一日目、二日目と朝8時~夜9時半、朝7時半~夜8時半で昼休憩5~10分
なんてなかなか忙しかったんですが、今日は思いの他早く帰って来れました。
前の時にも書きましたがオーストラリアにおいても相当有名な整形外科の先生の所で研修をしています。
基本的に去勢手術など簡単な手術はなくて、
他の獣医さんが手におえないようなケースばかりをやっている所です。
まぁ、折れた骨をプレートとネジで固定するだの骨を切って位置を変えてピンで固定するだの
去勢手術なんかとはかなり趣の異なることをやってます。
どうやら日本へも講演で行った事あるとか。
傍から見てても忙しすぎるのにそんなそぶりを見せず、凄いフレンドリーでいい先生です。
そんなわけでその先生によって救われたワンちゃん猫ちゃんも沢山いるわけで
ほんとに凄いなぁとおもう反面、やっぱり自分のしたい事はこれじゃないとも思ったりしてます。
何ていうか、獣医も流れとしては人間のように専門化が進んでいるんですが
僕が動物病院で働きたいのは飼い主さんと話がしたいからと言うのもとても大きいんです。
自分にとっての目標は人間と動物の距離を縮めて共存できる社会にすると言うことだから
その飼い主さんにとってそのペットがどんな存在でそれによってどんな風に人生が変わって
そしてそのペットが飼い主さんによってどのようになったのかと言うのを見て聞いてすると言うのは
本当に楽しいことなんです。
自分にとっての理想は病気を上手く治療できる事ではなく病気にしないことだから
日々、予防接種ばかりしていても構わないんですよ。
ずーと健康にいられればそれに越した事はないですから。
人間に比べてペットの一生は短いですから、出会いから永遠の別れまで見届ける事も多いです。
だから、その分自分は生まれた時から死ぬ時までをトータルでカバーして
ペットにとってもその飼い主さんにとっても掛け替えのない時を送る手助けがしたいんですよ。
難しい骨折が治せる獣医さんより、自分は骨折になりにくい丈夫な体を作る指導ができる方がいいし、
難しい病気が治せる獣医さんより、これまた病気にならない体を作る方がいいんです。
でも、絶対に難しい怪我や病気も起こるからそういうのが治せる獣医さんも絶対に必要なんです。
ただ、自分はペットを家族の一員として迎えた時から天国へ行くのを見送るまで
ずーと面倒を見させてもらって、
「先生に言われて色々やったけど、こんなに死ぬまで元気ならそんなにする必要なかったんじゃない?」
なんて冗談言われるぐらい元気な一生を送らせてやれたら最高だなって思ってるんです。
傍から見て難しい事できなくてもいいから。
そんな自分の観点からするとここの飼い主さんの多くはほんとにいい人ばかりで
みんな自分のペットを子供のように大事にしてるし、それによって人柄まで大らかな気がします。
本当にいい人ばかりなんですよ。
だから、みんな拙い英語をしゃべる僕に対しても優しく接してくれますし、
僕が獣医さんの代わりに検診で話を聞いていても嫌な顔せずに話してくれます。
でも、自分は日本語だったらもっとやれるんだよ!
前の研修先で獣医さんが自分に関して凄く評価してくれて
「人間の人柄は学校で教えられるものじゃないから」
って言ってくれたけれど、やっぱりお金を頂くプロフェッショナルとしての獣医が
言語で躓いているのは許されないんじゃないかって。
お金をもらう者が相手に気を使わせてどうするのか。
もしだけれども、自分がここで仕事先を見つけられたとしても
自分で自分がお金をもらって獣医としてやっているのは許せない気がします。
それは何より自分が重視しているのがコミュニケーションで、
その能力がまさに自分に大きく足りていないという事だから。
「自分の努力が足りなかった。」
そう言ってしまえばそうなのかも知れないけれど、
ホントに馬鹿みたいに簡単な単語が聞き取れない事もあるんだよ。
泣き言を言えばそこで成長が止まる気がするから言いたくないけれど、
こんな言葉が違うだけで自分の思い通りにならないのは本当に悔しい。
とりあえず、言葉を抜きにしたら一人前の獣医になれるように頑張ろう。
今はまだ全てが言い訳に過ぎないから。
でも、やっぱり卒業しても自分がここでお金をもらって獣医としてやる事を許せない気がする。
プロフェッショナルとして・・・
なんてなかなか忙しかったんですが、今日は思いの他早く帰って来れました。
前の時にも書きましたがオーストラリアにおいても相当有名な整形外科の先生の所で研修をしています。
基本的に去勢手術など簡単な手術はなくて、
他の獣医さんが手におえないようなケースばかりをやっている所です。
まぁ、折れた骨をプレートとネジで固定するだの骨を切って位置を変えてピンで固定するだの
去勢手術なんかとはかなり趣の異なることをやってます。
どうやら日本へも講演で行った事あるとか。
傍から見てても忙しすぎるのにそんなそぶりを見せず、凄いフレンドリーでいい先生です。
そんなわけでその先生によって救われたワンちゃん猫ちゃんも沢山いるわけで
ほんとに凄いなぁとおもう反面、やっぱり自分のしたい事はこれじゃないとも思ったりしてます。
何ていうか、獣医も流れとしては人間のように専門化が進んでいるんですが
僕が動物病院で働きたいのは飼い主さんと話がしたいからと言うのもとても大きいんです。
自分にとっての目標は人間と動物の距離を縮めて共存できる社会にすると言うことだから
その飼い主さんにとってそのペットがどんな存在でそれによってどんな風に人生が変わって
そしてそのペットが飼い主さんによってどのようになったのかと言うのを見て聞いてすると言うのは
本当に楽しいことなんです。
自分にとっての理想は病気を上手く治療できる事ではなく病気にしないことだから
日々、予防接種ばかりしていても構わないんですよ。
ずーと健康にいられればそれに越した事はないですから。
人間に比べてペットの一生は短いですから、出会いから永遠の別れまで見届ける事も多いです。
だから、その分自分は生まれた時から死ぬ時までをトータルでカバーして
ペットにとってもその飼い主さんにとっても掛け替えのない時を送る手助けがしたいんですよ。
難しい骨折が治せる獣医さんより、自分は骨折になりにくい丈夫な体を作る指導ができる方がいいし、
難しい病気が治せる獣医さんより、これまた病気にならない体を作る方がいいんです。
でも、絶対に難しい怪我や病気も起こるからそういうのが治せる獣医さんも絶対に必要なんです。
ただ、自分はペットを家族の一員として迎えた時から天国へ行くのを見送るまで
ずーと面倒を見させてもらって、
「先生に言われて色々やったけど、こんなに死ぬまで元気ならそんなにする必要なかったんじゃない?」
なんて冗談言われるぐらい元気な一生を送らせてやれたら最高だなって思ってるんです。
傍から見て難しい事できなくてもいいから。
そんな自分の観点からするとここの飼い主さんの多くはほんとにいい人ばかりで
みんな自分のペットを子供のように大事にしてるし、それによって人柄まで大らかな気がします。
本当にいい人ばかりなんですよ。
だから、みんな拙い英語をしゃべる僕に対しても優しく接してくれますし、
僕が獣医さんの代わりに検診で話を聞いていても嫌な顔せずに話してくれます。
でも、自分は日本語だったらもっとやれるんだよ!
前の研修先で獣医さんが自分に関して凄く評価してくれて
「人間の人柄は学校で教えられるものじゃないから」
って言ってくれたけれど、やっぱりお金を頂くプロフェッショナルとしての獣医が
言語で躓いているのは許されないんじゃないかって。
お金をもらう者が相手に気を使わせてどうするのか。
もしだけれども、自分がここで仕事先を見つけられたとしても
自分で自分がお金をもらって獣医としてやっているのは許せない気がします。
それは何より自分が重視しているのがコミュニケーションで、
その能力がまさに自分に大きく足りていないという事だから。
「自分の努力が足りなかった。」
そう言ってしまえばそうなのかも知れないけれど、
ホントに馬鹿みたいに簡単な単語が聞き取れない事もあるんだよ。
泣き言を言えばそこで成長が止まる気がするから言いたくないけれど、
こんな言葉が違うだけで自分の思い通りにならないのは本当に悔しい。
とりあえず、言葉を抜きにしたら一人前の獣医になれるように頑張ろう。
今はまだ全てが言い訳に過ぎないから。
でも、やっぱり卒業しても自分がここでお金をもらって獣医としてやる事を許せない気がする。
プロフェッショナルとして・・・