生きるとは苦しみであるby釈尊
幸福になっても幸福が消えていく苦しみがあります。
物を手に入れても失くしたり盗られる苦しみがつきまといます。
異性と付き合えてもけんか別れや死別の苦しみがあります。
つまり、いいことがあったとしてもいいことがなくなっていく苦しみがあるのです。
では、必ず苦しみが来るいいこととは本当にいいことだろうか?
初めから持っていないとは幸福かもしれない。
それならば、プラスとマイナスの相殺の上である日常とはありがたいではないですか。
喜怒哀楽があり、それでも生活できること。
究極の下から目線の生かされている上で起こる喜怒哀楽。
生かされている原点への感謝とは、それだけでOKということです。
罪があるけど生かされている、これが答えです。
自分が罪を犯したとしても、生きている限り、罪を償えます。
生きているからブログも読めるし、甘いおやつも食べられるし、スマホやPCで動画も見れるし、お昼寝をすることもできます。
下から目線で感謝をしたならば、善行を積んで行きましょう。
自分が犯した罪より善行が深ければ本当の 自分=真我 に許されます。
ありがとうございます。