おはようがんす
もう神無月に成ってしまった、神無月は収穫の時期だ、いろいろな作物の収穫ができる
従って今の時期を越えてしまうともう収穫ができない作物が沢山ある
一番は玉蜀黍だ、成長が早くて塾成も早いそして鴉が大好きな作物だ、うっかりしていると忽ち鴉に食べられてしまう
玉蜀黍は「当盛ろ越」で米が不作で有っても来年早くから食べられる飢饉でも一時期間に合わす事が出来る救荒食だ
此れを種、として遣う事も出来る、多めに保存八房残す、もちろん末広がりの八の縁起でもある
当に年を越えて食べられるという意味あいだ
そして毎日毎日屋根を素走る栗の実だ、秋の味覚の王属で一年中何時食べても美味しい
栗のみは「苦離の身」だ、苦が身から離れてゆくという語呂だ、庶民のささやかな願望を表している
そして次は未だ青い稲藁だ、イネは黐と粳がある、黐の方が若干晩稲だ、なおかつ稲そのものが柔らかい
縄を綯ったり、加工したりするのに手に当たらいが少ない、少し晩稲の稲を粳と一緒に刈るから、少し青い
田面が青みが勝っている、のろまそうな巨人が写真を撮っているところだ、もう夕焼けに成って居る
今年も此れ位あれば間に合うで有ろうと思われる量だ
此の稲藁をに取り込んでゆっくりと乾かして製品にする、これを使う時にはもう正月が目の前だ
こうして収穫できる時期に収穫して正月を待つ、ゆっくりと流れてゆく月日が田舎にはある、、、と思っているが
案外と早く流れる、当に光陰矢の如し、なのだ、だがそうして心遣いこそが、豊かな心を残してくれるのだ
四百年も五百年もの長い時を、色褪せずに残して繋げてくれる
そんじゃあ又話すべえ
遊童子
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