こんばんは、002です。
言葉と文化と無知と秀才
この会社では英語、オランダ語、ポーランド語、ギリシャ語、日本語を聞くことができる。というか、そこの出身の人たちがいて、実際使われている言葉、会社での公用語は英語とオランダ語だ。ちなみに俺は英語しか話すことができない。オランダ語で理解できるのはあいさつくらい。。。(笑)
ただここにはどちらの言葉も話せない、理解できない人も5人中2人くらいはいる。だから、その人と話したい時は誰かを通すか、その人の母国語を学ぶことが必要になる。
今日はこの後者について話していきたい。
オランダで教育を受けた人たちは、ほとんどの人が英語を話すことができるとされている。だから観光客に優しい国だと思うし、どこに行っても困らないと感じる。それは本当にリスペクトすべき点だ。ただ、これには問題もあるらしい。それは英語を話せる人が多くて、他国民でも安易に生活できる環境であるからこそ、移民が入りすぎているという点。それからくる、オランダ語の存続の危機。英語を話せる人ばかりなので、オランダ語を学ぶ必要もない。もしかしたらオランダにいる人たちの半分は国民ではない人なんではないかと感じる。
これはたぶん陸続きという点もあるだろうが、日本人である俺にとっては妙な点だ。
逆にポーランドの人たちは英語を話せる人がまだ多くない。ポーランドでは最近、英語教育が始まったらしく、英語がまだ浸透していない。逆にいうと、ロシア語やドイツ語を話せる人が多い。
ま、だから自分たちやオランダ人と話せなく、生活が合わない人もいる。逆に言えば、それがポーランドの言葉や文化を守っているような気がする。なぜなら彼らは母国語と母国の文化しか知らないので、それがいつも正しく、それ以外は受け入れない。そんな感じだからもしこの人たちと話したければポーランド語を学ぶ必要がある。それできっと言葉は広まっていくんだと思う。
そう考えながら俺の出身地のことを考えた。
俺の出身地は、日本語の標準語を使う機会が少ない。使うとすれば学校の授業の時くらいだ。それで学生時代は、先生たちが話す言葉や教科書に書いてある言葉と自分たちが理解できる言葉は少し違うと感じることが多かった。だからもし勉強するとしたらまず標準語を学んだほうがいいと思う。なぜなら先生方は標準語ばかりを使っている。
ま、それは今日置いといて、
方言の話だ。
俺の家族、出身の地域はとても訛っていると言われる。だから他の地域からきた友達は会話を理解することができない。俺が通訳してあげることが多い。(笑)
しかし、俺は方言をいつまでも使い続けたいと思っている。はっきりいうと、おじいさんおばあさんと話していると、俺らよりえげつない言葉を使う。俺らは理解できるが、日常で使う機会が少ない。なぜなら友達が理解できないからだ。でも最近これを友達に対して俺は使っていったほうがいいのか、と思う。なぜならこの方言というのをいつまでも残していたいからだ。
極端な話、このまま標準語に流されてしまったら、方言が俺の代で止まってしまうだろう。そしたら俺と俺の孫の会話は成り立たなくなるのではないかと思う。
もしかしたらこれは洗脳じゃないかという人もいると思う。
だから、俺が勧めたいのは、英語も母国語も標準語も方言もすべて理解して、皆がみんなの文化を尊敬して、自分のものを守っていったらいいのではないかと。
最初から全てを否定して自分が正しいと通すのもいいが、否定されている俺は本当に嫌な気持ちだ。
まあ、ポーリッシュはお酒を飲むのが好きだ。毎日のように飲んでいる。土日は絶対だ。さらにいえば、朝起きて最初にお酒を飲み、仕事に行く人もいる。彼らにとってそれが普通で、それが正義なんだと思う。
俺はお酒が好きではない。相当心を許せる友達ではないと飲まない。だから誘われても、あまり飲まないし、誘われないようにいつも出かけるようにしている。
それと、俺はいつまでも機敏に動いていたいと思うから定期的に筋トレをして、ジョギングもしている。
俺にとってはこれが普通で、これが自分の将来への一歩だって思っている。これは彼らにとって奇妙で理解できないらしい。
彼らのことは、リラックスする方法は人それぞれあるから、お酒のことは全く気にしていない。お酒も強いし、酒癖が悪いわけでもないからだ。でも彼らには全く理解してもらえない。1人でもお酒を飲まない人が周りにいると気に食わないらしい。これは俺にとって本当に問題である。
だからできるだけ関わらないようにもしている。これが正解なのかはわからないが、これしかないんでないかと考えた。
ジョギングなんかも馬鹿にしてくる。だからこの人たちとは分かり合えないのかと感じた。
こういうこともあって、やっぱりすべて理解する必要があると感じた。
だから無知っていうのはすごく罪なことなのかと最近感じる。
言葉と文化と無知と秀才
この会社では英語、オランダ語、ポーランド語、ギリシャ語、日本語を聞くことができる。というか、そこの出身の人たちがいて、実際使われている言葉、会社での公用語は英語とオランダ語だ。ちなみに俺は英語しか話すことができない。オランダ語で理解できるのはあいさつくらい。。。(笑)
ただここにはどちらの言葉も話せない、理解できない人も5人中2人くらいはいる。だから、その人と話したい時は誰かを通すか、その人の母国語を学ぶことが必要になる。
今日はこの後者について話していきたい。
オランダで教育を受けた人たちは、ほとんどの人が英語を話すことができるとされている。だから観光客に優しい国だと思うし、どこに行っても困らないと感じる。それは本当にリスペクトすべき点だ。ただ、これには問題もあるらしい。それは英語を話せる人が多くて、他国民でも安易に生活できる環境であるからこそ、移民が入りすぎているという点。それからくる、オランダ語の存続の危機。英語を話せる人ばかりなので、オランダ語を学ぶ必要もない。もしかしたらオランダにいる人たちの半分は国民ではない人なんではないかと感じる。
これはたぶん陸続きという点もあるだろうが、日本人である俺にとっては妙な点だ。
逆にポーランドの人たちは英語を話せる人がまだ多くない。ポーランドでは最近、英語教育が始まったらしく、英語がまだ浸透していない。逆にいうと、ロシア語やドイツ語を話せる人が多い。
ま、だから自分たちやオランダ人と話せなく、生活が合わない人もいる。逆に言えば、それがポーランドの言葉や文化を守っているような気がする。なぜなら彼らは母国語と母国の文化しか知らないので、それがいつも正しく、それ以外は受け入れない。そんな感じだからもしこの人たちと話したければポーランド語を学ぶ必要がある。それできっと言葉は広まっていくんだと思う。
そう考えながら俺の出身地のことを考えた。
俺の出身地は、日本語の標準語を使う機会が少ない。使うとすれば学校の授業の時くらいだ。それで学生時代は、先生たちが話す言葉や教科書に書いてある言葉と自分たちが理解できる言葉は少し違うと感じることが多かった。だからもし勉強するとしたらまず標準語を学んだほうがいいと思う。なぜなら先生方は標準語ばかりを使っている。
ま、それは今日置いといて、
方言の話だ。
俺の家族、出身の地域はとても訛っていると言われる。だから他の地域からきた友達は会話を理解することができない。俺が通訳してあげることが多い。(笑)
しかし、俺は方言をいつまでも使い続けたいと思っている。はっきりいうと、おじいさんおばあさんと話していると、俺らよりえげつない言葉を使う。俺らは理解できるが、日常で使う機会が少ない。なぜなら友達が理解できないからだ。でも最近これを友達に対して俺は使っていったほうがいいのか、と思う。なぜならこの方言というのをいつまでも残していたいからだ。
極端な話、このまま標準語に流されてしまったら、方言が俺の代で止まってしまうだろう。そしたら俺と俺の孫の会話は成り立たなくなるのではないかと思う。
もしかしたらこれは洗脳じゃないかという人もいると思う。
だから、俺が勧めたいのは、英語も母国語も標準語も方言もすべて理解して、皆がみんなの文化を尊敬して、自分のものを守っていったらいいのではないかと。
最初から全てを否定して自分が正しいと通すのもいいが、否定されている俺は本当に嫌な気持ちだ。
まあ、ポーリッシュはお酒を飲むのが好きだ。毎日のように飲んでいる。土日は絶対だ。さらにいえば、朝起きて最初にお酒を飲み、仕事に行く人もいる。彼らにとってそれが普通で、それが正義なんだと思う。
俺はお酒が好きではない。相当心を許せる友達ではないと飲まない。だから誘われても、あまり飲まないし、誘われないようにいつも出かけるようにしている。
それと、俺はいつまでも機敏に動いていたいと思うから定期的に筋トレをして、ジョギングもしている。
俺にとってはこれが普通で、これが自分の将来への一歩だって思っている。これは彼らにとって奇妙で理解できないらしい。
彼らのことは、リラックスする方法は人それぞれあるから、お酒のことは全く気にしていない。お酒も強いし、酒癖が悪いわけでもないからだ。でも彼らには全く理解してもらえない。1人でもお酒を飲まない人が周りにいると気に食わないらしい。これは俺にとって本当に問題である。
だからできるだけ関わらないようにもしている。これが正解なのかはわからないが、これしかないんでないかと考えた。
ジョギングなんかも馬鹿にしてくる。だからこの人たちとは分かり合えないのかと感じた。
こういうこともあって、やっぱりすべて理解する必要があると感じた。
だから無知っていうのはすごく罪なことなのかと最近感じる。