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鶺鴒(せきれい・いしたたき)---Ⅲ

2015-10-12 18:15:58 | 北陸写真

   イメージカット



   ※001-東口・夜景


   ※002-


   ※003-加賀てまり


   ※004-再興九谷焼・吉田屋窯


       ▲⇒概略 【吉田屋窯について!】 吉田屋伝右衛門・よしだや でんえもん
         古九谷の制作中止から約100年後、大聖寺の城下町に住む富裕な商人であった彼は、九谷焼、なかでも
         青手古九谷の復活を強く願い、1824年に、自らの財産を投じて古九谷の窯の隣に磁器制作のための窯を
         築きました。その窯は、彼の屋号 (店の名) にちなんで「吉田屋窯」と呼ばれ、古九谷に迫る芸術性と
         品質で、当時の富裕層や知識人から好評を博しました。

          しかし、採算を度外視した品質の追及は吉田屋窯の経営を苦しめ、経営建て直しのために交通の便が
         良い山代地区に窯を移したものの、7年後の1831年には閉鎖に追い込まれました。
          山代の吉田屋窯は閉鎖直後、現場の支配人であった宮本屋宇右衛門みやもとや うえもんへ引き継がれ、
         「宮本屋窯」として再開します。
         
          この窯の初代・須田菁華が、陶芸家・美食家で知られる北大路魯山人に対して陶芸を教えたそうで、
          お店の入口には魯山人が彫った刻字看板が掲げられています。


    ※005-大樋焼


        ▲⇒概略 【大樋焼について!】
          金沢の楽焼。江戸時代初期大樋長左衛門の創始にかかる。茶道具を主に作り,赤黄色のいわゆる飴釉が特色。

          大樋焼は、ロクロを使わない手びねりとヘラで、ひとつひとつ作られます。保温に富み軽くて暖かみがある
          風合いの器は口当たりが柔らかで、お茶に広く利用された事も頷けます。
           京都の楽家から、楽焼きの黒や赤を使うことを禁止され、独自に飴釉という釉薬の効果を利用した独特の
          発色が特徴で、土作りから本焼きまでの、一貫作業で作られています。


     ※006-県立・音楽堂から・・・

         
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