ファンタジー小説「飛び猫」

第十六回児童文学ファンタジー大賞への応募作品
 (2010年2月執筆完了作品)

 第一章 赤レンガの壁 -2

2015-07-06 00:08:08 | 小説
 全身が黒い毛で覆われた、まるで黒豹のようなオス猫、ヘイは、そのしなやかな体を華麗にくねらせて、草と擦れる音を一切立てずに、茂みの間を歩いていた。
 ヘイは、いつも林の中にいる。
 砂浜には出ない。
 雑木林の、それも木々のたくさん密集した、日のあまり差さないところが好きだった。
 ヘイはいつも単独行動だった。他の猫を信用していないわけではない。確かに、猫付き合いが面倒くさいとは感じているけど、それが単独行動の原因ではない。一匹で歩きながら静かに思索にふける時間が、ヘイには必要なのだった。
思索にふけるあまり、用を足したあと普通の猫ならちゃんとするはずの砂かけを忘れてしまうこともたびたびだった。
ヘイは、過去に深い傷を負っていた。
真っ黒な毛をした体の腹の部分に、猫の手一つ分くらいの大きさの、地肌が剥き出しになっているところがあった。傷は完全に癒えていたが、その傷ができた出来事に対する心の傷は、まだ癒えていなかった。
 ヘイは自分のテリトリーをいくつか持っていた。そのうちの一つ、「クヌギの大木」とヘイが名づけたところまで歩いてきた。
 ヘイは、このクヌギの木が大好きだった。
 見事な跳躍で一番低い枝に飛び乗り、すぐに次の枝へと飛び移り、あっという間に頂上近くの、幹と太い枝が枝分かれした部分のくぼみに飛び乗るなり、体を丸めて落ち着いた。
 ヘイは、自分の性格について、もっと社交的にならなくちゃいけないんじゃないかとか、他の猫にとっては(考えても意味ない。態度で示さないと分かんないよ)と思われるようなことであっても、行動で試してみるのではなく、ただ、自分の心の中で考えに考えるようなところがあった。
 このクヌギの大木のくぼみは、そんなヘイが物思いに耽るのに恰好の場所だった。地上から離れたこの場所では、他の猫の視線が気にならない感じがするからだった。
 安心して、ヘイは自分が今一番心配していることを考え始めた。
(地震があったとき、僕はホアンがあわてて海のほうから林に走ってくるのを見たけど、「大丈夫か?」とか「大丈夫だよ!」とか何でもいいから声をかけるべきだったんだろうか? ていうより、そう言ったとしても、ホアンは僕に声をかけられて余計びっくりしたかもしれない。ウーン。どうするべきだったんだろうか?何がベストだったんだろうか? これについてしばらく、考えてみよう)
 ヘイが、いつものように、過去の出来事の後悔みたいなことを考え始めようとした、まさにその時だった。
「バサッ。バサバサッ」
 大きな音がして、ヘイは反射的に身をひるがえして地面に降りようと体を動かした。
 と同時に、ヘイは、何も見えず、頭の中は真っ白になって何も考えられない状態になってしまった。
しばらくして、自分の体の一部が痛みを伝えようとしているのに気が付いた。
(背中が痛い! 背中に何かが食い込んでいる)
 ヘイは背中に走る激痛にもだえながら、なんと、森を見下ろしていた。
 眼下の森がゆっくりと回転している。
ヘイは、空中で大きな円を描くように旋回しながら高度を上げていった。
 背中に何かが刺さったようなひどい感覚が感じられるので、たぶん、自分がまだ生きているだろうことは確認できたが、こんなに空高いところにいるのだと分かると、死がそう遠くはないところで待ち受けていることを感じて、心の中は真っ暗だった。
(あぁ。こうやって死んでいくんだなぁ。それにしても夕焼けが鮮やかだ)
 ヘイは自分の死を覚悟した。

 その頃、赤い毛色のメス猫のホンは、昼寝(というより夕寝といったほうが正確だろうか)から目覚めたところだった。
 ホンは、その夕寝で、不思議な夢を見ていた。とても鮮明で、脳裏に焼き付いている。
 自分の体に、鳥が持っているような翼が生えていて、この島の中央で自由に空を飛んでいる夢だ。それは、とても気分の良い感覚だった。ただ、島のいろんなところに着地しようと試してみてもなかなか着地できず、唯一着地できたのが、島の中央の一番標高の高いエリアであった。その、島の中央のところから飛び立ったり、また着地したりというのを繰り返していた。すごく爽快な気分の夢だった。
(今の夢は、ワタシの感では、正夢だと思うんだけど。でも、翼が生えるってあり得るのかな?)
 ホンは、例えそれが猫の夢の中の出来事であろうと、物事を否定することが嫌いな性格だった。前向きで、興味を持ったら即行動に移すタイプなのだ。
 ホンは、すぐさま赤レンガの壁のほうへとかろやかに向かった。
 赤レンガの向こう側の世界が気になってきたのだ。
 この島に住む猫には、赤レンガの壁を越えて島の真ん中部分へ入ってはいけないという、暗黙のルールのようなものがあった。
その根拠は挙げようと思えばある。
 島の中央の一番標高の高いところの大岩に鷹の巣があって、だから、島の中央に近付けば近付くほど、鷹に襲われる危険が増す。この島の鳥たちは、とてつもなく大きいのだ。猫をさらうのくらいお茶の子さいさいといっても過言はないくらいなのだ。赤レンガの壁は、これ以上先へ入ると鷹がいるため危険、というメッセージとして当然のように猫たちは捉えていた。
 ホンは赤レンガの壁に向かいながら、鷹について考えていた。
(鷹はうちら猫を襲うけど、鷹は何のためにうちらを狙うんだろう? 鷹って空を飛んでいるのよねぇ。他の鳥たちもそうだけど、空を飛べるくらいの生き物って、きっと心もきれいだと思うんだけどなぁ)
 そして、さっきの夢を思いだして、
(きっと、赤レンガの壁越えて鷹のいるところへ行ったら、ワタシ、翼が生えて、空を飛べるようになる気がする!)
 ホンは、そう考えると、さらに足早に赤レンガの壁のほうへと向かった。
 ホンの赤茶けた毛色は、日が沈むころでも目立つ。
 赤レンガの壁に着いたホンをじっと見つめる猫が一匹いた。
 ホンと恋仲のホアンだ。
 ジンと約束している野ねずみ狩りをする前に、落ち合い場所に行く途中で、赤レンガの壁の近くにいるホンの姿を見つけたのである。
(ホン、一体、何してるんだろう? 俺と同じように地震で壁が崩れていないか心配なんだろうか? 気になるけど……。ごめんね、ホン。今日は、ジンと狩りの約束をしたんだ。ホン、また明日ねっ)
 ホアンがそう思って、視線をホンから外そうとした時だった。
 ホンが赤レンガの壁にぴょんっと飛び乗った。
 壁の色とホンの毛色が同じような赤色なので、一瞬、ホンが消えてしまったように見えた。
 ホアンがびっくりして目を凝らすと、ホンは壁の上にいて向こうを見ていたが、次の瞬間、ホンは、壁の向こう側へと姿を消した。
 ホンは越えてはいけないはずの赤レンガの壁を越えていったのである。
 ホアンは、ホンのことが心配になって、壁の前まで行ってみたが、自分には壁を越える勇気がなくて、しばらくその場でたたずんでいた。すぐに壁の向こうからホンが戻って来ると思っていたけど、ホンはなかなか姿を現さない。しばらくホアンが壁の向こう側の森の方にじっと目を凝らしているうちに、本格的に日が暮れ始めて、壁のレンガの赤色が赤茶けた薄暗い色になってきた。
(ホン、帰ってくるよね。きっと、ちょっと向こう側へ行ってみたくなっただけなんだ。そうだよ、そう)
 ホアンは、そう自分に言い聞かせて、ジンの待っている約束の場所まで向かうことにした。
 でも、ホンの、いつものちょっと無鉄砲な行動をするところが気になって、やっぱり心配だった。何度か、振り返って赤レンガの壁のほうを確認したが、ホンらしい猫の姿は見つからなかった。
(まあ、気にすることないや。ジンと約束したのは俺のほうからだしなぁ。ジンのとこへ早く行こう! 野ねずみのたくさんいる場所、ジンに教えたら、ジンびっくりするだろうなぁ)
 ホアンも結局、単純な猫である。野ねずみ狩りのワクワク感ですぐにいっぱいになった。
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