私たちは、怒ったり、嫌なことや、苦しい思いをしますと、そう思う原因は相手にあると思うものです。
しかし、本当にその思いは正しいでしょうか?
実は、その思いは間違っていて、相手の問題ではなくて自分が原因かもしれません。
自分が悪いといっているのではなくて、怒ったり、嫌なことや、苦しい思いの火種は自分にあるかもしれないよね、という話です。
私も人のせいにする時がありますが、時間が経つと自分が原因だったんだとわかります。
人は、自分が絶対に正しいと思いたいのかもしれません。
何かの本で読んだのですが、過去の大犯罪者たちにはある傾向がありました。
それは、自分は社会のためにやったので自分はなぜ犯罪者になるのかわからない、と。
そう主張はしますがやっていることは犯罪なんです。
なにを言いたいかというと大犯罪者ですら自分は悪くないのというのですから、一般市民の私たちは自分が原因と思うのも難しいのではないでしょうか。
人類はこの繰り返しなんだと思います。
挑戦しては間違えて、反省して、反省しては挑戦し間違えて反省する。
だから、自分が原因と思えないのも普通のことなんだと思います。
とは言っても人のせいにしている時の気持ちというのは嫌な気持ちがするものです。
なので、挑戦しては人のせいにして、自分が原因だったと思い知り、思い知っては挑戦し人のせいにして自分が原因だと思い知る。
この繰り返しでもいいんだと思います。
それをしているのは対象を作っている「私」だからです。
私とは自我(エゴ)です。
この自我を小さくしている最中なんですね。
さて、今日も自我を小さくし優しさをちょっとでも出せたらいいんですね。