痛みとはなるべくなら避けたいものです。
肉体的にでも心的にでも。
しかし、こういうこともあるのではないでしょうか。
花の種を植えるときは土に植えます。
土とは地球です。
地球の気持ちになってみると土に穴を掘るとは痛いことも知れません。
しかし、地球は痛みを我慢して花の種を植えさせてくれます。
そして、花(幸福)が咲きます。
これと同じように、心への痛み(種)とは花(幸福)が咲く約束なのかもしれません。
それに心への痛みとは、そのくらいですんでいるのかもしれません。
目に見えないところでは、誰かがそのくらいの痛みになるようにしてくれたのかもしれません。
それは、痛みを与えた人の欠点、長所、生き方、癖、その人にまつわる環境、人間関係、親子関係、兄弟関係、食事、考え方、喜怒哀楽、など。
とにかくそのくらいの痛みですんだということは想像もできないくらいの関係があり助かったということです。
最小の心の痛みで花が咲きます。
しかも、その花というのは人生という流れの中で最善に咲きます。
なので、この花は、あの時の心の痛みがこれだ、と特定はできない。
私たちにとって一番最善の時に咲くのです。
だから、今咲いている花(幸福)は、偶然ではありません。
あの時の心の痛みです。
ああ、あの時、心に痛みを感じられてよかった。
そうやって感謝していけば、渦中は痛いけど、いつの日か幸福を楽しみつつ、寿命を迎える時には、幸福な思い出がたくさんあることでしょう。
もしかしてあの心の痛みを与えた人は天使だったり?