程迂回となってしまった。あ~ぁ、やってしも~た。おくとろ経由で迂回路を探し、舗装林道に紛れ込み1000mの尾根越え。標識は無いし、距離計なんて良く解らん。「ここはどこ?私は誰?」と自問自答の疾走が続く。真夏でも陽が傾くとさすがにメッシュジャケットだけではちと寒かった。それに「ここから落ちたら、たぶんアウトだよな…。」と思うと更に寒気が助長する。この林道ですれ違う車両は一台も無かった。

 キャンプ場には飢えた大阪の男3人が腹を空かして待っている。なんたって、まだ料理人がこんなとこを走っているのだから…。陽も暮れ、十津川温泉にて数軒の食料品店を廻り、今晩と明日の昼食分の食材を確保した後は侠路のR425を闇走り。

 セローの右サイドバッグにはテントと寝袋、マット。左サイドバッグには合羽と着替え。リアバッグにはコールマン製大型ガソリンランタン、調味料各種、食器類、一眼レフカメラに工具類一式。オマケにコールマン製18Lの箱型クーラーボックスを積んでいる。アルコールなどの食材を入れたら、巨大なタワーが出来あがる。
 この山中なら過積載違反も大丈夫だろう? 狭いウネウネ道を10km程走ると小雨が降ってきたが、意に介さずひた走る。集中力が欠けてきて何度か危うい目に逢いながらもペースは落とさず、怪走。前が見ずらいので、走りながら片手でゴーグルを外したり、再度嵌めたりして視野を確保する。「うっ、もう少し解りやすいキャンプ場を選べよ。」とヘルメットの中で企画者Kさんの悪口を叫びながらも龍神村の小又川キャンプ場へ到着した。
 料理人はテント設営を友人達に頼み、旅支度を解く間も無く、一気に夕食を作るのであった。到着後、40分もしないうちに野郎4人の箸は動き廻っていた。その夜のメニューは旬の夏野菜を活かしてトマトと茄子のイタリア風チーズ煮込み(チーズは旬の雪印製品を使用)、麻母茄子、焼き餃子。まだまだ、地方のお店には雪印製品が(牛乳は除く)たくさん置いてあった。それ
しか置いていないというのもあるが…。ちゃんと火を通せば、大丈夫だろうと安易な選択をした。まっ、誰腹痛を訴えなかったから大丈夫だったみたいだ。万が一、そうなったら訴訟団に加わろうかと与太話をして蛍舞い踊る森の中、大人達の怪しい宴は深けて行くのであった。(一日目走行距離393km)

  翌朝は友人Kに「朝飯は?」の一言で、起こされてしまった。事前に朝食は作らないと伝えてあったのだが、優しいK君は一人だけ食べるのは申し訳無いと思い、声を掛けてくれたのだった。と書くと良き友人に恵まれていると思えるが、真実はそんな理由では無い。目覚めて一人だけ起きていてもツマラナイので、単に私を起こしただけだった。ホントに友人には恵まれている。

 テントサイトを見渡すとテントが一つ減っていた。大阪在住のS君は所用が有るとの事で早朝に出発した様だ。木漏れ日の中、K君が入れてくれた珈琲を飲みながら、思考回路を点検する。それから、動きの悪い体でキャンプ場周辺を散歩する。

 このキャンプ場は昨年出来たらしく、掲載されていない地図も有るそうだ。テントサイトは10張り程でバンガローが8戸ある。炊事場、コインシャワー、水洗トイレが完備されていて一泊700円だそうだ。今回は企画者Kさんが値切ったらしく、一人600円で済んだそうだ。さすが、大阪商人だ。 キャンプ場の下には小又川の渓流が流れ、早朝から鮎釣りをしている人がいた。冷たい川の水で顔を洗い、寝ぼけた頭に喝を入れる。こんなせせらぎが巷で流行っているマイナスイオンを排出しているのだろう。

 撤収後は4km先ににある「龍神温泉」にて友人達と入浴する。外から丸見えだった以前の共同浴場の横に新しく建てられていた。しかし、折角身障者用(車椅子)駐車場まで備えたのに関わらず、その車椅子のマークがしてある駐車場は緩やかな坂にあった。こんなスロープでは車椅子利用者の乗り降りがタイヘンだろう。ただ備え付ければいいってもんじゃなかろうが…。使う人の立場になって考えていない証拠で有る。幅4㍍道路の反対側にある同施設の平らな駐車場に設置すれば、良い事なのだが…。
 こんな小言をフロントの従業員に進言したのは当然である。何故なら、バイク事故により下半身不随で車椅子に乗っている友人がいますから…。

 大きな湯舟に浸かりながら、浮世で汚れた心身を洗い流す。しかし、あちこちの温泉に入湯しているが、今だ浄化に至らず。もう少し各地の温泉を探さねば成らぬ様だ。K君はここから遠回りして大阪/門間市へ帰るそうなのでここでお別れだ。後日、その帰着報告によると23時頃に帰着したそうだ。人の事は言えぬが、相変わらず、どこを徘徊しているやら…。

 入浴後は近くのお寺の境内にて遠く名古屋や岐阜から遠路日帰りするH君達と待ち合わせをしていた。その友人達が来るまでに残った企画者Kさんと二人分の昼食を作る。 昼のメニューは夏野菜入り具沢山ラーメンとトマト入りポテトサラダ梅シソ風味。青空の下で食べるのは美味い。夕食と昼食の御代は合わせて一人千円である。(アルコールとご飯は各自持参)野宴は安上がりであり、貧民ライダーには有り難
い。

 友人達と雑談を楽しんだ後は龍神温泉を15:30頃に出発で高野竜神スカイラインを疾走し、高野山に16:00過ぎに着。トイレ休憩後、一気に下山して17:00頃に橋本市のR371交差点を曲がり、17:35頃、河内長野のR170交差点を曲がる。17:55に藤井寺IC近く(高架手前の昭和シェル)にて給油と隣のローソン駐車場で一服。18:10藤井寺ICを乗り入れ後、御在所SAに19:25着。15分休憩後、名古屋西IC20:00過ぎに通過。自宅には20:30ジャストに帰着。予定では20時までを狙ったのだが…。

 相変わらず、飛ばしていたが、過積載セローで最高速度が110km/hに満たない性能ではこんなもんでしょう。龍神温泉からおよそ5時間で帰着ならOKか? これで、夏バテとR425の欲求不満は解消出来たかな?(二日目走行距離数 287km)

 使用車種 ヤマハセロー 92年式
 期日 2000年7月17~18日
 走行距離:  680km
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