辛かった。本当に大好きな人だった。
我が家の写真たての写真。
谷村さんと一緒に撮影。隣に、若い頃の私の登場ですみません⤵️
横の男の子は、うちの長男。私が25歳くらいだったから、うちの長男は3歳くらいか? 今では40歳になっている😆
長男を抱っこしてくれているのは、高松出身の松本明子さん。ばんばひろふみさんも一緒にいらっしゃった。
みんな若かったなぁ。
写真たてに折って入っているが、広げると撮影日は1985年10月18日となっている。
ラジオ番組の1回目の録音が終わった頃だから、PM9時か10時くらいだったと思う。
この後、もう1週分続けて録音すると話されていた。
深夜番組ヤングタウンの録音で東京MBSへお邪魔した時のもの。
「長崎から東京に転勤で来ています」と連絡すると、ディレクターの宇野さんから連絡をいただいて、ゲストで出演させていただいた。
もう緊張して谷村さんの顔がじっと見られなかった。
ヤングタウンでは、ファンが「ドラゴン第1期や第2期」などを作って、ベストテンへ谷村さんを出演させよう! とそんな動きを見せていた直後だった。
私は、ラジオ番組では「ばんばんの愛人1号さん」設定だった😆
谷村さんは「22歳」「夜顔」などの歌を発表した頃ではなかったかな?
私が大好きな「祇園祭」の曲もこの少しあとの発表だったように思う。
録音が終わって、別室でにこやかにお話していただいた。
レアなTシャツとネクタイピンをプレゼントすると、ヤンタングッズの筆箱にサインしてくださった。
コンサートも東京、長崎、高松と行った。ファンクラブに入っていた頃の高松コンサートでは、前から5列目だったこともある。
もう会うことはないのね。
歌も聞けないのね。
数日前だった。
谷村新司さんが夢に現れた。
「もう歌が書けない」って。
朝起きて「え?? なんだったの?」って思ったのだが。
私、少し霊感が強いので…。
仲が良かったさだまさしさんや、ばんばひろふみさんは、ものすごくショックを受けているだろうなぁ。
本当に大好きな方だったのに。
こんなに悲しいことはない⤵️
私、昔「七年目の秋に」という小説を書いた。
誰かが「マイセンの人形の家のようなタッチの小説だ」と評をしたが、何かの随筆に書いた通り「谷村新司さんの感性と立原正秋の感性に憧れて書いた小説」だった。
そんなにいい出来の作品ではなかったが。
チンペイちゃん、繊細な感性をありがとう。いつも歌詞の描写が心にしみ渡りました。歌詞もメロディも私には憧れでした。
チンペイちゃんの感性、あのラジオ出演の日の笑顔、笑い声を思い出して、私もまた小説を書いていきます!
ご冥福をお祈りします😩😭 (´༎ຶོρ༎ຶོ`)