simple of life

いま感じてることや、頭の中でぐちゃぐちゃになってることを
素直に書いています。

culture

2017-02-25 22:02:34 | 日記
こんばんは、002です。


言葉と文化と無知と秀才

この会社では英語、オランダ語、ポーランド語、ギリシャ語、日本語を聞くことができる。というか、そこの出身の人たちがいて、実際使われている言葉、会社での公用語は英語とオランダ語だ。ちなみに俺は英語しか話すことができない。オランダ語で理解できるのはあいさつくらい。。。(笑)

ただここにはどちらの言葉も話せない、理解できない人も5人中2人くらいはいる。だから、その人と話したい時は誰かを通すか、その人の母国語を学ぶことが必要になる。
今日はこの後者について話していきたい。

オランダで教育を受けた人たちは、ほとんどの人が英語を話すことができるとされている。だから観光客に優しい国だと思うし、どこに行っても困らないと感じる。それは本当にリスペクトすべき点だ。ただ、これには問題もあるらしい。それは英語を話せる人が多くて、他国民でも安易に生活できる環境であるからこそ、移民が入りすぎているという点。それからくる、オランダ語の存続の危機。英語を話せる人ばかりなので、オランダ語を学ぶ必要もない。もしかしたらオランダにいる人たちの半分は国民ではない人なんではないかと感じる。
これはたぶん陸続きという点もあるだろうが、日本人である俺にとっては妙な点だ。

逆にポーランドの人たちは英語を話せる人がまだ多くない。ポーランドでは最近、英語教育が始まったらしく、英語がまだ浸透していない。逆にいうと、ロシア語やドイツ語を話せる人が多い。
ま、だから自分たちやオランダ人と話せなく、生活が合わない人もいる。逆に言えば、それがポーランドの言葉や文化を守っているような気がする。なぜなら彼らは母国語と母国の文化しか知らないので、それがいつも正しく、それ以外は受け入れない。そんな感じだからもしこの人たちと話したければポーランド語を学ぶ必要がある。それできっと言葉は広まっていくんだと思う。


そう考えながら俺の出身地のことを考えた。
俺の出身地は、日本語の標準語を使う機会が少ない。使うとすれば学校の授業の時くらいだ。それで学生時代は、先生たちが話す言葉や教科書に書いてある言葉と自分たちが理解できる言葉は少し違うと感じることが多かった。だからもし勉強するとしたらまず標準語を学んだほうがいいと思う。なぜなら先生方は標準語ばかりを使っている。
ま、それは今日置いといて、

方言の話だ。
俺の家族、出身の地域はとても訛っていると言われる。だから他の地域からきた友達は会話を理解することができない。俺が通訳してあげることが多い。(笑)
しかし、俺は方言をいつまでも使い続けたいと思っている。はっきりいうと、おじいさんおばあさんと話していると、俺らよりえげつない言葉を使う。俺らは理解できるが、日常で使う機会が少ない。なぜなら友達が理解できないからだ。でも最近これを友達に対して俺は使っていったほうがいいのか、と思う。なぜならこの方言というのをいつまでも残していたいからだ。
極端な話、このまま標準語に流されてしまったら、方言が俺の代で止まってしまうだろう。そしたら俺と俺の孫の会話は成り立たなくなるのではないかと思う。

もしかしたらこれは洗脳じゃないかという人もいると思う。
だから、俺が勧めたいのは、英語も母国語も標準語も方言もすべて理解して、皆がみんなの文化を尊敬して、自分のものを守っていったらいいのではないかと。


最初から全てを否定して自分が正しいと通すのもいいが、否定されている俺は本当に嫌な気持ちだ。
まあ、ポーリッシュはお酒を飲むのが好きだ。毎日のように飲んでいる。土日は絶対だ。さらにいえば、朝起きて最初にお酒を飲み、仕事に行く人もいる。彼らにとってそれが普通で、それが正義なんだと思う。

俺はお酒が好きではない。相当心を許せる友達ではないと飲まない。だから誘われても、あまり飲まないし、誘われないようにいつも出かけるようにしている。
それと、俺はいつまでも機敏に動いていたいと思うから定期的に筋トレをして、ジョギングもしている。
俺にとってはこれが普通で、これが自分の将来への一歩だって思っている。これは彼らにとって奇妙で理解できないらしい。



彼らのことは、リラックスする方法は人それぞれあるから、お酒のことは全く気にしていない。お酒も強いし、酒癖が悪いわけでもないからだ。でも彼らには全く理解してもらえない。1人でもお酒を飲まない人が周りにいると気に食わないらしい。これは俺にとって本当に問題である。
だからできるだけ関わらないようにもしている。これが正解なのかはわからないが、これしかないんでないかと考えた。
ジョギングなんかも馬鹿にしてくる。だからこの人たちとは分かり合えないのかと感じた。





こういうこともあって、やっぱりすべて理解する必要があると感じた。
だから無知っていうのはすごく罪なことなのかと最近感じる。


customer

2017-02-24 21:16:32 | 日記
002です。


最近

今日は色々考えさせられた。
ここの会社には従業員がいる。
その人たちはほとんどが外国からの労働者だ。その外国っていうのは大体が東欧で、東欧っていうのは賃金がとてもとても安いのだ。日本の半分と思ってもらえればいいだろう。
それで東欧から西ヨーロッパに出稼ぎに来ている人たちがたくさんいる。その人たちに払う給料は西ヨーロッパの最低賃金ほどでいい。それでも東欧の人たちにしたら大金なのだ。それによって西ヨーロッパの大規模な農業が経営できているといっても過言ではないだろう。
なのに、最近、会社から入る給料が減っているらしい。母国で働くのと変わらないくらいに。それをなんでだと農場の職員に聞くと、派遣会社に言えと言われ、派遣会社に言うと、農場に聞けと言われているらしい。
これはその人たちから聞いた話だ。その人たちはそのお金で母国にいる家族を養い、自分たちの生活も維持している。それにここにいたら家代も払わなければいけない。それを考えるとマイナスになるというのだ。
そういうこともあって、ここにはいれない。東欧に帰るという。
そしたら俺が考えるにここの農場は成り立たなくなると思う。
まあ、今の時期は売れる農作物がなく、会社にお金が入ってきていないのはわかる。ただ従業員の気持ちを考えれば毎月決まったお金を払うのは当然で、それが母国と変わらなかったら帰るのは当然だし、ましてマイナスになるのであればちょっとした旅行に行ったほうがいいだろう。当然、ここに旅行しに来ているのではない。家族を守るために来ているのだ。

どういう心理で給料を減らしているんだろう。

東欧と同じ給料ならこの人たちは問題と思わないと考えているのだろうか。
それかこの会社は経営的に相当追い詰められているということなのか。


現在、日本でも西ヨーロッパの農業が注目されている。例えば、ガラス温室、ICTを使った農業、水耕栽培、温水システム、co2施肥。
それらをふんだんに使ったのが今の農場だ。1年間それを見てきて、本当に素晴らしい技術だと思った。人が行う作業はマニュアル化され、農業のことを知らない人でも簡単に農業に関われるし、日本と比べて作業が楽で汚れなくて済む。環境なんかは自動で制御される。
いつかこの技術を使って日本で農業する日が来るのかとも考えた。

しかし、1年間見てきたからこそ問題点もたくさんあると感じている。
1株から日本の何倍ものトマトを生産することができる。それにより、いつかのブログにも書いたことがあるが、野菜の価値の低下、繁忙期の労働者への配慮の低さが出てくる。ものが多くなれば、物の価値は下がる。そうすると大量に売らないと採算が取れなくなる。それで小さな農家は経営していけなくなり、大規模な農場しか残らなくなるだろう。それでもしかしたら人の価値も下がってきてしまうのではないだろうか。ただ、この過酷な環境だから発展のスピードはとても速いという事実もある。
それとシステムを全て買ってしまったら、お金持ちではない限りローンが残り、何年もその農場、同じ野菜栽培に縛られることになる。きっと今よりも雇用は減っていくだろう。
それに人を雇うための賃金もここは相当安い。給料や休みにうるさい日本人には今のままでは受け入れられないだろう。


消費者にとって野菜の価値が下がるのはいいことなのかもしれない。
土地や人を管理する人たちにすれば、農家数が減って、土地が限られれば管理しやすいのかもしれない。


でもジレンマというか、賭けというか、発展や進化というのはそんな気がする。
さらにほかの国の労働者がいなければこんなべらぼうな経営の仕方だってできないだろう。だから日本に持ち込むには見直しが必要だ。


もしかしたら時代や消費者の影響もあり、ここの農業はそうせざるをえなくなったのかもしれない。


もし欲望のまま誰にも止められずこんなことになるのであれば、日本では今の農業の仕方を維持して欲しい。
というか、技術の高さを求めすぎて、経営がこうなってしまうのであれば俺はこんな農業を日本に持ち込もうとは思わない。


作業がきつくても、たくさんものが作れなくても
今、自分ができることをしっかりやって、本質を見て、何が変えられるか考えていきたい。



消費者
ここで消費者について思っていることを少しだけ書いていこう。
あまり他人の家庭やほかの国のことには口出ししたくないのだが、この国の人達は食べ物をあまり食べない。家族で食べるものをつくってもほとんど残して、お菓子やパンや別のものを個人で食べる傾向が強いと感じている。
まあ、個人主義と言われている国なのでこれが許されてしまうのだろうが、日本のような資源が限られているところで育った俺からすればその風景はとても異様だ。子供が残しても親は注意することもなく、これが当然といった感じである。だから野菜の価値が下がっていっても気にもとめなかったのか、野菜の価値が下がってしまったからこうなってしまったのか。それはわからないがそんな感じだろう。
日本の野菜は高価格である。政府が海外のものに関税を付け(一部の国はついていない)、野菜の値段を上げていることもあるが、それにより、日本人の食に対する意識やものを大切にする意識は他の国に比べ高いのではないかと思う。
結局ここにたどり着くと思う。ひとりひとり食べ物に対する気持ちは違うと思う。例えば、食事を楽しみにしている人、とりあえずお腹を満たすために食べている人。

地域にどちらが多いかなんだと思う。
だから食育や農業体験など消費者に情報を公開して、知識を身につけていただくことで質が高くなるのではないか。
と考えるから、俺は情報や考え方を公開して行こうと思う。

はい、ここで終わればきっとキリがいいのだが今日はもう少し書いていきたいことがある。


それはパッキングについて。
パッキングについてどう思うだろう。
日本では、農作物が生産者から消費者に届くまで少なくとも1回、多くて3~4回箱詰めされていると思う。直接販売だとそれはないのだが。。。
なぜかというと、まず市場に出荷するために生産者が専用の1.箱に詰める。市場に行き、そこで八百屋などに売れなかったものはそのまた次の業者に売るために2.箱詰めし直される。そして業者に渡ると次は各スーパーの3.パックに詰め直されて、売られていると思う。そこからもしかしたらスーパー独自のパックがまた別に設けられている場合もあるのではないだろうか。

日本ではこれが現状だと教わった。だから生産者は箱代を損している。それにいくら運送技術が高くなってきたとしても、日数はかかっているだろう。そしてなによりこれでは消費者との距離が遠くなってしまう。(まあこんなに人が関わっているから野菜の価格が高いのかもしれない。)だから、自分は消費者と直接話す機会がある方法で新鮮な作物を販売したいと考えている。

ま、それは置いといて

これだけ日本はパッキングにこだわっている。労力も惜しまず、それぞれに適した箱に詰め直し、パックにシールも1枚1枚丁寧に貼る。でも、ここではシールの貼り方より、とりあえず貼ってあればいいから、できるだけ同じ時間で多く貼ることに専念しろ。と教わる。さらに、箱の詰かえもない。初めから、最後に行き着くスーパーのパックに入れられ、運送される。そのかわり、生産者はある程度大規模で、毎日スーパーに電話で問い合わせ、そこで出荷量を決めている。

もし、シールがきっちり貼ってある商品とシールが曲がって貼ってある商品があったらどちらを選ぶだろう。だいたいの日本人はきっちり貼ってある方を選ぶのではないだろうか。
ここの理論で、例えば1時間で、ある人は多少シールは曲がっているが700パックのシールを貼り、もう1人は丁寧に350パックのシールを貼ったとする。ここでは多少見栄えが悪くても700パック売れるのかもしれないが、日本はそうではないと考える。
700パック作ったけど、見た目で判断され150パックしか売れないのと、350パック丁寧に作り、300パック売れるのでは全く話が違う。売った量も損した量も違うのだ。
だから、日本の消費者の考え方とここの消費者の考え方はつくづく違うのだなあと感じる。これも農業に触れていると面白い点だと思うのだ。


おしまい。


breath

2017-02-18 00:31:34 | 日記
はい、どうも
002です。今週から少し体力作りを始めました。


それはまず置いといて、
ついに、とあるSNSで宗教?カルト?のアカウントにフォローされた。
少し人生に迷っているような投稿したからなのか(笑)

最初はめちゃくちゃビビった。俺にとって宗教っていうのはまだまだ謎な存在だからだ。なんで人は存在しない人を信じるんだろうと思う。
まあ、過去には存在していたのかもしれないが、今は生きていないわけだから、いまを生きている自分とか家族を信じて生きたほうがいいんじゃないかと思う。


いつだったかは忘れたが、宗教をつくったのは開祖ではない。という話を聞いたことがある。開祖が自分の考えなどを書にして、それに基づいて生きていたとする。それを尊敬する弟子ができる。というか、人生に疲れた人がそれを見ると、美しいと思ったりして、現実逃避がてら弟子にしてくれと頼むんだろう。その弟子が素晴らしいと思っていることを人々に紹介していき、弟子が開祖を神と呼び始め、宗教ができる。ということだった。
そいでそういうのがいくつもあるから、もめたり、意見の行き違いが出てきたりする。それで最悪、殺し合ったり、戦争が起こったりする。
全ての開祖さんが初めに、殺し合いとか、戦争とかアカンよって弟子に教えるべきだったんじゃないかって思う。流派がたくさんでてきて、そこで教えが変わって、争うこともあると思うんだけど、それはちゃんとそこで話し合って、どうしてそっちに行っちゃたのかを聞くべきだと思う。その結果分かり合えなかったら別の名前で活動して欲しい。じゃないと紛らわしくて、開祖さんを信じている人たちに迷惑だろう。


結局何が言いたいのかっていうと
やっぱり俺は俺の目でいろんなものを見て、何がいいのかとか何がいけないのかっていうのを自分で判断したい。


だから、世界のみんなが幸せになればいいって本当に願っています
っていうのは胡散臭いし、んん、なんというか薄っぺらい願いなんじゃないかって思う。
なにぶん世界には幸せになりたくない人だっているだろう。というか、人それぞれ幸せのカタチは違って、そういう人に無理矢理自分の幸せを押し付けてしまうのはよくない。と思う。うん、ぜったいに幸せになりたくない人もいるだろう。なぜなら俺もそういう時がある。
例えば、幸せになると、その分の不安が押し寄せてくる。そういうときなんで幸せになってしまったんだろうと反省する。
楽あれば苦ありという言葉がある。これは、何にも感じないような日常の中に楽という気持ちがでてくる。それで、楽な状況が終わると対照的な苦という表現の感情がでてくる。だから一度でも楽というものが感情としてでてきたのなら、苦というものがそのうち感じれますよ。というものだ。
そう考えると、幸せな時ほどそのあとのことを考え、それが大きなストレスになる。だから、みんながみんな幸せになったらそれはそれでストレスがかかる社会になるんじゃないかと思う。んで、それが嫌だから必死に不幸なことをつくったり、想像するんだろう。(笑)


人なんてないものねだりなんだからさ。神様がいないこの世の中に神様をつくったんだろうね。
人が大地を抱擁できなかったり、世界をつくることができなかったりしたからこそ、偉大な神々を想像して、崇めたんだろう。本当は宗教なんてものを作る予定はさらさらなくて、俺が考えたこの人すげぇだろ!なんて言い合っていたのかもしれない。(笑)


まあ、ひとまずフォローは解除しないで、その人たちを観察していきたい。いきなり拒絶してしまったら、経験できないこともでてきてしまうだろう。これから自分でしっかり物事を考えるためにも面白い出来事だと思っている。


ではでは。

theory

2017-02-12 15:28:56 | 日記
はい、投稿できるうちに投稿してしまおうという魂胆でございます。
002です。


人の考え方っていうのはたくさんあるもんでね
自分の経験と比例してきっと考え方ってのは増えてくるんだよね
だから貧乏な経験をしなけりゃその人たちの考え方はできないだろうし、金持ちな経験をしなきゃそういう考え方もできないだろうね。

んで、世界を平和にしたり、争いをなくしたりするってことが、まあ、ひとつの目標だとする。
それに近づけること、ま、方法ね
それが人々の考え方を同じにするっていうのが最も近い道だとしたら、
みんなの生活を同じくらいにすればいいのね
例えば、給料を同じにしちゃったり、食べ物を同じにしちゃったり、大事だと思うものをひとつに絞っちゃたりね。
きっとこうしたらみんなの意見は同じになるんじゃないんかい

でもこうしてしまうとどうかな
こうなるかね、日本はけっこうそういうところあると思うけど



次に常識ね、日本とここじゃあ全く違うわけ
ここの人仕事するときにスーツなんて着ないし、毎日皿は洗わない
んで、人がいなくても暖房はつけっぱなしにするし、

もしかしたらそれらを日本ですれば非常識になるかもな
でも、そりゃあ仕事がしやすいとか、水をあまり使わないし、手も荒れないんだな。
あとは帰ってきた時も暖かい。
っていうのが常識だと言われれば、まあそうか、というしかないな。

まあ、みんなの意見を一致させるってのは難しいだろうね、というかそんなのはきっと無理だろう(笑)


だから、良いとか悪いとか一概には判断できない。
ま、なんだろうね
経営者から見ればこうとか、労働者から見ればこう
あと、大人ならこう、子供ならこう
みたいなもんはあるだろうね
だから、大人と子供が同じ世界に存在しているってこと自体、みんなの意見を同じにさせるという気はさらさらないんだろうね(笑)


まーだからね、幸せってなんだろうって考えた時に
幸せのカタチのひとつに、他人と共感するってことがあると思うんだわ

だからんーー、
なんていうか話を聞いてくれる人が1人でもこの世界にいたら俺は幸せなんじゃないかって思う。
年寄りみたいなことかもしんないけどさ、なんかそんな気がするんだわな。


おしまい。


1kg

2017-02-12 09:51:39 | 日記
002です。今日は少し明るい内容を書いていこう。(笑)



題して、西ヨーロッパと日本で違うと思ったこと!

その1、気候
気候はかなり違うね。いつも乾燥していて、寒い。それで雪が少ない。そう、夏も30度を越える日が1ヶ月ないくらいで、海に入るタイミングはなかったといっていいだろう。
冬は0℃以下の日はそこそこある。でも、雪が全然降らないから面白くないね。(笑)
何となくすべてが中途半端で、どう楽しんだらいいのかが今年では掴めなかった。
雨は、あまり降らない印象かな。だから日本の土砂降りの音が好きな俺にとってはこれもまた退屈な日々なのだあ。

その2、お店
お店は、だいたい朝の8時から10時頃に開店して、夕方6時頃になると閉まっていく。日本みたいに24時間営業のお店はないね。これはいいことだと思うけど、日本に住んでいたことがあると不便だなあと感じることもしばしば。

その3、街
これはもちろんヨーロッパの街並みが続いている。逆にいうと、どんなお店でも入っているスーパーなんかは本当に珍しくて、ほとんどが商店街みたいな感じなんじゃないかな。お店も古い建物の中に入っていて、あんまり興味がない人だと1年もしないうちに飽きちゃうかもね。日本人は日本の風景が好きっていうのも聞いたことがあるし。それと、街灯が本当に少ないと思う。だから、俺的には日本にいると夜に運転するのも乙だなあと感じるんだけど、このへんではしなくていいかな。(笑) まあ、道路でいうと信号も少ないかもしれない。止まるのが嫌な人にとってはいいかもしれないが、俺は信号で止まる間も休憩の一部というか風景を見渡して、曲の選択できる時間だと思っているから、それがないと考えると助手席に座っていて忙しないように見える。(笑)

その4、野菜
野菜は基本的に日本よりも低価格で手に入る。だいたい半分かそれ以下か。ただ日本のように使い切りで売っているということは少なく、ひとつひとつ買うという感覚かな。
低価格という面では、まー、消費する側にいればいい話なんだけど、生産する側からすればこれでこの値段!?と思うことも多い。なんとなくそれが原因でヨーロッパの農家がこんなに広い面積で暇なく野菜を作っているのかと考えると、悲しくなる時さえある。
だから、日本人が考える野菜1kgとヨーロッパの人たちが考える野菜1kgの価値は全然違うものなのだなと日々感じている。

その5、魚
魚は値段がかなり高い。以上

その6、人
まーこれは今年1年で国民性とか、人種とか関係ないんだなと思った。そんなのを気にして接しているうちはまだまだなんじゃないかな。どこの国の人も色んな人がいて、それがいいんだなってこと。

その7、その他
食べ物なんかは日本食を作ろうと思えば作れる。でもやっぱり日本で食べたほうが美味しいんだろうなあと思う。あと、俺が気になるのは部屋の明かり。全ての部屋がオレンジ色の光で、日本と比べるととてもとても暗い。それをロマンチックと思うか、暮らしづらいと思うかは個人の自由だろう。




まー他にもあるけど、今日はこのへんで終わり。

では。