人は、裸で生まれて、裸で死んで行きます。
歴史の教科書では、人類の初期はほら穴での生活でした。
寿命で死ぬのも30代頃だと推測されています。
つまり、悲しめるのも苦しめるのも損したり、失っているように感じますが、逆に悲しみも、苦しみも得ているといえないでしょうか?
悲しみも苦しみも逆の感情を知っているからこその悲しみであり苦しみです。
つまり私たちは自分なりの幸福を知っているのです。
あの人のような幸福でなくても自分なりの幸せがあります。
それは悲しみを体験する人生かもしれませんし、苦しみを体験する人生かもしれません。
楽しい人生もあるかもしませんが、楽しみの裏では幸運を使って減らしているかもしません。
今が楽しい人は、感謝の継続です。
これが幸運を減らさない生き方です。
今が不幸だ、苦しい人は、現在に幸運を育てていることでしょう。
今世での幸運ではないかもしれませんが、私は苦しい時の過ごし方で幸運を育てられると信じています。
苦しい時こそ感謝の継続です。
強い感謝でなくても良いのです。
へなちょこな弱々しい感謝でも十分です。
感謝をほんのりを感じられて、淡々と継続すれば良いです。
天に通じる感謝とは、感謝すると何も起こらず、感じず、感謝の継続が出来るものです。
継続に神を見ます。
一度きりの人生で、期間限定の人生ならば今を思いっきり生きてやりましょう。
人生の最中、最後に出る言葉はこれかもしれません。
ありがとうございます。