書評「精神世界の本ベスト100」

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● [42] 体の知性を取り戻す/尹 雄大(講談社現代新書)

2014年10月19日 | 書評
 最近はインターネットで情報を集めることが多くなったので、実際に現場に足を運んで取材することは少なくなりました。本来なら情報元に出かけていって直接自分の目で見て、全身で感じることが取材の原点なのですが、ついつい億劫になってパソコンで検索した情報で何とか間に合わせてしまいます。
 そんな私を咎めるかのように、タイミングよく出会った?のが本書です。著者の尹 雄大(ユン・ウンデ)氏は、主にインタビュー原稿やルポルタージュを手がけるライターです。その一方で、彼は柔道、空手、キックボクシング、韓氏意拳などの武術を長年にわたって実践してきた武道家でもあります。その彼が武術を通して学んだ「体で考えること」の重要性について述べています。
「行ったわけではない国、会ったこともない人、体験したことのない出来事について、あれやこれやと語り過ぎている。知識や情報を組み合わせれば、何か言った気になれるかもしれない。しかし、それは無責任なおしゃべりでしかない。口さがない世相に文句を言うことにエネルギーを費やしても仕方がない。だから考えた。そしてわかってきたのは、私たちが、思考を頭だけの行為だと勘違いしていることだ」
 彼は、言葉以前にすでに体は存在しているのだから、どうせ考えるなら、体から出発するべきだと次のように述べています。
「世の中では、頭でわかることが物事の理解であるという偏った考えが主流を占めている。そうなると、感覚のもたらす声を打ち消すことが正しいように思えてくる。それこそが現実的な判断だと感じてしまう。頭からすれば、感覚はとりとめのない、たんなる雑音にしか聞こえないのだ」
 私たちは、もっと体の声に耳を傾け、頭ではなく体の知性を取り戻すことが重要だというわけです。

「ふつう、知識を貯えれば貯えるほど、見える範囲は広がると思われている。そうして視野が広がれば、自分の意見も正当性を増すと錯覚している。それを続けていくと、やがて自分がこの世界をよく見知っているものの代表であるかのような気になってしまう」
 耳の痛い言葉です。それにしても、なぜ知識の量が「現実をよく知っている」と錯覚してしまうのでしょうか。
「体よりも思考が重視されている世の中では、現実と出会うのはなかなか難しい。私たちが『これが現実だ』と言うとき、他人とのあいだで共通意識が取り結べ、必ず頭が理解できる程度のものになっているからだ。いわば『頭の理解に基づく社会的な現実』と言っていい。それは『体にとっての現実』とは違う」
 実体である「体にとっての現実」が無視されると、頭にとってのバーチャルな現実だけが唯一の「現実」だと錯覚してしまうことになります。

 ところで、人前で緊張している人に「ありのままの自分でいいから」とアドバイスをすることがあります。
 しかし、著者によると「ありのまま」といっても、「頭にとってのありのまま」と、「体にとってのありのまま」の二つがあります。両者はしばしば食い違うことがあるので非常に厄介です。自分の感覚は自分にとって嘘ではないのですが、それゆえ自分を騙すことがあるからです。
「自分にとって何気ない普通の『ありのまま』が、あるがままの自然とは限らない。むしろ、これまでの人生で『これが正しい』『これがいいことだ』と思い、自分の体をいじくってきたのだ。体がもっている構造から外れた動きをして、偏りがついているのに、それを自然に感じてしまっている可能性のほうが高いだろう。自分の偏りは、それを見る目が育たない限り問題として映らない。ただ、ときおり体は、不快感や怪我という形でその不自然さを教えようとしてくれる。しかし、頭はなかなかそれを聞き届けない。それほど人間は、自分が自分にとって普通でありながら不自然という二重写しを当たり前に生きているのだ。それは観念と実体のズレと言い換えることもできる」
 頭で身につけてしまった「思い込み」を外しさえすればいいと思うのですが、そう簡単にはいかないようです。

【おすすめ度 ★★★】(5つ星評価)