「場外乱闘 裁判員制度メッタ切り」 喧嘩上等 異論反論大歓迎

裁判員制度について言いたい事を言い放つ。また、ネット上で見つけた様々なコメントに勝手に物申す。

「裁判員制度」裁判員に選ばれる事は人生最大の不幸である

2008-06-07 02:32:32 | Weblog

「裁判員に選ばれる事は人生最大の不幸である」

少し過激なタイトルをつけてしまった。
もっとも、犯罪被害にあった人よりも裁判員が不幸とは、ちょっと言いすぎ
かもしれないが・・・。
犯罪被害にあった方には、少し申し訳ない気持ちもある。

しかし私は、あえて裁判員に選ばれる事を最大の不幸と確信している。

私は、司法の現場に、特に犯罪被害にあった方の為に一般の市民感覚を
取り入れる事には賛成である。
犯罪被害者の為に、我々一般市民は、力を貸す事は当然の社会正義である
と思っている。

ただ、現状の裁判員制度の内容では、あまりにも代償が大きすぎるという
問題が最大のネックである。
会社勤めしている人の社会的負担、人を裁く事の精神的負担、守秘義務
による一生の負担・・・。

また、広く一般の人の参加を担保する為の、義務という強制参加。

そもそも、国は国民の事をそんなに信用していないのかという不信感が
どうしても拭えない。
義務にしないと国民は無関心で協力などしてくれないと本気で考えている
のか?

私はむしろ、義務にするからこそ、余計に国民の反発を招いているのでは
と思っている。

そもそも、裁判の仕組みをもっと根本からガラっと大きく変えてしまえば、
義務などにしなくても、いくらでも一般市民が自ら自発的に協力してくれ
るようなやり方など、考えればいくらでもあると考えている。
一般の市民感覚を取り入れる方法など、これまでのやり方に一切とらわれ
なければ、いくらでもその方法はあると考えている。
もっとも、その為には、今までの裁判のやり方をすべて捨てて、まったく
新しい仕組みを作らなければいけないが・・・。

例えば、インターネットを取り入れて、一般市民に都合のいい時に意見
を書き込むなり、メールしてもらうなりするなど…。
証拠などはネットやメディアで公開すればいい。
死体写真などは、どうせイラストにする方向なのだから、メディアで公開
したって問題ないだろう。

国は義務じゃないと国民は協力などしてくれないだろうと思っているかも
しれないし、国民は無関心だと考えているかもしれないが、報道などで、
事件に対して怒りを感じている人や、被害者の事を考えて悲しい思いに
なっている人は沢山いるはずだ。

国が思うほど、国民は無関心ではない。

義務などにしなくても、このようなネットなどを利用したまったく新しい
司法の仕組みを作れば、国民は仕事の合間や、仕事が終えあった後、
休日などに、いくらでも被害者の為に協力する人はいるだろう。

義務などにしなくても、いくらでもやり方はあるという事だ。

人間にとって、自ら進んで、自発的に人の役に立てる事は大きな喜び
である。
人は本来、困った人がいたら助けようとする性質をもっていると思う。
しかし人間は弱いものであり、素直になれなかったり、勇気が出なかっ
たりで、その性質を発揮できない場合もある。

国民の大多数が、裁判員制度に不快感を持っている。
そんな国民を無理やり参加させて、素直に人を助けよう、協力しようと
いう性質をどれだけに人が発揮できるのか?

やり方次第で、国民は素直にも意固地にもなる。

やはり我々国民は、自ら自発的に人を助ける行動をしたい。
それが可能な制度になれば、そういった行動をとる人が、現状の裁判員
制度の内容では、非協力的になってしまうかもしれない。

おそらく大多数の人がそうなると私は考えている。

本来、優しい真面目な性質をもった人達が、その性質を発揮できない事
は不幸という以外ない。
また、それにより、自分を偽った事への後悔の念。
裁判員に選ばれた事により、本来、感じる必要の無いこの不快感を、なぜ
自分が感じなければいけないのか?
これは最大の不幸である。
我々は、自ら自発的に協力したいのだから・・・。