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Unknown
(
とおりすがり
)
2008-04-27 21:29:39
誰かにあなたの娘を強姦・殺人してもらって下さい。
その裁判であなたが「死刑、反対」を主張されれば
あなたの理想に一歩近づくかもしれません。
Unknown
(
山崎元
)
2008-04-27 21:39:54
とおりすがり様
ご指摘はごもっともです。
その点はよしとして、
とおりすがり様は死刑に賛成ですか?
アポリア
(
Zen
)
2008-04-27 21:54:02
死刑に反対です。国家による殺人に反対です。
殺人(あるいは他の重大犯罪)の被害者の応報の気持ちには反対できません。
それを混ぜる議論には反対です。
『死刑』
(
喜八
)
2008-04-27 21:58:47
山崎さん、こんばんは。
森達也さんの近著『死刑』(朝日出版社)の最後のほうに本村さんからの手紙が紹介されています。
これを読むと、マスメディアが創りあげた「虚像」と実際の本村さんは「まったく別の人」と考えたほうがよさそうです。
また、本村さんはマスメディアに対して非常な不信感を抱いています。
彼はけっして「死刑推進」の「旗手」ではないのですね。
非常に誠実な人であり、非常に運の悪かった人です。
ちなみに私のブログでも光市殺人事件を取り上げたことがあります。
正直に言って「嫌だなあ。しかし、発言しないといかんなあ」と思って、エントリをアップしたら見事に「炎上」しました。
「安田弁護士を応援します」
http://kihachin.net/klog/archives/2006/03/yasudabengoshi.html
乾いた死刑廃止論
(
喜八
)
2008-04-27 22:07:34
死刑制度を存続させることは、結局のところ司法組織の決定的な「腐敗」を招くと思います。
そして司法組織が腐敗すれば、国家そのものの正当性が失われるでしょう。
世界の各国が次々と死刑を廃止しているのは、甘っちょろい感傷によるわけではなくて、きわめて冷徹なリアリズムに拠っているのだろうと思います。
死刑制度は国家を崩壊させる、というリアリズムに。
というわけで、私は「乾いた」死刑廃止論者です・・・。
Unknown
(
山崎元
)
2008-04-27 22:15:18
Zenさま
>それを混ぜる議論には反対です。
私も両者を混ぜる議論には反対であり、「下らない」と思うものです。
「たぶん」それで正しいと思うのですが、一方で被害者の感情を重視すべきだという意見もあり得ますし、これが多数を占めた場合でも、死刑を廃止すべきかどうかには「僅かに」自信が持てません。
●
ちなみに、死刑容認の議論で最も手強いと思うのは、以下のような素朴な議論です。
「仮に自分が命に替えても殺したい相手が居る場合、殺しても死刑にならず、生きられる保証があるなら、殺した方が得だ」。こう思う人間がいるかも知れないこと、さらに、ケースによっては、自分自身がそう思わないという保証はないことは、現実的な脅威だ。これは、今後の選択に関する前提条件だから、過去のデータには関係ない。ルールとして、死刑の少なくとも可能性は残すべきだ。
●
結局、議論としては、社会によるルールや強制というものがどのようなものであるべきか、という点が重要なのだろうと思います。
現時点では「人が追加的に殺されないようにすることは社会の役割だが(そのために銃を持った現行犯の殺人犯人を銃殺することは認められる)、新たに人を殺すことは社会の役割ではない」というような原則で物事の辻褄が合わないかと考えているところです。
もっとも、国としてそう考えると、日本は、アメリカの対イラク戦争に賛成できなくなってしまいそうですね(もちろん、私はアメリカの対イラク侵攻に反対でした)。死刑反対には、その辺の覚悟も必要かも知れません。
Unknown
(
みど
)
2008-04-27 22:19:22
どちらの意見が正しいのかわかりませんが
死刑を廃止にしてしまうと
いくら強姦、殺人をやっても絶対に死刑にならない
だからやったという犯罪者が出てきそうで怖いです
そういう意味での犯罪の抑止力にはなってるのかなぁと思います
Unknown
(
今日は反対
)
2008-04-27 22:21:01
死刑は廃止しても良いかもしれませんが、個別の事案で傷ついている人を捕まえて、もしこの人が死刑に反対してくれればなんてよく考えられたものです。弁護団もきっとそのように考えたのでしょうが、今の時期にわざわざブログでこのようなことを書かれた意図がわかりません。リバタリアンの本領発揮ですか?
Unknown
(
山崎元
)
2008-04-27 22:26:45
みど様
確かに、思い刑罰は、しばしば、犯罪や不正に対する追加予算のかからない対策でもあります。たとえば、飲酒運転に対する重罰などは、効果的な対策でしょう。
ただし、これを死刑に適用する場合、死刑廃止論者から出てきそうな反論の一つは、ちょっとうろ覚えで恐縮ですが、「本当にそうでしょうか。死刑を廃止した国の凶悪犯罪が増えたというデータはないのですが」というようなものでしょう。
もちろん、こうした主張に対しても、データの見方(たとえば、凶悪犯罪の発生要因は刑罰だけではないし)や、そもそも、これはデータで決める問題か、とう議論があり得ます。
この問題は難しいですね。
自己矛盾
(
ヒデ
)
2008-04-27 22:35:18
刑罰が重くなれば抑止に繋がるので死刑は
賛成せざるを得ないと思っています。
飲酒運転がいい例ではないでしょうか?
死刑制度を廃止するより犯罪の少ない世の中に
変えていく(景気回復など)政策を期待したいです。
本論からはずれしまいますが。
Unknown
(
賛成論者
)
2008-04-27 22:47:27
基本的に死刑賛成論者です。
だってこの国、無期懲役が無期じゃないんだもん。
死刑が無いほかの国みたいに「懲役300年」とかそういう法制度になれば死刑廃止も有りだとは思います。
若しくは基本的人権の剥奪。とか。
Unknown
(
ああ
)
2008-04-27 22:49:14
裏職安かなにかで集まって犯罪して、殺人犯して、
そのうちの一人が「死刑がこわくて自首しました」と供述。
少なくないので参考までに。>抑止力
くだらない話かもしれませんが
(
いぼんぬ
)
2008-04-27 22:51:36
はじめまして。一応ずっとROMしてました…
終身刑(絶対に娑婆に帰ってこない)って日本でできないのでしょうか?
一生をもって金銭的に罪を償う。
日当をどれくらい?という議論があるのかもしれませんが、感情的には死刑よりはすぅ~っとくるんですよね…
死刑を云々する前に
(
池袋
)
2008-04-27 22:59:56
死刑以外の刑罰が軽すぎるのが問題の根底にあります。
死刑を廃止するかどうか議論する前に、終身刑とは何か罰とは何かをもう一度見直すべきです。
続き
(
池袋
)
2008-04-27 23:06:18
また、刑務所での生活が厳しくはあるものの安定しすぎているのも問題の一つでしょう。
刑務所から出たのに刑務所の生活に戻りたいが為に再犯する者も少なくないのだとか。
果たして刑務所の日々が彼等に刑罰として適当であるのか、非常に疑問を感じます。
そうした意味でも刑罰の厳罰化が行われて初めて、死刑廃止論議に意味があると考えます。
死刑賛成
(
文十郎
)
2008-04-27 23:11:50
殺された人に何の落ち度もなければ
殺した人(事故じゃなくて)は、死刑で当然だと思います。
全く落ち度の無い人間を自分の都合で殺しておきながら「生きたい」と言ったところで「じゃあ、生き返らせたら許してやる」としか言えないと思います。
人を殺した時点で、更正する必要などなく死んで償うしか考えられないのです。
「死刑廃止」という人の考え方が理解出来ません。
Unknown
(
くろねこ
)
2008-04-27 23:14:38
死刑には賛成ですが、その在り様と死刑にするかどうかの判断には、慎重であるべきだと思っています。『「生きたい、生きたい」と言っている人間(犯人)を、社会が寄ってたかって死刑にした』このように捉えられてしまう現状には、問題があると思います。身勝手にも自分は生きたいと主張する快楽殺人の犯人に対し、「あなたは死刑に相当する罪を犯したのだ」と、万人が納得する形で示すことができない。いや、今回は万人は納得してるのですか。社会が死刑にしたのだから。
死刑を廃止して終身刑にするのか無期懲役にするのかは知りませんが、同じことでしょう。「社会復帰したい」という人間(犯人)を、社会がよってたかって塀の向こうに閉じ込めた~なんて反論が出るのではないでしょうかねぇ?
安易に過ぎるのかもしれませぬが
(
いぼんぬ
)
2008-04-27 23:14:45
『刑務所における日々<刑罰自体』
が実現されていないのではないかと。
量ではなく質です…
---
と書いてて、些か厄介な問題に触れてしまった感もある…
コメントありがとうございます
(
山崎元
)
2008-04-27 23:27:03
皆様
短い原稿を一本書いている間に、9本もコメントを頂きました。この問題への関心の高さを感じます(それに較べて、話題としての野村證券の何と人気のないことか!)。
また、皆さんのコメントが何れも真面目で、考えさせる論点を含んだ、且つマナーの良い書き込みであることに感謝します。
ありがとうございます。
Unknown
(
Unknown
)
2008-04-27 23:34:31
山崎さん
いつも拝見させてもらってます。
「生きたい、生きたい」最もこれを思ったのは
本村さんの奥さんでしょう。
それを自分だけの都合で殺した者は同じ目に
会うべきなのではないでしょうか。
もし犯人が出所して本村さんが復讐する、
それを防ぐために社会の罰があると思います。
だから死刑制度には賛成です。
死刑執行人(刑務官?)
(
Dio
)
2008-04-27 23:36:08
死刑廃止に関して深く考えたことはありませんが、丸山健二の「夏の流れ」や大島渚の「絞死刑」を読み観て、人を殺すことが役目である職業が、私たちの社会に存在していて良いのかと、疑問に感じたことがあります。軍人は別として。
死刑と裁判員制度
(
kaz
)
2008-04-28 00:01:06
裁判員制度が始まります。
無期懲役の平均懲役年数は?
殺人事件の立件数/特行方不明者の割合は?
立件された殺人事件のうち死刑になる割合は?
僕も含め、ほとんどの国民があまり知らない状態だと思います。
代理監獄制度、異常に高い有罪率、刑法にかたき討ち志向を求める国民性、煽るマスコミ(取り上げられ方の違いが裁判員の心証形成に差を生む可能性はどうか?)等々、問題は山積しているように思います。
「死刑」自体は民主主義国家である以上、国民感情が是認しているのであれば致し方ないのかもしれません。
しかし、この国の「死刑制度」の元、裁判員として死刑を求刑するのはとても怖いことなのではないでしょうか?
夜分失礼
(
通りすがり
)
2008-04-28 00:11:42
死刑廃止派の方は死刑を廃止することによってどんなメリットがあるか説明していただきたい。先進国は皆死刑廃止に動いてるから……と言う主体性の無い意見や、犯人にも人権が……と言う人権派気取りの自己陶酔な意見でも無く。
冤罪に絡めて説く人もいるが今回のように罪の在りかが明らかな場合は死刑をもって然るべしとの思いは揺らぐ事は無いと思うのだが……
昔は死刑廃止論者でした
(
高橋
)
2008-04-28 00:30:04
死刑を廃止するしないの議論は情報の非対称性を
修正してからするべきだと思っています。
つまり、犯行後の犯人の様子や死刑執行は
伝えられますが、犯行状況は細かくは決して報道されない。
私は、実の兄一家5人を惨殺した犯人への判決文を
読み、犯行状況を述べた箇所では吐きそうになりました。
死刑に値する想像を絶する人間は実在するんだと
確信しました。
「感情」と「制度妥当性」の分離
(
暴君さん(死刑廃止論者)
)
2008-04-28 00:33:08
はじめまして、いつも楽しく見ています(著書も)
本村氏の発言次第によっては死刑廃止の気運が高まることは十分考えられますね、面白い視点です。しかし、それはおそらく「感情」のレベルでの死刑反対となるでしょうね(本村さんがそう言うなら!等)。
山崎さんが「幻のチャンス」というあたりが、どうにも日本では「感情」のレベルでしか、死刑廃止へ移行できそうにないことを示唆していますね。
死刑という「制度の妥当性」と個人的な「感情」を切り離した上での死刑反対(あるいは賛成)というのが、近代社会を生きる我々に必要な態度なんだろうけど、どうにもそこまで成熟した社会にはなりそうにない。
私は早くアメリカのように冤罪死刑者がゴロゴロ出てこないかな~(それによって「感情」レベルであっても死刑廃止になんないかな~)なんて不謹慎なことを考えていたんですが、本村氏の発言で死刑廃止に動いたほうが平和的でいいですね。
あとこのエントリ、下手したら炎上しちゃうかもしれないけど、ブログやめないでくださいねw
Unknown
(
山崎元
)
2008-04-28 00:47:28
通りすがり様
死刑廃止にメリットがあるとすると、追加的に人を殺さずに済むということが最大のものでしょう。たぶん、付随的に、捜査や裁判に誤りがあった場合に、不可逆的なミスを犯さずに済むことです。
私も犯罪者は悪いと思いますし、犯罪を犯さなければ死刑にならないのだから、刑罰は「目には目+α」でいいのではないかと一方で思うのですが、他方で悪い奴を殺してもいいと国家が決めて、これを実行することを是とする根拠に自信が持てません。
一定の原則が確定した宗教のような基準があると簡単なのですが、それがない場合、重罪は死刑でいいという根拠は考えると案外難しい問題です。
死刑肯定論の根拠は何でしょうか?
Unknown
(
とおりすがり
)
2008-04-28 01:17:58
※この記事に一番最初にコメントした(ひらがなの)
「とおりすがり」です(「通りすがり」さんとは別人です)。
山崎様
私は死刑肯定論者です。
>死刑肯定論の根拠は何でしょうか?
個人的な(凡庸な)根拠は下記です。
1 被害者(関係者)の感情回復による社会秩序維持
2 抑止力
1 犯人を自らの手で殺し、その首を霊前に捧げ、全ての決着とすることが禁じられている以上、制度として代行する必要がある。
2 激情的な殺人や人格障害者による殺人以外には
一定の抑止力が存在する。
Unknown
(
とおりすがり
)
2008-04-28 02:47:37
>「生きたい、生きたい」と言っている人間(犯人)を、社会が寄ってたかって死刑にした今回の展開は、正直なところ気持ちのいいものではなかった
失礼ながら山崎様はセキュリティ万全の環境にいて
(自分や家族が)凶悪犯罪に遭遇する可能性を少しも想像できず、被害者に共感できず、現に生きている強姦殺人者の人権だけが気になるのではないかと思われます。
大きな問題なのだろうか?
(
FAY
)
2008-04-28 02:49:00
はじめて投稿します.いつも,このブログとJMMの論説は拝見しております.
本村さんが明晰なのは,9年間考え続けてきたからで,揶揄しては気の毒です.
未成年は死刑にならず,しかも情状酌量されると思って,凶悪犯罪に走る未成年は存在します.この事件の被告もそう考えて犯罪を犯し,さらに本村さんをあざ笑っていたのでしょう.死刑の可能性が出てきてから急に態度を変えたことからも,それが伺えます.だから,死刑の可能性があるということが分かっていたら,この犯罪は起こらなかったかもしれません.
それゆえに,死刑制度は社会の安全にとって有効である可能性のほうが高いと考えています.
ユーラシア大陸における男は皆殺し女は山分けという長い歴史(チベットの現状はその残滓です.),現在の日本の官僚制と民主主義と市場主義のアマルガムにおける自殺者の数,それらと比べれば,死刑制度は国家による殺人であるから反対であるとするような考えは,甘っちょろい些末事に過ぎないと思います.
大きな問題なのだろうか?
(
FAY
)
2008-04-28 02:56:50
はじめて投稿します.いつも,このブログとJMMの論説は拝見しております.
本村さんが明晰なのは,9年間考え続けてきたからで,揶揄しては気の毒です.
未成年は死刑にならず,しかも情状酌量されると思って,凶悪犯罪に走る未成年は存在します.この事件の被告もそう考えて犯罪を犯し,さらに本村さんをあざ笑っていたのでしょう.死刑の可能性が出てきてから急に態度を変えたことからも,それが伺えます.だから,死刑の可能性があるということが分かっていたら,この犯罪は起こらなかったかもしれません.
それゆえに,死刑制度は社会の安全にとって有効である可能性のほうが高いと考えています.
ユーラシア大陸における男は皆殺し女は山分けという長い歴史(チベットの現状はその残滓です.),現在の日本の官僚制と民主主義と市場主義のアマルガムにおける自殺者の数,それらと比べれば,死刑制度は国家による殺人であるから反対であるとするような考えは,甘っちょろい些末事に過ぎないと思います.
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-04-28 03:10:08
この話題は、さすがに?流れが速いですね
私は、もともと目的刑論者ですので、その立場からすると、論理的には「死刑は無用」ということになりますね。危険な性格の持ち主は、社会から隔離しておけばいいのですから、無期懲役で十分ということです。
ただ、応報感情という素朴な正義感?をまったく無視すると、国民の制度に対する信頼が損なわれかねないので、現実的判断としては、当面の間、死刑は必要と思っています。
人として避けるべきはおおむね『○○る会』支持者に学んだ
(
アベルフ・シンドラー
)
2008-04-28 04:39:32
犯人に『死ね』と願い、叫んでいいのは被害者の遺族、ないし相当に近しい人たちだけです。世論とやらが乗っかっていいものではない。
リスク無しに怒り、憎み、罵声を浴びせるのは快楽に他ならず、いい大人が他人の悲惨に乗じて醜くも気持ちよくなるザマは『吐き気を催す、最もどす黒い真の邪悪』について思いを致さずにはいられません。
自分は何もされてないのに『応報』感情が湧き上がって死ねの殺せのと叫んでしまうのは、要するに自他の区別が付いていないということです。想像力とは関係がない。
世論が応報感情という形をとり、司法がそれに迎合せざるをえない、という状況にある民度の高い国には、端的に言って死刑制度を運用する資格ないし能力が無いと考えます。とはいえ、その『民度の高さ』ゆえにこそ死刑制度は必要とされるわけなのですが。
まとめ。
『死刑制度を運用する資格のない国民が、死刑制度を廃止することは出来ない』
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-04-28 07:25:43
このタイミングで、あえてこの記事を書かれた山崎様の勇気と問題意識の高さに、まずは敬意を表します。
こと死刑については、なかなかまともな論議がされないのが、一番問題なのだと思います。
私は制度及び原理の非絶対論者なので、死刑には反対でも賛成でもありません。死刑のある地域・ない地域の両方があっていいと思っています(死刑制度は市町村レベルで有り無しを決めればよいのでは無いでしょうか?)。
ただ制度による密室での死刑には反対です。また、死刑の命令者と執行者が遊離しているのにも反対です。殺人者に対して殺人で報いるのなら、死刑を求めるものが自ら手をくだすべきだと思います。私は個人の人間性について楽観していますので、死刑制度の抑止は、被害者の方の人間味に頼るしか無いと思っています。
Unknown
(
とおりすがり
)
2008-04-28 09:15:01
>リスク無しに怒り、憎み、罵声を浴びせるのは快楽に他ならず、
そうでしょうか?今回の事件や地下鉄サリン事件などで被害者でない多くの人々が犯人に怒り、憎しみ、罵声を浴びせてると思います。それは「快楽」ではなく
「良心」「正義感」からではないでしょうか?
>自分は何もされてないのに『応報』感情が湧き上がって死ねの殺せのと叫んでしまうのは、要するに自他の区別が付いていないということです。想像力とは関係がない。
「自他の区別が付いていない」のではなく「(被害者という)他者に共感できる」からではないでしょうか?
(自分とは直接関係ない)他者に対する共感こそが
社会や法の根底にある気がします。
Unknown
(
りん
)
2008-04-28 12:05:46
アベルフ・シンドラーさんの意見(特に前半)に同意です。
直接会ったことのない、マスメディア越しに見た人間に抱く感情は、怒りであれ、共感であれ、一種の娯楽でしかないと思います。
「これは真実の感情だ」と思ったって、その感情の根拠となる「事実」が少なすぎるのでは話になりません。
(上のほうで喜八さんが、マスメディアを通した本村さんと手紙を通した本村さん像の違いについて書かれているのも、その一例ですね)
加害者と被害者という当事者、それから直接執行ボタンを押す当事者。
どちらの思いも汲み取るには少なすぎる情報の中で、わあわあ言ってる私たちってなんなんだろうと思います。
Unknown
(
CO2
)
2008-04-28 12:28:18
人間は邪悪でありながら善行もできる。
運が良ければ一生、人を殺さずに済むどころか、他人の命を助けることもできるが、運が悪ければ射殺魔どころか効率性の高いハイテクガス室も作りだすだろう。(予算が充分あればですが)
多分、悪行及び善行のどちらも司法制度や民意によって外からコントロールできない。できると思うのは、非常に現代的な幻想だろう。
にも関わらず、統計的には殺人の件数が年とともに低下していること、特に青少年層での殺人件数が減っているのは驚きだ。その原因が究明できれば、有効な施策が作れるでしょう。
Unknown
(
とおりすがり
)
2008-04-28 12:29:40
>直接会ったことのない、マスメディア越しに見た人間に抱く感情は、怒りであれ、共感であれ、一種の娯楽でしかない
りん様、あなたは現在の我々が直接見聞しない、例えば、東京大空襲で死んでいった人々に対する同情も娯楽とお考えなのでしょうか?最近、中国当局に虐殺されたチベットの人々に対する同情も娯楽とお考えなのでしょうか?
娯楽やなかか
(
作業員
)
2008-04-28 12:56:00
東京大空襲より、東京裁判、やろに。笹川や岸は、死刑にされればよかった、と外野のわしは思っている。心のそこから、岸や笹川は死ねばよかった、と思っている。それは、わしの娯楽やろ。ただ、わしは、死刑廃止論者なので、岸も笹川も、草むしり百八日の刑、で勘弁してやる。おお、慈悲って、やつね、ダライ・ラマも、びつくり。想定としては、大体百日ぐらいで、ぽつくり死んでくれると、のちの公費が安くすんでよかろ。どや、娯楽や、なかね。
でまあ、一番悪いのは、池田大○先生だ。池田が一言、死刑廃止、と言えば、死刑は、廃止になる。池田が、真の仏教徒、になればいいだけだ。池田が、仏教を娯楽としか考えていないから、死刑は廃止されない、ダライ・ラマもびつくり。公明党は、政権与党にいたいがためだけに、死刑に賛成している、クソ政党だ。死刑に反対すれば、政権は取れない、だって、民主主義だから。さて、民主党は、どうするかなあ。ハト派の鳩山法務大臣、って日は、くるかね。
Unknown
(
YT
)
2008-04-28 13:55:30
欧米はキリスト教を軸にした個人主義なので、死刑廃止をしても個人の倫理観に不都合は起きないかも知れません。
しかし、日本は「世間」を軸にして社会秩序を保っています。世間が許すことは許されるという発想が秩序の基本です。ですから、今回のような外道の犯罪にたいして、世間が死刑という極刑を用いなくなれば、日本の社会秩序は崩壊するでしょう。
仏教国ではないわけね
(
作業員
)
2008-04-28 14:15:09
みんなみんな、死刑になるかどうか、なんてエッジな日常を生きている世の中、なんてのは、すでに秩序が崩壊しとるでしょう。とりあえず、みなはんは、山本一太が土下座して謝るべき、キムニイと分かれた辺見エミリではなく、ゆで卵も食う人々の死にかけの辺見庸の本を読んでやってください、三日遅れの毎日が出しております。サリン事件に、辺見は立ち会っております。この国の外道リーマンは、死んでいくその同胞の体を、またいで仕事に行った、んですぞ。それが、リーマンの日常であり、仕事。家でハナクソほじくりながら、押売シンボーや塩川ボケジジイの、殺せ殺せ死刑死刑、の大合唱に乗っかるのは、やはり、リーマンの娯楽でしょう。
にしても、赤子・ポイント5人カウント(という考えもある)って、ほんとに知らずに、殺せ殺せって言ってたんだなあ、有名ブロガーで言えば、ミズホファンのきっこさんとかも。押売は、紙面でも、ネットの頭のたらん記者が書いたような記事、載せてた。大衆が裁くなら、死刑ではなく、裁判、をやめれやめれやめてしまえ。
で、国家は特定個人を救済しない、ことはずっと書いてきた。ある被害者(あるいは遺族)が、頼むからその加害者を助けてくれ(と言っている殺人による被害者遺族はすでに複数存在している)、と言っても、国家は知らん顔だ。同様に、頼むから殺してくれ、と言って、殺してくれるものでもない。確かに、国家が考えているのは、秩序、だけだろう。死刑制度存置が(為政者に都合のいい)秩序維持に効くなら、体制は押売そしてシンボーの小僧を使って、殺せ殺せ死刑死刑、の大合唱をあおるだろう。
Unknown
(
りん
)
2008-04-28 14:16:23
> あなたは現在の我々が直接見聞しない、例えば、東京大空襲で死んでいった人々に対する同情も娯楽とお考えなのでしょうか?最近、中国当局に虐殺されたチベットの人々に対する同情も娯楽とお考えなのでしょうか?
そう考えます。当事者の味わう苦しみに比べれば、娯楽でしかないと考えます。
そして、「当事者でもないのに味わうやりきれなさ、怒り」と言う名の娯楽から生まれる、社会に対する有益な働きかけもあるでしょう。
ただ、自分は第三者でしかないんだと自覚していることが大事だと思います。
Unknown
(
Unknown
)
2008-04-28 15:27:27
りんさんが何をおっしゃりたいのかさっぱりわかりません。
自分は第三者であることを自覚することの何が大事なのですか?どんな効用が得られるのでしょう?
「第三者が特定の事件に対してごちゃごちゃ言うな。俺は聞きたくない!死刑反対!」
ってことであれば納得できるのですが。
これからが怖い
(
xtc4241
)
2008-04-28 16:36:26
山崎さん、こんにちは。
ブログねたとして「死刑制度を考えてみる」というのがありました。
そこに書かれていたのは、ほぼ全員が「死刑制度は絶対に必要」でした。
そこで僕は以下のコメントをしました。
>もし、その裁判で死刑になった人が真犯人でなかったら?>もし、それを犯したとき、わけもわからず、しゃにむにやってしまったのだとしたら?
>人間、ネガティブの極致のときは、自分であって自分でないときってない?
>もし、そんなとき、たった10分間だけ、間違いを犯してしまった。そのときのことを思っていますか?
>もちろん、被害者のひとは、その家族のひとが極刑を、というのはわかります。
>ある意味、僕らは冷静になって考えるべきだと思います。
すると、そのひとは
>自分であって自分でないときに「理性で抑えるのが
万物の霊長である人間の人間たる所以だ」である。
だから、それができないのであれば、死刑もしかたない
という答えでした。
こういう風潮が吹き上がる中の裁判員制度。
とても、怖いものを感じました。
Unknown
(
Unknown
)
2008-04-28 16:58:04
人間が人間の命を裁くという行為は神をも恐れぬ行為
かも知れない。しかし、一方で神をも恐れぬ殺人が横行
している。
死刑は、殺人という犯罪と対になっていると感じる。
人が人を殺すという(戦争も含めて)、人間が背負って
いかなければならない十字架として、存在しなければな
らない刑罰であると思う。
死刑肯定の根拠
(
luke
)
2008-04-28 17:58:41
起きてしまった凶悪事件について、もう一人殺しても何も解決しないような気がしています。
死刑肯定論者の皆様は、根拠の一部として
1. 抑止効果
2. 遺族感情
を挙げていらっしゃいますが、
1. は本当に(死刑なら思いとどまるが、無期懲役では思いとどまらないという)抑止効果があれば、という仮定の上での話ですよね。もし効果がない、というデータがあれば、死刑不要ということになりますよね(確認)。
(ところで「死刑になりたかったので殺した」という(最近も実際にあった)犯人についてはどう考えるべきでしょう?)
2.については、遺族感情で罪の重さが決まるなら「身寄りの無い人は殺しても罪が軽い」ということになりますが、そのような社会になって欲しくないものだと思います。
Unknown
(
とおりすがり
)
2008-04-28 18:14:08
死刑廃止論者の多くの方は他者に対する共感に乏しく
(自分が直接見聞しない他人の不幸は「娯楽」でしかない等)「国家が命を奪うのはいけない」という思弁的な論理にほぼ立脚しているように思えます。
そのような方々が幾ら署名を集めたり、ロビー活動を
しても国民の理解は得られず、死刑廃止は実現できないと思います。
とおりすがり様に少し意見を
(
タクヤ
)
2008-04-28 19:03:59
死刑廃止と、死刑制度廃止では意味合いは違います。
>死刑廃止論者の多くの方は他者に対する共感に乏しく
ここは、少し引っかかります。
遺族感情、抑止効果(効果があるかはっきりしていませんが。)
この2点について述べさせていただきます。
まず、遺族感情ですが死刑廃止論者の人も遺族感情を何も考えていない訳では決してありません。遺族の心に負った傷は決して犯人が死刑になったからと言って癒えることはないでしょう。それよりも遺族の人達に我々は、もっと別の方法でサポートや支えていく事が出来るのではないでしょうか。他者によって傷つけられても他者によって助けられる事は、たくさんあるはずです。遺族感情に対するケアをもっと工夫し創造していくことの方が重要じゃないでしょうか?
後、抑止効果です。抑止効果が仮にあったとしましょう。極悪犯人を10000人死刑できたとします。その中に1人だけ、冤罪者がいました。確立は10000分の1です。さて、善良な市民は世間の治安の維持の為に犠牲になってしまいました。多くの人達の利益の為に1人が犠牲になるのは仕方ない事でしょうか?
日本の安全のため、沖縄は我慢しなさい。
はたしてこのような社会が良い社会でしょか?
やはり、少数者の人達(他者)に対する共感を持つ事は大切です。
たくや様にご返信
(
とおりすがり
)
2008-04-28 19:58:26
1 遺族感情
>遺族感情に対するケアをもっと工夫し創造していくことの方が重要じゃないでしょうか?
私も同感です。欧米ではNPO等が遺族感情ケアに
尽力しているらしいですしね。
2 抑止効果
>多くの人達の利益の為に1人が犠牲になるのは仕方ない事でしょうか?日本の安全のため、沖縄は我慢しなさい。はたしてこのような社会が良い社会でしょか?
私もそのような社会が良い社会とは思えません。
しかし、現時点では払わねばならない社会的コスト
という認識です。
3 まとめ?
ハンムラビ法典や江戸時代の仇討ちのように人類は
「殺されたら殺し返す」というルールでやってきました。近代になり「殺し返す」を国家が代行するようになった・・・それが死刑制度の本質だと思います。
人間の制度なので当然に不完全です。たくや様がご
指摘のような遺族感情ケアその他の死刑制度の代替的な社会的な技術・制度が発達するまでは日本では死刑
制度は続く気がします。
内臓を売るのはどうか
(
とおりすがりの公務員
)
2008-04-28 21:06:25
せっかく極悪人を死刑にするのだから、腎臓、心臓、角膜など使えるものは全て売って被害者の遺族などに対する賠償金として使うべきではないかと思う今日この頃。
お邪魔します
(
ブロガー(志望)
)
2008-04-28 23:40:37
お邪魔します。
> この立場から考えると、仮に今回、本村氏が「考え>に考えた結果、私は犯人の死を望まない」とでもメ
>ディアに対して発言していれば、日本の歴史が変わっ>たかも知れないという点が、少し残念だ。
お言葉ですがそういうのは「会社(経営者)が
しっかりしていないから株主の自分が利益を得られな
い」というのと同じではないかと思います(会社(経
営者)に期待できないならその株は手放せば済む
事)。被告の元少年は(犯行当時未成年という事か
ら)未だに顔も実名も出ていませんが(自分は別に知
りたくもないが)、そういった事も含めて本村氏には
「殺した(元)少年の命どころか(あるかも知れな
い)更正に比べれば殺された妻子の命など取るに足ら
ない」と言われ続けてきたような思いがあるのではな
いでしょうか。今の流れになったのもごく最近で、
「変る時には案外無節操に変る」のが日本の特徴です
から、また何時ひっくり返るかもしれないと思ったら
おっしゃられているような事は言う気にはなれないの
ではないのかなと思っています。
それから死刑の重要な目的は「仇討ちの抑止」であ
り、それは「犠牲者遺族の報復感情を満たしてあげ
る」などというものでは無く、「動機が仇討ち等で
あってもあくまで殺人であり、行う者には死刑をも覚
悟してもらう」という事です。軍隊では「敵前逃亡は
死刑」なのは「もしこれが懲役程度なら『命あって
の物種』でやる者を止められない」からですが、同様
に「刑務所に行けば済む」程度では「仇討ち(を含む
恨み目的の殺人)」をしようとする人を止めきれない
のではないかと思います(「そのためなら"本気
で"死ぬ事も辞さない」人間より少なくは無いので
は)。
もし今回被告の元少年が死刑にならず、仮出所後に
本村氏が"本当に"殺害した場合、本村氏にはどう
いった刑罰を課すべきであろうか。
死刑廃止論者の一人です。
(
夏井孝裕
)
2008-04-29 02:00:55
ほとんど論議されないポイントの一つとして、昨今の
「死刑されること自体を主目的とした無差別殺人」の増加の問題を考えるべきではないでしょうか。つまり、自殺の変種としての殺害行為です。
死刑制度が存置される限り、この事態には歯止めがきかないと考えるべきでしょう。兇悪事件の抑止を最優先としたときに終身刑の導入のほうがかえって効果的なのではないでしょうか。
「被害者の遺族の気持ちを考えろ」という情緒的な存置論への個人的な返答としましては、最愛の人物が犯罪の犠牲になったとしても国家権力による殺害を望まない決意をここに表明します。また、私が犠牲者になったとしても同様。犯人の死刑は望みません。
Unknown
(
luke
)
2008-04-29 02:07:10
>死刑廃止論者の多くの方は他者に対する共感に乏しく
>(自分が直接見聞しない他人の不幸は「娯楽」でしかない等)「国家が命を奪うのはいけない」という思弁的な論理にほぼ立脚しているように思えます。
直接見聞きしないと語れないというのでは、殺人について語れる人はほとんどいなくなってしまいますね。ましてや、男性が強姦について語ることもできなくなってしまいます。
>ハンムラビ法典や江戸時代の仇討ちのように人類は
>「殺されたら殺し返す」というルールでやってきました。近代になり「殺し返す」を国家が代行するようになった・・・それが死刑制度の本質だと思います。
幸いなことに、法律関係者の多くはそのような発想(応報刑論)で死刑をとらえていないようです。
国が100%までやるひつようがあるのか?
(
山崎元
)
2008-04-29 02:18:19
とおりすがり様、タクヤさま、皆様
真摯なコメントありがとうございます。
率直・正直・直観的に言うと、人を殺したことに対しては自分が死んで償うしかない、という感覚が、私にもあります。これは、言わば神のような客観的な視点からのバランスの取れた秩序感覚ではないかと思います。
ただし、罪の判断に関して、人間がどの程度完璧であるかについては、大いに疑問があります。
また、仮に犯罪者の罪に対する償いを社会≒国が代行することが正当化されるとしても、必ずしも無謬ではない国が、完全に正しかった場合にのみ正当化される罰則を100%行うことが必要、あるいは適切なのか、という問題があるように思います。
95%か90%か、或いはもっともっと小さいか、人によって判断はちがうでしょうが、社会≒国が100%までやらなくてもいいような気がします。
もっとも、このように考えると、何人かの方が指摘されるように、日本の場合、「無期懲役」が、曖昧で、往々にして実質的に軽すぎる点に大きな不備があるように思えます。
また、一度判決を与えたものに対して、「恩赦」という曖昧な裁量があとから加わることは健全ではないと思います。「恩赦」の大半は、選挙違反のためにあるのでしょうし、「無期懲役」を本当に無限の無期にして、あの下らない「恩赦」を止めたなら、死刑が無くとも、かなりの抑止力はあるように思います。
Unknown
(
田舎者
)
2008-04-29 02:37:07
私の場合自分の手でしっかりぐちゃぐちゃになるまで殺したいですね。
司法の仕事にされると困りますね。身内の事は国任せにはできません。
Unknown
(
田舎者
)
2008-04-29 02:43:48
同じくらいの妻子がいるもので・・まとめて削除してください。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-04-29 08:46:27
歴史的に司法制度が確立していった過程の中には、殺人の抑止と共に、血の応酬即ち復讐の連鎖を食い止めようとする観点があったはずだと思います。
現代は、あらゆるものを制度の中組み込もうとする誘惑が強い時代ですが、おそらく人の生に突然現れてくる不幸と不条理を公的な制度で「ケア」することには限界があると思います。公に「ケア」することが個人から生きる意義を奪ってしまう臨界点がなぜか必ず存在するからです。辛いことですが、司法制度に万能のビックパパを求めず、歴史的な知恵の集積ではあるが、限りあるサービスとしてそれと付き合っていく他は無いと思います。
どくろ杯を
(
作業員
)
2008-04-29 11:02:33
永山則夫と中上健次とビートたけしは、人生の途上で奇妙な交錯を見せている同時代人である。永山が中上中上がたけちゃんたけちゃんが永山・・・。どう置換されようが、この三者が傑物であることは、間違いない。無知の涙、から死刑廃止を考え始めたとして、すっかり時間が経ったわけだし、大真面目だったわけではないし、誰かのマタは開いたかもしれんが悟りを開いたわけでもないし。結局、わしは死刑廃止論者のままだし、早晩、十年後か百年後か知らんが、死刑制度は廃止される。人の命は重たいが、死刑制度などは、その程度のものだ。
死刑だけをどうしても存置したいのであれば、殺人を終身刑にして、強姦を死刑にすればよい。殺人だけが、罪ではなかろうし、強姦は殺人以上に残虐だ、という考えを論破することができるならしてみろ、と思う。殺人の被害者には、男女、どちらも当たり前になってしまうだろうが、強姦の被害者の多くは女性だろう。女性を守ればいいでないか。強姦は死刑、少女を強姦した場合は、公開処刑、変態兵隊アメコーの処刑に、みんなで弁当もってでかけていけばええではないか。大陸で、日本人はそうやってきた。チャンコロが殺されるというので、弁当をもって見物に行ってきた。
被害者による報復を、国は代行しない。敗戦時、アメリカ人の3割を超える人々、アジア人の多く、は、天皇様のタマとったれ! と叫んでいた。山崎◎◎を撃て!と叫んだ神戸の変なおじさんもいる。応報というなら、国家など持ち出しても無意味だ。国は、特定個人を救済しない。北九州で餓死したオニギリ男の復讐権を代行する物好きな人は、いない。せめて、小泉や竹中や真壁をいじりたおしてやることぐらいしか、わしにはでけない。
店主の田舎に逃げていった旅好きの女が、金子の読み方を教えろというので、とりあえず、どくろ杯を読み直した。ケツで漫画を読む麻生ポン太郎や、ケツで小説を読むアタッタクチャーンス児玉清でなければ、この本から引く一節は、ここしかなかろう、解説で中野孝次も、やっぱり取り上げている。
「必死に浮びあがろうとするものの努力に手を貸す行為は花々しいが、泥沼の底に眼を閉じて沈んでゆくものに同感するのは、おなじ素姓のものか、おなじ経験を味わったもの以外にはありえない」
この文章には後半があり、その最後は、「地獄とはそのまま、天国のことなのだ。」と閉じられている。犯罪者の魂も、犯罪被害者の魂も、ともに救済されねばならない。ただ、誰かに、救済でけるわけでは、ない。地獄を生きるとは、そういうこっちゃね。どくろ杯の金子は76歳、詩人。死刑囚永山が76まで生きても、よかったのではないかと思っている。ちなみに、文庫どくろ杯のシメはこうだ。
「こんな人間には、誰もかかりあわないことだ。避けることだ。」
Unknown
(
まひわり
)
2008-04-29 12:00:36
>国が100%までやるひつようがあるのか?
「小さな国家」「夜警国家」で最後に国家が担う刑罰が死刑になるでしょう。
賠償金で片が付くような案件は金でつければいいのですが、そうはいかない最後の部分。それが死刑でしょうね。
天網恢恢疎にして漏らさず、で民心の安寧と秩序の維持をもとめる場合、「悪い人は最後には裁かれるんだよ」を実現するための社会システムの実在を皆に示す必要がある。
そして下される刑罰は過半数が納得しないといけない。「全員が納得」ではないですよ。
なので、死刑廃止論者が大多数で無い場合は死刑は必要です。過半数を占めるなら廃止してもいいでしょう。
民主主義なら、それはベストではないけど、ベターではないですかね。
Unknown
(
今井
)
2008-04-29 12:52:27
はじめまして(じゃないかもしれないけど...)
私は基本的に「死刑?どうでもいいんじゃない?」派なんですが、ときおり「死刑になりたくて殺人を犯した」という記事をみる(最近は脱走した自衛官がそのように言っていましたし、古くは池田小?事件もそんな話でした)と「こういうのを抑止するためだけに死刑を廃止してもいいんじゃない?」という気もします。
戦後「死刑になりたくて」殺人を犯した人間の被害者と、「死刑になった」加害者の数ってどっちが多いんでしょうね?
#途中までコメントを読んでいたんですが、後半は読んでおりません。似た意見がありましたらご容赦_(o)_
抑止効果と損得勘定
(
くまさん
)
2008-04-29 13:50:45
アベルフ・シンドラーさんの指摘には考えさせられました。木村さんは実名でそれによるリスクも背負って死刑を唱えました。テレビのこちら側の我々は何のリスクも負わずに騒いでいるだけです。我々は、ビールを片手にナイターやら格闘技やらのテレビ中継をみながら、監督や選手に対して偉そうに論評しているお父さんと、本質的には同じではないでしょうか。
それはそうと、抑止効果というのが気になります。人間は本質的に死ぬのがいやなので、死刑には根源的な抑止効果があると思います。それでは、それ以外の刑罰には抑止効果が無いのでしょうか?たとえば、無期懲役。抑止効果がアルかどうかは正直言ってわかりません。少なくとも殺されはしないでしょうが、「生き地獄」という言葉がありますが、そのぐらいつらいものかもしれません。逆に、いわゆるワーキングプアーの方がつらい生活かもしれません。要するに、死刑以外の刑罰がどれぐらい大変か実感できないので、本人の想像力次第では抑止になったりならなかったりするのではないかと思いました。もっとも、死の感覚が麻痺している人にとっては死刑すら抑止にならないかもしれませんが…
そもそも、このように犯罪行為と刑罰の間で損得勘定している時点でダメな気がします。本来、どんな理由があろうとも、犯罪はやってはならないもののはずです。損得では無いはずです。だからこそ、昔の人は現世で悪事を働くと、地獄に落とされて釜ゆでにされる、等々の非科学的な理由付けを行ったのかもしれません。地獄のつらさは想像できませんから。
Unknown
(
田吾作
)
2008-04-29 15:08:14
死刑制度を廃止した国からは、犯罪人引渡条約の締結を拒否されることが多い、ということも死刑制度廃止の根拠となると思います。
要するに、野蛮な国と看做されているということです。
あと、身内が殺された時を考えてみろ、と死刑廃止論者にいう方々が世間には多いですが、
「自分の妻(夫)に殺人の容疑がかかっていて、自分は妻(夫)のアリバイを証言できるが、近親者であるため証拠採用されない」
という状況に自分が置かれた場合を考えてみると、正直心が揺らぎます(私は死刑存置論者ではあるのですが…)
被害者が死刑を執行すべき?
(
Unknown
)
2008-04-29 17:29:18
国が死刑を執行するのは野蛮だとか、犯人が真犯人でなかったら?ということで死刑制度廃止を言っている人に提案。
被害者が自分の手で犯人を殺しても、死刑にならない様に死刑を廃止したらどうでしょうか?
殺した相手が真犯人でなくとも、その場の被害者の過失を立証できれば傷害致死、真犯人であれば無罪。
これでみんな納得!しないでしょうね。
私も嫁さんと娘がいますので、今回と同じ事件の被害者になったら本村さんのように冷静に対処できないと思います。絶対この手で殺すという感情は一生消えないと思います。実行しないで一生生きていけるか?という自信もありません。
被害者感情で言うと私的なこんな結論になります。
私は法学部卒です。法律は現在の社会から見て20年遅れだとゼミの先生に教えられてきました。
最先端は現在の社会、その10年遅れて政治、その更に10年遅れて来たところに法律が出来ていると。
なので、法律は曖昧にしか条文が制定できないのだと教えてくれた○教授の授業を思い出されます。
死刑復活は動きはないの?
(
けんめ
)
2008-04-29 22:47:11
このテーマには全然詳しくないのでどなたかご存知でしたら教えて下さい。素朴な疑問なのですが,死刑を廃止している国もしくは州で,やはり死刑(制度)を復活すべきだ,という世論なり運動が(ある程度の規模を持って)起こっている国とか州は世界(の先進国の)中では存在しないのでしょうか。あっても不思議でない気がするのですが。(個人的には終身刑を設けたうえで,死刑は存続すべきと考えています)。
少年であることは罪か
(
作業員
)
2008-04-30 13:53:47
洒落にならない話なので、少し勉強してから書こうかと具具ってみたら、出てきた具が、愚にもつかない宮崎のてっちゃんのコラムだった。というと、「中国様に頼んで金ドンを暗殺してもらいましょう!」とテレビで呼びかける自称仏教徒のフランス文庫マニアの宮崎ファンにおこらりるが、知ったこっちゃない。著作権が面倒なので、又聞き、の形でわしのコラムにしてしまう。
自称仏教徒のてっちゃん言うには、慶大駒村センセの論考は、すんばらしいそうだ。駒村センセは、「自然権のなかに報復権が含まれ得ることを認める」らしく、「国家の野郎が、その報復権を個人から奪いやがった」、からして、「国は、個人の報復権の代理履行義務を負った」んだとよ。で、「死刑は、国家が個人の報復権を(本人になりかわり)適正かつ安全に代行する制度」だそうだ。ほんでから、てっちゃんは、駒村センセに論示されて、死刑の存廃を問う議論が進化ばするとよかね、とかノンキに言っているわけだ。ノンケかどうかは、知らん。まあ、代理報復論もわからんでもないんだが、仏教徒を代表するような犬面でテレビに出るなら、朝から晩まで、「仏教徒に死刑は執行でけましぇーん。報復など、犬面の仏教徒には、絶対にできまっしぇーん」、と、それこそ念仏百万遍よろしく、唱えとけっちゅう、話や、犬面のてっちゃん。この話は、以上終わり。
さて、個別の「ケース」について、顔が何に似ているかまで持ち出して語る店主ほどには、下品ではないわしではあるが、しょせん外野だから適当に話を追加しとこ。まず、死刑存廃の議論、ではない、のよ、このケースは。このケースは、あくまで、「基準、の変更の理由はなにか・基準、を変更してよいか」、の問題であり、少年とはなにか、の問題なのであるので、その文脈で、各自、どこかのタコ社長をみならって、内観されるとよろしかろう、と思う。
ひとつ、大事なことは。三審制をとっているといっても、裁判官というのは、個別独立した一裁判官(権力者)として判決を下している、ということね。下級、上級は、最終的判断に至る過程であって、裁判官は、あくまで裁判官、なわけ。一審、二審、無期。この判断は、最大限、尊重されなければならないのよ。裁判官は、法律と判例に照らして、無期、の判断を下しているわけ。大衆のリンチではないの、反人権派が大嫌いなアカには絶対になれない「裁判官」の判断、なわけよ。ノンキに死刑廃止を唱え続けるわしや、なじぇか銀ちゃんの連れ森達也ではなく、過去に死刑を言い渡してきた、裁判官さま、が死刑を回避しとるわけ。永山ケースにおいても、実は、ここに問題があったわけ。無期から死刑、と言う判断は、過去にないもの、だったわけや。死刑から無期、なんとなく、こちらの方が座りがいい、という感覚は、ないかね、みなはんには。
まず、判例を軽視して、基準を変えてしまう、ことの問題。新しい基準は、本当に、妥当な基準か。それから、その基準が変わるプロセスは、本当に妥当なもの、であったのか。ことは、死刑。鬼畜と罵られても、弁護なり主張なりを続ける、他称人権派の言うことも、ちったあ聞いてやれ、とわしは思う。どっかの国の、アホ空幕長みてーに、裁判官さまの判断だと? そんなのカンケーネー、などと宣っていてはやね、やっぱし、「死刑も廃止、軍備も廃止」、した方がええ話になるわけや。死刑を存置したいなら、それはそれでそれなりの仁義がいるのでありました。カンケーネー話では、ありまへん。
Unknown
(
CO2
)
2008-04-30 15:08:40
>作業員様
なるほど、目からうろこでした。
非力ながら要約させていただきますと、「今回の判決は、理性のタガがぶっ飛んでるじゃん!」ということですね。
おそらく理性は20世紀中葉頃に迷子になってどっかに行ってしまったのですよ・・・。
結論で失礼。
(
作業員
)
2008-04-30 15:20:44
結論を言うと、18歳で成人、にすればいいだけです。大衆迎合が裁判の潮流であるのであれば、18になってしまったかわいそうな、子供、は全て死刑にするしかないでしょう。そのかわり、18になっていない、子供、は、絶対に死刑にしない。おそらく、これしかないでしょう。少年法の精神だけは、踏みにじれないのではないでしょうかね、仏教徒以外の人であっても。もちろん、死刑廃止をわしは唱え続けます。現行制度とわしの趣味は、かんけーありまへん。目下の制度上、死刑が執行されること自体は、どーしょーもないことです。でけるのは、デュープロセスの監視と、人の命より蝶々の方が好きなタカ派の腐れ鳩山などを、執行官、にしないということぐらいでしょう。
いろいろと考えさせられました。
(
udon
)
2008-04-30 15:27:07
死刑囚や無期懲役の方と文通をしたりしています。彼らから来る手紙を読んで感じることは、どうして、こんな真面目な人があんな酷いことをしてしまったのか?という疑問です。人間の中には、鬼が住んでいて、どんな人でも、恐ろしい間違いを犯す危険があると感じずにはいられません。
死刑推進論者の方の意見を聞いていて、感じるのは、「自分や身内が加害者になる可能性」を全く考えていないことです。良く、身内が強姦されたり殺されたら…と言いますが、逆に、身内が犯罪を犯したとき、死刑を願うでしょうか?犯罪を犯した人たちは、自分とは全く種類の違う人間だ、という視点は危険だと思っています。
私自身の中では、正直言って、結論はでていません。刑務所の様子を聞いていて、この場所が本当に更正に役立つようなところなのか?疑問に感じることもあるからです。寝食に困らない、それなりの娯楽も許されている…社会と切り離された孤独という苦痛はあるにしても、死刑囚と無期懲役の差は歴然としています。
本当に、難しいです。私の中では結論はでないです。ただ、言えることは、人間の命を選別したり、軽視するような国家は、いずれ、私たち自身の命を選別したり、軽視したりすることになるということです。死刑積極論者は今の国家に対して、絶大な信頼を置いているんでしょうね…
最低限必要な資料 投下
(
作業員
)
2008-04-30 16:52:57
少年法(死刑と無期刑の緩和)
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
犯行時少年 18歳と1ヶ月
以上。
問題提起2つ
(
Unknown
)
2008-04-30 17:19:46
問題提起1.
死刑が量刑の問題とするなら
多額の公金横領等の経済犯罪にも
積極的に死刑を適用してみては
いかがでしょうか?
労働者は自分の時間(=人生=命)を
交換して金銭を得、
税金を納めているわけですから。
問題提起2.
人生には不条理を受け入れなければ
ならない状況が出てくる場合があります。
犯罪被害。自然災害。事故。
誤審による死刑判決の可能性など
そもそも時間を割いて議論すべき
問題でしょうか?
人生の中の他の不条理に比べれば。
た、多様化の時代に
(
mistral
)
2008-04-30 19:50:26
「死刑になりたいから悪いことする」人は、やはり死刑になって本望なの、でしょうか。保守系の雑誌かなんかで読みましたが、「中●人にとって、ニホンの刑務所は、快適でお金も貯まる天国。拷問もないし自国の刑務所とは天と地の差。悪さするならニッポンで、となる」というようなお話もありました。
国民の応報感情を国家が管理している以上、しっかり応報していただきたいものです。
国民の嗜好も多様化しております。刑罰も加害者の視点にたって、カスタマイズしてはいかがでしょう。毛虫がキライな人には毛虫を、饅頭こわい人には饅頭を、納豆が苦手な関西人には納豆を。死刑にしてほしい、注目してほしい人は鳥●県か島●県あたりでひっそりと地味~な農作業など。
どういう刑罰がいいか、裁判員のみんなで考えると、ちょっとは「やってもいいかも」という人が増えるかもしれません。
また、J●西ニホンの幹部の方などには、コ●労いぢめで培ったノウハウを提供いただくなど、民間の叡智を活用すべきです。梅の木の植え替えで駅舎の周辺をぐるぐる、なんて、結構使えそうです。作業員さんも大好きな奥●さんとか、更なる活躍が期待できそうです。
作業員さんなら、どんな刑罰がいいでしょう?刑の名前は「しょぼーん地獄」と決めてありますが。
業務連絡:作業員さん、作業員さんの文学論に触発されて、折口信夫読み始めました。
死刑制度存続が必要と思う
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-04-30 21:12:18
自分以外の他の人の基本的人権を侵す行為はしてはならず、同時に自分が享受できる基本的人権を他の人にも享受の道を確保する(少なくとも妨げない)ことが人として守るべき最低限のことでありましょう。
この社会のことわり(理)とか法理を破る行為のうち、とりわけ人殺しを犯した者に対しての死刑は社会のシステムとしてビルトインしておくべきと思います。
殺人者が更正する段取りを用意するために殺された人が存在したわけではないこと、極刑が抑止機能も果すだろうこと、被害関係者の私的復讐を禁じること、基本にあるものは、以上の3点ではないのでしょうか。 殺人者が処刑されても被害者が蘇り苦しみから解放されないのと同様に仮に殺人者が更正したとしても償いが出来るわけでもない。
真性殺人者に対して基本的人権のうち生存権を除き法律上の縛り(保護)として、「疑わしきは被告人の有利に」と「残虐・過剰な科刑の禁止」及び「適法な裁判の確保」があればこれで充分と思うわけです。
光市の事件も然り、福岡の飲酒運転による子供殺害や子供を橋から川に投げ落とした殺害、保険金目当ての殺害を犯した者達に対して、人から奪った生命権を守る必要性を納得的には考えられない。
死刑執行者官は社会使命のある職業上のことでありお願いするしかない。 殺人犯を逮捕拘留訴追する職業にも敬意を払いまた同時に職業上の虚偽は許さない、真剣真摯な仕事を切にお願いする(しかない)。
ひとごと・他人の不幸の傍観でもなんでもない、自分にも直接関係する人間社会の守るべきルールの最低限の一つではなかろうか、とそう考えるのであります。
冤罪は避けねばならない、しかし人間することゆえに間違いもあるかも知れない、それだからと言って真殺人犯の生命まで守る必要は上述の理から無いと理解しておりこれで納得出来るのです。
udon様へ
(
レイスト
)
2008-04-30 23:06:28
>死刑推進論者の方の意見を聞いていて、感じるのは、「自分や身内が加害者になる可能性」を全く考えていないことです。良く、身内が強姦されたり殺されたら…と言いますが、逆に、身内が犯罪を犯したとき、死刑を願うでしょうか?
私は何人も法によって公平に裁かれるべきだと思います。仮に私が強姦殺人に匹敵する凶悪犯罪を起こす時は死刑覚悟で実行します。身内が凶悪犯罪を起こしたら死刑を望みます。凶悪犯罪者は生きるに値しません。
>死刑積極論者は今の国家に対して、絶大な信頼を置いているんでしょうね…
私は死刑支持者ですが、国家はダメなものだと思っています。人間が不完全な存在である以上、国家も不完全です。死刑に代替的な社会的制度・技術が発展するまでは不完全な国家による不完全な死刑もやむなしと考えています。
追加です
(
ブロガー(志望)
)
2008-04-30 23:10:38
>ほとんど論議されないポイントの一つとして、昨今の
>「死刑されること自体を主目的とした無差別殺人」の
>増加の問題を考えるべきではないでしょうか。つま
>り、自殺の変種としての殺害行為です。
それ以前に「自爆テロ」というのがあります。そう
いったものに対しては「そいつを殺してでもそれを阻
止する」しかないでしょう。それはもはや「既に
行った行為のみを対象とする」刑罰のカテゴリではあ
りません(殺人"未遂"や凶器準備集合罪で死刑はない
でしょうから)。それはロンドン同時爆破テロの後に
無実のブラジル人青年が射殺されたような「誤審によ
る死刑」とは違う形で「罪なくして殺される可能性を
はらんだものです。それとどこかのブログで「もし死
刑が廃止されたなら、受刑者は脱獄の際に刑務官を殺
害する事をためらわなくなるのでは」というのを見た
記憶があります(生きていれば再び脱獄のチャンスは
あるし、もし終身刑の囚人ならそれより重くもなりよ
うがない?)。
かつての中国では汚職は死刑どころか「疑われただ
けで自決強要」でしたが、それでも官僚機構の肥大化
や腐敗堕落を止めるには充分ではありませんでした。
それは「(平和裏の)政権交代が無い」「行政府の予
算と知事個人の財布との区別が無かった」という"制度
欠陥"に基づくものではなかったかと思っています(知
事を何年か務めれば一財産築けたのだから汚職が蔓延
したのもある意味当然?)。又江戸時代鬼平こと火盗
改の長谷川平蔵は人が犯罪に走る動機として「食べら
れない(飢えて死ぬか死刑で死ぬか?)」事が大きい
事を理解していたので、「(ボランティアではなく政
策としてはおそらく世界初の)犯罪者の更正教育施
設」の人足寄場(だっけ?)を作りました。尤も上司の
老中松平定信が「犯罪者は懲らしめねばしめしがつか
ない」という考えから一歩も出なかったので運営費用
の捻出には相当苦労したようですが。ですから死刑を
廃止するには「死刑によらない解決法」「死刑を必要
としない仕組み」といったものが必要で、そういった
ものは「死刑を廃止せよ」と言う側が提示する必要が
ありますし(刑事裁判では検察に立証責任があるよう
に)、もし「終身刑の導入」を考えているのならそれ
への批判も受ける必要があります(ドイツでは死刑に
代えて終身刑を導入したが、「生きながらの埋葬」と
いった批判を浴びてそれも無くなり、結果いかな
る凶悪犯罪をしようともいずれは社会に帰ってくるよ
うになった。又日本の法務省は「その受刑者の面倒を
見るのは結局自分達」とペットを飼いたいとせがむ子
供に対する母親のような態度のように思える)。しか
し死刑廃止論の多くは「死刑は残虐で非人道的だから
止めろ」というのに留まっているようなので「被告が
やった事とどちらが残虐で非人道的か」で議論が止
まってしまい、挙句の果ては「死刑を存続しようとい
う人間は人命や人権の大切さを理解しない(できな
い)人間だ」「殺人犯では無くその死刑を望む犠牲者
遺族こそが真に冷酷残忍な人間だ」と言う人間すら出
る始末なのではないでしょうか。
>また、一度判決を与えたものに対して、「恩赦」とい
>う曖昧な裁量があとから加わることは健全ではないと
>思います。
自分は「法務大臣による死刑の"握り潰し"」
「『正常な人間なら犯罪など行わないはずであ
る。であるから犯罪を行った人間は正常ではありえな
い』と言わんばかりの責任能力論」も止めて欲しいと
思っています。前者は自分には「行政権による司法権
の蹂躙」としか思えませんし、国家権力が法によらず
("良心"だろうが)個人の思惑で動く事の方がよほど
恐ろしいと思います。法務大臣が代わればどうなるか
分かりませんし。であるから今の法務大臣のおかげで
死刑廃止は「刑法改正による死刑廃止の実現」という
"真っ当な"道に戻れたのかなと思います。後者に関し
て言えば岡山駅で人を突き落として殺した少年が「発
達障害であった(らしい)」と言われていますが、た
とえそれで刑罰を減免されても「人を殺した」事実は
消えないしその少年が一生背負わなくてはいけない事
には変りません。ですから罪を犯した後で「実は」と
言うのでは無く、罪を犯さずに済むようにすべきでは
ないかと思ったりもします。それと少し前横綱朝青龍
に関し様々な診断結果が出た事を考えると、ああ
いった診断がどこまで正しいのかなとも思いますし
(それまで経験した事の無いプレッシャーにさすが
の朝青龍も多少は凹んだか?)。
Unknown
(
夏井孝裕
)
2008-05-01 01:04:56
(ブロガー(志望)さん、ちょっと待って下さい。
私の意見への反論の形で自説が展開されていますが何やら無茶苦茶な方向に進んではいないでしょうか。
凶悪犯罪の抑止のために死刑存置は本当にプラスか? という問題提起を私はしているのですが。
>>ほとんど論議されないポイントの一つとして、昨今の
>>「死刑されること自体を主目的とした無差別殺人」の
>>増加の問題を考えるべきではないでしょうか。つま
>>り、自殺の変種としての殺害行為です。
> それ以前に「自爆テロ」というのがあります。そう
>いったものに対しては「そいつを殺してでもそれを阻
>止する」しかないでしょう。
自爆テロをしそうな「そいつ」をどう特定し、殺害するのでしょうか?
"24"みたいな話ですね。
重大事件を起こした犯人が
「長い刑務所暮らしをするくらいなら死刑になってやる!」
と犯行を重ねるような事態を私は憂慮しています。
私見
(
床屋政談
)
2008-05-01 02:14:12
皆さま
私は、死刑は存置しておくべきだと考える者です。
大前提として、誰から見ても残虐にも故意に殺した人間には、社会の手続きを経て死をもって報いる制度を存置しておくべきだと思います。
その上で、
1:終身刑を設けることは選択肢が増えてよい。が、
それをもって、死刑が不要、とはならない。
(社会感情的には、冤罪の疑いや情状酌量への「選択肢」ができるわけで、逆に死刑が存置しやすくなるとも言える)
2:遺族=被害者ではない。臓器提供のように、事前に意思確認をしておくほうがベターだが、それでも殺され方によっては「考えが変わる」ことはありうる。
遺族と生前意思の両方が考慮されてよい。
(三審で毎回、本人と遺族の意思を確認して「死刑」とすべきである)
3:2、そして、遺族に対する物心両面でのケアがなされても(充実するべきである)、なお「死刑にしてほしい」のなら、国家が静かに代行してもよいのではないか。(個人的には仇討ちの選択肢も認めたいが)
4:「死刑存置抜きの終身刑」は、死刑にしたい遺族に「(国家が)あきらめろ」と強制する制度である。ずっと被害者を喪った気持ちの区切りがつかない状態を、無期にわたって強制する(犯人の暮らしを税金で保障した上で!)、まさに想像を絶する、このうえなく残酷な制度となる。
5:どんな行為にも絶対はない。が、犯人が殺したことに疑いのない事件ならば、そして故人の生前の意思と遺族の意志が、万感を含んで(誰だって人を殺す決断や動作はしたくない)それでも「死刑」としたいのであれば、殺人を抑止できなかった国家や社会に、何が言えるのだろう。
(「犯人」の貧困や病気や家庭環境への福祉の充実を国家や社会は努力すべきだ、しかし、それと死刑の存廃は、レベルが違う、また議論が別だと思われる)
死刑か無罪か
(
くまさん
)
2008-05-01 10:06:08
事実認定ひとつで死刑になったり無罪になったりという事件がたまにあります。ここで注意しなければならないのは「えん罪」の可能性です。日本は起訴されるとほぼ有罪になるという異常な国であり、無実の人間を死刑にしてしまうリスクは他国より大きいと言えるでしょう。殺してしまえば「死人に口なし」であり、真実は永遠に闇の中です。つまり、死刑の是非を問う以前に、えん罪を防ぐための方策こそ必要であり、この問題を棚上げにして死刑の議論をすることはナンセンスです。税金の無駄遣いを無くす議論を無視して増税ばかり唱える政府と同じです。
検察と裁判官の人事交流や、取り調べの録画出来ないこと等、現状の司法の問題点がいろいろと指摘されていますが、この問題に対して政府はあまりにも及び腰です。死刑の是非というのは、既出の議論のとおり非常に難しい問題ですが、現在の日本はそれ以前の状態であると言えるでしょう。
死刑はすでに廃止されている
(
作業員
)
2008-05-01 13:18:23
少年は、死刑にはならないわけです。テレビ芸者どもが、厳罰に処せられないからガキが調子に乗って凶悪犯罪ばかりしやがる、とよく言いますが、毎日、人殺しなど、しとらんでしょう、若い衆は。凶悪事件の数も減っています。若い衆の倫理は、死刑などなくても十分にまっとうなる機能をみせています。だめなのは、(子殺しばかりの)大人ではないですか。人殺しの多くは、大人でしょう。死刑は、抑止力になっていますか? 大人が答えるべきでしょう。死刑がなくても殺人など起こらない世界を、やっとこさ慈悲深きわしら仏教徒が構築したところで、死刑制度が存在したままであれば、「ユートピアは、死刑制度があるから成立したものだ」、という詭弁が残ります。諸外国のように、とにかく、一度やめてみればいい、のであります。
宮崎のてっちゃんのような偽装仏教徒ではなく、ダライ・ラマ氏クラスの大人が多数存在していて、絶対に人を殺すな、戦争も死刑も自死も、絶対に人を殺すな、と幼少期から子供たちを洗脳して、それでもなお、子供たちが人を殺めてしまったら、それは、しかたないことですね、人間の育て方を間違えました、育てたのは、鬼畜でしょう(だからといって、死刑、にしろとは言いませんが)。
本ケース犯罪被害者ご遺族がたどりついたところも、結局、そこ、でしょう。社会を、犯罪者のいない、社会を、死刑囚のいない、社会を、死刑の必要ない社会を! 当事者は、心情を吐露されればよろしい、死刑を叫んで当然でしょう。しかしながら、当事者でない者(わし、ということでええが)は、ただひたすら、殺すな、と叫ぶしかないでしょう。
水はなんでも知っているそうです。殺せ、という言葉と、殺すな、という言葉で、どっちがきれいな結晶になるのか、誰か、実験してきてください。それから、スピリチュアルメタボ江原が、死刑に賛成しているのか、反対しているのか、誰か聞いてきてください。霊に復讐がでけるのであれば、復讐権を国が代行する必要は、ありまへん。
関係があるような関係がないような話をすると。水谷修は、最近、生き仏のようになってきていて、気色わるいほどです。水谷先生は、強姦されてできてしまった子供を、殺すな! と言っています。俺がなんとかするから、生んでくれ!、と言っています。殺せ、もいいでしょう、堕ろせ、もいいでしょう。しかし、小説家丸山健二なら、殺人鬼となった少年にも、「よくぞ生まれし!」と叫ぶでしょうし、夜回り水谷修なら、「いーんだよ、過去のことは!」と叫ぶでしょう。店主のように酔っぱらって、いーんだよ、グリーンダヨ、とか叫びながら、リーマンが娯楽で語る話ではないことだけは、事実でんな、死刑ってやつは。
>折口信夫読み始めました
わしは、女子穴とアナルと菊が好きなだけで、モーホーではないぞ。折口の句の境地には足らんが、わしの句でもどうぞ。
蒸し風呂アナルキストのなれの果て 作業員
失業ふぐり渡る風の冷たさ 作業員
経済学的に考えたら
(
愛彦
)
2008-05-01 13:59:13
経済学的に考えたら、凶悪殺人者の【更生】って、わけわかりません。
【更生】
ってなんですか?
誰が望んでいるんですか?
死刑廃止論者の政治家は、凶悪殺人者が仮に数年後仮出所したら、秘書としてでも雇ってくれるのでしょうか?更生の一助として。
経団連なら雇ってくれます
(
作業員
)
2008-05-01 14:09:38
経済学的に考えれば、更正、について、過去の行為が凶悪かどうかを鑑みる必要はないでしょう。キヤノンの偽装請負で死ぬほど働いてくれれば、それで、十分、国のため、でしょう、廉価な労働力は足りません。経団連が、マエを気にするとは、とても思えまへん。マエのあるヤツラばっかでっから、経団連は。
作業員さんへ
(
山崎元
)
2008-05-01 14:24:22
今後、書き込みを止めていただけないでしょうか?
ご注意
(
山崎元
)
2008-05-01 14:38:55
作業員さま、皆様、あと「山崎元」さまへ
「山崎元」という名前で投稿された「作業員さんへ」と題するコメントは、私(管理者・山崎元)が投稿したものではありません。私は同姓同名の方に会ったこともありますが、恐縮ながら当ブログでは紛らわしいので、ご意見は別のハンドルネームで投稿して下さい。
作業員さんのコメントは、真面目なコメントであり、当ブログの管理者である私は、多いに感謝するとともに、個人的に気に入っています。作業員さんが、コメント書き込みを止める必要は一切ありません。
作業員さんに限らず、誰かのコメントに異議がある場合は、堂々と理由を挙げて、ご自分のハンドルネームを使って(内容によっては実名を要求しますが、それほどアツクなることもないでしょう)意見を述べてください。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-01 14:45:34
たちの悪い悪戯ですね。
よろしければ、この書き込みと2008-05-01 14:41:32のものも消しておいてください。>楽天研究員の山崎元様
すみません
(
山崎元
)
2008-05-01 14:47:06
作業員さま
ブログへのアクセスが日頃の3、4倍に増えているせいか、「山崎元」を名乗るコメントを投稿する悪戯者が現れました。ご不快だったかも知れません。管理不行き届きで恐縮です。
「悪戯は止めて下さい」という意味で、もとのコメントを残しておきますが、今後、私が投稿したわけではない「山崎元」のコメントは適宜気がついたら削除します。
当ブログは公開かつ無料の意見交換の場であり、また、暇人とはいえ、十分手の回らない怠け者が管理しているので、今後も悪戯や暴言などがあるかも知れませんが、お気になさらずに、引き続きお付き合いいただけると幸いです。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-01 14:49:24
UNKNOWNさま
「2008-05-01 14:41:32のもの」を消します。
楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元
そうはいっても、
(
作業員
)
2008-05-01 14:59:28
長く遊ばせてもらったのはわしなので、店主のメアド見つけて、こちらから、挨拶いれときますわ。いやー、けっこう、しょぼーーん、ってなるもんですね。大してショーネはかわらんが、いくらか気をつけます、店主、ありがとさんっす。
思えば、へっぽこ亀兄弟の、にわかボクシング評論から始まったのが、厠のフジオがらみで、なぜか死刑!の今日にいたるわけで、そないないきさつは、知らんでよろしかろう、誰しも。ひとことだけ言うと。わしは、今でも、店主が「新聞の通信簿」で、「偽装請負」を取り上げてくれたことを、義理、に感じている、工場で働いたことなど一度もないが。まあ、なんちゃって一宿一飯の恩義だけは感じとるわけや。わしはその筋の人間ではないが、その筋で、よく言われることがある。「愛嬌があって、言葉遣いさえちゃんとしてれば、殺されることはない」。まあ、殺されんように、気をつけないかんちゅう話やね、誰しも。店主、ご配慮、面倒、多謝。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-01 15:26:33
少なくとも遺族にとっては、犯人は、人格なき間以外の何者でもないのかもしれないし、遺族の気の済むまで、という主張は、心情的には分かるのですが、それだけでは、非常に苛酷になりかねないので賛同しかねます。
ある意味、犯人にとっては、一思いに殺されるよりは、罪を背負って生き続けるほうが苦しいもしれないし、できれば仮釈放なき終身刑で「世間」が納得してくれればいいと思うわけですが・・。
たまに仏様のようになっている死刑囚の話も聞きますが、それは俗世間との接触を絶っている間だけのことでしょうし、ある種の犯人については、彼をむりやり「更生」させて社会復帰させても、彼自身にとっても、社会にとっても、お互いにいい結果をもたらさない可能性もあります。
死刑廃止論者
(
愛彦
)
2008-05-01 16:03:34
死刑廃止論者には、かくも自分は客観的に物事が見れるインテリだ、と勘違いしてる馬鹿がいますが、経済学的に見て【終身刑】など愚の骨頂です。
死刑廃止論者は、一度でいいから【更生】について持論を披露していただけませんか?
それは経済学でしょうか
(
作業員
)
2008-05-01 16:23:36
飯代、がもったいない、ということですよね。
経済学者の出番ではないでしょうか。飯代で、更正なり、厚生、を考えるのが、経済学者なんでしょうかね。どなたか、学者さまのご意見が聞きたいですね。
一人の命の損失は、二億とか三億とか、言われるのではないでしょうか。それは、犯罪者を含まない、とは聞いたことがありません。命には、価値、があります。経済学で計れる、価値かどうかは、トリクルダウン信者の土居くんか、敬愛する真壁っち、にでも答えていただけるとありがたいが、店主でいいっす。
遺族感情を世論・司法が代弁するとは?
(
kaz
)
2008-05-01 16:45:05
ちょっと思い出したので一つだけ。
過去において光市事件で無期の判決が出たとき、
「早く出してほしい。自らの手で殺す。」と本村さんはおっしゃったかと思います。
その時の世間の反応は大変に批判的でおおよそ遺族感情からは遠かったことを本村さん自身手記等で述懐なさっています。
「遺族感情を語る世論」に司法をゆだねる際の例として皆さんにも思い出していただきたいと思いました。
僕は「死刑」自体はあっても良いが、この国の「死刑制度」には反対です。
絶対必要だと言い切るには、国民側の刑法理解も、検察の立件手法も、警察の検挙数率も、もちろん裁判と世論の距離感も、とてもいびつに感じますし、信頼するに大いに足りません。
あらためますが、裁判員制度の意義は感じますが、機能はしないと感じざる得ません。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-05-01 16:47:04
>作業員様
小生の教養が乏しいため、作業員様の引用元が分からないことも多いのですが、いつも作業員様のご意見を傾聴させていただいております。
反論に弁をもってせず、卑怯にも心理的な攻撃をかけてくる輩が現れたようですが、これも現代の人心荒廃の表れですので、これからも「野に叫ぶもの」として末永くご活躍ください。
経済学なのかはわかりませんが
(
k
)
2008-05-01 17:59:22
死刑制度を維持した方が金がかかる。
というのが通説だと思います。
なぜなら冤罪防止の仕組みに金がかかるからです。
金で判断すべきかどうかというのは別に議論する余地があるとしても
日本でも専門家がコストについての比較をきちんとやるべきだと思いますね。
更正を更生に校正する
(
作業員
)
2008-05-01 18:05:29
一点、落ちてるので、足しとこ、と思う。グローバル化、つまりはアメリカ化の時代なんだから、アメリカ様の話も、少しはいるやろ。
アメリカでは、1958年に、死刑は残虐な刑罰のおそれ、と取りざたされ、1972年、米最高裁は、「死刑は憲法修正第8条の残虐な刑罰」だ、として、違憲判決を出した、そうだ。のち、復活したりするわけやが。その残虐性、については、議論がなされているわけや。日本の死刑の「方法」というのも、当然、問題になる。殺し方、の問題も、大問題であるね。
現実に、袴田事件などに参加しているボクサーたちは、死刑廃止、を唱えざるをえないだろう。ちなみに、アメリカの(確定死刑囚)えん罪率、死刑囚全体の2パーセント、とする叙述もある。
さらに、おもしろいというとおこらりるが、アメリカの死刑廃止、の論拠には、「死刑はコストがかかりすぎる」、というものがあるんだそうだ。経済合理性など持ち出したら、存置に不利、になるんやなかろかね。談合には経済合理性がある、し、経済(経営)学的には偽装請負は「合法化」される、し、後期高齢者と団塊は、死んでしまえばええ、やろ、合理性で言えば。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-01 18:13:33
日本が法治国家であるならば
死刑は法で明文化され
その執行を司法がになうわけですね。
立法府は国会(皮肉ではないんですが)であり
民主主義国家であるわが国においては
国という機関に死刑を執行させているのは
我々国民という事になります。
つきつめると
死刑廃止論者って
結局は「人を殺すのには嫌だ」
という極めて普通(ですよね)の感情を
吐露しているだけのでは。
量刑って
つきつめれば素朴な国民感情を
よりどころにすればいいのでは?
ご先祖がキリストを処刑した
過去を持つ人たちはともかく
私は悪い事をしたら地獄に落ちるという
素朴な信仰心を大事にしたいので
死刑制度存続に賛成です。
であるならば
(
作業員
)
2008-05-01 18:17:54
「悪いことをしていない」袴田死刑囚の再審に、ご協力くだされ。輪島のダンゴぐらいは、もらえると思います。
人権と手続的正しさ
(
どんぐり
)
2008-05-01 19:53:58
左ウチワの伊藤真先生の話をマタ聞きことがあります。お題は10人中9人が犯罪者で、1人は冤罪の可能性がある。しかしその1人が誰かはわかりません、っていう状況で「全員無罪」「全員有罪」の二択ならどちらの判決を下しますか?という仮定の話。
1つめの答は「全員有罪」です。悪人は絶対に逃がさないというスタンスなので、1人は冤罪かもしれないけど、9人の犯罪者は処罰されるので、社会的な安定を保てます。犯人が処罰されるという事実はそれなりに犯罪抑止力になると思います。2つ目の答は「全員無罪」です。なぜなら個人が国家や社会のために犠牲になってはいけないんです。たった一人の人権を守るために、僕らは大きな代償をはらってもいいよ、ってのが近代的な発想です。だって明日は自分がこの「たった一人」になっちゃうかもしれないんです。みんなが安心して暮らすために、たった一人をかけがえのない一人だと思って、自分のことのように考えてあげるべきでしょう。どちらが正しいかというのは、思想の自由もあるので、個々人にお任せいたします。
さてさて、これを踏まえて袴田死刑囚について考えてみます。被告がヤッたかどうかは、神と本人しかわかりません。だから裁判っていうのは、被告を無罪とみなしつつ、慎重に慎重に正しいプロセスを踏んで、ヤッた/ヤッてないを判定するんです。つまり正しいプロセスを踏んで検証したんだから、出てきた結論は正しいと擬制してるっていうことです。
袴田死刑囚の場合はどうもプロセスがずさんで、胡散臭いという話になった。本当のところはどうなんでしょう?っていうのは、もはや神と仏のみが知る話となってしまったのであります。裁判官も人の子だから間違えることもあるだろうし、だから判決が出た後でこういう議論がおこったりします。たとえ9人の極悪非道の人間を死刑にできなくても、たった1人の冤罪(かも?)に対して、不可逆的な間違えをしないために死刑を廃止する、という考え方は人権という観点からは大いに有効な主張です。
たしかに本ケースでは、被害者感情と加害者の素行から、死刑は必要という方向に流れやすいですが、こういう時こそ人権というテーマから冷静に考えてみるっても、バー・ヤマザキで相応しい態度だと思います。
先ず校正それから再説明
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-01 20:28:44
くまさん様、作業員様
まず誤字「更正」を「更生」に校正させて下さい。(恥ずかしながら、御指摘に感謝します)
仰る通り本当に難しい問題だと思います。
死刑制度支持の結論を文章にすると激しい印象になるとも思います、現状で私が考えるところは2008-04-30に投稿の通りですが以下の点が基本構造体のようなものになっています。
裁判員制度で召還された場合の思考・行動軸をどう持つべきか、私はこの観点から最近はこの問題を考えています。 その際最も恐ろしい事態は、確かにくまさん様ご指摘の通り無実の被疑者を極刑に処して仕舞うことでしょう、そしてそれは何としても避けるべきです。 それでは回避方法は無いのでしょうか?それともあるのでしょうか? 私はあるように思います。
第一に真犯人であるとの確証が得られない限り極刑の適用は避けることを主張出来る筈です。
第二に仮に死刑判決となって仕舞っても執行を延期させその間に再審を進める道も可能です。(無実であろうと考えさせる要素が多少ともあるのでしょうから)
第三には。これは難易度が極めて高そうですが、冤罪との心証を得た人(通常は弁護人でしょう)が無実を立証までは出来なくとも裁判官をして有罪ではなさそうだとの心証を形成することは可能でしょう。
死刑が廃止されていてもこんな困難をともなう手続きは不要とはならず、無期や自由刑であろうと又は軽い刑罰であろうとも誤判を回避する努力はせねばならず寧ろ手続きの厳格さ確立にはプラスなのではないでしょうか(無論その為の極刑制度ではないでしょうが)。
確かに日本では誤判や冤罪事件・再審事件が起きていますが、この約50年を見た場合真性の冤罪での死刑執行があるのでしょうか。
他国との比較や絶対数の多少で判断すべき問題ではありませんが、私は冤罪科刑が(本当に冤罪かどうか=即ち無罪との確信の判断も極めて難しいが)近年頻発しているとは思わないのですが認識不足でしょうか(出来れば参照すべき資料も教えて頂けますか)。
尚、光市の殺人犯に対する死刑の妥当性の問題は冤罪かどうかは全く関係なく(これは冤罪ではないと信じています)、犯行当時未成年であったことをどう斟酌すべきかの問題だと認識しています、これは切り離した論議が必要と考えます。
日本国憲法は死刑を容認する
(
ゆうじ
)
2008-05-01 23:43:02
私は死刑制度反対論者です。理由は色々ありますが、今ここでは述べません。
さて、皆さんは日本国憲法は死刑制度を容認していることをご存知でしょうか?
法律の専門家の方々からしたら、「そんなこと誰でも知っている!」と怒られそうですが、行政書士を目指して憲法を勉強していた時、私なりに「発見」しましたので皆さんのご意見をお聞かせいただきたいと思います。できれば、山崎元さんからもお願いしたいです。(贅沢な望みですね、ごめんなさい)
死刑肯定派です。
(
通行人
)
2008-05-01 23:44:25
はじめまして 楽しく拝見させてもらっています。
ワタシは死刑肯定派です。殺人罪は死刑でいいと思います。
人を殺すなら殺される事になる。とてもわかりやすい。相手を元に戻す事ができないから自分も同じ事になって償うのは形としての対価と言えると思います。
難しいのは、そこまでの過程だと思います。
そこについて議論はしていく方がいいと思います。
そして、死刑を国が執行するのは当然だと思います。というか、国にしてもらわなければ誰がやるのかといった話になりますし。
稚拙な意見かもしれませんが、相手の人生を奪ったのですから自分の人生を捧げて下さい、と言うことです。死刑を恐れない、望んでいる人にはしっかりと心の治療をして、まともになってから死刑を執行すればいいと思います。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-02 03:03:18
>ゆうじ様
私が、日本国憲法をまとめて読んだのは、たぶん、高校三年生の時の受験勉強が最後です。私は、憲法が死刑を容認しているという根拠となる条文及びロジックを知りません(私は、知らないことは、知らないと言う主義です)。
ただ、法律論として論理的根拠を示すのは困難ですが、戦争を放棄している現憲法を基に構築される社会にあっては、「殺すな!」(少なくとも正当防衛以外では)という原則が国にも貫徹して、死刑は存在しないしないという状態が秩序として美しいように私は思います。
>皆様
皆様のご意見は多様ですが、敢えて共通点を探ると、懲役刑、特に終身刑の罰則性が不十分であることがかなり拙いようだというポイントが見つかります。
将来出られる希望が無い終身刑は場合によっては死刑以上に苦痛でしょうし、受刑者の人権は大切ですが、懲役の日々は少なくとも我慢を要する罰則性を有しているべきでしょう。
おそらく、刑罰が単に更生を目的としているだけでは犯罪抑止力として不十分なのでしょう。
そう考えると懲役にもかなり残酷な面がありますが、懲役では受刑者が生きているので、原理的に後から修正しうるし、冤罪だった場合でも幾らか取り返しが利きます。
RE:先ず校正それから再説明
(
くまさん
)
2008-05-02 12:11:53
>>サイレントじゃないマジョリティーさん
「えん罪の可能性があれば極刑を保留する」というのは、要するに判断を保留するということですね。裁判というのは判断するために行うので、裁判の意義を骨抜きにする危険性があります。また、罪の重さ以外の要素で量刑を決めるということで、被告を差別しているとも言えます。いっそのこと、死刑廃止で全員終身刑の方がシンプルです。そもそも、原理原則にしたがえば、「疑わしきは被告の利益に」で無罪ですよね。
>確かに日本では誤判や冤罪事件・再審事件が起きていますが、この約50年を見た場合真性の冤罪での死刑執行があるのでしょうか。
これは私は知りません。そもそも、えん罪であると分かれば刑は執行されませんよね。私が言えるのは、過去に争われたえん罪事件において、死刑・無期懲役 か無実かで争われるパターンはポピュラーであり、えん罪で人知れず死刑になっている人が存在する「可能性」はありそうだという推測です。満足のいく回答では無いと思いますが。
私自身は、死刑について立場を決めかねております。「目には目を、歯には歯をのどこが悪いの?」という質問に満足な回答ができません。ただ、言えることは、「えん罪をなくす努力をせずに、死刑推進を唱えることはナンセンスだろう」ということであり、現状の日本には、その努力をすべき余地があるだろうということです。
光市の件はあまりにも特殊すぎる事例であり、これを題材に死刑存続/廃止論を展開する意義は小さいと思います。できるのは、「少年の死刑の是非」ぐらいだと思います。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-02 12:17:14
懲役は基本的人権が阻害された状況で人生を浪費する事を強要される刑罰です。
まさに人によるでしょうが、死刑のほうがさっさと苦痛から開放されるだけ懲役より慈愛に満ちた刑罰と判断する人もいるでしょうし、そういう判断をするような人は「死刑を望んで罪を犯す」人になるでしょう。その場合は釈放なしの終身刑が適当な処罰になると思われます。
死刑が適当な場合、終身刑が適当な場合それぞれが存在するのであり、道具としてはどちらもあれば便利で存在してしかるべきものです。
横紙破りに横車に
(
作業員
)
2008-05-02 12:30:44
夜郎自大な兄石原チン太郎なら、ナニで障子を破るだけなんだろうが、ちと、反則の書き込みもしてみようと思う。国家に簡単に自己を仮託してしまったり、特定犯罪被害者に突然憑依したりするのは、わしの中では、反則だ。が、まあ、なりゆきじゃ。
彼はまず、当然に復讐を考えただろう。制度としての復讐も要請しただろう。それから、復讐をなしえない自身と制度に絶望して、自死を考えたろう。制度がだめなら、自らの手で、とも考えたろう。それから、長い長い内観の果て、彼は、彼を死刑にすることが自分の役目だという境地に到達しただろう。それでも彼の自問は続く。あるケースの結果、死する人間の数がひとつ増えることに、どのような意味があるのか。彼は、死を受け入れている。彼の死は、私の死だ。
さて、外野にいるわしのような直情型の人間が、趣味として、死刑廃止を唱え、その趣味に、特定犯罪被害者等の方々を持ち出すというのは、いかに下劣か、分かっていただけると思う(頭はさげとく、すみません)。ただ、彼が仮に裁かれず出てきたとして、彼が道具を用意して自らの手で彼を葬ろうとするとしたとき、わしは、彼を止めようと思っている。人殺しなど、つまらないから、やめろ。道具を持ち出して・・・、と考えた男の顔が、わしだって、二人ほど浮かぶ。ギョーギの最終形に至らなかったのは、よかったのか、わるかったのか、それもわからない。森達也は、自身の無力さに、ただ溜め息をついているそうだ。わしはそんな境地にはたどりついていないただの暇人で、森の考える無力さと、彼の考える無力さが、同程度のものに見えている。
あるケースを、他のケースでごまかすのは、ペニスケースで大きさをごまかすようなもんだが。袴田事件の続きだ。
「はけないズボンで死刑判決―検証・袴田事件(GENJINブックレット (37)) 袴田事件弁護団」
冗談を言っているわけではないんだが、この事件の争点は、味噌にズボンを漬けたら、縮むのか、なのです。豚肉とか金やんのところのサワラとかじゃないんだから、ズボンを漬けても、食えましぇん、はけましぇん。
山崎さんは
(
貞夫
)
2008-05-02 12:54:05
山崎さんはさすがマル経だけありますわ。
ナイスなツッコミだ
(
作業員
)
2008-05-02 13:18:19
別に、今日は興がのっているわけではないんだが。実にすんばらしいコメントが入ったので、なぜ、死刑制度が廃止されるか、について書く。わしが何故、不治のミノワマンや押売のシンボーの小僧を雑魚扱いするかといえば、人権派をサヨクと見ている、からだ。二秒考えれば分かるだろう。大量の死刑・処刑を繰り返してきたのは、ソビエトスターリン、中華毛沢東、カンボジアポト。アカ、ばっかりでしょう。中国が野蛮なのは、やたらめったら死刑を執行しているからであり、その手続きが実にいいかげん、であるからです。アカであることが、残虐性を増している、とも一部言えるかと思います。
反人権派不治の箕輪は言います。(薬害だの偽装請負だの死刑廃止だの言っている)人権派は、フリーチベットのデモにでも行け! 心の底から、箕輪は、アホだと思います。人権派は忙しいのです。死刑廃止論者に間違いない、ラマちゃんの支援ぐらい、箕輪、おめーが行ってこい、と思うのです。世界がラマちゃんを支援するのは、彼の透徹した非暴力性、に魅力があるからであり、ついでに言えば、ラマちゃんが、死刑廃止思想の持ち主だから、でしょう。
反中、は、反共、とほぼ重ねて、問題をごまかすことができます。が、多くの慈悲深き仏教徒が唱えている、死刑廃止は、アカ狩りの対象にはできまへん。死刑廃止には、共産化という進歩主義を超えた、普遍性、があるのです。ですから、9割の支持があるはずなのに、その支持の声明自体が、揺らぎ続けているのです。早晩、死刑は廃止されます。わしの趣味でいうと、死刑が廃止されても、人を殺さない、ように内観を続けることの方が、重要だと思います。
反人権派ハシシタの師匠かどうかはしらんが、非弁活動で有名な西村鎮護国家先生は、「法律がなければ、女をおしたおしまくってやる」と言っていましたが、今もそんなことを思っておられるのでしょうか。内観をしてほしいです。なじぇ、法律がなければ、女をおしたおしまくってしまうのですか? あなたは。わしには、そういう趣味は、ありまへん。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-02 15:20:11
>大量の死刑・処刑を繰り返してきたのは、ソビエトスターリン、中華毛沢東、カンボジアポト。アカ、ばっかりでしょう。
自分の思いどおりに動かない者は、廃棄処分すべき間、という思想の持ち主には、人権という思想は、「うざい」だけの代物なのでしょうね。
山崎ファンになりました。
(
ゆうじ
)
2008-05-02 22:29:04
山崎様
私の厚かましいお願いにもかかわらずコメントを下さいましてありがとうございました。このような山崎さんの誠実な態度や、あるクイズ番組で見たフランクな人柄に触れて、私もすっかりあなたのファンになってしまいました。
さて、日本国憲法が死刑制度を容認していると思う根拠は、憲法第31条(法廷手続きの保証)にあります。
「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命(注意!)若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」 ( )内は私
これを素直に読めば、法律の手続きによれば生命を奪うことも可能だということになります。つまり、死刑制度を容認しているということではないでしょうか。
この憲法を作成した人も、この条文を作る時に死刑制度が頭にあったのではないかと想像しています。
私が死刑制度に反対するようになったのは、「死刑執行人の苦悩」(大塚公子著)を読んでからです。被害者と加害者という2つの視点からではない、新しい視点を与えてくれる本だと思います。機会があったらぜひ読んでみてください。
Unknown
(
hiro
)
2008-05-02 23:08:46
死刑については反対です。
それは冤罪の可能性があるからです。今回の事件や池田小事件のように「誰が見ても」冤罪の可能性ゼロの事件もあるから、「誰が見ても」のケースのみ死刑を容認するということも考えられるでしょうが、しょせん人間の判断ですから信用できません。
ところで、冤罪と言えば痴漢冤罪。
ケースによっては、会社での地位、家庭での立場を瞬時に抹殺するのだから社会的殺人です。
「疑わしきは被告人の利益」の例外なんでしょうか、痴漢冤罪は?
私なら勘違いした被害者を殺したくなりますね。
まして大阪であったような示談金目当ての虚偽告訴事件に遭遇したら、被害者感情を最大限考慮してぜひ死刑にして欲しいと訴えますね。死刑にならないなら、出所後に私の手で殺すに違いないと思います。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-02 23:09:57
ゆうじ様
> 「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命(注意!)若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」
ご教示ありがとうございます。
なるほど、これは覚えのある条文です。現憲法が、この条文から、制度としての死刑を用意しうる憲法であることは良く分かります。
敢えて、死刑廃止論の側から読むと、「法律の定める手続き」の中から死刑を外してしまえば、現憲法と死刑廃止は論理的に矛盾はしないということになりますね。
いずれにせよ、憲法もその下の法律も国民が決めるものなので、我々が、真面目に悩んで決めなければならないということなのでしょう。
死刑の「執行」という問題も重要ですし、懲役の実態及びあるべき姿も、死刑を考えるにあたっては避けて通ることができない問題です。この問題について結論を出すにあたって、自分自身がまだまだ知識不足であることを痛感します。
終身刑への疑問
(
レイスト
)
2008-05-03 00:03:38
既にどなたかが書いたかもしれませんが
終身刑には下記の疑問があります。この疑問こそが
私の死刑支持の有力な理由の一つです。
1 刑務所の待遇はそんなに悪くないとも言える
刑務所での待遇は1日8時間労働・読書可能・風雨遮断可だったと思います。この待遇はホームレス、過労死・過労自殺寸前の人よりマシだと思います。これが
凶悪犯罪者の罪として妥当なのか・・・。
2 自由からの逃避を悪くないと思う者もいる
刑務所からもう出られないというのは我々の感覚からは絶望的だと思います。しかし、当人としては刑務所で暮らすか看守の目を盗んで自殺するかの2者択一となります。多様な選択が可能な自由からの逃避が可能となります。犯罪者が主体性があまりなかったり、自由や選択をもてあましていたら「僥倖」となる気がします。
Unknown
(
夏井孝裕
)
2008-05-03 00:32:52
ゆうじさん、横から失礼します。
-----ゆうじさんwrote
「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命(注意!)若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」 ( )内は私
これを素直に読めば、法律の手続きによれば生命を奪うことも可能だということになります。つまり、死刑制度を容認しているということではないでしょうか。
-----引用終わり
この、「素直に読めば」という憲法解釈は危険であります。
慎重に読むならば、あらゆる刑罰は法律の手続きを経なければならないということだけをいっているにすぎません。国家といえども超法規的に死刑とかしてはいけないよ、という条文です。むしろ国民の生命、生活を不当に脅かしてはならない、という趣旨のものですね。
法律的な手続きは絶対必要条件として定められていますが、法律的な手続きをすれば死刑もしてよい、というところまでは明言されていないわけです。よって、憲法で死刑が容認されている、というのは拡大的な解釈です。想定されているとはいえますが。
ぐうと言ってみる
(
どんぐり
)
2008-05-03 06:02:30
憲法しばらく忘れていたけど、重要そうだから改めて勉強してみようと思いました。ちなみに命題「法律の手続きによらない → 生命が奪われない」の対偶は「生命が奪われる → 法律の手続きによる」です。対グゥ!は成り立ちますが、逆と裏は必ずしも真にあらずです。グゥ!グルしてみてください。
私はこれから家族サービスで旅に出ます。書き込みはできませんが、みなさまのグゥ!な議論を帰ったときの楽しみにしています。グゥ!
RE:先ず校正それから再説明
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-03 10:15:43
くまさん様
返信有難う御座います。
更に考察は深めてゆきたいと思います。
仮に光市の事件に裁判員として直接参加したらどんな結論を自分なりに出すかを考えると刑法に規定のある死刑判決を以ってのぞみましょうし、死刑制度の存続・廃止への意見を求める国民投票が今日あれば存続に投じます。
殺人犯は己の生命を絶つことでしか、犯してはならない自分の犯した罪の重大さを身を以って認識出来ないと思います。(最後まで認識出来ない馬鹿も居るかも知れませんが)
死刑廃止に至る納得性のある理論がどうしても見つかりません。
死刑存続が絶対唯一の結論かと問うに、一点の間違いも無い理論構成を持つと言える確信まではありませんが、殺人犯を前に態度を保留(廃止・存続どちらが正しいか判りませんと)する必要性は全く感じません。
警察・検察当局による自白強要、証拠の偽造とか拷問、違法取調べの危険性が皆無とは言えない怖さ・気味の悪さも払拭し切れませんが、現代の社会組織と裁判制度の下でこれを防ぐことは可能と思います。
死刑に値する犯罪発生の可能性のある限り、そして疑義のある事件への刑の執行保留と再審が可能な限り死刑制度は必要と、現時点では、思う次第です。
全員死刑で何が悪いか?
(
愛彦
)
2008-05-03 12:27:16
人殺しでなくても、薬物中毒者や性犯罪者などは、即死刑で何が悪いのかと思います。なぜなら、こういう人間のクズに懲役○年なんて意味がないからです。そもそも脳みそがおかしくなっているのです。こういう奴らが更生するなんて有り得ないのです。
死刑制度反対!
(
kayano
)
2008-05-03 15:19:58
死刑制度はあってほしくない。あるべきではない。と思います。理由は、「裁くものは裁かれるものより高いモラルを持つべき」と思うからです。「殺すな」というなら国家自らが殺してはまずい。全体のモラルがグラグラします。長い目で見ると社会が荒れるのでは?。死刑制度がある国が野蛮とされるのは納得できます。
戦争もやっぱりまずい。いっぽうで「殺すな」、いっぽうで「殺せ」、はないですよね。憲法で戦争放棄と戦力の不保持を決めた日本はこの点では文明国。その証拠に、なんとこの63年間、日本人は戦争で死なず、殺さずです。(その前のたった数年間で300万人も死んだのに)。野蛮でない国は、余計な人死にがなくて済む。
近頃の殺人多発を心配なさる方へ。実際には日本の殺人は減っているらしいです。多かったのは終戦直後で、戦場での殺人経験者がいっぱいいたからかも知れません。(ちなみにベトナム戦争直後のアメリカも同様だったようです)。
それから、殺される心配と言えば、ふつう(?)の殺人者にやられるより、エライ会社やエライ役所に殺される危険の方が桁違いに大きいので、私はそれが怖いです。こういう場合、犯行が明らかでも、犯人は逮捕されないだけでなく、殺人行為を止めることさえ容易ではないのだから。水俣病しかり。薬害エイズしかり。
石牟礼道子さんの「苦界浄土」を読んでみてください。豊かな漁場である海に、猛毒の工場排水を流し込み続け、そのせいで、おおぜいの、おおぜいの、人たちが悶え苦しんで死んでいく。殺され続けていく。それなのに、いろいろな理屈をつけて、その殺人行為をやめないんですね。やめさせないんですね。そして、何千人も殺された。障害を受けたのは何万人。
あの日、午後1時のNHKニュースで、光市事件の判決ニュースに続いて、「水俣病被害者救済策のチッソ負担分について、チッソは株主に説明がつかないとして拒否した」と報じていました。政府はさらに「受け入れるようお願いする」のだとか。あーあ。エライ会社の犯罪にも、もっと皆さん怒ってください。恐れてください。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-03 15:38:02
収監された犯人が、自発的に自殺を選びたくなるような処遇をすれば、死刑にする手間が省けるのかもしれないですね。
少なくとも凶悪犯については、禅のお寺「よりマシ」な処遇をすることには、たしかに多少の違和感も覚えますが。
物語ることの愚を
(
作業員
)
2008-05-03 16:05:25
最近の編集者は、石牟礼という字が読めない、と聞きます。ので、文芸調で続けてみましょう、石牟礼という字は読めないが、死刑制度には反対するんだなちみら、とか喧嘩を売ったりはしまへんが。彼が、墓前に花をたむけている場所、それは、この鬼畜国家日本に、生活保護(受給可能資格所持)者を、殺せば殺すほど、補助金をめぐんでやる、と言われた土地であり、実際に、その場所の鬼畜小役人は、次から次に、同胞を今日も処刑している、その場所にあって、かのオニギリ男はおっちんだ、のであります。墓につばをするか、花をたむけるか、と問われれば、何人の墓にも花をたむけるべきだ、と藤原メメントモリ新也読み、は答えなければいけないのだが、競艇場の笹川の銅像の下でタンを切ってばかりのわしにはやはり、死刑を物語る資格はどうもなさそうだからして、右から左に聞き流してもらうぐらいでよいか、と今日のところは思う。
>更生するなんて有り得ない
そうも思うし、そうも思わない。ハマコーは、元ヤーコーが自慢ですが、ちゃんと更生して、テレビ(朝日)では、「模範的な大人」として扱われています。であるからこそ、テレビなどが、殺せ殺せ死刑死刑、を煽ってはいけない、と思うのです。死刑は、(店主も)どうせ最後は創ゆき、でおなじみの、雑誌創、で語るべきですね。
憲法の話が出ています。なんちゃって関西人勝谷と偽装仏教徒宮崎の人権派狩り、だけを垂れ流しているテレビは、殺人鬼と同程度に狂っていますので、わしは、反人権派も少しいじりたいと思います。ドサンピンハシシタの師匠かどうかはしらんが、非弁活動で有名な西村鎮護国家先生は、憲法について、「無効」、を主張なさっています、クソウヨと言ったらおこらりますが、右翼弁護士の中には、同様に、無効、を主張される方がおられます、ごく一部ですが。みなさんは、これら、反人権派弁護士の、無効説をどう思われますでしょうか、わしは、歴史に残るアホどもだと思います。
無効憲法下で、死刑を執行している、のですよ、鬼畜国家日本は。憲法は無効だが、なじぇ、死刑だけは執行されつづけるのですか? どうです、石牟礼という字が読めない程度には、反人権派は、アホでしょ。人権派が、賢い、という意味ではありまへん。人権派でない弁護士、など、存在しない、ということであります。押売のシンボーが垂れ流している妄想というのは、社会に害悪なる人権派の弁護士群がいて、そやつらを駆逐すれば、社会がよくなる、という幻想です。テレ朝より、バー山崎の酔い衆の議論の方が、まともだ、ということに、絶望的危機感を持つべきなのか、未来への可能性をみるべきなのか、まだ、五分五分ではありますな。
全員死刑で何が悪い!
(
愛彦
)
2008-05-03 17:11:22
死刑廃止論者の書き込みを読んでると実に論点のすり替えが多い。あと、無駄にだらだら長すぎる。
死刑廃止論者は、誰一人、凶悪殺人者の【更生】についての経済学的意味を答えられない。
死刑が野蛮?生かす価値がないから死刑なわけで。
冤罪の可能性?痴漢の冤罪と同一視してません(笑)?
もう少し、コスト意識持ちませんか?
だいたい欧州発の人権擁護の死刑廃止論なんてろくなものじゃない。なんたって欧州人なんて馬鹿だから。
CO2排出権取引なんていう経済学的に見て実にナンセンスなものをゴリ押ししてる奴らだからね。
国際的協調?こんな時だけ協調ですか?いつも自己主張せよのくせに。
答えられないのが正解です
(
作業員
)
2008-05-03 17:23:29
>生かす価値がない
立証が、不可能なのです。生かす価値があるかもしれないし、ないかもしれない。更生するかもしれないし、更生しないかもしれない。飯代の計算で、経済学を語っていては、いくら真壁先生でも、経済学への冒涜だ、とおっしゃると思います。解があるかないか、から議論をどうそ、では失礼。
全員死刑で何が悪い!
(
愛彦
)
2008-05-03 18:14:56
〉〉作業員氏
凶悪殺人者の生かす価値って何なんでしょうか。『更生』して誰が得をするんです?簡潔に説明していただけませんか(いつも無駄に長いので)?
あとあなたは、死刑に値しない殺人者の“更生”にどのような手助けが出来ると思いますか?“更生”なんて社会の手助けが無ければ出来ませんから。“生かす”と言うのは、コストが発生するっていう常識が死刑廃止論者の思考にないんじゃないのかな?命の尊さだとか人権尊重だとかばっかり。財政赤字の中、出所しても生活保護のお世話になる社会の““お荷物””な殺人者を生かすという思考には、到底なりませんね、私は。
加害者の家族も大変でしょう。いっそのこと死んでもらった方が全うな生活が送れますよ。
人命の価値
(
くまさん
)
2008-05-03 18:21:28
>>愛彦さん
「人命は地球より重たい」という名言(迷言?)がありますが、人命をコストで取り扱いたいのでしたら、まずは人命をお金に換算しないことには始められませんよね。人命をお金に換算するための計算式を明示してください。
全員死刑で何が悪い!
(
愛彦
)
2008-05-03 18:37:10
〉〉くまさん
コストは重要な問題です。終身刑なんてアホなことを唱える【エセ人権家】が最近増えつつあるようで私は危惧しています。それは、経済学を知らない、ア法学部を筆頭としたエセインテリの中で西洋かぶれのアホが吹聴してるキャンペーンなのに。
〉〉人命は地球より重い
しかし、殺人者は
人命+機会費用>地球
なんですよ。一般人が
人命>地球なのに、図々しくありませんか?
なぜ殺人者の命が一般より重くなっているのでしょうか?
ここで登場するのが【更生】という概念なのですが、誰もお茶を濁し答えてくれません。
死刑廃止賛成です。
(
よさぼうず
)
2008-05-03 19:11:14
終身刑を作っても死刑の代替策にはなりません。
ハンムラビ法典には目には目をとなっています。
人間なんともともと悪人なんです。だからモーゼも十戒を伝えたのです。飲酒運転の厳罰化で事故と劇的に減りました。所詮こんなもんですよ。死刑がなかったら、もし私の身内が殺されたら、私は絶対にその殺人者を必ず殺してやります。そして、悠々自適の刑務所生活を送ります。松本ちずおを見てみなさい。健康で長生きしているではありませんか。教祖のままだったら、とっくに糖尿病か脳梗塞等で死んでいるはず。
終身刑ではそいつらを生かすコストもとてもかかるし、第一更生するなんて、平和ボケした連中のマスターベンションでしかないですよ。人間は悪人なんですよ。有史以来。それを忘れたら、社会はなりたたなくなります。特に日本では宗教がないですよね。東大でベンキョウしませんでしたか。エリートと言われている連中としか付き合わないでいると、正しい判断が出来なくなりますよ。死刑廃止論は日本ではそぐわないです。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-03 19:25:12
いらない「モノ」は、もっていても費用がかさむのであれば、さっさと捨てたほうが、経済的であることは確かですね。
殺人者の更生の社会的効用
(
山崎元
)
2008-05-03 20:23:45
愛彦さま
殺人者の【更生】の価値は、愛彦さんが仰るように、自己満足、敢えて言えば、相当の数の個人が満足する社会的自己満足のようなものに過ぎないでしょう。
ただ、「自己満足」にも、それなりの経済価値がありますね。それをいかに測るかですが、これは、たとえば同じコストを別のものに掛けるよりもこちらの方がいいという選択が明確になった場合の「別のもの」の価値とでも比較してみるしかありませんね。
たとえば、死刑囚を生かしておくことのコストと、北海道に高速道路を作ることのコストを考えるなら、自分の払う税金をどちらに使いたいか、というような比較をせねばなりませんね。前者を嫌う人も、後者を嫌う人も、両方を嫌う人もいるでしょう。
死刑囚が無期懲役になった場合、懲役でどれだけの「稼ぎ」を得るかが問題ですが、刑務所のコストを考えると、これを上回るだけ稼がせるのは難しそうですね。奥谷禮子さんみたいな非情な刑務所経営者が必要かも知れません。
では、お前はどうなのかと問われた場合、まだ死刑廃止に確信は持てないのですが、「国には正当防衛以外の人殺しの権利がない」という社会の一貫性を実現するためには、終身刑のコストに税金を回すのは悪くないように思えます。財源は、取りあえず、防衛費でも削って持ってきましょう。殺生にお金をかけないという種類の自己満足です。
Unknown
(
レイスト
)
2008-05-03 20:56:47
>財源は、取りあえず、防衛費でも削って持ってきましょう。殺生にお金をかけない
中長期的にみて、日本は中国に侵略されるリスクが高い気がします。殺生にお金をかけず、チベットの二の舞にならなければいいのですが・・・。
先に言われた
(
作業員
)
2008-05-03 23:04:36
普通に考えれば、コストではなく、価値の問題になるわけです。労働価値説が使えない、とするとしても、労働価値的な考え方に、価値をみいだす、ことはでけるわけです。たとえば、小説家丸山健二は、イシムレと読めないタコ編集者よりも所得が低い作家です。が、だからといって、タコ編集者よりも、価値、のない男だとは、わしは思いません。話が短くても理解でける、という前提で、コスト価値問題は、これまでです。
生き死に、の問題ですから、なるべく避けたほうがよい、考え方、というのはあるかと思います。わしが思うのは、なによりも、「仏教徒に死刑を執行しろ、とせまったりするな」、ということです。それぐらいのデリカシーは、もてないもんでしょうか、死刑存置論者であっても。日本画家東山先生の名随筆に、筆を取り上げられてその手に銃を持たされたその悲惨を、みごとに表現したものがあったかと思います。わしには、画家の手から筆を取り上げて、銃を持たす、ことがなじぇできるのか、が理解でけまへん、国家でもないのに。国家が、そういう理不尽を強要してくることは、よくわかるわけです。死刑問題でいうと、存置論者が中共で、廃止論者はチベット自治政府です。現実、議論が9対1になるのが、自然なので、別に、どうしても死刑を執行したい人がいても、なーんも不思議ではありまへん。が、国家でもないのに、そないにいきりたつ必要はなかろう、と思うわけです。
犯罪者のいない社会を、死刑の必要ない社会を、死刑廃止を、彼を持ち出す気はさらさらありまへんが、このベクトルは、死刑廃止に向かうものです。大人が理想を語らないで、誰が語るのでしょうか、子供はアニマルダが、いわゆるタカ派の口癖でしょうに。
タカ派ついででいうと。中国や韓国に過剰に反応する人に、死刑好き、が多いのかどうか正確にはわかりまへんが、すくなくとも韓国は、死刑の執行をとめているのではなかったでしょうか。いわゆるクソウヨという人たちは、犯罪者は在日ばかりだ、と書き散らしたりしますが、死刑制度のあるなしにかかわらず、犯罪者が在日ばかり、なのかどうかというのは、おもしろい話だな、とわしは思います。比較文化的に、日本ではなじぇ死刑がいつまでも必要とされるのか、いくつかコメントがありますね。ちなみに、日本人は、「戦場で、もっとも心を壊さない民族」、と言われています。殺人に対する、肯定力の強さ、を精神に持っているのです、さすが、なんちゃって仏教国だと思うわけです。人殺しがすき、とまでは言わないですが、人殺しに抵抗がない、その理由というのは、後学のために知りたい気が少ししますな。
すみません
(
作業員
)
2008-05-03 23:22:27
>財政赤字の中、出所しても生活保護のお世話になる社会の““お荷物””な殺人者を生かすという思考には、到底なりませんね
二秒で読む癖がついていたので、何が書かれているか、とばしていました。この表現は、殺人者がお荷物、なのではなく、生活保護受給者が社会のお荷物だ、という文脈ですね。本村くんに、彼に代わって謝罪します。本村くんはそないなこと言うてはりまへんから。本村氏、ごめんなさい。
これも謝っときます すんまそ
(
作業員
)
2008-05-03 23:29:57
>松本ちずおを見てみなさい。健康で長生きしているではありませんか。
銀ちゃーん、のつれの森達也に代わってメモしときます。彼は、健康ではありまへん。関係各位、失敬。
死刑の執行人
(
通行人
)
2008-05-03 23:33:46
死刑の廃止について 色々と読ませ頂きましたがイマイチわからない話が多いと思いました。
でも、一番わかる話が執行人の辛さですかね。
宗教的なものは日本はクリア出来ると思いますが、執行人のがいないとなれば廃止を訴える気持ちもわかります。
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-03 23:39:08
>>作業員さん
普通に考えればコストの問題ですけどね。
凶悪殺人者にどう価値を見い出すか、結局不明確ですね。だって小説家と凶悪殺人者なんて対になりませんもん。
凶悪殺人者に、その小説家並の価値とやらを見い出そうとすることが理解しかねます。
凶悪殺人者、その名の通り人を殺しているわけで、その償いとやらは一部被害者が納めた税金でお世話してやってのこと。これをコストと言わずに何というのか?
それが価値観ですね
(
作業員
)
2008-05-03 23:54:23
>小説家と凶悪殺人者なんて対になりませんもん
小説家と凶悪殺人者は対になります。国家から見れば、丸山というアナルキストは、非国民の巨魁であり、今すぐ処刑すべき人物です。とかくと、また長くなるので、まあ、永山則夫の本でも読んでみてはどうでしょうか。ちなみに、店主の連れの文豪村上は、元社長キングではないほうの、カズ、に対して、「おい三浦、ムショで、小説を書け」と呼びかけていました。そして、実際に、彼は、ムショで、小説を書きやがりました。ついでに言うと、文豪村上の口癖は、「人を殺してもやれる唯一の職業、小説家」、です。興が乗ったついでということで、さらに長くかくと、村上は、「小説家でなければ、自分の職業は、トラックの運ちゃん、しか浮かばない」と言っています。村上はうそを言っています、運ちゃんといっても、ポン中の運ちゃんだと、わしは看破しております。
さて、コストがまだ気になっておられるようですので、ベトナムに平和を! の時代までさかのぼってみましょう。あの時代に、おもしろい議論がありました。赤十字の医者どもは、なじぇ兵士を助けるのだ、というものです。兵士を助けると、拾った命で、また人殺しをするだけだから、兵士など全員死んでしまえばいい、という議論です。結論をいうと、医者だから、しかたない、全員助ける、と赤十字は言ったわけです。全員殺す、という人もいれば、全員生かす、という人もいるのが、世界であり、社会でしょう。そして、生き延びた人間の「表現」が、数十万の人々の命を救うということも、確率的に低くとも、ある、わけですね。
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-04 00:19:37
戦争時の兵士と凶悪殺人者と一緒にすべきではないですね。『人を殺す』ことは同じですが環境が全く違う。だから例示として不適切。
あと、その小説家は非国民だろうとなんだろうと人を殺ろしていないわけだ。どんな活動をしていようとやっぱり人を殺したのとは訳が違う。ナンセンス。興味もないので調べもせず。
ところで今日、なんの罪もない女子高生が強盗殺人でレイプされ財布を奪われ殺されましたね。犯人は捕まっても死刑にならないでしょうね。数年後出てくるでしょう。
作業員さん、山崎さん含め、犯人の更生にどのような手助けが出来ると思いますか?
※死刑廃止論者の方々、華麗にスルーすることなく是非ご意見をお聞かせください。更生には社会の理解と手助けが必要なのです。※
死刑が廃止になり、ホームレスが強盗殺人をしたらどうなるのかな?捕まるまで豪遊し、捕まったら三度の飯と寝床付き。生活水準が向上し、寿命も延びるかな?
人権はお金に換算できないのでしょうか?
(
くまさん
)
2008-05-04 00:36:41
>>愛彦
>しかし、殺人者は
>
>人命+機会費用>地球
>
>なんですよ。一般人が
>人命>地球なのに、図々しくありませんか?
おっしゃる論理では、機会費用の符号が逆転する、例えば刑務所の生産性が大幅に向上して、独立採算が可能になれば、死刑にするより終身刑にする方が良いという理屈になります。あなたや、被害者の親族等は、それで納得されるのでしょうか?実際は、人権とか被害者感情とかもろもろをお金に換算しなければならないと思います。
余談ですが、私は「人命は地球より重い」とも思いませんが、人命はタダだとも思いません。「読売巨人軍は永久に不滅」だとも思いません。
Unknown
(
レイスト
)
2008-05-04 00:37:08
>犯人の更生にどのような手助けが出来ると思いますか?
死刑廃止論者の方は出所した凶悪犯罪者の社会復帰に
積極的に力を貸せばいいと思います。更生を信じているなら元強姦殺人犯を自分の娘の隣の部屋に下宿させてやることも可能なはずです。
お詫びと訂正
(
くまさん
)
2008-05-04 00:42:43
2008-05-04 00:36:41にて、愛彦さんに敬称を付け忘れました。気を悪くされたら申し訳ございません。お詫び致します。
国家を甘く見てはいけまへんよ
(
作業員
)
2008-05-04 00:50:07
人大杉は、人を殺していないのに、井戸に投げ込まれました、たしか、女子供も一緒でなかったですか? それぐらいは、調べるべきでしょう。死刑は、大衆のリンチではありまへん、国家、が行うものです。
更生更生とおっしゃいますが、更生プログラムのない法体系にかえろ、ということでしょうか。現在、死刑はちゃーんと存在していて、死刑でなければ、法律に基づいて、彼らは出てくる、わけですよ(個別ケースは、ケースが確定してからね)。更生させたくない、その信条をまず正直に吐露、すると、読者は理解しやすいのではないでしょうか。ちなみに、欧州のいくつかの国では、そりゃもうあんた更生更生更生、どぎゃんやつでも更生させるんじゃ、という、意気込み、だけは感じられる制度があるような気がしますが。すでに、死刑は、廃止、されているのですよ。出てくるのも、当たり前でしょう。再犯、の話なら、よくわかるのですが、生活保護、がコストというなら、店主とわしが、金を貸してやればええだけですね。という以前に、なんと読むのか読めないのがなさけないですが、愛さんは、本当に、永山ケースも永山基準も知らずに、当該元少年を、殺せ、と言っているのでしょうか? 別に、何かを知っている、ことは、自慢にもなりまへんが。
ひとつ、不思議だな、と思うことがあります。せっかく匿名で語れるのに、なじぇわざわざ、殺せ、と言うのか、ということですね、気分が悪いでしょう。わしが存置論者なら、ハンドルなら、殺すな!と遊んでみたりするでしょう。
コストの問題は、出てきた人間を全員チベット送りにする、でどうでしょうか、チベット僧にしてしまえば、もう人殺しはしないでしょう。
で、終わればええのだが、ながくなるのが芸のわしなので。日本でもっともチベット僧に詳しい藤原新也のネタを書いとこうと思います。山門の前で、すっぽんぽんになって、あちら側に入り、修行を始める、食べるのは、土くれ、にしか見えないものが日に、一度か二度、お湯に草が浮いたものが添えられるだけ。そういう修行を五年、十年、と続けて、すっかり悟っているとしか見えない僧が、満月の夜だったかどうか記憶があやふやだが、寺を駆け下りて、山門からこちら側に逃げ出す、ことがあるそうだ。人間は弱い、おっしゃるとおり、鬼畜かもしれまへん。更生も、期待する、に止まる、のは確か、かもしれまへんね。にしても、コスト、などで考えると、コストを負担する暇人が現れたら、自身の情緒が揺さぶられてしまうではないですか。楽天ミキタニは、イージス艦三隻分の資産を持っているのですよ、ミキタニが面倒をみれば、死刑は廃止してもいいなら、簡単なことですね、いや、だからこそ、簡単なことではない、か。人を育てるのに、金がかかるのは、よくわかりますね、人を育てない社会が、今、ですから。ちなみに、人を育てる方法として、店主は、「丁稚にだせ!」、と言っていました、わしは、会社が負担しろ、というオーソドックスな意見で、犯罪者については、社会が負担しろ、とまた教科書的、な話にひとまずして、あとは、店主に投げましょう。
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-04 00:50:36
>>くまさん
機会費用の位置を間違えてしまいました。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-04 00:56:05
煽りたてられた感情は、絶対的終身刑ぐらいでは、なだめることはできないのかもしれませんね。
ケースに戻して、寝ますが
(
作業員
)
2008-05-04 01:16:24
彼が、戦ったのは、わが鬼畜国家日本の現行死刑制度、であったのは確かですが、壁、となったのは、少年法、です。右なら、花田ウィルでもお調べください、永山ケースはもう結構でやんす、わしが担当しましょう。では、おやすみな拝。
全員死刑で何が悪い!
(
愛彦
)
2008-05-04 01:26:30
>>作業員さん
永山基準、一応存じております。まったく馬鹿げた基準ですね。だから、法律関係者は、経済学者にア法学部出の何も分からないやつと言われる訳だ。
さて【更生】ですが、作業員さんの物言いだと出所して出てきたらもういいと。 私はあなた方死刑廃止論者に対して、死刑が思い通り無くなり終身刑が創設され、終身刑に値しない程度の殺人事件が発生した場合のことを述べているのです。【更生】は出所しただけでは終わりませんよね。就職し、全うな人間生活を送り続けて完結するものでしょう、形式的では無く実質的に。そこまでには多大なコストがかかるでしょう。様々な偏見、中傷…再び道にそれる誘因は様々でしょう。
で、あなた方死刑廃止論者は【更生】に何が出来るのかということです。
金を貸す、数千円貸したところで就職苦、生活苦、折れそうな心を立て直すことが出来るでしょうか?
さて、作業員さん、あなたに何ができますか?クドイ文章は不要です。述べてください。
無責任で机上の空論ばかり述べる死刑廃止論者には現実を直視せよ!と言いたいですね。就職斡旋も出来ないくせに。出所しても身内のお荷物、これが現実です。
自由の問題として
(
床屋政談
)
2008-05-04 01:46:36
皆さま
私は死刑存置をすべきだと思うのですが、
死刑を廃止すべきだとお考えのかたは、
遺族が(被害者の生前の意思が加味されていればベター)、どうしても許せない、と思った場合に、
国家が強制的に死刑を選ばせない、という問題については、どうお考えなのでしょうか?
◎
私は、第三者や友人知人、周囲の人間が、「やめておいた方がいい」ということ自体は理解できなくもないのです、そういう勧めがあるのは自然なことです。
しかし、強制的に「死刑をやめさせる」ことには、どうしても抵抗があります。(死刑の廃止とは他ならぬ不完全な国家がそれを行う、強制するということです)
◎
殺人は、被害者や遺族にとって取り返しのつかない犯罪です。まさに、何をしても被害者が帰ってくることはないのですから。
だからこそ、犯人を静かに葬ることで、気持ちの区切りをつける、そういう選択肢、もっといえば「自由」は、あってもよいのではないですか?
なので、私は遺族が死刑を望む自由があっていいと思います。(そして終身刑もあっていいと思うのです。そのあいだ、遺族は態度を保留してもよいかもしれません)
◎
『裁く側は、裁かれる側(犯人)よりも、道徳的に優位にあるべきだ(死刑では殺人を犯すという意味で同類になってしまう)』
というのは、なるほどそうあるべきですが、
それゆえに死刑とは、法的な手続きをへて、犯人に罪の重さを見つめなおす時間をあたえ、複数の第三者的人間の面前で、命を絶つ、というプロセスがあるわけです。
被害者にふりかかる悲劇としての、犯罪「殺人」
より、実態として、十分に、道徳的に優位、といっては、言いすぎでしょうか?
※以上は、容疑者が殺人を犯した事実が確定している場合を前提にしています。冤罪については、死刑の廃止ではなく、事実認定の厳格化で対応すべきだと思います。
◎
逆に、死刑廃止派の方が、以上の観点に対して、遺族は犯人を「国家に任せず、自らで殺す(依頼を含む)べきだ」とおっしゃるのならば、
「自由」の有り様への、べき論として、個人的には、わからないでもないのですが…
遺族の希望について
(
k
)
2008-05-04 02:30:10
私は遺族の希望で死刑になるような仕組みには反対です。
遺族の希望で死刑になるということは、
遺族がいない場合には死刑にならないということです。
家族がいるものを殺した場合は死刑になるけれど、
身寄りのない者を殺した場合には刑が軽くなるというのは、
気持ち悪くはありませんか?
もっと言えば、
加害者が金持ちで、示談が成立した場合にも
刑が軽くなるということですよね。
私は、犯した事実によってのみ刑が決まるべきだと思います
死刑制度のあるなしには関係なくそう思います。
Unknown
(
床屋政談
)
2008-05-04 03:05:03
kさま
ご指摘のとうり、
「身寄りのない者を殺した場合に刑が軽くなる」のは
気持ち悪いと思います。
私も、被害者=遺族ではないと思っています。
ただ、犯した事実によってのみ、とも、個人的には言い切れません。
たとえば窃盗などについては、犯人の背景などが加味されることはあってよいと思います。
殺人についても、遺族の希望や被害者の生前意思が、
重視される意見としてあってもいいのではないか、と感じるところがあります。
ただし、遺族といっても色々です。たとえば、夫や、示談金を受け取りうる誰かが(重罰で禁止する方法もありそうです)、唯一の代表者ともならないでしょう。現実的には複数の異なる意見の遺族がでてくるでしょう。それでいいと思います。恋人や親友など、広い範囲で遺族と考えてもいいと思います。
そこで、死刑を廃止するということは、ある事件の個別の遺族や被害者が死刑を望むということ自体を、国家が強制的に一律に排除することになりませんか? というのが先述のコメントの主旨でした。
日本国民全員死刑
(
アベルフ・シンドラー
)
2008-05-04 03:28:40
更正にかかるコストと困難さを死刑存置の論拠にするのは危険だと思います。その考えを突き詰めた場合、日本国民が全滅します。中国からの侵略戦争を待つまでも無く。
再起など図られてもコストがかかるばかりで迷惑だから死ね、というルールが適用されると、まず現状においてのホームレス、失業者、非正規雇用でカツカツの人、病人、老人、子供(←コストと迷惑の塊)そのほか諸々の弱者が殲滅されます。
次の段階では、残った日本国民の中で再び優位と劣位の選別が行われ、諸々の弱者が殲滅されます。
さらに次の段階では、残った日本国民の中で再び優位と劣位の選別が行われ、諸々の弱者が殲滅されます。
以下えんえんと続く。
『さあ、あんたは生き残ることが出来るかな?』
更生の手助け
(
山崎元
)
2008-05-04 04:03:56
愛彦さま
>作業員さん、山崎さん含め、犯人の更生にどのような手助けが出来ると思いますか?
人間はそう簡単に変わるものではないし、更生のために他人が出来ることは、せいぜい本人が考える時間を与えるくらいのことでしょう。加えていうと、更生したかしないかを判別することが極めて難しいですね。
ただ、それでも、更生する人はいるのでしょうし、そういう人が、一生刑務所で仕事に励む、というようなことが幾つかあれば、それで十分いいのではないでしょうか。
罪人が「絶対に更生しない」とは言えないし、国に殺人の権利を与えたくないし、ということで、目下、私は死刑廃止に傾いています。
(ついでに言うと、「戦争できる普通の国」化にも反対です。ここでは議論しませんが、戦争するくらいなら、侵略される方がましだと考えています)
死刑廃止にはコストが掛かるだろう、というご指摘もその通りですが、上記のような自己満足に共感する人がたくさんいたら、コストを掛けてみてもいいのではないでしょうか。
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-04 04:05:24
>>アベルフ・シンドラーさん
義務教育は受けられましたか?気は確かでしょうか?私は人殺しは死刑であるべきと主張し、その論拠として【コスト】と【更生】を出しているのです。分からないなら首を突っ込んでこないでください。
死刑とは切り離した話ですが、子供は最初はコストはかかりますよ。しかし、将来付加価値をもたらすので許されるのです。さらに将来を見越してコストをより多くかけるのです。生活保護者は将来付加価値を生まないだろうから役所に疎まれます。ホームレスは、未来永劫、付加価値は産み出しませんが、殺人リスクが低いと思われていて市民に危害を加える恐れがないので、道端に寝ていても無視されています。
死刑を望む自由
(
k
)
2008-05-04 04:11:41
床屋政談さん
遺族の感情は刑に反映すべきではないと考えています。
理由は述べました。
残りは被害者本人の感情ですが、
殺された後で被害者が意思表示をすることはありえないので
生前に自分を殺したものを殺して欲しいと表明した場合のみですね。
私の判断は弱い賛成です。
故人の意思は尊重されるべきだとは思いますが
死刑存置にまつわる様々な問題を全て覆すような物だとは思いません。
死刑を1件執行するのに3億ぐらいかかるといいますが
死んでから復讐してもらうよりも
そのお金を防犯に使って、殺されないようにしてもらいたいものですね。
復讐権は認めない方がいいでしょう
(
山崎元
)
2008-05-04 04:12:43
床屋政談さま
>私は遺族が死刑を望む自由があっていいと思います
言葉通りに「望む」だけなら、その自由はあってもいいでしょうが(心の中の問題ですし)、死刑を望む「権利」は制度的に無い方がいいと思います。
もちろん、哲学的には、人を殺す(復讐する)自由はあり得るでしょうし、経済学的にも、自分にとってのコストを考えてその自由を行使しようとする個人(遺族)はいるでしょうが、社会としては、これを止めることが望ましいのではないでしょうか。
もちろん、いそいろな選択肢はありますが、「人はできるだけ殺さない」という原則が、人間が社会を構成するベースであるべきではないでしょうか。殺す主体が個人であっても、国であっても、同じ事でしょう。
前回の続きです
(
ブロガー(志望)
)
2008-05-04 07:18:34
>自爆テロをしそうな「そいつ」をどう特定し、殺害するのでしょうか?
>"24"みたいな話ですね。
「疑わしきは殺す(事も辞せず)」です。例を挙げれば
「テロ警戒中に警官の制止を振り切って逃げようとす
る人間を射殺」といった。単なる犯人なら捉まえれば
良いのでしょうが自爆テロリストなら「当初の目的が
達成できないのなら警官等を道連れに自爆」する事も
ためらわないでしょうし、後で「実は無関係」で
あった(他に疚しい事があったから逃げた等)事が分
かってもそれこそ「一度殺された人間を生き返らす事
は不可能」です。それと長崎県佐世保の銃乱射事件で
は犯人は自殺してしまいましたから死刑も何もあった
ものではないでしょう。それは「『するしないは最終
的には本人の判断に委ねた』以上『罰を厭わない
(死刑の場合は死を)人間には阻止力は無い』という
刑罰"それ自体"の限界」であり、死刑"だけ"に限った
事ではありません。「シャバでは食えないから刑務所
に行くために犯罪を行った人間」というのが再犯者の
中には少なくないそうですし、「自由よりも一生食べ
るに困らない事を選ぶ」「元は犯罪組織の一員だ
が犯罪組織に命を狙われるはめになった(おそらく一
生)。刑務所の中にでも逃げ込まねば組織の手から逃
れ切れない」で終身刑を求める人間も出るでしょう。
それと「死刑のためなら凶悪犯罪の厭わない」人間が
「死刑さえなければ何もしない」とは思えません。人
質を取って篭城し、「犯人の命か人質の命か」という
状況でも作るのではないでしょうか。その中には「終
身刑という"生きながらの埋葬"には絶えられない」と
いう人間もいたりして。
「するしないは最終的には本人の判断に委ねた」刑罰
ではダメという事になれば、「人に判断を委ねな
い、選択肢を与えない」しか無くなります。例えば銃
乱射事件や「隣人等のトラブルを、相手を撃ち殺す事
で解決しようとする人間」が後を絶たなければ「銃自
体を持たせないようにする(猟銃も含めて)」しかな
いでしょう。「撃ち殺したい奴がいるから」と許可申
請する人もいないでしょうし、狩猟のために許可を
取った人間が人に銃を向けない可能性が無いとは言え
ませんから(それこそ家族が犯罪の犠牲になった時そ
の犯人に向かって)。それは「あくまで狩猟のため」
という人間からも「持つ自由」を奪うという事です。
それかアメリカのように「銃に銃で立ち向かう」事を
"個人に"求めるか。コロバイン高校の銃乱射事件に関
し故チャールズ・ヘストンは「学校に銃を持った警備
員がいれば済む事」とか言ったそうですし(なら犯人
は裁判の死刑判決を受けた刑務官でも裁判所の許可
を受けた警官でもなくただのガードマンに殺され
る?)。これが「自動車」「酒」(飲酒運転等)「イ
ンターネット」(ネットいじめ等)となれば個人の自
由はどんどん奪われてより国家等に"依存"するように
なっていくでしょう。現にイギリスではテロ対策等の
理由であちこちに監視カメラがあるそうですが、それ
はプライバシーがそれだけ損なわれているという事で
す。
死刑廃止論者の言い分には「死刑(だけ)には当て
はまらない」ものが多いように見受けられます。
・死刑は残酷で非人道的-残酷で非人道的なのは死刑
ではなく殺人
・冤罪の可能性-冤罪は刑罰でなく事実認定の誤り。
無実の罪で服役させられた人に「生きて帰ってこら
れたのだからいいではないか」とは言えない
・死刑を執行しなければいけない刑務官-敵の兵士を
撃ち殺さねばならない兵士はどうなる
それは死刑廃止論者が「死刑"だけ"を見ている」から
そうなるのでしょう。そういった視野の狭さ(終身刑
ができればそれ自体が批判の対象になる他)を克服し
ない限り死刑廃止論が現行の支持者から支持を広げる
事は困難でしょうし、それにすら気付けないのなら死
刑廃止論に未来(進展)はないでしょう。
最後に「制度の変更は、定着すればそれが"当たり
前"になる」ものですから、「死刑の代わりの終身刑」
は死刑廃止が実現すれば"用済み"になるでしょう(死
刑に向けられていた批判が終身刑に向かう?)。終身
刑が定着するとすれば「人が(刑罰等を考慮して)悪
い事をしない事も、悪い事をした人間が反省して立ち
直る事も期待できない。だからそういった人間を社会
から排除する事で他の人間の安全を図る」という考え
からでしょうが、今死刑廃止論を唱えている人間がそ
ういった考えを受け入れるかは分かりません。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-05-04 08:45:27
18世紀に「時は金なり」とベンジャミン・フランクリンがのたまった以来、経済合理主義は驀進し続け、ついに20世紀~現代では「命は金なり」に至ったようです。まさか経済合理性が死刑の原理として主張されるような時代がやってこようとは!
せめて経済のために人間は生きているのではないと、心もとないながらも思いたひ。
為にする議論
(
サムライ
)
2008-05-04 10:21:47
山崎様こんにちわ。本村さんの神通力をちょっと素朴に信じ過ぎていらっしゃるのではないでしょうか。彼が世論を動かしているように「見えた」のは初めに世論の死刑肯定とそれを後押しする材料のニーズがあったからで仮に彼が下唇を噛み締めて死刑廃止を唱えたとしてもその声は黙殺されたのではないかと思うのです。
実際兄弟を殺された遺族の方が自分は兄弟だから親や子どもを殺された方とはその心情は違うかもしれないけれどと注釈をつけかなり慎重に現行死刑への疑義を呈したにもかかわらず匿名の無言電話のような嫌がらせを受けたそうです。臥薪嘗胆、犯人の死刑を願いひたすらストイックに遺影の前で手を合わせるような世の中が求める犯罪被害者像の押し付けを強く感じたとのことです。
だから本村さんが死刑廃止論を唱えていればそのまま逆に振れたと考えるのはちょっと楽観的に過ぎるのではないでしょうか。真に本村さんのためを思ってではなく自分の利害、それは個人であれば日々の鬱憤、八つ当たりの捌け口として福田被告は格好の対象であるし、国家(を動かせる人)であれば殺人権を担保できるという思惑が働いての今回の「本村フィーバー」だったと思います。死刑を”娯楽”として消費している人々がいるということです。
Unknown
(
レイスト
)
2008-05-04 10:28:55
>「人はできるだけ殺さない」という原則が、人間が社会を構成するベースであるべきではないでしょうか。殺す主体が個人であっても、国であっても、同じ事でしょう。
そのためには目先の死刑や戦争、軍備増強を
躊躇してはいけないと思います。
かつて英仏は目先の戦争を躊躇し、ヒトラーを
増長させました。その結果、英仏はドイツが欧州最強となった時点で戦争することになりました。
ヒトラーの軍隊が弱小なうちに戦争していれば
「人はできるだけ殺さない」ことが可能だったのです。
無期懲役を終えた殺人犯が出所後(仮釈放?)に
殺人を犯し、結局死刑になった事件が最近もあった気がします。彼を死刑にしていれば「人はできるだけ殺さない」ことが可能だったのです。
「人はできるだけ殺さない」ためにこそ
死刑、戦争準備が必要なのです。
死刑は特殊
(
くまさん
)
2008-05-04 10:53:35
>>ブロガー(志望) さん
> 死刑廃止論者の言い分には「死刑(だけ)には当て
>はまらない」ものが多いように見受けられます。
「死刑」だけが特殊なのですよ。死んだ人は生き返らない。これが全てです。やってしまったら、取り返しが付かないのです。非現実的ですが、死んだ人を生き返らせる技術が確立されれば、「死刑」と「その他の刑罰」を同じ土俵で論じることができるのではないでしょうか。
誤謬
(
サムライ
)
2008-05-04 10:54:51
レイスト様、その「目先の死刑や戦争、軍備増強を
躊躇」しない側の良心性はどうやって見分けるのでしょうか。ヒトラーを”悪”と認識できるのは後世歴史を学んだ我々だからであって当時のドイツ国民は当然ヒトラーを”正義”と判断して全権委任にまで至ってしまっているのです。仰っていることは説得力のあるように見せかけて綺麗事を並べて大衆に訴える能力のある力を欲する野心家にはとても都合のよい論理です。
死刑にせよ、戦争にせよ”他者”に生殺与奪を任せてしまう危険なものです。少なくとも良心の担保を取れないのにそれを行うのは騙されてばかり、或いは騙されたこともない世間知らずのお人好しか権力に組している者としか思えません。
一番酷い例として宅間守元死刑囚がいますが、死刑になりたいといって犯罪に手を染めるものもいますね。世間に八つ当たりしつつ簡単確実な国の自殺装置を使うために殺された人はたまったものではありません。
サムライ様へ
(
レイスト
)
2008-05-04 11:17:51
サムライ様へ
>ヒトラーを”悪”と認識できるのは後世歴史を学んだ我々
英仏の側からするとベルサイユ体制を一方的に次々に打破している時点でヒトラーは「悪」だったはずです。英仏政府は国家百年の計としてヒトラーに
早期に宣戦布告すべきだったのです。
>死刑にせよ、戦争にせよ”他者”に生殺与奪を任せてしまう危険
そうですね。しかし、現在の国家には(独裁国家を除き)死刑執行・戦争開始には社会的なルールがあります。それは不完全ではありますが、神でない人間には
仕方のないことです。人類の進歩を祈るばかりです。
>騙されてばかり、或いは騙されたこともない世間知らずのお人好しか権力に組している者としか思えません
私は一介の(適度な)軍備増強・死刑支持者に過ぎません。
>間守元死刑囚
現行の死刑制度の限界ですね。死刑廃止論者の
方々は他国を研究し、死刑と代替的な社会制度・技術
の発展に尽力し、死刑廃止に努力するしかないと
思います。思弁だけでは制度は変えられない気がします。
死刑は効用最大化だ!
(
愛彦
)
2008-05-04 12:27:47
>>床屋政談さん
復讐権、半分賛成します。遺族が望むことをやるのは遺族のこれからの労働生産性を高めるでしょう。被害者が戻ってこないからこその復讐権。理解できます。死刑囚の今後の(無いに等しい)労働生産性を奪い、遺族の労働生産性がさらに高められれば、国全体にとっての全体最適化となり何よりです。半分反対なのは、適用範囲が曖昧になることです。被害者やその家族、友人の減少分の労働生産性+被害者の機会費用≦犯罪者の今後の労働生産性なら復讐権を適用しないほうがいいでしょう。まぁ、こんな式は軽犯罪しか適用出来ない場合でしょうが。
それにしても、『死刑』と『戦争』を結びつける【歴史馬鹿】みたいなのが、必ず現れますね。次元が違うっていうのに。
次元の違うものを対比して語っても何も生まれません。
死刑の適用範囲が物価が変わる様に歴史の変遷と共に変わって当然です。加害者の命の価値もね。被害者含め一般人の命は尊い、これについては変わりません。
またさきにいわれた
(
作業員
)
2008-05-04 12:28:23
わしが、愛さんおこだわりの、貧乏なマエ持ちの更生についてでけることは、池波正太郎「男の財布」で、千円貸してやる、で十分すぎるぐらいだと思っています。わしの耳には、八百万の神々に仏様観音様滝栗様そしてキヤノンの御手洗トイレの神様の声が聞こえます。「さぎょーいんちゃーん、無理スンナよ、八百円でいいよ、あとは、楽天ミキタニにたのもうよ、キヤノンの名前はださないでね、キヤノンの名前だけは」。更生を特定個人や特定企業の責めにして、なんになるの?
で、死刑存置論者の最後の最後に残るのが、愛さんのような唯物論者(アカ)だと、わしは思います、唯銭論者の頭目は、竹中下駄蔵、さすが、日本を代表する進歩派の経済学者さまです、二番目は、敬愛する真壁先生です、こっちはいささか浪花節です。殺人者を殺しても、殺人者の魂は消えません、右派というのは、そもそもスピリチュアルな人々なので、あることを契機に、死刑廃止に傾く、というのは、想定されます。
ベトナムの話で、さらにだらだら続けましょう。兵士、と書けば、自衛隊のような組織が浮かんでしまうのが、平和ボケ、なのです。この場合の兵士は、ベトコンであり、小学校の女教師、十歳の子供、そういうテロリストのことです。愛さんに理解でけるようにたとえれば、北の拉致実行犯、などでしょう。欧州に、残虐事件がない、とお思いでしょうか? アイアーランドその他、いくらでも無残な死、があるわけですね、そういう、日常、を乗り越えて、死刑廃止、はすでに実現しているわけです。交戦権放棄をすでに実現している、わが鬼畜国家日本において、死刑が廃止でけない、わけはありまへん、早晩、死刑は、廃止されます。が、やはり後学のために、なじぇ、日本では死刑を廃止することが(今のところろ)でけないのか、は知りたいですね。愛さんは、もっと、長く長く、自身を語るべきではないですか。ちなみに、医師には医師法のしばりがあり、墨(マエ)が入っているやつは見ない、とかは言えまへん、肝炎の感染には注意します。世の中には、一定の、聖職者、が必要なのです。
出所の話ですが。罪をつぐなって出てきたら、それはもはやしかたないでしょう。罪刑、が、法定、なんだから、それ以上、法律にはでけまへん。法律を超えた社会プログラムがいるなら、制度として、民主へっぽこ原口(心理出)に用意させますので、今度の選挙は、へっぽこ民主党にでも入れてください。
そういえば、永山基準はご存知だそうですが、永山が、論理哲学大綱(やったかなあ、なんかちゃうなあ)なるいんちき思想書まで書いたことはご存知でしょうか。帝銀ケースの平沢は、画家でしたか。金やんのところの本部長だったことより安倍のアホボンの家庭教師だったことの方が有名なパチンコ大好きサンジャポ平沢は、たしか、終身刑創設に動いているんではないでしょうか。金やんのところのアホポリの数え切れない不祥事の処理の過程で、国の無謬性、に疑問を持ったのですよ、絵心のない憎めない平沢は。平沢なんかは、隠れキリシタンならぬ隠れ死刑廃止論者ですね、ほかにもいっぱい、隠してそうですが。あと、隠さず言えば、店主もわしも、経済出でっせ。嘘、をまきちらすと、運動は急速に収束に向かいます。
これも真逆でんな
(
作業員
)
2008-05-04 12:45:04
>『死刑』と『戦争』を結びつける【歴史馬鹿】
わしは、死刑と戦争を結びつける店主のセンスに、ちょっと、驚きました。ほぼ毎日、銭勘定してきただけの貧乳好きの株屋にしては、とても、いいセンス、だと思いました。株式投資だけでなく、死刑・戦争センスにもタケテイルって、ちと、でけすぎでんな、また、売れそうだ。愛さんも、売れない「新しい株式投資論 ピーエッチピー」を買って、せっかくなので、店主のセンスについて、学んでやってください、いまだ更生不十分なるわしが、なじぇか勝手に校正しております。結論として、人は小説を読むべきであるし、小説家と、機会あれば接触するべき、なのだろうと思いました。文豪村上言うように、内観、は捨てたものではないですね、タコ企業の研修で、二時間、なんてのは、ちと、お粗末にすぎますかな、儀礼としての意味以外にはないでしょう。
甘い、甘すぎですよ。
(
鉄腕28号
)
2008-05-04 13:07:55
罪のない母子を殺して死刑にならないなら、私怨による殺人が無限につづくことになりますよ。
江戸時代の仇討ですよ。
本村さん、意志強いから、もし、死刑にならなければ仇打ちしますよ。応援しますけどね。
で、返り討ちにあえば、その一族の戦闘DNAは弱かったので歴史から退場する。
死刑制度は、仇討の連鎖を防ぐ文明の知恵です。
それがわかりまへん
(
作業員
)
2008-05-04 13:13:13
経済合理性にたけた小泉や竹中は、大義のないイラク戦争を支持し参戦したわけですね。イラクで死んだ無辜の民の仇討ちは、国家や文明がやってくれますのでしょうか。国家は、特定個人の救済はしません。ワンノブゼムはワンノブゼム、ではないですか。イラクの無辜の民の復讐を、応援しますか?
リスク
(
サムライ
)
2008-05-04 13:37:07
鉄腕28号さま、死刑廃止国で「私怨による殺人が無限に」続いていますか?そんなことはありません。不適当な推量による雑な議論だと思います。
また、文明が進んで死刑廃止国が増えているのであって死刑が文明の知恵というのも嘘もいいとこです。そんな浅『知恵』で犯罪を『抑止した』気になっているというその国の『文明』度を示すという意味ではよい尺度かもしれませんが。
殺し方も少し
(
作業員
)
2008-05-04 13:43:00
>命を絶つ、というプロセス
森達也がよく出している例のように思うが、違っていたら、だりか訂正してください。70歳の死刑囚がいます、あと一年でほっといても死ぬでしょう。国家は、虫の息の70歳を、車椅子にのせて、例の場所、へつれていきます。死刑囚は抵抗する気配もありまへん。車椅子から抱きかかえられて、死刑囚への復讐は終わります。ベルトコンベアーで死刑執行とは、こういうプロセスに、心理的な抵抗も感じない、ということだと、わしはタカ派の鳩山の言葉を理解しております。違ったら、ハトに謝りましょう。
もうひとつ、死刑執行がなされたあと、被害者あるいは被害者ご遺族が、死刑執行に、強い後悔、の念を持った場合、さて、どうしますか。結論は、国家は、そぎゃんこつは、知ったこっちゃない、です。復讐の手伝いもええですが、後悔にも付き合えれば、もっとええですな、もちろん、更生に千円しか出せないわしにできることは、ほぼない、でっけど。
河野義行さんのこと
(
kayano
)
2008-05-04 13:53:06
「死刑制度反対!」を思い切って投稿してから丸1日にもならないのに、もう画面では凄く遠くなっていました。数えてみたら(ヒマッ!)それから40通も…。いろいろと気になるご意見、共感するご意見がありましたが…、いっぺんにこなしきれなくて残念。
で、とりあえずですが、サムライさまの「為にする議論 」は「そうだろうなあ」と思いました。「世間が求める被害者遺族像」以外の遺族は、世間から見えにくいのでしょうね。本村さんご自身もマスコミが伝える「被害者遺族像」とは違った面をお持ちでしょうし。
先日、松本サリン事件の被害者河野義行さんの講演を聞きました。事件当初ほとんど容疑者扱いされた方です。当時はそういう報道が連日マスコミを賑わしました。オウムがその後に地下鉄サリン事件をおこさなかったら、「殺せ。殺せ。」の大合唱の対象になっていたかも知れない方です。
奥様は13年たった今も意識が戻らず、ご自身も後遺症が残るそうです。講演テーマはマスコミによる報道被害でしたが、会場から「松本チヅオを死刑にしたいと思いませんか?」という質問が出ました。すると、きっぱりと「私の大切な人生をそういうくだらない人への思いに費やす気はない」という趣旨のことを言われました。「ああ、本当にそうだろうなあ」と思いが伝わってきましたよ。
しかしながら、店主さまのおっしゃるとおり、もし本村さんが「世間が求める被害者遺族像」にピタリとピントが合っている時点で(例えば今回の判決時)、「考えに考えた結果、私は犯人の死を望まない」とおっしゃったとしたら、世論に対してそれはそれは大きな力を発揮したことでしょうね。
そのへんが総括でしょう(若干BPO的)
(
作業員
)
2008-05-04 14:03:01
江原や細木がアリならば、顔相観の、当たるも八卦のわしの所見もあり、とさせていただいて。彼の顔は、すでに死刑廃止論者の顔に見えます。押売シンボーの顔をみていると、彼はもう使えない、というのが読み取れます。河野さんを、もっとも断定的に犯人扱いしたのは、大好きな安藤うなぎいぬ優子です(泣けるー)。マスコミは、学習することがありまへん、それは、大衆が、同じことを繰り返す、ということでおます(金やん風)。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-04 14:51:51
>radishfeelingさん
フランクルの夜と霧によれば、収容所に収監された筆者は、たえず健康であることを装っている必要に迫られたそうです。さもなければ直ちに訪れるであろう「廃棄処分」を明日以降に延期するために・・。
>ブロガー(志望)さん
ひとくちに死刑廃止論者といっても、たとえば私にとっては、絶対的終身刑はおそらくゴールですが、死刑廃絶の信念に燃える人たちの大半にとっては、おそらく通過点に過ぎないのでしょうね。
サムライさん
>それは個人であれば日々の鬱憤、八つ当たりの捌け口として福田被告は格好の対象であるし、国家(を動かせる人)であれば殺人権を担保できるという思惑が働いての今回の「本村フィーバー」だったと思います。死刑を”娯楽”として消費している人々がいるということです。
そのような人々にとっては、感情は、なだめるべきものでなく、煽られるべきものなのでしょうね。
愛彦さまのご意見
(
kayano
)
2008-05-04 15:08:15
一連の愛彦さまのご意見についてもひとこと感想を。
アベルフ・シンドラーさまご指摘のとおり、はじめは「ご自分だけは生き残る自信がおあり?」と奇異な感じを持っていたのですが、ふと気がつきました。愛彦さまは庶民・大衆ではいらっしゃらないのでは?庶民・大衆を「対象」として考えるやんごとないご身分の方では?例えば、実は自民党のほうの鳩山さんとか?
まさかそんなことはないでしょうが、愛彦さまのご意見を拝見していると、ある種の為政者の意識を代弁してくださっているような気がします。
・殺人者はコストがかかるから即死刑。薬物中毒者や性犯罪者なども
・生活保護者は社会のお荷物
・子供は最初はコストはかかるが将来付加価値をもたらすので許される
まだ触れてはおられませんが、後期高齢者もお荷物ということでしょうね。そして「お荷物でない」人たちに向けては「派遣法」などで絞り上げる。昨今のあまりに露骨な搾取の仕組みを作った為政者の方々の頭の中を覗く機会はあまりありませんが、愛彦さまには貴重な機会をいただいているのかな、と思ったりします。
人権の値段
(
くまさん
)
2008-05-04 16:18:42
愛彦さんにとっては、人権の値段は0円なのでしょうね。
時代によって変わる
(
山崎元
)
2008-05-04 16:46:42
くまさん様
愛彦さんは「死刑の適用範囲が物価が変わる様に歴史の変遷と共に変わって当然です。加害者の命の価値もね。被害者含め一般人の命は尊い、これについては変わりません。」とお書きになっています。
一般人の命が尊いことと、加害者の命の価値も変わる(ゼロでなくなることがあるということですね)ということにご納得されておられるのですから、考え方の小さな変化一つで(要は何に大きく自己満足するかの変化だけで)、彼も死刑廃止論者になるかも知れません。
また、それ以上にありそうなことは、国民の多くが死刑廃止にプラスの効用を感じるような変化が起こったときに、彼は、その方向を承認してくれるにちがいありません(経済的な「価値」や「コスト」は社会的なものでもあるから、市場のみんなが「価値がある」といえば価値を持つ)。
彼は、潜在的に、くまさん様や私の仲間です。制度を変えるためには、彼のような仲間を大切にしなければなりません。死刑廃止論者は彼に、ある時点で死刑廃止の社会的・経済的「価値」を論理とデータで示せばいいのであって、彼の存在は死刑廃止実現の決定的障害にはなりません。また、変心してくれると、強い味方(乱暴なぐらい強いので、はじめは却って足を引っ張るかも知れませんが)になってくれるはずです。
将来の仲間と仲良くしましょう!
そうそう
(
作業員
)
2008-05-04 17:32:38
奥谷も、改心?改宗?したのか、本日、朝の黒岩番組で、「ひきこもりを企業と国で助けにゃいかん、でける仕事させにゃいかん」、という、店主の先輩の西部(もうすっかり爺さんだ、ハゲムラとかわらん)氏の店主の大嫌いな国家社会主義的主張に、賛同、しておられました。が、たぶん、ひきこもりの人たちは、そう簡単に、奥谷を許さないでしょう、ひきこもりの原因、と見ておるでしょうから、ババアを。ひきこもり諸君、人を呪わば穴二つ、やけん、せいぜい奥谷を利用して、社会復帰しなされ、あわてんでよいから。
それにしても、黒岩いわく、「いやー、正直、ひきこもりが、こんなに大きな問題になっているとは、しりまへんでした」って、おいおい、公開で質問したいが、黒岩、ほなら、君、いったい、何を、知っておるのか? わからん、テレビってやつは、わからん。数字とるために、特定犯罪被害者を利用した、者がいたとしたら、そりゃまあ、総括くらってもしかたねーと、思うがなあ、外野からは、なあ、シンボー。
あ、言い忘れた
(
作業員
)
2008-05-04 17:52:02
愛さんは、ひとつごまかしているでしょう。子供、のなかにも、でける子供とでけない子供、社会の役に立つか立たないか、の峻別を持ち込むんですよね。それは、優生思想でしょうに。
Unknown
(
CO2
)
2008-05-04 18:23:03
本論から外れますが、一部に二次大戦の歴史解釈について気になったことがあります。
第三帝国を悪と決め付けるのは簡単ですが、歴史のプロセスとして、第三帝国を生み出すまでに追い詰められた当時のドイツの政治・経済的状況を無視する訳にはいきません。西欧列強の中での植民地主義後進国としてのドイツの位置づけ(日本もまた然り)から見ていかないと、単なる善悪の戦いの史劇となってしまいます。
考察点
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-04 21:52:49
>死刑廃止は戦争反対と平仄が合っているような気がして、好感が持てる。
「戦争には反対しても死刑制度には賛成」は成立するのではなかろうか、この点も考えてみたい。
■無辜で無抵抗の(若しくはそれに近い)人だけを標的に選び己が欲得のために(欲得抜きで意味も無くも含め)殺害し・苦痛と辱めを与えた殺人鬼に対して死刑を以って臨む処罰制度への賛意と、
■通常(多くの場合)初期段階に限ってとはいえ殺人用重装備のもの同士(正規軍かテロリストかを問わず)が行う死闘=戦争
に対する反対はつじつまが合わないのだろうか?
どうもそれ(つじつまが合わないこと)はなさそうに思います。
私は死刑制度賛成、戦争反対の考えですが上述の点は
両立し得るようと思え考察を続けています。
国というものを制限しよう
(
山崎元
)
2008-05-05 00:27:43
サイレントじゃないマジョリティーさま
こんばんは。
もちろん、戦争反対と死刑賛成は(前提次第で)論理的に十分両立する筈です。
戦争問題と死刑問題の共通の論点の一つは、国というものをどの程度信用するかでしょう。国の意思決定が正しいと仮定して二つの現象を見ても、重要な共通点が見えてきません。
「あいつを殺せ」と国が判断し、命令したときに、この判断・命令は信用できるのでしょうか。
私は、完全には信用できないと思います(←部分否定です。念のため)。なら、国の暴力の限界を、死刑(何とも不可逆的な刑罰ですね)の一歩前で止めておくのが良さそうだと思うし、交戦権は放棄させておくのがいいと思っています。
神のような無謬の視点で見たときに、「死刑が妥当」と思う場合があるとしても、それを判断する手続き上の正当性を国ごときに与えない方がいいのではないでしょうか。
98%(?)まで罰すれば、不完全な人間の制度が行うこととしては、それでいいのではないでしょうか。あとの2%は世間のみんなで、世の不条理を忘れることなく嘆き続けるのがいい。
復讐しないと気が済まないという人には、できたら諦めて貰いましょう。もちろん、刑罰を覚悟で復讐を行うという選択肢は個人(たぶん遺族)の選択としてあるのでしょうが、それをやらないことを望むのが、社会としては正しいのではないでしょうか。今の世論には、むしろ、復讐を煽るような、他人の復讐心や葛藤を娯楽として消費するような、邪悪な刺激を求める心を感じます。
冷静に考えると終身刑でもかなりの重罰であり、抑止効果はあります。
それに、国だの、社会だの、裁判だのと言っても、複数且つ複合的とはいえ、しょせん制度の仮面を被った個人(通常複数)が動かしているのが実態です。
「この犯罪には死刑が当然だ!」と死刑判決を喜ぶ日本国民は、(たとえばチェイニーに誘導されて)イラク戦争に賛成したアメリカ人と、国による殺しを正当化する点で似ています。
以上の考えは、死刑廃止論の「論拠」ではなく、心情的「理由」です。そうだと思う人も、そう思わない人もいるだろうと思います。(私も、二年も前なら、間違いなく「そう思わない」方に属していました)
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-05 01:12:12
>>山崎さん
山崎さんのおっしゃることとはうらはらに、厳罰化の流れの加速化は大変望ましい方向性だと考えます。
山崎さんがおっしゃる『国民の多くが死刑廃止にプラスに感じる様な変化が起きれば』ですが、まず有り得ない事象ですね。
一つあるとすれば、山崎さんの様な死刑廃止論者の嫁さんがレイプされ、子供が逆殺された時に、その死刑廃止論者が毅然とした態度で『愛する妻は、少年にレイプされ、殺されました。目に入れても痛くないほどかわいい子供も殺されました。しかし、少年には死刑を望みません。生きて償って欲しい。これを機に死刑廃止の方向で~』とか、言った時、くらいでしょうか?
山崎さんは言えるでしょうかね(笑)?
>>作業員さん
質問が論点ズレです。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-05 02:19:30
愛彦さま
なーんだ。あなたが遺族なら、という話に逆戻りですか。案外、工夫がないなあ(笑)。
●
ところで、死刑廃止の主要な論点ではありませんが、厳罰化の流れと、死刑廃止は必ずしも同一のものではありません。
経済犯だの、飲酒運転だのを厳罰化するのは、インセンティブの点で効果的で且つ追加的な予算を必要としない、良い政策でしょう。私も、この種の厳罰化に賛成の原稿を書いたことが何度かあります。
厳罰化が、経済学で言う「市場の失敗」に陥るのは、判断が曖昧な時です。罰する判断にマチガイの可能性がある場合、罰のコストが大きいと、人間の活動の縮小や誤った処罰による損失を生みます。
(前者については、最近は、痴漢冤罪が怖くて電車には乗れないという人が結構居ますね。私は有名ではないので平気ですが、それでも、状況によっては電車を避けることがあります)
「死刑もある」ということで暴力がより抑止されるのはいいことですが、処罰がマチガイだったときに、死刑の場合は不可逆的でリカバリーが効かないのは重要なポイントです。
現在の私の死刑廃止論の根拠は、単純な命の尊重と共に、「国」や「世間」に対する不信であり、後者に対する不信には、状況が変われば自分自身も「あいつは殺してもいい!」と言うのではないかという自己不信も含まれています。
議論としては、幼稚な(ゴメン!)状況設定だと思いますが、愛彦さんのおっしゃるような状況になったときに、私がどう言うかは、その時になってみないと分かりませんね。そういうことまで心配すると、前もって死刑を廃止しておくというのは、一つの解決案です。
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-05 03:14:31
>>山崎さん
『状況を一変させる事象』など起こりはしないという皮肉ですよ、ひ、に、く(笑)。
山崎さんがその状況で言える確信がないということは、限りなく現在の死刑制度維持の強固な世論が崩れる可能性はないというわけだ。一安心です。
単純な(他人の命を奪った殺人者の)命の尊重や国、自己への不信感程度で、死刑存続を主張されても世間は納得しないでしょうね。世間は情報に流されやすい面もありますが、合理的選択も出来るようです。実にコスト意識があるし、現状認識もある。後、被害者に対して実に“優しい”。
『葛藤を娯楽として楽しむ邪悪な刺激を求めている心』←朝っぱらから事件のたびに騒ぎ立て、被害者家族の心情もおしはからず、「情報をクレ!情報をクレ!」のワイドショーのコメンテーターをやってるあなたごときに言われたくありません。
小倉さんの番組でしたか?祖母孫二人殺人事件の山下清氏を殺人犯扱いしといて謝罪もしないでやり過ごしてる低俗番組。許せないですね。
【176訂正】
(
愛
)
2008-05-05 03:31:13
………単純な(他人の命を奪った殺人者の)命の尊重や国、自己への不信感程度で、死刑存続→死刑廃止、に訂正
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-05 07:52:47
山崎元さん
>復讐しないと気が済まないという人には、できたら諦めて貰いましょう。
あらかじめ煽られた世論は、いずれは公開処刑でないと気がすまないようになる可能性もあるのでしょうね。
>今の世論には、むしろ、復讐を煽るような、他人の復讐心や葛藤を娯楽として消費するような、邪悪な刺激を求める心を感じます。
社会が過渡期にあるためか、世論が、アジテーションの影響を受けやすくなっていることは確かですね。
(どなたかの口癖を借りれば、同じことは、歴史のなかでは繰り返されているのかもしれません)
考えかたを変えす
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-05 09:55:12
山崎様
コメント拝誦致しました。
脱帽です、私はどうやら苦しむべき点を間違っていたようです。
来年5月に裁判員制度が始まり指名を受ける(可能性はあります)前にこの議論をさせて頂いて、山崎さんとそして皆様の御意見をここまで伺えてよかったと本当にそう思います。
裁判員として証拠・調書・写真を見て加害者・弁護人の陳述と検察論告を聞き、そして御遺族被害関係者の方々のお話を直接に伺う状況下で、仮にその事件がこの光市のものであった場合、素直に心から今朝の時点での気持ちに一人でなりきれるかどうか些か不安を覚えるのも事実です。とすると予め死刑制度をなくしておくのは有効な一つの解決策なのでしょう。
不完全な人間だから「2%の(線を越えた)こと」は忘れ「98%しかしなかったこと」をいつまでも覚えている危険をおかしそうです。
>刑罰を覚悟で復讐を行うという選択肢は個人(たぶん遺族)の選択としてあるのでしょうが、それをやらないことを望むのが、社会としては正しいのではないでしょうか。>
死刑判決(多分特に執行後)に苦しむことのほうが無期懲役を宣告して苦しむよりも、不完全な人間としては正しのではなかろうか、そう思えてきました。
有難う御座いました。
死刑の効能
(
サムライ
)
2008-05-05 10:21:25
愛彦さま、「ひ、に、く(笑)。」などと嘲笑気味の体言止めを使われたり編集権を持たない番組に出演していることの責任を負わせて「あなたごとき」と詰ったりするのはいささか失礼かつお行儀が悪いのではないでしょうか。私”ごとき”に言われて極端に直したのではプライドもおありでしょうし、今まで書いてきた分のこともありますからその効果も疑わしいゆえ何も直せというのではありませんが、上品なコメントに対しては”浮いている”感があり行間に余裕のなさもみられて書き手の知性やお育ちを推し量る際いささか損な評価を受けるかもしれないということは頭の片隅に入れておいてもよいかもしれません。
さて、ここからは不特定多数の方に対してですが、自分が住む国は死刑が執行されない国が良いと考えている私でも一定の説得力を認めざるを得ないその効能とは一言で言えば所謂ガス抜き効果です。一般に死刑存続と死刑廃止の論者の特徴を考えるときどのようなものが見受けられるでしょうか。170件をオーバーしているこちらのコメント欄を上からご覧になるだけでも参考になるかと思いますが、ざっと俯瞰して分かるのは死刑存続を訴える人は逆の人に比べて総じて愛彦さまと似たような特徴がみられるということです。このことは様々なことを示唆していると思いますが、やはり八つ当たりの対象、攻撃衝動の捌け口としての「死刑」のニーズがあるのではないでしょうか。昨今始まった執行された死刑囚の実名公開もそれに応えたものと考えると実に自然です。
1999年に所謂動物愛護法ができました。私はこの法律は日本国政府が江戸の犬公方に堕した悪法だと思っておりますが余程荒んでいなければこんな法がなくとも普通は動物を虐待したりはしません。例えば猫を丸焼きにするような我々からすると異常な行動をする人を刑罰で抑え込んだ結果彼はその攻撃衝動をどこへ持っていくのでしょうか。どうせ我慢して動物でも捕まるのなら人に対して・・・とそう考えると動物にババを引いていただいた方が良かったと思いませんか。
本村さんに対しては福田被告はまごうことなき加害者ですが社会と対した場合彼もまた弱者であり犠牲者だと思います。父親に虐待され母親が自殺するような異常な家庭環境を考える時、本村さんと福田被告の生まれと立場、どちらかを選べといわれたら案外難しいのではないでしょうか。私は茶の間で菓子をパクつきながら本村氏を”応援”し、無自覚に福田被告に死刑コールを送る大衆を軽蔑します。実際は計画殺人で捕まるのに山崎氏を困らせる目的で書いている一番上のとおりすがりさんのような人も心底嫌な人間だと思います。しかし正直にマナーよくそれでもスケープゴートは必要なんだ我々は死刑を欲していると仰られるなら廃止を主張する前に死刑でなければ消化できない人の業について共に考える余地はあると思います。
サムライ様へ
(
レイスト
)
2008-05-05 11:15:52
とおりすがり様と愛彦様が書かれた
「あなたが遺族の立場だったら」という問いは困らせる目的はゼロだと思います。
社会学で「自分がその立場に置かれて、OKと言えないものは健全ではない」というのがあったと思います。
例として「黒人差別はいけない」がなぜ説得力があるかを考えましょう。それは多くの人が自分が黒人に生まれた時に差別されたら嫌だからです。
この点、山崎様は正直に「分からない」とご回答され
ました。「凶悪犯罪の遺族になるのは想像も共感もできない。しかし、抽象的に考えて命は大事だし、国も世間も自分も信用できない。であるなら死刑は廃止すべきだ」という言説はどこまでも抽象的で血肉が
感じられず、(少なくとも私には)説得力が感じられませんでした。
福田被告の不幸な生い立ちには同情します。しかし、
その罪の大きさは「8時間労働・読書と風雨遮断可能な」終身刑では贖えないと感じています。
猿は猿のままかままなのかままなのね
(
作業員
)
2008-05-05 11:16:36
また、先に書かれた。わしも、お犬殿様のことを書こうと思うとったんよ。わしはときどき、平沼日本会議の石原信者に連れられて、反自虐史観つまり自己都合主観の戦争展示、を見に行ったりするわけや。こういう神社本庁系の人が、たとえば、原爆投下、についてなんと言っているかというと。「原爆投下は、動物実験である。ケトーは、我々を、アジアの猿、として処理した」。まあ、チャンだのチョンだの言うてたのがわしらヤマトなので、お互い様、ではあるが、原爆はなかろう原爆は、とは、わしも思うね、ケトーめ。ほんでから、愛さんみたいに、優生思想を持ち出したり、「財政赤字のため、弾力的に死刑を行う」、なんて超トンデモな意見が、日本を代表する死刑存置論者の意見、として、すでに世界に配信されてしまっとるわけやね。ケトーが読んだら、あいつらこりてねーなあ、三発目の原爆はやっぱ猿の住む日本の上だウッキッキー、とか、ハナクソほじくりながら、言うてるで。別に、ケトーの猿真似する必要はないが、人間性、から離れてどうすんの。
で、お犬殿様のことやが。お犬殿様はねえ、犬だけを大事にしたんやないのよ。生類に憐れみの心をお見せになったわけや。事実、最下層、いわゆる被差別民に対していくらか配慮があった、ある意味名殿様、ともいわれとるんよ。猿も人なり、彼も人なり、と金八先生なら、言うかと思うが。どうも、死刑は廃止されそうやね、わがエテコ国家日本においても、早晩。
おっ立ち読み専門ではない方の本屋は、とても趣味がよくて、辺見庸の本を全冊、そろえていた。おい、三日遅れの毎日、わしに中元歳暮おくってこい。で、山本一太が土下座して謝るべき辺見の本の中で、改めて印象深かった部分は。最近の若者は、死刑の方法、を知らない、という部分だった。えっ、デッドマンウオーキング、じゃないんですか? って、震え始めるそうだ。縛り首吊るし首、やがな、家の裏の庭の柿の木にぶらさがった身内、ちゅうのが、どの家にも一人ぐらいはおる、人生は、楽なもんではない。ほんでから、若い衆は、死刑、を考える前に、せめて薬にしなくていいのですか、と言うわけや。正論や。アメリカでは、そうやって、残虐性とはなにか、を議論してきたわけやね。若者のケトー化は、二秒で済む、いずれ、死刑は廃止される。
>死刑制度賛成、戦争反対
戦争遂行を、死刑が補完するわけですね。ですから、(伝統)仏教徒は反靖国派、なわけです。裁判で言えば、百人ギリ訴訟、でも若い衆は、お調べください、反人権派、反ドキュメンタリー映画で有名な稲田先生ご活躍です。これもたしか、三日遅れの毎日、ですな、なんの因果か。百人千人と人殺しをすれば、英雄となって(訴訟では、毎日が勝手に書きやがったことにされとるが)、最後は、英霊として神社に祀られる、墓は別でっせ、これを別腹とかけて別墓といいます。これは余談だが、やんごとなき北白川なんかは、一座、として祀られるが、わしらヒステリックなエテコ臣民は、みんな、その他大勢、であります、何人首を切り落としても。百人ヤルなら、百人の女の気をヤレ、っちゅうねん、団鬼六ファンの仏教徒は。
全員死刑で何が悪いか!
(
愛彦
)
2008-05-05 12:35:11
〉〉レイストさん
その通りですね。分からないとはどういうことなのでしょうね(笑)。評論家特有の無責任な【世間がYESなら自分はNO】だとしても、貫いてほしかったんですが…。
〉〉サムライさん
どっちが品がないかよく考えてみましょう。
殺人事件を、次々新展開をみせるドラマ化し、被害者家族に『悲しんで泣いている暇があったら俺達の前に出てきて喋れ!』的ワイドショーに出演し、心にもない哀悼の意を語っちゃったりしておきながら(カネを貰っておきながら)、“葛藤を娯楽として楽しむ邪悪な刺激を求めている心”なんておっしゃる資格などないということです。加担しておきながらその言いぐさはないだろうと…。評論家特有の【世間がYESなら自分はNO】程度なんですよ、所詮。最近も「光市の元少年が死刑なら仕事やめる」的なことを宣言していたジャーナリストがいましたが、実際死刑になるとあーだこーだ言い訳付けて辞めない。自分の発言は所詮目立つための道具でしかなく、そしてなんと無責任なことか!基本、昼間からワイドショーに出てるような大学教授、弁護士、精神科医、エコノミスト、社長、ジャーナリストは信用してないわけでして…(今後昼間からテレビ見てないで大学行って講義受けますW)。
下の続き
(
愛彦
)
2008-05-05 12:36:55
〉〉サイレントじゃないマジョリティーさんのように【脱帽です】なんて使ったりして一見“もっともらしいこと”を鵜呑みに信じてしまうのは、かなり危険(○○商法にひっかかりやすい?)なのです。
必要条件と十分条件
(
山崎元
)
2008-05-05 12:43:03
レイストさま
コメントありがとうございます。
>どこまでも抽象的で血肉が感じられず、(少なくとも私には)説得力が感じられませんでした。
と仰っておられますが、お気持ちは分かるような気がします。
自分が「その立場」あるいは「当事者」だったらどう感じるかという想像をしてみることは、たぶん、人間の脳に組み込まれた機能が自然に行う思考でしょうし、社会生活や自分のあるべき行動を考える上で、必要な条件でしょう。
ただ、人間が感情に流されやすいことも事実で、しかも、この感情は状況によって変化します。単純に「理性」という言葉は(概念定義的に面倒なので)使いたくありませんが、自分の感情を客観視しコントロールしようとするような、あるいは「その時の感情」を「長期的に納得できる感情」の立場から制御しようとするような「意志」を人間は(全員かどうか分かりませんが、かなり多くの人が)働かせることがありますし、こうした意志は大切ではないでしょうか。
こうした思考は、理性と呼んでも、意志と呼んでも、「血肉」という言葉につながるような意味で感情的な、つまりリアルなものではありません。「抽象的」とお感じになるのももっともですが、ある意味では、抽象的であるがゆえに、「血肉」的感情から距離があるゆえに、価値があるのではないでしょうか。
あくまでも私の感じからですが、当事者への十分な感情移入・想像力という「必要条件」と、抽象的な思考という「十分条件」を、両者の矛盾や共通点を確認しながら、共に満たすように、結論を探ることが重要なのではないでしょうか。要は「当事者の気持ちを想像してみろ」という議論だけでは、不十分なのです。
もちろん、このある意味で抽象的なレベルの思考にあっても、「死刑存置」の主張がサポートされる可能性は大いにあります。(たとえば「絶対者」の視点・意志からの演繹であったり、経済学的なインセンティブの議論であったり、その他いろいろ)
死刑存置論者の言い分には、時にこうした抽象的・客観的なレベルの思考が欠けているように思うことがあり、この点、物足りなく思っています。
以上、決してレイストさんのご意見への批判ではなく、私なりの理解を述べてみたものです。
もう一点。
遺族の立場が、差別問題における黒人のような意味で100%当事者なのかは議論の余地がありそうですね。
被害者の遺族が不運であり、同時に一種の被害者であることはまちがいありませんが、彼らの立場に立つことだけで、まして「どう感じるだろうか」と想像するだけで、社会的なルールの適否を論じるのは不十分のように思えます。
「もし、お前の妻が・・・」という問いないしは叫びに、私が内容的に「困る」わけでないのはご指摘の通りなのですが、この点を言ってみただけ、という種類のコメントは、些か幼稚すぎて、相手をするのに気を遣わされて「困る」かな、というのが本音です。
破綻
(
サムライ
)
2008-05-05 13:18:21
レイスト様、愛彦様はマナーの悪さと攻撃性で、とおりすがり様は「困らせる目的」について問題にしています。個別にみていきます。山崎氏と同門の恩師に教えていただいた「論文を書く、人に文を読んで頂く時のマナーとして体言止めは失礼である。避けよ」というものがありました。必ず赤が入りました。読んでいてやはり体言止めは横柄で不遜な感じがします。人のブログにコメントする時の文体としては相応しくないと思うのです。レイスト様はそんなことはありませんね。それが内容云々以前のきちんとした教育を受けた人の振る舞いだと思います。どこかにありましたが「馬鹿」といったり「ひ、に、く(笑)。」などと書くのはただの攻撃衝動です。人を説得する姿勢ではありません。インテリで落ち着いた物言いができる死刑存続派の足を引っ張っていると思います。私は存続派でも常識人と骨太の議論をしたいことと、無闇な攻撃をされて山崎氏がブログに対してネガティブな気持ちになることを防ぐ目的で上記マナーの悪い人には恥を掻いて頂きたいと思っています。
とおりすがり様の『「あなたが遺族の立場だったら」という問い』は私が上記で指摘したように実行しようとしたら山崎氏が罪に問われる時点で破綻しています。もし強引にそれが本村氏と同じ立場になると主張するなら本村氏は死刑存続を主張するために『誰か』に妻子を殺させたことになりますがそれこそトンデモ解釈なのではないでしょうか。レイスト様が同じことを問うならもっと穏やかに聞かれると思いますしこれもやはりマナーの問題なのですがご自身のマナーはよいのに「困らせる目的はゼロ」と言われるセンスは繊細さを欠いているか同じ死刑存続派の言うことだからとバイアスがかかって無礼を黙認しているようで残念なことではあります。
次に「社会学」ですが、福田被告の「立場」になれば死刑は当然「OKと言えない」わけですしこれは様々な条件設定が必要で十把ひとからげに万事に適用されるものではないと思います。無条件に「被害者の立場に立った場合に」とされることが必要なわけで
その点に対しての答えにはなっていません。
そして「黒人差別はいけない」の例ですが被害者の中に死刑を望まない人がいるのですから不適当な例だと思います。何故、被害者の中でも意見が分かれるのか、それは差別されて嬉しい人はいないというロジックと対をなすものは実は死刑ではなく故人を生き返らせること、元の生活を取り戻すことだからです。これならば全員が望むか、と訊かれてイエスと答えられるでしょう。その目的とズレがある死刑擁護論は独善的な怪物です。国家という寄らば大樹の陰で被害者感情の一部分だけを切り取ってそれを錦の御旗にする大衆の死刑コールは嘘の塊で卑怯だろうというのが私の主張です。
本村さんが死刑判決を勝ち取った日、某大手掲示板でこんな内容の書き込みをみました。”本村さんはこれを機会にもっと目立って売り出すようなことはして欲しくない。できれば元の平凡な生活に戻って欲しい”
本村さんの”応援”をしてきた方の正体をみた思いです。死刑廃止論者の方がこれを言うのならわかります。しかし本村さんの立場になって来た人のいうことでしょうか。なぜ、とんでもない不幸に襲われた分これからは目立っても常人の何倍も幸せになって欲しいといえないのでしょうか。所詮、自己都合、独善、お節介、そんな俗な感情の捌け口だったということです。不幸で涙を流している本村さんには同情するが、自分より幸福になった本村さんには嫉妬するということでしょう。まさに上のコメントでも書いた世論の望む被害者像の押し付けを象徴するような書き込みだと思いました。
コメントありがとうございます
(
レイスト
)
2008-05-05 13:35:21
山崎様 コメントありがとうございます。
>当事者への十分な感情移入・想像力という「必要条件」と、抽象的な思考という「十分条件」を、両者の矛盾や共通点を確認しながら、共に満たすように、結論を探ることが重要なのではないでしょうか。
私もそう思います。一応、私の抽象的な思考での
死刑存続論の根拠の一つは「凶悪犯罪者の罪として終身刑は妥当か」(凶悪犯罪を犯すと、罪なきホームレス、過労死・過労自殺寸前の人々と違い生活が保障されてしまう点)というものです。
>「当事者の気持ちを想像してみろ」という議論だけでは、不十分なのです。
私もそう思います。「当事者の気持ち」で判断すると
家族がいるか、どれだけ愛されていたかで量刑が左右されかまねせんしね。
考え方を変えました
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-05 13:42:07
愛彦様
騙され易いなさけない奴だ、馬鹿な間抜けだと思われるのは覚悟の上です。
こうして議論を続けている間にも岡崎市でとんでもない事件が起き、直情径行に心情を吐露すれば 「一刻も早くとっ捕まえて絞殺だ」 が正直なところです。 自分より弱い無抵抗の人を選び殺した犯人を殺すことが正義とするのが実に判りやすい、死刑の恐ろしさは無期に比べて遥かに恐ろしいと殺人鬼でも誰でも気付くだろう、気付かない馬鹿がいても一部にでも利く可能性は残したいという思いは捨て難いものがあります。
が、では人(殺人鬼も人だ)を殺せるのかとなると一抹の疑念も抱いていました。
死刑執行を公に(それも匿名で情けないのですが)言い出してからどうも特に寝覚めが悪いのは何故だろうか、夢で息苦しく目覚めた今朝明け方3時過ぎにここに戻って寄稿を拝誦していました。
「死ぬこと」 が怖いのと同等に恐ろしさを感じる 「人を殺すこと」 を死刑廃絶で止められるならそれに頼ってみよう、そうしておけば少なくとも人殺しに加担せずに死ねる、あとは2(?)%に当たる部分で悩むこととしよう、とそう思います。
いじょうご指名がありましたので正直に申し上げておきます。
p.s.
学生さんのようですね、一杯いっぱい勉強しましょう。説得なんて出来るとも思っていませんし、する意図も全くありません。
私にもまたもうすぐ自由に勉強時間をとれるチャンスが到来しそうです、主張することと同程度に人の思索を聴けることは大切ではないでしょうか、多くを学ぶ努力をする積もりです。
死刑は民意だ!
(
愛彦
)
2008-05-05 13:44:18
〉〉レイストさん
論文とブログのコメントを対にしますか(驚:きっと論文を毎日よんでいる方なのだろう)。そもそも論文で体言止めを使うような場面なんてありますかね?
インテリとしてブログ界隈で有名な池田信夫氏なんてブログのコメント欄で体言止めをよく使ってますけど…ね…。
それこそ、個人的感情で山崎信奉者だからでしょうね。彼の行動と発言の矛盾を感じる賢明な人間ならそうは思わない。
後、あなたのようにコメント欄に無駄に長く方が失礼であり、また『もっと端的にまとめられないものかね。そういう訓練をしてこなかったのだろう。』と私なんかあなたの投稿を見て思うのですが。
Unknown
(
サムライ
)
2008-05-05 13:52:14
愛彦様、お返事を頂けるとは思っていませんでしたので驚きました。私に対しての文は品格も急激に上がっていて二重の驚きです。ただはじめからそのような感じで書いてくだされば好感度も説得力も随分違っただろうと思うと些か残念ですし、敢えてやっていたのかと思うと自分と異なる意見への不寛容さには嫌悪感を覚えます。
そしてよく考えたところで山崎氏より品がない(なかった)のは愛彦さまの方だと思いますし、仮に山崎氏が酷かったとしても自分もそのレベルまで堕とすことはないのではないでしょうか。山崎氏より品がない理由として山崎氏が本文で触れている以外の氏のパーソナルな活動についてああだこうだと批判していることがあげられます。議論としてフェアではありません。苛烈な批判を加えるならこのブログで俎上に乗っていることについてのみすべきです。書き手の文外の活動にケチをつけないと構築できない死刑制度擁護論などその程度と看做します。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-05 13:53:08
論理、ロジックで太刀打ちできないとわかったとき、顔の見えるリアルなら、恥ずかしさに顔を真っ赤にして沈黙し、せいぜい陰で愚痴るしかないが、匿名ネットでは悪態、人格攻撃で暴れまくる。そして自分が最終レス者となれば、他者は自分に説得されたと思い込むことができて心の平安を得る。
たぶん某氏もリアルでは、良き社会人、常識人なのでしょう。
「最後のレス」はその某氏にさせてあげることが慈悲の精神だと思われます。
死刑存続は民意です。
(
愛彦
)
2008-05-05 14:10:59
〉〉サムライさん
パーソナルな活動を批判しているのではなく、パーソナルな活動とブログの主張に矛盾があるから批判しているのです。これは当然の批判的姿勢で、あらゆる場面で適用されるものです。
よってあなたの『文面だけで批判せよ』は不適切です。
Unknown
(
オカヤン
)
2008-05-05 14:17:05
消極的死刑存置論者です。犯罪の被害者、加害者どちらの立場にもたったことがないので、(あ、バイク盗まれたことはあります。)死刑についての応報的な(復讐代行的)機能について語るべきことを持ち合わせません。
第三者的立場から、死刑の持つ犯罪抑止効果のほうが重要だと考えています。誰しも被害加害の別なく犯罪に関わりたくないと思うはず、ですよね。犯罪を未然に防ぐためには厳罰も必要だと思っています。
しかし最近の、「死刑になりたくて人を殺した」という事件報道などを見ると、刑罰による犯罪抑止効果は死刑という極刑でさえも不十分なのかと思わせられます。もし、死刑にさえも犯罪抑止効果を期待できないとするならば、何を持って社会の秩序を担保すればいいのでしょうか。
凶悪な事件を起こしてしまった犯人に対しては、(有罪が確定なら)死刑死刑の大合唱もいいでしょう。
が、肝心なのは、後先考えず犯罪に走ろうとする無知な人間を確実に減らしていくために、不断の努力を惜しまない社会を作ることではないでしょうか。
死刑以上の極刑を作ることは難しいでしょうから、犯罪を犯した後のことを想像できる、くらいの知識を大人にも子供にも身につけさせるという教育が必要だと思います。
死刑廃止を論じるなら、犯罪を防止するための方策もセットで考えるべきだと思います。
不愉快
(
no name
)
2008-05-05 14:43:56
>Unknown (Unknown)
>2008-05-05 13:53:08
くだらない煽りコメントはやめませんか。ワタシには、貴殿も顔を真っ赤にしてパソコンに向き合ってるように感じ取られます。
死刑に犯罪抑止力はない
(
k
)
2008-05-05 15:14:09
正確には、
ないことを証明するのは難しいため
犯罪抑止力があることは証明されていない。ということですが
この話は、Isaac Ehrlichの論文が出て以来、
専門家が活発に研究を進めてきた分野でもありますし
今後よほど画期的な実証結果が出ない限りは
死刑に犯罪を抑止する力はないとして議論を進めてもいいと思います。
ここからは私見ですが、
厳罰化による犯罪抑止力はあるようなので
無期懲役の犯罪抑止力と死刑の犯罪抑止力は大して差がない
ということなんじゃないかと思います
死刑になるからと犯罪をやめるような人は
無期懲役でも思いとどまるんじゃないでしょうか。
分からなくなりました
(
radishfeeling
)
2008-05-05 15:18:47
死刑制度への論議というものは、その国ないし文化圏の死生観を問うことだと思うのですが、議論を拝見しているうちに、正直、今の日本人の死生観がさっぱり分からなくなりました。作業員様は「仏教徒」という観点を明確に提示してくださったのですが、現代日本人の大勢がそれに準じているようには思えません・・・。
子供の日!
(
山崎元
)
2008-05-05 16:03:29
レイストさま、皆様
休日なのにというべきか、休日だからというべきか、皆様、熱心なコメントありがとうございます。
話の方向が、ブログのコメントのマナーにも及んでいるようで、それ自体はそれでまた重要な問題なのですが、まあ、いいとしませんか。
(レイストさん、ご心配いただいて、ありがとうございます。弊ブログでは、コメント欄が荒れそうになった状態を、何度もコメンテーターに救われています)
論理・マナー的にこれはどうか、というコメントが無い訳ではありませんが、少々的が外れてムキになっているだけで、人格攻撃だの単なる罵りだのになっているわけではないので、意見として聞ける部分(もし、あれば)を好意的に聞いてみてもいいのではないかと、私は思っています。
それに、何といっても、今日は、「子供の日」です!
●
ところで、ワイドショー(業界では情報バラエティというのでしたっけ)に出ることが、番組の姿勢に加担することではないか、という愛彦さんの意見(というより感情)は、たまにそういうものに出ることがある私としては、考えてみる価値がありますね。
番組への「加担」という意味では、「出る人(出演者)」が居ても、「見る人」が居なければ間違いなく番組は無くなる訳なので、実は「見る人」こそが最大なの貢献者です。番組を見ている人が、出ている人を出ていること自体で批判するのは、間抜けと笑うしかありませんが、観ている側の何%かには、何となくこう言いたくなるような屈折した気持ちがあるのでしょう。正確な理由は分かりませんが、これも一つの現実なのですね。
以下、さらに蛇足。
日々の生活に苦労している苦学生なら、「でも、番組に出ている奴はお金を貰っているではないか」と言いたくなるかも知れませんが(論理的には、お金も貰わずに見ている方がどうなのよ。大丈夫か?という感じですが)、地上波・全国放送といっても、私のような立場(タレントではない出演者)で出演しても、ギャラは高くありません。民放各局の間では緩やかな談合価格とでもいうべき俗称「文化人価格」があり(NHKは更に安い)、局や番組によって多少上下することはありますが、拘束時間その他を考えると、時間と手間のコストとしては決して高くはありません。
勉強してしまいますた
(
作業員
)
2008-05-05 16:55:31
暇っちゃー暇なので、娯楽として、死刑について、二十冊ほど読んできました。あんちゃんの卒論、代行してやろかと思います、一字、なんぼにしょうかね、店主、ダイヤクラスで、なんぼ? などと冗談を言っていると、またおこらりるんだが。
まず、店主の名誉については。
同使者の浅野健一が問題にしているのは、「とくダネ!」のデーブ、の発言ですね。「安田なんぞを、人権派と呼ぶのはやめろ!」、と言ったそうです、店主の失言ではありまへんね。同事務所のおおおづづづ、まあ、あの人の失言でも、ありまへん、店主に責任はないでしょう。ちなみに、わしも、「安田の野郎は、人権派なんぞではない!」と言い続けているので、埼玉のなんちゃってユダヤ人デーブの言うことも、判らんでもないですね。
次に、執行の場所。
監獄法によって、執行の場所は、監獄内の刑場、と決まっているそうです。71条二項に、大祭祝日等、の規定があって、こぎゃんときまで死刑執行すんな、という庶民感情が担保されているようです。ベルトコンベアー的に同胞を処刑するのであれば、天皇様誕生日でも、憲法記念日でも、かまいまへんわな、タカ派のハトちゃん。執行方法に、ものすごく興味のわいた人は、「図説 死刑全書 マルタン・モネスティエ著 原書房」をどうぞ、あんまし猟奇的インザミソスープにならないように。
次にアメリカの死刑観。
死刑存置のキリスト者。これは、プロテスタント諸派、ちゅうのが、同害報復、と聖書の記述を読んでいるからだそうで、クェーカー教徒なんかは、またちょっと違う、そうであります、聖書の読み方で、死刑存廃が決まっていいのかは、観音様のあえぎ声を聞くだけの身なのでよくわかりまへんね。ちなみに、袴田氏は、パウロ袴田巌、だそうです。靖国に平気で参拝するなんちゃってクリスチャンの曽野や山谷は例外中の例外で、福音派に代表される日本の真正クリスチャンは、ほぼ全員、なぜかサヨクと同じ主張をしています、極めて、日本的な問題であります、これは。
次に、社会的野獣。
小説を読まない店主でさえ、読んだことのあるらしい、カミュの言葉、だそうです、社会的野獣。再犯や更生の議論に当然出てきますね。これについても、宗教観みたいなものが、問われます。辺見庸なんかは、宗教者でなくても、おまえが問われているのだ、と麻痺した顔面で迫ってくるので、暑苦しくて、しかたありまへん、山本一太は謝るように。それでまあ、板倉先生なんかは、結構タカ派で、エクストラジュディシャルエグゼキューション、つまり、射殺、などを持ち出して、死刑強化、の方向に世界は進んでいるのだ、とご主張なさっていますが、すいませんが、鼻で笑ってしまいました。先生のご意見に興味のある方は、各自、自習を、なんか、有名人にしては、キックがありまへん。どちらかというと、なんでも死刑!の土本のおっさんの方が、おもろいです。土本は、絶対性のある終身刑ができてしまえば、存置論者は揺らぐ、と言っているそうです。教育が済んでも絶対に出さないのか、の問題も残る、とも言っていて、なんだ、土本、やればできるじゃん、と思いました。
死刑廃止条約。
今後は、条約の批准が問題になってくるでしょう。新自由主義者で部屋に知らない女が犬を連れて入り記念撮影することで有名な中ガマ秀直が、移民を受け入れる、そうですから。死刑のある国に、ジンガイさんが、来るか、来ないか、微妙ですね、差別はありますから、冤罪のおそれ、は増します。議員センセの議論が活発化しているのは、こういう理由もあるかもしれまへんね。
愛ちゃんおこだわりの、更生コストについて。
タカ派の見解はすでにあるようです。「更生モデル」から、「賠償モデル」への転換、と呼ぶそうです。若干、オリックス宮内セーワ会規制緩和利権、っぽいですが、民営化、という経済学的な思いつき、もあるようです。詳しくは、「文春新書 この国が忘れていた正義 中嶋博行著」をどうぞ、先端を行っているようで、ちょっと古いかな、とも思いました。
で、更生コストの数字を見つけました。死刑執行の経費について、悪名高き菊田幸一の「死刑廃止に向けて 代替刑の提唱」に、載っています。犯罪者、18から80までで、百五十万ドルかかるそうです、入れておけば。死刑を争うと、諸費用を込みにして、400万ドルの支出、になるそうです。制度と計算の方法で、いかようにもなりそうなので、あんまり意味はないですが。
ほんでから、第一回帝国議会において、死刑廃止はすでに議論されているので、歴史、がありまんなあ、日本においても。「死刑廃止法案」は、戦前にすでに、四度、でているそうであります。そんなこんなで、永山ケースに興味のある方は、「死者はまた闘う 武田和夫著 明石書店」をどうぞ。
最後に、「光市裁判を考える有志の会議」なる冊子をあちこちで見ますが、責任者の名前がありまへん。被告に、反省して死を受け入れろ、と書いていますが、死刑の基準の叙述もあいまいで、そりゃなかろう、と思います。わしは、匿名ででけるのは、殺すな、までであって、殺せ、は匿名ではいかんと思います、もちろん、一般論、はアリです。以上、おっちゃんの娯楽でごめんね。
ワイドショーの影響に関する疑問
(
レイスト
)
2008-05-05 17:24:22
死刑廃止論者の方から
「死刑支持論者はワイドショーに感情を操作されている、あるいは娯楽として消費している」というような意見が散見された気がします。
しかし、ワイドショーを見られるのは大学生、主婦、
定年した方々の気がします(私自身はニュースはネットや新聞で見て、ワイドショーは全く見ません)。これらの方々がメジャーなのか疑問を感じます。
ニュースで凶悪事件を知れば、普通に犯人を憎み、
被害者を気の毒に思い、社会や正義について考えさせられると思います。
死刑存続はすばらしい。
(
愛彦
)
2008-05-05 17:27:44
山崎さんの〉〉見る人が最大の貢献者
こういうのを【屁理屈】と言います。
山崎さんが些か感情的になってきたのが大変微笑ましいのですが、まさに図星なのでしょうね。
評論家など無責任で気分屋なのです。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-05 18:00:15
愛彦さま
記念すべき200個目のコメントですね(しかも、偶然、こどもの日に!)。ありがとうございます。
評論家が無責任で気分屋なのだというのは、たぶん、その通りだと思います。私は評論家を代表するようなサンプルではありませんが、私にも当てはまりますね。ただ、たまにであっても「論」に意味があれば、それで上等でしょう。ご心配いただかなくても、評論家など、需要が無くなれば、眼前から消えていきます。
ただ、屁理屈と決めつけておられますが、やっぱり、見る人、気にする人がいるから、評論家も含めてテレビの出演者は仕事になるわけで、この構図の間抜けさは、それこそ「図星」じゃないでしょうか。ここは、やっぱり笑い所です。
さて、せっかく苦学生が貴重な勉強時間を使ってくれているので、からかうのは止めにしておきましょう。
本題に戻りましょうか。
愛彦さんが強調されておられた【コスト】の問題はどうなったのでしょうか。死刑廃止の【コスト】とはいかなるものなのでしょうか。機会費用(←意味が分からなかったら、学校で勉強してからでも結構ですが)も含めて、列挙して、評価してみていただけると、議論の整理に役立つので助かります。(無理に直ぐにレスしなくても構いません。気が向いたときで、結構です)
Unknown
(
CO2
)
2008-05-05 18:11:15
>愛彦様
いやあ、山崎様だけではなく、私達人間は皆、無責任で気分屋です。むしろそうあるべきです。それでも気楽にやっていけるような世の中がいいです。他愛もないワイドショーを見て馬鹿話できるような世の中がいいです。もちろん、ワイドショーから発散される憎しみに感化されるのは論外ですが、本来、無責任な噂話やゴシップは、人間関係の緊張を解き、和ますためのものではないでしょうか。デタントと寛容と適度な怠惰は、きっと重犯罪件数を減らしますよ(軽犯罪は増えるかもしれませんが)。
応報感情について
(
k
)
2008-05-05 18:21:39
私は死刑廃止派ですが、
悪者は処罰されるべきという意見には賛成です。
「人は犯した罪に相応しい罰を受けるべき」ですし
それは万人が納得する論理だと思います。
この応報感情というものを
死刑制度維持の根拠とすることは納得できます。
ですが同時に、死刑制度には様々な問題があることも知っています。
結局死刑廃止論者というのは
「応報感情よりもその他の問題を重視すべきと考えている人達」であり
死刑存置論者というのは
「応報感情を全てにおいて優先すべきと考えている人達」なのだと思います
(ちょっと乱暴ですが…)
整理すると
(
k
)
2008-05-05 18:22:15
私の中では以下のように死刑問題を整理しています。
・応報感情
人は犯した罪に相応しい罰を受けるべきという考え方です。
○死刑存置
×死刑廃止
・コスト
作業者さんの示しているとおり、死刑制度を維持した方がより多くのコストがかかります。
×死刑存置
○死刑廃止
・冤罪防止
冤罪を完全になくすことは不可能だと考えています。
イギリスで死刑が廃止されたのは、死刑執行後に冤罪が発覚したからでした。
×死刑存置
○死刑廃止
・犯罪抑止力
死刑に犯罪抑止力がないことは明らかになっています。
×死刑存置
×死刑廃止
・死刑執行人の問題
実際に死刑を執行する人から絞首刑になった死体を片付ける人までいるわけで
自分がやりたくないことを他人にやらせていることに深い呵責の念を覚えます。
×死刑存置
○死刑廃止
あとはどの問題をどれだけ重視するかということは
個人の価値観の問題なので、それはそれでよいと思います。
死刑廃止?笑わせないで。
(
愛彦
)
2008-05-05 19:45:14
〉〉作業員さん
ですからね、作業員さん。あなたの参照された本に機会原価(犠牲にされる経済的資源を他の代替的用途に振り向けたならば得られたであろう最大の利益額で測定した原価=つまり被害者が生きていたら…の価値)プラスして考慮してくださいな。
あなたは独立投資案のみで考えているから機会原価が出てこないのです。死刑廃止か死刑存続かは取替投資案なのです。
あと、投資案には経済的効果が重要です。そこには、被害者や(現在の死刑支持の割合は高い)世間の死刑回避の失望や死刑決定のフラストレーション発散による労働生産性の伸縮も含まれるでしょう。
作業員さんが示した資料は大変興味深いのですが、それは過去原価や共通固定費といった埋没原価込みの数字を含んでいそうなので一概に信じるわけには行きません。取替え投資案に用いる原価は未来原価だけなのです。
ご理解いただけましたか?
Unknown
(
狐
)
2008-05-05 20:06:31
みなさまの大変濃度が高い議論を拝読し、いろいろ考えさせられました。
その上で自分は死刑存置論に手を挙げたいと思います。
理由は「再犯」というものに対して必要な仕組みだと思うからです。
ちょっと死刑そのものは横に置いておいて、犯罪に対する刑罰とは、やはり更正、社会復帰を最終の目的としていると思います。
ここは統計を見ないと分かりませんが、再犯率それも凶悪な事件の再犯率というのはどの程度のものでしょうか。犯罪を犯すことでしか生きられない業の深い者もいるでしょう。真面目に悔い改め一生を終える人もいるでしょう。
前者と後者を分ける違いは何か。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」この魅力的な言葉に傾きかけますが、やはり文明社会に生きることを自負する以上は「更正」とは塀の内と外で作りあげるものと思いたいです。
犯罪の多数要因である「食い詰めた」状況を減らすための経済的な環境整備も含めて塀の外が担当し、そこで最大限の社会的努力を行ったうえで、それでも防ぎようが無かった場合は、塀の内側で最終措置を行う。
無論、光市のような初犯、再犯を議論することすら意味を持たないような凶悪なケースには死刑の一発適用は必要と思います。
しかし、死刑存置論の多くが塀の外側で行うべき社会的コストを無視しているように思えます。
このコストとは、だったら福田をお前が食わしてやれ的な感情論ではなく、愛彦坊やのような「こいつ生かして何じぇん万円」的な低次元な金額積み上げの議論でもありません。
私は、中国の何が嫌いかって言うと命の値段が安いことなんです。
これは社会的に負担すべきコストを、議論を尽くさず共産党一部派閥が専従的に振り分けているからだと思います。一人の納税者として、こんな国にはしたくありません。
スジ違いかもしれませんが
(
koneda
)
2008-05-05 20:20:23
某電力会社で広報担当に就いてるものです。
この議論、何となく「反原子力」に似てるなあ、と感じました。
いわゆる”反対派”と接する機会が数多くあるんですが、科学・経済コストといった論点を離れ、倫理・人生観・死生観といった範疇の話題となると、これはもう永遠に交わる・理解しえることは無いんじゃないかと感じることが多いです。
(もちろん、中には反原子力の立場から、推進派になっていただけるオピニオンもいらっしゃいますが)
当方としては、勿論のことながら、相手方に理解を得るべく頑張ってますが、或る一定の線を越えると、論破したり説得したり、というのは「絶対に無理」だと思いますね。同様に当方も全く譲る気は無いんですが。
「このスレは死刑の是非だから関係ないだろ」という突っ込みは承知のうえ、いわゆる”命に係ること”というトピックが絡むと、理論や損得といった根拠だけでは、どちら側にも、そうそう返らないのかなあ、と。
(あまりに当たり前のことを長々と述べてすみません)
罰金払う覚悟です
(
p
)
2008-05-05 23:02:11
たとえ国が合法的に死刑を許しても、死刑判決に組したくないという1点だけで、死刑廃止を望みます。いくら奇麗事並べても、殺人をすることに変わりはないのです。今回の判決では、身内、いわゆる第三者の感情で量刑が変わるという、恐ろしい前例を残してしまいました。深読みかもしれませんが、裁判員制度施行前に、前例を作っておく必要が司法にあったのかもしれません。さまざまな情緒が錯綜する中、煽動の巧拙で量刑が決まってしまい、死刑判決が出たとしても、責任の所在は国民にあると責任転嫁する下地ができあがったのです。死刑に反対意見を述べてみても、判決が下りてしまえば、参加者はその苦しみを一生背負って生きなくてはいけないのです。死刑存続論者の方々は、国の命令には従順な人々なのかもしれません。国が認めてくれるのだから正しいと言い張れるのですから…。死刑の執行を行うのは表面上国家ですが、実質は裁判員自らの手で行う合法的な殺人です。さらに身内の感情が加味されれば、その野蛮さにおいて、敵討ちと何ら変わるところがなくなるのです。忠臣蔵を美談と思う国民性に、死刑制度は危険すぎます。国家ですら、自らの判決の執行をためらう傾向があり、最近まで数が少なかった事実があります。だれもその重さを背負いたくないのは当たり前で、ごく自然なことです。しかし、これからは、責任がなくなった分、簡単に執行されるでしょう。
被害者の金銭的価値
(
どんぐり
)
2008-05-05 23:52:15
人は殺人以外にも交通事故で亡くなることがあります。弁護士会では「命の値段表」を用意していて、保険会社や弁護士はこれを参考に補償金を決めます。これは所得に強い相関関係を示す項目(年齢、性別、学歴、就職先企業、資格・・・)ごとに点数をつけて機会損失をはじき出す道具です。被害者の生きていたら・・・という金銭面の価値はパチパチッと算出できるでしょう。
不謹慎ながら具体的に当該事件について考えてみます。女性の平均年収は300~400万円で計算するらしいです。納税額、子の教育経費、現在割引価値等をどのように計算すればよいかはわかりませんが、右の平均値を参考にすると、感覚的に1.5~2.0億円が相当の金額になるのではないでしょうか?
被害者のこれから得られた幸福等を加味すると、人を冒とくするような、雀も涙するほどの切ない値段に思えてなりませんが、これは一つの基準として有意と思われます。もしも生きていたらという未来の話は、上は億万長者(上のわりに貧相!)から下は別の事件で翌日に死亡まで幅広く、結論を出せません。だから上記のように平均値で計算するという考え方は合理的と思います。
私のような浅学のコメントならば、愛彦様にぶち殺されそうでありますが、金額はこのように算出されて、ご自身でコスト計算されてはいかがでしょう。
もう一つ
(
どんぐり
)
2008-05-06 00:05:23
費用について、下記は論理が飛躍しているような気がします。
>世間の死刑回避の失望や死刑決定の
>フラストレーション発散による労働生産性の伸縮
コストは直接的、合理的なものに留めるより建設的になると思います。私はサラリーマンですが、私のまわりに死刑判決の有無で労働生産性の伸縮するような人はいないと思います。
人を殺す・・ということ
(
★わからんのだ!
)
2008-05-06 00:32:42
はじめまして。
仏教の教えの中には人を殺してはならない・・とありますが、正直感情論で判断してしまいそうで私はよく判らなくなります。殺人に対する判決で死刑とならない場合に、私はこのような事件の度に次のように考えてしまいます。例えば、人を殺した人が無期懲役となったとしても、15~20年後には出所して、生活出来ます。そして日々生活の中で夕食中にTVを見たりして家族と談笑していることもあるでしょう。しかしそんな時でも家族を殺された被害者は本来一緒に夕食をしている筈の家族が居ない訳で、悲惨な過去を忘れることは出来ません・・・・・こんな光景を思い浮かべるとき、人を殺し、被害者家族を悲しませることをしておいて、自分はTVを見ながら笑って生活を送っている・・・どう観ても変です。被害者はいつでも殺され損(言い方は悪いですが)です。法の処罰を受け(罪を償う)れば、また平然と生活が遅れるのであれば、、、。被害者になり得るかもしれない側は自分を守る手段を持つ必要もあると思います。人を殺した側には次の機会を与え、殺された側への配慮は何なのでしょうか?。人を殺しても法に沿って受刑すればまた以前の生活が出来るのであれば、殺したい人を殺すことが出来るということですよね?!。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-06 03:05:12
★わからんのだ様
私にも、現在、死刑があることの良し悪しは、確信を持っては分かりません。これは、正直にそう言っておきます。
ただ、一つ指摘できる問題は、死刑を決定し執行するのが、客観的で無謬の(ある種の「神」のような)第三者ではなくて、国家であり、実際には「国家」の仮面を被った人間(最近は世論まで含む)であることです。
われわれが素朴な想像力(実際にはほぼ「感情」ですが)で神の視点に立って、殺人者に何がふさわしいかを想像すると、多くの場合「死!」と思うのではないでしょうか。貴殿もご指摘のように、そうでないと、被害者と加害者のバランスが取れないような気がするからです。この点については、私も、ほぼ同意します。実際、他人事ではあっても、感情移入すると、何回分か殺してやりたいような犯罪者が確かに居ます。
しかし、ここで、死刑の判断と実行を行う主体について考えると、これが、「国」(←凡そ信用できませんね)であったり、裁判官であったり、近い将来は裁判員であったり、最終的には殺人を命じられた執行官であったりするわけです。何れも間違いやすくて心変わりすることもある人間です。
こうなると、「神」的な役割を人間が果たすような制度設計がいいのかどうか、という問題が出てきます。
これで、直ちに死刑廃止がいい、と言える訳ではないのですが、犯罪者と直接の被害者のあるべき関係を、第三者である別の人間(たち)が実現できるのか、実現するのがいいのか、という別の次元の悩みが出てきます。
たぶん、この辺りが考え所です。
国や当事者ではない人間に、後から追加的な殺人の権利まで与えてもいいのでしょうか。それは危険だし、不適当だ、というのが、死刑廃止論の一つの方向性です(他にも、いろいろなバージョンががあり得ますが)。
ここの加減が分からないと、ただ「殺人には死刑が当然でしょう!」という自分が神になった気分の単細胞と、「死刑は残酷だからダメ!」という議論拒否の原理主義的ヒューマニズムの間の「好みの選択」だけの問題になってしまって、議論が成長しません。
ますます分からなくなるかも知れませんが、この点も考えてみて下さい。
江戸時代は良かった!のか?
(
くまさん
)
2008-05-06 12:14:15
江戸時代って死刑推進派の一部の方にとっては一種の理想だったのではないかと思います。
[抑止効果]
現代の死刑の適用範囲は本人のみですが、江戸時代は連帯責任でした。「一族郎党皆殺し」って言葉が最たるものです。農民も「5人組」が組織され、連帯責任を負わされました。犯罪の抑止効果はありそうですが、一方で他人の罪で自分が処罰されるという理不尽さもあります。先進国では見られないシステムですが、北朝鮮では今でも行われているようです。
[被害者感情]
江戸時代には、「仇討ち」だなんて制度がありましたし、「公開処刑」も行われていました。火あぶりにノコギリ引きと、残酷な処刑では、被害者の溜飲が下がることもあるでしょう。また、抑止効果も期待できそうです。
[死刑執行人]
江戸時代はそういったことの専門家(被差別)がいたので、そうでない人はこの問題を考えなくて済みます。
日本の近代化にともないこのような制度は消えていきました。死刑廃止もその流れのひとつだと思われます。「死刑存続」とはこの流れに「待った」をかけるものです。前首相が「戦後レジュームからの脱却」をテーマに掲げておられましたが、死刑存続派の一部にとっては、刑罰においても戦後レジュームから脱却する必要があると考えておられるということでしょうか。真剣に考えるならば、まずは、このような流れが生まれ理由を調べて明らかにすることが第一に必要であり、有益だと思われます。
コストを引き合いに死刑の存続を唱える人がおられますが、そのような方に考えて欲しいのですが、コストをペイできれば死刑廃止にも賛成されるのでしょうか?たとえば、大金持ちな凶悪犯罪者が、全財産差し出すから、死刑を勘弁してくれと言えば、それに従って、減刑に応じるのでしょうか?金を稼げる人を刑務所で働かせるより本業で稼がせた方が生産性が高いからと、罰金刑で済ますのでしょうか?
最後に私の意見ですが、基本的に死刑廃止論に惹かれていますが、廃止派になりきれません。廃止論にも問題を感じるからです。
まず、廃止派の唱えている「死刑制度に問題がある」→「死刑を廃止すべき」という論理構造が不満です。消去法的なのが不満であり、決め手に欠きます。もっと積極的に、「死刑廃止が理想的だ」という理由は無いのでしょうか。死刑廃止以外に、もっとうまいやりかたがあるかもしれませんよね。
また、「目には目を…」の考え方は万人にとって納得できるものです。それどころか、脱税などの経済犯罪においては、課徴金を取って、実際の被害以上の負担を犯罪者に背負わせていますよね。倍返しですね。凶悪犯罪ではこれが逆になっています。一人殺したぐらいでは死刑になりません。半返しですね。この非対称性が持ち悪いです。
非常に難しい問題だと思うので、無理に結論を出す必要は無いと思いますが、逆に言うと、素朴すぎる理由だけで結論を下さないで欲しいと思います。
おめ○とぽこ○ん
(
作業員
)
2008-05-06 16:24:28
>被害者が生きていたら
すまんのだが、愛ちゃんのコメントは一秒で読むので、気を悪くしてくれ。まずね、『「コストと更生」と、生活保護者は「社会のお荷物」』いうのは、愛ちゃんの「興味」であって、わしの趣味ではないでしょう。読者、全員が分かっていると思いますよ。「おめ○とぽこ○ん」に僕はキョーミがあるんだじょ、と言うのであれば、「あなたが」好きなだけ、おめ○とぽこ○ん、について、語ればいいのです、甘えてはいけまへんよ、池田信りんなら、イナゴ散れ、と言いますよ、まあ、わしと店主は、若い衆が好きなので、縮こまらないで、五千字を百本、書いてみなさい。ちなみに、わしは、「キヤノンの偽装請負」について、三百本、書いてます、それは、暇つぶしの「わしの」趣味です、店主の趣味でもありまへん、わかりまへんか? それから、被害者は、死んでいるから、被害者なのですよ。そこには、命の価値、しかありまへん、それは、経済などどーでもええ、「わしの」意見です。でまあ、興味もええが、文脈、ということを、店主の好きなカミュから示してみましょう、酒の名前とかではないが、カミュは知ってますか?
「償いの権利がなければ、道徳的生活は厳密にいって不可能である。(団藤 死刑廃止論 六版 岩波 ページ316)」
どうでしょうか、愛ちゃんの情緒はまた揺さぶられましたか。償いの権利、です。これは、感情ではなく、論理で考えねば、理解でけないでしょう。生きねば、償えまへん、おわかりか。わしの連れが、愛ちゃんのことをうまい表現してました。彼は、感情にいたることもなく感傷にひたっている。文豪村上の小説を読んで、「センチメントを拒否する」態度を、涵養しなされ。涵養は、読めますか、なんて言いまへん、頭は、偏差値50だったわしよりも、愛ちゃんの方がええんでしょう、内観が、足りないのです、内観、読めますか、なんてことは、言いまへん、何かを知っていることは、自慢になりまへん、何かを知らないこともまた、自慢になりまへん。
で、そもそも論、にかえると、このエントリーは、少年であることは減刑事由となるか、の一点、が争点です。死刑廃止は、余談なのですが、そのことが、わかりまへんか? 死刑は、存置してある、んですよ、存在論などわしは知りまへんので、目の前に存在しているものも、みえないなら、どこかで視力回復が先でっせ。
さて、ようやく、わしの趣味にたどりつけるわけや。戦争と死刑がまったく関係ない、あるいは、死刑と公害がまったく関係ない、なんてことはない、ちゃんと店主その他がそこを押さえていることに、偏差値50で悪いが、敬意を表したい。以下は、話が若干えぐくなるかと思う。
鬼畜日本人、日本鬼子とでも呼べばいいのか、そういう犯罪者に殺されるのも、兵士に殺されるのも、鬼畜企業チッソに殺されるのも、殺されることは同じであるし、復讐心も同じだ。つまり、復讐権なるものが、あるのであれば、それも同じだ。チョーサクリンが爆殺されれば、チョーガクリョーは、殺人鬼に報復しなければならない、場合によっては、ギョクのタマとりにいかねばならんかもしれん、が、そんなもの、国家がやってくれるわけなかろう。ほんでから、チッソの水銀で、目がつぶれた男がいて、その男が国家に復讐をする、その復讐心を国家が代行するわけなかろう。目のつぶれた男はテロリストとなって、ギョクのタマとりにいく、そんな復讐心に、大衆の誰がのっかってくるのか、やんごとなき小和田家は水銀を排出したチッソの会長を輩出しておるわけやが、誰が小和田家への復讐など応援してくれる、おおむね、愛ちゃんの好きな、「筋違い」で、一笑、だろう。どうですか? 国家は、特定個人を救済したりはしないのです。これは、念仏百万遍のように、書いてあげます、辺見庸が死にかけなので、「わしが」書くしかありまへん。国家は、特定個人を救済しまへん。愛ちゃんの魂も、誰も救済しまへん。
あとさあ、愛ちゃん。死刑は、すでに(多くの文明国で)廃止されている、んですよ。コストだの更生だのが、「決定的」なものなら、廃止にはならんでしょう、わかりまへんか? 我が鬼畜国家日本は、三等国ではないのです、個人資産、千五百兆、あるので、特定個人で言えば、楽天ミキタニが出してくれます、お願い、が足りないのですよ、みんなで、お願いするんです、ミキタニ大明神、「歴史に残る男」になってみないかい? ってね。愛ちゃんも、歴史に残る機会が、眼前にあるのですよ、死刑存置に、説得的な、「五千字」を、期待しています、わしはすでに、歴史的な人物になってしまったようです、ちなみに、二回目です、そろそろハンドルを替えて遊ばねば面倒ですね、ファンが多くて。そのときは、アイピコ、とかにさせてください、偏差値が70になりそうなので。
あ、ちらっと、目には目、の話が見えました。プラスアルファ、を付けていたウッカリモノがいましたが、「目には目」ですよ、それ以上は、絶対に、とってはいけまへん。人の命も、すべてが死刑、ではないことは分かっているのに、なじぇ、目には目、を出すのでしょうか。ケースバイケース、だからこそ、適正手続きが必要なのです、当該ケースは、死刑か無期か、存廃とは関係ありまへん(凶悪事件・一般論なら、よしですよ、もちろん、いらんこと書きました)。
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-05-06 20:39:18
応報が正義であるのだとすれば、そうすることが、いってみれば神様の意志という事になりそうですね。
だとすれば、もし被害者の遺族がそれを望まなかったとしても、加害者は、かならず死刑にすべきなのでしょうね。でなければ、応報を命じる神様の意志に背くことになるためです。
山崎元さん
ものの本によると、神には、さばく機能と、ゆるす機能の双方が備わっているらしいので、神であれば「死」と判断するかどうかは、かならずしも確実でないと思います。
ただ、それ以前に、見えないところまで見て、絶対的な判断を下すことは、われわれ人間には、できない相談ですので、そもそも人間が、神の視点に立つこと自体、ありえないことだとも思いますが。・・。
個人的には、刑罰は、神的正義の実現の手段というよりは、あくまでも社会秩序の維持のための人為的な制度、というあたりが、しっくりするところです。
作業員さん
>あ、ちらっと、目には目、の話が見えました。プラスアルファ、を付けていたウッカリモノがいましたが、「目には目」ですよ、それ以上は、絶対に、とってはいけまへん。
絶対的な応報に関しては、強姦犯を、強姦によって応報していいのか(加害者を強姦していいのか)、という議論もありますね。
ママのおっぱいなら借りてもええが
(
作業員(アイピコはださすぎる)
)
2008-05-06 21:05:44
こりが、わしの趣味や。
>経済学的に見て【終身刑】など愚の骨頂です
あらおこちゃまねー、とは、おっぱい星人であっても、おっぱいのないわしには言えまへん、ママを紹介しなさい。終身刑が、愚の骨頂である、のはなじぇか、できれば、読者に「僕ちゃんが」伝えてみてください、わしら暇な「大人」ではなく。困ったとき、大人が使う、「質問を質問で倍返し」、です。ちなみに、死刑廃止は、死刑執行停止、に始まるでしょう。その前に、終身刑導入、となるか、今は、そういう時期、ではないでしょうか。わしの個人的意見では、終身刑でも、(ごくごく小さな可能性で)出られる、という制度を望みます、超少数意見でしょうが。
>【更生】ってなんですか?
社会復帰でええでしょう。
>誰が望んでいるんですか?
とりあえず、わしが望んでいる、というより、祈っています。
>投資案には経済的効果が重要です
なんですか? この日本語は。
>パーソナルな活動とブログの主張に矛盾があるから
矛盾って、山崎ケースを例示せずに、矛盾がある、のですか? 幻覚なら、一度、江原に相談してみてください。それから、愛ちゃんは、ひょっとして、聴こえる人、ではないですか? 江原みたいに。
>国際的協調?こんな時だけ協調ですか?いつも自己主張せよのくせに
だりが、自己主張せよ、なの? ラーメン大好き小池さんでも、家にいますか?
>世間は 実にコスト意識があるし、現状認識もある。後、被害者に対して実に“優しい”。
あなたは優しくないので、被害者を冒涜していますよ。コスト意識があるのかないのか知りまへんが、コストの計算は、でけていまへん。計算すべきは、誰ですか? 立証責任を、大人はよく転換します、覚えておきなはれ。よく読むと、世間が下した結果が、コストを意識した結果だ、となっていますよ、株価に織り込み済み。結果が変わっても、コストを意識したことになります。計算しなくても、出る、んじゃないですか? 結果、があれば。
>死刑囚の今後の(無いに等しい)労働生産性を奪い、遺族の労働生産性がさらに高められれば、国全体にとっての全体最適化となり何よりです。
死刑執行で、ご遺族がバリバリ働くようになる、根拠って、なんですか?
国全体の最適化?、ですか? 国全体? 国に、情緒情動は、ないんですよね? ジーデーピーのことですか? で、死刑の式は、これですか?
>殺人者は 人命+機会費用>地球 なんですよ。
>一般人が 人命>地球なのに、図々しくありませんか?
>機会費用の位置を間違えてしまいました。
で、正確な式は、どうなるのでしょうか? 何、言ってるんですか? パレートなんとかとか、ナッシュなんとかか、信リンみたく上手に、解説してもらえんですか? この式から、国?全体の、何が出るんですか?
>私は人殺しは死刑であるべきと主張し、その論拠として【コスト】と【更生】を出しているのです
おめ○とぽこち○でしょ。
>子供は 将来付加価値をもたらすので許される
>生活保護者は、将来付加価値を生まない
>ホームレスは、未来永劫、付加価値は産み出しません
なん中華、ゆとりちゃんでしょうかね。子供生活保護者ホームレス、は三者が重なることがあるし、三者の将来、に区別などありまへんよね、株価がランダムに動くのと一緒でしょう、再チャレンジを含めて。安倍ちゃんでも、首相になれるんですよ、誰でも首相にぐらい、なれます、その「機会」を奪うか奪わないか、奪ってもいいのではないか、いやだめだ、と内観をしているのです、みんな。愛ちゃん、まず、ご両親に、この書き込みを見てもらって、わしに返信してくれまへんか? ママを紹介するついでに。
>『状況を一変させる事象』など起こりはしない
そうでしょうか。ご両親以外の大人が、結構まじめに愛ちゃんのことを相手してくれたでしょう。それは、状況を一変させる、端緒、ですよ。端緒、は辞書を引いてください、横着はいけまへん、ええ若いもんが。
>戦争時の兵士と凶悪殺人者と一緒にすべきではない 環境が全く違う
三光作戦は、ご存知ですか? 金やんのところの、銘酒「三光」、ではありまへん。うまい酒なので、よろしく。
>薬物中毒者や性犯罪者などは、即死刑で何が悪いのか こういう人間のクズに懲役○年なんて意味がない。そもそも脳みそがおかしくなっているのです。こういう奴らが更生するなんて有り得ない。
立証責任は、やはり、愛ちゃんにあるような気がしますが。脳みそがおかしいって、誰の脳みそも、おかしい、んですよ、人間ってやつは、欧州人より頭がいい愛ちゃんも含めて。失礼のないよう、身内、を例にだすと。店主とポンちゃんのお子さんは、障害者、です。障害者と、脳みそがおかしい人、の区別って、ありますか? ともに生産性がなければ、同じ、ですね。
店主のお子さんが亡くなった場合、機会原価?は、ゼロ、ですか?
>山崎さんの様な死刑廃止論者の嫁さんがレイプされ
こういう言葉を発した時点で、愛ちゃんはレイプマンとして、こと、を実行している、と連れの脚本家が言っていました。心理学者ではなく売れないホン屋なので、別に深く内観するほどの、分析ではないですが。
>死刑が廃止になり、ホームレスが強盗殺人をしたらどうなるのかな?
死刑が廃止になり、殺人をするのは、誰ですか? 胸に手を当てて、ホームレスに、謝罪しなさい、これは、アウト、です。
>死刑が野蛮?生かす価値がないから死刑なわけで。
>冤罪の可能性?痴漢の冤罪と同一視してません(笑)?
>もう少し、コスト意識持ちませんか?
生かす価値のないホームレスなら、冤罪で、クビキ殺されてもええのですか? コスト意識を絶対に持つべきでない、というのが、結論に思えますが、大人の。
>なんたって欧州人なんて馬鹿だから。
欧州人よりも、愛ちゃんが、馬鹿でない、立証はでけますか? わしはたぶん、欧州人より、アホです、すべて、日経新聞と、三の倍数と三の付く数字のせい、です。
>彼に代わって謝罪します(わし、謝る)
ひょっとして、愛ちゃんの読解力では、この「彼」が、理解できていないのではないですか? わかりますか? 「彼」を冒涜していることが? わしが、彼に替わって、彼に、謝っているんだから、礼ぐらい、言いなさい。彼は、三人目に死ぬのが、彼なのか自分なのか、彼と自分なのか、地獄の日々を生きているのですよ、君のせいで、わしは、いつか彼に直接謝罪しなければならない、と思いました。それが、なんちゃって仏教徒たる小説読みの大人の責任です。
仏教や神だとかいう前に
(
愛彦
)
2008-05-06 21:51:58
独立投資案と取替投資案が分からないのをからかわれてキレてるんですか?微笑ましいですね。
〉〉償いの権利が無ければ道徳的生活は厳密に言って不可能である
えぇーわかりますよ。枕詞のようにおっしゃいますから。でも、“償い”をするには【更正】して貰わないと困るんです。殺されるかも知れないリスクって【コスト】なんです、一般国民にとって(←いい加減に分かって下さい)。で、殺人犯が、ただ生きているだけで償いになれば世間はお花畑なのであって、ただ生きるだけでも生活費やもろもろかかるんです【コスト】。働かなくてはいけないわけでそこでも一苦労、履歴書に嘘は書けませんから。家に引き込もって“償い”に没頭なんてされたら家人に多大な【コスト】を負担させます。
〉〉文明国では死刑廃止、【コスト】【更正】など決定的なものではない
死刑廃止国が文明国と言えるのかは、分かりませんけど、狙いは“人権”の利権なんでしょうね。取り柄のない国には、これが優れているってものが欲しいんですよ。CO2の排出権取引なんて経済学的に合理性ないのにブームです。利権争いですね。
コストの話を正確に
(
山崎元
)
2008-05-06 22:37:52
愛彦さま
こんばんは。
作業員さんに向けたコメントについて補足説明をお願いします。
(A)>機会原価(犠牲にされる経済的資源を他の代替的用途に振り向けたならば得られたであろう最大の利益額で測定した原価=つまり被害者が生きていたら…の価値)プラスして考慮してくださいな。
(B)>それは過去原価や共通固定費といった埋没原価込みの数字を含んでいそうなので一概に信じるわけには行きません。取替え投資案に用いる原価は未来原価だけなのです。
ここでは、「死刑存置」と「死刑廃止」が比較すべき選択肢ですね。
先ず、(A)ですが、刑罰がもたらす抑止力によって「被害者生きていら・・・の価値」を考慮しなければならないことは仰るとおりですが、「死刑存置」と「死刑廃止」で後者の方が犯罪の抑止になっているというデータは今のところ説得力のあるものがないようです(他の方のコメントを拝見してもそうですが)。この点で、死刑存置が有利であるという根拠とその程度(コストの差)を示してくれると助かります。
次に(B)ですが、「埋没原価込みの数字を含んでいそうなので」とありますが、埋没原価に相当するものは、具体的に何なのでしょうか。取りあえず作業員さんの数字を使うとして、終身刑のコスト=150万ドル、死刑がある場合のコスト(訴訟費用が大きいでしょうかね)400万ドルとある場合に、400万ドルの方には、どのような埋没原価が含まれているのでしょうか。
「利権」の話もなかなか興味深いご指摘ですが、論点から逃げているような印象を受けます(間違っていたらスミマセン。この点は、さほど重要ではありません)。
尚、老婆心ながら付け加えますと、「埋没原価込みの数字を含んでいそうなので一概に信じるわけには行きません」という文は、正直な文なのでしょうが、「いそうなので」と「一概に」という表現は、答案に書いた場合、採点する側としては、「おや。ここのところが、分かっていないのだな」と思って厳しく見て減点したくなる表現なので、かなり損であることを指摘しておきます。
よく分かっていれば、何を埋没原価として含んでいそうで、どう拙いかを書けるはずだ、と採点者は見ます。
GWも終わりましたね。学業、頑張って下さい。
簡単な応援
(
どんぐり
)
2008-05-06 22:42:11
求められていないのに、勝手に雑感を書いてみます。これは死刑とは関係ないです。
愛ちゃんはベンサム先生の功利主義「最大多数の最大幸福」は常に正しいと考えているように思えます。たしかに経済学の考え方はかなり汎用性が高くて優れてるんですが、ときどき常識を外してしまうから気をつけようというのが僕の感覚です。
ロールズ先生の正義論を読んでみると、違った側面でも考えられるかもしれません。読書がメンドーなら、法学部の法哲学の授業にこっそり出てみると手軽にわかると思います。経済学以外の側面から考えるってのも、奥行きのある議論になるかもしれません。
恐縮ですが環境経済学の授業も出た方がよろしいかと思います。コースの定理や市場の失敗、環境対策費の限界効用なんて話が出てくると、排出権取引にも一定の合理性があると理解できるはずです。
僕は大学でもう一度勉強してみたいです。リタイアしたら聴講生をやってみたいな、と今のところ思ってます。僕も本を読んでお勉強してちゃんとしたことの言えるコメンターになるので、愛ちゃんもがんばって立派な人になってください。個人的には応援したいタイプです。
コスト
(
どんぐり
)
2008-05-06 23:35:55
コストにはざっと3種類あると思います。僕はこれを混同しないで考えようって思いました。
①殺されるかも知れないリスク・・・これは外部不経済ですね。一種の公害に当たると思います。
②生活費・・・これは彼の消費=誰かの所得にあたるもので、①のコストとは違う性質のものだと思います。
③つまり被害者が生きていたらの価値・・・これは機会損失のことですね。現在割引や範囲の特定といった定義を明確にしなきゃなって思います。
コストの定義はときにあやふやになるので、明示的に考えたいと思います。社会全体という考え方をするなら②については注意して議論を進めた方がいいかもしれません。
頭の体操だと思って、僕も考えてみますが、GWも終わるのでそんな余裕もないかもです。残念です。愛ちゃんは山崎さんや作業員さんのようにインテリな方々とたくさん議論できていいなって思いました。たぶん僕は仕事に忙殺されて、書き込みはグーンと減りますが、応援しながら楽しみに読むつもりです。
ROM派を代表して
(
kaz
)
2008-05-06 23:38:08
ROM派を代表してといっては僭越ですが、ちょっと愛彦様に一言。
>そこには、被害者や(現在の死刑支持の割合は高い)世間の死刑回避の失望や死刑決定のフラストレーション発散による労働生産性の伸縮も含まれるでしょう。
死刑が決定すると生産性が上がるような国なのですか、この国は。具体的な資料でもあるのでしょうか?
通常、「死刑だ!やったー!」などと思う方はあなたの嫌いなワイドショーの影響下にある方でしょう。
また
「死刑じゃないの?うそー!もう今日仕事やってらんない!」
子供じゃないんだから、通常ありえない。
光市事件の本村さんの発言をすべて聞きましたか?彼は被告の死刑に歓喜しましたか?
>死刑が廃止になり、ホームレスが強盗殺人をしたらどうなるのかな?
ちょっと差別的な表現が目立ちます。
これは誰が読んでも、いくら何でもアウトです。
人の命の尊厳を問う、重大な制度の議論です。
自由な議論は当然ですが節度がなくなると説得力もなくなります。
軽々に言葉を重ねることのなきようお願い申し上げます。
追伸 作業員様
あまり茶化したらかわいそうな気もします・・。昔の左翼学生のように突っ走らないよう、うまくリードしつつ議論を活性化させていただけると読んでて楽しくなると思います。
神=お釈迦様は女性差別をしました。
(
愛彦
)
2008-05-06 23:48:33
〉〉kazさん
あの文は、被害者家族や親しい関係者と読んでください。すみません。
素朴な疑問
(
kaz
)
2008-05-07 01:49:58
「素朴な疑問」です。
1.はたして無期懲役は軽いのか?(死刑と比べれば軽いといえるであろうが)15年程度で必ず出所できるのか?だとしたら懲役20年のほうが重刑。
2.そもそも全殺人者のなかで死刑が求刑されるのはいかほどか?そもそも滅多に死刑になどならないのではなかろうか?
3.「捕まらない犯罪者」の方が「すでに捕まっている被告」よりも社会不安の要素になりうる。では死刑があれば検挙率が上がったり、犯罪数が減ったりするのか?
(いずれも現在統計資料を探しています。)
個人的な意見としては、基本的にこの国の死刑制度に反対の立場です。
そもそも現在の死刑制度は被害者家族や近親者の応報感情を満たすものではないと考えますし、現在までのところ抑止論も結論が出ていないので論拠としては「個人的感想」に感じます。
また、「この国に死刑制度を運用する」絶対正義を与えることには不安だらけ。
その上、これから裁判員として死刑にかかわるのは、言葉は悪いかもしれませんが観客席から急にグランドに立たされるほどの違いがあり、野次を飛したり応援したりだけでは済まなくなります。
エラー(量刑が情感に左右される・冤罪)等々は許されません。
山崎氏&作業員氏いわく98%程度に?解決するのには存置+終身刑導入をはかり、実質的な死刑停止あたりが当座の妥当な決着に思えます。
(ここは同じ意見に読めましたがいかがなものでしょう?)
ちなみにレスが付いていたので・・。
>あの文は、被害者家族や親しい関係者と読んでください。
これは訂正ですね。
するとその後の論旨が?のところも散見しますが仕方がないとしましょう。
>神=お釈迦様は女性差別をしました。
・・・・。3アウトです。
「お里が知れる」
正直、がっかりです。作業員様、やっぱり茶化しちゃってください。
神すら不完全
(
愛彦
)
2008-05-07 02:34:16
※死刑の話は離れて…
〉〉kazさん
ご存じないかもしれませんが、お釈迦様様が女性差別をしていたという説はあります。長年、女性の出家を認めず、周囲の嘆願で尼僧第一号を誕生させた時、『あぁ、これで仏法は500年早く滅びる』とおっしゃったそうです。
つまり、山崎さんが【神】と言われますがそれまた不完全なりと言うわけです。
女性観が一番進んでいる中国の『法華経』ですら、『変性男子、転女成仏説』つまり、女人は業が深いから成仏できないので、命に仏を信じて男に生まれ変わってくることを願えとさ。
また、お釈迦様は今の人権思想からみて非常に反社会的なことを言ってます。仏教は、『三世の思想』なのですがこれは、過去世、現世、未来世から捉えます。「道端で突然、包丁で刺された。しかし、これは過去世において自分が誰かを刺したから今こうして酬いを受けた。もうこの業を未来に持ち越さなくて済む。ありがたい、ありがたい」と感謝しないといけないのです。不当に思える差別もみな過去世の業ということです。三世の思想を突き詰めると差別肯定思想なのです。
仮釈放について
(
k
)
2008-05-07 02:36:27
仮釈放に関してはwikipediaの懲役の項がよくまとまってますね。
参照先までは追いきれていませんが、
「平成17年に仮釈放を許された者の平均在所年数は27年2月」だそうです
これは釈放されずに死んでしまった者等は計算に入っていないため、実際はもう少し大きい数字と考える必要がありそうです。
さらにいえば、死刑の人は釈放されることはないため
もしも死刑が廃止された場合には、死刑相当の罪で無期懲役になった人については、さらに長い年月が必要になるでしょうね。
(もしくは仮釈放されることはないでしょう)
例えばそれが40年とすると、20歳で罪を犯しても釈放されるのは60です。
私はこのことから
死刑に相当するような重犯罪に限っては、再犯の可能性を考える必要は薄いのではないかと思っています。
p.s.
平成18年の殺人認知件数は1309件です。
判決の下りる時期はまちまちなため、そのうちの何件が死刑になるかはわかりませんが、
最近は年20件程度、死刑が確定しているようです。
同じく
(
kaz
)
2008-05-07 03:21:12
k様
ありがとうございます。
実は同様の数値を別ソースで見たことがあり、確証を得たいと思い調べていました。
日本の無期懲役は、運用面では終身刑に近いのでは?というのが実感です。
このあたりが近年の「死刑論」からすっぽり抜けているように思います。
>平成18年の殺人認知件数は1309件です。
これもありがとうございます。
古いデーターで恐縮なのですが日本では平成15年度で約十一万人の行方不明者がいて、うち9万人見つかったそうです。(この手のまとまったデーターがきちっとみつからないのは僕のせいなのか?この国の行政が・・・)
二万人は見つからない、事件性ありのものとみられています。
また、変死の扱いなどの問題(検死官が足りない件はご存じのとおりで自殺なのか事故なのか、それとも殺人なのか?)などもあり、実際の認知件数はかなり過少なのでは?と推論します。
そのうちの死刑確定が20件前後ならば、相当死刑にはなりにくく、この点において「抑止力」
論に疑問を感じています。
Unknown
(
CO2
)
2008-05-07 09:07:57
愛彦様
>神すら不完全 (愛彦)
また、本論から外れて申し訳ないのですが、歴史解釈に続いてまた気になったものなので。色々な思想や宗教観というのも歴史的プロセスを踏んで生まれてきます。最初から完全な思想というものはありえません。ご存知のように現代の人権思想も、時代時代の宗教・政治・経済的各種状況から少しづつ醸成されていったものです。キリスト教神学の中にも聖書は神概念が進歩していった軌跡だと考える神学者がいます。例えば、よく宗教が原因で宗教戦争が起こるのだから、宗教は害悪だといったような論議がありますが、それは歴史状況を無視した論理の飛躍・言葉の暴走というものです。すべからく思想というものは完結した原理としてとらえず、時代状況を映し出す鏡と考えた方が、柔軟な思考のためには具合が良いと思われます。(そういう相対的次元を突き抜けて語りかけてくるものもあるとは思いますが・・・それは信仰ないしは芸術の次元の話です。)
フラット化の板前
(
作業員
)
2008-05-07 11:45:22
「チーム作業員の栄光」のプロファイルにより、愛ちゃんは、更科大学経済学部の学生さんで、真○先生の教え子、と判定されました。本名は、自己愛です。当たっていたら、中元歳暮、死ぬまでわしに送ってきなさい。
>殺人犯が、ただ生きているだけで償い
償いの意味が、本当にわからないんですね。主体は、誰ですか。自他主客の区別がつかないのは、カウンセリングの前段階だとおもうので、更科大学の窓口で相談してみてください。真○先生に相談してもいいでしょう。
>一般国民にとって
国家イーコール一般国民、と言っているのではないんですよね。再度書きますが、国家に、情緒情動は、あるのですか、ないのですか。わしは、国家は、非情、だと思います。非情のライセンスですね、死刑ってのは(古)。
>ご存じないかもしれませんが
残念ながら、ものすごくご存じですので、続けましょう。某真宗のクソ坊主どもが、ドヘタレのアカ以上に先鋭化して、国家転覆をくわだてているのには、理由があります。彼らは、被差別民救済の一助、とはなったのですが、例えば、穢寺、を用意するような、完全な区別、を仏教的行為として、行ったのです。確かに、仏教には、強い差別思想があります、神道も同じです、習合していたことが、原因のひとつ、でもあります。冗談ではなく。密教系寺院の、御手洗、に、トイレの真言、が書かれてあったことは、有名です。トイレが穢れている、となれば、御手洗、というようなアリエネー名字の人が、仮に現世に存在するとすると、差別の対象になってしまいます、未来永劫。差別はいけまへん、人権派ならなおさら。そういう、細かなことを、一つ一つ乗り越えて、いくらか高みに向かおうとするのが、あるべき宗教者の態度でしょう。ちなみに、トイレの真言は、めーくいっとくっそブル、です(すいません、嘘、を言ってしまいました)。
関西人は、時間を、スジャータ、に教わります。関西人は、一人残らず、「とりあえず仏教徒」ですから、死刑廃止論者予備軍です。スジャータは愛ちゃんも知っているでしょう。スジャーター、ですね。修行がうまくいかず、死にかけのブッダに、ミルク様のもの、を与えた、と言われています。おっぱいのみたいのー、とか、茶化したりはしまへんが、カルシウムと良質のタンパクとヒンズースクワットだけが、健全な精神をつくる、と覚えておきなはれ、それが、精神のストロングスタイルです。
>独立投資案と取替投資案
この話は、リートを、国家にではなく、一般国民にお勧めになった、右巻きなのか左巻きなのか知らんが、藤巻ジャパーンに解説してほしいが、店主でいいです。案ではないと、わしは思うのですがね、店主。くじ引きではなく、置換でしょ、痴漢ではありまへんよ、愛ちゃん。現存する制度を壊して、新しい制度に作り替える、場合は、やってみなければ、わかりまへん。更生も償いも、やってみなければわかりまへん。不確実性の問題な気もしますが、エコノミスト山崎氏、どうですか? わしでは、愛ちゃんの、コスト論は、さっぱり、理解でけまへん、偏差値50ではお手上げなので、ツバシ講師の灯台経済、がんばってください。
>無期懲役は、運用面では終身刑に近いのでは?
これだけ変化の速い時代ですから、刑期三十年は、十分長いと思います。逆に、(愛ちゃんの嫌いな)社会復帰が、でけなくなりますね、ショーシャンクの空に、なわけです。
愛ちゃんは無理みたいですが、犯罪被害者の気持ちがわかる、頭が正常な人なら、監察医が千人足りない、ヤブ医者の世界の、異常、が理解でけると思います。死体を、千葉に捨てないでください、迷惑です(知り合いの某市民談)。
さて、最後は、チーム作業員の栄光、の中の、板前について書いておきます。ここにも、コメントをくれています。連れの板前は、どうしても、自分ひとり、死刑廃止、まで踏み出せないことに、ノイローゼになっています。なーんで、板前のオメーがよ、そぎゃん悩まねばいかんとか、刺身ばさばいちょけってヌシは、と言うのですが、「いや、これは俺の内観だから、おまえらには、そんなのかんけーない」、と聞きまへん。板前が、哲学者になる時代を、フラット化というのか、まな板化、というのか、どうなんでしょうね。
あと、元乞食で、現俳人の廃人の、わしのオヤジはよく、こう言ってました。「おとーちゃんは、病院にいくのが好きなんや。おまえみたいなひねくれた顔やなくて、頭の温かい子の顔、見るのが、好きなんや。悪意があるのは、こちら側や。ほんま、生きる勇気が、わいてくるで」。さて、障害者の笑顔が与えた、生きる勇気、を、数値化してみてください、暇な人は。ちなみに、マクドの笑顔の価値は、0円ですね、さすが偽装管理職の店です、みなさん、笑顔に、チップなり組合費カンパなり、価値、をつけてあげましょう、もちろん、巨乳には、倍付けです。
やっぱりおかしくね?
(
作業員
)
2008-05-07 18:50:33
>死刑廃止が生む冤罪の増加(某ブロガー)
なんとなく、ここを覗いておられるような気がしたので、あさってのコメント、しときます。日本人は、ものすごくズサンなので、死刑でなく、無期・絶対終身、などの刑でいいなら、まあ、だいたい、有罪でえんでね? とか言いかねないので、わしも、この点には、ものすごい危惧をもっています。しかしまあ、死刑は厳然と眼前にある、わけですから、先、の話はいいでしょう。袴田事件の執行をとめるために、全力を尽くす、だけですね、人権派は。ちなみに、わしゃ、なんもしとらんです、ボクサーの支援はしてますが。
>死刑廃止論者は、凶悪殺人者の【更生】についての経済学的意味を答えられない。
うーん、オッパイ星人のオッチャンは、譲るところがないぞ、自己愛ピコピコ星人くん。そろそろ、あほー学部でなく、賢い経済学部だけど、池田信りんのブログで「曾野あほ子大江集団自決論争」まで、勉強している愛ちゃん、貧乳と巨乳好き各一名の、経済出、に、おしえてくんろ、「更生の経済学的意味」、とやらを。ひょっとして、意味、について、自分は知らない、のに、おっちゃんたちに、尋ねたのか? 職務質問じゃなかろうに、なんでんねん、ほんま、通り魔かいな。愛ちゃんは、信りんファン、みたいなので、教えておいちゃるけんど、山崎つながりで、「山崎行太郎信りん論争」は、わしのジャッジでは、山崎の勝ち、やね。曾野に仮になんぞの理屈があっても、曾野は生まれつきのアホ子だから、支持したくねーな、生まれつきの鬼畜少年を死刑にしろ、に近いね、なにごとも、ケースばいけーす、なのだな、世界ってやつは。心配すんな、門は閉ざされてはいない、店主のケツの穴は、でかい。意味を、意味を、意味を、教えてくれないかい? では、意味とオッパイに飢えたオッチャンは寝ます。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-07 20:36:06
米国で死刑執行を再開
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2388178/2905033
ニュース見つけたので貼っておきます。
山崎さんの2008-05-06 03:05:12の投稿を読んで
死刑賛成でしたがわからなくなりました。
でもコンクリ詰め殺人の犯人が今年で全員出所した
そうですね。そのうち一人は早速傷害で逮捕されたとか・・殺人犯の隣に住む可能性の高い一般人としては
本当に恐ろしいです。
袴田さん生きてたんだ!
(
どんぐり
)
2008-05-07 21:31:39
僕は袴田さんがやられたと思ってましたが、生きてたんですね。作業員さんのコメントを見て気付きました。今週末にアクションを取ってみることにします。
Unknown
(
サムライ
)
2008-05-07 21:48:17
作業員様
真っ当な社会人には例え罰金、科料でもそれが冤罪ならば大変理不尽なダメージです。そのような想像力がなく無期、終身刑ならば「冤罪でも」よしとする司法は果たして死刑のときには急に良心の呵責に目覚めるのでしょうか。私はそうは思いません。
冤罪の可能性が極めて高いと思われる、高知スクールバス衝突事故や菅生事件のような裁判をする司法は自分たちの組織を守るため、或いは行政が望む特定思想の弾圧ためならどんな手段を取ることも厭わないのです。そのような人たちは”死人に口なし”と安心して濡れ衣を着せる判決を書けるのではないでしょうか。
いざというときは保身と上意下達一直線の心許ない司法の良心についてあれこれ考えるよりやはり冤罪被害者は生きていなけれは名誉挽回のチャンスは永久に失われるという事実の方が明快です。
「死刑廃止が生む冤罪の増加」などという御仁はなかなか論破しづらい死刑存続の抵抗勢力である、冤罪被害の恐さを訴える人々を懐柔しミスリードするための詭弁にすぎません。
Unknown
(
サムライ
)
2008-05-07 22:52:15
Unknown (Unknown)2008-05-07 20:36:06 様
2007-08-29のクローズアップ現代で「無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~冤罪に揺れるアメリカ~」といった内容が放送されました。私はやはり「隣に住む」殺人犯よりどこかの誰か(この場合は国家)に自分たちは力の及ばない殺人に関する特殊な権能を与えてしまうことの方が恐いと思います。
合衆国憲法で銃で身を守る権利を与えられている市民でも国家に”睨まれ”たら一個人ではまずどうしようもありません。しかし、たかだか前科者が隣にいるかもしれないということであれば個人でもできる安価な武装と警戒でその身を守ることも可能です。
死刑は事後処理でしかありません。たとえ懲役一年でも殺人などしないであろう一般市民の感覚の延長線上でそれが死刑ならば殺しを躊躇い抑止力になるというのは甘い期待だと思います。 再犯再犯と仰る人には福田被告に殺人の前科があったかどうか考えて欲しいのです。
であるならばどうしたらよいのか。もし本村家にスイスやアメリカのように銃があり一家がその扱いに慣れ、幼少より安易に人を信用することの非を説く教育を受けていたらどうだったでしょうか。あんなむざむざとニセ水道局員の福田被告を家に入れることはなかったのではありませんか。私はこどもの頃より”友情”を賛美し人を信じられることを美徳とするこの国の教育を憎みます。自分の身は自分で守ろうとしない国民のお上意識とそれを許さない国を恨みます。
全ての女性が銃を持ちその訓練を受けていれば犯人には覚悟が必要になるのです。それこそが本当の抑止力であると思います。
人権真理教
(
愛彦
)
2008-05-07 23:40:37
〉〉サムライさん
いやぁ、「隣にいる殺人者より国家の~」←おそらくこう言えるのはかなり稀少なお方ですよ、ホント。あなたの投稿見て寒気がしました。あんまりの想像力の欠如に。民主主義、資本主義を信じていながら、なにもかも人権思想に合わせようとするのを評論家呉智英氏は、【人権真理教】といっている。まさに、人権思想の洗脳なんです、殺人者が隣にいるより、国家に権力を持たせる方が怖いなんていうのは。
実際、元殺人犯が隣に住んでたら引っ越すんだから嘘は言わないように。【正常な人間】は殺される危険に晒されるようなリスクを回避したいと思うリスク回避型合理的人間なのです。
kayano
(
基本的な情報
)
2008-05-08 01:02:24
kさま、kazさま
基本的な情報をありがとうございます。wikipediaの懲役の項、知らなかったことや曖昧なイメージしかなかったことが分かり、目からうろこです。
>平成18年の殺人認知件数は1309件
このなかのいくつかがマスコミをにぎわせるのですね。(「にぎわせない」タイプの殺人とはどんなものなのでしょう)。
>日本では平成15年度で約十一万人の行方不明者がいて、うち9万人見つかったそうです。(この手のまとまったデーターがきちっとみつからないのは僕のせいなのか?この国の行政が・・・)。二万人は見つからない、事件性ありのものとみられています。
びっくりです!1年間で2万人の人が消える!「本当の世界は私の知っている世界とは別のものかも知れない」という気がしてきました。
ばかにはわかりません
(
どんぐり
)
2008-05-08 01:32:15
地震でゆらゆら揺られながら書いてます。スティグリッツ先生の本が落ちて頭にぶつかったら、死んでしまうかもしれん。でもどうせ死ぬなら、羽生の頭脳にやられたいなあ。
第一段落の「人権真理教」のあたりは偏差値30の僕には論旨がよくわかりませんでした。ヤンチャなことを言ってるんだろうなあというのは、おぼろげにわかりましたが。。。
第二段落の最後は殺人経験者が横にいても引越して逃げられるけど、国家に睨まれたら逃げようがないから、やっぱし国家に権限を持たせない方がいいという風に読んじゃいました。どう解釈すればいいんでしょうか。
もう枝葉の議論でホントはどうでもいいんだけど、リスク回避型合理的人間であっても、必ずしもリスクを回避できないと思います。人生はいろいろと制約条件が多くて、経済学の教えの通りいかないようです。たとえば持家の人はなかなか逃げられないはずです。不動産手数料ってバカにならないんですよね(涙)死んだほうがマシなくらい引っ越しビンボーになってしまいます。
せっかく反論するなら、読みやすい文章の方が愛ちゃんファンの皆様は喜ぶと思います。小論文では1段落を、意見→理由→説明→例示といった順番で書くらしいので、この順番を少し意識するとよいと思います。自分は出来てませんが(^_^;)
「先進国」って?
(
ぱおぱお
)
2008-05-08 07:27:11
此処で色々取り沙汰されている「先進国」について
私なりの考えを述べさせて頂きたいと思います。
そもそも、「先進国の定義」とは何なのでしょうか?
「死刑廃止」であれば
「先進国」なのでしょうか?
人口が多く経済も豊かであれば
「先進国」なのでしょうか?
広く開かれた政治により安全に統治されていれば
「先進国」なのでしょうか?
最近わからなくなってきました。
本論からは少しばかりずれますが、
現在の世界情勢は一部の国家を除いては
今だ新兵器開発や既存の軍備増強に熱心です。
今や北朝鮮・韓国・中国などはその気になれば
日本を軽々蹂躙でき得る程の力を持っています。
韓国に至っては元首自ら「我が韓国が
全アジアを併合し新しい秩序を作る」と公言しています。
アメリカ・ロシアは冷戦終結にも関わらず互いを「仮想敵」とし、
これからも先未来永劫新兵器開発を続けるでしょう。
「全世界協力により地球環境を維持し、
同時に均衡な経済発展を目指す」EUでさえ
新型戦闘機を開発し、日本の自衛隊に
次期主力戦闘機として売り込んでいます。
EUの中には「死刑廃止国」が多いのは周知の事と思います。
ですから、アジア同様軍備増強を図っている以上は
「死刑存置は後進国」、「死刑廃止は先進国」と
一括りにできないのでは、とも考えます。
何を以って「先進国」とするのか、
また、その定義による「先進国」に追従していれば
理想的な未来が訪れるのか、私にはわかりません。
一体何が「先進国」なのか、無学な私に教えて下さい。
Unknown
(
CO2
)
2008-05-08 09:53:16
多分、死刑以外にも重犯罪を発生させないような方策を考えられるような国が先進国かと思われます。それと、元々重犯罪が起きにくい文化を持っている国が文明国です。この二つは一致するとは限りません。
ただ、監視カメラが限りなく増えていくのが、その方策だとは思いたくないのですが。
数式の提示は無理か無理か無理なのか
(
作業員
)
2008-05-08 11:42:52
>銃があり一家がその扱いに慣れ
某死刑存置藤井くんの言うことは、年が近いのでなるべく聞くようにしていますが、すべて日教組に育てられたせいだと思いますが、わしは死刑廃止論のまま、ですね、ちと上の、森達也を支持します。森の本で、藤井くんは、たしか、「現実に、出てきた彼を、彼が殺めた例は、知らない」という趣旨のことを発言していたと思います。実際に、自らの手で、復讐した彼、というのは、まず、いない、と言えるでしょう。この事実には、留保があって、「道具」がない日本において、の特殊な話かもしれない、となります。が、道具ぐらい誰でも用意できますし、被害者に突然憑依する大衆がいくら多くても、その大衆の多くは看板あげてるヤーコーにはちびりあがっているわけで、そういうどこにでもいる使える人に頼んでも、復讐は簡単に実行でけるわけですね。曾野あほ子がよく、世界の飢えた人はみんながまんしてるんだ、日本人もがまんせよ、とか、アホまるだし、なことを言いますが、みんな復讐心にケリをつけているので、彼もがまんすればええ、とは、愛ちゃんではないので、さすがに言いまへん。ただ、人殺しなど、気持ちのいいものではないから、やめろ、と言うだけですね。
現実として。殺したい人間が処刑されず、復讐もうやむや、というのが、人間社会です。国家が、特定個人の魂を救済することは、ありまへん。国家が、追加的な処刑を排除することは、かろうじて可能です。
で、更生の問題は、未来永劫、残る、問題なので、スパッと、愛ちゃんに、きってほしいものです、数式は、まだですか? 愛ちゃんがつくった数式には、わしが名前をつけてあげますから、はやく掲載してください、ノーベル賞も真壁より先にもらえるかもしれまへん。店主の好きな、ブラックショーツ式でもいいし、わしのような関西なまりの、シュレデンガナ方程式でもいいでしょう。
にしても、愛ちゃんさあ。地球のウエイトを出すなら、トン、とか単位をつけてください。それから、勝手に経済学風の呼び方をせずに、定義、をそえてください、脚注に出典を書くのも忘れずにね。ほんでから、メタファーとして、なにか地球っぽいものを使いたいならば、死刑はブラックホールである、ぐらいの芸、をみせなしゃい、みんな忙しいのに遊んでくれているのです。
結局、死者の価値は、重さ、なのか、円、なのか、あんた、秤、も用意せずに、何を計測しとるんかね? 呉は、わしと並ぶ、日本を代表する中島みゆきファンですぞ、先崎もいれてやるけど。誰の名前をひいてもいいけんど、愛ちゃんが名前を引く場合は、「本人の了解をとりなさい」、いや、まじよ、これ、迷惑やから。
>何が「先進国」なのか
わしでよければ教えてさしあげましょう。先進国とは、大衆リンチのない国、ですね。それから、間違ったら間違ったと謝る国、ですね、山本一太は辺見庸に謝れ! それから、漁師はどうせセンダラの子たちで悪人だから、イージス艦でひき殺してやればいい、「ライフジャケットを着ていない漁師どもが悪い」なんてことを、公共の電波には、絶対に乗せない、国ではないでしょうか、もう少し詳しく聞きたかった、押売に電話して、シンボーの小僧に聞いてみてください。
最後に、金やんのところの大学を出ている田中森一について書いておこう。田中が、闇の守護神、なんてのは、大嘘だとわしは思っていて、田中なんてのは、裏にも表にも、顔がきいた遣り手で、まあ、偉いわな、その意味では。で、何がいいたいかというと、田中は、裁判官志望だった、のよ。だけんど、アカの友達がいたので、検事どまり、だったわけ。わかる? 裁判官というのは、まあ、それぐらい、国の犬、なの。問題は、世事に疎いこと、と結論を書いておくけんど。国の犬が、無期、無期、と向きになっているときに、やね。押売のシンボーがやったのは、アカ狩り、人権派狩り、だったわけや。吉岡忍はそれがわかっているから、小僧たちに、ギョーギ、しとるわけね。愛ちゃんのように、山崎行太郎にギョーギされるよしりんに育てられたトンパチは、アカ狩りが人権派狩りになりカイドー狩りになり在日狩りになりナンミョー狩りになり耶蘇狩りになり。ヤドカリの分際で、かばちたれなよ、と最後は、ええ大人に、ギョーギされるわけや。
御二方へ
(
ぱおぱお
)
2008-05-08 15:58:43
CO2様、作業員様、真摯な回答ありがとうございます。
おぼろげながら、ヴィジョンが見えたような気がします。
しかしながら、いずれの内容も今の日本では難しい、
というより不可能に近いのでしょうね・・・。
私の理想は「軍事兵器に類する物は二次元にしか無い世界」です。
尤も、これも不可能なのでしょうね・・・。
敵前逃亡は死刑なので ちと、ムチをいれとく。
(
作業員
)
2008-05-08 16:22:18
>殺されるかも知れないリスクって【コスト】なんです
リスクは、リスク、コストは、コスト、でないですか? 株投資においては、リスクはリスク、コストはコスト、のような気がしますが、リスクはコスト、なのかなあ、店主。ちなみに、店主、津野義道のファイナンスのテキストで頭の体操しとるんやが、「いくらか」でも、現実に使えますか? 無駄なら、やめて、丸山の小説に没頭しまっけど。
>償い をするには【更正】して貰わないと困る
更生してから、償うんですか? 夜間中学で学んだ、在日一世の人の方が、正確な日本語をお使いになるとわしは思いまっけど。困る って、なんですか? 愛ちゃんの情緒が、安定しないってことですか? カルシウムとかオッパイで解決できますよ、愛ちゃんの情緒なら。ジャニタレみたく、ポンは食ってはいけません、本でも読みなさい。
>殺人犯が、ただ生きるだけでも生活費やもろもろかかるんです【コスト】。
自分で自分の言っていることが分からないんですね。ツバシ商学部出のクラタマでも、「アシスタントは必要ないけど、大量に雇ったことにして、脱税する」、ぐらいの知恵はあるんですよ。ダメダメじゃないですか、愛ちゃん。ちなみに、胸囲ばかりでカップのない店主の連れの、くらたまは、悲しいかなほんのちょっとだけ好みなので、「更生」したことにしてやっとるんよ、遅漏の情けさ。慈悲ってのは、いつかお返しがある、と信じてもええんでね? わしゃ、絶対、北芝より、ええ仕事するで、マエ持ちくらたまー。
でまあ、コスト分だけ、稼げば、ええわけやな。わしと店主と愛ちゃんが、死刑囚で、償いのために小説を書きました、誰のが売れる? わしやろ(まあ言わせてくれ)。経済評論なら、店主やろ、手鏡植草は、中でも、ええ仕事がでけるんとちゃう? 愛ちゃん、君は、何を売りまんねん? コビ、売るぐらいでないのか、牢名主に。入ったら、ケツ、ほられるんだから、ケツの穴はせいぜい、わしや店主程度には、拡張しときんしゃい。安倍ちゃんみたいになる必要は、ないんだがな。どや、おっちゃん、おもろいやろ。ムショの悲惨は、故山本夏彦の弟子の、ジョージ・アベの書いたものでも読みなさい、元ヅラ議員のジョージ・ヤマモトの仕事も、立派です、完全に、更生しておられます、脱帽です、愛ちゃんより、お国のために、なっておられます、ご両人とも。
>“人権”の利権
逐語的に、間違っているって、君、タ○ダイか? 冗談冗談、卒業生の半分がポリ、半分がハマコーかヤーコー、とかいうパンチのきいた大学は、もうないらしいなあ、しょぼーーん。ちょっと、大人のギョーギに使わせてくれ、ここを。死人の口なし、の話やけんど。電通の犬の田原の一党の大谷が、別に大谷派とは関係ないんだが、宮崎学親分の連れの大谷が、やね、黒田、黒田、死んだ大阪押売のジャーナリスト黒田の名前を出すのが、はらたってシャーナイ、大谷、ええかげんにせーよ。命かけて言えるが、黒田さんは、ハシシタなど、絶対に、支持しない、安田タタキなんぞに、絶対に、のらん、ほんま、テレビ芸者もええが、ジャーナリストの死人に口なし、なんて、無様なことすんな、あほたれ。大谷、おめーにあおられて、生まれたモンスター愛ちゃんや、おめーがメンドーみんかい、ハシシタのカバン持ちにでも、紹介して、ギョーギ、から教えとけっちゅう、話や。
再掲 更級大学某教授の教え子が発表した 歴史に残る【死刑の方程式】、ちゅうより、思考停止やんけ、ハナクソ。
>殺人者は 人命+機会費用>地球 なんですよ。
>一般人が 人命>地球なのに、図々しくありませんか?
>機会費用の位置を間違えてしまいました。
Unknown
(
ひねくれもの
)
2008-05-08 16:58:43
隣に出所した元殺人犯が住んでいたら
①近所では殺人事件は起こりにくいであろう。
②家賃がきっと下がるであろう。
結構、いい事ばかりかもしれない・・・
Unknown
(
CO2
)
2008-05-08 17:11:19
>ぱおぱお様
横道に逸れて申し訳ないのですが、国家の定義は、「軍隊を持っていること」です。念のため。
追伸 いや 追ハナクソ
(
作業員
)
2008-05-08 17:13:46
>人権思想の洗脳なんです
知っている言葉を使ってみたいだけであれば、小沢エントリーに書きなさい。侍氏の、どこに、人権思想などありまっか?(ごめんね、武士氏)
ポア
(
愛彦
)
2008-05-08 17:52:20
〉〉作業員さん
リスクはコストですが…(笑)、まぁいいです。あなたの議論は仏法と人権思想をごちゃまぜだから空論なのです。そんなに、救済、救済いうなら、オウムの朝原に『自分のしたことは殺人じゃない。救済なんだ。人権思想などという愚かな王法から見れば殺人かもしれない。しかし、聖なるタントラブァジラヤーナから見れば救済なんだ。ポアなんだ。王法で俺を裁けるものなら裁いてみろ。タントラブァジラヤーナ以外自分を裁くことは出来ない』と言うように活動してくださいよ。
仏教は三世の思想です。不当と思える不条理な事柄はみな過去の業ということです。しかし、日本の仏教のどこかの団体が阪神淡路大震災はじめ様々な天災、あるいは脳死判定や臓器移植について立場を明らかにしていますか?発言できるはずなのです、現世だけではない、本当に未来世があると信じているのは。どこの仏教の教団も堅く口を閉ざしたまま。それどころか多くの仏教団体は錦の御旗のように『人権』をスローガンに掲げる。つまり、信じているのはのは民主主義(最大多数の最大幸福)なのです。
おわかりですか?
経済出なので、数式でないとわかりまへん
(
作業員
)
2008-05-08 18:31:00
せめて、大乗小乗金剛乗ぐらいの日本語は使ってください。まあ、よくないでしょう。宮内勝典の「焼身」について、何度もここで紹介しています。野村秋介でさえ、アカヒと刺しちがえる、と言いながらも、自死、しました。わしは、クソウヨ嫌いですが、野村は好きですね。ちなみに、宮内と藤原新也やってのは、実に示唆にとむ言葉をくれるわけですが、わしは宮内をねぐってきました、小説が苦手だったので。ねぐる、はわかりますか? ときどき、藤原より、宮内の方が深い、と思うこともあります。ニューヨークで活躍していて、ガンで死んだ女性ジャーナリストが、「藤原の思想の錘は、深みにまで達していない」、と、かの藤原大先生に、ダメだし、したことがあります。通信制経済学部出のわしではなく、愛ちゃんは、灯台経済出、に、ケンカ売ってるんでしょうに。どこからどうみても、神様や仏様に逃げ込んでるのは、あなた様、ですよ。あなたのカルマは、あなた自身の、努力によってしか、おとせまへん、あまえていないで、数式で、ニワカ評論家ぐらい、やりこめてやりんさい。深いぜ、小僧、ぐらい、言わせてけれ。
おもいつきだが
(
作業員
)
2008-05-08 18:37:07
愛ちゃん、たとえば、線型計画法の、交点を求めてみる、ような、アプローチは、使えそうに、おっちゃんは思うが、愛ちゃんは、計量、が苦手みたいなので、そもそも、線、一本、引けないですかな。まあ、なにか、浮かんだら、いくらでも書きなしゃい、このエントリーが、三百になっても、店主は、じぇーんじぇん、たいしたことねーな、って笑いまっけど、マムシの作業員に比べたらって。わしは、御手洗のトイレの形をした墓に花をたむけるその日まで、あの野郎をいじりつづけます、愛ちゃんも、末永くよろしく、とにかく、ママを紹介しなさい、ママを。では、お休み、未来の、息子よ。
嘘はいけまへん
(
作業員
)
2008-05-08 18:51:41
>仏教団体は錦の御旗のように『人権』をスローガンに掲げる
すまんが、訂正させるのは、やめてくれ。平沼日本会議系石原信者の霊友会や早稲田生長グループが、人権などスローガンに掲げていますか? 彼らは、法華経を読んでいるんではなかったですか? よくしらないんだけど(違っていたらすまんす、信者さん)。さっき、霊友会の活動家に、おい石原信者、おめーは死刑廃止派か? ときくと、反対っていうのだけんど、テロは、日蓮が許しているからいいんじゃないですか? って言うから、そりゃ、いいといえばいいのかもしれんが、ひとまず死刑に反対してくれて、ありがとう、と言うておいた(たぶん、石原信者でも例外中の例外とおもうが)。愛ちゃん、知らないことまで、書きたいなら、小沢エントリーへ、どうぞ、では。
矛盾
(
愛彦
)
2008-05-08 19:01:50
あのね、作業員さん、こういう時はね、『大多数の~』って読むんですよ。個別具体の話はしていないし、個別具体的な団体を無視しているわけでもない。これがあなたの矛盾なのです。↓
あなたの議論は仏法と人権思想をごちゃまぜだから空論なのです。救済、救済いうならオウムの朝原に『自分のしたことは殺人じゃない。救済なんだ。人権思想などという愚かな王法から見れば殺人かもしれない。しかし、聖なるタントラブァジラヤーナから見れば救済なんだ。ポアなんだ。王法で俺を裁けるものなら裁いてみろ。タントラブァジラヤーナ以外自分を裁くことは出来ない』と言うように活動してくださいよ。
仏教は三世の思想です。不当と思える不条理な事柄はみな過去の業ということです。しかし、日本の仏教のどこかの団体が阪神淡路大震災はじめ様々な天災、あるいは脳死判定や臓器移植について立場を明らかにしていますか?発言できるはずなのです、現世だけではない、本当に未来世があると信じているのは。どこの仏教の教団も堅く口を閉ざしたまま。それどころか多くの仏教団体は錦の御旗のように『人権』をスローガンに掲げる。つまり、信じているのはのは民主主義(最大多数の最大幸福)なのです。
おわかりですか?
間違っていたら訂正してください。
(
CO2
)
2008-05-08 19:32:36
人は皆、業に縛られているから、慈悲が必要だよねっというのが、私の素朴な仏教理解でしたが・・・。
私も間違ってたら訂正してください。
(
どんぐり
)
2008-05-08 22:26:31
民主主義(最大多数の最大幸福)ってのも違うと思いますよ。民主主義は少数派の意見をどのように取り入れたらよいか、という試行錯誤を繰り返してるように思いますが。。。例えばJSミルとか、功利主義も進化しているので、わざわざ創始者のベンサムを出すのはどうかなあと感じました。
それはさておき、どんどん難解な愛ちゃんワールドになっていきますね。よくわかりませんが、応援してます。
なむあみだぶつ
(
どんぐり
)
2008-05-09 01:31:17
遠藤周作先生もキリシタン物語を書き続けてきましたが、晩年のエッセイを読むと、アラヤ識や親鸞など仏法にも関心を示されていたように拝察されます。集大成となる深い河ではガンジス河で沐浴をしているシーンがあったなあ、となんとなく覚えています。
我々パンピーは仏教ときくと、あの優しく楽しそうな異教徒の狐狸庵先生も感心した、なむあみだぶつ、なむあみだぶつと唱えていると、絶対他力で救われる浄土真宗のようなものをイメージします。愛ちゃんのリーンカネーションで因果応報な世界とはちと違うような気もしました。
遠藤先生の誰かの追悼文によると、遠藤先生は白鳥になって天国へむかったそうであります。あーめん。
仏教はどうでもいい
(
山崎元
)
2008-05-09 04:00:24
愛彦さま、作業員さま
このエントリーは、仏教がどうのこうのという、ある意味で難しい話をする場所ではありません。また、噛み合わない揚げ足取りで、暇を潰す(本筋から逃げる?)のは非建設期でしょう。
愛彦さん、【コスト】はどうなったのでしょうか。貴兄の死刑存置肯定論は、コストの議論に基づいているはずでした。死刑存置と死刑廃止のコスト比較はどうなっているのでしょうか?
作業員さん。教育は大いに「いいこと」だと思いますが、子供に、あまりに同時にあれこれと教えようとするのは、いかがなものでしょうか。消化不良を起こしたり、本筋からの余計な逃げ道を作ったりするので、逆効果になることもあります。
根拠のない推測ですが、実は、更級大学のM教授などは、案外、子供扱いが上手いのかも知れませんね。
ほら。
(
愛彦
)
2008-05-09 06:55:56
論理的に負けそうになると、山崎さんがひょっこりご登場です。そして、話題をそらす。作業員さんは山崎さんの後だてがないとおとなしいからね。“仏教”や“神”などと観念的なことをいってるのはそっちなのに。そして、その二つは不完全であり、日本の仏教はもはや仏教ではないと言ったら、それは重要ではないだもん。笑っちゃいますよ。
Unknown
(
新橋
)
2008-05-09 08:23:53
死刑廃止なんて論外と思うけど、まあ万が一そんな社会になった挙句に自分の身内が殺されるような事態が発生したら、それならそれで中途半端に懲役刑が下されるよりも、無罪釈放を願いますね。それなら自分で犯人を探して殺しに行くまでですよ。復讐したところで死刑にならないんでしょうから。司法が裁いてくれないなら自分で裁くまで(これも、流行の自己責任ってやつ?)
話を逸らさないことが大事
(
山崎元
)
2008-05-09 10:01:00
愛彦さま
>論理的に負けそうになると
これこれ。ここは勝ち負けを争う場所ではありませんよ。
それに、論理的にキチンと自説を説明することから逃げているのは愛彦さんの方ではないですか?大きくは、死刑存置の方がどう【コスト】が小さいのか、細かくは死刑存置のコスト計算の中で何が【埋没コスト】なのか(あなたが、含まれているようだ、と述べています)を愛彦さんは、まだ説明していません。(詳しくは、私の2008-05-06 22:37:52のコメントを参照して下さい)
作業員さんその他、他人の話へのちょっかいよりも、自説の筋道を明確にする方が重要でしょう。
勝ちだの、負けだのと、子供じみたことは言いませんから、ご自分の意見をはっきり説明して下さい。
「死刑廃止への足掛かり」
(
kayano
)
2008-05-09 10:33:44
↑という見出しの記事が今朝の地元紙に載りました。「死刑廃止を推進する議員連盟」の会長、亀井静香さんのインタビュー記事です。このほど「量刑制度を考える会」の呼びかけ人になられたそうです。新聞社のHPにこの記事が載っていないので要約してお伝えします。
(結成を呼びかけた動機について)裁判員制度が開始されると、裁判員が自分としては無実じゃないかと思っても多数決で死刑判決をするケースもありうる。職業裁判官でない人にそんな十字架を負わせていいのか。せめて死刑と無期懲役の間に別の選択肢を設けるべきでは?ということで呼びかけ人になった。今、国民の世論からして死刑廃止は難しいが終身刑なら理解を得られるのではないか。「死刑廃止を推進する議員連盟」では「裁判員裁判では死刑は全員一致とし、過半数だった場合は終身刑とする」という案をまとめた。
(死刑廃止の立場は変わらないのか、の問いに答えて)人の命を大切にしようという国が、人の命を死刑で奪うのは自己矛盾だ。犯罪被害者、遺族の「極刑を求める」感情は当然だが、死刑があるからそれを求めるのであって、もう一人死者が増えることを求めているのではないはずだ。今回の動きを通じ、死刑についての国民的議論が高まればと願う。
日経しーえぬで嘆いておられました
(
作業員
)
2008-05-09 10:55:20
発声は一番いいんでないか、と褒められている金やんのところの出の女子アナの横で、「更科大学にも、小学生のような子が入ってきて、教育プログラムをかえないといけない」、というようなことを、エム先生も言われておられました、わしは口が悪いので、先生のレベルに生徒は合うのですよ、と言いましたが、自己愛露出狂の愛ちゃんと、わしや店主のレベルも、大してかわらないのでしょうね、また、内観が深まりそうで、日々、これ、修行です。わしに、ダメ出しするおねーちゃんが、ガキの相手より、金やんのとこに、ネタかかんかい、とまたダメ出しするのですが、保護観察でひきとってはダメかい、と慈悲の心で言ってみましたところ、自己責任だからほっとけ、と、奥谷様に、またダメ出しされました、女性の方が厳しいですね。近代経済学が生んだ、日本鬼子ですね、愛ちゃんは、合掌。
で、自他主客公私、の区別がつかないのは、結局誰かが、尻をふかんといかんのだが、まあ、自己責任でええとしよう。ほんでから、仁義としても、戦略としても、相手を知る、ことから始めねばならんよ、愛ちゃん。先に言うとくが、ここは、「店主の店」で、愛ちゃんが、ケンカを売ったのは、「店主に対して」、でしょ、にわか評論家黙れ! と書いたのではないですか? エントリーの参加者をいじるのは、例外ですよ、わしも、屋山ぽん太郎、以外にいじったことはありまへん、愛ちゃんが子供(実際は三十ぐらいか)なので、ママ(ばーさんかなあ)を紹介してほしいのと、更生の可能性、を信じて、いじっているのです。玉砕を覚悟で、「店主に」、勝負をいどみなしゃい、ニッポンダンジでしょうに、違うのか?
で、まずねえ、「山崎語録」をつくらんといかんよ。わしは、店主に、「不治の女子穴レベルの年収2500万で、転向って、泣けるー」みてーなことを言われて、すでに、村上へいぽー全発言、を用意している上に、全山崎発言を乗せて、おい山崎ちょっと待て、と、からんだんやで。目、鼓膜、のど、金的、Gスポット、攻める場所を選んで、正確に撃てば、体格の差は補える。まず、こう言うんや。「おいおい、リストラオヤジがコンビニで働いて、年収六百万、って、おいおい、一年ポン食って働いても、そないにはならんで、為替がどう動いても、そないな価値は、無能なオヤジにはありまへん」。ほら、店主の、ふぐりが、縮みあがってヘソまで上がるわけや。他者の観察と内観、せっかくなんだから、かいてかいてこく、こいてこいてかく、あるべき若者像を示してください、愛ちゃん、逃げないで、仏壇返しやなかろうに。小沢エントリーへ、どうぞ、こきかたかきかたこしかたゆくすえの相談には、他愛の精神あふれる、保護司金やんが、のります。
店主、すんまそ。ここは、死刑ネタ以外なし、にしますが、「経済学的意味」、も、大変ですね、シニフィエシニフィアンすてきやん? 意味あるんでしょうか、経済学なんて? 絶対に、(経済学の)先生にはならないでおこうと思いました、店主もですよね、無理無理絶対無理です、殴った方がはやいです、ネットなので、マエがつかなくて、ほんと、神様はうまく、世界を、設計、なさっておられます、えーーめん。
以下、筋にもどりましょう、みなはん。愛ちゃんは、ひきとります、ケアマネ金やんが。
鳩はやっぱ、タカらしい
(
作業員
)
2008-05-09 11:14:15
>「死刑廃止への足掛かり」
斜め読みしかしないので、あやふやなんですが、三日遅れの毎日は、もう少し詳しく書いていました。死刑存置派は、絶対に出られない、刑を用意しないといけない、と考えて、ひとまず、集まってみたそうです。民主ハト派の鳩山の方も、死刑存置だそうですね、靖国の白いハトは、タカ派の白いハトだ、と言った連れがおりますが、鳩はタカかあ、なんだかなあ、宇宙人にも、死刑って必要なんだなあ。月に、刑務所つくったら、だめかなあ。いずれにせよ、制度が動き始めている、感じはしますね。サメの脳みそと書いたらサメが怒ったあほのてんこ森と、日本で一番ダーチーな亀井が集まって、死刑廃止もないでっけどね。
静香さんの死刑廃止運動
(
kayano
)
2008-05-09 12:03:45
「静香さんが死刑廃止運動をやるのは、自分の悪事がばれたとき自分が死刑にならないため」という説を聞いたことがあります。
しかしながら、この件については、私は静香さんを支持(彼の選挙区だったとしても一票は入れないが)するものであります。自分が死刑にならないために死刑廃止運動をするというのは、とても立派な心がけだと思います。つまり、自分だけが蜘蛛の糸で助かろうというのではなく、蜘蛛の糸に取り付いてくる罪人全部を自分ともども救おうということですよね。
死刑廃止が実現した暁には、お釈迦様は静香をお救い下さるのではないかと思います。(すみません。もののはずみで仏教カラーになってしまいました)。
あはは
(
作業員
)
2008-05-09 12:07:48
一行、コメントは、基本、禁止ですが、破戒です。オモロー。
経済学と宗教とコスト
(
とおりすがりの公務員
)
2008-05-10 06:46:42
経済学はよく知らないが、選択肢が増えれば消費者の効用が増加すると記憶しているので、死刑という選択肢は残しといたほうがよいのじゃないかな。終身刑もあったほうがいいな。
仏教はよく知らないが、仏教系のなんとか真理教のグルみたいなやつは死刑に値するから死刑はあったほうがよいのじゃないかな。
いくらになるか知らないが、死刑囚の角膜、腎臓、肝臓なんかを全部うっぱらえば、多少の利益が出るので、死刑は存置して、売却する制度を作ったほうがいいんじゃないかな。
こういう公務員がいるうちは
(
サムライ
)
2008-05-10 10:14:15
自分で決定する消費者と他人が決める死刑をさも同一であるように論じるのは嘘もいいとこです。「公務員」さんとのことですから自分たちの権限を縮小させないために敢えて錯誤を狙っているのかもしれませんが。
2文めは山崎氏のいう「自分が神になった気分の単細胞」の典型です。「なんとか真理教のグル」程度の認識しかない人が「死刑に値する」と躊躇なく断じれる傲慢さは驚くべきものがあります。
3文めもおぞましいですね。臓器売買という生命倫理にも直結する問題についての躊躇いはないのでしょうか。その安易な提案は人の命を何とも思わない「うっぱらえば」のあたりにその残虐性が集約されているように思え嫌悪感しか残りません。
上の人、もし合理的行動が取れる本当の公務員だったらこう思っても書かないんじゃないかという気がするから隠れ死刑廃止派の可能性もあります。しかし、どちらにせよ昨今の国をみていればこういう公務員がいそうなリアルさはありますからどちらにせよ”死刑”などとんでもないですな。
死刑の方程式
(
どんぐり
)
2008-05-10 10:56:24
1人殺した死刑囚の臓器を移植して3人助けると、たしかに愛ちゃんの大好きな最大多数の最大幸福を達成できる。でもこういう血も涙もない物言いをしたら、自己愛ちゃんと刺されてしまうから気をつけて。だからハリスの議論(生きる権利の衝突のことだよ)を踏まえて、さりげない慈愛の雰囲気と若干の苦悩をまぜれば、中学生の知識でも死刑の方程式ができる。残虐な文章は格調高く、少し残念そうに書くんだぞ。これが世渡りのコツだ。線形なんて分からなくて大丈夫だ。巡回セールスマン問題なんて、そんなのカンケイねーって言ってやればいいんだ。埋没原価?とか怪しい話との兼ね合いは、ようわからん。その辺は自分でけっぱてけれ。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-05-10 12:36:00
あの世とこの世があった時代には、死刑によって罪人をこの世の外に押し出すことができたはずです。
人智を超えた犯罪には、犯罪者を三途の川を渡らせることによって、決着を神仏任せにすることができた訳です。
しかし特定の文化がもっているはずの死生観というものが弱くなり、世界観が一元化している現代においては、人間社会が唯一存在している現実となります。(例えばカミュの例をとりますと、『異邦人』の最後で、神なき世の中で、主人公は人々の憎悪を受容するわけです。彼は許しをもらったのではなく、人間である彼が人間世界を許した訳です。)
こういう認識のもとでの死刑は死によって、個人を完全に(社会的)現実から抹消するという考え方でしょう。
しかし、この考え方は一方、二つの矛盾した認識を生むでしょう。
そのひとつは、人間の法的制度に限界があること、死刑制度そのものが法制度の無力を表すことです。
もうひとつは、他者を殺す権利を社会制度だけがもつ、という制度の絶対化という側面です。
制度は、制度自体の正当性の基盤を求めますので、前者のような無力を嫌うでしょう。
また制度は、自己監視という観点から、後者のような絶対性も嫌うでしょう。何故なら、制度装置というものは、自己組織の恒常的維持を求めるものでしょうから、有機的な組織体として自己不全に陥るようなこと、絶対化の極点で正しいフィードバックがなくなり、過剰な正のフィードバックによって組織が自壊するようなきっかけを嫌うでしょう。
このため、成熟した社会制度は、より制度の完成を高めるという点から死刑制度を投げ捨てることになると予想されます。
しかしながら、ここにおける死刑制度の廃止は、けして道徳的な完成という意味ではありえません。一言で言えば管理社会のいっそうの完成といえると思います。そのような制度の元では囚人はリサイクルされるべき人的資源として管理されることになると思います。死刑制度から逃れた人間は、終身刑制度の下で、より高い「生産性」を義務として果たすことを要求されるようになるでしょう。既にその兆候を散見することができます。一部民間企業への刑務所運営の委託や、ソフトウエアプログラマとして囚人を労役させようなどの計画等にです。おそらく、臓器の再利用の提案などが出てくるのも、そういう兆候のひとつだと思われます。きっとシジフォスの神話がより堕落した形で実現するのです。
みんなのアイドルどこ行ったんや?
(
作業員
)
2008-05-10 14:43:31
>三途の川を渡らせることによって
これは、島流し、ですね。どこかに、囚人島をつくって、上空から、最低限必要な量の物資だけ投下して、あとは、自己責任の均衡で、サバイバルさせる、というのは、なんとなく、桐野なんとかの小説みたいでんな。死んだことにしてやる、というのは、人間の知恵でしょう。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-05-10 15:38:50
現代は立て込んでいる世界ですので、「水に流す」ということができないのでしょう。もしくは現代社会には「水に流す」仕組みが乏しい。即ち清めの儀式が存在しない。死刑制度の最大の問題は、死刑によって、犯罪の「穢れ」が浄化することができない点にあると思います。もし死刑制度が存置され続けるとするならば、どこかに「水に流す」あるいは「清める」仕組みが制度内か制度外にあるべきだと思われます。これは死刑廃止においても同じことが言えると思います。
青い話だと思うが
(
作業員
)
2008-05-10 15:58:56
愛ちゃん、向けに。使えるか使えないのかといえば、たぶん使えないんだろうこと、を自称自嘲されている、店主の先輩の西部先生の話でも、メモしときますか。泥水、言い換えればブラックウオーターを啜って生きねばならぬこの世界は、パールチェイニーブッシュラムちゃんそしてわりらが愛ちゃん、という、いわゆるネオコン、を生み出したわけですね。ネオコン、ちゅうのは、極左転向組、でっから、非常にキッツイこと、次から次に、やらかします。古典に学んでも新古典に学んでも、結局、人のいい国家社会主義者に還る西部のオッサンのような、保守、とは、全く違う、世界観、が、彼らの脳内に、あるわけですね。本当は、保守の、死刑存置論、が聞きたいのです。が、自身が極左であることも自覚できないほどに、内観がたりない、小僧、ばかりです。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-10 17:17:54
radishfeelingさま
>もし死刑制度が存置され続けるとするならば、どこかに「水に流す」あるいは「清める」仕組みが制度内か制度外にあるべきだと思われます。これは死刑廃止においても同じことが言えると思います。
仰るとおりだと思います。「清め」の基盤としては、宗教が最も手軽でしょうが、残念ながら、適当なもの(現在、日本で広く行き渡っていて、教義が有害でないもの)は思い浮かびません。理想論的には、世間の常識を「清め」に通用するレベルまで持ち上げることでしょうが、これも気が遠くなる作業です。今のままだと、制度がどっちに転んでも、死刑存置派にも死刑廃止派にも、もやもやした感情が残りそうです。
ひとつだけ、言える
(
作業員
)
2008-05-10 17:31:29
テレビには、無理や。
あくまでタクマ、とわしが呼んだ、彼、について、地上波は、心、に踏み込んで、解釈、のまねごとをしたけれど、ズサン、にも、ほどがあるものだった。彼が、ホテトルをレイプして肛門性交を繰り返していた、という事実をネグッて、彼の行動を、解釈、したりするのは、反則だと思う。解釈、はかまわないし、清め(この言葉は使わない方がいいけどな)もいいが、サブプライム地上波に、そんな神業、させて、どうすんの?
清めのためかどうかはよくわからないが、あの小学校の一部建物を壊す、と話が出たとき、わしは、「ならば、あの小学校を、廃校にせよ」、と言って、ケーワイちゃん、と呼ばれたわけです。でも、どうでしょうか、高級外車で、何時間もかけて通う公立学校に、抱く、貧乏人の、恨み。筋違いでも、議論、すべきではなかったか、と今でも、わしは思うのです。事実関係はすべて、出す。思ったことは、すべて、言い合う。そういう空間だけが、お清めの空間、ではないでしょうか、清め、はないと思うがの、店主が宗教臭くなるってのも、話が話だけに、いたしかたないか。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-05-11 01:42:29
>作業員様
>清め、はないと思うがの
作業員様の仰りたいことは、分かるような気がします。「ブラックウオーター」が無いかのように生きてはいかん、というお叱りだとは思います。
何故、宗教臭い表現になってしまうかというと、現代に生きる我々には昔日の「罪」「罰」「許し・許されること」の意味が良く分からなくなっているため(私も分かりません)、その痕跡を辿るしかないからです。それを指し示す現代的な用語や概念が見つからないのです。頑張って表現しようとしても、山崎様が仰るような「もやもや」という言い方が精一杯なのだと思います。
追伸:ただいま、ご推奨?の『どくろ杯』の方読まさせていただいております。
死刑制度合憲判決事件
(
ゆうじ
)
2008-05-11 07:22:18
前に「日本国憲法は死刑を容認する」と題して投稿した者です。その後の2つぐらいのコメントと私の友人から徹底的に批判されたので、もう一度私の意見を肯定する判例を示しておきます。批判された後ネット等で探したところ見つけました。ウィキペディアより、
最高裁判例 1948年3月12日
「…また日本国憲法第31条において、国民個人の生命であっても法律の定める適理によって、これを奪う刑罰を科せられることが定められているとした。そのため日本国憲法は刑罰としての死刑制度存置を想定したものであり、肯認しているから合憲であると判決した。」
これによると、熱烈な山崎ファンの人達は憲法も判例も無視したことになりますね。理論派と定評のある山崎さんのファンの中には論理的でない人も少数?いるようです。
自分の感情を肯定するために、憲法をも捻じ曲げて解釈する人々に私は怒りと恐怖を感じます。あくまで自分の感情と事実は別物だということを学んで欲しいと思います。私は前にも書いた通り死刑反対です。ただ、憲法は死刑を容認している事実は冷静に受け止めています。
誤解のないように書けば、私の気持ちは、島保裁判官の補充意見「何と云つても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」と同じです。結局は死刑合憲判決になったとはいえ中身は複雑なのですよ。
Unknown
(
サムライ
)
2008-05-11 10:09:01
ゆうじ様
「最高裁判例 1948年3月12日」の主文はお読みになられましたか。そこの最後の段落には「憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論」とあります。これは要するに死刑の消極的承認です。
死刑存置は違憲なのではないかという原告の主張に対してそうとまではいえないとして退けるためこのような判決になっているだけであって死刑をより積極的に肯定しているわけではありません。「熱烈な山崎ファンの人達は憲法も判例も無視したことになりますね。」などとエラソーにいうのは筋違いでしょう。
なぜならゆうじ様が積極的容認と消極的容認の区別もつけずに判例を持ち出して水戸黄門の印籠のように出すからそれに対して応酬した場面はありましたが基本的姿勢は最初は山崎氏もその他の死刑存置派、廃止派も共に憲法と絡めて論じようとはしていないのですから。
「清め」について
(
kayano
)
2008-05-11 14:18:26
「清め」のお話が出ていますが、犯罪者が裁判にかけられ、判決を受け、その判決が執行されることが、その事件についての社会的な「清め」と思っていますが、違いましょうか?
当事者(犯罪者、被害者)や関心を持つ世間一般にとっては、どんな判決であれモヤモヤが残り、完全な「清め」にはならないかも知れませんがが、「気持ちが完全に満たされる」というのはこの世では虚妄ではないかと思います。
昔は、今と違って「罪」「罰」「許し・許されること」の意味がはっきりしていたのでしょうか?
私には分かりませんが、「はっきりするべき」とは思いません。話はちよっと違いますが、靖国神社の存在意義などが連想され、人工的な仕組みは新たな無理を生みそうで怖いです。仕組みは今のままでいいと思います。ただ…
>事実関係はすべて、出す。思ったことは、すべて、言い合う。そういう空間だけが、お清めの空間、ではないでしょうか
本当にそうだと思います。今回の光市事件についても、例えば「平成17年に仮釈放を許された者の平均在所年数は27年2月」という事実が、世間一般に知られていたら(無期は7,8年で出てくると思っている人が多いみたい)、もう少し「あらまほしきお清め空間」になっていたかも。
今朝の地元紙に、森達也さんが「リスク過敏症/減る凶悪犯・実感は間逆」と題して書いておられました。
07年に日本で起きた殺人事件の認知件数は1199件。これまでの最低記録91年の1215件を更新したそうです。ちなみに戦後日本での最高は54年の3811件。人口比で考えれば4分の1近くの減少です。
森さんは、こういうことがほとんど知られていないのは「不思議な現象」として、事実に反して体感治安が悪化し「煽られた不安や恐怖が燃料となって、人の意識が変わり、さらには法やシステムが変わる」危険を指摘されています。
「ありのまま事実」がもっと報道され、「ありのままの事実」にもっと世間一般が関心を持つことを期待して止みません。
すばらしいマトメですね
(
作業員
)
2008-05-11 14:29:25
とにかく、資格もないのに、裁かない、ことです。
数字(視聴率分計)がとれるから、殺人事件、あるいは拉致事件を垂れ流す、とれなくなったら、また、次の、大衆の興味。別件でいえば。あのミサイルと核施設の映像、って、何年前のでしょうか? 何千回、垂れ流したら、気がすむんでしょうか? そして、それすらも、やめてしまいましたね、アメリカが、転向してしまうと。
一つ、気になりますね。犯行時、17歳なら、みなさんは、死刑にしろと、絶対に、言わない、のですか? 法的根拠はない、ですよね。それとも、殺せ、でしょうか。18歳と一ヶ月、は本当に、小さなこと、でしょうか。法律をまもる気があるのかないのか、内観は大事でしょう。わしは、愛ちゃんがいうように、仏法の方が上、もあるかなあ、とは思いますが。
17歳なら
(
kayano
)
2008-05-11 15:39:09
>犯行時、17歳なら、みなさんは、死刑にしろと、絶対に、言わない、のですか?
それ。それです。多分みなさんおっしゃると思います。それで森達也さんご懸念の「煽られた不安や恐怖が燃料となって、人の意識が変わり、さらには法やシステムが変わる」事態になるのだと思います。
森さん続けて曰く、「2000年に少年法が改正されたとき、少年の事件が急増し、かつ凶悪化していることが前提だった。でもこれも調べればすぐに分かるけれど、少年事件は大きく減少しているし、凶悪化もしていない」。
どうやら光市事件は少年法改定直後のことだったみたいですが、もし17歳だったら、さらに「煽られた不安や恐怖が燃料となって」、「17歳で死刑にならないのはおかしい。少年法でもっと年齢を下げるべき」という流れが作られたのではないかと思います。
それにしても、「政治には参加させない。結婚するには親の許可が必要」という「正式に未完成とされている人間」の行為に対して、国家が「正式にその人間を抹殺する」という決定をするのは何とも酷い気がします。辻褄を合わせるには、親の責任&社会全体の責任&政治の責任が加味されるべきと思うのですが。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-11 15:49:59
>昔は、今と違って「罪」「罰」「許し・許されること」の意味がはっきりしていたのでしょうか?
(すみません、死刑制度から話が逸脱してしまうかもしれませんが)昔も意味ははっきりしてなかったでしょう。ただ、我々が現代捉えているような感覚や意味づけとは異なっていたでしょうということです。もはや世界観そのものが異なるのですから、昔と今では感得できるものもまた異なります。
私は靖国神社的なものは想定しておりません。それが明確な制度の形をとりえるのかどうかさえおぼつきませんし、どのようなものになるかさっぱり分かりませんが、我々にも二元的な、あるいは多層的な現実観というものが必要なのではないかと思っているのです。それは非合理主義でありかつ非現実的であるという謗りは免れないでしょうが、数百年をかけてでも現在の常識というものを変えていくように努力することには意味があると思っています。それは意図しては実現できないよと言われてしまえばそこまでですが。辺見庸氏の言われる「もごい」という感覚が育ってくる土壌に現代の主流な世界観や制度がなりえるのかどうかは甚だ疑問な為です。前述しましたが、現在の制度の将来についても楽観はできないと思います。(世界観と制度と殺人の発生には密接な関連があると思います。アメリカインディアンのある部族では数十年の間、殺人がただの一件もなかったという例があったらしいですから。ただ、出典が今分かりません・・・もしかしたら神話の類かもしれません。)
>事実関係はすべて、出す。思ったことは、すべて、言い合う。そういう空間だけが、お清めの空間、ではないでしょうか
これを否定するつもりは毛頭ありません。が、言葉で言い表しきれないものが、いつまでも残る場合もあるのではないでしょうか。すみません、それはきっと背後世界だ・コミュニケーション不全だと非難されてしまいますが、明確な言葉ではすくいとれないものもあると私は信じます。信じてしまうと議論の対象になりませんので、これは私のチョンボですね。
殺人の減少については他にも書いてらっしゃる方がいらっしゃいましたが、ご指摘の通りだと思います。特に少年の殺人事件は減少していると聞いております。(森達也さんのドキュメンタリー作品と著作については、私も愛読させていただいております。)
↑名前をつけ忘れました
(
radishfeeling
)
2008-05-11 15:57:49
radishfeelingです。
参考にならんが
(
作業員
)
2008-05-11 16:13:41
昨日話していた、連れの土建屋役員(あほー学部出)は、まあ、わしのテイシャみたいなやつだったのだが、今は、完全にわしがテイシャになっている、ゲゼルシャフトリッヒな関係って、ちびしー。で、その彼が繰り返すのは、「復讐心なんて持続しない」、ということでした。彼の爺さんって、ろくでもない連れに欺されて、ひどい目にあって死んだんですが、当然、彼は復讐を考えたし、そういえば、なんかそんな道具の相談まで受けた覚えもあります、もちろん、わしは、筆、ぐらいしか用意でけまへんが。で、神様がそうしたのか、人間様がそうなっているのか、わかりませんが。復讐心など、持続しない、と言うわけですね。分かる気、だけはします。
もうひとつ。店主やわしは、ボクシング好きで、しかもたぶん、相手を殺してしまいそうなファイターが好き、なんでしょうけど。日本では絶対マイノリチーの、死刑廃止、など唱えてみる、というのも、ひとつの抑止力なのかな、と思います。自身の中の、暴力性やろくでもなさ、を抑え込むために、とりあえず、人殺しだけには、絶対的に、反対しとこかのう、と思うのではないか、と思っています。店主のことは、店主にきかねば、わからんけどね。
せっかくなので、暇で死にそうな人は
(
作業員
)
2008-05-11 16:24:52
http://www.geocities.jp/haikunomori/forum.html
堪能させていただきました
(
minaho
)
2008-05-11 16:35:47
異郷の地に居を構えたため、数ヶ月間ここを離れておりました。今日、久方ぶりにお邪魔してみたらば、非常に興味深い論争が行われておりましたのですね。
遅きに失した感があります。残念無念。
しかし、日本語の活字がめっきり少なくなった生活を送っている私には、本1冊ぶんの節約になりました。そのうえ、暇で死にそうな私のために、おまけつきとは・・・・・。
ありがとうございます。
話は変わりますが。
本日プリンタを設置しようと思いましたら、なんと接続ケーブルが別売りになっておるではありませんか。
背に腹は変えられぬと、不承不承選んだキヤノ○製のプリンタでございます。
日本にいる間に点検しなかった私が悪いんですが、まさか、PCへの接続ケーブルを別売りにするような商法が存在するとは、思いもよらなかったのです。さすが、キヤノ○の御手洗氏の配下は目の付け所が違います。例えケーブル1本でも販売機会を逃さないという徹底した商魂は見上げたものです。
しかし、ここ異郷の地において、ケーブルを手に入れることは至難の技です。
恐らく売っておるだろうと目算する場所まで、往復2時間かけて行かねばなりません。ネットショッピングなどという離れ業も使えません。
さて、これからケーブルを買いに行ってくることにしますかね。
「信念」の問題なのでしょうか
(
床屋政談
)
2008-05-11 23:45:46
皆さま
ご意見を拝見して、しばらく自分なりに考えてみましたが、今のところ私には、残虐な殺人をおかしたことが「明らかな場合」にも死刑という選択肢を「あらかじめ廃しておく」ほうがよいとは思えません。
不完全な国家や公務員(や陪審員)による冤罪の可能性がゼロではない、というのは、「明らかな場合に」
は、あたらないでしょうし、必ず死刑にはしない、というのは、死刑を望む被害者や遺族にとっては、やはり確実な強制なのだと思います。
その強制は社会的に望ましいことなのではないか、という御意見がありましたが、それを行うのは、具体的には「体制(国家?)」だろうと思います。
うまくいえないのですが、体制が暴走して冤罪を起こす心配もあれば、体制がやすきに流れる心配というのもありはしないでしょうか。
話が違うと感じられるかもしれませんが、
現在にいたる、精神に障害をもつ犯人への刑事罰忌避の「制度化」は、その昔に、暴走した人権派が熱狂的に公的な審議の場をのっとり、その後、判事・検察・弁護士の司法関係者の事なかれ姿勢と、精神科医の商売から、「定着」してしまったと私は思っています。(加えて端的に言うと、現状の体制は、犯罪を起こしていない精神障害者にたいして侮辱的だと思っています)
体制というシステムの行動にたいする心配は、「厳格」方向にも「寛容」方向にも、気をつけなくてはならないと思います。
よくいわれる「善意が暴走する」ことには、死刑要求にも社会主義共産主義運動にも人道的軍事介入にも、そして死刑廃止運動にもありうる、のだと思います。
私は、人道的軍事介入も、社会共産主義運動も、そして死刑や(減刑運動も)、ケースバイケースで、社会的にあってよい場合が、ありうるのではないかと思っています。
日本の殺人事件が減り(よろこばしいことです)、被害者や遺族に死刑回避が強制されることなく、死刑判決が減って、たとえば何十年何百年に一度となるのならば、望ましいことだと思います。
(ちなみに、私自身が被害者や遺族になった場合にどう考えるかは、その時になってみないと分かりません。ただ、その時の「怒り」「憤り」も踏まえて意志を決めることは、「感情に流される」のとイコールだとは思えないでいる自分がいます)
多くのコメントを読んだ上で、いろいろ勉強にもなりましたが(死刑存置のコストが高いというのは何に主にかかっている計算なのでしょうか?)、やはり私には、どんな犯罪にもはじめから死刑を回避しておく、というのは、なにかの「信念」の発露なのではないかと思えてなりませんでした。
そして、殺人にあった被害者や遺族に、その信念を強制する、というのには、私は肯けないでいます。
◎
以上の意味で、私には「冤罪」をどう考えるかが、死刑論議のいちばんの焦点です。(個人的には、犯人の年齢も、凶悪殺人の前では本来は法的には考慮されるべきではなく、一律に「死刑を適用しうる」とすべきだろうと思っています)
山口での事件の裁判では、冤罪かどうかが問われていないからこそ、「ドラえもん」うんぬんの気持ち悪さが出てしまったのではないでしょうか。
私には私の信念が色濃く出てしまっているのではないかとも思います。
ただ、あの裁判での「山崎さんが感じた弁護側の気持ち悪さ」を具体的に教えていただけると、何かの参考になりはしないか、とも思いました。
長文にて失礼いたしました。
遺族の権利?
(
山崎元
)
2008-05-12 03:20:34
床屋政談さま
殺人事件の被害者遺族は、まことに不運で同情に値する、ということは、私もそう思います。また、遺族が犯人を「殺してやりたい」と「思うこと」は、精神の自由の範囲であり、止められません。実現されるのは困るけれども、気持ちは分かります。報じるメディアは金目当てでしょうが、「殺せ!(=死刑に)」という遺族の声を聞くのも我慢はできます。
しかし、遺族が犯人の死刑を要求する「権利」とは、何に基づいて正当化(単に法律レベルだけでなく、哲学レベルでも)されるものなのでしょうか。
また、冤罪でなければ、犯人を殺していいのでしょうか。懲役何年がいいのか、無期がいいのか、死刑がいいのかというのは、しょせん人間が決めたルールです。そのルール自体の適否を問いたいところですが、絶対的に「死刑」となるべき条件は、何であり、それは何に根拠を持つものなのでしょうか。
たぶん、最終的には戦争への賛否と同じで、国家(あるいは社会でも)をどの程度信用するかにかかってくると思うのですが、「死刑」や「宣戦布告」まで出来るような権利をあらかじめ国家から奪っておく方がいいような気が、私はしています。
定着していません
(
作業員
)
2008-05-12 18:36:10
>精神科医の商売から、「定着」してしまった
本当に、裁判員制度がどうなるのか、さっぱりわかりまへん、わしは、辞退する、とここで宣言しとりますが。で、精神科医が、裁判官になってしまっている、という批判は、ずっと、わしが、してきたことです。裁判官が、本来の職務を放棄している、というより、「精神科を峻別している、体制の、いやらしさ」、が、わしには耐えられない不快なので、おめーら、反体制のわしをなめとんか、といい続けてきました。ところが、最近になって、裁判所は、またまた、方針を転換、しやがったのです。精神鑑定を、超えて、裁判官が判断する、本来の姿に戻った、のかどうか、これがまた、あやふや、なんです、どーしますよ、みなはん、裁く立場になったら。わしは、辞退しますが、どーせどーせ死刑廃止派ですけん。
具体的に言うと、リベラル派は、戦争と罪責で有名な野田さんを用意し、反人権派らしいタカ派は、なんでも責任能力で有名な自称自身が患者の小田ちゃん、ちなみに、金やんとこの大学の出、を用意して、あーでもねー、こーでもねー、って、やってたんですね。タカ派が用意する評論家は、言うまでもなく、なんでも死刑!の土本のおっさんですね。リベラル側の代表は、今後は、ニワカ評論家山崎元であります、仕事の幅が広がってなにより。店主は、宗教臭くなくていいよ、わしゃ、自身に自信がないから、宗教を便宜上つかってみてるだけやからなあ、理詰め、は店主にまかせる。
本ケースに戻ると、無期の判断を下さしたのは、お国の裁判官であるのに、「ちきしょー、人権派安田めー、死刑廃止だとー」と、わけのわからんことを、押売のシンボーの小僧とハシシタが言ったわけです。安田は、人権派ではないし、無期の判断を下したりもしとりまへん、再考を、再考を、再考を。
それと、更生・社会復帰の話だが。厳罰化をよし、としても、社会復帰はダメ、とは、必然的になるもんではないんだよなあ。でも、社会復帰を許さないかたち、をわざわざ、用意しとるんよね、社会は。たとえば、微罪でも、実名報道、するやろ、被疑者段階であっても。かの、反人権派のハシシタであってさえも、被疑者、もっといえば、被告段階でも、名前をふせてもいいんじゃないか、と言うとったと思う。人権派、なんて、妄想は、ええかげんに、自身で乗り越えてくれ。
揺らぐ
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-13 20:39:39
山崎様、床屋政談様、皆様
山崎さんからのコメントに先日納得し、殺人鬼とは言え人を殺す事の余りの重さに耐え切れず死刑制度廃止へと考え方を180°変えました。
しかし凶悪犯罪事件ことを思いその後も絶えないいたましい報に接するたびに心が揺れます。
抵抗出来ない(或いは、出来そうもない)相手を選びその命を奪い魂にも過酷な深いきずを負わせた者に生き続ける権利はない、人から与えられる死の恐怖を自らも実体験すべきだ。
この2本の支柱を底から周囲を取巻く形で補強するのが、許されない犯罪とその罪を犯した者に対する怒り、憎悪や憎しみです。
自分が享受する権利を他の人から奪った以上はその者にはもはや享受はさせてはならない。
殺人と言う罪が何処かにあってたまたまそれがその者をして人を殺させたのではない、その者が自らの行動で尊い人命を奪い魂を傷つけ人を不幸のどん底におとしめた以外に何ものでもない。殺人犯が死刑に処せられようとも、或いは生き延びようとも決して解放されることのない悲しみ、無念さ、もって行き場のない重過ぎる思いが生涯残るのです。
犯罪発生を事前に阻止し少なくとも最悪の事態に至らしめないことすら出来ない神とか至高の存在が(在るとして)殺人鬼を罰することもない以上は、不完全ではあっても社会を構成するメンバーが最低限の秩序を形成維持しようとすることが、例え多くの苦悩、苦悶と苦痛を伴おうとも、正しいのではないかと考え、正直に告白しますとこの確信に近い思いが、断ち切れないのです。
他方で矛盾するのが、相手が殺人犯であっても、人で在る以上は殺す事はしてはいけないこれは確かだ、との確信です。
それ故なのでしょう、殺人鬼と呼ぶことで人として扱わなくて済みそうな方法を考えます。許されない罪を犯し生命を奪ったのだから奪われるのが当然の帰結だと思いたいのです。
もしかすると、制度廃止に組する本当の理由は自己矛盾を乗越えられない程に弱虫なので仕方なく人様の力も借りて制度の廃止を望む、依拠出来る制度を無くしておこうという無意識が働く、ただそれだけのことなのかも知れません。
実際に裁判員の一員として生の事件に極めて近い立場となった場合、次々と見たり聴いたり接することとなるであろう資料や肉声の数々に、深層心理が強烈に動き激情(怒り、憎悪、憎しみ、許せないとの強烈な思い込み)から死刑宣告人に成って仕舞うのではないだろうか。
しかしまた揺り戻しが起きます、不完全である自分が加担し実行する殺人が果たして正義なのだろうか、被害関係者の方々からはこれで同感を得られるのであろうか、世の安寧が保たれるのであろうか、自分は5年10年の長期にわたって心の平静を保てるのであろうか。
本当に判りません。
人を殺す事に組する事が本当に正しいのか一抹の不安を抱えるのも事実で必ずここへと思考が戻って来て仕舞うのです。
P.S.2008-05-05 09:55:12の寄稿コメント最終行を次の通り訂正します。
無期懲役を宣告して苦しむことのほうが自分が加担した死刑執行に苦しむよりも、不完全な人間としては正しのではなかろうか、そう思えてきました。
Unknown
(
オカヤン
)
2008-05-14 23:06:35
このエントリーでゆうじさんが紹介しておられた「死刑執行人の苦悩」(大塚公子著)を古本屋さんで見つけて読みました。死刑囚の更正状況について、情緒的な面を強調して描かれていると思いました。が、社会秩序維持を目的とした国家権力の正義に基づき実際に合法的殺人を犯す人々の現状と心情について、よく理解できるルポルタージュであるとも思いました。死刑執行について「国家に一任する」という死刑存置論の方には、死刑囚の首に絞首刑のための縄を掛けるのも人間、死刑囚のひざをロープで縛るのも人間、執行のためのスイッチをおすのも人間、ぶら下がった死刑囚の体がくるくる回転するのを止めるのも人間、死刑囚がぶら下がってから15分ほどして、死んだかどうかを確かめるため胸に聴診器を当てるのも人間、死体からロープをはずして下ろすのも人間、ということに、少しでも思いをいたしていただきたく思いました。そして執行に関わる全ての人に家族がいるということにも思いをめぐらせて見てください。
死刑を求める権利について
(
床屋政談
)
2008-05-17 02:35:13
山崎さま 皆さま
残虐殺人の被害者と遺族(被害者は生前に意志を明示しておくしかないのでしょう)が、死刑を求める権利について自分なりに考えてみました。私は、それを認めておいていいのではないかと思っています。
◎
法律的には、「残虐な殺人をおかした犯人であることが明らかな場合」に「裁判官に死刑判決を求める旨を陳述する権利」でいいのではと思います。
事実認定と量刑認定を分け、後者について被害者と遺族が意思をうったえる権利です。
被害者や遺族の意思陳述が死刑を求めるものであっても、事件のケースバイケースで「死刑としない」という判決があってもいいでしょう。
(司法、裁判官や裁判所は、ある事件に対するある判決につき、被害者・遺族・犯人・社会に対して、その厳粛さを受けもつわけです)
しかし、死刑廃止とは、殺人のどんなケースであっても、あらかじめ、その裁判で死刑をもとめること自体を許さないということです。
私には違和感があります。
◎
「権利」とは、語源や人間の感情から考えても、ライツ・正義の感覚を含むものだと思います。
凶悪殺人の、明らかに犯人である場合には(≒「神」のように事件を見た場合に)、「死を。」という感覚
が死刑存置の考えにつながっていることは、素直に認めなければならないと思います。
◎
また、現状で日本に死刑があり、また国際社会に死刑を存置する社会がある、死刑の存在を、知っている以上、死刑を廃止するとは、ある個別の遺族には、死刑を求めること自体を奪われる、強制される、という感覚、素朴には「権利を奪われる」感覚といっては言いすぎでしょうか。
:::::::::::::::::::
上記を考え合わせると、「死刑廃止」とは、具体的には、「個別ケースで明らかに被告に凶悪殺人をおかされて死刑を望む被害者と遺族」が、大多数のそうでない投票有権者の意を受けた政治家の立法によって、あらかじめ個別のケースでの死刑を求める機会を奪われて、刑法全体の改変に挑まなければならない、ことに
なります。
私には、非常に違和感があります。
他に…
(
床屋政談
)
2008-05-17 03:28:03
他の死刑に関連する事柄について触れます。
◎
刑罰には基本的に応報の要素が強くあると思います。
罰金か懲役か、罰金は幾らか、懲役が何年か、おかした行為の、被害者と遺族への、また社会への、重大性、悪質さ、に比例させようとするものでもあります。そして、その量刑は、神ならぬ現代社会(現在までの法とこれからの立法と司法)がある部分「恣意的」に決めています。死刑が論議される犯罪だけが、
応報性で決めるべきでないとはならないでしょう。
◎
死刑という行為・作業にかかわる公務員がいるから、死刑を廃止すべきだとは思いません。(仇討ちならいいのかという代案はともかく)死にまつわる職業は、
厳しく重い仕事、というだけです。厳粛であるべきだと思いますが、あってはいけない仕事ではないはずです。また、俗に「刑事や税務官は人を疑うのが仕事」といいますが、疑うのが仕事でありつつ、しかし社会に必要な職務です。もちろん死刑存置論者は、死刑にかかわる人間を蔑視することがあってはならないでしょう。
◎
遺族が犯人の死を望む場合に、絶対的な「死」刑にかんして、不完全である国家を使おうとする面があるのは認めざるをえません。自由に関するベキ論として、哲学的に疑義がありうる、とは思います。ただ、懲役
も、その何年か、二度と帰ってこない年齢の自由を国家が奪う行為です。そして、言うまでもなく被害者と遺族は殺人事件で絶対的に奪われています。
しょせん「完全」にはなれない国家や人間(遺族も含まれます)、しかし犯人がおこした殺人は究極に限りなく近い「試練」を不幸にも被害者に与えるわけです。ならば、その心の圧をへた、常人では計り知れない意思を、受け止めた上での個別判決があっていいのでは、と思います。応報(や復讐?)の心が、どれくらい生じるか、持続するか、意思表明に関する気持ちのけじめは、他者が決めることでもないでしょう。
◎
結局、「死刑廃止」とは、「もう被害者は死んでしまっているのだから、犯人に死を望むのはやめなさい」とあらかじめ一律に強制すること、それを遺族にも強制するかどうか(または冤罪の可能性を極限まで重視するか)の「信念」の問題ではないか、という考えから抜け出せない自分がいます。
◎
ぜひ加えたいのですが、殺人事件の被害者の、実名、
顔写真、勝手に解釈した人となりを、メディアにさらされることも理不尽といえば理不尽です。(知人に言われて気づいたのですが…)
たとえ、遺族が裁判で量刑を訴える機会を権利として認めるにしても、そうした場には、うまくいえませんが、もっと「(怒りをも含んだ)静けさ」が求められていいのかもしれません。
加えて…
(
床屋政談
)
2008-05-17 03:39:23
上記のコメント、最後の段につき、
遺族の意見の陳述は、数年間、部分的に非公開としてもいいかもしれません。
(外交交渉などは時をへてから後世のために段階的に
公開されますね)
ついでに。
(
床屋政談
)
2008-05-17 03:56:01
死刑にかんしては考えがあまり変わってませんが…参考にはなりました。
小飼弾氏(と内田樹氏)のブログです。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51050320.html
遺族の意思は量刑に関係すべきか?
(
山崎元
)
2008-05-17 14:42:24
床屋政談さま
遺族の意思は量刑に影響すべきなのでしょうか。
死刑の有無にかかわらず、遺族の有無やその示した意思で、刑罰が影響を受けるという制度設計には、私は、違和感があります。
遺族が「死刑にしてくれ!」と言うことが量刑に影響を与えるなら、それは、刑罰が半ば、私的復讐の代わりをするということではないでしょうか。
立論によっては「復讐が大事なのだ」という立場もあるのかも知れませんが、私は、国家にそうしたことを担わせない方がいいと思いますし、復讐の禁止を制度設計のベースにする方がいいと思います。
それにしても、遺族ないしは世論が(人を殺せというものも含めて)希望の申し立てを行う中で、裁判員をやるのは、全く気が進みませんね。裁判官が自分だけで判決の責任を背負うのが嫌だから、裁判員を使うのでしょうか。理由はどうあれ、変な環境で、妙な制度が導入されようとしているようです。
極刑な話
(
作業員
)
2008-05-17 17:10:48
>死刑めぐる鳩山法相の国会答弁、EUが異例の抗議文(朝日)
あるブログを見たら、デブキョンのことが、かわいい、と書いてあったので気分がよくなり、やっぱり、強姦は死刑でもいい、と今日のところは、女にだけ甘く転向して、ちと小屋(ストリップではない)に行って風呂(泡ではない)でも行ってくる。
で、問題は、極刑、とは何か、の一点ですな。終身刑は、ゆるやかな死刑、とも呼ばれるし、死刑より残虐、とも言われるが、この辺りは、感受性の違いがでますわな、人それぞれ、のところに、ひとつの、極刑、を持ってこないと、制度、にならんので、未来永劫、議論は続くのでしょう。しっかし、鳩山家って、何宗でっか? 誰か、ギョーギ、せんのですか? タカ派のハトには、天罰が下ることだけ、祈りながら風呂につかります、一夜かぎりの転向とあいなりますかな。極刑こっけいウコッケイ、と意味のない言葉が浮かびました、卵、食ってないなあ、そういえば。ちなみに、人間より蝶々の方がかわいい鳩山が、コケ、にしているEUは、「いかなる死刑」、にも反対! だそうです。
考える
(
サイレントじゃないマジョリティー
)
2008-05-18 09:06:09
山崎様、皆様
存廃の課題に加え、確かに裁判員制度に就いても平行して今一度考える必要がありそうです。
1-2年前のことでしたか(時期はうろ覚えですが)外務省のWebsiteの国・地域のFileに日本に対するEUからの死刑税度廃止要請が掲載されていましたが、納得出来る説明・根拠は無かったように記憶します。(外務省・政府の見解も見かけなかったなあそういえば、あれはSiteに掲載公表した事実をEUに示すことが大事だと判断していたのでしょうかな・・・・。)
ともあれ相対する考え方を双方が認識し合い論議を深める「場」を大切にしたい、っとそう思います。
復讐と賠償
(
kayano
)
2008-05-18 12:26:28
床屋政談さま
ご意見拝読しました。そして、自分とは「意見が違う」というより、「大きな前提が違う」という感じを強く持ちました。このままでは落ちつかないので、ちょっと書かせてください。
ご意見は、ひとことで言えば「死刑を廃止すると遺族が裁判で死刑を求める権利をあらかじめ奪うことになる。それはいかがなものか」ということですよね?しかし、遺族が裁判で死刑を求める権利はもともとないのでは?というか、どんな犯罪でも、被害者が裁判で「これこれの刑罰を下してください」というものではないのではないでしょうか。(間違っていたら、専門家の方・詳しい方、ご教示ください)。
それで、ご紹介のブログを拝見してふと思ったのですが、床屋政談さまは「復讐」と「賠償」をわりと似たものとお考えなのでは?
私は、その2つは違うと思っていて、「遺族のあるなしで死刑になるかどうかが左右される」というのは凄く気持ち悪いですが、「遺族のあるなしで賠償金のあるなしが左右される」というのなら分かります。
応報≒復讐≒賠償 ???
(
床屋政談
)
2008-05-19 00:37:35
皆さま
きっと私の感受性や信念が色濃く出ているのだろうと
思いますが、
◎
私は刑罰や償いというのは、社会からの応報、被害者は(残念ながら赤の他人も)公的な復讐をもって私的に精神のけじめを得るという要素は、感情のある人間、そして人間がかたちづくる社会にとって、抜きがたいのが現実なのだろうと思わざるをえません。(特に凶悪殺人に対しては)
そして私には、その現実を変えたい場合に、死刑が論議されるような明らかな凶悪殺人の被害者に、一律に「ある理想的な対応」を、立法を変えることで強いることには違和感がぬぐえません。
◎
たとえば、ある犯人に、死刑でない刑をもって対応すべきだというのなら、それを犯行や犯人の背景につき、個別具体的に説けばよいと思います。
百歩譲って、社会は死刑一般を避けるべきで、この犯人に対しても、そうすべきだという論でもいいでしょう。それを、その被害者や判事に、正面から説くかたちならば、その時それは(結果的に社会へもむかって)本当に説得力のある死刑廃止の説話になり、廃止に向けて世論が動くかもしれないと思います。
(その意味で、私は世間の圧倒的な同調圧力に具体的に立ち向かっている安田氏などには、山口の事件での弁護などに宗教的な臭いも感じますが、しかしなお、ほとんど尊敬の念も抱かざるをえません。)
◎
なので、仮に本村さんの旦那さんが山崎さんのエントリーのように「死刑を望まない」と公言されたとしても、それはよしとし、しかし死刑の存廃とは別であるべきだと思います。
◎
同時に、遺族が、当該事件での死刑をどう考えるかを述べる機会は(機会を望むならば)与えられていいと思います。
◎
現実的に、死刑は究極の刑罰であり、私は(何人かもしくは一人を殺めたら死刑といったかたちで)自動的に適用すべきだとも思いません。
また裁判一般に被害者の意向をむやみに反映すべきだとも思いません。ただ、殺人以外の普通の事件では、被害者は事実認定の席(名目?)で証言します。
とにかく、いろんな意味で、死刑や死刑適用が論議されるような殺人事件・殺人犯は、「例外」的にならざるをえないのでないかと思います。
※世論が一方的に沸騰しがちな事件(たとえば凶悪殺人)にこそ、裁判員制度は不適当だと思います(おっしゃるとおり判事側の責任回避でしょう)。
たしか宮崎哲哉さんの意見だったかと記憶しますが、規定の法で一見すると判定しがたいような、立法時に想定されていなかったようなケース、がよりふさわしいのだと思います(司法の現場は避けたがるでしょうが)。
追記
(
床屋政談
)
2008-05-19 01:20:38
◎
凶悪殺人の犯人が終身刑でなく死刑になることで、精神のけじめをつける・つけたい遺族はいるか?
(→ いるだろう、と思う)
◎
被害者の感情で量刑は左右されるべき?
(→法理論的には分からない・されるべきでないかもしれない。が、通常の犯罪では事実認定の場で、被害者の証言がなされ、感情も加味されているのではないだろうか。たとえば痴漢や強姦、傷害、拉致、強盗、親しかったはずの間柄での詐欺など、深刻な事件ほど、感情を証言のかたちで訊かれ、量刑の判決がくだされている、と思われる)
◎
死刑という究極の刑罰の適用を判断する場に遺族とはいえ感情をもちこむべきか?
(→ 死刑が論議されるような凶悪殺人だからこそ、
例外的な対応がたちあがってくるのかもしれない。静かに行われるのならば是と考えてしまう自分がいる)
第三者の「感情」は排除される
(
山崎元
)
2008-05-19 02:34:31
床屋政談さま
コメントありがとうございます。
私は法律に詳しくないので、自信がありませんが、被害者や遺族の証言は、司法にあって、原則的には、「事実を認定」するために用いられる(べきな)のではないでしょうか。
事実の中には、犯人の動機や、責任能力の有無など、判決・量刑に影響するものが含まれますが、これは、あくまでも犯人に関する事実が重要だということであって、遺族のような関係者の苦痛の程度や、処刑に対する希望ではないはずだと思います。
民事的な賠償はともかく、刑事的な判決が、遺族とはいえ第三者の「感情」に影響されるような司法は、それ自体としてダメなのではないでしょうか。
●
>遺族が、当該事件での死刑をどう考えるかを述べる機会は(機会を望むならば)与えられていいと思います。
遺族が「望み」を言うのは、彼らの自由の範囲内でしょうし、彼らの責任で行えばいいことで、それに、司法が加担するのはおかしいと思います(司法はできるだけ不偏であるべきだから)。
遺族は刑について述べない方が「より、いい」のではないでしょうか。遺族も、検察も、弁護人も、刑事裁判で主張していいのは、被告人に関する事実の認定に影響する事柄だけではないでしょうか。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-19 18:37:53
俺は、死刑を廃止したからと言って凶悪な事件が増えるとは思わない。
そもそも、死刑を恐れるくらいなら人殺しなどしないだろ。
死刑廃止論vs存続論はまだまだ続く。
日本の国民、日本の法律、日本の社会は、ともに、この難しい問題である死刑廃止論・存続論を議論できるレベルまで達していない。国民の大半は思考停止人間だし、法律は矛盾だらけ、社会は崩壊寸前。こんな状態でこの難しい議論をするのは不可能。
だが、俺は死刑は絶対に廃止するべきだと思っている。
あと、あまり関係はないが最近人権のあり方を間違えている奴が多い。人権はいい人にのみ与えられ、悪い人には与えられないというバカな野郎がいるが、それはちがう。人権とは、いい人も悪い人も持っている物である。
Unknown
(
通行人
)
2008-05-19 22:22:32
実際に起きた現象を、理論で解決は出来ないでしょ。
この問題は、永遠に続くものだと思う。
いや、全ての実際に起きた出来事はは概念で解決は出来ないと思う。
社会は永遠に議論しながら歩んでいくのだろう。
しばらく考えて出た結論は被害者が受けた事と同じ事をするのが一番いいと思う。
民事→刑事
(
床屋政談
)
2008-05-21 02:55:11
山崎さま 皆さま
私は法学にも社会学にも詳しくなく、まったく自信はありませんが、凶悪事件における法的判断に、「犯人が何をしたのか」につき、被害者にどのような「傷」を負わせたのか、は含まれていないのでしょうか。
山崎さんのご指摘のように、裁判では本来それは、含むべきでないのかもしれませんが、日本において、痴漢・強姦その他、凶悪事件では考慮されている印象があります(まず被害者に犯行時の自分と犯人の状況を訊くかたちで、たとえば恐怖を訊いていますね)。また判決の主文のあとにも「被害者に00の苦しみをあたえ、社会に衝撃を…」などとあります。これ(主文以外)は本来、余分なのかもしれませんが、ただ現状では、マスコミが騒ぐような有名事件でなくとも、被害者の苦しみも「考慮」して量刑がきめられているようです(しばしば考慮に深みがないようですが)。
また上記を抜きにしても、そもそも刑法に明文化されている犯罪ごとの量刑の大小は、あらかじめ被害者の苦しみを含めた犯罪の重大性によっているのではないでしょうか。
さて、凶悪殺人で当人の犯行が明らかな場合、被害者や遺族が犯人に死をもって刑とすることを望むという
ことは一定程度の確率で予想されます(割合はともかくまったく無いということは考えにくいでしょう)。
望まない人も、望む人もいるでしょう。私には、望むこと、そして死刑が、間違っているとは、言えません。仮に、終身刑にとどめることが、「いいこと」だとしても、被害者や遺族に「いいこと」を強いるのも
どうなのでしょうか。
そこで、「被害者や遺族の感情を審理に反映すべきでない」とすると、一律に「とにかくあきらめてもらう」か、できるだけ一律に死刑にするか、の二通りしかなくなります。
私には、前者でいくべきだとも、後者でいくべきだとも、思えないのです(哲学的には国家に頼らず自分たちで殺してくださいというのは考えられると思いますが)。
死刑判決にするかどうかはともかくとして、死刑がありうる裁判に、遺族の意思をきく場をもうけることは、「危険な一歩」かもしれませんが、ありえないことだとも思えませんが、いかがでしょう。
また、刑事と民事の裁判があるとして、凶悪殺人の被害者や遺族が死刑を望むというのは、民事裁判で犯人に死を要求するということなのかもしれません。民事裁判も、判決の強制執行は、けっきょく国家が担います。同じことといったら言いすぎでしょうか。
うまく言えないのですが、理不尽な殺人への対応で理を通そうとするときに、それが被害者や遺族に理不尽を強いるものになるならば、社会(具体的には国家)や犯人が「死刑殺人」という矛盾をひきうけるほうが、まだましなのではないかと思う自分がいます。
読み返してみました。
(
床屋政談
)
2008-05-21 03:27:48
これまでのコメントをざっと読み返してみました。
私、重複が多くて恐縮です。
ただ、山崎さんの最初のほうのコメント文中
>「仮に自分が命に替えても殺したい相手が居る場合、殺しても死刑にならず、生きられる保証があるなら、殺した方が得だ」。こう思う人間がいるかも知れないこと、さらに、ケースによっては、自分自身がそう思わないという保証はないこと
この主体を「凶悪殺人の遺族」で代入すると、やはり
>ルールとして、死刑の少なくとも可能性は残すべきだ。
と、ならないでしょうか。
Unknown
(
山崎元
)
2008-05-21 10:36:39
床屋政談さま
制度にはいろいろな選択肢があるでしょうが、遺族・関係者の「復讐権」は認めない、犯人の犯罪を(世論の影響などを意識的に排して)極力客観的に個々に罰する、という制度が望ましいのではないでしょうか。刑罰が国家による復讐の代行という側面があるとしても、それはあくまでも結果論にとどめるべきで、目的化すべきでないと思います。
どなたかのコメントに、終身刑のコストが150万ドル、死刑のコストが400万ドルというコスト比較がありましたが、死刑存置の社会的コストが高くなるのは、死か生かという極端な分岐が存在することによって、これを争うことの(弁護費用などの)コストが大きくなるのでしょう。
「死刑の可能性を残す」ということで費やされる社会的に無駄なエネルギーも大きいのではないでしょうか。
また、国家が強制力を持つのは現実としてその通りですし、仕組みとして必要なことでもありますが、命を奪うところまでの強制力の行使を国家(といっても、最終的には何人かの関係する個人です)ごときに認めるのは行き過ぎのような気がします。(国家というと立派に聞こえますが、現実には、あの安倍晋三さんが首相になることもあるような、何とも頼りないものです)
この強制力の行使が、誰もが賛成する素朴な正義のためにだけ使われる保証はありません。たとえば、政治犯を国家に対する反逆として死刑にするとか、世論に迎合した死刑が横行するとか、国家が誤る可能性は大いにあります。国家が誤るのは死刑に限りませんが、人の死は重大且つ非可逆的なので、あらかじめこれを封じておくことが社会の知恵ではないか、というのが、死刑廃止論の一つの方向性だと思います。
もちろん、その場合に、「明らかに死刑にしたい」と多くの人が望むケースを死刑に出来ず、国民が満足(←些か醜悪な満足ですが、現実問題として)できない場合があるという難点はありますが、この難点は、国家の暴走を幾らか封じておくことのメリットよりも小さいのではないかというのが、目下の私の意見です。
犯罪に対する罪のバランス
(
迷い猫
)
2008-05-23 15:42:58
刑法は秩序維持の為の法律ですから、犯罪に対する罰のバランスが取れていないと問題が有るわけです。 現在厳罰化が叫ばれてその傾向に進むのは、そのバランスが取れてないと国民が考えている事が原因なのです。
このバランスはその国の文化・国民性・倫理観で異なり、よく死刑廃止論者の中で出て来る「世界的に云々」では説得力を持たないわけです。 あの手の理論では死刑存置者から言わせれば内政干渉の一言で粉砕されますからね。
死刑廃止論で死刑存置の人を説得するにはこのバランスの点で死刑存置の人を満足させるだけの意見を出せるかに尽きると思います。
割と話が変わるのですが
(
屠所之羊
)
2008-05-23 20:12:50
お初にお目にかかります。
大分前の話に戻ってしまって申し訳ないのですが、
>死刑になりたくて殺人を犯した
という人のために公認自殺場を作るという方法はいかがでしょう。
運営費の問題はさておき、無関係の納税者を殺めるより勝手に死んでもらう方が社会的に有益だと思うのですが…。
>政治犯を国家に対する反逆として死刑にする
のと同じでそういう人を自殺に見せかけて殺すという可能性は考慮していなかったのですが、
死刑を認めるのと自殺を幇助することの差が私には分からなかったりします。
そういえば
(
al
)
2008-05-24 02:49:43
>屠所之羊さん
『心臓を貫かれて』というノンフィクションをご存知でしょうか?
http://www.amazon.co.jp/
心臓を貫かれて-マイケル-ギルモア/dp/4163521208/ref=pd_sbs_b_title_3
死刑になりたくて殺人を犯した人間がどのような人間であるか、どのような家庭環境に育ったのか、殺人犯の実弟が著者という本を、村上春樹氏が翻訳されています。既にお読みであれば、ご容赦ください。
私の意見ですが、そうした人間を、環境を理解せんと努めることは、特に当事者外の人間が死刑を論じるにあたって、コインの裏側の関係にあると思います。それは自分が置かれていたかもしれない環境と、そこでの自分自身に対する想像力ではないでしょうか。
Unknown
(
ひねくれもの
)
2008-05-25 07:37:27
世の中は曖昧、意味も意義も茫漠、多くのことは偶然に生起し、どこかへ流れ落ちていく。人の意識も価値も気まぐれとあやふやの極み。万事塞翁が馬。
でも社会は秩序という折り目正しい物語を必要としているらしい。必要としている根拠そのものは、いかに語ろうとも、結局よくはわからない。
殺人という行為そのものは、死刑によっても終身刑によってもどうにもできない時間に刻まれてしまった事実。それは死刑ないし終身刑によって防ぎようにも防げない、起こってしまった事柄に対する公の解釈なのだ。それは実刑が伴う解釈なのであって、抑止効果などという社会的力学が実在するという幻想とは無関係なものである。
その折り目の部分、社会という物語のひとつの終端部が死刑であるのか、それとも終身刑であるべきなのかは、我々自身の曖昧さへの怖れの度合いによって決まる。我々が曖昧さから逃避するならば死刑だし、曖昧さを薄目で見るなら終身刑だ。見たくないものを見ようとする勇気を持つなら終身刑だ。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-25 19:07:37
無政府主義ってお気楽で良いですね・・・・。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-25 20:12:35
均一なバカでいられるから国家主義者の単純さも羨ましいですよ・・・。
Unknown
(
Unknown
)
2008-05-26 21:33:49
誰が国家主義の話をしてるんだかw
これだから無政府主義者は・・・・・・
馬鹿はどんな馬鹿でも(世間的に有能、知能が高いと勘違いされている者は特に)困る。
管理上のご連絡
(
山崎元
)
2008-05-26 21:52:27
上記「Unknown」のお三方へ
このエントリーは、無政府主義の話でも国家主義の話でもないので、この話題はここ迄に。今後、話の筋に関係がないと管理者(山崎)が思った書き込みは、無断で削除することがあります。
また、ハンドルネームで結構ですから、書き込みをする場合は、「名前」を入力してください。
店主、いつのまにか三百ですなあ
(
作業員
)
2008-05-27 18:43:52
いやー、御手洗ネタでもないのに、三百ってのは、すげーなあ、さっき、イカの頭のごたるもの乳バンドに入れてるような安藤うなぎいぬ優子が、キヤノンの寄付かなんか報じていたから、なんか書こかね、と思ったので、ここにでも書こう、こら御手洗、おめーが中国に寄付すべきは、簡易○所、に決まっとるやろが。
>長崎市長射殺:地裁死刑判決(毎日)
ま、死刑の話せにゃいかんか。さっき、涼みにサテン入って、週刊現代を読んだら、読んだら、いかんなあ、何も残っていない、大前のでかい顔、あれは、ポストの方やったかなあ、タコ社長の発言を擁護しとるその次のページが、ここまで毒のない男に生きている価値があるのかと思わせる声に出してマルクスを読む先生のコラム、だったような気がするが、すまんすまん、筋、が違うので、やめ。
連れが、ひつこく死刑ネタをふってくるので、さっき茶しばきながら言うてたことを、メモしときます。職業石原兄は、田中キンタマなど爆殺されてもしかたない、と言うてたわけでんなあ。メディアは、民主主義の敵を極刑に、的な報道をしとるけんど、民主主義の的って、おめーらもだろ三日遅れの腐れ毎日が、とわしは思ったりするし、犯人が、ヤな人ではなく、右翼、だったらどうなんだ、職業右翼どころか職業石原兄は、殺せ殺せ死刑死刑! って、押売シンボーみてーに叫ぶのかいな。思想、まで、裁く、のか、おめーら。裁判員になって、わしらアンポンタンのトーシロが、思想、まで、裁く、のか。わしは、辞退する、アナル好きやけんね、匿名諸氏の言い分にも、一理ある、政府を信用しとらんのに、死刑、はなかろう死刑は。わしは、一人も殺さない、という方に、論理的整合性を感じるんだがね、右派とはそこが違うわけやな。たとえ、田中キンタマでも、ふぐりの皮2メートルぐらいひっぱるぐらいで、勘弁したるわけや、仏心やがな。
不思議な縁ってあるもんだなあ
(
作業員
)
2008-05-28 18:23:52
男性自身、かあ、最近では、息子をそんな呼び方はせんよなあ、金やん、山口は、故開高が、推薦して仕事始めたらしいなあ、あのどっかの玄人女のマタグラに筆つっこんで、寿、って書いたと言われる会社での仕事やねえ、わしは、あんまし興味なかったなあ、今調べたら、大正の終わりの生まれ、つまり、ミシマとかと同じくらいの年やなあ、で、絶対反戦主義者、店主とおんなじや、大正デモクラシーが、めめくそほど、血の中にあるんかね。そうそう、息子といえば、愛ちゃんやが、信リンのとこで同名のガキが書いとったで、こっちにも書いてくれよ、死刑の方程式、どないなったんや、バラバラ殺人の犯人も、目には目薬、で、死刑なんちゃうんかいな、君ら、ハンムラビ法典、ほんまに、読んだけ? なんでも死刑なら、血相かえて、バラバラ殺人犯をなにがなんでも死刑にしろ! と叫ばねばいかんでしょう、整合性というのは、合理性でもあるんでね? 被害者の復讐権、君ら代行するか、国家にさせる、んでないんかいな?
で、わしぐらいまじめに信リンのブログを読んでいるおっさんもおらんのだが、たしか金やんも読んでたやろ、どっかで、名前みたで、木村剛とか金融おばさんの方やったかなあ。ほんでから、縁の話やけんど、金やんとこの学校におった、池尾ちゃん、なんか名前が挙がったり降ろされたり、遊ばれとんかいな、ものすげー若い、という印象もずっと昔のもんなんだなあ、信リンと同じ年やって、おっさんもおっさん、ええおっさんやなあ、金やんはまだ上、か、金やんにはかなわんで、ほんま。
なんか、ネタらしいネタ、が最近少なかったので、ネタ、でも書くか。3の倍数と3のつく数字と日経を読んだときだけアホになります、というネタと、吉兆は確信犯的に、セレブあるいはスノッブに、残飯を食わせている、というネタが、非常にうけているのだが、わし的に、昨年一番笑ったのは、日経紙面に、知った顔の学者が載っていたことだった。このセンセは、もともとマル経の師匠のケツの穴のシワなめとるようにして、どーにかこーにか職にありついたんだが、時期がちょーど、マル経つかえねー、って時期だったからして、しらーっと、まず、学生向けだけに、労働価値的考え方をあざけてみたり、ビミョーに師匠筋から距離を置きつつ、「労働」から逃げて女性問題でフェミニンなふりだけ残して、不細工だがすました顔で経営を語り始め、要するにジョーズに転向かましたわけよ、で、笑い話は、ここからや、この男、あるガッコからおみごと栄転して、左翼臭から晴れて自由の身になれる、と決まってやね、よほどうかれたんやろなあ、今まで世話になった左派の文献を、師匠からのもらいもの、まで含めて、古本屋にぜーーんぶ、売りとばしたわけ、ちゅうか、捨てたわけね、ほんでから、その古本屋はわしの知り合いだったので、つまらん学術書、二束二文でいいから、買ってよサギョインちゃんと連絡があり、そないなもんいらんでわしゃ学者やないし厳密に言うと左派ですらない、ただのおっぱい星人やと言うとるやろ、なんか他にホリダシもん、これは、ちゅうもんないん毛、とか言うたわけや。で、ここで話が終わったら、ああ、そんなことも、時流、だからあるよね、で済むんだが、ここは、天下の山崎元のブログであり、わしごとき青二才ではかなわない金やん相手やからなあ、金やん、その古本屋の名前が、まん○書店、って言いますのんや、なじみやろ、金やんは。どや、ローカルにもほどがあるやろ、今は、ぴょこぴょこぴょこぴょここびとしゃんー、とでも遊んどるんやろなあ、あのセンセも、いやー、うまくやるヤツってのは、どの世界にもいるもんやね、金やん。
>少林寺「最高師範」3800万円脱税容疑で逮捕
しまった、見出しでも出所を書かねばならんが、完全に失念したので、許せ、太陽のせいや。なにやっても生きていけるような気もしないでもないが、なにやってでもガッポリ稼げるような気は、あまりしないなあ、みんな、うまくやるもんだと思わんかね、金やん、わしらに欠けているものは、なんやろ金、死刑推進論者に転向したら、ちっとは、金儲け、でけるかね。
小沢について書かねばね。小沢、政権とったら、首相になる、そうや。心筋梗塞で、倒れてくれ、なんてのは、シャレにならんが、心筋梗塞小沢フリチンスキーなら、むき出しの糖尿金やんを首相に推薦しとくで。こないだ連れと話したんだが、そもそもの民主党の間違いというのは、連合が参画した、ことにあるんでないか、とわしと連れは思ってるんだ。連合などという「貴族」とはまったく接点のない、丸腰でなんの庇護も受けていない純然たる垢まみれの労働者が、やはし、左派政権に参画するべきだったな、アカ狩りと同時に、下層階級狩り、やりやがるのよ、小銭もちってのは、どの国でも。わしは、正直まよっている、店主や店主の連れの辻広ちゃんが言うように、正社員などとっとと整理してしまえばいいのかどうか、そばで観察している正直な印象と感想、殺せ殺せ死刑死刑! って、心の中で叫んでおります、共謀罪には反対しとかんとな、金やんと一緒にパクられそうや、そんときは、なんとなく、店主も一緒みてーで、おもろそうやけんど、井戸には放り込まれたないなあ、プリンとかに放り込んでくれんかね、どうせなら。こまめに貯金しとくか、カンパが集まるぐらいの、人徳を磨かねばな、金やんも、丸山健二・日と月と刀、読みなさい、背筋がのびるで、この小説に一見ロドンの村長が出てくるのだが、この男が実は傑物なんだなあ、わしは、金やんの顔が浮かんだで、会ったこともねーのに。「生まれて初めて人として正しく生きる術を学びたいという切望が湧き起こった無名丸は 精神の底に封印されていたものを知る。(ページ430)」。どや、金やん、精神の底にはやな、封印されていたもの、があるわけや、誰しも、愛ちゃんも、たまには、内観せられー、と日本のユダヤ人なら、思うかね、やはし。
業務連絡 すまんす
(
作業員
)
2008-05-28 18:26:15
店主、みなはん、すんません、エントリー、間違えました。どうか、なじぇ、バラバラ殺人は、死刑にしなくてよいのか、教えてください。ほんますんまそ。
かみさまー
(
愛彦
)
2008-06-08 20:13:23
“かみさま”や“仏心”とやらで、秋葉原無差別通り魔殺人事件を説明してください。
おかえり
(
mistral
)
2008-06-09 12:07:23
事件があったから、やっと来れたんだね(笑)
で、宿題は?
【“キレやすい”は脳障害】
(
愛彦
)
2008-06-09 12:57:07
“キレやすい”は脳障害
やはり今回の事件ではっきりしたのは、【コスト(リスク)は抱えておくべきではない】ということを如実に物語ったものでした。
もはや、“人権”利権のために“人権”を叫ぶ人種差別大好き西洋人の圧力を笑い飛ばし、脳神経(障害)と殺人の医学的因果関係にまで踏み込む時が来ましたね。
そしたら生まれる前にリスクをこの世から排除出来るかもしれない。
ジョーカー
(
愛彦
)
2008-06-09 13:14:24
〉〉radishfeelingさん
“浄化”なんて言葉、仏教かぶれに話しを合わせて安易に使わないでね。
オウム真理教は“浄化”をの名の下、人を殺したのです。
彼らは仏教を模倣し貫こうとしましたが、信じていたのは相対する資本主義でした。ここで“かみさま~”や“仏心”など言ってる連中と同じです。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-06-09 20:41:31
それで今度は「安全」の名の下に殺すと仰る?
私は殺されるのも殺すのも御免なので、
ただただ逃げれるところまで逃げます。
殺される前に
(
kaz
)
2008-06-10 00:24:26
殺せ!ですか?
じゃあどうせななら環境論にまで踏み込み、3歳、6歳、9歳・・と3の倍数と3のつく数の時には、脳障害の検査や生い立ちが不幸じゃないかどうかのテストを全国民の義務にしたらいかがでしょうか?
で、自分の親や子供が国家に殺され、ついでに自分も「こういうのは遺伝だから」と殺される。でも文句は言わない。国家の安全のためのリスク(コスト??)だったのだから。
脳障害・不幸な生い立ちなどを別の言葉で置き換えれば亡国で起きた大量死刑と変わりがないですね。これも国家の安全(リスク管理=コスト?)のためなら肯定される、と。
国際社会の非難も「利権主義者め!」でOK!
・・・相変わらずの差別主義、死刑制度の議論とはかみ合わないように思います。
潜伏中に骨子を固めたであろう死刑コスト論、
まだまだ水に塩を溶かしたような味気なさなので、出しのきいたしっかりしたご説明をお願いします。
※現在の死刑制度是認での議論構築だったと記憶しております。であれば現在の刑法制度に異論はないはず。
以上に基づきコスト論からセレブ妻と妹殺しの量刑の差をバチッと計算式の中略なしで教えてね!
仏心を語る前に
(
どんぐり
)
2008-06-10 00:55:31
社会常識のあるふるまいをして欲しいです。わからないという回答でも、なにかしら書くのが紳士のふるまいでしょう。年寄りのコゴトとしか思われないでしょうが、今のままでは、就職してから苦労すると思います。
あと一つ。あなたの小論文は、自分の使っている言葉の意味と相手の受け取った言葉の意味の差を意識していない点で、コミュニケーションがとれていないと思います。リスク(不確実性)とコスト(費用)について、少なくとも作業員さんは、なぜ同一なのかわからん?と言っています。
以前も書きましたが、リスク=コストは以下の意味ですか?例えば、殺されるかもしれないリスクは若者が夜遊びをあきらめるインセンティブになる。若者は夜遊びの楽しさという利益を失い、夜のバーは若者が来なかったので収益を上げられなかった。ゆえにリスクはオポチュニティーコストと表裏一体であり、このような観点から、リスク=コストと考えている。
上記のように書けば、もう少し周りをまきこんだ議論になりうると思います。今のままじゃあ、一人スモウですよ。
(--;)
(
愛彦
)
2008-06-10 01:11:00
みんな、エセ評論家の受け売りばかりW。独自色だせば、オウムが人殺しに使った思想用語を、なんの躊躇いもなく使う始末…。
駄目だね。
どうも
(
KAZ
)
2008-06-10 02:00:41
どうも駄目なようです(笑
どうしてもお答えいただけない。
引退宣言を真摯に受け止め
もうほっといてもらうことにしましょう。
さて、本題です。
日本の刑法、とりわけ死刑問題を考える上で
同じ結果をもたらす行為=殺人であっても、実際には量刑に差が出ます。
>セレブ妻と妹殺しの量刑の差
「妹」のほうでは加害者家族と被害者家族が一緒という被害者感情考慮説・応報論では処理しきれない状況を作り出しています。
死刑と無期、懲役15年と7年。
この差は何なんでしょう?
どなたかどうかご意見を!
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-10 02:15:33
〉〉KAZさん
お口のわりに意外に無知なんだね。妹殺しは両親が加害者側についたんだよ。だから量刑が軽くなった、な~んて誰でも知ってる。セレブ妻は違いまっせ。
ただ今お馬鹿ブームですが、お無知ブーム待ちですか笑?
(--;)
(
愛彦
)
2008-06-10 02:15:47
〉〉KAZさん
お口のわりに意外に無知なんだね。妹殺しは両親が加害者側についたんだよ。だから量刑が軽くなった、な~んて誰でも知ってる。セレブ妻は違いまっせ。
ただ今お馬鹿ブームですが、お無知ブーム待ちですか笑?
あーあ
(
KAZ
)
2008-06-10 02:44:08
>愛彦さん
日本語読解力に難有だったんですね。
もうちょっと活字を読み、文脈の理解力を養いましょう。
もう茶化すだけしかできないご様子、ここでご意見されてもさぞ不毛なことと思いますよ。どうぞ安心してご退場を。
愛ちゃんの論は齋藤孝の本程度には緻密だ
(
アベルフ・シンドラー
)
2008-06-10 07:21:15
ちょっと状況を整理させてください。
殺人をやりそうな人間を事前に察知して排除するためのコストをホロコストと呼びますが、愛ちゃんが求められている(いた)のは巷をにぎわす犯人諸氏を事前拘束するためのホロコストを試算して現状と比較、ホロコスト遂行の方が社会への負荷が小さいと立証することではなかったでしょうか?
で、愛ちゃんはその試算をあろう事か論争の相手に要求し、当たり前だがやってくれないのでむくれている、と。
ここまではOKでしょうか?
ワタクシ魔がさしてつい齋藤孝の本を手にとってしまい、論の浅さ粗雑さに『日本語の衰退、まさか此処までとは』と頭を抱えて過ごす数日なのですが、浅くて粗雑なものにこそニーズがある、ということならば、本一冊書く根気があれば可能性としてあんなものでも売れてしまうことはあるわけで、愛ちゃんに根気が足りないのは人類にとってまだしも幸いなことなのかもしれません。
Unknown
(
radishfeeling
)
2008-06-10 09:28:13
>愛彦様
いい加減、遁走しようと思ったのですが、
言葉づらより、非力ながらも文脈や歴史を大切にしようと常日頃思っていますので、愛彦様のご指摘された
オウム?について、私なりに考えを整理しておきます。尚、死刑制度の話題から外れてしまいますので、愛彦様以外は読み飛ばしてください。
【60~70年代】
保守化する世の中に革命運動が破れ、追い詰められて
連合赤軍のように内ゲバ・内部崩壊していきます。
【70~80年代】
革命思想は変質し、より内向的に変質したものは、
精神主義的な方向へ向き、新宗教や東洋思想の隆盛等、マジックなものを求めた。(それらは宗教を求めたというより、まず冷戦構造を踏まえ、反科学主義を求めたと言った方が良いと思います。)
しかしそれも革命運動と同様、より経済主義化・保守化の風潮に敗れ、追い詰められ、連合赤軍のように内部崩壊するか外部世界を攻撃する結果に終わってしまったのが、オウムのテロや新宗教の集団自殺だと解釈することが可能です。
【90年代以降】
変質した革命思想のうちで、唯一生き残っているどころか思潮の主流になりつつあるのは環境保護運動です。それとは別にイデオロギーが蒸発ないしは透明化して行動だけが過激化していく時代がやってきたと思います。それはテロリズムやより過激な経済主義・開発主義やあからさまな軍事行動に見られます。きっと神だけではなく言葉も死んだのです。
と、このように、現実の多層化というのは主流派側からも反主流派側からも、その排他性と偏狭さによって
実現することが困難です。環境運動も一部の過激化や国家政府による制度へ取り込みで、どんどん変質していくでしょう。
私には主張というほどのものは無いのですが、ただ単一的な現実や価値観や制度よりは多層的なそれの方がましではないかということを提案しているだけです。
さて、逃げます。いざ、逃げます。逃げた方がましです。
ホロコスト!
(
山崎元
)
2008-06-10 09:55:19
アベルフシンドラーさま
こんにちは。愛ちゃん(←すっかり定着しましたね)の上手く説明できなかった「コスト」が「ホロコスト」のことだったという高度な解釈に脱帽します。座布団2枚!という感じですね。
それにしても、「キレやすさ」が脳の障害(大人は「物理的個体差」くらいに言い換えますが)に起因するとされた場合に(科学がそういう結論を出す「時期」は大いにあるかもしれません)、たとえば、幼稚な愛ちゃんが何かに巻き込まれて被告になり、「お前は脳障害だから死刑だ」と鑑定された場合に、どう救ってあげたらいいのか、という点を、裁判員になるかも知れない我々は考えておく必要がありそうです。
当然ですが、社会から死刑で取り除くべき脳障害をどう定義し決定するのかという手続きがきめられないと、脳障害者は危険だから死刑にすべきだという制度は機能しません。
これを国家(つまりは「誰か」ですが)の手に委ねるのは、不適切ではないかというのが、死刑廃止論の一つの有力な論拠となりそうです。
それにしても、秋葉原の事件の報道などを見ると、凶悪犯罪(殺人・放火)が趨勢として減少しているということが、信じられなくなりますね。
>愛彦さま
参加は歓迎しますが、他人のコメントへのツッコミはご自分が質問に十分に答えてからにして下さい。議論のレベルが下がったり、不必要に論点が拡散することは避けたいので、よろしくお願いします。
具体的には、制度として死刑がある方が、なぜ、いかなる意味での「コスト」が小さいのか(明確な定義が必要です)、コストの、説明を試みて下さい。私は、愛彦さんが、議論の過程でコストの計測方法を間違えたのではないかと推測していますが、今の段階で、断定はしません。
続きの話にご参加されるなら、ご自分の議論の始末をつけながらにしていただけると有り難いと思います。
色々と
(
夏井孝裕
)
2008-06-10 19:51:24
遅くなりましたが、サムライさま。憲法解釈についてのフォローありがとうございます。私の指摘したかったことは同じです。
色々と錯綜する議論のなか、kさんの「整理すると 」のエントリ(2008-05-05 18:22:15)はまた、素晴らしいと思いました。ありがとうございました。
いとうせいこうさんが今回の秋葉原事件についてコメントしておられます。
http://seikoito.ameblo.jp/seikoito/entry-10104521085.html
死刑になることを目的としたような自殺の変種としての兇悪事件が増加するのではないかと、常々考えておりました。佐世保事件も私にはそういう種の事件に見えてなりません。
死刑制度による犯罪の抑止効果はないという説がある中、死刑制度の存在が引き起こす凶悪犯罪というものも真剣に考えてみなくてはならないのではないか、というのが繰り返しですが私の主張です。
また、感情的応報論についても述べておきます。
いつぞや、「市中引き回しの上打ち首」と時代劇の見過ぎのようなことを発言した大臣がいました。感情的にはどこまでいっても釣り合うポイントはないのです。遺族の手で執行できればつりあうというものでもないし、犯人の家族を皆殺しにしたところでつりあわない、そういうものなのだと思います。
「自分が遺族だったらどうなのだ」という暴力的な反論については
「じゃあ死刑ならすっきりするのですか」とでもいうしかありません。
わたしが遺族ならば、一生を檻の中で過ごす犯人に時々会いに行きたいと思います。死なれてしまっては怒りすらぶつけることができませんから。
個人的にはそのような感覚を持っています。
じゃあ、終身刑目的の殺人は?
(
愛彦
)
2008-06-10 22:09:06
>>夏井孝裕さん
【死刑願望】の殺人って、年ベースでどれくらいの割合で起こっているか知ってます?
それと貧困層と住所不定無職が、【刑務所入所】目的で軽犯罪を含め、犯罪がどれくらい発生しているか知ってます?つまりこれは、終身刑に繋がるお話です。
貧困層や住所不定無職も合理的人間だから、三度の飯にありつけ、安全が保証され、生活水準が上昇する刑務所入所を希望する人間が増えているのです。
【死刑願望】の殺人は、死刑に抑止力がないのではなく、脳ミソの神経回路の破綻が原因なのです。つまり、再起不能な人間をリスクとして社会に生かしておく価値がないということです。
心して読め。
(
愛彦
)
2008-06-10 22:25:38
とある経済学者がいいことをおっしゃっているので死刑廃止論者(妄言論者)のみなさんにお知らせしておこうと思います。さすが経済学を熟知しておられる方だけあって説明が明快です。某”経済”(笑)評論家のように【かみさま~】なんて誤魔化したりしません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
殺人事件の被害者の遺族が、容疑者に軽い刑の判決が出たとき、「死刑にしてほしかった」とコメントすることがよくあるが、彼らもいうように死刑にしても被害者は返ってこない。それなのに人々が不合理な因果応報を望むのはなぜだろうか。
これはゲーム理論で、コミットメントの問題としてよく知られている。一般に刑罰は、処罰する側にとっても受ける側にとってもコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ。しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると犯罪が横行するので、たとえ不合理でも処罰しなければならない。つまり秩序を維持するためには、不合理な行動へのコミットメントが必要なのだ。
このようなコミットメントを作り出すメカニズムとしていろいろな方法が知られているが、代表的なのは法律だ。どのような情状があろうと、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰され、個別に交渉して(たとえば金をとって)釈放することはありえない。そういうことは「正義にもとる」として許されないからだ。したがって究極の問題は、人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのかということだ。
これについても、進化論な説明が可能である。進化が単純な個体レベルの生存競争だとすれば、論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人(homo oeconomicus)が勝ち残るはずであり、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない。しかし、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう。
合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたないから、報復はしない。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、因果応報を好む感情が進化したと考えられる。
行動経済学が明らかにしたように、人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。それがどこまで遺伝的なもので、どこから文化的な「ミーム」によるものかについては、いろいろな実証研究が行なわれているが、感情はフランクのいうように、集団を維持するための「適応プログラム」の一種なのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の意見との相違
(
愛彦
)
2008-06-10 23:03:50
上に挙げた某経済学者は大変いいことをいっており、概ね同意しますが、コストの点には同意しません。コストの点の記述が弱く濁しているのは、コスト論を語るのは品がないと思われると察したのでしょう。
いまだに全くもって死刑廃止派に【更正】の概念が欠如していることに悲しくなります。作業員氏が『更正なんてどうでもいい。生きて償う~以下妄言故略』とぬかした時は、何を言っても無駄だなと思いましたね。
この間、車内銃たてこもり事件がありましたが、15年前に誘拐事件を起こしていた人間だったわけで更正を全くしていなかった(できなかった)象徴的事件でしたね。
【更正】を望む場合、社会的補助が必要不可欠ですが死刑存続派の無責任な無策発言は今となっては…ですな。
脱力しましょう~♪
(
ひねくれ者
)
2008-06-11 01:06:47
仮に学生アルバイトを雇って貧困層を全員、銃殺したとします。
すると完全雇用が達成されますので、現行体制の下では、インフレ非加速的失業率が崩壊します。結果、急激にインフレが進行し、終局的には不景気になります。そうしますと再び失業者は発生し、貧困もまた然りです。率直に申しますと、資本主義社会では貧困は必要とされています。そうであれば、貧困と一対の関係にある犯罪も必要とされているのでしょう。もっとも、景気が落ち込む度に銃殺を繰り返す方法もあるとは思いますが、そうすると購買力がどんどん落ちていきますので、慢性の不景気になり、失業者がうじゃうじゃ発生します。銃器メーカーの社員はウハウハでしょうが、終局的には無政府状態に陥るでしょう。
【刑務所入所】目的の犯罪者について入所させないという方法もありますが、その場合は、犯罪者が徒党を組んで夜盗化する可能性があります。【刑務所入所】目的の犯罪が、組織暴力を防いでくれている訳です。もちろん、刑務所自体を企業化して採算を取る方法もありますが、採算がとれず破綻する刑務所も当然出てきますので、その場合も夜盗化する可能性を防ぐことはできないでしょう。
社会の辻褄を理論的に合わせようとすると、社会の綻びが、なぜかより大きくなり、弊害が増える場合が多いです。このため、極端や完全を求めない中庸であるあり方、妥当な妥協を受け入れる心の構えが重要だと思われます。死刑についても、また然りです。
どうでもいい補足
(
ひねくれ者
)
2008-06-11 01:21:19
>、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない。
結構古いライフゲームシュミレーションの実験で
A.攻撃だけをする
B.攻撃された時だけ反撃する
C.攻撃も反撃もしない
という三つのタイプの群を混ぜておくと
Bタイプの群が一番繁栄するらしいですね。
応報的な感情を持つことには、進化論的にも意味がありそうですよ。
ちなみに、その経済学者ってどなたですか? 後学のために教えてくださいませ。
ひねくれ者
(
山崎さんのお叱りは覚悟の上
)
2008-06-11 01:51:00
経済ファシズムとは言いたくないですが、
つい言いたくなってしまいます。
Unknown
(
山崎元
)
2008-06-11 03:50:36
>愛彦さま
質問には答えておられませんね。愛彦さんのコメントに至急削除しなければ奈良に程の問題をかんじないので、放っておきますが、コミットメント論も「コスト」の問題をきちんと整理しないと評価のしようがないので、取りあえず、無視します。
>ひねくれもの様
ロバート・アクセルロッドが提案したコンピューター・プログラムのシミュレーションがベースになった話だと思います。
もっとも、この実験の結果は死刑の可否とは関係ありません。詳しくは、アクセルロッドの本を読んで下さい(翻訳も出ています)。
陽気な死刑制度
(
ひねくれ者
)
2008-06-11 09:16:53
山崎さん、出典をいただきましてありがとうございます。もっとも、愛彦殿が引用した経済学者が知りたかったので、愛彦殿への質問のつもりだったのですが。文脈が変ですみません。
ところで、死刑制度をいきなり廃止するのは無理そうですから、死刑の運用をもっと柔らかくするために以下のような方法をとってみたらいかがでしょうか?
・裁判官と司法長官は、自分が判決を下した死刑の執行準備・執行・後片付けに実地参加すること。なんたって日頃の運動不足の解消には最適ですよ。
・同時に成人国民から無作為抽出し、実名で死刑執行の準備・執行・後片付けを行ってもらい、刑務官による執行は廃止する。尚、無作為抽出で選出された人が死刑に協力したくないとゴネた場合は、死刑から無期に減刑します。尚、ゴネた人には昼食と交通費は出しません。逆に死刑執行を実施してくれた方は官邸に呼びつけて表彰を行い、盛大な慰労パーティーを行います。泥酔時には帰宅時のタクシー代も国費で面倒をみてあげましょう。うっかり首相の靴に吐いてしまっても怒らないよう、SP心得に条項を一行追加することも忘れてはなりません。
・被害者の親近者から減刑の嘆願があった場合には死刑から無期懲役に減刑を行うことにします。その逆はなしです。なんたって殺しのライセンスは国家しか持っていない筈ですから。
・直近の衆参議員選挙の投票率(交通事故発生率でも何でもいいのですが)を死刑から無期懲役に減刑する割合とする。実際の減刑者は抽選により決定します。
抽選会はぱあーっとお祭り騒ぎでいきます。その日は国民の休日にするのもいいですね。なんたって死すべき魂が一時的にせよ救われるのですから御目出度い。
・司法長官の選出条件に得度したもの乃至は仏性が認められたものという条項を入れます。憲法違反になりそうですし、仏教業界が嫌がりそうですが、官民の癒着もたまには必要でしょうしね。
しかしなあ、愛ちゃん
(
作業員
)
2008-06-11 18:28:08
>死刑廃止派に【更正】の概念が欠如している
その、悲しみ、ってのは、すでに死刑を廃止している国の人々にも、向けられておるのかいな? 君は、悲しむ、ことすら、でけてないように、思うがの?
Unknown
(
夏井孝裕
)
2008-06-12 02:59:32
愛彦さん
山崎さんが再三要望している回答を避けておられることは私も残念ですが、
愛彦さんご自身は死刑目的の犯罪が何件発生していて長期の獄中生活を望む犯罪が何件発生しているかご存じなのでしょうか?
もしこの数字がきちんとあるならばしっかり示していただけないでしょうか。
抑止力、誘発力を考える上で重要なデータであることに疑いはありません。
まさかご自身もご存じないようなことを人に要求してはいないでしょうね…?
Unknown
(
UNKNOWN
)
2008-06-12 07:24:58
やはり、いらない「もの」は、もっていても費用がかさむだけなので、さっさと処分したほうがいいのでしょう。
>経済ファシズム
社会ダーウィン主義は、自由至上主義的といわれるタイプの経済学と相性がよろしいようですね。
夏井孝裕さん
死刑目的の犯罪は、秋葉原の事件を見ると、自分はいらない人間であると思いこんだ挙句、自暴自棄になって暴れた、ということのようですね。
受ちゃんがせめてリスクであるために
(
mistral
)
2008-06-12 08:36:23
受ちゃん、登場したときは、オベンキョーできそうだけどスネカジリだから、「リスク」って思ってましたが、まだまだ「コスト」だねえ。
「コスト」なのは、受ちゃんなのか、躾ができなかった受ちゃんのママンなのか、どっちかな?
サラリーマンやっていると、資産だった人がコストになったり、逆になったり、意外と変幻するのよ。
大学生なんだから、革マ●に経済教えてもらって、民●に法律教えてもらえば、彼らも立派な「資産」かも....ね。
お名前に「心」が入れてもらえるように、宿題がんば、ですよ。
こころして、二秒でまとめといちゃるわ
(
作業員
)
2008-06-12 17:35:13
死刑にしても被害者は返ってこないのに、人々が不合理な因果応報を望むのはなぜか。これはコミットメントの問題としてよく知られている。
「一般に刑罰はコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ」
しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると
犯罪が横行する
ので、
たとえ「不合理でも」処罰しなければならない。
「秩序を維持するため」には、「不合理な行動」へのコミットメントが必要なのだ。
コミットメントを作り出すメカニズムの代表が法律で、「どのような情状があろうと?」、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰される。それが、「正義」だ。
したがって究極の問題は、
人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのか?
説明は可能である。論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人が勝ち残るはずだから、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない(???)が、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう(???)。
合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたない(?)から、報復はしない(???)。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう(?)。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、
因果応報を好む感情が進化した(ぷっ)
と考えられる。
人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。
<で、これは、死刑、となんか関係があるのか?>
Unknown
(
宮崎勉死刑万歳!
)
2008-06-17 22:32:14
安っぽいヒューマニズムで
不細工・低能な秋葉原大量殺人犯を必死になって
擁護してる死刑廃止論者は号泣されたようですが、
正義の鉄槌が下されました!
秋葉原大量殺人の被害者・遺族が死刑廃止論者
ならば良かったですね。
蝶の標本かと思ったら
(
アベルフ・シンドラー
)
2008-06-17 23:13:15
いや、だから、死刑執行に歓喜していいのは遺族だけだって何度言えば通じるのか?
耳を左右、切り取って断面を張り合わせるとなんとなく蝶のような形をしている。
ある日本有数の蝶マニアの標本群の中に、妙に黒ずんでねじくれた『ひもの』のような一連の標本があり、これは何かと尋ねた客に蝶マニア、ニヤリと笑って一言、
「これは日本三大宮崎の一人でだねえ……」
制度としての死刑の「コスト」など
(
山崎元
)
2008-06-18 03:02:35
ここまでの議論を、ごく大雑把に要約します。
「死刑は、因果応報のバランスからして、当然あるべきだ」という死刑存置派と、「死刑に追加的(終身刑に追加するという意味で)犯罪抑止力はないのだし、裁判も含めて人間の判断はアブナイから死刑はなしにしょう」という死刑廃止派の間の相違は、一つには、倫理に対する趣味のちがいでしょうが、もう一つには、裁判も含めた国の判断に対する信頼感のちがいに起因するように思えます。
後者に関しては、死刑廃止派は、判断が100%完全とはとてもいえない国に100%までの「目には目」の実現を求めなくても、終身刑でも死刑と似たような抑止力があるのだから、いいではないか、と考えます。
一方、死刑存置派は、たとえば凶悪殺人には死刑がふさわしいなら、「国≒制度」は、これに向かって、最大限努力すべきではないか、と彼らなりの正義のバランス感覚の実現を主張します。
彼らのちがいを認めた上で、次に進み、「趣味のちがい」を別とすると、一つには(1)死刑の抑止力が問題になり、政策としては、(2)死刑廃止あるいは存置の何れかによって変化する、社会的コストの変化が問題になります。
(1)については、今のところ、どうも決定的なデータは無さそうです。(2)については、ここまでのコメントによると、「死刑」という不可逆的な刑罰の存置によって、主に弁護士費用ではないかと思われますが、むしろ、社会的に掛かるコスト(一次的な支出で評価したものに過ぎませんが)が、終身刑者のメンテナンスコストよりも大きいのではないか、という意見が寄せられました(400万ドル対150万ドルという数字がありました。確証は持てませんが、反論はありませんでした)
結局、今のところ、死刑を存置することに関して、(a)「犯罪抑止力」と(b)社会的コスト(費用)は理由にならないということです。
自分で問いに答えないのだから、議論に参加する資格はないと思いますが、おそらく「愛彦」さんは、死刑存置という制度のセッティングから後に発生する社会的コストを全て数え上げなければいけないのに、死刑判決の妥当性を争う莫大な費用その他をカウントし忘れて、終身刑の囚人の生活維持費と較べて、死刑を「コスト」から正当化できる(実際には、かなり曖昧なのに)と錯覚したのでしょう。
弁護費用の妥当性や、囚人の環境とコストの問題はありますが、死刑がある方が「同じ便益を得るためのコストが、社会的に安くつく」と言えるとする根拠はなさそうです。だから、ここまでの議論を尊重した上で、私は今のところ、死刑廃止に賛成です。
もちろん、絶対的な倫理感覚の問題はあるので、死刑存置が国民多数の望みなら、手続き的には、死刑存置が正当化される可能性はあります。こうなった場合には、これはこれで、しばらくの間は仕方がないでしょう。
尚、上記の結論に至る論理とは関係ありませんが(本当に関係ないことをよく理解して下さいね!)、私は、このたび死刑を執行された宮崎勤氏も、今回の秋葉原の加藤智大氏についても、首吊りにして紫色の人間芋虫のようにしてやりたいとは思っていませんが、少なくとも、簡単に世間に出て自由になって欲しくはないと思っています。彼らが長期間に亘って、相当の苦痛(主に不自由からの)を感じることは適当でしょう。もちろん、及ばずながら、社会のためにたっぷり働いて貰う必要もあるでしょう。
拝啓 瀬尾佳美 様
(
無銘
)
2008-06-18 03:59:09
加藤智大は七人メッタ刺しにして殺してるんですが。
「クソオタクの命は0.5人分だから今回は3.5人分、
永山基準から考えても死刑はありえない」
とか言うんですか?オタクは死んでもいいんですか?
経済学的にオタクの存在は軽いんですかね?
だったら私も今すぐ殺されないといけないですね。
後、経済評論家を自称するなら自民党が推進している
「1000万人移民計画」が及ぼす影響も是非とも
ブログ上で論じてはいただけないですかね?
後ろから刺されるのが怖くて書けませんか?
Unknown
(
無銘さんへ
)
2008-06-18 07:59:09
>オタクは死んでもいいんですか?
オタクか否かはどうでもいいんです。
死刑廃止論者の感覚は
殺された奴は「仕方ない」の一言で片付けて
凶悪殺人犯が処刑されると憤慨・号泣するという
特殊なものです(笑)。
素朴な疑問
(
三菜児
)
2008-06-18 12:46:40
軍隊による殺人と個人による殺人に相違はありますか?
薬害による殺人と個人による殺人に相違はありますか?
大まかに言うと、前者は過失致死、後者は故殺と考えるべきなのでしょうか?
因果関係は個人に帰結するのですか? それとも集団に帰結するのでしょうか?
それともこのような原始的な問いは無意味なのでしょうか?
死刑制度は因果関係は個人に帰結するというひとつの証明みたいな匂いがしますが、それは本当ですか?
正義は集団が定義しますが、正義に個人は参加できるのでしょうか? 正義のコメントを書けば、それは正義にアクセスしていることになりますか?
悪を定義することは不可能ですが、悪に参加することは割と容易なようです。
答えてもらえるとは思えないが
(
作業員
)
2008-06-18 18:27:32
>特殊なものです
これは、ひとつの論点、なわけですな。
すでに死刑を廃止している人々は、どういう意味で、特殊、なのでしょうか? 特殊、とか、そういう意味でお使いなのですよね、日本語ってやつを?
Unknown
(
無銘
)
2008-06-18 20:57:07
やはり答えようのない質問には答えられませんか。
本当に「理知的」であるならば荒らしでもない限り
理論武装して対抗しうるものかと思うのですが。
まあ経済学的にメリットの無いものは
相手をしないというだけの事なのかも知れませんが。
あと、何回か「人権の利権」という言葉が出ていますが
どなたも明確な答えを出していないですね。
まあ国内においては「触れてはならないタブー」ですから
それはそれで無理もない話なのですけども。
人権を看板に利権を得ている人間は確実に存在しますよ。
まさか知らないはずはないとは思いますが。
かの安田弁護士も「死刑廃止」を看板にする事で
死刑廃止運動団体からの講演の依頼、雑誌への寄稿、
民間からの寄付金なので巨額の富を得ていますよ。
「着の身着のままの聖者」というのは幻想です。
その他の様々な「団体」については触れるまでもないです。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-18 21:54:06
現状で終身刑導入は受け入れられませんね。
確実に「増税」として我が身に降り掛かってきますので。
筆者様は高所得層であらせられますから
さほど痛みは感じられない事と思いますが。
ですが世の中は高所得層ばかりではないと言う事を
御忘れなきよう、経済学者様として御願いしたい所です。
それでなくとも増税ラッシュで不満が鬱屈している所に
「死刑廃止の為の増税」となったら確実に暴動です。
世の中、死刑となると騒ぐ人が多いですからね。
私は腕力もないし打たれ弱いので参加はしませんが。
その時はできるだけ所得を上げるよう努力しますよ。
もしかしたら経済学者様に助言を仰ぐかも知れませんね。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-18 22:57:57
>高所得層であらせられますから
さほど痛みは感じられない
所得によって死刑や国防に対する認識は
変わる可能性は高い気がします。
高所得ならば自分と家族に万全のセキュリティをし、
犯罪被害者となる可能性を激減させ、死刑廃止という
ヒューマニズムに酔えるかもしれません。
高所得ならば国防の縮減により税金を減らし
侵略されたら亡命あるいは侵略軍司令部に転職というのうが合理的なのかもしれません。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-18 23:58:33
>侵略されたら亡命あるいは侵略軍司令部に転職
高所得層に限らずいわゆる「文化人」「知識人」にも
顕著に見られる傾向ですね。
戦争中に「未曾有の非常時であるから不具者と言えども
残らず前線に出るべきである」と語っていた論客が
終戦後には「自分は戦時中不当な軍国主義と徹底的に
戦い・・・」と変節したのは有名な話です。
筆者様は「戦争反対」を訴えておられるので
まさかそのような事はないとは思いますが。
でも「戦争特需」というのもありましたね。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 00:08:59
二重投稿になってしまいましたね。
これも含めて重複分を削除して頂けますよう
御願い致します、しかしながら、
私のコメントを全て削除するような事のないよう
重ねて御願い申し上げます。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 00:20:19
文化人・知識人
現代で言うなら久米宏・筑紫哲也・田原総一郎・太田光
・鳥越俊太郎と言ったあたりでしょうか、もっとですかね。
ああいった方々は「有事」の際にも「憲法九条」を盾に
最期まで抵抗してくれる事と信じております。
それで蜂の巣になったらそれはそれで見物です。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 05:38:07
死刑を廃止にした欧州の某国では刑務所が破裂寸前だという事です。
当然そこにも国民の「血税」が回されているわけで。
その上移民の犯罪も加わって大変な状態だそうです。
まるで将来の日本を見ているようですね。
まあ「人権擁護法案」なり「民族差別禁止法案」が通れば
移民の日本人に対する犯罪も「合法的」になるのですが。
人権が擁護されるって素晴らしい事ですね。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-19 06:10:01
これは「人権擁護法案」が可決、
法制化運用されたとしての話ですが。
条文を拡大解釈する人間は少なくないと思いますよ。
それでなくとも普段から「差別だ」とうるさいですからね。
わかりやすい例を挙げれば、
「食事代を値引きしないのは差別だ」
という言い分が通ってしまうのです。
そうなると無銭飲食が横行します。
良心的な飲食店はたちまち潰れますね。
当然他の事例にも当てはまります。
場合によっては「このくらいで裁判にかけるのは
差別だ」とも言えてしまうという事です。
もうこうなると死刑廃止が
どうとかいう問題ではなくなります。
裁判自体起こせないのですから。
当然、「死刑にするのは差別だ」とも言えますね。
こうなってしまうと法などあってないようなものです。
人権を訴える方々は無法地帯を御望みですか?
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 06:22:45
システム変更という事は管理しておられるという事ですね。
どうか出てきて一行でもいいから返事をして下さい。
私も一人相撲は趣味ではありませんので。
ディベートを期待したのにシカトこかれたのでは
たまったものではありませんよ。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-19 06:31:59
>人権を訴える方々は無法地帯を御望みですか?
ヒューマニズムが満たせるなら無法地帯を望み
目先の税金が安くなるなら将来の侵略も容認する
・・・という自らの実存・権益のためには
亡国・売国に全く躊躇しないという方もいるのかもしれません。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 06:49:14
>亡国・売国に全く躊躇しない
今の日本政府そのものですね。
移民政策を推進しているのは
自民党の支持団体の一つである経団連。
民主党の主な支持団体は統一教会と解放同盟。
どちらに任せてもいい事はなさそうです。
そういえば筆者様は過去コメントにおいて
「戦争するくらいなら侵略される方がまし」
と書いておられましたね。
侵略戦争と自衛戦争とでは全く意味合いが違います。
他国からの侵略を野放しにすると
略奪・強姦・虐殺などの凶行が横行します。
自衛戦争はそれを防ぎ自国民を守る為のものです。
それでも「侵略される方がまし」ですか?
「移民1000万人」「人権擁護法案」「外国人参政権」
この三種の神器が揃えば武力行使など必要ないのですが。
それでも先に述べた凶行の恐怖は消えませんよ。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 06:49:16
>亡国・売国に全く躊躇しない
今の日本政府そのものですね。
移民政策を推進しているのは
自民党の支持団体の一つである経団連。
民主党の主な支持団体は統一教会と解放同盟。
どちらに任せてもいい事はなさそうです。
そういえば筆者様は過去コメントにおいて
「戦争するくらいなら侵略される方がまし」
と書いておられましたね。
侵略戦争と自衛戦争とでは全く意味合いが違います。
他国からの侵略を野放しにすると
略奪・強姦・虐殺などの凶行が横行します。
自衛戦争はそれを防ぎ自国民を守る為のものです。
それでも「侵略される方がまし」ですか?
「移民1000万人」「人権擁護法案」「外国人参政権」
この三種の神器が揃えば武力行使など必要ないのですが。
それでも先に述べた凶行の恐怖は消えませんよ。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-19 13:43:39
>戦争するくらいなら侵略される方がまし
世の中には
「侵略軍兵士を殺すよりも
侵略軍兵士に殺されるほうがまし」
と言ってヒューマニズムに酔える人もいるということです。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 13:52:04
>「侵略軍兵士を殺すよりも
侵略軍兵士に殺されるほうがまし」
考え方としてはありかも知れませんが
その後を考えるといただけないですね。
自分を殺した兵士がその後数え切れない程の人間を
一人で殺したらどう思うんですかね。
その兵士を殺していればその人達は助かったのに。
せめて家族だけでも無事でいてほしいとか
思わないのですかね・・・、理解不能です。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-19 14:16:59
>自衛戦争はそれを防ぎ自国民を守る為のものです。
それでも「侵略される方がまし」ですか?
「侵略される方がましです。
国、日本政府、日本人は信じられず
中国・北朝鮮の統治(殺人、強姦、強制労働)を
望む!」という見解の方もいるようです。
ネットの議論がつまらんのは
(
作業員
)
2008-06-19 16:31:42
結局、おっさんか虫ばかりになるからやなあ。初めから暑苦しい議論に参加しない、涼しい顔のねーちゃんたちが、本当の勝ち組、であってくれれば、なにより、だが、おねーちゃんたちの意見も聞きたいわけや。んなわけで、昨日、やることだけやっていると言ったら怒られるがたぶんそんなところだろう女子大生に、君たちは死刑に賛成かい? と訊ねたところ、みんな、賛成、で、年齢も考慮しなくてよい、とお見事な回答だった。あまり表には出ないが、ヤマトの女性は、死刑存置、の人が驚くほど多い、わしは、その理由をずっと考えているんだが、いまいちよくわからない、自由律俳句好きの香山リカちゃんがここを読んでいたら、創、で解説してくれないだろうか。わしのまわりには、死刑廃止派、のねーちゃんが、本当に少ない。
で、ねーちゃんたちに、そんでもなあ君ら、人を一人みんなで抱え上げて、吊す、んだぞ、そぎゃん仕事やりたくなかろうに誰しも、殺して花実が咲くものか、というと、また怒られるんだがなあ、どうよ、君ら、刑務官になれる? と言うと、おねーちゃんたちは、なーに言ってるんですか、どこの国の話ですか、首つりなんかしてる国まだあるんですか? って言うわけ。いわゆる、ゆとりちゃん、って、死刑が吊しだって知らない、とは聞いていたが、本当に知らない、んだなあ、ほんでから、いやいやいや、この国は伝統的、かどうかはさすがに言い切れないが、吊し、が好きなんだ、と教えてやると、ものすごいショックを受けたみたいで、おっさん何教えてくれますのん? という顔をしていた、ので、ほら、君ら、それでも死刑に賛成って言えるか? と踏み込むと、電気にしてください、って、言うから、だーかーらー、電気がね、残虐な刑って言われたんだがね、って、まあ、そんな話になって、おねーちゃんたちはたぶん、寝付きも寝覚めも悪い一日になったろうと思う。
どっちかといえば、そりゃ人権派、の弁護士会の一部が、裁判員に反対しはじめた、だーかーらー、わしゃ参加せん、と初めから言うとるやろ、どっちが弁護士か。
弁護士の一部が反対に転じたのは、
日本人の民度がこれほどまでに低いとは思わなかった
から、だ。わしはまあ、日本人の民度、がだいたいわかっていたので、このようなスタンスを貫いているわけだ。大衆が裁判に参加して、すぐに死刑判決が量産されるわけではない。量産されそうなのは、
でたらめな、判決
だ。司法関係者はたぶん、日本人を甘く見ていた、のだと思う。おそるべし、ゆとりちゃんたちだ、というと、ゆとりちゃんは怒るだろうが、心配しなくても、みんな、大なり小なり、ゆとりちゃんだから、まあ、ぼちぼち内観すりゃよろしい、死刑は、吊し刑、なのだけは、おっちゃんの言葉として、覚えておくように、怖くて夜眠れなかったらおっちゃんに相談しなさい。
まぁ
(
愛彦
)
2008-06-19 17:41:36
まぁ、この議論の経済的結論は『法と正義の経済学』(新潮選書 竹内靖雄)のP144.145に書いてあるわけです。
・・・・・・・・・・・・~今のところ、もっともコストのかかる終身刑~
・・・・・・・・・・・・とかね。この本はいいですよ~。とにかく【コスト】【コスト】【コスト】です。私の主張の【コスト】の意味が不明確だという方は読んだらいいです。被害者の機会原価という概念もよく出てきます。
ちなみに著者は経済倫理学の重鎮であり、山崎氏の死刑存続者が倫理面で優位という主張を『言葉たけのつじつま合わせに過ぎない』と糾弾している(P136)。
オモシロイのはP134の『死刑廃止論者のホンネは自分だけは死刑になりたくないということであり、それをタテマエとして高く掲げる時の看板が人権尊重や人道主義なのである。この利己主義から出てくる結論は完全に合理的で……』
納得、納得。
366訂正
(
愛彦
)
2008-06-19 17:45:05
死刑存続が倫理面で優位だ↓↓↓↓↓↓↓↓
死刑廃止が倫理面で優位だ
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 18:15:46
まあ裁判員は今の日本では無理でしょう、わかります。
ありえない判決になる可能性もありますし、
皆が皆厳罰出すのを渋って妥協しないとも言えません。
となると裁判所ごとに基準が変わってしまいます。
極めてよくない話ですね、私もやりたくないですよ。
刑務官についての話もしばしば出てきますが、
彼らは彼らなりに誇りを持ってやっている事と思います。
そこは尊敬すべきところでしょうね。
確かに私には精神的負担が大きくてできないでしょう。
しかし死刑廃止となったら彼らはどこへ行けばいいんですか?
元刑務官なんてなかなか雇ってもらえないでしょうし、
天下りというわけにもいかないでしょうし。
新規刑務所の看守にでもなれればまだいいのですが。
なんや
(
作業員
)
2008-06-19 18:24:40
君、受ちゃんみたくコミュニケーション能力がない、わけではないんですな、安心しますた、どうぞ、受ちゃんが紹介するセンセよりも、よほど、不埒なリバータリアンな店主に、ギョーギしてやってください。
模擬裁判の模擬話をするとやね。心神喪失等は減刑場合によっては無罪もあります、と話すと、なじぇですか彼は犯罪者だから死刑でいいじゃないですか? とシモジモは答えるそうだ。裁判員って、ゆとりちゃんの再チャレンジ(教育)のことやったのね、ものすげーコストだわい、では、本日はこれにて、そろそろ、店主どうぞ。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 18:28:06
「花実が咲くか」「幸せになるか」「抑止力になるか」
こういう言い分を認めてしまうと全ての刑罰に
存在意義がなくなってしまうと思うのですが。
幸せをもたらすために刑罰が存在するわけではないし、
抑止力なんて理性とか失った犯罪者には無効です。
「飲んだら乗らない」というのは「捕まるから乗らない」
のではなく「危ないから乗らない」のです。
そういう発想もできない一部のドランカーが乗るのです。
それを罰する為に刑罰が設けられているのです。
死刑相応の場合、大抵が殺人です、それでも花実は咲きますか?
にしても 答案がひどすぎるぞ受ちゃん
(
作業員
)
2008-06-19 18:32:38
>この議論の経済的結論
こんな日本語、斉藤なんとかでさえ、声に出して読まんだろ、大きな声では言えないが、受ちゃんでも、声に出す方の斉藤程度の人間には絶対になれる、あわてんでいいから、日本語から勉強汁! では、おやすみ。
ああ 質問があったか
(
作業員
)
2008-06-19 18:38:35
>抑止力なんて理性とか失った犯罪者には無効です
君は、半分こちら側、なわけですね。
地獄にだってハスは咲く
ってのが、たぶんダライ・ラマとわしとリチャード・ギアとシャロン・ストーンと丸山健二が言っていることではないでしょうか、あんぱんまんは君だ、わしはラマでありラマはわしである、とまでは言いませぬが、理想を求める自由ってのは、あるでしょう、はた迷惑、は重々承知でっけどね、こっちは。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 18:44:57
>コミュニケーション能力がない、わけではない
誰も相手にして下さらないんで仕方なく連続投稿してたんです、
正直な所むなしかったですね、書かない方がよかったかも知れません。
まあ書いてしまった以上はログとして残るので仕方ない話ですが。
でも思うんですが、こういう話題は尽きないと思いますよ。
どちらも納得する案なんて出ないでしょうし、
出たとしてもそれを法案として提出できるわけでもないですから。
こういう話題をブログなどに書くとどうしても人が来ます。
事件や裁判の前後となれば尚更です。
下手をすると不毛な石の投げ合いになります。
難しいところです、ほんとうに。
訂正
(
愛彦
)
2008-06-19 18:57:53
経済学的帰結の間違いでした。
【法と正義の経済学1】
(
愛彦
)
2008-06-19 19:01:42
以下『法と正義の経済学』より※※経済【倫理学】の重鎮の先生です!※※………………………………
●死刑廃止派の根拠『国家による殺人論』
絶対的生命尊重主義(ただし尊重するのはもっぱら加害者の生命であるが)の人権派は、国家が人の命を奪うことにも当然反対する。したがって死刑反対と戦争反対が彼らの一致した合言葉となる。
死刑と戦争とは、国家だけがなしうる行為であり、国家が国家であることの証しである。それを絶対に認めないということは、国家の存在を認めないということに等しいが、それでは彼らは無政府主義者、無国家主義者であるかといえば、そうではなく、国家には弱い人間を手厚く保護する義務があるという。人権の保護は国家がなすべき最重要の仕事であるという。つまり、国家は人間に対して無限に優しい神様仏様、あるいは母親のような存在でなければならないということになる。死刑を執行し戦争を繰り返す現実の国家は神仏でなく悪魔であり、死刑や戦争は国家の行う犯罪だということになる。
このような理屈は妄想にすぎないがこの種の妄想を固く信じて生きることもその人の自由である。他人がこの妄想を訂正する方法はないし、干渉すれば人権侵害といわれよう。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 19:02:46
あくまで私見ですが、一番の抑止力は「本人の培ってきたモラル」だと思っております。
きちんと育って(環境に恵まれるとかじゃなくて)いれば
そもそも凶悪犯罪に手を染めたりなんかしません。
でも今の日本は軽重含めて犯罪大国ですよ。
殺人強盗などは言うに及ばず、教師の児童わいせつ、
介護疲れの心中未遂など挙げてたらキリがないですよ。
抑止力を求めるのであれば教育から福祉まで
色々な分野を充実させる必要があると思います。
でもどちらも今の日本は不十分ですね。
十年二十年経ったらどうなるのか考えるだけでも怖いです。
重犯罪大国ではない。
(
愛彦
)
2008-06-19 19:07:20
》無銘さん
現在の日本は決して重犯罪大国ではありません。認識が間違ってます。初歩の初歩です。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 19:21:48
犯罪は多いですよ、先日も大阪は西成で暴動がありました。
あれは警察も悪いですし、扇動した人間も悪いです。
その少し前には児童殺害の裁判で遺族が傍聴席から
被告を蹴り飛ばした事件がありました。
まあ蹴られる被告にも十二分に非があったわけですが
モラルは崩れていく一方です。
確かに今でこそ重犯罪大国ではないですが、
このままの流れでいくと確実にそうなります。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 19:28:59
まさかあれだけ集団リンチに遭いながらも愛彦さんが
出てくるとは思っておりませんでした。
完全に同調する味方というわけでもないようなので
どうしたものでしょうか、真ん中辺りに立っておきます。
<(_ _;)>
(
愛彦
)
2008-06-19 19:46:23
》無銘さん
暴動や裁判の蹴りとばしはモラル低下が原因で重大犯罪増加の前兆だって(笑)?こんなのよくあることです、今も昔も。
心配しないでください。モラル低下の標的の少年重大犯罪(殺人など)はピークのs26から減り続け、今ではピーク時の1/5ですから。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 19:56:25
極端な意見を言わせて頂きますが、私にしてみれば
死刑があろうがなかろうがどちらでもいいんです。
現行法上そうなっているから依っているだけです。
死刑なんて普段はニュースで聞く側でしかないですから。
確かに凶悪犯罪の犯人は赦せないと思いますが、
彼が死刑になったと聞いても私が得る物は何もありません。
まあ被害者になる可能性もありますし、
遺族になってしまう可能性だってあります。
そうならない事を願いながら必死に生きるだけの事です。
凶悪犯罪がなくなれば理想ですがそうもいってくれません。
あと、廃止側の方に御願いしたいのですが
「無難な代案」が欲しいところです。
もちろん、「全てが丸く収まる」というのが前提です。
刑務所の収容数問題、刑務官の再雇用問題、
維持費用の捻出先、増税になるかならないか、
などなど様々な問題を含んでおります、非常に重いです。
「反対の為の反対」は好きではありません。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 20:04:23
愛彦さん、データを挙げられるのは結構ですが、
昔の少年犯罪と今の少年犯罪とでは事情が異なります。
昔の場合は戦災孤児になってやむをえず、等のケースです。
そこから少年法が定められた事くらいはご存知かと。
当時と今とではモラルは価値も基準も全く異質のものです。
愛彦さん個人はともかくとして、周囲を見渡して
モラルの高い方はどれだけ存在するのですか?
私は日々、人々のモラルの無さに嘆いております。
私の周囲が悪いだけの話かも知れませんが。
Unknown
(
ひねくれもの(ver.黒)
)
2008-06-19 20:40:20
流行りみたいですから経済至上主義をとりあえず是認したとして、コストの問題ですが、死刑の代わりに強制労働じゃ駄目なんですかね? 人口減少の折に「希少」な人的資源を無造作に殺しちゃうのもなんなんですし。逃走防止に皮下に発信機や小型の遠隔誘導式の爆薬か毒を埋め込んで、普通の企業で働いてもらえればいいのではないですか? もちろん、顔面には終身刑を表す刺青を彫って。採算が合わないときには、さて、どうしますかね。職業訓練が必要な場合もあるでしょうね。あと罪人を雇った企業には法人税を軽減するとかの優遇措置とかも必要でしょうね。
Unknown
(
ひねくれもの(ver.白)
)
2008-06-19 20:46:53
犯罪の無い世界って、そりゃ、クリープを入れないコーヒーのようなもの。実現したら、多分間違いなく、それはディストピア。この間の暴動にはほっとしました。暴動やデモのひとつも起きないような国って、なんか変だし。頻発も困るけど。
Unknown
(
ひねくれもの(ver.白)
)
2008-06-19 20:46:54
犯罪の無い世界って、そりゃ、クリープを入れないコーヒーのようなもの。実現したら、多分間違いなく、それはディストピア。この間の暴動にはほっとしました。暴動やデモのひとつも起きないような国って、なんか変だし。頻発も困るけど。
Unknown
(
ひねくれもの(ver.白)
)
2008-06-19 20:46:54
犯罪の無い世界って、そりゃ、クリープを入れないコーヒーのようなもの。実現したら、多分間違いなく、それはディストピア。この間の暴動にはほっとしました。暴動やデモのひとつも起きないような国って、なんか変だし。頻発も困るけど。
Unknown
(
ひねくれもの(ver.白)
)
2008-06-19 20:46:54
犯罪の無い世界って、そりゃ、クリープを入れないコーヒーのようなもの。実現したら、多分間違いなく、それはディストピア。この間の暴動にはほっとしました。暴動やデモのひとつも起きないような国って、なんか変だし。頻発も困るけど。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-19 20:51:59
>人口減少の折に「希少」な人的資源を無造作に殺しちゃう
経団連の本音は
「(潰れましたが)残業ゼロ法案で
経営陣以外の日本人は過労死で
全滅してかまわない!代わりは移民でまかなう!」
というのが本音でしょうね。
>罪人を雇った企業には法人税を軽減するとかの優遇措置
いいアイデアだと思います。
Unknown
(
ひねくれもの
)
2008-06-19 20:58:39
すみません、キーボードに猫がのっかったので、こんなこと↑に。
Unknown
(
ひねくれもの
)
2008-06-19 21:02:05
経団連の本音にそんなのは無いと思いますよ。
それこそコスト論理はあるとは思いますが。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-19 21:03:48
被害者遺族(及び親類縁者)の目の届かない所に
隔離する、というのも必要かも知れませんね。
あまりいい気分はしないでしょうから。
Unknown
(
ひねくれもの(ver.黒)
)
2008-06-19 21:10:17
隔離はコストがかかりますので、整形ですかね。
Unknown
(
Unknown
)
2008-06-19 21:13:23
>被害者遺族(及び親類縁者)の目の届かない所に
隔離する、というのも必要
必要ですね。
女子高生コンクリート殺人犯どもは
相変わらず事件前と同じ住所に住んでいて
遺族とスーパーで会うらしいですよ。
死刑を執行し、名前を公表すれば
遺族はこの世で会わずに済むことが確信できて
いいんですがね。
参考図書
(
ひねくれもの
)
2008-06-19 21:18:11
アントニー・バージェスの近未来小説、
『時計仕掛のオレンジ』と『見込のない種子』
なんかはいかがでしょう。
Re: 様々な問題
(
k
)
2008-06-20 00:48:43
まだ続いていたのですね。
今の論点がつかめてないので
わかりやすいところだけ口を挟ませてください
>あと、廃止側の方に御願いしたいのですが
>「無難な代案」が欲しいところです。
>もちろん、「全てが丸く収まる」というのが前提です。
>刑務所の収容数問題、刑務官の再雇用問題
これは死刑とは関係ない問題ですね。
なぜなら死刑になる人の人数はとても少ないため
死刑を廃止してもほとんど影響がないからです。
もちろん重要な問題なので
死刑を維持するにしろ廃止するにせよ
きちんと考えていかなければなりません。
>維持費用の捻出先、増税になるかならないか、
上で山崎さんがまとめておられますが、
「死刑を維持した方がよりお金がかかる」
というのが今までの議論では優勢です。
したがって、
「死刑を維持するならどうやってその費用を捻出するのか」
というのが正しい質問ですね。
是非、答えていただきたいです。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-20 05:22:49
それなら私なりの意見を述べさせて頂きます。
「制度運用の効率化」です。理由は以下に述べます。
死刑囚自体通常の受刑者に比べて数が少ないです。
終身刑を導入した場合と比較しても
生存する年数は死刑囚の方が短いです。
ここまでは問題無い事かと思います。
問題になってくるのはむしろ「裁判費用」ですね。
それこそベルトコンベアーにしろとまでは言いませんが
裁判スケジュールの迅速化が必要です。
素人目に見ても時間がかかり過ぎです。
勿論裁判官、検察官、弁護士等はその事件のみ
取り扱っているわけではないのでやむをえない
部分も当然あります。ですが効率化を図るのは可能かと。
当然引き伸ばしなどは論外です、費用かかりますので。
先に挙げた三者は他の業務も勿論の事ながら、
当該事件の審理精査に今まで以上に励むのが望ましいです。
審理精査の効率化が上手く図れれば少なくとも
十年単位で裁判が行われるケースは減る事と思います。
あとは判決確定後の執行です。
判決から六ヶ月後となっております。
別に皆殺しにしろとまで言うわけではありませんが、
「反省悔悛の兆しが一向に見られない」場合は
規定期間経過後に速やかに執行する方がいいと思います。
そのまま年を重ねても本人の為になりませんので。
その分の維持費用は当然削減できる事になります。
うーん・・・これ以上は私には思いつきませんね。
何か他に付け足せる箇所があれば指摘して下さい。
コストを減らすか冤罪を減らすか
(
k
)
2008-06-20 13:03:19
死刑のコストは冤罪防止のコストです。
冤罪を増やしていいのならコストを下げることはできます。
他の刑罰であればそのやり方もありだと思います。
無限のコストをかけて冤罪をゼロにするのは現実的ではありません。
冤罪が発生しても救済のチャンスがありますし。
ですが死刑だけは膨大なコストを払っても
冤罪を防がなければいけません。
無銘さんの言うように
無駄を排し、効率化を図ることができたとしても
それはさらなる冤罪の防止のために使われるべきだと思います。
死刑裁判は世論の影響を受けやすく
中立な裁判を行うのは非常に難しいと思います。
これからはじまる裁判員制度も
きちんと運用するためには費用がかかります。
なので、「もっと費用をかけて公正な裁判を」というのが
世の中の流れなんじゃないでしょうか。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-20 14:02:23
冤罪に関しては裁判より警察の初動捜査の
部分が大きいように思います。
勿論昔のような拷問による自白強制が
あるとは思えません、あったらあったで問題です。
その辺りはもう少し警察の方に真面目に
やってもらう他はないものと思われます。
当然、裁判の中においてでっち上げなどは
あってはなりません、誰の為にもなりませんから。
「効率化=急ぐ=手抜き」には必ずしも
繋がらないものと思われます、その辺りは
どのように判断されますでしょうか。
わしも参加だけして去る
(
作業員
)
2008-06-20 18:54:07
誰がパウロ袴田を吊すのか?
英語で言うと、フー、フー、フー、なんやろかね、わしでは英訳でけんがね。
要するに、わしが刑務官なら、パウロ袴田の執行には、参加しない。それが、職業倫理、において、どうか、人倫、においてどうか、まあ、しょせんは、好み、かね。兵士として、仁義なき広島風お好み焼きの土地にピカドン投下してこい、と言われれば、投下してくる職業人って、どれぐらいおるかね? もちろん、死刑廃止派のわしは、投下しない。できれば、兵士には、ならない。ゲリラになら、とか言うと、問題が複雑になるのでそれはいい。では、よい週末とよい議論を。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-20 19:07:12
袴田さんに関しては私は合掌するより他にできません。
判決を覆すという事は前例を作ってしまう事になります。
それは死刑のみならず他の部分にも適用される恐れがあります。
そうなると後々までの禍根になります。
確かに私が同じ立場であれば最期の日まで
泣き続ける事でしょう、他に何もできないでしょうから。
「悪しき前例」として後世に残し、二度とこのような
冤罪判決の下りないようにしてもらいたいです。
敢えて「尊い犠牲」とは言いません、ただただ悲しいだけです。
蛇足
(
無銘
)
2008-06-20 19:25:43
エノラ・ゲイの機長は原爆投下に関して
「戦争を早期に終結させるため、任務をまっとうした」
との立場を終生貫いたという事です。
対馬丸を撃沈した潜水艦の人間は
「私の判断が間違っていたとは思わない。
仮にもう一度同じ立場に立たされたら
同じ判断をする事だろう」と語っていました。
いい意味でも悪い意味でも「職業人」とはそういうものです。
裁判員制度の目的は?
(
山崎元
)
2008-06-20 19:46:59
無銘さま、kさま、皆様
活発な議論、ありがとうございます。
最近「週刊現代」の「新聞の通信簿」に復帰された魚住昭さんの最近の記事を読むと、誰にも好かれていないように見える裁判員制度をかくも熱心に導入したがっている理由は、裁判員にまとめて情報提供して短期間に裁判を終わらせる仕組みにすると、裁判官の仕事上の負担が減るからということのようです。
確かに裁判員を長く拘束するわけにはいきませんから必然的に仕事量は減るでしょうし、しかも、判決に対する責任を裁判員がなにがしか負ってくれるわけですから、これは上手い業務効率化の方法かも知れません。
しかし、最近になって、一般人の法律理解のあまりの乏しさに、裁判員制度を導入しても大丈夫なのかという慎重論が、法曹界からも出てきたようです。
死刑存置の経済的コストの多くは死刑を争わない場合よりも裁判の費用が掛かることでしょうが、さて、裁判員制度が導入されるとどうなるのか。
裁判員制度のおかげで見かけ上のコストは節約されても、冤罪やずさんな判決が増えるということだと、これは大変な問題です。私は法律のプロとアマの差を実感を持って説明できませんが、アマチュアの参加を簡単に増やしていいのか、という点は、死刑制度の存廃は別としても、心配な問題です。
選択の自由があればいいんだけど
(
どんぐり
)
2008-06-20 20:38:44
私は職業裁判官と裁判員のどちらを選択するか自由にすればこれは良い制度になりうると考えています。
裁判官は自身の出世や検事との継続的な関係から有罪を出す傾向が強く、それが有罪率99%という結果になっていると指摘されています。
たしかに「裁判員制度のおかげで見かけ上のコストは節約されても、冤罪やずさんな判決が増える」という可能性はありえます。しかしこれは効率的な促成教育システムを作れば、そのリスクを減らすことはできるでしょう。しがらみのない市民が裁判に参加してこそ、手続的正義や疑わしきは被告人の利益にといった、近代法哲学を体現するよいチャンスになると思います。
ただし私自身がもし被告になったときに、ドキュンな裁判員だったら、恐怖のどんぞこにたたき落とされてしまいます。。。難しいですね、
そう考えると、アメリカみたいに職業裁判官と裁判員のどちらを選択するか自由ならいいんですけどね。選択が広がることは、よいことだと思います。
僕はやられたと思ってた
(
どんぐり
)
2008-06-20 21:00:07
パウロ袴田さん、まだ生きてるよ。無銘さんのコメント読んでたら、執行されたと僕と同じように誤解しているように読めました。もしよろしければ、再審賛成に署名してあげてください。
http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/index.html
Unknown
(
無銘
)
2008-06-20 21:09:05
筆者様、返信ありがとうございます。
現状のままであれば、裁判員制度導入は
それこそ署名やデモをしてでも辞めさせるべきです。
前のコメントにも書きましたが、
裁判所ごとに基準が大きく変わるリスクが高いです。
それは「地域差」という一つの差別に繋がる恐れがあります。
>法律のプロとアマの差
純粋に「知っているか知らないか」でいいと思います。
前者と後者とでは被告を見る目が全く変わります。
中には偏狭な「正義感」に執われ変な判決を出す人も
出てくるかと思われます。極めて危険です。
そもそも裁判員制度って誰が発案したんですかね?
単純に私が無知なだけなんですが。
「アメリカ式にしよう」という右倣え思考であれば
短絡と言う他はありませんよ。
拘束されて仕事は休まないといけないし
下手したら人の生き死にに関わらないといけないし
どれだけお金貰えたとしても私はやりたくありません。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-20 21:17:39
>再審賛成
とりあえず署名用紙を郵送で頼みました。
「民意」として届く事を願います。
作業員様へ
(
無銘
)
2008-06-20 21:37:31
「最低でもこれだけは読んでおけ」という一冊があれば
御教授下さい、「ネット通販で買える」という前提で。
何分田舎住まいなもので、近くにまともな書店が
無くて不自由しております。
Unknown
(
ひねくれもの
)
2008-06-21 01:53:26
選挙権がある国民であれば、誰でも判決を下し、政治を行うだけの責任と能力があるべきであるという観点から陪審制には賛成です。(参考図書:R.A.ラファティ『カミロイ人の初等教育』)
それから裁判官制にせよ陪審員制にせよ、どんなに理想的で精緻な法議論をしようとも、最後には死刑判決を下すか下さないかの二者択一のスイッチを押すことになる訳ですから(論理展開が精緻だとしても、結論は常に粗雑。)、現行死刑制度の元の陪審員制であれば少なくとも陪審員と裁判官の全員一致で死刑判決が下るべきだと思います。それしか誤った死刑判決の抑止力は無いと思います。認知上の集団のバイアスについては、どうしたらいいですかね。おそらく避けようがないですね。
ベルトコンベア実現したら本物の死神ですね
(
アベルフ・シンドラー
)
2008-06-21 07:25:22
蝶マニア怒って曰く
『あっという間に山のように死刑執行したのはおれだ
やつらを殺ったのはこのおれだ
人間だ
おれを死神と呼ぶな
むしろ死神を鳩山と呼べ』
あの怒り方の正解は、文脈上こうだとおもいますね。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-21 07:42:03
現法務大臣は若干やり過ぎの感が確かにありますが、
これまでの歴任大臣が手を付けなかった部分を
一手に引き受けている、という見方もできます。
さすがに量産体制は問題だと思いますがね。
手を付けなかったら「職務怠慢」と罵られ、
やり過ぎたら「死神」と称される、難しい所です。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-21 07:46:47
法務大臣になる議員にはせめて一回だけでも
現場の光景を一部始終見せておくべきでしょうね。
そうすれば判子を押すかどうかじっくり
考えるようになると思いますよ。
垂線 垂線 御手洗ではないのに 垂線
(
作業員
)
2008-06-21 16:59:10
毎日仕事場で、なじぇ、一円が合わなくても始末書を書かせようとするような上司が、平気で労働基準法を破るのか、考えている。なじぇ、労働基準法だけが、法律、と解されていないのか? それはやはり、階級的対立において、わしらがなめられとる、からではないだろうか、と思うのだ。法律を、都合よく使っているものこそが、死に神、であり、人間によって、吊されるべき、であると思うが、死に神に心を売らない人間ってのは、よわっちいからなあ、基本。結局、厳罰化、で、抑止力、を夢見るしかない、わけや、弱者は。死刑廃止と、矛盾するかどうかは、各自考えておくんなまし。
死刑本は山のようにあって、なんでも読めばいいし、結局はコギトなんとかかんとか、の問題であるからなあ倫理なんてものは。他人はあんましかんけーないと思うがなあ。私がいて、私が、死刑、について、考え抜けば、ええわけやなあ、その場合、水準、も、実は意味のないことやなあ、私が、考えるか、考えないか、やなあ。
わしが、ガツン、とやられたのは、すでにほぼ死に神と化している、ナベアツのアホ表現なみにヨイヨイの辺見庸が、繰り返し、垂線、垂線、と表現していた、その、垂線、って言葉やなあ。初め、何いいよんねん、脳みそつまるはガンなるわ、もう厳密な意味で、別人じゃないのか辺見、と思ったほどに、文体が気色悪くなってしまって、その、いままでに読んだことのない、いやな感じ、の日本語に、垂線、垂線、って出てくるわけだなあ、声に出して、さあ、みんなで、読んでみよう! 垂線って、御手洗とはかんけーないわけだなあ。引力、によって、人は殺されるわけだなあ、それは、まさに、重力の作用する方向に、まっすぐに、垂線、を引く、わけだがね。どうかね、君たちは、今日から、この、垂線、という言葉から、逃れられない、気色悪いやろ、いやー、わしだけが、気色悪いまま余生をおくらんでよくて、スッキリ、したわい、水に流したようなもんだ。なんとなくゆるい三河○にしたから、より、関西人つまりヤマトとしての責任を他人になすりつけたようで、爽快だ。死刑は、廃止したほうが、よかよ。
Unknown
(
無銘
)
2008-06-21 20:57:43
疑問に思った事があったので一つだけ。
仮に今ここで死刑廃止となったら
執行待ちの死刑囚はどう扱えばいいのでしょうか。
「一日早ければ助かったのに」というケースが
出るかと思うとちょっと不公平な気もします。
夢のような話だが
(
作業員
)
2008-06-22 13:43:32
タカというより野ブタと呼んだ方がふさわしい、死に神扱いされてご愁傷な鳩山つまりアルカーイーダの連れの連れの兄の宇宙人は、自分は政治屋の宇宙人だが、断じて死に神の兄ではない、ってなこと言っているが、
「死刑制度をなくせば、同様の事件が増える」
とも言っている。死刑制度をなくすと、大量に人を殺してしまうようなイカレポンチを多く抱えた民族を代表する政治屋一家が、あちゃらのケネディー家が飼っているハト以下、だったりするのは、死刑執行と同様、どうしようもないこと、なのだろうかね。
現行制度として、厳然と、死刑制度は、ある、ので、死刑が執行されることに、なんの不思議もない。不思議なのは、野ブタがなんで法務大臣などしているのか、というまさにこの一点だ。これは、全部、上杉隆が悪い。上杉は、野ブタそのものたる鳩山が、法務大臣にもっともふさわしくない人物であることを知っていて、死刑と野ブタ、をネタにして、あろうことか脱力しやがりながら、しのいでいる。そんな記事でしのげるなら、愛ちゃんを受ちゃんと表現した人に、五万ほど誰か包め、上杉の記事に、受けた人などおらんだろうに、ジェニのムダじゃよ、コスト、コスト、コスト、やろに大事なのは。
一日早ければ、というのは、過渡期、ではしかたないことですが、だからこそ、執行を停止する猶予する、という、手段、があるわけです。韓国はそうしているようですね。韓国には耶蘇が結構多いので、制度の違いにそういうことがどの程度影響しているのか、気になるところではあります。右派だから、死刑制度をなにがなんでもまもる、必要などありまへん、この国の保守は、錯乱しております。
Unknown
(
馬鹿馬鹿しい
)
2008-06-22 18:32:56
宮崎死刑執行
『謝罪ないまま』
『原因究明なされず』
……
何年経ったって謝罪なんてしないし、原因だって究明されやしない。それを良しとして語られるタテマエ。
無駄、無駄、無駄、本気で原因究明したけりゃ、役立たず精神科医の表面的な“ゲーム”に頼ってないで、外科に頼め。そして科学的、医学的観点からアプローチせよ。
文系馬鹿の推理ごっこは何の役にも立たんといい加減に気付け。
馬鹿馬鹿しい
(
Unknown
)
2008-06-22 18:33:15
宮崎死刑執行
『謝罪ないまま』
『原因究明なされず』
……
何年経ったって謝罪なんてしないし、原因だって究明されやしない。それを良しとして語られるタテマエ。
無駄、無駄、無駄、本気で原因究明したけりゃ、役立たず精神科医の表面的な“ゲーム”に頼ってないで、外科に頼め。そして科学的、医学的観点からアプローチせよ。
文系馬鹿の推理ごっこは何の役にも立たんといい加減に気付け。
Unknown
(
文系バカで~す
)
2008-06-23 19:02:58
精神医学からアプローチしようと、科学的、医学的観点からアプローチしても、データと解釈がそれぞれにあるだけで、「どうすべきか」はでてこないよん
Unknown
(
<奈良女児殺人>小林死刑囚の控訴取り下げ有効確定
)
2008-07-09 22:19:25
死刑廃止論者の希望の星がまた消えるようです(笑)。
鳩山大臣はさらなる奮起をして
死刑囚を殲滅して欲しい。
趣味の問題
(
ぎんえもん
)
2008-07-15 22:33:53
世界のナベアツのエントリから飛んで参りました。
こちらの激論があちらに飛び火しているようですね。
コメント数が多いので読むのが大変でした。
文系の皆様の聡明さには頭が下がります。
あまり死刑制度に関して意見はないのですが、文系の方々の議論で気になった点に少しコメントさせて頂きます。
「死刑は、因果応報のバランスからして、当然あるべきだ」というのが死刑存置派ということですが、現在の日本の制度では、1名殺害しただけでは死刑にならないことが多いようです。一人の命の重さは一人の死刑で償うのがバランス良いような気がするんですが、そういう単純な話ではないんでしょうか。
それから遺族感情という話がありますが、他の犯罪では回りの家族や親族は出てきません。重要なのは被害者当人なのだが当人は死んでしまっているので、生き残っているものの感情が重要になってしまっているのかなと思います。ということで一つ思い浮かんだのは、自分が殺された場合の希望を役所に届けておくというのはどうでしょうか。この方法であれば、廃止派と存続派が共存できるんじゃないかなと思います。
それから経済コストの話題がよく出てきますが、大きい問題とは思えません。どっちにしてもたいしたコストではないんじゃないでしょうか。そういう意味では、倫理の趣味の問題ではなく、娯楽の趣味の問題に近いと感じます。法務大臣の趣味でどんどん死刑が執行されたり、何年間もされなかったりというのを見ると、北の国でたまにミサイルを打って威嚇しているのと同様に国家権力の発揚に近い印象を受けます。
最終的に人は死ぬわけですから、死刑になるような犯人は社会的には死んでるのと同じわけで、物理的な死が早くなるのか、そうでないのかが社会的に重要な問題なのかなと思ってしまいます。(自分の問題だったら重要でしょうけど、でもそういう立場に置かれたらむしろ死刑を望むような気がします。その方が気が楽だから。)
混乱ばしとるわけ 誰しも
(
作業員
)
2008-07-16 18:33:05
>無期を破棄、懲役25年に減刑…北九州保険金殺人で福岡高裁(読売)
コスト的には、安くなった、のかもしれない、かもしれない、かもしれない・・・。バスオタのチューボーが人を殺めなくて、よかった、と言ったら不謹慎かね、まあ、不謹慎だがね。
Unknown
(
オカヤン
)
2008-07-16 23:19:11
親に怒られた腹いせにチューボーがバスを乗っ取る時代です。死刑なんかで犯罪が減るわけでもなさそうですし、悪いやつはかたっぱしから捕まえて死刑にしちゃうしかないんですかね。
秋葉原のホコ天歩いてるだけで刺されたり、親子で散歩してたら刺されたりすることを覚悟しなけりゃお出かけできない時代なんでしょうかね。
そんな社会に生きていかなきゃならないんですかね。やですねぇ。
死刑にさえしておけば犯罪減るんですかね。犯罪減るんなら死刑を量産しても、まぁいいかと思いますがね。死刑で安心安全が買えますかね。ここの議論の中では死刑に抑止力ないんでしたね。
死刑で安心を買えないんなら、死刑の主な機能というのは応報感情を満足させるという一点に尽きますね。
でも、応報感情って、死刑でしかケアできないもんなんですかね。死刑に癒しの機能がありますかね。どうなんですかね。
憎しみが憎しみでないように、リスクとコストは分けねばね
(
作業員
)
2008-07-17 18:53:29
>知的障害者は財政面、生活面で【コスト】
財政面、とパラレルに、生活面、が置かれると、要するに、なんでもええのか、と思うがね。知的障害者と将来の犯罪者と現死刑囚(冤罪事犯含む)、がパラレルなものだとすると、どーでもええ、のかと思うがね。
結局のところ、受ちゃん理論がまずいのは、コストのピーク、あるいは、ピークアウト、がズバリ答えられないところでないかね。終身刑がもっともコストがかかるのか、更生せずに出てきて人殺しをした(過去形)場合のコストがもっともでかいのか。更生せずにでてきて人殺しをする、ことを想定するのであれば、社会のリスク許容度、にした方が話がはやいがね。まあ、夏の思いつき、だがね。オカヤン氏、応報感情の満足、ってのの、主体は、遺族、ではなく、社会、だとわしは思うがね。殺すぐらいで癒される憎しみなど、憎しみでなかろうに。
応報感情の主体
(
オカヤン
)
2008-07-31 10:04:49
「応報感情の満足、ってのの、主体は、遺族、ではなく、社会」
なるほど、確かにそうだと思いました。しかし、その社会とはいったいなんでしょう。
愚考しますに、それは私なのです。クーラーの効いた部屋でソファに寝そべり、冷たいグラスを片手にテレビに向かって「こんなやつ死刑にしちゃえばいいのに」と吐き出している私です。
私はそのままの姿勢で、遺族の感情を代弁し、社会の意見を代表しているような錯覚とともに寝そべり続けているのです。
少なくとも私がテレビの画面に映る見知らぬ男に抱いた憎しみは、それでけっこう癒されているのです。
たぶん
死刑廃止論について
(
虎毒
)
2008-09-06 21:42:28
どんな理由があるにしろ犯罪を犯した人間は生きる価値はありませんよ。
どう考えても劣っている人間である訳ですからね。
わざわざ劣っている人間を生かしておく事は、社会にとって必要である訳がありません。
正義回復コストとは何か
(
愛★☆彦
)
2008-12-04 20:02:51
総額計算は小学生並みの知能しかない人間は受け入れるでしょうが、管理会計論の取り替え投資の経済計算の知識を多少なりとも持っていれば違和感を持つわけです。それは、正義回復コストの計上漏れ。すなわち、被害者側のコストです。
私は最近、スタンコ事件というものを知り、ますます凶悪殺人者は文系論理ではかたがつかない医学的(精神科医除く)原因究明が必要だと思いますね。PETスキャンを導入し、眼下前頭葉を観察すべきです。
私は重大犯罪を起こす【(中年)無職】というのは、脳機能障害による産出物という持論を持っているのでそういう仕損(欠陥品)が発生したらそれをどう除却し、廃棄するか(速やかにラインから外す)かが早急の制度設計、すなわちメカニズムデザインの課題だと思っています。
脳機能障害犯罪者を死刑にすべきではないという反論には、それは【ラウ゛ディ氏の遠足】のような事態が起こった場合、誰が責任を負うのか再度問いたいね。人権派が責任を持って社会復帰した精神障害犯罪者を面倒みてくれるのかね?山崎氏は、この問いに反論になっていない反論でにげているのだけれど。早く、【アファーマティブ・アクション】と同じ発想の逆差別で、偽善的なハンディキャピズムと認識すべきです。
やはり無職であった
(
愛★☆彦
)
2008-12-06 17:43:10
【東金の女児遺棄事件】
やはり【【無職の男】】であった。国家権力が無職マップを作り、無職のクズを監視する時季が来ているのである。
障害者というオマケ付き
(
愛★☆彦
)
2008-12-06 22:37:31
続き【東金女児遺棄事件2】
【【無職】】に続き、
【【知的障害者】】というおまけ付き。
山崎論理は、凶悪殺人事件が起こるたび、ことごとく論破されている。お金儲け本出版ラッシュの山崎氏の笑わせる机上の空論的自民党批判と同じように、死刑廃止論もまた、評論家的“皆があっち向けばそっち向く”的軽々しい戯言に過ぎないのだ。
またもや知的障害者
(
愛¢¢彦
)
2009-01-04 20:02:42
【世田谷区路上生活者襲撃事件】
またもや、軽度の知的障害者なのであった。山崎氏の知的障害者の息子は大丈夫なのだろうか?知的障害者にも厳罰を科す制度設計が望まれる。責任の所在なき殺人犯罪は被害者の死に損である。
死刑廃止論
(
RealWaveConsulting
)
2009-06-02 16:52:38
死刑廃止論は多角的に考えるべき問題です。
http://realwave.blog70.fc2.com/blog-entry-82.html
政府が犯罪者を殺すかどうかは、最後は文化の問題です。私たちの文化は、犯罪者でも拷問や、耳を切り落とすような罰は与えないという文化に生きています。私は、死刑も文化的に許すべきではない段階に来ていると思います。
林真須美にはヒ素入りカレーを
(
死刑維持論者
)
2009-06-02 19:39:11
RealWaveConsulting様の願いも虚しく
林真須美の死刑は確定していますw
林真須美への死刑執行は首吊りではなく
ヒ素入りカレーを食べさせるのが乙ですね。
皆にふるまった自慢の料理で最期の晩餐・・・。彼女も満足して三途の川を渡ってくれるでしょうw
replica handbags
(
knockoff handbags
)
2011-11-21 18:23:28
ボクも山崎さんの結論には全く同感です。議論ができないリーダーを二人(ここ最近ずっと?)続けて選ぶ日本ってどうなんでしょう。
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。fykytki
マオ
(
knockoff handbags
)
2012-02-06 22:26:23
ボクも山崎さんの結論には全く同感です。議論ができないリーダーを二人(ここ最近ずっと?)続けて選ぶ日本ってどうなんでしょう。
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。tgws
Amy
(
Luxury Designer handbags
)
2012-02-21 15:27:52
それは便利です。私はそれが好きです。私はそれから多くの情報を得ることができます。
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その裁判であなたが「死刑、反対」を主張されれば
あなたの理想に一歩近づくかもしれません。
ご指摘はごもっともです。
その点はよしとして、
とおりすがり様は死刑に賛成ですか?
殺人(あるいは他の重大犯罪)の被害者の応報の気持ちには反対できません。
それを混ぜる議論には反対です。
森達也さんの近著『死刑』(朝日出版社)の最後のほうに本村さんからの手紙が紹介されています。
これを読むと、マスメディアが創りあげた「虚像」と実際の本村さんは「まったく別の人」と考えたほうがよさそうです。
また、本村さんはマスメディアに対して非常な不信感を抱いています。
彼はけっして「死刑推進」の「旗手」ではないのですね。
非常に誠実な人であり、非常に運の悪かった人です。
ちなみに私のブログでも光市殺人事件を取り上げたことがあります。
正直に言って「嫌だなあ。しかし、発言しないといかんなあ」と思って、エントリをアップしたら見事に「炎上」しました。
「安田弁護士を応援します」
http://kihachin.net/klog/archives/2006/03/yasudabengoshi.html
そして司法組織が腐敗すれば、国家そのものの正当性が失われるでしょう。
世界の各国が次々と死刑を廃止しているのは、甘っちょろい感傷によるわけではなくて、きわめて冷徹なリアリズムに拠っているのだろうと思います。
死刑制度は国家を崩壊させる、というリアリズムに。
というわけで、私は「乾いた」死刑廃止論者です・・・。
>それを混ぜる議論には反対です。
私も両者を混ぜる議論には反対であり、「下らない」と思うものです。
「たぶん」それで正しいと思うのですが、一方で被害者の感情を重視すべきだという意見もあり得ますし、これが多数を占めた場合でも、死刑を廃止すべきかどうかには「僅かに」自信が持てません。
●
ちなみに、死刑容認の議論で最も手強いと思うのは、以下のような素朴な議論です。
「仮に自分が命に替えても殺したい相手が居る場合、殺しても死刑にならず、生きられる保証があるなら、殺した方が得だ」。こう思う人間がいるかも知れないこと、さらに、ケースによっては、自分自身がそう思わないという保証はないことは、現実的な脅威だ。これは、今後の選択に関する前提条件だから、過去のデータには関係ない。ルールとして、死刑の少なくとも可能性は残すべきだ。
●
結局、議論としては、社会によるルールや強制というものがどのようなものであるべきか、という点が重要なのだろうと思います。
現時点では「人が追加的に殺されないようにすることは社会の役割だが(そのために銃を持った現行犯の殺人犯人を銃殺することは認められる)、新たに人を殺すことは社会の役割ではない」というような原則で物事の辻褄が合わないかと考えているところです。
もっとも、国としてそう考えると、日本は、アメリカの対イラク戦争に賛成できなくなってしまいそうですね(もちろん、私はアメリカの対イラク侵攻に反対でした)。死刑反対には、その辺の覚悟も必要かも知れません。
死刑を廃止にしてしまうと
いくら強姦、殺人をやっても絶対に死刑にならない
だからやったという犯罪者が出てきそうで怖いです
そういう意味での犯罪の抑止力にはなってるのかなぁと思います
確かに、思い刑罰は、しばしば、犯罪や不正に対する追加予算のかからない対策でもあります。たとえば、飲酒運転に対する重罰などは、効果的な対策でしょう。
ただし、これを死刑に適用する場合、死刑廃止論者から出てきそうな反論の一つは、ちょっとうろ覚えで恐縮ですが、「本当にそうでしょうか。死刑を廃止した国の凶悪犯罪が増えたというデータはないのですが」というようなものでしょう。
もちろん、こうした主張に対しても、データの見方(たとえば、凶悪犯罪の発生要因は刑罰だけではないし)や、そもそも、これはデータで決める問題か、とう議論があり得ます。
この問題は難しいですね。
賛成せざるを得ないと思っています。
飲酒運転がいい例ではないでしょうか?
死刑制度を廃止するより犯罪の少ない世の中に
変えていく(景気回復など)政策を期待したいです。
本論からはずれしまいますが。
だってこの国、無期懲役が無期じゃないんだもん。
死刑が無いほかの国みたいに「懲役300年」とかそういう法制度になれば死刑廃止も有りだとは思います。
若しくは基本的人権の剥奪。とか。
そのうちの一人が「死刑がこわくて自首しました」と供述。
少なくないので参考までに。>抑止力
終身刑(絶対に娑婆に帰ってこない)って日本でできないのでしょうか?
一生をもって金銭的に罪を償う。
日当をどれくらい?という議論があるのかもしれませんが、感情的には死刑よりはすぅ~っとくるんですよね…
死刑を廃止するかどうか議論する前に、終身刑とは何か罰とは何かをもう一度見直すべきです。
刑務所から出たのに刑務所の生活に戻りたいが為に再犯する者も少なくないのだとか。
果たして刑務所の日々が彼等に刑罰として適当であるのか、非常に疑問を感じます。
そうした意味でも刑罰の厳罰化が行われて初めて、死刑廃止論議に意味があると考えます。
殺した人(事故じゃなくて)は、死刑で当然だと思います。
全く落ち度の無い人間を自分の都合で殺しておきながら「生きたい」と言ったところで「じゃあ、生き返らせたら許してやる」としか言えないと思います。
人を殺した時点で、更正する必要などなく死んで償うしか考えられないのです。
「死刑廃止」という人の考え方が理解出来ません。
死刑を廃止して終身刑にするのか無期懲役にするのかは知りませんが、同じことでしょう。「社会復帰したい」という人間(犯人)を、社会がよってたかって塀の向こうに閉じ込めた~なんて反論が出るのではないでしょうかねぇ?
が実現されていないのではないかと。
量ではなく質です…
---
と書いてて、些か厄介な問題に触れてしまった感もある…
短い原稿を一本書いている間に、9本もコメントを頂きました。この問題への関心の高さを感じます(それに較べて、話題としての野村證券の何と人気のないことか!)。
また、皆さんのコメントが何れも真面目で、考えさせる論点を含んだ、且つマナーの良い書き込みであることに感謝します。
ありがとうございます。
いつも拝見させてもらってます。
「生きたい、生きたい」最もこれを思ったのは
本村さんの奥さんでしょう。
それを自分だけの都合で殺した者は同じ目に
会うべきなのではないでしょうか。
もし犯人が出所して本村さんが復讐する、
それを防ぐために社会の罰があると思います。
だから死刑制度には賛成です。
無期懲役の平均懲役年数は?
殺人事件の立件数/特行方不明者の割合は?
立件された殺人事件のうち死刑になる割合は?
僕も含め、ほとんどの国民があまり知らない状態だと思います。
代理監獄制度、異常に高い有罪率、刑法にかたき討ち志向を求める国民性、煽るマスコミ(取り上げられ方の違いが裁判員の心証形成に差を生む可能性はどうか?)等々、問題は山積しているように思います。
「死刑」自体は民主主義国家である以上、国民感情が是認しているのであれば致し方ないのかもしれません。
しかし、この国の「死刑制度」の元、裁判員として死刑を求刑するのはとても怖いことなのではないでしょうか?
冤罪に絡めて説く人もいるが今回のように罪の在りかが明らかな場合は死刑をもって然るべしとの思いは揺らぐ事は無いと思うのだが……
修正してからするべきだと思っています。
つまり、犯行後の犯人の様子や死刑執行は
伝えられますが、犯行状況は細かくは決して報道されない。
私は、実の兄一家5人を惨殺した犯人への判決文を
読み、犯行状況を述べた箇所では吐きそうになりました。
死刑に値する想像を絶する人間は実在するんだと
確信しました。
本村氏の発言次第によっては死刑廃止の気運が高まることは十分考えられますね、面白い視点です。しかし、それはおそらく「感情」のレベルでの死刑反対となるでしょうね(本村さんがそう言うなら!等)。
山崎さんが「幻のチャンス」というあたりが、どうにも日本では「感情」のレベルでしか、死刑廃止へ移行できそうにないことを示唆していますね。
死刑という「制度の妥当性」と個人的な「感情」を切り離した上での死刑反対(あるいは賛成)というのが、近代社会を生きる我々に必要な態度なんだろうけど、どうにもそこまで成熟した社会にはなりそうにない。
私は早くアメリカのように冤罪死刑者がゴロゴロ出てこないかな~(それによって「感情」レベルであっても死刑廃止になんないかな~)なんて不謹慎なことを考えていたんですが、本村氏の発言で死刑廃止に動いたほうが平和的でいいですね。
あとこのエントリ、下手したら炎上しちゃうかもしれないけど、ブログやめないでくださいねw
死刑廃止にメリットがあるとすると、追加的に人を殺さずに済むということが最大のものでしょう。たぶん、付随的に、捜査や裁判に誤りがあった場合に、不可逆的なミスを犯さずに済むことです。
私も犯罪者は悪いと思いますし、犯罪を犯さなければ死刑にならないのだから、刑罰は「目には目+α」でいいのではないかと一方で思うのですが、他方で悪い奴を殺してもいいと国家が決めて、これを実行することを是とする根拠に自信が持てません。
一定の原則が確定した宗教のような基準があると簡単なのですが、それがない場合、重罪は死刑でいいという根拠は考えると案外難しい問題です。
死刑肯定論の根拠は何でしょうか?
「とおりすがり」です(「通りすがり」さんとは別人です)。
山崎様
私は死刑肯定論者です。
>死刑肯定論の根拠は何でしょうか?
個人的な(凡庸な)根拠は下記です。
1 被害者(関係者)の感情回復による社会秩序維持
2 抑止力
1 犯人を自らの手で殺し、その首を霊前に捧げ、全ての決着とすることが禁じられている以上、制度として代行する必要がある。
2 激情的な殺人や人格障害者による殺人以外には
一定の抑止力が存在する。
失礼ながら山崎様はセキュリティ万全の環境にいて
(自分や家族が)凶悪犯罪に遭遇する可能性を少しも想像できず、被害者に共感できず、現に生きている強姦殺人者の人権だけが気になるのではないかと思われます。
本村さんが明晰なのは,9年間考え続けてきたからで,揶揄しては気の毒です.
未成年は死刑にならず,しかも情状酌量されると思って,凶悪犯罪に走る未成年は存在します.この事件の被告もそう考えて犯罪を犯し,さらに本村さんをあざ笑っていたのでしょう.死刑の可能性が出てきてから急に態度を変えたことからも,それが伺えます.だから,死刑の可能性があるということが分かっていたら,この犯罪は起こらなかったかもしれません.
それゆえに,死刑制度は社会の安全にとって有効である可能性のほうが高いと考えています.
ユーラシア大陸における男は皆殺し女は山分けという長い歴史(チベットの現状はその残滓です.),現在の日本の官僚制と民主主義と市場主義のアマルガムにおける自殺者の数,それらと比べれば,死刑制度は国家による殺人であるから反対であるとするような考えは,甘っちょろい些末事に過ぎないと思います.
本村さんが明晰なのは,9年間考え続けてきたからで,揶揄しては気の毒です.
未成年は死刑にならず,しかも情状酌量されると思って,凶悪犯罪に走る未成年は存在します.この事件の被告もそう考えて犯罪を犯し,さらに本村さんをあざ笑っていたのでしょう.死刑の可能性が出てきてから急に態度を変えたことからも,それが伺えます.だから,死刑の可能性があるということが分かっていたら,この犯罪は起こらなかったかもしれません.
それゆえに,死刑制度は社会の安全にとって有効である可能性のほうが高いと考えています.
ユーラシア大陸における男は皆殺し女は山分けという長い歴史(チベットの現状はその残滓です.),現在の日本の官僚制と民主主義と市場主義のアマルガムにおける自殺者の数,それらと比べれば,死刑制度は国家による殺人であるから反対であるとするような考えは,甘っちょろい些末事に過ぎないと思います.
私は、もともと目的刑論者ですので、その立場からすると、論理的には「死刑は無用」ということになりますね。危険な性格の持ち主は、社会から隔離しておけばいいのですから、無期懲役で十分ということです。
ただ、応報感情という素朴な正義感?をまったく無視すると、国民の制度に対する信頼が損なわれかねないので、現実的判断としては、当面の間、死刑は必要と思っています。
リスク無しに怒り、憎み、罵声を浴びせるのは快楽に他ならず、いい大人が他人の悲惨に乗じて醜くも気持ちよくなるザマは『吐き気を催す、最もどす黒い真の邪悪』について思いを致さずにはいられません。
自分は何もされてないのに『応報』感情が湧き上がって死ねの殺せのと叫んでしまうのは、要するに自他の区別が付いていないということです。想像力とは関係がない。
世論が応報感情という形をとり、司法がそれに迎合せざるをえない、という状況にある民度の高い国には、端的に言って死刑制度を運用する資格ないし能力が無いと考えます。とはいえ、その『民度の高さ』ゆえにこそ死刑制度は必要とされるわけなのですが。
まとめ。
『死刑制度を運用する資格のない国民が、死刑制度を廃止することは出来ない』
こと死刑については、なかなかまともな論議がされないのが、一番問題なのだと思います。
私は制度及び原理の非絶対論者なので、死刑には反対でも賛成でもありません。死刑のある地域・ない地域の両方があっていいと思っています(死刑制度は市町村レベルで有り無しを決めればよいのでは無いでしょうか?)。
ただ制度による密室での死刑には反対です。また、死刑の命令者と執行者が遊離しているのにも反対です。殺人者に対して殺人で報いるのなら、死刑を求めるものが自ら手をくだすべきだと思います。私は個人の人間性について楽観していますので、死刑制度の抑止は、被害者の方の人間味に頼るしか無いと思っています。
そうでしょうか?今回の事件や地下鉄サリン事件などで被害者でない多くの人々が犯人に怒り、憎しみ、罵声を浴びせてると思います。それは「快楽」ではなく
「良心」「正義感」からではないでしょうか?
>自分は何もされてないのに『応報』感情が湧き上がって死ねの殺せのと叫んでしまうのは、要するに自他の区別が付いていないということです。想像力とは関係がない。
「自他の区別が付いていない」のではなく「(被害者という)他者に共感できる」からではないでしょうか?
(自分とは直接関係ない)他者に対する共感こそが
社会や法の根底にある気がします。
直接会ったことのない、マスメディア越しに見た人間に抱く感情は、怒りであれ、共感であれ、一種の娯楽でしかないと思います。
「これは真実の感情だ」と思ったって、その感情の根拠となる「事実」が少なすぎるのでは話になりません。
(上のほうで喜八さんが、マスメディアを通した本村さんと手紙を通した本村さん像の違いについて書かれているのも、その一例ですね)
加害者と被害者という当事者、それから直接執行ボタンを押す当事者。
どちらの思いも汲み取るには少なすぎる情報の中で、わあわあ言ってる私たちってなんなんだろうと思います。
運が良ければ一生、人を殺さずに済むどころか、他人の命を助けることもできるが、運が悪ければ射殺魔どころか効率性の高いハイテクガス室も作りだすだろう。(予算が充分あればですが)
多分、悪行及び善行のどちらも司法制度や民意によって外からコントロールできない。できると思うのは、非常に現代的な幻想だろう。
にも関わらず、統計的には殺人の件数が年とともに低下していること、特に青少年層での殺人件数が減っているのは驚きだ。その原因が究明できれば、有効な施策が作れるでしょう。
りん様、あなたは現在の我々が直接見聞しない、例えば、東京大空襲で死んでいった人々に対する同情も娯楽とお考えなのでしょうか?最近、中国当局に虐殺されたチベットの人々に対する同情も娯楽とお考えなのでしょうか?
でまあ、一番悪いのは、池田大○先生だ。池田が一言、死刑廃止、と言えば、死刑は、廃止になる。池田が、真の仏教徒、になればいいだけだ。池田が、仏教を娯楽としか考えていないから、死刑は廃止されない、ダライ・ラマもびつくり。公明党は、政権与党にいたいがためだけに、死刑に賛成している、クソ政党だ。死刑に反対すれば、政権は取れない、だって、民主主義だから。さて、民主党は、どうするかなあ。ハト派の鳩山法務大臣、って日は、くるかね。
しかし、日本は「世間」を軸にして社会秩序を保っています。世間が許すことは許されるという発想が秩序の基本です。ですから、今回のような外道の犯罪にたいして、世間が死刑という極刑を用いなくなれば、日本の社会秩序は崩壊するでしょう。
にしても、赤子・ポイント5人カウント(という考えもある)って、ほんとに知らずに、殺せ殺せって言ってたんだなあ、有名ブロガーで言えば、ミズホファンのきっこさんとかも。押売は、紙面でも、ネットの頭のたらん記者が書いたような記事、載せてた。大衆が裁くなら、死刑ではなく、裁判、をやめれやめれやめてしまえ。
で、国家は特定個人を救済しない、ことはずっと書いてきた。ある被害者(あるいは遺族)が、頼むからその加害者を助けてくれ(と言っている殺人による被害者遺族はすでに複数存在している)、と言っても、国家は知らん顔だ。同様に、頼むから殺してくれ、と言って、殺してくれるものでもない。確かに、国家が考えているのは、秩序、だけだろう。死刑制度存置が(為政者に都合のいい)秩序維持に効くなら、体制は押売そしてシンボーの小僧を使って、殺せ殺せ死刑死刑、の大合唱をあおるだろう。
そう考えます。当事者の味わう苦しみに比べれば、娯楽でしかないと考えます。
そして、「当事者でもないのに味わうやりきれなさ、怒り」と言う名の娯楽から生まれる、社会に対する有益な働きかけもあるでしょう。
ただ、自分は第三者でしかないんだと自覚していることが大事だと思います。
自分は第三者であることを自覚することの何が大事なのですか?どんな効用が得られるのでしょう?
「第三者が特定の事件に対してごちゃごちゃ言うな。俺は聞きたくない!死刑反対!」
ってことであれば納得できるのですが。
ブログねたとして「死刑制度を考えてみる」というのがありました。
そこに書かれていたのは、ほぼ全員が「死刑制度は絶対に必要」でした。
そこで僕は以下のコメントをしました。
>もし、その裁判で死刑になった人が真犯人でなかったら?>もし、それを犯したとき、わけもわからず、しゃにむにやってしまったのだとしたら?
>人間、ネガティブの極致のときは、自分であって自分でないときってない?
>もし、そんなとき、たった10分間だけ、間違いを犯してしまった。そのときのことを思っていますか?
>もちろん、被害者のひとは、その家族のひとが極刑を、というのはわかります。
>ある意味、僕らは冷静になって考えるべきだと思います。
すると、そのひとは
>自分であって自分でないときに「理性で抑えるのが
万物の霊長である人間の人間たる所以だ」である。
だから、それができないのであれば、死刑もしかたない
という答えでした。
こういう風潮が吹き上がる中の裁判員制度。
とても、怖いものを感じました。
かも知れない。しかし、一方で神をも恐れぬ殺人が横行
している。
死刑は、殺人という犯罪と対になっていると感じる。
人が人を殺すという(戦争も含めて)、人間が背負って
いかなければならない十字架として、存在しなければな
らない刑罰であると思う。
死刑肯定論者の皆様は、根拠の一部として
1. 抑止効果
2. 遺族感情
を挙げていらっしゃいますが、
1. は本当に(死刑なら思いとどまるが、無期懲役では思いとどまらないという)抑止効果があれば、という仮定の上での話ですよね。もし効果がない、というデータがあれば、死刑不要ということになりますよね(確認)。
(ところで「死刑になりたかったので殺した」という(最近も実際にあった)犯人についてはどう考えるべきでしょう?)
2.については、遺族感情で罪の重さが決まるなら「身寄りの無い人は殺しても罪が軽い」ということになりますが、そのような社会になって欲しくないものだと思います。
(自分が直接見聞しない他人の不幸は「娯楽」でしかない等)「国家が命を奪うのはいけない」という思弁的な論理にほぼ立脚しているように思えます。
そのような方々が幾ら署名を集めたり、ロビー活動を
しても国民の理解は得られず、死刑廃止は実現できないと思います。
>死刑廃止論者の多くの方は他者に対する共感に乏しく
ここは、少し引っかかります。
遺族感情、抑止効果(効果があるかはっきりしていませんが。)
この2点について述べさせていただきます。
まず、遺族感情ですが死刑廃止論者の人も遺族感情を何も考えていない訳では決してありません。遺族の心に負った傷は決して犯人が死刑になったからと言って癒えることはないでしょう。それよりも遺族の人達に我々は、もっと別の方法でサポートや支えていく事が出来るのではないでしょうか。他者によって傷つけられても他者によって助けられる事は、たくさんあるはずです。遺族感情に対するケアをもっと工夫し創造していくことの方が重要じゃないでしょうか?
後、抑止効果です。抑止効果が仮にあったとしましょう。極悪犯人を10000人死刑できたとします。その中に1人だけ、冤罪者がいました。確立は10000分の1です。さて、善良な市民は世間の治安の維持の為に犠牲になってしまいました。多くの人達の利益の為に1人が犠牲になるのは仕方ない事でしょうか?
日本の安全のため、沖縄は我慢しなさい。
はたしてこのような社会が良い社会でしょか?
やはり、少数者の人達(他者)に対する共感を持つ事は大切です。
>遺族感情に対するケアをもっと工夫し創造していくことの方が重要じゃないでしょうか?
私も同感です。欧米ではNPO等が遺族感情ケアに
尽力しているらしいですしね。
2 抑止効果
>多くの人達の利益の為に1人が犠牲になるのは仕方ない事でしょうか?日本の安全のため、沖縄は我慢しなさい。はたしてこのような社会が良い社会でしょか?
私もそのような社会が良い社会とは思えません。
しかし、現時点では払わねばならない社会的コスト
という認識です。
3 まとめ?
ハンムラビ法典や江戸時代の仇討ちのように人類は
「殺されたら殺し返す」というルールでやってきました。近代になり「殺し返す」を国家が代行するようになった・・・それが死刑制度の本質だと思います。
人間の制度なので当然に不完全です。たくや様がご
指摘のような遺族感情ケアその他の死刑制度の代替的な社会的な技術・制度が発達するまでは日本では死刑
制度は続く気がします。
> この立場から考えると、仮に今回、本村氏が「考え>に考えた結果、私は犯人の死を望まない」とでもメ
>ディアに対して発言していれば、日本の歴史が変わっ>たかも知れないという点が、少し残念だ。
お言葉ですがそういうのは「会社(経営者)が
しっかりしていないから株主の自分が利益を得られな
い」というのと同じではないかと思います(会社(経
営者)に期待できないならその株は手放せば済む
事)。被告の元少年は(犯行当時未成年という事か
ら)未だに顔も実名も出ていませんが(自分は別に知
りたくもないが)、そういった事も含めて本村氏には
「殺した(元)少年の命どころか(あるかも知れな
い)更正に比べれば殺された妻子の命など取るに足ら
ない」と言われ続けてきたような思いがあるのではな
いでしょうか。今の流れになったのもごく最近で、
「変る時には案外無節操に変る」のが日本の特徴です
から、また何時ひっくり返るかもしれないと思ったら
おっしゃられているような事は言う気にはなれないの
ではないのかなと思っています。
それから死刑の重要な目的は「仇討ちの抑止」であ
り、それは「犠牲者遺族の報復感情を満たしてあげ
る」などというものでは無く、「動機が仇討ち等で
あってもあくまで殺人であり、行う者には死刑をも覚
悟してもらう」という事です。軍隊では「敵前逃亡は
死刑」なのは「もしこれが懲役程度なら『命あって
の物種』でやる者を止められない」からですが、同様
に「刑務所に行けば済む」程度では「仇討ち(を含む
恨み目的の殺人)」をしようとする人を止めきれない
のではないかと思います(「そのためなら"本気
で"死ぬ事も辞さない」人間より少なくは無いので
は)。
もし今回被告の元少年が死刑にならず、仮出所後に
本村氏が"本当に"殺害した場合、本村氏にはどう
いった刑罰を課すべきであろうか。
「死刑されること自体を主目的とした無差別殺人」の増加の問題を考えるべきではないでしょうか。つまり、自殺の変種としての殺害行為です。
死刑制度が存置される限り、この事態には歯止めがきかないと考えるべきでしょう。兇悪事件の抑止を最優先としたときに終身刑の導入のほうがかえって効果的なのではないでしょうか。
「被害者の遺族の気持ちを考えろ」という情緒的な存置論への個人的な返答としましては、最愛の人物が犯罪の犠牲になったとしても国家権力による殺害を望まない決意をここに表明します。また、私が犠牲者になったとしても同様。犯人の死刑は望みません。
>(自分が直接見聞しない他人の不幸は「娯楽」でしかない等)「国家が命を奪うのはいけない」という思弁的な論理にほぼ立脚しているように思えます。
直接見聞きしないと語れないというのでは、殺人について語れる人はほとんどいなくなってしまいますね。ましてや、男性が強姦について語ることもできなくなってしまいます。
>ハンムラビ法典や江戸時代の仇討ちのように人類は
>「殺されたら殺し返す」というルールでやってきました。近代になり「殺し返す」を国家が代行するようになった・・・それが死刑制度の本質だと思います。
幸いなことに、法律関係者の多くはそのような発想(応報刑論)で死刑をとらえていないようです。
真摯なコメントありがとうございます。
率直・正直・直観的に言うと、人を殺したことに対しては自分が死んで償うしかない、という感覚が、私にもあります。これは、言わば神のような客観的な視点からのバランスの取れた秩序感覚ではないかと思います。
ただし、罪の判断に関して、人間がどの程度完璧であるかについては、大いに疑問があります。
また、仮に犯罪者の罪に対する償いを社会≒国が代行することが正当化されるとしても、必ずしも無謬ではない国が、完全に正しかった場合にのみ正当化される罰則を100%行うことが必要、あるいは適切なのか、という問題があるように思います。
95%か90%か、或いはもっともっと小さいか、人によって判断はちがうでしょうが、社会≒国が100%までやらなくてもいいような気がします。
もっとも、このように考えると、何人かの方が指摘されるように、日本の場合、「無期懲役」が、曖昧で、往々にして実質的に軽すぎる点に大きな不備があるように思えます。
また、一度判決を与えたものに対して、「恩赦」という曖昧な裁量があとから加わることは健全ではないと思います。「恩赦」の大半は、選挙違反のためにあるのでしょうし、「無期懲役」を本当に無限の無期にして、あの下らない「恩赦」を止めたなら、死刑が無くとも、かなりの抑止力はあるように思います。
司法の仕事にされると困りますね。身内の事は国任せにはできません。
現代は、あらゆるものを制度の中組み込もうとする誘惑が強い時代ですが、おそらく人の生に突然現れてくる不幸と不条理を公的な制度で「ケア」することには限界があると思います。公に「ケア」することが個人から生きる意義を奪ってしまう臨界点がなぜか必ず存在するからです。辛いことですが、司法制度に万能のビックパパを求めず、歴史的な知恵の集積ではあるが、限りあるサービスとしてそれと付き合っていく他は無いと思います。
死刑だけをどうしても存置したいのであれば、殺人を終身刑にして、強姦を死刑にすればよい。殺人だけが、罪ではなかろうし、強姦は殺人以上に残虐だ、という考えを論破することができるならしてみろ、と思う。殺人の被害者には、男女、どちらも当たり前になってしまうだろうが、強姦の被害者の多くは女性だろう。女性を守ればいいでないか。強姦は死刑、少女を強姦した場合は、公開処刑、変態兵隊アメコーの処刑に、みんなで弁当もってでかけていけばええではないか。大陸で、日本人はそうやってきた。チャンコロが殺されるというので、弁当をもって見物に行ってきた。
被害者による報復を、国は代行しない。敗戦時、アメリカ人の3割を超える人々、アジア人の多く、は、天皇様のタマとったれ! と叫んでいた。山崎◎◎を撃て!と叫んだ神戸の変なおじさんもいる。応報というなら、国家など持ち出しても無意味だ。国は、特定個人を救済しない。北九州で餓死したオニギリ男の復讐権を代行する物好きな人は、いない。せめて、小泉や竹中や真壁をいじりたおしてやることぐらいしか、わしにはでけない。
店主の田舎に逃げていった旅好きの女が、金子の読み方を教えろというので、とりあえず、どくろ杯を読み直した。ケツで漫画を読む麻生ポン太郎や、ケツで小説を読むアタッタクチャーンス児玉清でなければ、この本から引く一節は、ここしかなかろう、解説で中野孝次も、やっぱり取り上げている。
「必死に浮びあがろうとするものの努力に手を貸す行為は花々しいが、泥沼の底に眼を閉じて沈んでゆくものに同感するのは、おなじ素姓のものか、おなじ経験を味わったもの以外にはありえない」
この文章には後半があり、その最後は、「地獄とはそのまま、天国のことなのだ。」と閉じられている。犯罪者の魂も、犯罪被害者の魂も、ともに救済されねばならない。ただ、誰かに、救済でけるわけでは、ない。地獄を生きるとは、そういうこっちゃね。どくろ杯の金子は76歳、詩人。死刑囚永山が76まで生きても、よかったのではないかと思っている。ちなみに、文庫どくろ杯のシメはこうだ。
「こんな人間には、誰もかかりあわないことだ。避けることだ。」
「小さな国家」「夜警国家」で最後に国家が担う刑罰が死刑になるでしょう。
賠償金で片が付くような案件は金でつければいいのですが、そうはいかない最後の部分。それが死刑でしょうね。
天網恢恢疎にして漏らさず、で民心の安寧と秩序の維持をもとめる場合、「悪い人は最後には裁かれるんだよ」を実現するための社会システムの実在を皆に示す必要がある。
そして下される刑罰は過半数が納得しないといけない。「全員が納得」ではないですよ。
なので、死刑廃止論者が大多数で無い場合は死刑は必要です。過半数を占めるなら廃止してもいいでしょう。
民主主義なら、それはベストではないけど、ベターではないですかね。
私は基本的に「死刑?どうでもいいんじゃない?」派なんですが、ときおり「死刑になりたくて殺人を犯した」という記事をみる(最近は脱走した自衛官がそのように言っていましたし、古くは池田小?事件もそんな話でした)と「こういうのを抑止するためだけに死刑を廃止してもいいんじゃない?」という気もします。
戦後「死刑になりたくて」殺人を犯した人間の被害者と、「死刑になった」加害者の数ってどっちが多いんでしょうね?
#途中までコメントを読んでいたんですが、後半は読んでおりません。似た意見がありましたらご容赦_(o)_
それはそうと、抑止効果というのが気になります。人間は本質的に死ぬのがいやなので、死刑には根源的な抑止効果があると思います。それでは、それ以外の刑罰には抑止効果が無いのでしょうか?たとえば、無期懲役。抑止効果がアルかどうかは正直言ってわかりません。少なくとも殺されはしないでしょうが、「生き地獄」という言葉がありますが、そのぐらいつらいものかもしれません。逆に、いわゆるワーキングプアーの方がつらい生活かもしれません。要するに、死刑以外の刑罰がどれぐらい大変か実感できないので、本人の想像力次第では抑止になったりならなかったりするのではないかと思いました。もっとも、死の感覚が麻痺している人にとっては死刑すら抑止にならないかもしれませんが…
そもそも、このように犯罪行為と刑罰の間で損得勘定している時点でダメな気がします。本来、どんな理由があろうとも、犯罪はやってはならないもののはずです。損得では無いはずです。だからこそ、昔の人は現世で悪事を働くと、地獄に落とされて釜ゆでにされる、等々の非科学的な理由付けを行ったのかもしれません。地獄のつらさは想像できませんから。
要するに、野蛮な国と看做されているということです。
あと、身内が殺された時を考えてみろ、と死刑廃止論者にいう方々が世間には多いですが、
「自分の妻(夫)に殺人の容疑がかかっていて、自分は妻(夫)のアリバイを証言できるが、近親者であるため証拠採用されない」
という状況に自分が置かれた場合を考えてみると、正直心が揺らぎます(私は死刑存置論者ではあるのですが…)
被害者が自分の手で犯人を殺しても、死刑にならない様に死刑を廃止したらどうでしょうか?
殺した相手が真犯人でなくとも、その場の被害者の過失を立証できれば傷害致死、真犯人であれば無罪。
これでみんな納得!しないでしょうね。
私も嫁さんと娘がいますので、今回と同じ事件の被害者になったら本村さんのように冷静に対処できないと思います。絶対この手で殺すという感情は一生消えないと思います。実行しないで一生生きていけるか?という自信もありません。
被害者感情で言うと私的なこんな結論になります。
私は法学部卒です。法律は現在の社会から見て20年遅れだとゼミの先生に教えられてきました。
最先端は現在の社会、その10年遅れて政治、その更に10年遅れて来たところに法律が出来ていると。
なので、法律は曖昧にしか条文が制定できないのだと教えてくれた○教授の授業を思い出されます。
自称仏教徒のてっちゃん言うには、慶大駒村センセの論考は、すんばらしいそうだ。駒村センセは、「自然権のなかに報復権が含まれ得ることを認める」らしく、「国家の野郎が、その報復権を個人から奪いやがった」、からして、「国は、個人の報復権の代理履行義務を負った」んだとよ。で、「死刑は、国家が個人の報復権を(本人になりかわり)適正かつ安全に代行する制度」だそうだ。ほんでから、てっちゃんは、駒村センセに論示されて、死刑の存廃を問う議論が進化ばするとよかね、とかノンキに言っているわけだ。ノンケかどうかは、知らん。まあ、代理報復論もわからんでもないんだが、仏教徒を代表するような犬面でテレビに出るなら、朝から晩まで、「仏教徒に死刑は執行でけましぇーん。報復など、犬面の仏教徒には、絶対にできまっしぇーん」、と、それこそ念仏百万遍よろしく、唱えとけっちゅう、話や、犬面のてっちゃん。この話は、以上終わり。
さて、個別の「ケース」について、顔が何に似ているかまで持ち出して語る店主ほどには、下品ではないわしではあるが、しょせん外野だから適当に話を追加しとこ。まず、死刑存廃の議論、ではない、のよ、このケースは。このケースは、あくまで、「基準、の変更の理由はなにか・基準、を変更してよいか」、の問題であり、少年とはなにか、の問題なのであるので、その文脈で、各自、どこかのタコ社長をみならって、内観されるとよろしかろう、と思う。
ひとつ、大事なことは。三審制をとっているといっても、裁判官というのは、個別独立した一裁判官(権力者)として判決を下している、ということね。下級、上級は、最終的判断に至る過程であって、裁判官は、あくまで裁判官、なわけ。一審、二審、無期。この判断は、最大限、尊重されなければならないのよ。裁判官は、法律と判例に照らして、無期、の判断を下しているわけ。大衆のリンチではないの、反人権派が大嫌いなアカには絶対になれない「裁判官」の判断、なわけよ。ノンキに死刑廃止を唱え続けるわしや、なじぇか銀ちゃんの連れ森達也ではなく、過去に死刑を言い渡してきた、裁判官さま、が死刑を回避しとるわけ。永山ケースにおいても、実は、ここに問題があったわけ。無期から死刑、と言う判断は、過去にないもの、だったわけや。死刑から無期、なんとなく、こちらの方が座りがいい、という感覚は、ないかね、みなはんには。
まず、判例を軽視して、基準を変えてしまう、ことの問題。新しい基準は、本当に、妥当な基準か。それから、その基準が変わるプロセスは、本当に妥当なもの、であったのか。ことは、死刑。鬼畜と罵られても、弁護なり主張なりを続ける、他称人権派の言うことも、ちったあ聞いてやれ、とわしは思う。どっかの国の、アホ空幕長みてーに、裁判官さまの判断だと? そんなのカンケーネー、などと宣っていてはやね、やっぱし、「死刑も廃止、軍備も廃止」、した方がええ話になるわけや。死刑を存置したいなら、それはそれでそれなりの仁義がいるのでありました。カンケーネー話では、ありまへん。
なるほど、目からうろこでした。
非力ながら要約させていただきますと、「今回の判決は、理性のタガがぶっ飛んでるじゃん!」ということですね。
おそらく理性は20世紀中葉頃に迷子になってどっかに行ってしまったのですよ・・・。
死刑推進論者の方の意見を聞いていて、感じるのは、「自分や身内が加害者になる可能性」を全く考えていないことです。良く、身内が強姦されたり殺されたら…と言いますが、逆に、身内が犯罪を犯したとき、死刑を願うでしょうか?犯罪を犯した人たちは、自分とは全く種類の違う人間だ、という視点は危険だと思っています。
私自身の中では、正直言って、結論はでていません。刑務所の様子を聞いていて、この場所が本当に更正に役立つようなところなのか?疑問に感じることもあるからです。寝食に困らない、それなりの娯楽も許されている…社会と切り離された孤独という苦痛はあるにしても、死刑囚と無期懲役の差は歴然としています。
本当に、難しいです。私の中では結論はでないです。ただ、言えることは、人間の命を選別したり、軽視するような国家は、いずれ、私たち自身の命を選別したり、軽視したりすることになるということです。死刑積極論者は今の国家に対して、絶大な信頼を置いているんでしょうね…
第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
犯行時少年 18歳と1ヶ月
以上。
死刑が量刑の問題とするなら
多額の公金横領等の経済犯罪にも
積極的に死刑を適用してみては
いかがでしょうか?
労働者は自分の時間(=人生=命)を
交換して金銭を得、
税金を納めているわけですから。
問題提起2.
人生には不条理を受け入れなければ
ならない状況が出てくる場合があります。
犯罪被害。自然災害。事故。
誤審による死刑判決の可能性など
そもそも時間を割いて議論すべき
問題でしょうか?
人生の中の他の不条理に比べれば。
国民の応報感情を国家が管理している以上、しっかり応報していただきたいものです。
国民の嗜好も多様化しております。刑罰も加害者の視点にたって、カスタマイズしてはいかがでしょう。毛虫がキライな人には毛虫を、饅頭こわい人には饅頭を、納豆が苦手な関西人には納豆を。死刑にしてほしい、注目してほしい人は鳥●県か島●県あたりでひっそりと地味~な農作業など。
どういう刑罰がいいか、裁判員のみんなで考えると、ちょっとは「やってもいいかも」という人が増えるかもしれません。
また、J●西ニホンの幹部の方などには、コ●労いぢめで培ったノウハウを提供いただくなど、民間の叡智を活用すべきです。梅の木の植え替えで駅舎の周辺をぐるぐる、なんて、結構使えそうです。作業員さんも大好きな奥●さんとか、更なる活躍が期待できそうです。
作業員さんなら、どんな刑罰がいいでしょう?刑の名前は「しょぼーん地獄」と決めてありますが。
業務連絡:作業員さん、作業員さんの文学論に触発されて、折口信夫読み始めました。
この社会のことわり(理)とか法理を破る行為のうち、とりわけ人殺しを犯した者に対しての死刑は社会のシステムとしてビルトインしておくべきと思います。
殺人者が更正する段取りを用意するために殺された人が存在したわけではないこと、極刑が抑止機能も果すだろうこと、被害関係者の私的復讐を禁じること、基本にあるものは、以上の3点ではないのでしょうか。 殺人者が処刑されても被害者が蘇り苦しみから解放されないのと同様に仮に殺人者が更正したとしても償いが出来るわけでもない。
真性殺人者に対して基本的人権のうち生存権を除き法律上の縛り(保護)として、「疑わしきは被告人の有利に」と「残虐・過剰な科刑の禁止」及び「適法な裁判の確保」があればこれで充分と思うわけです。
光市の事件も然り、福岡の飲酒運転による子供殺害や子供を橋から川に投げ落とした殺害、保険金目当ての殺害を犯した者達に対して、人から奪った生命権を守る必要性を納得的には考えられない。
死刑執行者官は社会使命のある職業上のことでありお願いするしかない。 殺人犯を逮捕拘留訴追する職業にも敬意を払いまた同時に職業上の虚偽は許さない、真剣真摯な仕事を切にお願いする(しかない)。
ひとごと・他人の不幸の傍観でもなんでもない、自分にも直接関係する人間社会の守るべきルールの最低限の一つではなかろうか、とそう考えるのであります。
冤罪は避けねばならない、しかし人間することゆえに間違いもあるかも知れない、それだからと言って真殺人犯の生命まで守る必要は上述の理から無いと理解しておりこれで納得出来るのです。
私は何人も法によって公平に裁かれるべきだと思います。仮に私が強姦殺人に匹敵する凶悪犯罪を起こす時は死刑覚悟で実行します。身内が凶悪犯罪を起こしたら死刑を望みます。凶悪犯罪者は生きるに値しません。
>死刑積極論者は今の国家に対して、絶大な信頼を置いているんでしょうね…
私は死刑支持者ですが、国家はダメなものだと思っています。人間が不完全な存在である以上、国家も不完全です。死刑に代替的な社会的制度・技術が発展するまでは不完全な国家による不完全な死刑もやむなしと考えています。
>「死刑されること自体を主目的とした無差別殺人」の
>増加の問題を考えるべきではないでしょうか。つま
>り、自殺の変種としての殺害行為です。
それ以前に「自爆テロ」というのがあります。そう
いったものに対しては「そいつを殺してでもそれを阻
止する」しかないでしょう。それはもはや「既に
行った行為のみを対象とする」刑罰のカテゴリではあ
りません(殺人"未遂"や凶器準備集合罪で死刑はない
でしょうから)。それはロンドン同時爆破テロの後に
無実のブラジル人青年が射殺されたような「誤審によ
る死刑」とは違う形で「罪なくして殺される可能性を
はらんだものです。それとどこかのブログで「もし死
刑が廃止されたなら、受刑者は脱獄の際に刑務官を殺
害する事をためらわなくなるのでは」というのを見た
記憶があります(生きていれば再び脱獄のチャンスは
あるし、もし終身刑の囚人ならそれより重くもなりよ
うがない?)。
かつての中国では汚職は死刑どころか「疑われただ
けで自決強要」でしたが、それでも官僚機構の肥大化
や腐敗堕落を止めるには充分ではありませんでした。
それは「(平和裏の)政権交代が無い」「行政府の予
算と知事個人の財布との区別が無かった」という"制度
欠陥"に基づくものではなかったかと思っています(知
事を何年か務めれば一財産築けたのだから汚職が蔓延
したのもある意味当然?)。又江戸時代鬼平こと火盗
改の長谷川平蔵は人が犯罪に走る動機として「食べら
れない(飢えて死ぬか死刑で死ぬか?)」事が大きい
事を理解していたので、「(ボランティアではなく政
策としてはおそらく世界初の)犯罪者の更正教育施
設」の人足寄場(だっけ?)を作りました。尤も上司の
老中松平定信が「犯罪者は懲らしめねばしめしがつか
ない」という考えから一歩も出なかったので運営費用
の捻出には相当苦労したようですが。ですから死刑を
廃止するには「死刑によらない解決法」「死刑を必要
としない仕組み」といったものが必要で、そういった
ものは「死刑を廃止せよ」と言う側が提示する必要が
ありますし(刑事裁判では検察に立証責任があるよう
に)、もし「終身刑の導入」を考えているのならそれ
への批判も受ける必要があります(ドイツでは死刑に
代えて終身刑を導入したが、「生きながらの埋葬」と
いった批判を浴びてそれも無くなり、結果いかな
る凶悪犯罪をしようともいずれは社会に帰ってくるよ
うになった。又日本の法務省は「その受刑者の面倒を
見るのは結局自分達」とペットを飼いたいとせがむ子
供に対する母親のような態度のように思える)。しか
し死刑廃止論の多くは「死刑は残虐で非人道的だから
止めろ」というのに留まっているようなので「被告が
やった事とどちらが残虐で非人道的か」で議論が止
まってしまい、挙句の果ては「死刑を存続しようとい
う人間は人命や人権の大切さを理解しない(できな
い)人間だ」「殺人犯では無くその死刑を望む犠牲者
遺族こそが真に冷酷残忍な人間だ」と言う人間すら出
る始末なのではないでしょうか。
>また、一度判決を与えたものに対して、「恩赦」とい
>う曖昧な裁量があとから加わることは健全ではないと
>思います。
自分は「法務大臣による死刑の"握り潰し"」
「『正常な人間なら犯罪など行わないはずであ
る。であるから犯罪を行った人間は正常ではありえな
い』と言わんばかりの責任能力論」も止めて欲しいと
思っています。前者は自分には「行政権による司法権
の蹂躙」としか思えませんし、国家権力が法によらず
("良心"だろうが)個人の思惑で動く事の方がよほど
恐ろしいと思います。法務大臣が代わればどうなるか
分かりませんし。であるから今の法務大臣のおかげで
死刑廃止は「刑法改正による死刑廃止の実現」という
"真っ当な"道に戻れたのかなと思います。後者に関し
て言えば岡山駅で人を突き落として殺した少年が「発
達障害であった(らしい)」と言われていますが、た
とえそれで刑罰を減免されても「人を殺した」事実は
消えないしその少年が一生背負わなくてはいけない事
には変りません。ですから罪を犯した後で「実は」と
言うのでは無く、罪を犯さずに済むようにすべきでは
ないかと思ったりもします。それと少し前横綱朝青龍
に関し様々な診断結果が出た事を考えると、ああ
いった診断がどこまで正しいのかなとも思いますし
(それまで経験した事の無いプレッシャーにさすが
の朝青龍も多少は凹んだか?)。
私の意見への反論の形で自説が展開されていますが何やら無茶苦茶な方向に進んではいないでしょうか。
凶悪犯罪の抑止のために死刑存置は本当にプラスか? という問題提起を私はしているのですが。
>>ほとんど論議されないポイントの一つとして、昨今の
>>「死刑されること自体を主目的とした無差別殺人」の
>>増加の問題を考えるべきではないでしょうか。つま
>>り、自殺の変種としての殺害行為です。
> それ以前に「自爆テロ」というのがあります。そう
>いったものに対しては「そいつを殺してでもそれを阻
>止する」しかないでしょう。
自爆テロをしそうな「そいつ」をどう特定し、殺害するのでしょうか?
"24"みたいな話ですね。
重大事件を起こした犯人が
「長い刑務所暮らしをするくらいなら死刑になってやる!」
と犯行を重ねるような事態を私は憂慮しています。
私は、死刑は存置しておくべきだと考える者です。
大前提として、誰から見ても残虐にも故意に殺した人間には、社会の手続きを経て死をもって報いる制度を存置しておくべきだと思います。
その上で、
1:終身刑を設けることは選択肢が増えてよい。が、
それをもって、死刑が不要、とはならない。
(社会感情的には、冤罪の疑いや情状酌量への「選択肢」ができるわけで、逆に死刑が存置しやすくなるとも言える)
2:遺族=被害者ではない。臓器提供のように、事前に意思確認をしておくほうがベターだが、それでも殺され方によっては「考えが変わる」ことはありうる。
遺族と生前意思の両方が考慮されてよい。
(三審で毎回、本人と遺族の意思を確認して「死刑」とすべきである)
3:2、そして、遺族に対する物心両面でのケアがなされても(充実するべきである)、なお「死刑にしてほしい」のなら、国家が静かに代行してもよいのではないか。(個人的には仇討ちの選択肢も認めたいが)
4:「死刑存置抜きの終身刑」は、死刑にしたい遺族に「(国家が)あきらめろ」と強制する制度である。ずっと被害者を喪った気持ちの区切りがつかない状態を、無期にわたって強制する(犯人の暮らしを税金で保障した上で!)、まさに想像を絶する、このうえなく残酷な制度となる。
5:どんな行為にも絶対はない。が、犯人が殺したことに疑いのない事件ならば、そして故人の生前の意思と遺族の意志が、万感を含んで(誰だって人を殺す決断や動作はしたくない)それでも「死刑」としたいのであれば、殺人を抑止できなかった国家や社会に、何が言えるのだろう。
(「犯人」の貧困や病気や家庭環境への福祉の充実を国家や社会は努力すべきだ、しかし、それと死刑の存廃は、レベルが違う、また議論が別だと思われる)
検察と裁判官の人事交流や、取り調べの録画出来ないこと等、現状の司法の問題点がいろいろと指摘されていますが、この問題に対して政府はあまりにも及び腰です。死刑の是非というのは、既出の議論のとおり非常に難しい問題ですが、現在の日本はそれ以前の状態であると言えるでしょう。
宮崎のてっちゃんのような偽装仏教徒ではなく、ダライ・ラマ氏クラスの大人が多数存在していて、絶対に人を殺すな、戦争も死刑も自死も、絶対に人を殺すな、と幼少期から子供たちを洗脳して、それでもなお、子供たちが人を殺めてしまったら、それは、しかたないことですね、人間の育て方を間違えました、育てたのは、鬼畜でしょう(だからといって、死刑、にしろとは言いませんが)。
本ケース犯罪被害者ご遺族がたどりついたところも、結局、そこ、でしょう。社会を、犯罪者のいない、社会を、死刑囚のいない、社会を、死刑の必要ない社会を! 当事者は、心情を吐露されればよろしい、死刑を叫んで当然でしょう。しかしながら、当事者でない者(わし、ということでええが)は、ただひたすら、殺すな、と叫ぶしかないでしょう。
水はなんでも知っているそうです。殺せ、という言葉と、殺すな、という言葉で、どっちがきれいな結晶になるのか、誰か、実験してきてください。それから、スピリチュアルメタボ江原が、死刑に賛成しているのか、反対しているのか、誰か聞いてきてください。霊に復讐がでけるのであれば、復讐権を国が代行する必要は、ありまへん。
関係があるような関係がないような話をすると。水谷修は、最近、生き仏のようになってきていて、気色わるいほどです。水谷先生は、強姦されてできてしまった子供を、殺すな! と言っています。俺がなんとかするから、生んでくれ!、と言っています。殺せ、もいいでしょう、堕ろせ、もいいでしょう。しかし、小説家丸山健二なら、殺人鬼となった少年にも、「よくぞ生まれし!」と叫ぶでしょうし、夜回り水谷修なら、「いーんだよ、過去のことは!」と叫ぶでしょう。店主のように酔っぱらって、いーんだよ、グリーンダヨ、とか叫びながら、リーマンが娯楽で語る話ではないことだけは、事実でんな、死刑ってやつは。
>折口信夫読み始めました
わしは、女子穴とアナルと菊が好きなだけで、モーホーではないぞ。折口の句の境地には足らんが、わしの句でもどうぞ。
蒸し風呂アナルキストのなれの果て 作業員
失業ふぐり渡る風の冷たさ 作業員
【更生】
ってなんですか?
誰が望んでいるんですか?
死刑廃止論者の政治家は、凶悪殺人者が仮に数年後仮出所したら、秘書としてでも雇ってくれるのでしょうか?更生の一助として。
「山崎元」という名前で投稿された「作業員さんへ」と題するコメントは、私(管理者・山崎元)が投稿したものではありません。私は同姓同名の方に会ったこともありますが、恐縮ながら当ブログでは紛らわしいので、ご意見は別のハンドルネームで投稿して下さい。
作業員さんのコメントは、真面目なコメントであり、当ブログの管理者である私は、多いに感謝するとともに、個人的に気に入っています。作業員さんが、コメント書き込みを止める必要は一切ありません。
作業員さんに限らず、誰かのコメントに異議がある場合は、堂々と理由を挙げて、ご自分のハンドルネームを使って(内容によっては実名を要求しますが、それほどアツクなることもないでしょう)意見を述べてください。
よろしければ、この書き込みと2008-05-01 14:41:32のものも消しておいてください。>楽天研究員の山崎元様
ブログへのアクセスが日頃の3、4倍に増えているせいか、「山崎元」を名乗るコメントを投稿する悪戯者が現れました。ご不快だったかも知れません。管理不行き届きで恐縮です。
「悪戯は止めて下さい」という意味で、もとのコメントを残しておきますが、今後、私が投稿したわけではない「山崎元」のコメントは適宜気がついたら削除します。
当ブログは公開かつ無料の意見交換の場であり、また、暇人とはいえ、十分手の回らない怠け者が管理しているので、今後も悪戯や暴言などがあるかも知れませんが、お気になさらずに、引き続きお付き合いいただけると幸いです。
「2008-05-01 14:41:32のもの」を消します。
楽天証券経済研究所 客員研究員 山崎元
思えば、へっぽこ亀兄弟の、にわかボクシング評論から始まったのが、厠のフジオがらみで、なぜか死刑!の今日にいたるわけで、そないないきさつは、知らんでよろしかろう、誰しも。ひとことだけ言うと。わしは、今でも、店主が「新聞の通信簿」で、「偽装請負」を取り上げてくれたことを、義理、に感じている、工場で働いたことなど一度もないが。まあ、なんちゃって一宿一飯の恩義だけは感じとるわけや。わしはその筋の人間ではないが、その筋で、よく言われることがある。「愛嬌があって、言葉遣いさえちゃんとしてれば、殺されることはない」。まあ、殺されんように、気をつけないかんちゅう話やね、誰しも。店主、ご配慮、面倒、多謝。
ある意味、犯人にとっては、一思いに殺されるよりは、罪を背負って生き続けるほうが苦しいもしれないし、できれば仮釈放なき終身刑で「世間」が納得してくれればいいと思うわけですが・・。
たまに仏様のようになっている死刑囚の話も聞きますが、それは俗世間との接触を絶っている間だけのことでしょうし、ある種の犯人については、彼をむりやり「更生」させて社会復帰させても、彼自身にとっても、社会にとっても、お互いにいい結果をもたらさない可能性もあります。
死刑廃止論者は、一度でいいから【更生】について持論を披露していただけませんか?
経済学者の出番ではないでしょうか。飯代で、更正なり、厚生、を考えるのが、経済学者なんでしょうかね。どなたか、学者さまのご意見が聞きたいですね。
一人の命の損失は、二億とか三億とか、言われるのではないでしょうか。それは、犯罪者を含まない、とは聞いたことがありません。命には、価値、があります。経済学で計れる、価値かどうかは、トリクルダウン信者の土居くんか、敬愛する真壁っち、にでも答えていただけるとありがたいが、店主でいいっす。
過去において光市事件で無期の判決が出たとき、
「早く出してほしい。自らの手で殺す。」と本村さんはおっしゃったかと思います。
その時の世間の反応は大変に批判的でおおよそ遺族感情からは遠かったことを本村さん自身手記等で述懐なさっています。
「遺族感情を語る世論」に司法をゆだねる際の例として皆さんにも思い出していただきたいと思いました。
僕は「死刑」自体はあっても良いが、この国の「死刑制度」には反対です。
絶対必要だと言い切るには、国民側の刑法理解も、検察の立件手法も、警察の検挙数率も、もちろん裁判と世論の距離感も、とてもいびつに感じますし、信頼するに大いに足りません。
あらためますが、裁判員制度の意義は感じますが、機能はしないと感じざる得ません。
小生の教養が乏しいため、作業員様の引用元が分からないことも多いのですが、いつも作業員様のご意見を傾聴させていただいております。
反論に弁をもってせず、卑怯にも心理的な攻撃をかけてくる輩が現れたようですが、これも現代の人心荒廃の表れですので、これからも「野に叫ぶもの」として末永くご活躍ください。
というのが通説だと思います。
なぜなら冤罪防止の仕組みに金がかかるからです。
金で判断すべきかどうかというのは別に議論する余地があるとしても
日本でも専門家がコストについての比較をきちんとやるべきだと思いますね。
アメリカでは、1958年に、死刑は残虐な刑罰のおそれ、と取りざたされ、1972年、米最高裁は、「死刑は憲法修正第8条の残虐な刑罰」だ、として、違憲判決を出した、そうだ。のち、復活したりするわけやが。その残虐性、については、議論がなされているわけや。日本の死刑の「方法」というのも、当然、問題になる。殺し方、の問題も、大問題であるね。
現実に、袴田事件などに参加しているボクサーたちは、死刑廃止、を唱えざるをえないだろう。ちなみに、アメリカの(確定死刑囚)えん罪率、死刑囚全体の2パーセント、とする叙述もある。
さらに、おもしろいというとおこらりるが、アメリカの死刑廃止、の論拠には、「死刑はコストがかかりすぎる」、というものがあるんだそうだ。経済合理性など持ち出したら、存置に不利、になるんやなかろかね。談合には経済合理性がある、し、経済(経営)学的には偽装請負は「合法化」される、し、後期高齢者と団塊は、死んでしまえばええ、やろ、合理性で言えば。
死刑は法で明文化され
その執行を司法がになうわけですね。
立法府は国会(皮肉ではないんですが)であり
民主主義国家であるわが国においては
国という機関に死刑を執行させているのは
我々国民という事になります。
つきつめると
死刑廃止論者って
結局は「人を殺すのには嫌だ」
という極めて普通(ですよね)の感情を
吐露しているだけのでは。
量刑って
つきつめれば素朴な国民感情を
よりどころにすればいいのでは?
ご先祖がキリストを処刑した
過去を持つ人たちはともかく
私は悪い事をしたら地獄に落ちるという
素朴な信仰心を大事にしたいので
死刑制度存続に賛成です。
1つめの答は「全員有罪」です。悪人は絶対に逃がさないというスタンスなので、1人は冤罪かもしれないけど、9人の犯罪者は処罰されるので、社会的な安定を保てます。犯人が処罰されるという事実はそれなりに犯罪抑止力になると思います。2つ目の答は「全員無罪」です。なぜなら個人が国家や社会のために犠牲になってはいけないんです。たった一人の人権を守るために、僕らは大きな代償をはらってもいいよ、ってのが近代的な発想です。だって明日は自分がこの「たった一人」になっちゃうかもしれないんです。みんなが安心して暮らすために、たった一人をかけがえのない一人だと思って、自分のことのように考えてあげるべきでしょう。どちらが正しいかというのは、思想の自由もあるので、個々人にお任せいたします。
さてさて、これを踏まえて袴田死刑囚について考えてみます。被告がヤッたかどうかは、神と本人しかわかりません。だから裁判っていうのは、被告を無罪とみなしつつ、慎重に慎重に正しいプロセスを踏んで、ヤッた/ヤッてないを判定するんです。つまり正しいプロセスを踏んで検証したんだから、出てきた結論は正しいと擬制してるっていうことです。
袴田死刑囚の場合はどうもプロセスがずさんで、胡散臭いという話になった。本当のところはどうなんでしょう?っていうのは、もはや神と仏のみが知る話となってしまったのであります。裁判官も人の子だから間違えることもあるだろうし、だから判決が出た後でこういう議論がおこったりします。たとえ9人の極悪非道の人間を死刑にできなくても、たった1人の冤罪(かも?)に対して、不可逆的な間違えをしないために死刑を廃止する、という考え方は人権という観点からは大いに有効な主張です。
たしかに本ケースでは、被害者感情と加害者の素行から、死刑は必要という方向に流れやすいですが、こういう時こそ人権というテーマから冷静に考えてみるっても、バー・ヤマザキで相応しい態度だと思います。
まず誤字「更正」を「更生」に校正させて下さい。(恥ずかしながら、御指摘に感謝します)
仰る通り本当に難しい問題だと思います。
死刑制度支持の結論を文章にすると激しい印象になるとも思います、現状で私が考えるところは2008-04-30に投稿の通りですが以下の点が基本構造体のようなものになっています。
裁判員制度で召還された場合の思考・行動軸をどう持つべきか、私はこの観点から最近はこの問題を考えています。 その際最も恐ろしい事態は、確かにくまさん様ご指摘の通り無実の被疑者を極刑に処して仕舞うことでしょう、そしてそれは何としても避けるべきです。 それでは回避方法は無いのでしょうか?それともあるのでしょうか? 私はあるように思います。
第一に真犯人であるとの確証が得られない限り極刑の適用は避けることを主張出来る筈です。
第二に仮に死刑判決となって仕舞っても執行を延期させその間に再審を進める道も可能です。(無実であろうと考えさせる要素が多少ともあるのでしょうから)
第三には。これは難易度が極めて高そうですが、冤罪との心証を得た人(通常は弁護人でしょう)が無実を立証までは出来なくとも裁判官をして有罪ではなさそうだとの心証を形成することは可能でしょう。
死刑が廃止されていてもこんな困難をともなう手続きは不要とはならず、無期や自由刑であろうと又は軽い刑罰であろうとも誤判を回避する努力はせねばならず寧ろ手続きの厳格さ確立にはプラスなのではないでしょうか(無論その為の極刑制度ではないでしょうが)。
確かに日本では誤判や冤罪事件・再審事件が起きていますが、この約50年を見た場合真性の冤罪での死刑執行があるのでしょうか。
他国との比較や絶対数の多少で判断すべき問題ではありませんが、私は冤罪科刑が(本当に冤罪かどうか=即ち無罪との確信の判断も極めて難しいが)近年頻発しているとは思わないのですが認識不足でしょうか(出来れば参照すべき資料も教えて頂けますか)。
尚、光市の殺人犯に対する死刑の妥当性の問題は冤罪かどうかは全く関係なく(これは冤罪ではないと信じています)、犯行当時未成年であったことをどう斟酌すべきかの問題だと認識しています、これは切り離した論議が必要と考えます。
さて、皆さんは日本国憲法は死刑制度を容認していることをご存知でしょうか?
法律の専門家の方々からしたら、「そんなこと誰でも知っている!」と怒られそうですが、行政書士を目指して憲法を勉強していた時、私なりに「発見」しましたので皆さんのご意見をお聞かせいただきたいと思います。できれば、山崎元さんからもお願いしたいです。(贅沢な望みですね、ごめんなさい)
ワタシは死刑肯定派です。殺人罪は死刑でいいと思います。
人を殺すなら殺される事になる。とてもわかりやすい。相手を元に戻す事ができないから自分も同じ事になって償うのは形としての対価と言えると思います。
難しいのは、そこまでの過程だと思います。
そこについて議論はしていく方がいいと思います。
そして、死刑を国が執行するのは当然だと思います。というか、国にしてもらわなければ誰がやるのかといった話になりますし。
稚拙な意見かもしれませんが、相手の人生を奪ったのですから自分の人生を捧げて下さい、と言うことです。死刑を恐れない、望んでいる人にはしっかりと心の治療をして、まともになってから死刑を執行すればいいと思います。
私が、日本国憲法をまとめて読んだのは、たぶん、高校三年生の時の受験勉強が最後です。私は、憲法が死刑を容認しているという根拠となる条文及びロジックを知りません(私は、知らないことは、知らないと言う主義です)。
ただ、法律論として論理的根拠を示すのは困難ですが、戦争を放棄している現憲法を基に構築される社会にあっては、「殺すな!」(少なくとも正当防衛以外では)という原則が国にも貫徹して、死刑は存在しないしないという状態が秩序として美しいように私は思います。
>皆様
皆様のご意見は多様ですが、敢えて共通点を探ると、懲役刑、特に終身刑の罰則性が不十分であることがかなり拙いようだというポイントが見つかります。
将来出られる希望が無い終身刑は場合によっては死刑以上に苦痛でしょうし、受刑者の人権は大切ですが、懲役の日々は少なくとも我慢を要する罰則性を有しているべきでしょう。
おそらく、刑罰が単に更生を目的としているだけでは犯罪抑止力として不十分なのでしょう。
そう考えると懲役にもかなり残酷な面がありますが、懲役では受刑者が生きているので、原理的に後から修正しうるし、冤罪だった場合でも幾らか取り返しが利きます。
「えん罪の可能性があれば極刑を保留する」というのは、要するに判断を保留するということですね。裁判というのは判断するために行うので、裁判の意義を骨抜きにする危険性があります。また、罪の重さ以外の要素で量刑を決めるということで、被告を差別しているとも言えます。いっそのこと、死刑廃止で全員終身刑の方がシンプルです。そもそも、原理原則にしたがえば、「疑わしきは被告の利益に」で無罪ですよね。
>確かに日本では誤判や冤罪事件・再審事件が起きていますが、この約50年を見た場合真性の冤罪での死刑執行があるのでしょうか。
これは私は知りません。そもそも、えん罪であると分かれば刑は執行されませんよね。私が言えるのは、過去に争われたえん罪事件において、死刑・無期懲役 か無実かで争われるパターンはポピュラーであり、えん罪で人知れず死刑になっている人が存在する「可能性」はありそうだという推測です。満足のいく回答では無いと思いますが。
私自身は、死刑について立場を決めかねております。「目には目を、歯には歯をのどこが悪いの?」という質問に満足な回答ができません。ただ、言えることは、「えん罪をなくす努力をせずに、死刑推進を唱えることはナンセンスだろう」ということであり、現状の日本には、その努力をすべき余地があるだろうということです。
光市の件はあまりにも特殊すぎる事例であり、これを題材に死刑存続/廃止論を展開する意義は小さいと思います。できるのは、「少年の死刑の是非」ぐらいだと思います。
まさに人によるでしょうが、死刑のほうがさっさと苦痛から開放されるだけ懲役より慈愛に満ちた刑罰と判断する人もいるでしょうし、そういう判断をするような人は「死刑を望んで罪を犯す」人になるでしょう。その場合は釈放なしの終身刑が適当な処罰になると思われます。
死刑が適当な場合、終身刑が適当な場合それぞれが存在するのであり、道具としてはどちらもあれば便利で存在してしかるべきものです。
彼はまず、当然に復讐を考えただろう。制度としての復讐も要請しただろう。それから、復讐をなしえない自身と制度に絶望して、自死を考えたろう。制度がだめなら、自らの手で、とも考えたろう。それから、長い長い内観の果て、彼は、彼を死刑にすることが自分の役目だという境地に到達しただろう。それでも彼の自問は続く。あるケースの結果、死する人間の数がひとつ増えることに、どのような意味があるのか。彼は、死を受け入れている。彼の死は、私の死だ。
さて、外野にいるわしのような直情型の人間が、趣味として、死刑廃止を唱え、その趣味に、特定犯罪被害者等の方々を持ち出すというのは、いかに下劣か、分かっていただけると思う(頭はさげとく、すみません)。ただ、彼が仮に裁かれず出てきたとして、彼が道具を用意して自らの手で彼を葬ろうとするとしたとき、わしは、彼を止めようと思っている。人殺しなど、つまらないから、やめろ。道具を持ち出して・・・、と考えた男の顔が、わしだって、二人ほど浮かぶ。ギョーギの最終形に至らなかったのは、よかったのか、わるかったのか、それもわからない。森達也は、自身の無力さに、ただ溜め息をついているそうだ。わしはそんな境地にはたどりついていないただの暇人で、森の考える無力さと、彼の考える無力さが、同程度のものに見えている。
あるケースを、他のケースでごまかすのは、ペニスケースで大きさをごまかすようなもんだが。袴田事件の続きだ。
「はけないズボンで死刑判決―検証・袴田事件(GENJINブックレット (37)) 袴田事件弁護団」
冗談を言っているわけではないんだが、この事件の争点は、味噌にズボンを漬けたら、縮むのか、なのです。豚肉とか金やんのところのサワラとかじゃないんだから、ズボンを漬けても、食えましぇん、はけましぇん。
反人権派不治の箕輪は言います。(薬害だの偽装請負だの死刑廃止だの言っている)人権派は、フリーチベットのデモにでも行け! 心の底から、箕輪は、アホだと思います。人権派は忙しいのです。死刑廃止論者に間違いない、ラマちゃんの支援ぐらい、箕輪、おめーが行ってこい、と思うのです。世界がラマちゃんを支援するのは、彼の透徹した非暴力性、に魅力があるからであり、ついでに言えば、ラマちゃんが、死刑廃止思想の持ち主だから、でしょう。
反中、は、反共、とほぼ重ねて、問題をごまかすことができます。が、多くの慈悲深き仏教徒が唱えている、死刑廃止は、アカ狩りの対象にはできまへん。死刑廃止には、共産化という進歩主義を超えた、普遍性、があるのです。ですから、9割の支持があるはずなのに、その支持の声明自体が、揺らぎ続けているのです。早晩、死刑は廃止されます。わしの趣味でいうと、死刑が廃止されても、人を殺さない、ように内観を続けることの方が、重要だと思います。
反人権派ハシシタの師匠かどうかはしらんが、非弁活動で有名な西村鎮護国家先生は、「法律がなければ、女をおしたおしまくってやる」と言っていましたが、今もそんなことを思っておられるのでしょうか。内観をしてほしいです。なじぇ、法律がなければ、女をおしたおしまくってしまうのですか? あなたは。わしには、そういう趣味は、ありまへん。
自分の思いどおりに動かない者は、廃棄処分すべき間、という思想の持ち主には、人権という思想は、「うざい」だけの代物なのでしょうね。
私の厚かましいお願いにもかかわらずコメントを下さいましてありがとうございました。このような山崎さんの誠実な態度や、あるクイズ番組で見たフランクな人柄に触れて、私もすっかりあなたのファンになってしまいました。
さて、日本国憲法が死刑制度を容認していると思う根拠は、憲法第31条(法廷手続きの保証)にあります。
「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命(注意!)若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」 ( )内は私
これを素直に読めば、法律の手続きによれば生命を奪うことも可能だということになります。つまり、死刑制度を容認しているということではないでしょうか。
この憲法を作成した人も、この条文を作る時に死刑制度が頭にあったのではないかと想像しています。
私が死刑制度に反対するようになったのは、「死刑執行人の苦悩」(大塚公子著)を読んでからです。被害者と加害者という2つの視点からではない、新しい視点を与えてくれる本だと思います。機会があったらぜひ読んでみてください。
それは冤罪の可能性があるからです。今回の事件や池田小事件のように「誰が見ても」冤罪の可能性ゼロの事件もあるから、「誰が見ても」のケースのみ死刑を容認するということも考えられるでしょうが、しょせん人間の判断ですから信用できません。
ところで、冤罪と言えば痴漢冤罪。
ケースによっては、会社での地位、家庭での立場を瞬時に抹殺するのだから社会的殺人です。
「疑わしきは被告人の利益」の例外なんでしょうか、痴漢冤罪は?
私なら勘違いした被害者を殺したくなりますね。
まして大阪であったような示談金目当ての虚偽告訴事件に遭遇したら、被害者感情を最大限考慮してぜひ死刑にして欲しいと訴えますね。死刑にならないなら、出所後に私の手で殺すに違いないと思います。
> 「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命(注意!)若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」
ご教示ありがとうございます。
なるほど、これは覚えのある条文です。現憲法が、この条文から、制度としての死刑を用意しうる憲法であることは良く分かります。
敢えて、死刑廃止論の側から読むと、「法律の定める手続き」の中から死刑を外してしまえば、現憲法と死刑廃止は論理的に矛盾はしないということになりますね。
いずれにせよ、憲法もその下の法律も国民が決めるものなので、我々が、真面目に悩んで決めなければならないということなのでしょう。
死刑の「執行」という問題も重要ですし、懲役の実態及びあるべき姿も、死刑を考えるにあたっては避けて通ることができない問題です。この問題について結論を出すにあたって、自分自身がまだまだ知識不足であることを痛感します。
終身刑には下記の疑問があります。この疑問こそが
私の死刑支持の有力な理由の一つです。
1 刑務所の待遇はそんなに悪くないとも言える
刑務所での待遇は1日8時間労働・読書可能・風雨遮断可だったと思います。この待遇はホームレス、過労死・過労自殺寸前の人よりマシだと思います。これが
凶悪犯罪者の罪として妥当なのか・・・。
2 自由からの逃避を悪くないと思う者もいる
刑務所からもう出られないというのは我々の感覚からは絶望的だと思います。しかし、当人としては刑務所で暮らすか看守の目を盗んで自殺するかの2者択一となります。多様な選択が可能な自由からの逃避が可能となります。犯罪者が主体性があまりなかったり、自由や選択をもてあましていたら「僥倖」となる気がします。
-----ゆうじさんwrote
「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命(注意!)若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」 ( )内は私
これを素直に読めば、法律の手続きによれば生命を奪うことも可能だということになります。つまり、死刑制度を容認しているということではないでしょうか。
-----引用終わり
この、「素直に読めば」という憲法解釈は危険であります。
慎重に読むならば、あらゆる刑罰は法律の手続きを経なければならないということだけをいっているにすぎません。国家といえども超法規的に死刑とかしてはいけないよ、という条文です。むしろ国民の生命、生活を不当に脅かしてはならない、という趣旨のものですね。
法律的な手続きは絶対必要条件として定められていますが、法律的な手続きをすれば死刑もしてよい、というところまでは明言されていないわけです。よって、憲法で死刑が容認されている、というのは拡大的な解釈です。想定されているとはいえますが。
私はこれから家族サービスで旅に出ます。書き込みはできませんが、みなさまのグゥ!な議論を帰ったときの楽しみにしています。グゥ!
返信有難う御座います。
更に考察は深めてゆきたいと思います。
仮に光市の事件に裁判員として直接参加したらどんな結論を自分なりに出すかを考えると刑法に規定のある死刑判決を以ってのぞみましょうし、死刑制度の存続・廃止への意見を求める国民投票が今日あれば存続に投じます。
殺人犯は己の生命を絶つことでしか、犯してはならない自分の犯した罪の重大さを身を以って認識出来ないと思います。(最後まで認識出来ない馬鹿も居るかも知れませんが)
死刑廃止に至る納得性のある理論がどうしても見つかりません。
死刑存続が絶対唯一の結論かと問うに、一点の間違いも無い理論構成を持つと言える確信まではありませんが、殺人犯を前に態度を保留(廃止・存続どちらが正しいか判りませんと)する必要性は全く感じません。
警察・検察当局による自白強要、証拠の偽造とか拷問、違法取調べの危険性が皆無とは言えない怖さ・気味の悪さも払拭し切れませんが、現代の社会組織と裁判制度の下でこれを防ぐことは可能と思います。
死刑に値する犯罪発生の可能性のある限り、そして疑義のある事件への刑の執行保留と再審が可能な限り死刑制度は必要と、現時点では、思う次第です。
戦争もやっぱりまずい。いっぽうで「殺すな」、いっぽうで「殺せ」、はないですよね。憲法で戦争放棄と戦力の不保持を決めた日本はこの点では文明国。その証拠に、なんとこの63年間、日本人は戦争で死なず、殺さずです。(その前のたった数年間で300万人も死んだのに)。野蛮でない国は、余計な人死にがなくて済む。
近頃の殺人多発を心配なさる方へ。実際には日本の殺人は減っているらしいです。多かったのは終戦直後で、戦場での殺人経験者がいっぱいいたからかも知れません。(ちなみにベトナム戦争直後のアメリカも同様だったようです)。
それから、殺される心配と言えば、ふつう(?)の殺人者にやられるより、エライ会社やエライ役所に殺される危険の方が桁違いに大きいので、私はそれが怖いです。こういう場合、犯行が明らかでも、犯人は逮捕されないだけでなく、殺人行為を止めることさえ容易ではないのだから。水俣病しかり。薬害エイズしかり。
石牟礼道子さんの「苦界浄土」を読んでみてください。豊かな漁場である海に、猛毒の工場排水を流し込み続け、そのせいで、おおぜいの、おおぜいの、人たちが悶え苦しんで死んでいく。殺され続けていく。それなのに、いろいろな理屈をつけて、その殺人行為をやめないんですね。やめさせないんですね。そして、何千人も殺された。障害を受けたのは何万人。
あの日、午後1時のNHKニュースで、光市事件の判決ニュースに続いて、「水俣病被害者救済策のチッソ負担分について、チッソは株主に説明がつかないとして拒否した」と報じていました。政府はさらに「受け入れるようお願いする」のだとか。あーあ。エライ会社の犯罪にも、もっと皆さん怒ってください。恐れてください。
少なくとも凶悪犯については、禅のお寺「よりマシ」な処遇をすることには、たしかに多少の違和感も覚えますが。
>更生するなんて有り得ない
そうも思うし、そうも思わない。ハマコーは、元ヤーコーが自慢ですが、ちゃんと更生して、テレビ(朝日)では、「模範的な大人」として扱われています。であるからこそ、テレビなどが、殺せ殺せ死刑死刑、を煽ってはいけない、と思うのです。死刑は、(店主も)どうせ最後は創ゆき、でおなじみの、雑誌創、で語るべきですね。
憲法の話が出ています。なんちゃって関西人勝谷と偽装仏教徒宮崎の人権派狩り、だけを垂れ流しているテレビは、殺人鬼と同程度に狂っていますので、わしは、反人権派も少しいじりたいと思います。ドサンピンハシシタの師匠かどうかはしらんが、非弁活動で有名な西村鎮護国家先生は、憲法について、「無効」、を主張なさっています、クソウヨと言ったらおこらりますが、右翼弁護士の中には、同様に、無効、を主張される方がおられます、ごく一部ですが。みなさんは、これら、反人権派弁護士の、無効説をどう思われますでしょうか、わしは、歴史に残るアホどもだと思います。
無効憲法下で、死刑を執行している、のですよ、鬼畜国家日本は。憲法は無効だが、なじぇ、死刑だけは執行されつづけるのですか? どうです、石牟礼という字が読めない程度には、反人権派は、アホでしょ。人権派が、賢い、という意味ではありまへん。人権派でない弁護士、など、存在しない、ということであります。押売のシンボーが垂れ流している妄想というのは、社会に害悪なる人権派の弁護士群がいて、そやつらを駆逐すれば、社会がよくなる、という幻想です。テレ朝より、バー山崎の酔い衆の議論の方が、まともだ、ということに、絶望的危機感を持つべきなのか、未来への可能性をみるべきなのか、まだ、五分五分ではありますな。
死刑廃止論者は、誰一人、凶悪殺人者の【更生】についての経済学的意味を答えられない。
死刑が野蛮?生かす価値がないから死刑なわけで。
冤罪の可能性?痴漢の冤罪と同一視してません(笑)?
もう少し、コスト意識持ちませんか?
だいたい欧州発の人権擁護の死刑廃止論なんてろくなものじゃない。なんたって欧州人なんて馬鹿だから。
CO2排出権取引なんていう経済学的に見て実にナンセンスなものをゴリ押ししてる奴らだからね。
国際的協調?こんな時だけ協調ですか?いつも自己主張せよのくせに。
立証が、不可能なのです。生かす価値があるかもしれないし、ないかもしれない。更生するかもしれないし、更生しないかもしれない。飯代の計算で、経済学を語っていては、いくら真壁先生でも、経済学への冒涜だ、とおっしゃると思います。解があるかないか、から議論をどうそ、では失礼。
凶悪殺人者の生かす価値って何なんでしょうか。『更生』して誰が得をするんです?簡潔に説明していただけませんか(いつも無駄に長いので)?
あとあなたは、死刑に値しない殺人者の“更生”にどのような手助けが出来ると思いますか?“更生”なんて社会の手助けが無ければ出来ませんから。“生かす”と言うのは、コストが発生するっていう常識が死刑廃止論者の思考にないんじゃないのかな?命の尊さだとか人権尊重だとかばっかり。財政赤字の中、出所しても生活保護のお世話になる社会の““お荷物””な殺人者を生かすという思考には、到底なりませんね、私は。
加害者の家族も大変でしょう。いっそのこと死んでもらった方が全うな生活が送れますよ。
「人命は地球より重たい」という名言(迷言?)がありますが、人命をコストで取り扱いたいのでしたら、まずは人命をお金に換算しないことには始められませんよね。人命をお金に換算するための計算式を明示してください。
コストは重要な問題です。終身刑なんてアホなことを唱える【エセ人権家】が最近増えつつあるようで私は危惧しています。それは、経済学を知らない、ア法学部を筆頭としたエセインテリの中で西洋かぶれのアホが吹聴してるキャンペーンなのに。
〉〉人命は地球より重い
しかし、殺人者は
人命+機会費用>地球
なんですよ。一般人が
人命>地球なのに、図々しくありませんか?
なぜ殺人者の命が一般より重くなっているのでしょうか?
ここで登場するのが【更生】という概念なのですが、誰もお茶を濁し答えてくれません。
ハンムラビ法典には目には目をとなっています。
人間なんともともと悪人なんです。だからモーゼも十戒を伝えたのです。飲酒運転の厳罰化で事故と劇的に減りました。所詮こんなもんですよ。死刑がなかったら、もし私の身内が殺されたら、私は絶対にその殺人者を必ず殺してやります。そして、悠々自適の刑務所生活を送ります。松本ちずおを見てみなさい。健康で長生きしているではありませんか。教祖のままだったら、とっくに糖尿病か脳梗塞等で死んでいるはず。
終身刑ではそいつらを生かすコストもとてもかかるし、第一更生するなんて、平和ボケした連中のマスターベンションでしかないですよ。人間は悪人なんですよ。有史以来。それを忘れたら、社会はなりたたなくなります。特に日本では宗教がないですよね。東大でベンキョウしませんでしたか。エリートと言われている連中としか付き合わないでいると、正しい判断が出来なくなりますよ。死刑廃止論は日本ではそぐわないです。
殺人者の【更生】の価値は、愛彦さんが仰るように、自己満足、敢えて言えば、相当の数の個人が満足する社会的自己満足のようなものに過ぎないでしょう。
ただ、「自己満足」にも、それなりの経済価値がありますね。それをいかに測るかですが、これは、たとえば同じコストを別のものに掛けるよりもこちらの方がいいという選択が明確になった場合の「別のもの」の価値とでも比較してみるしかありませんね。
たとえば、死刑囚を生かしておくことのコストと、北海道に高速道路を作ることのコストを考えるなら、自分の払う税金をどちらに使いたいか、というような比較をせねばなりませんね。前者を嫌う人も、後者を嫌う人も、両方を嫌う人もいるでしょう。
死刑囚が無期懲役になった場合、懲役でどれだけの「稼ぎ」を得るかが問題ですが、刑務所のコストを考えると、これを上回るだけ稼がせるのは難しそうですね。奥谷禮子さんみたいな非情な刑務所経営者が必要かも知れません。
では、お前はどうなのかと問われた場合、まだ死刑廃止に確信は持てないのですが、「国には正当防衛以外の人殺しの権利がない」という社会の一貫性を実現するためには、終身刑のコストに税金を回すのは悪くないように思えます。財源は、取りあえず、防衛費でも削って持ってきましょう。殺生にお金をかけないという種類の自己満足です。
中長期的にみて、日本は中国に侵略されるリスクが高い気がします。殺生にお金をかけず、チベットの二の舞にならなければいいのですが・・・。
生き死に、の問題ですから、なるべく避けたほうがよい、考え方、というのはあるかと思います。わしが思うのは、なによりも、「仏教徒に死刑を執行しろ、とせまったりするな」、ということです。それぐらいのデリカシーは、もてないもんでしょうか、死刑存置論者であっても。日本画家東山先生の名随筆に、筆を取り上げられてその手に銃を持たされたその悲惨を、みごとに表現したものがあったかと思います。わしには、画家の手から筆を取り上げて、銃を持たす、ことがなじぇできるのか、が理解でけまへん、国家でもないのに。国家が、そういう理不尽を強要してくることは、よくわかるわけです。死刑問題でいうと、存置論者が中共で、廃止論者はチベット自治政府です。現実、議論が9対1になるのが、自然なので、別に、どうしても死刑を執行したい人がいても、なーんも不思議ではありまへん。が、国家でもないのに、そないにいきりたつ必要はなかろう、と思うわけです。
犯罪者のいない社会を、死刑の必要ない社会を、死刑廃止を、彼を持ち出す気はさらさらありまへんが、このベクトルは、死刑廃止に向かうものです。大人が理想を語らないで、誰が語るのでしょうか、子供はアニマルダが、いわゆるタカ派の口癖でしょうに。
タカ派ついででいうと。中国や韓国に過剰に反応する人に、死刑好き、が多いのかどうか正確にはわかりまへんが、すくなくとも韓国は、死刑の執行をとめているのではなかったでしょうか。いわゆるクソウヨという人たちは、犯罪者は在日ばかりだ、と書き散らしたりしますが、死刑制度のあるなしにかかわらず、犯罪者が在日ばかり、なのかどうかというのは、おもしろい話だな、とわしは思います。比較文化的に、日本ではなじぇ死刑がいつまでも必要とされるのか、いくつかコメントがありますね。ちなみに、日本人は、「戦場で、もっとも心を壊さない民族」、と言われています。殺人に対する、肯定力の強さ、を精神に持っているのです、さすが、なんちゃって仏教国だと思うわけです。人殺しがすき、とまでは言わないですが、人殺しに抵抗がない、その理由というのは、後学のために知りたい気が少ししますな。
二秒で読む癖がついていたので、何が書かれているか、とばしていました。この表現は、殺人者がお荷物、なのではなく、生活保護受給者が社会のお荷物だ、という文脈ですね。本村くんに、彼に代わって謝罪します。本村くんはそないなこと言うてはりまへんから。本村氏、ごめんなさい。
銀ちゃーん、のつれの森達也に代わってメモしときます。彼は、健康ではありまへん。関係各位、失敬。
でも、一番わかる話が執行人の辛さですかね。
宗教的なものは日本はクリア出来ると思いますが、執行人のがいないとなれば廃止を訴える気持ちもわかります。
普通に考えればコストの問題ですけどね。
凶悪殺人者にどう価値を見い出すか、結局不明確ですね。だって小説家と凶悪殺人者なんて対になりませんもん。
凶悪殺人者に、その小説家並の価値とやらを見い出そうとすることが理解しかねます。
凶悪殺人者、その名の通り人を殺しているわけで、その償いとやらは一部被害者が納めた税金でお世話してやってのこと。これをコストと言わずに何というのか?
小説家と凶悪殺人者は対になります。国家から見れば、丸山というアナルキストは、非国民の巨魁であり、今すぐ処刑すべき人物です。とかくと、また長くなるので、まあ、永山則夫の本でも読んでみてはどうでしょうか。ちなみに、店主の連れの文豪村上は、元社長キングではないほうの、カズ、に対して、「おい三浦、ムショで、小説を書け」と呼びかけていました。そして、実際に、彼は、ムショで、小説を書きやがりました。ついでに言うと、文豪村上の口癖は、「人を殺してもやれる唯一の職業、小説家」、です。興が乗ったついでということで、さらに長くかくと、村上は、「小説家でなければ、自分の職業は、トラックの運ちゃん、しか浮かばない」と言っています。村上はうそを言っています、運ちゃんといっても、ポン中の運ちゃんだと、わしは看破しております。
さて、コストがまだ気になっておられるようですので、ベトナムに平和を! の時代までさかのぼってみましょう。あの時代に、おもしろい議論がありました。赤十字の医者どもは、なじぇ兵士を助けるのだ、というものです。兵士を助けると、拾った命で、また人殺しをするだけだから、兵士など全員死んでしまえばいい、という議論です。結論をいうと、医者だから、しかたない、全員助ける、と赤十字は言ったわけです。全員殺す、という人もいれば、全員生かす、という人もいるのが、世界であり、社会でしょう。そして、生き延びた人間の「表現」が、数十万の人々の命を救うということも、確率的に低くとも、ある、わけですね。
あと、その小説家は非国民だろうとなんだろうと人を殺ろしていないわけだ。どんな活動をしていようとやっぱり人を殺したのとは訳が違う。ナンセンス。興味もないので調べもせず。
ところで今日、なんの罪もない女子高生が強盗殺人でレイプされ財布を奪われ殺されましたね。犯人は捕まっても死刑にならないでしょうね。数年後出てくるでしょう。
作業員さん、山崎さん含め、犯人の更生にどのような手助けが出来ると思いますか?
※死刑廃止論者の方々、華麗にスルーすることなく是非ご意見をお聞かせください。更生には社会の理解と手助けが必要なのです。※
死刑が廃止になり、ホームレスが強盗殺人をしたらどうなるのかな?捕まるまで豪遊し、捕まったら三度の飯と寝床付き。生活水準が向上し、寿命も延びるかな?
>しかし、殺人者は
>
>人命+機会費用>地球
>
>なんですよ。一般人が
>人命>地球なのに、図々しくありませんか?
おっしゃる論理では、機会費用の符号が逆転する、例えば刑務所の生産性が大幅に向上して、独立採算が可能になれば、死刑にするより終身刑にする方が良いという理屈になります。あなたや、被害者の親族等は、それで納得されるのでしょうか?実際は、人権とか被害者感情とかもろもろをお金に換算しなければならないと思います。
余談ですが、私は「人命は地球より重い」とも思いませんが、人命はタダだとも思いません。「読売巨人軍は永久に不滅」だとも思いません。
死刑廃止論者の方は出所した凶悪犯罪者の社会復帰に
積極的に力を貸せばいいと思います。更生を信じているなら元強姦殺人犯を自分の娘の隣の部屋に下宿させてやることも可能なはずです。
更生更生とおっしゃいますが、更生プログラムのない法体系にかえろ、ということでしょうか。現在、死刑はちゃーんと存在していて、死刑でなければ、法律に基づいて、彼らは出てくる、わけですよ(個別ケースは、ケースが確定してからね)。更生させたくない、その信条をまず正直に吐露、すると、読者は理解しやすいのではないでしょうか。ちなみに、欧州のいくつかの国では、そりゃもうあんた更生更生更生、どぎゃんやつでも更生させるんじゃ、という、意気込み、だけは感じられる制度があるような気がしますが。すでに、死刑は、廃止、されているのですよ。出てくるのも、当たり前でしょう。再犯、の話なら、よくわかるのですが、生活保護、がコストというなら、店主とわしが、金を貸してやればええだけですね。という以前に、なんと読むのか読めないのがなさけないですが、愛さんは、本当に、永山ケースも永山基準も知らずに、当該元少年を、殺せ、と言っているのでしょうか? 別に、何かを知っている、ことは、自慢にもなりまへんが。
ひとつ、不思議だな、と思うことがあります。せっかく匿名で語れるのに、なじぇわざわざ、殺せ、と言うのか、ということですね、気分が悪いでしょう。わしが存置論者なら、ハンドルなら、殺すな!と遊んでみたりするでしょう。
コストの問題は、出てきた人間を全員チベット送りにする、でどうでしょうか、チベット僧にしてしまえば、もう人殺しはしないでしょう。
で、終わればええのだが、ながくなるのが芸のわしなので。日本でもっともチベット僧に詳しい藤原新也のネタを書いとこうと思います。山門の前で、すっぽんぽんになって、あちら側に入り、修行を始める、食べるのは、土くれ、にしか見えないものが日に、一度か二度、お湯に草が浮いたものが添えられるだけ。そういう修行を五年、十年、と続けて、すっかり悟っているとしか見えない僧が、満月の夜だったかどうか記憶があやふやだが、寺を駆け下りて、山門からこちら側に逃げ出す、ことがあるそうだ。人間は弱い、おっしゃるとおり、鬼畜かもしれまへん。更生も、期待する、に止まる、のは確か、かもしれまへんね。にしても、コスト、などで考えると、コストを負担する暇人が現れたら、自身の情緒が揺さぶられてしまうではないですか。楽天ミキタニは、イージス艦三隻分の資産を持っているのですよ、ミキタニが面倒をみれば、死刑は廃止してもいいなら、簡単なことですね、いや、だからこそ、簡単なことではない、か。人を育てるのに、金がかかるのは、よくわかりますね、人を育てない社会が、今、ですから。ちなみに、人を育てる方法として、店主は、「丁稚にだせ!」、と言っていました、わしは、会社が負担しろ、というオーソドックスな意見で、犯罪者については、社会が負担しろ、とまた教科書的、な話にひとまずして、あとは、店主に投げましょう。
機会費用の位置を間違えてしまいました。
永山基準、一応存じております。まったく馬鹿げた基準ですね。だから、法律関係者は、経済学者にア法学部出の何も分からないやつと言われる訳だ。
さて【更生】ですが、作業員さんの物言いだと出所して出てきたらもういいと。 私はあなた方死刑廃止論者に対して、死刑が思い通り無くなり終身刑が創設され、終身刑に値しない程度の殺人事件が発生した場合のことを述べているのです。【更生】は出所しただけでは終わりませんよね。就職し、全うな人間生活を送り続けて完結するものでしょう、形式的では無く実質的に。そこまでには多大なコストがかかるでしょう。様々な偏見、中傷…再び道にそれる誘因は様々でしょう。
で、あなた方死刑廃止論者は【更生】に何が出来るのかということです。
金を貸す、数千円貸したところで就職苦、生活苦、折れそうな心を立て直すことが出来るでしょうか?
さて、作業員さん、あなたに何ができますか?クドイ文章は不要です。述べてください。
無責任で机上の空論ばかり述べる死刑廃止論者には現実を直視せよ!と言いたいですね。就職斡旋も出来ないくせに。出所しても身内のお荷物、これが現実です。
私は死刑存置をすべきだと思うのですが、
死刑を廃止すべきだとお考えのかたは、
遺族が(被害者の生前の意思が加味されていればベター)、どうしても許せない、と思った場合に、
国家が強制的に死刑を選ばせない、という問題については、どうお考えなのでしょうか?
◎
私は、第三者や友人知人、周囲の人間が、「やめておいた方がいい」ということ自体は理解できなくもないのです、そういう勧めがあるのは自然なことです。
しかし、強制的に「死刑をやめさせる」ことには、どうしても抵抗があります。(死刑の廃止とは他ならぬ不完全な国家がそれを行う、強制するということです)
◎
殺人は、被害者や遺族にとって取り返しのつかない犯罪です。まさに、何をしても被害者が帰ってくることはないのですから。
だからこそ、犯人を静かに葬ることで、気持ちの区切りをつける、そういう選択肢、もっといえば「自由」は、あってもよいのではないですか?
なので、私は遺族が死刑を望む自由があっていいと思います。(そして終身刑もあっていいと思うのです。そのあいだ、遺族は態度を保留してもよいかもしれません)
◎
『裁く側は、裁かれる側(犯人)よりも、道徳的に優位にあるべきだ(死刑では殺人を犯すという意味で同類になってしまう)』
というのは、なるほどそうあるべきですが、
それゆえに死刑とは、法的な手続きをへて、犯人に罪の重さを見つめなおす時間をあたえ、複数の第三者的人間の面前で、命を絶つ、というプロセスがあるわけです。
被害者にふりかかる悲劇としての、犯罪「殺人」
より、実態として、十分に、道徳的に優位、といっては、言いすぎでしょうか?
※以上は、容疑者が殺人を犯した事実が確定している場合を前提にしています。冤罪については、死刑の廃止ではなく、事実認定の厳格化で対応すべきだと思います。
◎
逆に、死刑廃止派の方が、以上の観点に対して、遺族は犯人を「国家に任せず、自らで殺す(依頼を含む)べきだ」とおっしゃるのならば、
「自由」の有り様への、べき論として、個人的には、わからないでもないのですが…
遺族の希望で死刑になるということは、
遺族がいない場合には死刑にならないということです。
家族がいるものを殺した場合は死刑になるけれど、
身寄りのない者を殺した場合には刑が軽くなるというのは、
気持ち悪くはありませんか?
もっと言えば、
加害者が金持ちで、示談が成立した場合にも
刑が軽くなるということですよね。
私は、犯した事実によってのみ刑が決まるべきだと思います
死刑制度のあるなしには関係なくそう思います。
ご指摘のとうり、
「身寄りのない者を殺した場合に刑が軽くなる」のは
気持ち悪いと思います。
私も、被害者=遺族ではないと思っています。
ただ、犯した事実によってのみ、とも、個人的には言い切れません。
たとえば窃盗などについては、犯人の背景などが加味されることはあってよいと思います。
殺人についても、遺族の希望や被害者の生前意思が、
重視される意見としてあってもいいのではないか、と感じるところがあります。
ただし、遺族といっても色々です。たとえば、夫や、示談金を受け取りうる誰かが(重罰で禁止する方法もありそうです)、唯一の代表者ともならないでしょう。現実的には複数の異なる意見の遺族がでてくるでしょう。それでいいと思います。恋人や親友など、広い範囲で遺族と考えてもいいと思います。
そこで、死刑を廃止するということは、ある事件の個別の遺族や被害者が死刑を望むということ自体を、国家が強制的に一律に排除することになりませんか? というのが先述のコメントの主旨でした。
再起など図られてもコストがかかるばかりで迷惑だから死ね、というルールが適用されると、まず現状においてのホームレス、失業者、非正規雇用でカツカツの人、病人、老人、子供(←コストと迷惑の塊)そのほか諸々の弱者が殲滅されます。
次の段階では、残った日本国民の中で再び優位と劣位の選別が行われ、諸々の弱者が殲滅されます。
さらに次の段階では、残った日本国民の中で再び優位と劣位の選別が行われ、諸々の弱者が殲滅されます。
以下えんえんと続く。
『さあ、あんたは生き残ることが出来るかな?』
>作業員さん、山崎さん含め、犯人の更生にどのような手助けが出来ると思いますか?
人間はそう簡単に変わるものではないし、更生のために他人が出来ることは、せいぜい本人が考える時間を与えるくらいのことでしょう。加えていうと、更生したかしないかを判別することが極めて難しいですね。
ただ、それでも、更生する人はいるのでしょうし、そういう人が、一生刑務所で仕事に励む、というようなことが幾つかあれば、それで十分いいのではないでしょうか。
罪人が「絶対に更生しない」とは言えないし、国に殺人の権利を与えたくないし、ということで、目下、私は死刑廃止に傾いています。
(ついでに言うと、「戦争できる普通の国」化にも反対です。ここでは議論しませんが、戦争するくらいなら、侵略される方がましだと考えています)
死刑廃止にはコストが掛かるだろう、というご指摘もその通りですが、上記のような自己満足に共感する人がたくさんいたら、コストを掛けてみてもいいのではないでしょうか。
義務教育は受けられましたか?気は確かでしょうか?私は人殺しは死刑であるべきと主張し、その論拠として【コスト】と【更生】を出しているのです。分からないなら首を突っ込んでこないでください。
死刑とは切り離した話ですが、子供は最初はコストはかかりますよ。しかし、将来付加価値をもたらすので許されるのです。さらに将来を見越してコストをより多くかけるのです。生活保護者は将来付加価値を生まないだろうから役所に疎まれます。ホームレスは、未来永劫、付加価値は産み出しませんが、殺人リスクが低いと思われていて市民に危害を加える恐れがないので、道端に寝ていても無視されています。
遺族の感情は刑に反映すべきではないと考えています。
理由は述べました。
残りは被害者本人の感情ですが、
殺された後で被害者が意思表示をすることはありえないので
生前に自分を殺したものを殺して欲しいと表明した場合のみですね。
私の判断は弱い賛成です。
故人の意思は尊重されるべきだとは思いますが
死刑存置にまつわる様々な問題を全て覆すような物だとは思いません。
死刑を1件執行するのに3億ぐらいかかるといいますが
死んでから復讐してもらうよりも
そのお金を防犯に使って、殺されないようにしてもらいたいものですね。
>私は遺族が死刑を望む自由があっていいと思います
言葉通りに「望む」だけなら、その自由はあってもいいでしょうが(心の中の問題ですし)、死刑を望む「権利」は制度的に無い方がいいと思います。
もちろん、哲学的には、人を殺す(復讐する)自由はあり得るでしょうし、経済学的にも、自分にとってのコストを考えてその自由を行使しようとする個人(遺族)はいるでしょうが、社会としては、これを止めることが望ましいのではないでしょうか。
もちろん、いそいろな選択肢はありますが、「人はできるだけ殺さない」という原則が、人間が社会を構成するベースであるべきではないでしょうか。殺す主体が個人であっても、国であっても、同じ事でしょう。
>"24"みたいな話ですね。
「疑わしきは殺す(事も辞せず)」です。例を挙げれば
「テロ警戒中に警官の制止を振り切って逃げようとす
る人間を射殺」といった。単なる犯人なら捉まえれば
良いのでしょうが自爆テロリストなら「当初の目的が
達成できないのなら警官等を道連れに自爆」する事も
ためらわないでしょうし、後で「実は無関係」で
あった(他に疚しい事があったから逃げた等)事が分
かってもそれこそ「一度殺された人間を生き返らす事
は不可能」です。それと長崎県佐世保の銃乱射事件で
は犯人は自殺してしまいましたから死刑も何もあった
ものではないでしょう。それは「『するしないは最終
的には本人の判断に委ねた』以上『罰を厭わない
(死刑の場合は死を)人間には阻止力は無い』という
刑罰"それ自体"の限界」であり、死刑"だけ"に限った
事ではありません。「シャバでは食えないから刑務所
に行くために犯罪を行った人間」というのが再犯者の
中には少なくないそうですし、「自由よりも一生食べ
るに困らない事を選ぶ」「元は犯罪組織の一員だ
が犯罪組織に命を狙われるはめになった(おそらく一
生)。刑務所の中にでも逃げ込まねば組織の手から逃
れ切れない」で終身刑を求める人間も出るでしょう。
それと「死刑のためなら凶悪犯罪の厭わない」人間が
「死刑さえなければ何もしない」とは思えません。人
質を取って篭城し、「犯人の命か人質の命か」という
状況でも作るのではないでしょうか。その中には「終
身刑という"生きながらの埋葬"には絶えられない」と
いう人間もいたりして。
「するしないは最終的には本人の判断に委ねた」刑罰
ではダメという事になれば、「人に判断を委ねな
い、選択肢を与えない」しか無くなります。例えば銃
乱射事件や「隣人等のトラブルを、相手を撃ち殺す事
で解決しようとする人間」が後を絶たなければ「銃自
体を持たせないようにする(猟銃も含めて)」しかな
いでしょう。「撃ち殺したい奴がいるから」と許可申
請する人もいないでしょうし、狩猟のために許可を
取った人間が人に銃を向けない可能性が無いとは言え
ませんから(それこそ家族が犯罪の犠牲になった時そ
の犯人に向かって)。それは「あくまで狩猟のため」
という人間からも「持つ自由」を奪うという事です。
それかアメリカのように「銃に銃で立ち向かう」事を
"個人に"求めるか。コロバイン高校の銃乱射事件に関
し故チャールズ・ヘストンは「学校に銃を持った警備
員がいれば済む事」とか言ったそうですし(なら犯人
は裁判の死刑判決を受けた刑務官でも裁判所の許可
を受けた警官でもなくただのガードマンに殺され
る?)。これが「自動車」「酒」(飲酒運転等)「イ
ンターネット」(ネットいじめ等)となれば個人の自
由はどんどん奪われてより国家等に"依存"するように
なっていくでしょう。現にイギリスではテロ対策等の
理由であちこちに監視カメラがあるそうですが、それ
はプライバシーがそれだけ損なわれているという事で
す。
死刑廃止論者の言い分には「死刑(だけ)には当て
はまらない」ものが多いように見受けられます。
・死刑は残酷で非人道的-残酷で非人道的なのは死刑
ではなく殺人
・冤罪の可能性-冤罪は刑罰でなく事実認定の誤り。
無実の罪で服役させられた人に「生きて帰ってこら
れたのだからいいではないか」とは言えない
・死刑を執行しなければいけない刑務官-敵の兵士を
撃ち殺さねばならない兵士はどうなる
それは死刑廃止論者が「死刑"だけ"を見ている」から
そうなるのでしょう。そういった視野の狭さ(終身刑
ができればそれ自体が批判の対象になる他)を克服し
ない限り死刑廃止論が現行の支持者から支持を広げる
事は困難でしょうし、それにすら気付けないのなら死
刑廃止論に未来(進展)はないでしょう。
最後に「制度の変更は、定着すればそれが"当たり
前"になる」ものですから、「死刑の代わりの終身刑」
は死刑廃止が実現すれば"用済み"になるでしょう(死
刑に向けられていた批判が終身刑に向かう?)。終身
刑が定着するとすれば「人が(刑罰等を考慮して)悪
い事をしない事も、悪い事をした人間が反省して立ち
直る事も期待できない。だからそういった人間を社会
から排除する事で他の人間の安全を図る」という考え
からでしょうが、今死刑廃止論を唱えている人間がそ
ういった考えを受け入れるかは分かりません。
せめて経済のために人間は生きているのではないと、心もとないながらも思いたひ。
実際兄弟を殺された遺族の方が自分は兄弟だから親や子どもを殺された方とはその心情は違うかもしれないけれどと注釈をつけかなり慎重に現行死刑への疑義を呈したにもかかわらず匿名の無言電話のような嫌がらせを受けたそうです。臥薪嘗胆、犯人の死刑を願いひたすらストイックに遺影の前で手を合わせるような世の中が求める犯罪被害者像の押し付けを強く感じたとのことです。
だから本村さんが死刑廃止論を唱えていればそのまま逆に振れたと考えるのはちょっと楽観的に過ぎるのではないでしょうか。真に本村さんのためを思ってではなく自分の利害、それは個人であれば日々の鬱憤、八つ当たりの捌け口として福田被告は格好の対象であるし、国家(を動かせる人)であれば殺人権を担保できるという思惑が働いての今回の「本村フィーバー」だったと思います。死刑を”娯楽”として消費している人々がいるということです。
そのためには目先の死刑や戦争、軍備増強を
躊躇してはいけないと思います。
かつて英仏は目先の戦争を躊躇し、ヒトラーを
増長させました。その結果、英仏はドイツが欧州最強となった時点で戦争することになりました。
ヒトラーの軍隊が弱小なうちに戦争していれば
「人はできるだけ殺さない」ことが可能だったのです。
無期懲役を終えた殺人犯が出所後(仮釈放?)に
殺人を犯し、結局死刑になった事件が最近もあった気がします。彼を死刑にしていれば「人はできるだけ殺さない」ことが可能だったのです。
「人はできるだけ殺さない」ためにこそ
死刑、戦争準備が必要なのです。
> 死刑廃止論者の言い分には「死刑(だけ)には当て
>はまらない」ものが多いように見受けられます。
「死刑」だけが特殊なのですよ。死んだ人は生き返らない。これが全てです。やってしまったら、取り返しが付かないのです。非現実的ですが、死んだ人を生き返らせる技術が確立されれば、「死刑」と「その他の刑罰」を同じ土俵で論じることができるのではないでしょうか。
躊躇」しない側の良心性はどうやって見分けるのでしょうか。ヒトラーを”悪”と認識できるのは後世歴史を学んだ我々だからであって当時のドイツ国民は当然ヒトラーを”正義”と判断して全権委任にまで至ってしまっているのです。仰っていることは説得力のあるように見せかけて綺麗事を並べて大衆に訴える能力のある力を欲する野心家にはとても都合のよい論理です。
死刑にせよ、戦争にせよ”他者”に生殺与奪を任せてしまう危険なものです。少なくとも良心の担保を取れないのにそれを行うのは騙されてばかり、或いは騙されたこともない世間知らずのお人好しか権力に組している者としか思えません。
一番酷い例として宅間守元死刑囚がいますが、死刑になりたいといって犯罪に手を染めるものもいますね。世間に八つ当たりしつつ簡単確実な国の自殺装置を使うために殺された人はたまったものではありません。
>ヒトラーを”悪”と認識できるのは後世歴史を学んだ我々
英仏の側からするとベルサイユ体制を一方的に次々に打破している時点でヒトラーは「悪」だったはずです。英仏政府は国家百年の計としてヒトラーに
早期に宣戦布告すべきだったのです。
>死刑にせよ、戦争にせよ”他者”に生殺与奪を任せてしまう危険
そうですね。しかし、現在の国家には(独裁国家を除き)死刑執行・戦争開始には社会的なルールがあります。それは不完全ではありますが、神でない人間には
仕方のないことです。人類の進歩を祈るばかりです。
>騙されてばかり、或いは騙されたこともない世間知らずのお人好しか権力に組している者としか思えません
私は一介の(適度な)軍備増強・死刑支持者に過ぎません。
>間守元死刑囚
現行の死刑制度の限界ですね。死刑廃止論者の
方々は他国を研究し、死刑と代替的な社会制度・技術
の発展に尽力し、死刑廃止に努力するしかないと
思います。思弁だけでは制度は変えられない気がします。
復讐権、半分賛成します。遺族が望むことをやるのは遺族のこれからの労働生産性を高めるでしょう。被害者が戻ってこないからこその復讐権。理解できます。死刑囚の今後の(無いに等しい)労働生産性を奪い、遺族の労働生産性がさらに高められれば、国全体にとっての全体最適化となり何よりです。半分反対なのは、適用範囲が曖昧になることです。被害者やその家族、友人の減少分の労働生産性+被害者の機会費用≦犯罪者の今後の労働生産性なら復讐権を適用しないほうがいいでしょう。まぁ、こんな式は軽犯罪しか適用出来ない場合でしょうが。
それにしても、『死刑』と『戦争』を結びつける【歴史馬鹿】みたいなのが、必ず現れますね。次元が違うっていうのに。
次元の違うものを対比して語っても何も生まれません。
死刑の適用範囲が物価が変わる様に歴史の変遷と共に変わって当然です。加害者の命の価値もね。被害者含め一般人の命は尊い、これについては変わりません。
で、死刑存置論者の最後の最後に残るのが、愛さんのような唯物論者(アカ)だと、わしは思います、唯銭論者の頭目は、竹中下駄蔵、さすが、日本を代表する進歩派の経済学者さまです、二番目は、敬愛する真壁先生です、こっちはいささか浪花節です。殺人者を殺しても、殺人者の魂は消えません、右派というのは、そもそもスピリチュアルな人々なので、あることを契機に、死刑廃止に傾く、というのは、想定されます。
ベトナムの話で、さらにだらだら続けましょう。兵士、と書けば、自衛隊のような組織が浮かんでしまうのが、平和ボケ、なのです。この場合の兵士は、ベトコンであり、小学校の女教師、十歳の子供、そういうテロリストのことです。愛さんに理解でけるようにたとえれば、北の拉致実行犯、などでしょう。欧州に、残虐事件がない、とお思いでしょうか? アイアーランドその他、いくらでも無残な死、があるわけですね、そういう、日常、を乗り越えて、死刑廃止、はすでに実現しているわけです。交戦権放棄をすでに実現している、わが鬼畜国家日本において、死刑が廃止でけない、わけはありまへん、早晩、死刑は、廃止されます。が、やはり後学のために、なじぇ、日本では死刑を廃止することが(今のところろ)でけないのか、は知りたいですね。愛さんは、もっと、長く長く、自身を語るべきではないですか。ちなみに、医師には医師法のしばりがあり、墨(マエ)が入っているやつは見ない、とかは言えまへん、肝炎の感染には注意します。世の中には、一定の、聖職者、が必要なのです。
出所の話ですが。罪をつぐなって出てきたら、それはもはやしかたないでしょう。罪刑、が、法定、なんだから、それ以上、法律にはでけまへん。法律を超えた社会プログラムがいるなら、制度として、民主へっぽこ原口(心理出)に用意させますので、今度の選挙は、へっぽこ民主党にでも入れてください。
そういえば、永山基準はご存知だそうですが、永山が、論理哲学大綱(やったかなあ、なんかちゃうなあ)なるいんちき思想書まで書いたことはご存知でしょうか。帝銀ケースの平沢は、画家でしたか。金やんのところの本部長だったことより安倍のアホボンの家庭教師だったことの方が有名なパチンコ大好きサンジャポ平沢は、たしか、終身刑創設に動いているんではないでしょうか。金やんのところのアホポリの数え切れない不祥事の処理の過程で、国の無謬性、に疑問を持ったのですよ、絵心のない憎めない平沢は。平沢なんかは、隠れキリシタンならぬ隠れ死刑廃止論者ですね、ほかにもいっぱい、隠してそうですが。あと、隠さず言えば、店主もわしも、経済出でっせ。嘘、をまきちらすと、運動は急速に収束に向かいます。
わしは、死刑と戦争を結びつける店主のセンスに、ちょっと、驚きました。ほぼ毎日、銭勘定してきただけの貧乳好きの株屋にしては、とても、いいセンス、だと思いました。株式投資だけでなく、死刑・戦争センスにもタケテイルって、ちと、でけすぎでんな、また、売れそうだ。愛さんも、売れない「新しい株式投資論 ピーエッチピー」を買って、せっかくなので、店主のセンスについて、学んでやってください、いまだ更生不十分なるわしが、なじぇか勝手に校正しております。結論として、人は小説を読むべきであるし、小説家と、機会あれば接触するべき、なのだろうと思いました。文豪村上言うように、内観、は捨てたものではないですね、タコ企業の研修で、二時間、なんてのは、ちと、お粗末にすぎますかな、儀礼としての意味以外にはないでしょう。
江戸時代の仇討ですよ。
本村さん、意志強いから、もし、死刑にならなければ仇打ちしますよ。応援しますけどね。
で、返り討ちにあえば、その一族の戦闘DNAは弱かったので歴史から退場する。
死刑制度は、仇討の連鎖を防ぐ文明の知恵です。
また、文明が進んで死刑廃止国が増えているのであって死刑が文明の知恵というのも嘘もいいとこです。そんな浅『知恵』で犯罪を『抑止した』気になっているというその国の『文明』度を示すという意味ではよい尺度かもしれませんが。
森達也がよく出している例のように思うが、違っていたら、だりか訂正してください。70歳の死刑囚がいます、あと一年でほっといても死ぬでしょう。国家は、虫の息の70歳を、車椅子にのせて、例の場所、へつれていきます。死刑囚は抵抗する気配もありまへん。車椅子から抱きかかえられて、死刑囚への復讐は終わります。ベルトコンベアーで死刑執行とは、こういうプロセスに、心理的な抵抗も感じない、ということだと、わしはタカ派の鳩山の言葉を理解しております。違ったら、ハトに謝りましょう。
もうひとつ、死刑執行がなされたあと、被害者あるいは被害者ご遺族が、死刑執行に、強い後悔、の念を持った場合、さて、どうしますか。結論は、国家は、そぎゃんこつは、知ったこっちゃない、です。復讐の手伝いもええですが、後悔にも付き合えれば、もっとええですな、もちろん、更生に千円しか出せないわしにできることは、ほぼない、でっけど。
で、とりあえずですが、サムライさまの「為にする議論 」は「そうだろうなあ」と思いました。「世間が求める被害者遺族像」以外の遺族は、世間から見えにくいのでしょうね。本村さんご自身もマスコミが伝える「被害者遺族像」とは違った面をお持ちでしょうし。
先日、松本サリン事件の被害者河野義行さんの講演を聞きました。事件当初ほとんど容疑者扱いされた方です。当時はそういう報道が連日マスコミを賑わしました。オウムがその後に地下鉄サリン事件をおこさなかったら、「殺せ。殺せ。」の大合唱の対象になっていたかも知れない方です。
奥様は13年たった今も意識が戻らず、ご自身も後遺症が残るそうです。講演テーマはマスコミによる報道被害でしたが、会場から「松本チヅオを死刑にしたいと思いませんか?」という質問が出ました。すると、きっぱりと「私の大切な人生をそういうくだらない人への思いに費やす気はない」という趣旨のことを言われました。「ああ、本当にそうだろうなあ」と思いが伝わってきましたよ。
しかしながら、店主さまのおっしゃるとおり、もし本村さんが「世間が求める被害者遺族像」にピタリとピントが合っている時点で(例えば今回の判決時)、「考えに考えた結果、私は犯人の死を望まない」とおっしゃったとしたら、世論に対してそれはそれは大きな力を発揮したことでしょうね。
フランクルの夜と霧によれば、収容所に収監された筆者は、たえず健康であることを装っている必要に迫られたそうです。さもなければ直ちに訪れるであろう「廃棄処分」を明日以降に延期するために・・。
>ブロガー(志望)さん
ひとくちに死刑廃止論者といっても、たとえば私にとっては、絶対的終身刑はおそらくゴールですが、死刑廃絶の信念に燃える人たちの大半にとっては、おそらく通過点に過ぎないのでしょうね。
サムライさん
>それは個人であれば日々の鬱憤、八つ当たりの捌け口として福田被告は格好の対象であるし、国家(を動かせる人)であれば殺人権を担保できるという思惑が働いての今回の「本村フィーバー」だったと思います。死刑を”娯楽”として消費している人々がいるということです。
そのような人々にとっては、感情は、なだめるべきものでなく、煽られるべきものなのでしょうね。
アベルフ・シンドラーさまご指摘のとおり、はじめは「ご自分だけは生き残る自信がおあり?」と奇異な感じを持っていたのですが、ふと気がつきました。愛彦さまは庶民・大衆ではいらっしゃらないのでは?庶民・大衆を「対象」として考えるやんごとないご身分の方では?例えば、実は自民党のほうの鳩山さんとか?
まさかそんなことはないでしょうが、愛彦さまのご意見を拝見していると、ある種の為政者の意識を代弁してくださっているような気がします。
・殺人者はコストがかかるから即死刑。薬物中毒者や性犯罪者なども
・生活保護者は社会のお荷物
・子供は最初はコストはかかるが将来付加価値をもたらすので許される
まだ触れてはおられませんが、後期高齢者もお荷物ということでしょうね。そして「お荷物でない」人たちに向けては「派遣法」などで絞り上げる。昨今のあまりに露骨な搾取の仕組みを作った為政者の方々の頭の中を覗く機会はあまりありませんが、愛彦さまには貴重な機会をいただいているのかな、と思ったりします。
愛彦さんは「死刑の適用範囲が物価が変わる様に歴史の変遷と共に変わって当然です。加害者の命の価値もね。被害者含め一般人の命は尊い、これについては変わりません。」とお書きになっています。
一般人の命が尊いことと、加害者の命の価値も変わる(ゼロでなくなることがあるということですね)ということにご納得されておられるのですから、考え方の小さな変化一つで(要は何に大きく自己満足するかの変化だけで)、彼も死刑廃止論者になるかも知れません。
また、それ以上にありそうなことは、国民の多くが死刑廃止にプラスの効用を感じるような変化が起こったときに、彼は、その方向を承認してくれるにちがいありません(経済的な「価値」や「コスト」は社会的なものでもあるから、市場のみんなが「価値がある」といえば価値を持つ)。
彼は、潜在的に、くまさん様や私の仲間です。制度を変えるためには、彼のような仲間を大切にしなければなりません。死刑廃止論者は彼に、ある時点で死刑廃止の社会的・経済的「価値」を論理とデータで示せばいいのであって、彼の存在は死刑廃止実現の決定的障害にはなりません。また、変心してくれると、強い味方(乱暴なぐらい強いので、はじめは却って足を引っ張るかも知れませんが)になってくれるはずです。
将来の仲間と仲良くしましょう!
それにしても、黒岩いわく、「いやー、正直、ひきこもりが、こんなに大きな問題になっているとは、しりまへんでした」って、おいおい、公開で質問したいが、黒岩、ほなら、君、いったい、何を、知っておるのか? わからん、テレビってやつは、わからん。数字とるために、特定犯罪被害者を利用した、者がいたとしたら、そりゃまあ、総括くらってもしかたねーと、思うがなあ、外野からは、なあ、シンボー。
第三帝国を悪と決め付けるのは簡単ですが、歴史のプロセスとして、第三帝国を生み出すまでに追い詰められた当時のドイツの政治・経済的状況を無視する訳にはいきません。西欧列強の中での植民地主義後進国としてのドイツの位置づけ(日本もまた然り)から見ていかないと、単なる善悪の戦いの史劇となってしまいます。
「戦争には反対しても死刑制度には賛成」は成立するのではなかろうか、この点も考えてみたい。
■無辜で無抵抗の(若しくはそれに近い)人だけを標的に選び己が欲得のために(欲得抜きで意味も無くも含め)殺害し・苦痛と辱めを与えた殺人鬼に対して死刑を以って臨む処罰制度への賛意と、
■通常(多くの場合)初期段階に限ってとはいえ殺人用重装備のもの同士(正規軍かテロリストかを問わず)が行う死闘=戦争
に対する反対はつじつまが合わないのだろうか?
どうもそれ(つじつまが合わないこと)はなさそうに思います。
私は死刑制度賛成、戦争反対の考えですが上述の点は
両立し得るようと思え考察を続けています。
こんばんは。
もちろん、戦争反対と死刑賛成は(前提次第で)論理的に十分両立する筈です。
戦争問題と死刑問題の共通の論点の一つは、国というものをどの程度信用するかでしょう。国の意思決定が正しいと仮定して二つの現象を見ても、重要な共通点が見えてきません。
「あいつを殺せ」と国が判断し、命令したときに、この判断・命令は信用できるのでしょうか。
私は、完全には信用できないと思います(←部分否定です。念のため)。なら、国の暴力の限界を、死刑(何とも不可逆的な刑罰ですね)の一歩前で止めておくのが良さそうだと思うし、交戦権は放棄させておくのがいいと思っています。
神のような無謬の視点で見たときに、「死刑が妥当」と思う場合があるとしても、それを判断する手続き上の正当性を国ごときに与えない方がいいのではないでしょうか。
98%(?)まで罰すれば、不完全な人間の制度が行うこととしては、それでいいのではないでしょうか。あとの2%は世間のみんなで、世の不条理を忘れることなく嘆き続けるのがいい。
復讐しないと気が済まないという人には、できたら諦めて貰いましょう。もちろん、刑罰を覚悟で復讐を行うという選択肢は個人(たぶん遺族)の選択としてあるのでしょうが、それをやらないことを望むのが、社会としては正しいのではないでしょうか。今の世論には、むしろ、復讐を煽るような、他人の復讐心や葛藤を娯楽として消費するような、邪悪な刺激を求める心を感じます。
冷静に考えると終身刑でもかなりの重罰であり、抑止効果はあります。
それに、国だの、社会だの、裁判だのと言っても、複数且つ複合的とはいえ、しょせん制度の仮面を被った個人(通常複数)が動かしているのが実態です。
「この犯罪には死刑が当然だ!」と死刑判決を喜ぶ日本国民は、(たとえばチェイニーに誘導されて)イラク戦争に賛成したアメリカ人と、国による殺しを正当化する点で似ています。
以上の考えは、死刑廃止論の「論拠」ではなく、心情的「理由」です。そうだと思う人も、そう思わない人もいるだろうと思います。(私も、二年も前なら、間違いなく「そう思わない」方に属していました)
山崎さんのおっしゃることとはうらはらに、厳罰化の流れの加速化は大変望ましい方向性だと考えます。
山崎さんがおっしゃる『国民の多くが死刑廃止にプラスに感じる様な変化が起きれば』ですが、まず有り得ない事象ですね。
一つあるとすれば、山崎さんの様な死刑廃止論者の嫁さんがレイプされ、子供が逆殺された時に、その死刑廃止論者が毅然とした態度で『愛する妻は、少年にレイプされ、殺されました。目に入れても痛くないほどかわいい子供も殺されました。しかし、少年には死刑を望みません。生きて償って欲しい。これを機に死刑廃止の方向で~』とか、言った時、くらいでしょうか?
山崎さんは言えるでしょうかね(笑)?
>>作業員さん
質問が論点ズレです。
なーんだ。あなたが遺族なら、という話に逆戻りですか。案外、工夫がないなあ(笑)。
●
ところで、死刑廃止の主要な論点ではありませんが、厳罰化の流れと、死刑廃止は必ずしも同一のものではありません。
経済犯だの、飲酒運転だのを厳罰化するのは、インセンティブの点で効果的で且つ追加的な予算を必要としない、良い政策でしょう。私も、この種の厳罰化に賛成の原稿を書いたことが何度かあります。
厳罰化が、経済学で言う「市場の失敗」に陥るのは、判断が曖昧な時です。罰する判断にマチガイの可能性がある場合、罰のコストが大きいと、人間の活動の縮小や誤った処罰による損失を生みます。
(前者については、最近は、痴漢冤罪が怖くて電車には乗れないという人が結構居ますね。私は有名ではないので平気ですが、それでも、状況によっては電車を避けることがあります)
「死刑もある」ということで暴力がより抑止されるのはいいことですが、処罰がマチガイだったときに、死刑の場合は不可逆的でリカバリーが効かないのは重要なポイントです。
現在の私の死刑廃止論の根拠は、単純な命の尊重と共に、「国」や「世間」に対する不信であり、後者に対する不信には、状況が変われば自分自身も「あいつは殺してもいい!」と言うのではないかという自己不信も含まれています。
議論としては、幼稚な(ゴメン!)状況設定だと思いますが、愛彦さんのおっしゃるような状況になったときに、私がどう言うかは、その時になってみないと分かりませんね。そういうことまで心配すると、前もって死刑を廃止しておくというのは、一つの解決案です。
『状況を一変させる事象』など起こりはしないという皮肉ですよ、ひ、に、く(笑)。
山崎さんがその状況で言える確信がないということは、限りなく現在の死刑制度維持の強固な世論が崩れる可能性はないというわけだ。一安心です。
単純な(他人の命を奪った殺人者の)命の尊重や国、自己への不信感程度で、死刑存続を主張されても世間は納得しないでしょうね。世間は情報に流されやすい面もありますが、合理的選択も出来るようです。実にコスト意識があるし、現状認識もある。後、被害者に対して実に“優しい”。
『葛藤を娯楽として楽しむ邪悪な刺激を求めている心』←朝っぱらから事件のたびに騒ぎ立て、被害者家族の心情もおしはからず、「情報をクレ!情報をクレ!」のワイドショーのコメンテーターをやってるあなたごときに言われたくありません。
小倉さんの番組でしたか?祖母孫二人殺人事件の山下清氏を殺人犯扱いしといて謝罪もしないでやり過ごしてる低俗番組。許せないですね。
>復讐しないと気が済まないという人には、できたら諦めて貰いましょう。
あらかじめ煽られた世論は、いずれは公開処刑でないと気がすまないようになる可能性もあるのでしょうね。
>今の世論には、むしろ、復讐を煽るような、他人の復讐心や葛藤を娯楽として消費するような、邪悪な刺激を求める心を感じます。
社会が過渡期にあるためか、世論が、アジテーションの影響を受けやすくなっていることは確かですね。
(どなたかの口癖を借りれば、同じことは、歴史のなかでは繰り返されているのかもしれません)
コメント拝誦致しました。
脱帽です、私はどうやら苦しむべき点を間違っていたようです。
来年5月に裁判員制度が始まり指名を受ける(可能性はあります)前にこの議論をさせて頂いて、山崎さんとそして皆様の御意見をここまで伺えてよかったと本当にそう思います。
裁判員として証拠・調書・写真を見て加害者・弁護人の陳述と検察論告を聞き、そして御遺族被害関係者の方々のお話を直接に伺う状況下で、仮にその事件がこの光市のものであった場合、素直に心から今朝の時点での気持ちに一人でなりきれるかどうか些か不安を覚えるのも事実です。とすると予め死刑制度をなくしておくのは有効な一つの解決策なのでしょう。
不完全な人間だから「2%の(線を越えた)こと」は忘れ「98%しかしなかったこと」をいつまでも覚えている危険をおかしそうです。
>刑罰を覚悟で復讐を行うという選択肢は個人(たぶん遺族)の選択としてあるのでしょうが、それをやらないことを望むのが、社会としては正しいのではないでしょうか。>
死刑判決(多分特に執行後)に苦しむことのほうが無期懲役を宣告して苦しむよりも、不完全な人間としては正しのではなかろうか、そう思えてきました。
有難う御座いました。
さて、ここからは不特定多数の方に対してですが、自分が住む国は死刑が執行されない国が良いと考えている私でも一定の説得力を認めざるを得ないその効能とは一言で言えば所謂ガス抜き効果です。一般に死刑存続と死刑廃止の論者の特徴を考えるときどのようなものが見受けられるでしょうか。170件をオーバーしているこちらのコメント欄を上からご覧になるだけでも参考になるかと思いますが、ざっと俯瞰して分かるのは死刑存続を訴える人は逆の人に比べて総じて愛彦さまと似たような特徴がみられるということです。このことは様々なことを示唆していると思いますが、やはり八つ当たりの対象、攻撃衝動の捌け口としての「死刑」のニーズがあるのではないでしょうか。昨今始まった執行された死刑囚の実名公開もそれに応えたものと考えると実に自然です。
1999年に所謂動物愛護法ができました。私はこの法律は日本国政府が江戸の犬公方に堕した悪法だと思っておりますが余程荒んでいなければこんな法がなくとも普通は動物を虐待したりはしません。例えば猫を丸焼きにするような我々からすると異常な行動をする人を刑罰で抑え込んだ結果彼はその攻撃衝動をどこへ持っていくのでしょうか。どうせ我慢して動物でも捕まるのなら人に対して・・・とそう考えると動物にババを引いていただいた方が良かったと思いませんか。
本村さんに対しては福田被告はまごうことなき加害者ですが社会と対した場合彼もまた弱者であり犠牲者だと思います。父親に虐待され母親が自殺するような異常な家庭環境を考える時、本村さんと福田被告の生まれと立場、どちらかを選べといわれたら案外難しいのではないでしょうか。私は茶の間で菓子をパクつきながら本村氏を”応援”し、無自覚に福田被告に死刑コールを送る大衆を軽蔑します。実際は計画殺人で捕まるのに山崎氏を困らせる目的で書いている一番上のとおりすがりさんのような人も心底嫌な人間だと思います。しかし正直にマナーよくそれでもスケープゴートは必要なんだ我々は死刑を欲していると仰られるなら廃止を主張する前に死刑でなければ消化できない人の業について共に考える余地はあると思います。
「あなたが遺族の立場だったら」という問いは困らせる目的はゼロだと思います。
社会学で「自分がその立場に置かれて、OKと言えないものは健全ではない」というのがあったと思います。
例として「黒人差別はいけない」がなぜ説得力があるかを考えましょう。それは多くの人が自分が黒人に生まれた時に差別されたら嫌だからです。
この点、山崎様は正直に「分からない」とご回答され
ました。「凶悪犯罪の遺族になるのは想像も共感もできない。しかし、抽象的に考えて命は大事だし、国も世間も自分も信用できない。であるなら死刑は廃止すべきだ」という言説はどこまでも抽象的で血肉が
感じられず、(少なくとも私には)説得力が感じられませんでした。
福田被告の不幸な生い立ちには同情します。しかし、
その罪の大きさは「8時間労働・読書と風雨遮断可能な」終身刑では贖えないと感じています。
で、お犬殿様のことやが。お犬殿様はねえ、犬だけを大事にしたんやないのよ。生類に憐れみの心をお見せになったわけや。事実、最下層、いわゆる被差別民に対していくらか配慮があった、ある意味名殿様、ともいわれとるんよ。猿も人なり、彼も人なり、と金八先生なら、言うかと思うが。どうも、死刑は廃止されそうやね、わがエテコ国家日本においても、早晩。
おっ立ち読み専門ではない方の本屋は、とても趣味がよくて、辺見庸の本を全冊、そろえていた。おい、三日遅れの毎日、わしに中元歳暮おくってこい。で、山本一太が土下座して謝るべき辺見の本の中で、改めて印象深かった部分は。最近の若者は、死刑の方法、を知らない、という部分だった。えっ、デッドマンウオーキング、じゃないんですか? って、震え始めるそうだ。縛り首吊るし首、やがな、家の裏の庭の柿の木にぶらさがった身内、ちゅうのが、どの家にも一人ぐらいはおる、人生は、楽なもんではない。ほんでから、若い衆は、死刑、を考える前に、せめて薬にしなくていいのですか、と言うわけや。正論や。アメリカでは、そうやって、残虐性とはなにか、を議論してきたわけやね。若者のケトー化は、二秒で済む、いずれ、死刑は廃止される。
>死刑制度賛成、戦争反対
戦争遂行を、死刑が補完するわけですね。ですから、(伝統)仏教徒は反靖国派、なわけです。裁判で言えば、百人ギリ訴訟、でも若い衆は、お調べください、反人権派、反ドキュメンタリー映画で有名な稲田先生ご活躍です。これもたしか、三日遅れの毎日、ですな、なんの因果か。百人千人と人殺しをすれば、英雄となって(訴訟では、毎日が勝手に書きやがったことにされとるが)、最後は、英霊として神社に祀られる、墓は別でっせ、これを別腹とかけて別墓といいます。これは余談だが、やんごとなき北白川なんかは、一座、として祀られるが、わしらヒステリックなエテコ臣民は、みんな、その他大勢、であります、何人首を切り落としても。百人ヤルなら、百人の女の気をヤレ、っちゅうねん、団鬼六ファンの仏教徒は。
その通りですね。分からないとはどういうことなのでしょうね(笑)。評論家特有の無責任な【世間がYESなら自分はNO】だとしても、貫いてほしかったんですが…。
〉〉サムライさん
どっちが品がないかよく考えてみましょう。
殺人事件を、次々新展開をみせるドラマ化し、被害者家族に『悲しんで泣いている暇があったら俺達の前に出てきて喋れ!』的ワイドショーに出演し、心にもない哀悼の意を語っちゃったりしておきながら(カネを貰っておきながら)、“葛藤を娯楽として楽しむ邪悪な刺激を求めている心”なんておっしゃる資格などないということです。加担しておきながらその言いぐさはないだろうと…。評論家特有の【世間がYESなら自分はNO】程度なんですよ、所詮。最近も「光市の元少年が死刑なら仕事やめる」的なことを宣言していたジャーナリストがいましたが、実際死刑になるとあーだこーだ言い訳付けて辞めない。自分の発言は所詮目立つための道具でしかなく、そしてなんと無責任なことか!基本、昼間からワイドショーに出てるような大学教授、弁護士、精神科医、エコノミスト、社長、ジャーナリストは信用してないわけでして…(今後昼間からテレビ見てないで大学行って講義受けますW)。
コメントありがとうございます。
>どこまでも抽象的で血肉が感じられず、(少なくとも私には)説得力が感じられませんでした。
と仰っておられますが、お気持ちは分かるような気がします。
自分が「その立場」あるいは「当事者」だったらどう感じるかという想像をしてみることは、たぶん、人間の脳に組み込まれた機能が自然に行う思考でしょうし、社会生活や自分のあるべき行動を考える上で、必要な条件でしょう。
ただ、人間が感情に流されやすいことも事実で、しかも、この感情は状況によって変化します。単純に「理性」という言葉は(概念定義的に面倒なので)使いたくありませんが、自分の感情を客観視しコントロールしようとするような、あるいは「その時の感情」を「長期的に納得できる感情」の立場から制御しようとするような「意志」を人間は(全員かどうか分かりませんが、かなり多くの人が)働かせることがありますし、こうした意志は大切ではないでしょうか。
こうした思考は、理性と呼んでも、意志と呼んでも、「血肉」という言葉につながるような意味で感情的な、つまりリアルなものではありません。「抽象的」とお感じになるのももっともですが、ある意味では、抽象的であるがゆえに、「血肉」的感情から距離があるゆえに、価値があるのではないでしょうか。
あくまでも私の感じからですが、当事者への十分な感情移入・想像力という「必要条件」と、抽象的な思考という「十分条件」を、両者の矛盾や共通点を確認しながら、共に満たすように、結論を探ることが重要なのではないでしょうか。要は「当事者の気持ちを想像してみろ」という議論だけでは、不十分なのです。
もちろん、このある意味で抽象的なレベルの思考にあっても、「死刑存置」の主張がサポートされる可能性は大いにあります。(たとえば「絶対者」の視点・意志からの演繹であったり、経済学的なインセンティブの議論であったり、その他いろいろ)
死刑存置論者の言い分には、時にこうした抽象的・客観的なレベルの思考が欠けているように思うことがあり、この点、物足りなく思っています。
以上、決してレイストさんのご意見への批判ではなく、私なりの理解を述べてみたものです。
もう一点。
遺族の立場が、差別問題における黒人のような意味で100%当事者なのかは議論の余地がありそうですね。
被害者の遺族が不運であり、同時に一種の被害者であることはまちがいありませんが、彼らの立場に立つことだけで、まして「どう感じるだろうか」と想像するだけで、社会的なルールの適否を論じるのは不十分のように思えます。
「もし、お前の妻が・・・」という問いないしは叫びに、私が内容的に「困る」わけでないのはご指摘の通りなのですが、この点を言ってみただけ、という種類のコメントは、些か幼稚すぎて、相手をするのに気を遣わされて「困る」かな、というのが本音です。
とおりすがり様の『「あなたが遺族の立場だったら」という問い』は私が上記で指摘したように実行しようとしたら山崎氏が罪に問われる時点で破綻しています。もし強引にそれが本村氏と同じ立場になると主張するなら本村氏は死刑存続を主張するために『誰か』に妻子を殺させたことになりますがそれこそトンデモ解釈なのではないでしょうか。レイスト様が同じことを問うならもっと穏やかに聞かれると思いますしこれもやはりマナーの問題なのですがご自身のマナーはよいのに「困らせる目的はゼロ」と言われるセンスは繊細さを欠いているか同じ死刑存続派の言うことだからとバイアスがかかって無礼を黙認しているようで残念なことではあります。
次に「社会学」ですが、福田被告の「立場」になれば死刑は当然「OKと言えない」わけですしこれは様々な条件設定が必要で十把ひとからげに万事に適用されるものではないと思います。無条件に「被害者の立場に立った場合に」とされることが必要なわけで
その点に対しての答えにはなっていません。
そして「黒人差別はいけない」の例ですが被害者の中に死刑を望まない人がいるのですから不適当な例だと思います。何故、被害者の中でも意見が分かれるのか、それは差別されて嬉しい人はいないというロジックと対をなすものは実は死刑ではなく故人を生き返らせること、元の生活を取り戻すことだからです。これならば全員が望むか、と訊かれてイエスと答えられるでしょう。その目的とズレがある死刑擁護論は独善的な怪物です。国家という寄らば大樹の陰で被害者感情の一部分だけを切り取ってそれを錦の御旗にする大衆の死刑コールは嘘の塊で卑怯だろうというのが私の主張です。
本村さんが死刑判決を勝ち取った日、某大手掲示板でこんな内容の書き込みをみました。”本村さんはこれを機会にもっと目立って売り出すようなことはして欲しくない。できれば元の平凡な生活に戻って欲しい”
本村さんの”応援”をしてきた方の正体をみた思いです。死刑廃止論者の方がこれを言うのならわかります。しかし本村さんの立場になって来た人のいうことでしょうか。なぜ、とんでもない不幸に襲われた分これからは目立っても常人の何倍も幸せになって欲しいといえないのでしょうか。所詮、自己都合、独善、お節介、そんな俗な感情の捌け口だったということです。不幸で涙を流している本村さんには同情するが、自分より幸福になった本村さんには嫉妬するということでしょう。まさに上のコメントでも書いた世論の望む被害者像の押し付けを象徴するような書き込みだと思いました。
>当事者への十分な感情移入・想像力という「必要条件」と、抽象的な思考という「十分条件」を、両者の矛盾や共通点を確認しながら、共に満たすように、結論を探ることが重要なのではないでしょうか。
私もそう思います。一応、私の抽象的な思考での
死刑存続論の根拠の一つは「凶悪犯罪者の罪として終身刑は妥当か」(凶悪犯罪を犯すと、罪なきホームレス、過労死・過労自殺寸前の人々と違い生活が保障されてしまう点)というものです。
>「当事者の気持ちを想像してみろ」という議論だけでは、不十分なのです。
私もそう思います。「当事者の気持ち」で判断すると
家族がいるか、どれだけ愛されていたかで量刑が左右されかまねせんしね。
騙され易いなさけない奴だ、馬鹿な間抜けだと思われるのは覚悟の上です。
こうして議論を続けている間にも岡崎市でとんでもない事件が起き、直情径行に心情を吐露すれば 「一刻も早くとっ捕まえて絞殺だ」 が正直なところです。 自分より弱い無抵抗の人を選び殺した犯人を殺すことが正義とするのが実に判りやすい、死刑の恐ろしさは無期に比べて遥かに恐ろしいと殺人鬼でも誰でも気付くだろう、気付かない馬鹿がいても一部にでも利く可能性は残したいという思いは捨て難いものがあります。
が、では人(殺人鬼も人だ)を殺せるのかとなると一抹の疑念も抱いていました。
死刑執行を公に(それも匿名で情けないのですが)言い出してからどうも特に寝覚めが悪いのは何故だろうか、夢で息苦しく目覚めた今朝明け方3時過ぎにここに戻って寄稿を拝誦していました。
「死ぬこと」 が怖いのと同等に恐ろしさを感じる 「人を殺すこと」 を死刑廃絶で止められるならそれに頼ってみよう、そうしておけば少なくとも人殺しに加担せずに死ねる、あとは2(?)%に当たる部分で悩むこととしよう、とそう思います。
いじょうご指名がありましたので正直に申し上げておきます。
p.s.
学生さんのようですね、一杯いっぱい勉強しましょう。説得なんて出来るとも思っていませんし、する意図も全くありません。
私にもまたもうすぐ自由に勉強時間をとれるチャンスが到来しそうです、主張することと同程度に人の思索を聴けることは大切ではないでしょうか、多くを学ぶ努力をする積もりです。
論文とブログのコメントを対にしますか(驚:きっと論文を毎日よんでいる方なのだろう)。そもそも論文で体言止めを使うような場面なんてありますかね?
インテリとしてブログ界隈で有名な池田信夫氏なんてブログのコメント欄で体言止めをよく使ってますけど…ね…。
それこそ、個人的感情で山崎信奉者だからでしょうね。彼の行動と発言の矛盾を感じる賢明な人間ならそうは思わない。
後、あなたのようにコメント欄に無駄に長く方が失礼であり、また『もっと端的にまとめられないものかね。そういう訓練をしてこなかったのだろう。』と私なんかあなたの投稿を見て思うのですが。
そしてよく考えたところで山崎氏より品がない(なかった)のは愛彦さまの方だと思いますし、仮に山崎氏が酷かったとしても自分もそのレベルまで堕とすことはないのではないでしょうか。山崎氏より品がない理由として山崎氏が本文で触れている以外の氏のパーソナルな活動についてああだこうだと批判していることがあげられます。議論としてフェアではありません。苛烈な批判を加えるならこのブログで俎上に乗っていることについてのみすべきです。書き手の文外の活動にケチをつけないと構築できない死刑制度擁護論などその程度と看做します。
たぶん某氏もリアルでは、良き社会人、常識人なのでしょう。
「最後のレス」はその某氏にさせてあげることが慈悲の精神だと思われます。
パーソナルな活動を批判しているのではなく、パーソナルな活動とブログの主張に矛盾があるから批判しているのです。これは当然の批判的姿勢で、あらゆる場面で適用されるものです。
よってあなたの『文面だけで批判せよ』は不適切です。
第三者的立場から、死刑の持つ犯罪抑止効果のほうが重要だと考えています。誰しも被害加害の別なく犯罪に関わりたくないと思うはず、ですよね。犯罪を未然に防ぐためには厳罰も必要だと思っています。
しかし最近の、「死刑になりたくて人を殺した」という事件報道などを見ると、刑罰による犯罪抑止効果は死刑という極刑でさえも不十分なのかと思わせられます。もし、死刑にさえも犯罪抑止効果を期待できないとするならば、何を持って社会の秩序を担保すればいいのでしょうか。
凶悪な事件を起こしてしまった犯人に対しては、(有罪が確定なら)死刑死刑の大合唱もいいでしょう。
が、肝心なのは、後先考えず犯罪に走ろうとする無知な人間を確実に減らしていくために、不断の努力を惜しまない社会を作ることではないでしょうか。
死刑以上の極刑を作ることは難しいでしょうから、犯罪を犯した後のことを想像できる、くらいの知識を大人にも子供にも身につけさせるという教育が必要だと思います。
死刑廃止を論じるなら、犯罪を防止するための方策もセットで考えるべきだと思います。
>2008-05-05 13:53:08
くだらない煽りコメントはやめませんか。ワタシには、貴殿も顔を真っ赤にしてパソコンに向き合ってるように感じ取られます。
ないことを証明するのは難しいため
犯罪抑止力があることは証明されていない。ということですが
この話は、Isaac Ehrlichの論文が出て以来、
専門家が活発に研究を進めてきた分野でもありますし
今後よほど画期的な実証結果が出ない限りは
死刑に犯罪を抑止する力はないとして議論を進めてもいいと思います。
ここからは私見ですが、
厳罰化による犯罪抑止力はあるようなので
無期懲役の犯罪抑止力と死刑の犯罪抑止力は大して差がない
ということなんじゃないかと思います
死刑になるからと犯罪をやめるような人は
無期懲役でも思いとどまるんじゃないでしょうか。
休日なのにというべきか、休日だからというべきか、皆様、熱心なコメントありがとうございます。
話の方向が、ブログのコメントのマナーにも及んでいるようで、それ自体はそれでまた重要な問題なのですが、まあ、いいとしませんか。
(レイストさん、ご心配いただいて、ありがとうございます。弊ブログでは、コメント欄が荒れそうになった状態を、何度もコメンテーターに救われています)
論理・マナー的にこれはどうか、というコメントが無い訳ではありませんが、少々的が外れてムキになっているだけで、人格攻撃だの単なる罵りだのになっているわけではないので、意見として聞ける部分(もし、あれば)を好意的に聞いてみてもいいのではないかと、私は思っています。
それに、何といっても、今日は、「子供の日」です!
●
ところで、ワイドショー(業界では情報バラエティというのでしたっけ)に出ることが、番組の姿勢に加担することではないか、という愛彦さんの意見(というより感情)は、たまにそういうものに出ることがある私としては、考えてみる価値がありますね。
番組への「加担」という意味では、「出る人(出演者)」が居ても、「見る人」が居なければ間違いなく番組は無くなる訳なので、実は「見る人」こそが最大なの貢献者です。番組を見ている人が、出ている人を出ていること自体で批判するのは、間抜けと笑うしかありませんが、観ている側の何%かには、何となくこう言いたくなるような屈折した気持ちがあるのでしょう。正確な理由は分かりませんが、これも一つの現実なのですね。
以下、さらに蛇足。
日々の生活に苦労している苦学生なら、「でも、番組に出ている奴はお金を貰っているではないか」と言いたくなるかも知れませんが(論理的には、お金も貰わずに見ている方がどうなのよ。大丈夫か?という感じですが)、地上波・全国放送といっても、私のような立場(タレントではない出演者)で出演しても、ギャラは高くありません。民放各局の間では緩やかな談合価格とでもいうべき俗称「文化人価格」があり(NHKは更に安い)、局や番組によって多少上下することはありますが、拘束時間その他を考えると、時間と手間のコストとしては決して高くはありません。
まず、店主の名誉については。
同使者の浅野健一が問題にしているのは、「とくダネ!」のデーブ、の発言ですね。「安田なんぞを、人権派と呼ぶのはやめろ!」、と言ったそうです、店主の失言ではありまへんね。同事務所のおおおづづづ、まあ、あの人の失言でも、ありまへん、店主に責任はないでしょう。ちなみに、わしも、「安田の野郎は、人権派なんぞではない!」と言い続けているので、埼玉のなんちゃってユダヤ人デーブの言うことも、判らんでもないですね。
次に、執行の場所。
監獄法によって、執行の場所は、監獄内の刑場、と決まっているそうです。71条二項に、大祭祝日等、の規定があって、こぎゃんときまで死刑執行すんな、という庶民感情が担保されているようです。ベルトコンベアー的に同胞を処刑するのであれば、天皇様誕生日でも、憲法記念日でも、かまいまへんわな、タカ派のハトちゃん。執行方法に、ものすごく興味のわいた人は、「図説 死刑全書 マルタン・モネスティエ著 原書房」をどうぞ、あんまし猟奇的インザミソスープにならないように。
次にアメリカの死刑観。
死刑存置のキリスト者。これは、プロテスタント諸派、ちゅうのが、同害報復、と聖書の記述を読んでいるからだそうで、クェーカー教徒なんかは、またちょっと違う、そうであります、聖書の読み方で、死刑存廃が決まっていいのかは、観音様のあえぎ声を聞くだけの身なのでよくわかりまへんね。ちなみに、袴田氏は、パウロ袴田巌、だそうです。靖国に平気で参拝するなんちゃってクリスチャンの曽野や山谷は例外中の例外で、福音派に代表される日本の真正クリスチャンは、ほぼ全員、なぜかサヨクと同じ主張をしています、極めて、日本的な問題であります、これは。
次に、社会的野獣。
小説を読まない店主でさえ、読んだことのあるらしい、カミュの言葉、だそうです、社会的野獣。再犯や更生の議論に当然出てきますね。これについても、宗教観みたいなものが、問われます。辺見庸なんかは、宗教者でなくても、おまえが問われているのだ、と麻痺した顔面で迫ってくるので、暑苦しくて、しかたありまへん、山本一太は謝るように。それでまあ、板倉先生なんかは、結構タカ派で、エクストラジュディシャルエグゼキューション、つまり、射殺、などを持ち出して、死刑強化、の方向に世界は進んでいるのだ、とご主張なさっていますが、すいませんが、鼻で笑ってしまいました。先生のご意見に興味のある方は、各自、自習を、なんか、有名人にしては、キックがありまへん。どちらかというと、なんでも死刑!の土本のおっさんの方が、おもろいです。土本は、絶対性のある終身刑ができてしまえば、存置論者は揺らぐ、と言っているそうです。教育が済んでも絶対に出さないのか、の問題も残る、とも言っていて、なんだ、土本、やればできるじゃん、と思いました。
死刑廃止条約。
今後は、条約の批准が問題になってくるでしょう。新自由主義者で部屋に知らない女が犬を連れて入り記念撮影することで有名な中ガマ秀直が、移民を受け入れる、そうですから。死刑のある国に、ジンガイさんが、来るか、来ないか、微妙ですね、差別はありますから、冤罪のおそれ、は増します。議員センセの議論が活発化しているのは、こういう理由もあるかもしれまへんね。
愛ちゃんおこだわりの、更生コストについて。
タカ派の見解はすでにあるようです。「更生モデル」から、「賠償モデル」への転換、と呼ぶそうです。若干、オリックス宮内セーワ会規制緩和利権、っぽいですが、民営化、という経済学的な思いつき、もあるようです。詳しくは、「文春新書 この国が忘れていた正義 中嶋博行著」をどうぞ、先端を行っているようで、ちょっと古いかな、とも思いました。
で、更生コストの数字を見つけました。死刑執行の経費について、悪名高き菊田幸一の「死刑廃止に向けて 代替刑の提唱」に、載っています。犯罪者、18から80までで、百五十万ドルかかるそうです、入れておけば。死刑を争うと、諸費用を込みにして、400万ドルの支出、になるそうです。制度と計算の方法で、いかようにもなりそうなので、あんまり意味はないですが。
ほんでから、第一回帝国議会において、死刑廃止はすでに議論されているので、歴史、がありまんなあ、日本においても。「死刑廃止法案」は、戦前にすでに、四度、でているそうであります。そんなこんなで、永山ケースに興味のある方は、「死者はまた闘う 武田和夫著 明石書店」をどうぞ。
最後に、「光市裁判を考える有志の会議」なる冊子をあちこちで見ますが、責任者の名前がありまへん。被告に、反省して死を受け入れろ、と書いていますが、死刑の基準の叙述もあいまいで、そりゃなかろう、と思います。わしは、匿名ででけるのは、殺すな、までであって、殺せ、は匿名ではいかんと思います、もちろん、一般論、はアリです。以上、おっちゃんの娯楽でごめんね。
「死刑支持論者はワイドショーに感情を操作されている、あるいは娯楽として消費している」というような意見が散見された気がします。
しかし、ワイドショーを見られるのは大学生、主婦、
定年した方々の気がします(私自身はニュースはネットや新聞で見て、ワイドショーは全く見ません)。これらの方々がメジャーなのか疑問を感じます。
ニュースで凶悪事件を知れば、普通に犯人を憎み、
被害者を気の毒に思い、社会や正義について考えさせられると思います。
こういうのを【屁理屈】と言います。
山崎さんが些か感情的になってきたのが大変微笑ましいのですが、まさに図星なのでしょうね。
評論家など無責任で気分屋なのです。
記念すべき200個目のコメントですね(しかも、偶然、こどもの日に!)。ありがとうございます。
評論家が無責任で気分屋なのだというのは、たぶん、その通りだと思います。私は評論家を代表するようなサンプルではありませんが、私にも当てはまりますね。ただ、たまにであっても「論」に意味があれば、それで上等でしょう。ご心配いただかなくても、評論家など、需要が無くなれば、眼前から消えていきます。
ただ、屁理屈と決めつけておられますが、やっぱり、見る人、気にする人がいるから、評論家も含めてテレビの出演者は仕事になるわけで、この構図の間抜けさは、それこそ「図星」じゃないでしょうか。ここは、やっぱり笑い所です。
さて、せっかく苦学生が貴重な勉強時間を使ってくれているので、からかうのは止めにしておきましょう。
本題に戻りましょうか。
愛彦さんが強調されておられた【コスト】の問題はどうなったのでしょうか。死刑廃止の【コスト】とはいかなるものなのでしょうか。機会費用(←意味が分からなかったら、学校で勉強してからでも結構ですが)も含めて、列挙して、評価してみていただけると、議論の整理に役立つので助かります。(無理に直ぐにレスしなくても構いません。気が向いたときで、結構です)
いやあ、山崎様だけではなく、私達人間は皆、無責任で気分屋です。むしろそうあるべきです。それでも気楽にやっていけるような世の中がいいです。他愛もないワイドショーを見て馬鹿話できるような世の中がいいです。もちろん、ワイドショーから発散される憎しみに感化されるのは論外ですが、本来、無責任な噂話やゴシップは、人間関係の緊張を解き、和ますためのものではないでしょうか。デタントと寛容と適度な怠惰は、きっと重犯罪件数を減らしますよ(軽犯罪は増えるかもしれませんが)。
悪者は処罰されるべきという意見には賛成です。
「人は犯した罪に相応しい罰を受けるべき」ですし
それは万人が納得する論理だと思います。
この応報感情というものを
死刑制度維持の根拠とすることは納得できます。
ですが同時に、死刑制度には様々な問題があることも知っています。
結局死刑廃止論者というのは
「応報感情よりもその他の問題を重視すべきと考えている人達」であり
死刑存置論者というのは
「応報感情を全てにおいて優先すべきと考えている人達」なのだと思います
(ちょっと乱暴ですが…)
・応報感情
人は犯した罪に相応しい罰を受けるべきという考え方です。
○死刑存置
×死刑廃止
・コスト
作業者さんの示しているとおり、死刑制度を維持した方がより多くのコストがかかります。
×死刑存置
○死刑廃止
・冤罪防止
冤罪を完全になくすことは不可能だと考えています。
イギリスで死刑が廃止されたのは、死刑執行後に冤罪が発覚したからでした。
×死刑存置
○死刑廃止
・犯罪抑止力
死刑に犯罪抑止力がないことは明らかになっています。
×死刑存置
×死刑廃止
・死刑執行人の問題
実際に死刑を執行する人から絞首刑になった死体を片付ける人までいるわけで
自分がやりたくないことを他人にやらせていることに深い呵責の念を覚えます。
×死刑存置
○死刑廃止
あとはどの問題をどれだけ重視するかということは
個人の価値観の問題なので、それはそれでよいと思います。
ですからね、作業員さん。あなたの参照された本に機会原価(犠牲にされる経済的資源を他の代替的用途に振り向けたならば得られたであろう最大の利益額で測定した原価=つまり被害者が生きていたら…の価値)プラスして考慮してくださいな。
あなたは独立投資案のみで考えているから機会原価が出てこないのです。死刑廃止か死刑存続かは取替投資案なのです。
あと、投資案には経済的効果が重要です。そこには、被害者や(現在の死刑支持の割合は高い)世間の死刑回避の失望や死刑決定のフラストレーション発散による労働生産性の伸縮も含まれるでしょう。
作業員さんが示した資料は大変興味深いのですが、それは過去原価や共通固定費といった埋没原価込みの数字を含んでいそうなので一概に信じるわけには行きません。取替え投資案に用いる原価は未来原価だけなのです。
ご理解いただけましたか?
その上で自分は死刑存置論に手を挙げたいと思います。
理由は「再犯」というものに対して必要な仕組みだと思うからです。
ちょっと死刑そのものは横に置いておいて、犯罪に対する刑罰とは、やはり更正、社会復帰を最終の目的としていると思います。
ここは統計を見ないと分かりませんが、再犯率それも凶悪な事件の再犯率というのはどの程度のものでしょうか。犯罪を犯すことでしか生きられない業の深い者もいるでしょう。真面目に悔い改め一生を終える人もいるでしょう。
前者と後者を分ける違いは何か。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」この魅力的な言葉に傾きかけますが、やはり文明社会に生きることを自負する以上は「更正」とは塀の内と外で作りあげるものと思いたいです。
犯罪の多数要因である「食い詰めた」状況を減らすための経済的な環境整備も含めて塀の外が担当し、そこで最大限の社会的努力を行ったうえで、それでも防ぎようが無かった場合は、塀の内側で最終措置を行う。
無論、光市のような初犯、再犯を議論することすら意味を持たないような凶悪なケースには死刑の一発適用は必要と思います。
しかし、死刑存置論の多くが塀の外側で行うべき社会的コストを無視しているように思えます。
このコストとは、だったら福田をお前が食わしてやれ的な感情論ではなく、愛彦坊やのような「こいつ生かして何じぇん万円」的な低次元な金額積み上げの議論でもありません。
私は、中国の何が嫌いかって言うと命の値段が安いことなんです。
これは社会的に負担すべきコストを、議論を尽くさず共産党一部派閥が専従的に振り分けているからだと思います。一人の納税者として、こんな国にはしたくありません。
この議論、何となく「反原子力」に似てるなあ、と感じました。
いわゆる”反対派”と接する機会が数多くあるんですが、科学・経済コストといった論点を離れ、倫理・人生観・死生観といった範疇の話題となると、これはもう永遠に交わる・理解しえることは無いんじゃないかと感じることが多いです。
(もちろん、中には反原子力の立場から、推進派になっていただけるオピニオンもいらっしゃいますが)
当方としては、勿論のことながら、相手方に理解を得るべく頑張ってますが、或る一定の線を越えると、論破したり説得したり、というのは「絶対に無理」だと思いますね。同様に当方も全く譲る気は無いんですが。
「このスレは死刑の是非だから関係ないだろ」という突っ込みは承知のうえ、いわゆる”命に係ること”というトピックが絡むと、理論や損得といった根拠だけでは、どちら側にも、そうそう返らないのかなあ、と。
(あまりに当たり前のことを長々と述べてすみません)
不謹慎ながら具体的に当該事件について考えてみます。女性の平均年収は300~400万円で計算するらしいです。納税額、子の教育経費、現在割引価値等をどのように計算すればよいかはわかりませんが、右の平均値を参考にすると、感覚的に1.5~2.0億円が相当の金額になるのではないでしょうか?
被害者のこれから得られた幸福等を加味すると、人を冒とくするような、雀も涙するほどの切ない値段に思えてなりませんが、これは一つの基準として有意と思われます。もしも生きていたらという未来の話は、上は億万長者(上のわりに貧相!)から下は別の事件で翌日に死亡まで幅広く、結論を出せません。だから上記のように平均値で計算するという考え方は合理的と思います。
私のような浅学のコメントならば、愛彦様にぶち殺されそうでありますが、金額はこのように算出されて、ご自身でコスト計算されてはいかがでしょう。
>世間の死刑回避の失望や死刑決定の
>フラストレーション発散による労働生産性の伸縮
コストは直接的、合理的なものに留めるより建設的になると思います。私はサラリーマンですが、私のまわりに死刑判決の有無で労働生産性の伸縮するような人はいないと思います。
仏教の教えの中には人を殺してはならない・・とありますが、正直感情論で判断してしまいそうで私はよく判らなくなります。殺人に対する判決で死刑とならない場合に、私はこのような事件の度に次のように考えてしまいます。例えば、人を殺した人が無期懲役となったとしても、15~20年後には出所して、生活出来ます。そして日々生活の中で夕食中にTVを見たりして家族と談笑していることもあるでしょう。しかしそんな時でも家族を殺された被害者は本来一緒に夕食をしている筈の家族が居ない訳で、悲惨な過去を忘れることは出来ません・・・・・こんな光景を思い浮かべるとき、人を殺し、被害者家族を悲しませることをしておいて、自分はTVを見ながら笑って生活を送っている・・・どう観ても変です。被害者はいつでも殺され損(言い方は悪いですが)です。法の処罰を受け(罪を償う)れば、また平然と生活が遅れるのであれば、、、。被害者になり得るかもしれない側は自分を守る手段を持つ必要もあると思います。人を殺した側には次の機会を与え、殺された側への配慮は何なのでしょうか?。人を殺しても法に沿って受刑すればまた以前の生活が出来るのであれば、殺したい人を殺すことが出来るということですよね?!。
私にも、現在、死刑があることの良し悪しは、確信を持っては分かりません。これは、正直にそう言っておきます。
ただ、一つ指摘できる問題は、死刑を決定し執行するのが、客観的で無謬の(ある種の「神」のような)第三者ではなくて、国家であり、実際には「国家」の仮面を被った人間(最近は世論まで含む)であることです。
われわれが素朴な想像力(実際にはほぼ「感情」ですが)で神の視点に立って、殺人者に何がふさわしいかを想像すると、多くの場合「死!」と思うのではないでしょうか。貴殿もご指摘のように、そうでないと、被害者と加害者のバランスが取れないような気がするからです。この点については、私も、ほぼ同意します。実際、他人事ではあっても、感情移入すると、何回分か殺してやりたいような犯罪者が確かに居ます。
しかし、ここで、死刑の判断と実行を行う主体について考えると、これが、「国」(←凡そ信用できませんね)であったり、裁判官であったり、近い将来は裁判員であったり、最終的には殺人を命じられた執行官であったりするわけです。何れも間違いやすくて心変わりすることもある人間です。
こうなると、「神」的な役割を人間が果たすような制度設計がいいのかどうか、という問題が出てきます。
これで、直ちに死刑廃止がいい、と言える訳ではないのですが、犯罪者と直接の被害者のあるべき関係を、第三者である別の人間(たち)が実現できるのか、実現するのがいいのか、という別の次元の悩みが出てきます。
たぶん、この辺りが考え所です。
国や当事者ではない人間に、後から追加的な殺人の権利まで与えてもいいのでしょうか。それは危険だし、不適当だ、というのが、死刑廃止論の一つの方向性です(他にも、いろいろなバージョンががあり得ますが)。
ここの加減が分からないと、ただ「殺人には死刑が当然でしょう!」という自分が神になった気分の単細胞と、「死刑は残酷だからダメ!」という議論拒否の原理主義的ヒューマニズムの間の「好みの選択」だけの問題になってしまって、議論が成長しません。
ますます分からなくなるかも知れませんが、この点も考えてみて下さい。
[抑止効果]
現代の死刑の適用範囲は本人のみですが、江戸時代は連帯責任でした。「一族郎党皆殺し」って言葉が最たるものです。農民も「5人組」が組織され、連帯責任を負わされました。犯罪の抑止効果はありそうですが、一方で他人の罪で自分が処罰されるという理不尽さもあります。先進国では見られないシステムですが、北朝鮮では今でも行われているようです。
[被害者感情]
江戸時代には、「仇討ち」だなんて制度がありましたし、「公開処刑」も行われていました。火あぶりにノコギリ引きと、残酷な処刑では、被害者の溜飲が下がることもあるでしょう。また、抑止効果も期待できそうです。
[死刑執行人]
江戸時代はそういったことの専門家(被差別)がいたので、そうでない人はこの問題を考えなくて済みます。
日本の近代化にともないこのような制度は消えていきました。死刑廃止もその流れのひとつだと思われます。「死刑存続」とはこの流れに「待った」をかけるものです。前首相が「戦後レジュームからの脱却」をテーマに掲げておられましたが、死刑存続派の一部にとっては、刑罰においても戦後レジュームから脱却する必要があると考えておられるということでしょうか。真剣に考えるならば、まずは、このような流れが生まれ理由を調べて明らかにすることが第一に必要であり、有益だと思われます。
コストを引き合いに死刑の存続を唱える人がおられますが、そのような方に考えて欲しいのですが、コストをペイできれば死刑廃止にも賛成されるのでしょうか?たとえば、大金持ちな凶悪犯罪者が、全財産差し出すから、死刑を勘弁してくれと言えば、それに従って、減刑に応じるのでしょうか?金を稼げる人を刑務所で働かせるより本業で稼がせた方が生産性が高いからと、罰金刑で済ますのでしょうか?
最後に私の意見ですが、基本的に死刑廃止論に惹かれていますが、廃止派になりきれません。廃止論にも問題を感じるからです。
まず、廃止派の唱えている「死刑制度に問題がある」→「死刑を廃止すべき」という論理構造が不満です。消去法的なのが不満であり、決め手に欠きます。もっと積極的に、「死刑廃止が理想的だ」という理由は無いのでしょうか。死刑廃止以外に、もっとうまいやりかたがあるかもしれませんよね。
また、「目には目を…」の考え方は万人にとって納得できるものです。それどころか、脱税などの経済犯罪においては、課徴金を取って、実際の被害以上の負担を犯罪者に背負わせていますよね。倍返しですね。凶悪犯罪ではこれが逆になっています。一人殺したぐらいでは死刑になりません。半返しですね。この非対称性が持ち悪いです。
非常に難しい問題だと思うので、無理に結論を出す必要は無いと思いますが、逆に言うと、素朴すぎる理由だけで結論を下さないで欲しいと思います。
すまんのだが、愛ちゃんのコメントは一秒で読むので、気を悪くしてくれ。まずね、『「コストと更生」と、生活保護者は「社会のお荷物」』いうのは、愛ちゃんの「興味」であって、わしの趣味ではないでしょう。読者、全員が分かっていると思いますよ。「おめ○とぽこ○ん」に僕はキョーミがあるんだじょ、と言うのであれば、「あなたが」好きなだけ、おめ○とぽこ○ん、について、語ればいいのです、甘えてはいけまへんよ、池田信りんなら、イナゴ散れ、と言いますよ、まあ、わしと店主は、若い衆が好きなので、縮こまらないで、五千字を百本、書いてみなさい。ちなみに、わしは、「キヤノンの偽装請負」について、三百本、書いてます、それは、暇つぶしの「わしの」趣味です、店主の趣味でもありまへん、わかりまへんか? それから、被害者は、死んでいるから、被害者なのですよ。そこには、命の価値、しかありまへん、それは、経済などどーでもええ、「わしの」意見です。でまあ、興味もええが、文脈、ということを、店主の好きなカミュから示してみましょう、酒の名前とかではないが、カミュは知ってますか?
「償いの権利がなければ、道徳的生活は厳密にいって不可能である。(団藤 死刑廃止論 六版 岩波 ページ316)」
どうでしょうか、愛ちゃんの情緒はまた揺さぶられましたか。償いの権利、です。これは、感情ではなく、論理で考えねば、理解でけないでしょう。生きねば、償えまへん、おわかりか。わしの連れが、愛ちゃんのことをうまい表現してました。彼は、感情にいたることもなく感傷にひたっている。文豪村上の小説を読んで、「センチメントを拒否する」態度を、涵養しなされ。涵養は、読めますか、なんて言いまへん、頭は、偏差値50だったわしよりも、愛ちゃんの方がええんでしょう、内観が、足りないのです、内観、読めますか、なんてことは、言いまへん、何かを知っていることは、自慢になりまへん、何かを知らないこともまた、自慢になりまへん。
で、そもそも論、にかえると、このエントリーは、少年であることは減刑事由となるか、の一点、が争点です。死刑廃止は、余談なのですが、そのことが、わかりまへんか? 死刑は、存置してある、んですよ、存在論などわしは知りまへんので、目の前に存在しているものも、みえないなら、どこかで視力回復が先でっせ。
さて、ようやく、わしの趣味にたどりつけるわけや。戦争と死刑がまったく関係ない、あるいは、死刑と公害がまったく関係ない、なんてことはない、ちゃんと店主その他がそこを押さえていることに、偏差値50で悪いが、敬意を表したい。以下は、話が若干えぐくなるかと思う。
鬼畜日本人、日本鬼子とでも呼べばいいのか、そういう犯罪者に殺されるのも、兵士に殺されるのも、鬼畜企業チッソに殺されるのも、殺されることは同じであるし、復讐心も同じだ。つまり、復讐権なるものが、あるのであれば、それも同じだ。チョーサクリンが爆殺されれば、チョーガクリョーは、殺人鬼に報復しなければならない、場合によっては、ギョクのタマとりにいかねばならんかもしれん、が、そんなもの、国家がやってくれるわけなかろう。ほんでから、チッソの水銀で、目がつぶれた男がいて、その男が国家に復讐をする、その復讐心を国家が代行するわけなかろう。目のつぶれた男はテロリストとなって、ギョクのタマとりにいく、そんな復讐心に、大衆の誰がのっかってくるのか、やんごとなき小和田家は水銀を排出したチッソの会長を輩出しておるわけやが、誰が小和田家への復讐など応援してくれる、おおむね、愛ちゃんの好きな、「筋違い」で、一笑、だろう。どうですか? 国家は、特定個人を救済したりはしないのです。これは、念仏百万遍のように、書いてあげます、辺見庸が死にかけなので、「わしが」書くしかありまへん。国家は、特定個人を救済しまへん。愛ちゃんの魂も、誰も救済しまへん。
あとさあ、愛ちゃん。死刑は、すでに(多くの文明国で)廃止されている、んですよ。コストだの更生だのが、「決定的」なものなら、廃止にはならんでしょう、わかりまへんか? 我が鬼畜国家日本は、三等国ではないのです、個人資産、千五百兆、あるので、特定個人で言えば、楽天ミキタニが出してくれます、お願い、が足りないのですよ、みんなで、お願いするんです、ミキタニ大明神、「歴史に残る男」になってみないかい? ってね。愛ちゃんも、歴史に残る機会が、眼前にあるのですよ、死刑存置に、説得的な、「五千字」を、期待しています、わしはすでに、歴史的な人物になってしまったようです、ちなみに、二回目です、そろそろハンドルを替えて遊ばねば面倒ですね、ファンが多くて。そのときは、アイピコ、とかにさせてください、偏差値が70になりそうなので。
あ、ちらっと、目には目、の話が見えました。プラスアルファ、を付けていたウッカリモノがいましたが、「目には目」ですよ、それ以上は、絶対に、とってはいけまへん。人の命も、すべてが死刑、ではないことは分かっているのに、なじぇ、目には目、を出すのでしょうか。ケースバイケース、だからこそ、適正手続きが必要なのです、当該ケースは、死刑か無期か、存廃とは関係ありまへん(凶悪事件・一般論なら、よしですよ、もちろん、いらんこと書きました)。
だとすれば、もし被害者の遺族がそれを望まなかったとしても、加害者は、かならず死刑にすべきなのでしょうね。でなければ、応報を命じる神様の意志に背くことになるためです。
山崎元さん
ものの本によると、神には、さばく機能と、ゆるす機能の双方が備わっているらしいので、神であれば「死」と判断するかどうかは、かならずしも確実でないと思います。
ただ、それ以前に、見えないところまで見て、絶対的な判断を下すことは、われわれ人間には、できない相談ですので、そもそも人間が、神の視点に立つこと自体、ありえないことだとも思いますが。・・。
個人的には、刑罰は、神的正義の実現の手段というよりは、あくまでも社会秩序の維持のための人為的な制度、というあたりが、しっくりするところです。
作業員さん
>あ、ちらっと、目には目、の話が見えました。プラスアルファ、を付けていたウッカリモノがいましたが、「目には目」ですよ、それ以上は、絶対に、とってはいけまへん。
絶対的な応報に関しては、強姦犯を、強姦によって応報していいのか(加害者を強姦していいのか)、という議論もありますね。
>経済学的に見て【終身刑】など愚の骨頂です
あらおこちゃまねー、とは、おっぱい星人であっても、おっぱいのないわしには言えまへん、ママを紹介しなさい。終身刑が、愚の骨頂である、のはなじぇか、できれば、読者に「僕ちゃんが」伝えてみてください、わしら暇な「大人」ではなく。困ったとき、大人が使う、「質問を質問で倍返し」、です。ちなみに、死刑廃止は、死刑執行停止、に始まるでしょう。その前に、終身刑導入、となるか、今は、そういう時期、ではないでしょうか。わしの個人的意見では、終身刑でも、(ごくごく小さな可能性で)出られる、という制度を望みます、超少数意見でしょうが。
>【更生】ってなんですか?
社会復帰でええでしょう。
>誰が望んでいるんですか?
とりあえず、わしが望んでいる、というより、祈っています。
>投資案には経済的効果が重要です
なんですか? この日本語は。
>パーソナルな活動とブログの主張に矛盾があるから
矛盾って、山崎ケースを例示せずに、矛盾がある、のですか? 幻覚なら、一度、江原に相談してみてください。それから、愛ちゃんは、ひょっとして、聴こえる人、ではないですか? 江原みたいに。
>国際的協調?こんな時だけ協調ですか?いつも自己主張せよのくせに
だりが、自己主張せよ、なの? ラーメン大好き小池さんでも、家にいますか?
>世間は 実にコスト意識があるし、現状認識もある。後、被害者に対して実に“優しい”。
あなたは優しくないので、被害者を冒涜していますよ。コスト意識があるのかないのか知りまへんが、コストの計算は、でけていまへん。計算すべきは、誰ですか? 立証責任を、大人はよく転換します、覚えておきなはれ。よく読むと、世間が下した結果が、コストを意識した結果だ、となっていますよ、株価に織り込み済み。結果が変わっても、コストを意識したことになります。計算しなくても、出る、んじゃないですか? 結果、があれば。
>死刑囚の今後の(無いに等しい)労働生産性を奪い、遺族の労働生産性がさらに高められれば、国全体にとっての全体最適化となり何よりです。
死刑執行で、ご遺族がバリバリ働くようになる、根拠って、なんですか?
国全体の最適化?、ですか? 国全体? 国に、情緒情動は、ないんですよね? ジーデーピーのことですか? で、死刑の式は、これですか?
>殺人者は 人命+機会費用>地球 なんですよ。
>一般人が 人命>地球なのに、図々しくありませんか?
>機会費用の位置を間違えてしまいました。
で、正確な式は、どうなるのでしょうか? 何、言ってるんですか? パレートなんとかとか、ナッシュなんとかか、信リンみたく上手に、解説してもらえんですか? この式から、国?全体の、何が出るんですか?
>私は人殺しは死刑であるべきと主張し、その論拠として【コスト】と【更生】を出しているのです
おめ○とぽこち○でしょ。
>子供は 将来付加価値をもたらすので許される
>生活保護者は、将来付加価値を生まない
>ホームレスは、未来永劫、付加価値は産み出しません
なん中華、ゆとりちゃんでしょうかね。子供生活保護者ホームレス、は三者が重なることがあるし、三者の将来、に区別などありまへんよね、株価がランダムに動くのと一緒でしょう、再チャレンジを含めて。安倍ちゃんでも、首相になれるんですよ、誰でも首相にぐらい、なれます、その「機会」を奪うか奪わないか、奪ってもいいのではないか、いやだめだ、と内観をしているのです、みんな。愛ちゃん、まず、ご両親に、この書き込みを見てもらって、わしに返信してくれまへんか? ママを紹介するついでに。
>『状況を一変させる事象』など起こりはしない
そうでしょうか。ご両親以外の大人が、結構まじめに愛ちゃんのことを相手してくれたでしょう。それは、状況を一変させる、端緒、ですよ。端緒、は辞書を引いてください、横着はいけまへん、ええ若いもんが。
>戦争時の兵士と凶悪殺人者と一緒にすべきではない 環境が全く違う
三光作戦は、ご存知ですか? 金やんのところの、銘酒「三光」、ではありまへん。うまい酒なので、よろしく。
>薬物中毒者や性犯罪者などは、即死刑で何が悪いのか こういう人間のクズに懲役○年なんて意味がない。そもそも脳みそがおかしくなっているのです。こういう奴らが更生するなんて有り得ない。
立証責任は、やはり、愛ちゃんにあるような気がしますが。脳みそがおかしいって、誰の脳みそも、おかしい、んですよ、人間ってやつは、欧州人より頭がいい愛ちゃんも含めて。失礼のないよう、身内、を例にだすと。店主とポンちゃんのお子さんは、障害者、です。障害者と、脳みそがおかしい人、の区別って、ありますか? ともに生産性がなければ、同じ、ですね。
店主のお子さんが亡くなった場合、機会原価?は、ゼロ、ですか?
>山崎さんの様な死刑廃止論者の嫁さんがレイプされ
こういう言葉を発した時点で、愛ちゃんはレイプマンとして、こと、を実行している、と連れの脚本家が言っていました。心理学者ではなく売れないホン屋なので、別に深く内観するほどの、分析ではないですが。
>死刑が廃止になり、ホームレスが強盗殺人をしたらどうなるのかな?
死刑が廃止になり、殺人をするのは、誰ですか? 胸に手を当てて、ホームレスに、謝罪しなさい、これは、アウト、です。
>死刑が野蛮?生かす価値がないから死刑なわけで。
>冤罪の可能性?痴漢の冤罪と同一視してません(笑)?
>もう少し、コスト意識持ちませんか?
生かす価値のないホームレスなら、冤罪で、クビキ殺されてもええのですか? コスト意識を絶対に持つべきでない、というのが、結論に思えますが、大人の。
>なんたって欧州人なんて馬鹿だから。
欧州人よりも、愛ちゃんが、馬鹿でない、立証はでけますか? わしはたぶん、欧州人より、アホです、すべて、日経新聞と、三の倍数と三の付く数字のせい、です。
>彼に代わって謝罪します(わし、謝る)
ひょっとして、愛ちゃんの読解力では、この「彼」が、理解できていないのではないですか? わかりますか? 「彼」を冒涜していることが? わしが、彼に替わって、彼に、謝っているんだから、礼ぐらい、言いなさい。彼は、三人目に死ぬのが、彼なのか自分なのか、彼と自分なのか、地獄の日々を生きているのですよ、君のせいで、わしは、いつか彼に直接謝罪しなければならない、と思いました。それが、なんちゃって仏教徒たる小説読みの大人の責任です。
〉〉償いの権利が無ければ道徳的生活は厳密に言って不可能である
えぇーわかりますよ。枕詞のようにおっしゃいますから。でも、“償い”をするには【更正】して貰わないと困るんです。殺されるかも知れないリスクって【コスト】なんです、一般国民にとって(←いい加減に分かって下さい)。で、殺人犯が、ただ生きているだけで償いになれば世間はお花畑なのであって、ただ生きるだけでも生活費やもろもろかかるんです【コスト】。働かなくてはいけないわけでそこでも一苦労、履歴書に嘘は書けませんから。家に引き込もって“償い”に没頭なんてされたら家人に多大な【コスト】を負担させます。
〉〉文明国では死刑廃止、【コスト】【更正】など決定的なものではない
死刑廃止国が文明国と言えるのかは、分かりませんけど、狙いは“人権”の利権なんでしょうね。取り柄のない国には、これが優れているってものが欲しいんですよ。CO2の排出権取引なんて経済学的に合理性ないのにブームです。利権争いですね。
こんばんは。
作業員さんに向けたコメントについて補足説明をお願いします。
(A)>機会原価(犠牲にされる経済的資源を他の代替的用途に振り向けたならば得られたであろう最大の利益額で測定した原価=つまり被害者が生きていたら…の価値)プラスして考慮してくださいな。
(B)>それは過去原価や共通固定費といった埋没原価込みの数字を含んでいそうなので一概に信じるわけには行きません。取替え投資案に用いる原価は未来原価だけなのです。
ここでは、「死刑存置」と「死刑廃止」が比較すべき選択肢ですね。
先ず、(A)ですが、刑罰がもたらす抑止力によって「被害者生きていら・・・の価値」を考慮しなければならないことは仰るとおりですが、「死刑存置」と「死刑廃止」で後者の方が犯罪の抑止になっているというデータは今のところ説得力のあるものがないようです(他の方のコメントを拝見してもそうですが)。この点で、死刑存置が有利であるという根拠とその程度(コストの差)を示してくれると助かります。
次に(B)ですが、「埋没原価込みの数字を含んでいそうなので」とありますが、埋没原価に相当するものは、具体的に何なのでしょうか。取りあえず作業員さんの数字を使うとして、終身刑のコスト=150万ドル、死刑がある場合のコスト(訴訟費用が大きいでしょうかね)400万ドルとある場合に、400万ドルの方には、どのような埋没原価が含まれているのでしょうか。
「利権」の話もなかなか興味深いご指摘ですが、論点から逃げているような印象を受けます(間違っていたらスミマセン。この点は、さほど重要ではありません)。
尚、老婆心ながら付け加えますと、「埋没原価込みの数字を含んでいそうなので一概に信じるわけには行きません」という文は、正直な文なのでしょうが、「いそうなので」と「一概に」という表現は、答案に書いた場合、採点する側としては、「おや。ここのところが、分かっていないのだな」と思って厳しく見て減点したくなる表現なので、かなり損であることを指摘しておきます。
よく分かっていれば、何を埋没原価として含んでいそうで、どう拙いかを書けるはずだ、と採点者は見ます。
GWも終わりましたね。学業、頑張って下さい。
愛ちゃんはベンサム先生の功利主義「最大多数の最大幸福」は常に正しいと考えているように思えます。たしかに経済学の考え方はかなり汎用性が高くて優れてるんですが、ときどき常識を外してしまうから気をつけようというのが僕の感覚です。
ロールズ先生の正義論を読んでみると、違った側面でも考えられるかもしれません。読書がメンドーなら、法学部の法哲学の授業にこっそり出てみると手軽にわかると思います。経済学以外の側面から考えるってのも、奥行きのある議論になるかもしれません。
恐縮ですが環境経済学の授業も出た方がよろしいかと思います。コースの定理や市場の失敗、環境対策費の限界効用なんて話が出てくると、排出権取引にも一定の合理性があると理解できるはずです。
僕は大学でもう一度勉強してみたいです。リタイアしたら聴講生をやってみたいな、と今のところ思ってます。僕も本を読んでお勉強してちゃんとしたことの言えるコメンターになるので、愛ちゃんもがんばって立派な人になってください。個人的には応援したいタイプです。
①殺されるかも知れないリスク・・・これは外部不経済ですね。一種の公害に当たると思います。
②生活費・・・これは彼の消費=誰かの所得にあたるもので、①のコストとは違う性質のものだと思います。
③つまり被害者が生きていたらの価値・・・これは機会損失のことですね。現在割引や範囲の特定といった定義を明確にしなきゃなって思います。
コストの定義はときにあやふやになるので、明示的に考えたいと思います。社会全体という考え方をするなら②については注意して議論を進めた方がいいかもしれません。
頭の体操だと思って、僕も考えてみますが、GWも終わるのでそんな余裕もないかもです。残念です。愛ちゃんは山崎さんや作業員さんのようにインテリな方々とたくさん議論できていいなって思いました。たぶん僕は仕事に忙殺されて、書き込みはグーンと減りますが、応援しながら楽しみに読むつもりです。
>そこには、被害者や(現在の死刑支持の割合は高い)世間の死刑回避の失望や死刑決定のフラストレーション発散による労働生産性の伸縮も含まれるでしょう。
死刑が決定すると生産性が上がるような国なのですか、この国は。具体的な資料でもあるのでしょうか?
通常、「死刑だ!やったー!」などと思う方はあなたの嫌いなワイドショーの影響下にある方でしょう。
また
「死刑じゃないの?うそー!もう今日仕事やってらんない!」
子供じゃないんだから、通常ありえない。
光市事件の本村さんの発言をすべて聞きましたか?彼は被告の死刑に歓喜しましたか?
>死刑が廃止になり、ホームレスが強盗殺人をしたらどうなるのかな?
ちょっと差別的な表現が目立ちます。
これは誰が読んでも、いくら何でもアウトです。
人の命の尊厳を問う、重大な制度の議論です。
自由な議論は当然ですが節度がなくなると説得力もなくなります。
軽々に言葉を重ねることのなきようお願い申し上げます。
追伸 作業員様
あまり茶化したらかわいそうな気もします・・。昔の左翼学生のように突っ走らないよう、うまくリードしつつ議論を活性化させていただけると読んでて楽しくなると思います。
あの文は、被害者家族や親しい関係者と読んでください。すみません。
1.はたして無期懲役は軽いのか?(死刑と比べれば軽いといえるであろうが)15年程度で必ず出所できるのか?だとしたら懲役20年のほうが重刑。
2.そもそも全殺人者のなかで死刑が求刑されるのはいかほどか?そもそも滅多に死刑になどならないのではなかろうか?
3.「捕まらない犯罪者」の方が「すでに捕まっている被告」よりも社会不安の要素になりうる。では死刑があれば検挙率が上がったり、犯罪数が減ったりするのか?
(いずれも現在統計資料を探しています。)
個人的な意見としては、基本的にこの国の死刑制度に反対の立場です。
そもそも現在の死刑制度は被害者家族や近親者の応報感情を満たすものではないと考えますし、現在までのところ抑止論も結論が出ていないので論拠としては「個人的感想」に感じます。
また、「この国に死刑制度を運用する」絶対正義を与えることには不安だらけ。
その上、これから裁判員として死刑にかかわるのは、言葉は悪いかもしれませんが観客席から急にグランドに立たされるほどの違いがあり、野次を飛したり応援したりだけでは済まなくなります。
エラー(量刑が情感に左右される・冤罪)等々は許されません。
山崎氏&作業員氏いわく98%程度に?解決するのには存置+終身刑導入をはかり、実質的な死刑停止あたりが当座の妥当な決着に思えます。
(ここは同じ意見に読めましたがいかがなものでしょう?)
ちなみにレスが付いていたので・・。
>あの文は、被害者家族や親しい関係者と読んでください。
これは訂正ですね。
するとその後の論旨が?のところも散見しますが仕方がないとしましょう。
>神=お釈迦様は女性差別をしました。
・・・・。3アウトです。
「お里が知れる」
正直、がっかりです。作業員様、やっぱり茶化しちゃってください。
〉〉kazさん
ご存じないかもしれませんが、お釈迦様様が女性差別をしていたという説はあります。長年、女性の出家を認めず、周囲の嘆願で尼僧第一号を誕生させた時、『あぁ、これで仏法は500年早く滅びる』とおっしゃったそうです。
つまり、山崎さんが【神】と言われますがそれまた不完全なりと言うわけです。
女性観が一番進んでいる中国の『法華経』ですら、『変性男子、転女成仏説』つまり、女人は業が深いから成仏できないので、命に仏を信じて男に生まれ変わってくることを願えとさ。
また、お釈迦様は今の人権思想からみて非常に反社会的なことを言ってます。仏教は、『三世の思想』なのですがこれは、過去世、現世、未来世から捉えます。「道端で突然、包丁で刺された。しかし、これは過去世において自分が誰かを刺したから今こうして酬いを受けた。もうこの業を未来に持ち越さなくて済む。ありがたい、ありがたい」と感謝しないといけないのです。不当に思える差別もみな過去世の業ということです。三世の思想を突き詰めると差別肯定思想なのです。
参照先までは追いきれていませんが、
「平成17年に仮釈放を許された者の平均在所年数は27年2月」だそうです
これは釈放されずに死んでしまった者等は計算に入っていないため、実際はもう少し大きい数字と考える必要がありそうです。
さらにいえば、死刑の人は釈放されることはないため
もしも死刑が廃止された場合には、死刑相当の罪で無期懲役になった人については、さらに長い年月が必要になるでしょうね。
(もしくは仮釈放されることはないでしょう)
例えばそれが40年とすると、20歳で罪を犯しても釈放されるのは60です。
私はこのことから
死刑に相当するような重犯罪に限っては、再犯の可能性を考える必要は薄いのではないかと思っています。
p.s.
平成18年の殺人認知件数は1309件です。
判決の下りる時期はまちまちなため、そのうちの何件が死刑になるかはわかりませんが、
最近は年20件程度、死刑が確定しているようです。
ありがとうございます。
実は同様の数値を別ソースで見たことがあり、確証を得たいと思い調べていました。
日本の無期懲役は、運用面では終身刑に近いのでは?というのが実感です。
このあたりが近年の「死刑論」からすっぽり抜けているように思います。
>平成18年の殺人認知件数は1309件です。
これもありがとうございます。
古いデーターで恐縮なのですが日本では平成15年度で約十一万人の行方不明者がいて、うち9万人見つかったそうです。(この手のまとまったデーターがきちっとみつからないのは僕のせいなのか?この国の行政が・・・)
二万人は見つからない、事件性ありのものとみられています。
また、変死の扱いなどの問題(検死官が足りない件はご存じのとおりで自殺なのか事故なのか、それとも殺人なのか?)などもあり、実際の認知件数はかなり過少なのでは?と推論します。
そのうちの死刑確定が20件前後ならば、相当死刑にはなりにくく、この点において「抑止力」
論に疑問を感じています。
>神すら不完全 (愛彦)
また、本論から外れて申し訳ないのですが、歴史解釈に続いてまた気になったものなので。色々な思想や宗教観というのも歴史的プロセスを踏んで生まれてきます。最初から完全な思想というものはありえません。ご存知のように現代の人権思想も、時代時代の宗教・政治・経済的各種状況から少しづつ醸成されていったものです。キリスト教神学の中にも聖書は神概念が進歩していった軌跡だと考える神学者がいます。例えば、よく宗教が原因で宗教戦争が起こるのだから、宗教は害悪だといったような論議がありますが、それは歴史状況を無視した論理の飛躍・言葉の暴走というものです。すべからく思想というものは完結した原理としてとらえず、時代状況を映し出す鏡と考えた方が、柔軟な思考のためには具合が良いと思われます。(そういう相対的次元を突き抜けて語りかけてくるものもあるとは思いますが・・・それは信仰ないしは芸術の次元の話です。)
>殺人犯が、ただ生きているだけで償い
償いの意味が、本当にわからないんですね。主体は、誰ですか。自他主客の区別がつかないのは、カウンセリングの前段階だとおもうので、更科大学の窓口で相談してみてください。真○先生に相談してもいいでしょう。
>一般国民にとって
国家イーコール一般国民、と言っているのではないんですよね。再度書きますが、国家に、情緒情動は、あるのですか、ないのですか。わしは、国家は、非情、だと思います。非情のライセンスですね、死刑ってのは(古)。
>ご存じないかもしれませんが
残念ながら、ものすごくご存じですので、続けましょう。某真宗のクソ坊主どもが、ドヘタレのアカ以上に先鋭化して、国家転覆をくわだてているのには、理由があります。彼らは、被差別民救済の一助、とはなったのですが、例えば、穢寺、を用意するような、完全な区別、を仏教的行為として、行ったのです。確かに、仏教には、強い差別思想があります、神道も同じです、習合していたことが、原因のひとつ、でもあります。冗談ではなく。密教系寺院の、御手洗、に、トイレの真言、が書かれてあったことは、有名です。トイレが穢れている、となれば、御手洗、というようなアリエネー名字の人が、仮に現世に存在するとすると、差別の対象になってしまいます、未来永劫。差別はいけまへん、人権派ならなおさら。そういう、細かなことを、一つ一つ乗り越えて、いくらか高みに向かおうとするのが、あるべき宗教者の態度でしょう。ちなみに、トイレの真言は、めーくいっとくっそブル、です(すいません、嘘、を言ってしまいました)。
関西人は、時間を、スジャータ、に教わります。関西人は、一人残らず、「とりあえず仏教徒」ですから、死刑廃止論者予備軍です。スジャータは愛ちゃんも知っているでしょう。スジャーター、ですね。修行がうまくいかず、死にかけのブッダに、ミルク様のもの、を与えた、と言われています。おっぱいのみたいのー、とか、茶化したりはしまへんが、カルシウムと良質のタンパクとヒンズースクワットだけが、健全な精神をつくる、と覚えておきなはれ、それが、精神のストロングスタイルです。
>独立投資案と取替投資案
この話は、リートを、国家にではなく、一般国民にお勧めになった、右巻きなのか左巻きなのか知らんが、藤巻ジャパーンに解説してほしいが、店主でいいです。案ではないと、わしは思うのですがね、店主。くじ引きではなく、置換でしょ、痴漢ではありまへんよ、愛ちゃん。現存する制度を壊して、新しい制度に作り替える、場合は、やってみなければ、わかりまへん。更生も償いも、やってみなければわかりまへん。不確実性の問題な気もしますが、エコノミスト山崎氏、どうですか? わしでは、愛ちゃんの、コスト論は、さっぱり、理解でけまへん、偏差値50ではお手上げなので、ツバシ講師の灯台経済、がんばってください。
>無期懲役は、運用面では終身刑に近いのでは?
これだけ変化の速い時代ですから、刑期三十年は、十分長いと思います。逆に、(愛ちゃんの嫌いな)社会復帰が、でけなくなりますね、ショーシャンクの空に、なわけです。
愛ちゃんは無理みたいですが、犯罪被害者の気持ちがわかる、頭が正常な人なら、監察医が千人足りない、ヤブ医者の世界の、異常、が理解でけると思います。死体を、千葉に捨てないでください、迷惑です(知り合いの某市民談)。
さて、最後は、チーム作業員の栄光、の中の、板前について書いておきます。ここにも、コメントをくれています。連れの板前は、どうしても、自分ひとり、死刑廃止、まで踏み出せないことに、ノイローゼになっています。なーんで、板前のオメーがよ、そぎゃん悩まねばいかんとか、刺身ばさばいちょけってヌシは、と言うのですが、「いや、これは俺の内観だから、おまえらには、そんなのかんけーない」、と聞きまへん。板前が、哲学者になる時代を、フラット化というのか、まな板化、というのか、どうなんでしょうね。
あと、元乞食で、現俳人の廃人の、わしのオヤジはよく、こう言ってました。「おとーちゃんは、病院にいくのが好きなんや。おまえみたいなひねくれた顔やなくて、頭の温かい子の顔、見るのが、好きなんや。悪意があるのは、こちら側や。ほんま、生きる勇気が、わいてくるで」。さて、障害者の笑顔が与えた、生きる勇気、を、数値化してみてください、暇な人は。ちなみに、マクドの笑顔の価値は、0円ですね、さすが偽装管理職の店です、みなさん、笑顔に、チップなり組合費カンパなり、価値、をつけてあげましょう、もちろん、巨乳には、倍付けです。
なんとなく、ここを覗いておられるような気がしたので、あさってのコメント、しときます。日本人は、ものすごくズサンなので、死刑でなく、無期・絶対終身、などの刑でいいなら、まあ、だいたい、有罪でえんでね? とか言いかねないので、わしも、この点には、ものすごい危惧をもっています。しかしまあ、死刑は厳然と眼前にある、わけですから、先、の話はいいでしょう。袴田事件の執行をとめるために、全力を尽くす、だけですね、人権派は。ちなみに、わしゃ、なんもしとらんです、ボクサーの支援はしてますが。
>死刑廃止論者は、凶悪殺人者の【更生】についての経済学的意味を答えられない。
うーん、オッパイ星人のオッチャンは、譲るところがないぞ、自己愛ピコピコ星人くん。そろそろ、あほー学部でなく、賢い経済学部だけど、池田信りんのブログで「曾野あほ子大江集団自決論争」まで、勉強している愛ちゃん、貧乳と巨乳好き各一名の、経済出、に、おしえてくんろ、「更生の経済学的意味」、とやらを。ひょっとして、意味、について、自分は知らない、のに、おっちゃんたちに、尋ねたのか? 職務質問じゃなかろうに、なんでんねん、ほんま、通り魔かいな。愛ちゃんは、信りんファン、みたいなので、教えておいちゃるけんど、山崎つながりで、「山崎行太郎信りん論争」は、わしのジャッジでは、山崎の勝ち、やね。曾野に仮になんぞの理屈があっても、曾野は生まれつきのアホ子だから、支持したくねーな、生まれつきの鬼畜少年を死刑にしろ、に近いね、なにごとも、ケースばいけーす、なのだな、世界ってやつは。心配すんな、門は閉ざされてはいない、店主のケツの穴は、でかい。意味を、意味を、意味を、教えてくれないかい? では、意味とオッパイに飢えたオッチャンは寝ます。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2388178/2905033
ニュース見つけたので貼っておきます。
山崎さんの2008-05-06 03:05:12の投稿を読んで
死刑賛成でしたがわからなくなりました。
でもコンクリ詰め殺人の犯人が今年で全員出所した
そうですね。そのうち一人は早速傷害で逮捕されたとか・・殺人犯の隣に住む可能性の高い一般人としては
本当に恐ろしいです。
真っ当な社会人には例え罰金、科料でもそれが冤罪ならば大変理不尽なダメージです。そのような想像力がなく無期、終身刑ならば「冤罪でも」よしとする司法は果たして死刑のときには急に良心の呵責に目覚めるのでしょうか。私はそうは思いません。
冤罪の可能性が極めて高いと思われる、高知スクールバス衝突事故や菅生事件のような裁判をする司法は自分たちの組織を守るため、或いは行政が望む特定思想の弾圧ためならどんな手段を取ることも厭わないのです。そのような人たちは”死人に口なし”と安心して濡れ衣を着せる判決を書けるのではないでしょうか。
いざというときは保身と上意下達一直線の心許ない司法の良心についてあれこれ考えるよりやはり冤罪被害者は生きていなけれは名誉挽回のチャンスは永久に失われるという事実の方が明快です。
「死刑廃止が生む冤罪の増加」などという御仁はなかなか論破しづらい死刑存続の抵抗勢力である、冤罪被害の恐さを訴える人々を懐柔しミスリードするための詭弁にすぎません。
2007-08-29のクローズアップ現代で「無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~冤罪に揺れるアメリカ~」といった内容が放送されました。私はやはり「隣に住む」殺人犯よりどこかの誰か(この場合は国家)に自分たちは力の及ばない殺人に関する特殊な権能を与えてしまうことの方が恐いと思います。
合衆国憲法で銃で身を守る権利を与えられている市民でも国家に”睨まれ”たら一個人ではまずどうしようもありません。しかし、たかだか前科者が隣にいるかもしれないということであれば個人でもできる安価な武装と警戒でその身を守ることも可能です。
死刑は事後処理でしかありません。たとえ懲役一年でも殺人などしないであろう一般市民の感覚の延長線上でそれが死刑ならば殺しを躊躇い抑止力になるというのは甘い期待だと思います。 再犯再犯と仰る人には福田被告に殺人の前科があったかどうか考えて欲しいのです。
であるならばどうしたらよいのか。もし本村家にスイスやアメリカのように銃があり一家がその扱いに慣れ、幼少より安易に人を信用することの非を説く教育を受けていたらどうだったでしょうか。あんなむざむざとニセ水道局員の福田被告を家に入れることはなかったのではありませんか。私はこどもの頃より”友情”を賛美し人を信じられることを美徳とするこの国の教育を憎みます。自分の身は自分で守ろうとしない国民のお上意識とそれを許さない国を恨みます。
全ての女性が銃を持ちその訓練を受けていれば犯人には覚悟が必要になるのです。それこそが本当の抑止力であると思います。
いやぁ、「隣にいる殺人者より国家の~」←おそらくこう言えるのはかなり稀少なお方ですよ、ホント。あなたの投稿見て寒気がしました。あんまりの想像力の欠如に。民主主義、資本主義を信じていながら、なにもかも人権思想に合わせようとするのを評論家呉智英氏は、【人権真理教】といっている。まさに、人権思想の洗脳なんです、殺人者が隣にいるより、国家に権力を持たせる方が怖いなんていうのは。
実際、元殺人犯が隣に住んでたら引っ越すんだから嘘は言わないように。【正常な人間】は殺される危険に晒されるようなリスクを回避したいと思うリスク回避型合理的人間なのです。
基本的な情報をありがとうございます。wikipediaの懲役の項、知らなかったことや曖昧なイメージしかなかったことが分かり、目からうろこです。
>平成18年の殺人認知件数は1309件
このなかのいくつかがマスコミをにぎわせるのですね。(「にぎわせない」タイプの殺人とはどんなものなのでしょう)。
>日本では平成15年度で約十一万人の行方不明者がいて、うち9万人見つかったそうです。(この手のまとまったデーターがきちっとみつからないのは僕のせいなのか?この国の行政が・・・)。二万人は見つからない、事件性ありのものとみられています。
びっくりです!1年間で2万人の人が消える!「本当の世界は私の知っている世界とは別のものかも知れない」という気がしてきました。
第一段落の「人権真理教」のあたりは偏差値30の僕には論旨がよくわかりませんでした。ヤンチャなことを言ってるんだろうなあというのは、おぼろげにわかりましたが。。。
第二段落の最後は殺人経験者が横にいても引越して逃げられるけど、国家に睨まれたら逃げようがないから、やっぱし国家に権限を持たせない方がいいという風に読んじゃいました。どう解釈すればいいんでしょうか。
もう枝葉の議論でホントはどうでもいいんだけど、リスク回避型合理的人間であっても、必ずしもリスクを回避できないと思います。人生はいろいろと制約条件が多くて、経済学の教えの通りいかないようです。たとえば持家の人はなかなか逃げられないはずです。不動産手数料ってバカにならないんですよね(涙)死んだほうがマシなくらい引っ越しビンボーになってしまいます。
せっかく反論するなら、読みやすい文章の方が愛ちゃんファンの皆様は喜ぶと思います。小論文では1段落を、意見→理由→説明→例示といった順番で書くらしいので、この順番を少し意識するとよいと思います。自分は出来てませんが(^_^;)
私なりの考えを述べさせて頂きたいと思います。
そもそも、「先進国の定義」とは何なのでしょうか?
「死刑廃止」であれば
「先進国」なのでしょうか?
人口が多く経済も豊かであれば
「先進国」なのでしょうか?
広く開かれた政治により安全に統治されていれば
「先進国」なのでしょうか?
最近わからなくなってきました。
本論からは少しばかりずれますが、
現在の世界情勢は一部の国家を除いては
今だ新兵器開発や既存の軍備増強に熱心です。
今や北朝鮮・韓国・中国などはその気になれば
日本を軽々蹂躙でき得る程の力を持っています。
韓国に至っては元首自ら「我が韓国が
全アジアを併合し新しい秩序を作る」と公言しています。
アメリカ・ロシアは冷戦終結にも関わらず互いを「仮想敵」とし、
これからも先未来永劫新兵器開発を続けるでしょう。
「全世界協力により地球環境を維持し、
同時に均衡な経済発展を目指す」EUでさえ
新型戦闘機を開発し、日本の自衛隊に
次期主力戦闘機として売り込んでいます。
EUの中には「死刑廃止国」が多いのは周知の事と思います。
ですから、アジア同様軍備増強を図っている以上は
「死刑存置は後進国」、「死刑廃止は先進国」と
一括りにできないのでは、とも考えます。
何を以って「先進国」とするのか、
また、その定義による「先進国」に追従していれば
理想的な未来が訪れるのか、私にはわかりません。
一体何が「先進国」なのか、無学な私に教えて下さい。
ただ、監視カメラが限りなく増えていくのが、その方策だとは思いたくないのですが。
某死刑存置藤井くんの言うことは、年が近いのでなるべく聞くようにしていますが、すべて日教組に育てられたせいだと思いますが、わしは死刑廃止論のまま、ですね、ちと上の、森達也を支持します。森の本で、藤井くんは、たしか、「現実に、出てきた彼を、彼が殺めた例は、知らない」という趣旨のことを発言していたと思います。実際に、自らの手で、復讐した彼、というのは、まず、いない、と言えるでしょう。この事実には、留保があって、「道具」がない日本において、の特殊な話かもしれない、となります。が、道具ぐらい誰でも用意できますし、被害者に突然憑依する大衆がいくら多くても、その大衆の多くは看板あげてるヤーコーにはちびりあがっているわけで、そういうどこにでもいる使える人に頼んでも、復讐は簡単に実行でけるわけですね。曾野あほ子がよく、世界の飢えた人はみんながまんしてるんだ、日本人もがまんせよ、とか、アホまるだし、なことを言いますが、みんな復讐心にケリをつけているので、彼もがまんすればええ、とは、愛ちゃんではないので、さすがに言いまへん。ただ、人殺しなど、気持ちのいいものではないから、やめろ、と言うだけですね。
現実として。殺したい人間が処刑されず、復讐もうやむや、というのが、人間社会です。国家が、特定個人の魂を救済することは、ありまへん。国家が、追加的な処刑を排除することは、かろうじて可能です。
で、更生の問題は、未来永劫、残る、問題なので、スパッと、愛ちゃんに、きってほしいものです、数式は、まだですか? 愛ちゃんがつくった数式には、わしが名前をつけてあげますから、はやく掲載してください、ノーベル賞も真壁より先にもらえるかもしれまへん。店主の好きな、ブラックショーツ式でもいいし、わしのような関西なまりの、シュレデンガナ方程式でもいいでしょう。
にしても、愛ちゃんさあ。地球のウエイトを出すなら、トン、とか単位をつけてください。それから、勝手に経済学風の呼び方をせずに、定義、をそえてください、脚注に出典を書くのも忘れずにね。ほんでから、メタファーとして、なにか地球っぽいものを使いたいならば、死刑はブラックホールである、ぐらいの芸、をみせなしゃい、みんな忙しいのに遊んでくれているのです。
結局、死者の価値は、重さ、なのか、円、なのか、あんた、秤、も用意せずに、何を計測しとるんかね? 呉は、わしと並ぶ、日本を代表する中島みゆきファンですぞ、先崎もいれてやるけど。誰の名前をひいてもいいけんど、愛ちゃんが名前を引く場合は、「本人の了解をとりなさい」、いや、まじよ、これ、迷惑やから。
>何が「先進国」なのか
わしでよければ教えてさしあげましょう。先進国とは、大衆リンチのない国、ですね。それから、間違ったら間違ったと謝る国、ですね、山本一太は辺見庸に謝れ! それから、漁師はどうせセンダラの子たちで悪人だから、イージス艦でひき殺してやればいい、「ライフジャケットを着ていない漁師どもが悪い」なんてことを、公共の電波には、絶対に乗せない、国ではないでしょうか、もう少し詳しく聞きたかった、押売に電話して、シンボーの小僧に聞いてみてください。
最後に、金やんのところの大学を出ている田中森一について書いておこう。田中が、闇の守護神、なんてのは、大嘘だとわしは思っていて、田中なんてのは、裏にも表にも、顔がきいた遣り手で、まあ、偉いわな、その意味では。で、何がいいたいかというと、田中は、裁判官志望だった、のよ。だけんど、アカの友達がいたので、検事どまり、だったわけ。わかる? 裁判官というのは、まあ、それぐらい、国の犬、なの。問題は、世事に疎いこと、と結論を書いておくけんど。国の犬が、無期、無期、と向きになっているときに、やね。押売のシンボーがやったのは、アカ狩り、人権派狩り、だったわけや。吉岡忍はそれがわかっているから、小僧たちに、ギョーギ、しとるわけね。愛ちゃんのように、山崎行太郎にギョーギされるよしりんに育てられたトンパチは、アカ狩りが人権派狩りになりカイドー狩りになり在日狩りになりナンミョー狩りになり耶蘇狩りになり。ヤドカリの分際で、かばちたれなよ、と最後は、ええ大人に、ギョーギされるわけや。
おぼろげながら、ヴィジョンが見えたような気がします。
しかしながら、いずれの内容も今の日本では難しい、
というより不可能に近いのでしょうね・・・。
私の理想は「軍事兵器に類する物は二次元にしか無い世界」です。
尤も、これも不可能なのでしょうね・・・。
リスクは、リスク、コストは、コスト、でないですか? 株投資においては、リスクはリスク、コストはコスト、のような気がしますが、リスクはコスト、なのかなあ、店主。ちなみに、店主、津野義道のファイナンスのテキストで頭の体操しとるんやが、「いくらか」でも、現実に使えますか? 無駄なら、やめて、丸山の小説に没頭しまっけど。
>償い をするには【更正】して貰わないと困る
更生してから、償うんですか? 夜間中学で学んだ、在日一世の人の方が、正確な日本語をお使いになるとわしは思いまっけど。困る って、なんですか? 愛ちゃんの情緒が、安定しないってことですか? カルシウムとかオッパイで解決できますよ、愛ちゃんの情緒なら。ジャニタレみたく、ポンは食ってはいけません、本でも読みなさい。
>殺人犯が、ただ生きるだけでも生活費やもろもろかかるんです【コスト】。
自分で自分の言っていることが分からないんですね。ツバシ商学部出のクラタマでも、「アシスタントは必要ないけど、大量に雇ったことにして、脱税する」、ぐらいの知恵はあるんですよ。ダメダメじゃないですか、愛ちゃん。ちなみに、胸囲ばかりでカップのない店主の連れの、くらたまは、悲しいかなほんのちょっとだけ好みなので、「更生」したことにしてやっとるんよ、遅漏の情けさ。慈悲ってのは、いつかお返しがある、と信じてもええんでね? わしゃ、絶対、北芝より、ええ仕事するで、マエ持ちくらたまー。
でまあ、コスト分だけ、稼げば、ええわけやな。わしと店主と愛ちゃんが、死刑囚で、償いのために小説を書きました、誰のが売れる? わしやろ(まあ言わせてくれ)。経済評論なら、店主やろ、手鏡植草は、中でも、ええ仕事がでけるんとちゃう? 愛ちゃん、君は、何を売りまんねん? コビ、売るぐらいでないのか、牢名主に。入ったら、ケツ、ほられるんだから、ケツの穴はせいぜい、わしや店主程度には、拡張しときんしゃい。安倍ちゃんみたいになる必要は、ないんだがな。どや、おっちゃん、おもろいやろ。ムショの悲惨は、故山本夏彦の弟子の、ジョージ・アベの書いたものでも読みなさい、元ヅラ議員のジョージ・ヤマモトの仕事も、立派です、完全に、更生しておられます、脱帽です、愛ちゃんより、お国のために、なっておられます、ご両人とも。
>“人権”の利権
逐語的に、間違っているって、君、タ○ダイか? 冗談冗談、卒業生の半分がポリ、半分がハマコーかヤーコー、とかいうパンチのきいた大学は、もうないらしいなあ、しょぼーーん。ちょっと、大人のギョーギに使わせてくれ、ここを。死人の口なし、の話やけんど。電通の犬の田原の一党の大谷が、別に大谷派とは関係ないんだが、宮崎学親分の連れの大谷が、やね、黒田、黒田、死んだ大阪押売のジャーナリスト黒田の名前を出すのが、はらたってシャーナイ、大谷、ええかげんにせーよ。命かけて言えるが、黒田さんは、ハシシタなど、絶対に、支持しない、安田タタキなんぞに、絶対に、のらん、ほんま、テレビ芸者もええが、ジャーナリストの死人に口なし、なんて、無様なことすんな、あほたれ。大谷、おめーにあおられて、生まれたモンスター愛ちゃんや、おめーがメンドーみんかい、ハシシタのカバン持ちにでも、紹介して、ギョーギ、から教えとけっちゅう、話や。
再掲 更級大学某教授の教え子が発表した 歴史に残る【死刑の方程式】、ちゅうより、思考停止やんけ、ハナクソ。
>殺人者は 人命+機会費用>地球 なんですよ。
>一般人が 人命>地球なのに、図々しくありませんか?
>機会費用の位置を間違えてしまいました。
①近所では殺人事件は起こりにくいであろう。
②家賃がきっと下がるであろう。
結構、いい事ばかりかもしれない・・・
横道に逸れて申し訳ないのですが、国家の定義は、「軍隊を持っていること」です。念のため。
知っている言葉を使ってみたいだけであれば、小沢エントリーに書きなさい。侍氏の、どこに、人権思想などありまっか?(ごめんね、武士氏)
リスクはコストですが…(笑)、まぁいいです。あなたの議論は仏法と人権思想をごちゃまぜだから空論なのです。そんなに、救済、救済いうなら、オウムの朝原に『自分のしたことは殺人じゃない。救済なんだ。人権思想などという愚かな王法から見れば殺人かもしれない。しかし、聖なるタントラブァジラヤーナから見れば救済なんだ。ポアなんだ。王法で俺を裁けるものなら裁いてみろ。タントラブァジラヤーナ以外自分を裁くことは出来ない』と言うように活動してくださいよ。
仏教は三世の思想です。不当と思える不条理な事柄はみな過去の業ということです。しかし、日本の仏教のどこかの団体が阪神淡路大震災はじめ様々な天災、あるいは脳死判定や臓器移植について立場を明らかにしていますか?発言できるはずなのです、現世だけではない、本当に未来世があると信じているのは。どこの仏教の教団も堅く口を閉ざしたまま。それどころか多くの仏教団体は錦の御旗のように『人権』をスローガンに掲げる。つまり、信じているのはのは民主主義(最大多数の最大幸福)なのです。
おわかりですか?
すまんが、訂正させるのは、やめてくれ。平沼日本会議系石原信者の霊友会や早稲田生長グループが、人権などスローガンに掲げていますか? 彼らは、法華経を読んでいるんではなかったですか? よくしらないんだけど(違っていたらすまんす、信者さん)。さっき、霊友会の活動家に、おい石原信者、おめーは死刑廃止派か? ときくと、反対っていうのだけんど、テロは、日蓮が許しているからいいんじゃないですか? って言うから、そりゃ、いいといえばいいのかもしれんが、ひとまず死刑に反対してくれて、ありがとう、と言うておいた(たぶん、石原信者でも例外中の例外とおもうが)。愛ちゃん、知らないことまで、書きたいなら、小沢エントリーへ、どうぞ、では。
あなたの議論は仏法と人権思想をごちゃまぜだから空論なのです。救済、救済いうならオウムの朝原に『自分のしたことは殺人じゃない。救済なんだ。人権思想などという愚かな王法から見れば殺人かもしれない。しかし、聖なるタントラブァジラヤーナから見れば救済なんだ。ポアなんだ。王法で俺を裁けるものなら裁いてみろ。タントラブァジラヤーナ以外自分を裁くことは出来ない』と言うように活動してくださいよ。
仏教は三世の思想です。不当と思える不条理な事柄はみな過去の業ということです。しかし、日本の仏教のどこかの団体が阪神淡路大震災はじめ様々な天災、あるいは脳死判定や臓器移植について立場を明らかにしていますか?発言できるはずなのです、現世だけではない、本当に未来世があると信じているのは。どこの仏教の教団も堅く口を閉ざしたまま。それどころか多くの仏教団体は錦の御旗のように『人権』をスローガンに掲げる。つまり、信じているのはのは民主主義(最大多数の最大幸福)なのです。
おわかりですか?
それはさておき、どんどん難解な愛ちゃんワールドになっていきますね。よくわかりませんが、応援してます。
我々パンピーは仏教ときくと、あの優しく楽しそうな異教徒の狐狸庵先生も感心した、なむあみだぶつ、なむあみだぶつと唱えていると、絶対他力で救われる浄土真宗のようなものをイメージします。愛ちゃんのリーンカネーションで因果応報な世界とはちと違うような気もしました。
遠藤先生の誰かの追悼文によると、遠藤先生は白鳥になって天国へむかったそうであります。あーめん。
このエントリーは、仏教がどうのこうのという、ある意味で難しい話をする場所ではありません。また、噛み合わない揚げ足取りで、暇を潰す(本筋から逃げる?)のは非建設期でしょう。
愛彦さん、【コスト】はどうなったのでしょうか。貴兄の死刑存置肯定論は、コストの議論に基づいているはずでした。死刑存置と死刑廃止のコスト比較はどうなっているのでしょうか?
作業員さん。教育は大いに「いいこと」だと思いますが、子供に、あまりに同時にあれこれと教えようとするのは、いかがなものでしょうか。消化不良を起こしたり、本筋からの余計な逃げ道を作ったりするので、逆効果になることもあります。
根拠のない推測ですが、実は、更級大学のM教授などは、案外、子供扱いが上手いのかも知れませんね。
>論理的に負けそうになると
これこれ。ここは勝ち負けを争う場所ではありませんよ。
それに、論理的にキチンと自説を説明することから逃げているのは愛彦さんの方ではないですか?大きくは、死刑存置の方がどう【コスト】が小さいのか、細かくは死刑存置のコスト計算の中で何が【埋没コスト】なのか(あなたが、含まれているようだ、と述べています)を愛彦さんは、まだ説明していません。(詳しくは、私の2008-05-06 22:37:52のコメントを参照して下さい)
作業員さんその他、他人の話へのちょっかいよりも、自説の筋道を明確にする方が重要でしょう。
勝ちだの、負けだのと、子供じみたことは言いませんから、ご自分の意見をはっきり説明して下さい。
(結成を呼びかけた動機について)裁判員制度が開始されると、裁判員が自分としては無実じゃないかと思っても多数決で死刑判決をするケースもありうる。職業裁判官でない人にそんな十字架を負わせていいのか。せめて死刑と無期懲役の間に別の選択肢を設けるべきでは?ということで呼びかけ人になった。今、国民の世論からして死刑廃止は難しいが終身刑なら理解を得られるのではないか。「死刑廃止を推進する議員連盟」では「裁判員裁判では死刑は全員一致とし、過半数だった場合は終身刑とする」という案をまとめた。
(死刑廃止の立場は変わらないのか、の問いに答えて)人の命を大切にしようという国が、人の命を死刑で奪うのは自己矛盾だ。犯罪被害者、遺族の「極刑を求める」感情は当然だが、死刑があるからそれを求めるのであって、もう一人死者が増えることを求めているのではないはずだ。今回の動きを通じ、死刑についての国民的議論が高まればと願う。
で、自他主客公私、の区別がつかないのは、結局誰かが、尻をふかんといかんのだが、まあ、自己責任でええとしよう。ほんでから、仁義としても、戦略としても、相手を知る、ことから始めねばならんよ、愛ちゃん。先に言うとくが、ここは、「店主の店」で、愛ちゃんが、ケンカを売ったのは、「店主に対して」、でしょ、にわか評論家黙れ! と書いたのではないですか? エントリーの参加者をいじるのは、例外ですよ、わしも、屋山ぽん太郎、以外にいじったことはありまへん、愛ちゃんが子供(実際は三十ぐらいか)なので、ママ(ばーさんかなあ)を紹介してほしいのと、更生の可能性、を信じて、いじっているのです。玉砕を覚悟で、「店主に」、勝負をいどみなしゃい、ニッポンダンジでしょうに、違うのか?
で、まずねえ、「山崎語録」をつくらんといかんよ。わしは、店主に、「不治の女子穴レベルの年収2500万で、転向って、泣けるー」みてーなことを言われて、すでに、村上へいぽー全発言、を用意している上に、全山崎発言を乗せて、おい山崎ちょっと待て、と、からんだんやで。目、鼓膜、のど、金的、Gスポット、攻める場所を選んで、正確に撃てば、体格の差は補える。まず、こう言うんや。「おいおい、リストラオヤジがコンビニで働いて、年収六百万、って、おいおい、一年ポン食って働いても、そないにはならんで、為替がどう動いても、そないな価値は、無能なオヤジにはありまへん」。ほら、店主の、ふぐりが、縮みあがってヘソまで上がるわけや。他者の観察と内観、せっかくなんだから、かいてかいてこく、こいてこいてかく、あるべき若者像を示してください、愛ちゃん、逃げないで、仏壇返しやなかろうに。小沢エントリーへ、どうぞ、こきかたかきかたこしかたゆくすえの相談には、他愛の精神あふれる、保護司金やんが、のります。
店主、すんまそ。ここは、死刑ネタ以外なし、にしますが、「経済学的意味」、も、大変ですね、シニフィエシニフィアンすてきやん? 意味あるんでしょうか、経済学なんて? 絶対に、(経済学の)先生にはならないでおこうと思いました、店主もですよね、無理無理絶対無理です、殴った方がはやいです、ネットなので、マエがつかなくて、ほんと、神様はうまく、世界を、設計、なさっておられます、えーーめん。
以下、筋にもどりましょう、みなはん。愛ちゃんは、ひきとります、ケアマネ金やんが。
斜め読みしかしないので、あやふやなんですが、三日遅れの毎日は、もう少し詳しく書いていました。死刑存置派は、絶対に出られない、刑を用意しないといけない、と考えて、ひとまず、集まってみたそうです。民主ハト派の鳩山の方も、死刑存置だそうですね、靖国の白いハトは、タカ派の白いハトだ、と言った連れがおりますが、鳩はタカかあ、なんだかなあ、宇宙人にも、死刑って必要なんだなあ。月に、刑務所つくったら、だめかなあ。いずれにせよ、制度が動き始めている、感じはしますね。サメの脳みそと書いたらサメが怒ったあほのてんこ森と、日本で一番ダーチーな亀井が集まって、死刑廃止もないでっけどね。
しかしながら、この件については、私は静香さんを支持(彼の選挙区だったとしても一票は入れないが)するものであります。自分が死刑にならないために死刑廃止運動をするというのは、とても立派な心がけだと思います。つまり、自分だけが蜘蛛の糸で助かろうというのではなく、蜘蛛の糸に取り付いてくる罪人全部を自分ともども救おうということですよね。
死刑廃止が実現した暁には、お釈迦様は静香をお救い下さるのではないかと思います。(すみません。もののはずみで仏教カラーになってしまいました)。
仏教はよく知らないが、仏教系のなんとか真理教のグルみたいなやつは死刑に値するから死刑はあったほうがよいのじゃないかな。
いくらになるか知らないが、死刑囚の角膜、腎臓、肝臓なんかを全部うっぱらえば、多少の利益が出るので、死刑は存置して、売却する制度を作ったほうがいいんじゃないかな。
2文めは山崎氏のいう「自分が神になった気分の単細胞」の典型です。「なんとか真理教のグル」程度の認識しかない人が「死刑に値する」と躊躇なく断じれる傲慢さは驚くべきものがあります。
3文めもおぞましいですね。臓器売買という生命倫理にも直結する問題についての躊躇いはないのでしょうか。その安易な提案は人の命を何とも思わない「うっぱらえば」のあたりにその残虐性が集約されているように思え嫌悪感しか残りません。
上の人、もし合理的行動が取れる本当の公務員だったらこう思っても書かないんじゃないかという気がするから隠れ死刑廃止派の可能性もあります。しかし、どちらにせよ昨今の国をみていればこういう公務員がいそうなリアルさはありますからどちらにせよ”死刑”などとんでもないですな。
人智を超えた犯罪には、犯罪者を三途の川を渡らせることによって、決着を神仏任せにすることができた訳です。
しかし特定の文化がもっているはずの死生観というものが弱くなり、世界観が一元化している現代においては、人間社会が唯一存在している現実となります。(例えばカミュの例をとりますと、『異邦人』の最後で、神なき世の中で、主人公は人々の憎悪を受容するわけです。彼は許しをもらったのではなく、人間である彼が人間世界を許した訳です。)
こういう認識のもとでの死刑は死によって、個人を完全に(社会的)現実から抹消するという考え方でしょう。
しかし、この考え方は一方、二つの矛盾した認識を生むでしょう。
そのひとつは、人間の法的制度に限界があること、死刑制度そのものが法制度の無力を表すことです。
もうひとつは、他者を殺す権利を社会制度だけがもつ、という制度の絶対化という側面です。
制度は、制度自体の正当性の基盤を求めますので、前者のような無力を嫌うでしょう。
また制度は、自己監視という観点から、後者のような絶対性も嫌うでしょう。何故なら、制度装置というものは、自己組織の恒常的維持を求めるものでしょうから、有機的な組織体として自己不全に陥るようなこと、絶対化の極点で正しいフィードバックがなくなり、過剰な正のフィードバックによって組織が自壊するようなきっかけを嫌うでしょう。
このため、成熟した社会制度は、より制度の完成を高めるという点から死刑制度を投げ捨てることになると予想されます。
しかしながら、ここにおける死刑制度の廃止は、けして道徳的な完成という意味ではありえません。一言で言えば管理社会のいっそうの完成といえると思います。そのような制度の元では囚人はリサイクルされるべき人的資源として管理されることになると思います。死刑制度から逃れた人間は、終身刑制度の下で、より高い「生産性」を義務として果たすことを要求されるようになるでしょう。既にその兆候を散見することができます。一部民間企業への刑務所運営の委託や、ソフトウエアプログラマとして囚人を労役させようなどの計画等にです。おそらく、臓器の再利用の提案などが出てくるのも、そういう兆候のひとつだと思われます。きっとシジフォスの神話がより堕落した形で実現するのです。
これは、島流し、ですね。どこかに、囚人島をつくって、上空から、最低限必要な量の物資だけ投下して、あとは、自己責任の均衡で、サバイバルさせる、というのは、なんとなく、桐野なんとかの小説みたいでんな。死んだことにしてやる、というのは、人間の知恵でしょう。
>もし死刑制度が存置され続けるとするならば、どこかに「水に流す」あるいは「清める」仕組みが制度内か制度外にあるべきだと思われます。これは死刑廃止においても同じことが言えると思います。
仰るとおりだと思います。「清め」の基盤としては、宗教が最も手軽でしょうが、残念ながら、適当なもの(現在、日本で広く行き渡っていて、教義が有害でないもの)は思い浮かびません。理想論的には、世間の常識を「清め」に通用するレベルまで持ち上げることでしょうが、これも気が遠くなる作業です。今のままだと、制度がどっちに転んでも、死刑存置派にも死刑廃止派にも、もやもやした感情が残りそうです。
あくまでタクマ、とわしが呼んだ、彼、について、地上波は、心、に踏み込んで、解釈、のまねごとをしたけれど、ズサン、にも、ほどがあるものだった。彼が、ホテトルをレイプして肛門性交を繰り返していた、という事実をネグッて、彼の行動を、解釈、したりするのは、反則だと思う。解釈、はかまわないし、清め(この言葉は使わない方がいいけどな)もいいが、サブプライム地上波に、そんな神業、させて、どうすんの?
清めのためかどうかはよくわからないが、あの小学校の一部建物を壊す、と話が出たとき、わしは、「ならば、あの小学校を、廃校にせよ」、と言って、ケーワイちゃん、と呼ばれたわけです。でも、どうでしょうか、高級外車で、何時間もかけて通う公立学校に、抱く、貧乏人の、恨み。筋違いでも、議論、すべきではなかったか、と今でも、わしは思うのです。事実関係はすべて、出す。思ったことは、すべて、言い合う。そういう空間だけが、お清めの空間、ではないでしょうか、清め、はないと思うがの、店主が宗教臭くなるってのも、話が話だけに、いたしかたないか。
>清め、はないと思うがの
作業員様の仰りたいことは、分かるような気がします。「ブラックウオーター」が無いかのように生きてはいかん、というお叱りだとは思います。
何故、宗教臭い表現になってしまうかというと、現代に生きる我々には昔日の「罪」「罰」「許し・許されること」の意味が良く分からなくなっているため(私も分かりません)、その痕跡を辿るしかないからです。それを指し示す現代的な用語や概念が見つからないのです。頑張って表現しようとしても、山崎様が仰るような「もやもや」という言い方が精一杯なのだと思います。
追伸:ただいま、ご推奨?の『どくろ杯』の方読まさせていただいております。
最高裁判例 1948年3月12日
「…また日本国憲法第31条において、国民個人の生命であっても法律の定める適理によって、これを奪う刑罰を科せられることが定められているとした。そのため日本国憲法は刑罰としての死刑制度存置を想定したものであり、肯認しているから合憲であると判決した。」
これによると、熱烈な山崎ファンの人達は憲法も判例も無視したことになりますね。理論派と定評のある山崎さんのファンの中には論理的でない人も少数?いるようです。
自分の感情を肯定するために、憲法をも捻じ曲げて解釈する人々に私は怒りと恐怖を感じます。あくまで自分の感情と事実は別物だということを学んで欲しいと思います。私は前にも書いた通り死刑反対です。ただ、憲法は死刑を容認している事実は冷静に受け止めています。
誤解のないように書けば、私の気持ちは、島保裁判官の補充意見「何と云つても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」と同じです。結局は死刑合憲判決になったとはいえ中身は複雑なのですよ。
「最高裁判例 1948年3月12日」の主文はお読みになられましたか。そこの最後の段落には「憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論」とあります。これは要するに死刑の消極的承認です。
死刑存置は違憲なのではないかという原告の主張に対してそうとまではいえないとして退けるためこのような判決になっているだけであって死刑をより積極的に肯定しているわけではありません。「熱烈な山崎ファンの人達は憲法も判例も無視したことになりますね。」などとエラソーにいうのは筋違いでしょう。
なぜならゆうじ様が積極的容認と消極的容認の区別もつけずに判例を持ち出して水戸黄門の印籠のように出すからそれに対して応酬した場面はありましたが基本的姿勢は最初は山崎氏もその他の死刑存置派、廃止派も共に憲法と絡めて論じようとはしていないのですから。
当事者(犯罪者、被害者)や関心を持つ世間一般にとっては、どんな判決であれモヤモヤが残り、完全な「清め」にはならないかも知れませんがが、「気持ちが完全に満たされる」というのはこの世では虚妄ではないかと思います。
昔は、今と違って「罪」「罰」「許し・許されること」の意味がはっきりしていたのでしょうか?
私には分かりませんが、「はっきりするべき」とは思いません。話はちよっと違いますが、靖国神社の存在意義などが連想され、人工的な仕組みは新たな無理を生みそうで怖いです。仕組みは今のままでいいと思います。ただ…
>事実関係はすべて、出す。思ったことは、すべて、言い合う。そういう空間だけが、お清めの空間、ではないでしょうか
本当にそうだと思います。今回の光市事件についても、例えば「平成17年に仮釈放を許された者の平均在所年数は27年2月」という事実が、世間一般に知られていたら(無期は7,8年で出てくると思っている人が多いみたい)、もう少し「あらまほしきお清め空間」になっていたかも。
今朝の地元紙に、森達也さんが「リスク過敏症/減る凶悪犯・実感は間逆」と題して書いておられました。
07年に日本で起きた殺人事件の認知件数は1199件。これまでの最低記録91年の1215件を更新したそうです。ちなみに戦後日本での最高は54年の3811件。人口比で考えれば4分の1近くの減少です。
森さんは、こういうことがほとんど知られていないのは「不思議な現象」として、事実に反して体感治安が悪化し「煽られた不安や恐怖が燃料となって、人の意識が変わり、さらには法やシステムが変わる」危険を指摘されています。
「ありのまま事実」がもっと報道され、「ありのままの事実」にもっと世間一般が関心を持つことを期待して止みません。
数字(視聴率分計)がとれるから、殺人事件、あるいは拉致事件を垂れ流す、とれなくなったら、また、次の、大衆の興味。別件でいえば。あのミサイルと核施設の映像、って、何年前のでしょうか? 何千回、垂れ流したら、気がすむんでしょうか? そして、それすらも、やめてしまいましたね、アメリカが、転向してしまうと。
一つ、気になりますね。犯行時、17歳なら、みなさんは、死刑にしろと、絶対に、言わない、のですか? 法的根拠はない、ですよね。それとも、殺せ、でしょうか。18歳と一ヶ月、は本当に、小さなこと、でしょうか。法律をまもる気があるのかないのか、内観は大事でしょう。わしは、愛ちゃんがいうように、仏法の方が上、もあるかなあ、とは思いますが。
それ。それです。多分みなさんおっしゃると思います。それで森達也さんご懸念の「煽られた不安や恐怖が燃料となって、人の意識が変わり、さらには法やシステムが変わる」事態になるのだと思います。
森さん続けて曰く、「2000年に少年法が改正されたとき、少年の事件が急増し、かつ凶悪化していることが前提だった。でもこれも調べればすぐに分かるけれど、少年事件は大きく減少しているし、凶悪化もしていない」。
どうやら光市事件は少年法改定直後のことだったみたいですが、もし17歳だったら、さらに「煽られた不安や恐怖が燃料となって」、「17歳で死刑にならないのはおかしい。少年法でもっと年齢を下げるべき」という流れが作られたのではないかと思います。
それにしても、「政治には参加させない。結婚するには親の許可が必要」という「正式に未完成とされている人間」の行為に対して、国家が「正式にその人間を抹殺する」という決定をするのは何とも酷い気がします。辻褄を合わせるには、親の責任&社会全体の責任&政治の責任が加味されるべきと思うのですが。
(すみません、死刑制度から話が逸脱してしまうかもしれませんが)昔も意味ははっきりしてなかったでしょう。ただ、我々が現代捉えているような感覚や意味づけとは異なっていたでしょうということです。もはや世界観そのものが異なるのですから、昔と今では感得できるものもまた異なります。
私は靖国神社的なものは想定しておりません。それが明確な制度の形をとりえるのかどうかさえおぼつきませんし、どのようなものになるかさっぱり分かりませんが、我々にも二元的な、あるいは多層的な現実観というものが必要なのではないかと思っているのです。それは非合理主義でありかつ非現実的であるという謗りは免れないでしょうが、数百年をかけてでも現在の常識というものを変えていくように努力することには意味があると思っています。それは意図しては実現できないよと言われてしまえばそこまでですが。辺見庸氏の言われる「もごい」という感覚が育ってくる土壌に現代の主流な世界観や制度がなりえるのかどうかは甚だ疑問な為です。前述しましたが、現在の制度の将来についても楽観はできないと思います。(世界観と制度と殺人の発生には密接な関連があると思います。アメリカインディアンのある部族では数十年の間、殺人がただの一件もなかったという例があったらしいですから。ただ、出典が今分かりません・・・もしかしたら神話の類かもしれません。)
>事実関係はすべて、出す。思ったことは、すべて、言い合う。そういう空間だけが、お清めの空間、ではないでしょうか
これを否定するつもりは毛頭ありません。が、言葉で言い表しきれないものが、いつまでも残る場合もあるのではないでしょうか。すみません、それはきっと背後世界だ・コミュニケーション不全だと非難されてしまいますが、明確な言葉ではすくいとれないものもあると私は信じます。信じてしまうと議論の対象になりませんので、これは私のチョンボですね。
殺人の減少については他にも書いてらっしゃる方がいらっしゃいましたが、ご指摘の通りだと思います。特に少年の殺人事件は減少していると聞いております。(森達也さんのドキュメンタリー作品と著作については、私も愛読させていただいております。)
もうひとつ。店主やわしは、ボクシング好きで、しかもたぶん、相手を殺してしまいそうなファイターが好き、なんでしょうけど。日本では絶対マイノリチーの、死刑廃止、など唱えてみる、というのも、ひとつの抑止力なのかな、と思います。自身の中の、暴力性やろくでもなさ、を抑え込むために、とりあえず、人殺しだけには、絶対的に、反対しとこかのう、と思うのではないか、と思っています。店主のことは、店主にきかねば、わからんけどね。
遅きに失した感があります。残念無念。
しかし、日本語の活字がめっきり少なくなった生活を送っている私には、本1冊ぶんの節約になりました。そのうえ、暇で死にそうな私のために、おまけつきとは・・・・・。
ありがとうございます。
話は変わりますが。
本日プリンタを設置しようと思いましたら、なんと接続ケーブルが別売りになっておるではありませんか。
背に腹は変えられぬと、不承不承選んだキヤノ○製のプリンタでございます。
日本にいる間に点検しなかった私が悪いんですが、まさか、PCへの接続ケーブルを別売りにするような商法が存在するとは、思いもよらなかったのです。さすが、キヤノ○の御手洗氏の配下は目の付け所が違います。例えケーブル1本でも販売機会を逃さないという徹底した商魂は見上げたものです。
しかし、ここ異郷の地において、ケーブルを手に入れることは至難の技です。
恐らく売っておるだろうと目算する場所まで、往復2時間かけて行かねばなりません。ネットショッピングなどという離れ業も使えません。
さて、これからケーブルを買いに行ってくることにしますかね。
ご意見を拝見して、しばらく自分なりに考えてみましたが、今のところ私には、残虐な殺人をおかしたことが「明らかな場合」にも死刑という選択肢を「あらかじめ廃しておく」ほうがよいとは思えません。
不完全な国家や公務員(や陪審員)による冤罪の可能性がゼロではない、というのは、「明らかな場合に」
は、あたらないでしょうし、必ず死刑にはしない、というのは、死刑を望む被害者や遺族にとっては、やはり確実な強制なのだと思います。
その強制は社会的に望ましいことなのではないか、という御意見がありましたが、それを行うのは、具体的には「体制(国家?)」だろうと思います。
うまくいえないのですが、体制が暴走して冤罪を起こす心配もあれば、体制がやすきに流れる心配というのもありはしないでしょうか。
話が違うと感じられるかもしれませんが、
現在にいたる、精神に障害をもつ犯人への刑事罰忌避の「制度化」は、その昔に、暴走した人権派が熱狂的に公的な審議の場をのっとり、その後、判事・検察・弁護士の司法関係者の事なかれ姿勢と、精神科医の商売から、「定着」してしまったと私は思っています。(加えて端的に言うと、現状の体制は、犯罪を起こしていない精神障害者にたいして侮辱的だと思っています)
体制というシステムの行動にたいする心配は、「厳格」方向にも「寛容」方向にも、気をつけなくてはならないと思います。
よくいわれる「善意が暴走する」ことには、死刑要求にも社会主義共産主義運動にも人道的軍事介入にも、そして死刑廃止運動にもありうる、のだと思います。
私は、人道的軍事介入も、社会共産主義運動も、そして死刑や(減刑運動も)、ケースバイケースで、社会的にあってよい場合が、ありうるのではないかと思っています。
日本の殺人事件が減り(よろこばしいことです)、被害者や遺族に死刑回避が強制されることなく、死刑判決が減って、たとえば何十年何百年に一度となるのならば、望ましいことだと思います。
(ちなみに、私自身が被害者や遺族になった場合にどう考えるかは、その時になってみないと分かりません。ただ、その時の「怒り」「憤り」も踏まえて意志を決めることは、「感情に流される」のとイコールだとは思えないでいる自分がいます)
多くのコメントを読んだ上で、いろいろ勉強にもなりましたが(死刑存置のコストが高いというのは何に主にかかっている計算なのでしょうか?)、やはり私には、どんな犯罪にもはじめから死刑を回避しておく、というのは、なにかの「信念」の発露なのではないかと思えてなりませんでした。
そして、殺人にあった被害者や遺族に、その信念を強制する、というのには、私は肯けないでいます。
◎
以上の意味で、私には「冤罪」をどう考えるかが、死刑論議のいちばんの焦点です。(個人的には、犯人の年齢も、凶悪殺人の前では本来は法的には考慮されるべきではなく、一律に「死刑を適用しうる」とすべきだろうと思っています)
山口での事件の裁判では、冤罪かどうかが問われていないからこそ、「ドラえもん」うんぬんの気持ち悪さが出てしまったのではないでしょうか。
私には私の信念が色濃く出てしまっているのではないかとも思います。
ただ、あの裁判での「山崎さんが感じた弁護側の気持ち悪さ」を具体的に教えていただけると、何かの参考になりはしないか、とも思いました。
長文にて失礼いたしました。
殺人事件の被害者遺族は、まことに不運で同情に値する、ということは、私もそう思います。また、遺族が犯人を「殺してやりたい」と「思うこと」は、精神の自由の範囲であり、止められません。実現されるのは困るけれども、気持ちは分かります。報じるメディアは金目当てでしょうが、「殺せ!(=死刑に)」という遺族の声を聞くのも我慢はできます。
しかし、遺族が犯人の死刑を要求する「権利」とは、何に基づいて正当化(単に法律レベルだけでなく、哲学レベルでも)されるものなのでしょうか。
また、冤罪でなければ、犯人を殺していいのでしょうか。懲役何年がいいのか、無期がいいのか、死刑がいいのかというのは、しょせん人間が決めたルールです。そのルール自体の適否を問いたいところですが、絶対的に「死刑」となるべき条件は、何であり、それは何に根拠を持つものなのでしょうか。
たぶん、最終的には戦争への賛否と同じで、国家(あるいは社会でも)をどの程度信用するかにかかってくると思うのですが、「死刑」や「宣戦布告」まで出来るような権利をあらかじめ国家から奪っておく方がいいような気が、私はしています。
本当に、裁判員制度がどうなるのか、さっぱりわかりまへん、わしは、辞退する、とここで宣言しとりますが。で、精神科医が、裁判官になってしまっている、という批判は、ずっと、わしが、してきたことです。裁判官が、本来の職務を放棄している、というより、「精神科を峻別している、体制の、いやらしさ」、が、わしには耐えられない不快なので、おめーら、反体制のわしをなめとんか、といい続けてきました。ところが、最近になって、裁判所は、またまた、方針を転換、しやがったのです。精神鑑定を、超えて、裁判官が判断する、本来の姿に戻った、のかどうか、これがまた、あやふや、なんです、どーしますよ、みなはん、裁く立場になったら。わしは、辞退しますが、どーせどーせ死刑廃止派ですけん。
具体的に言うと、リベラル派は、戦争と罪責で有名な野田さんを用意し、反人権派らしいタカ派は、なんでも責任能力で有名な自称自身が患者の小田ちゃん、ちなみに、金やんとこの大学の出、を用意して、あーでもねー、こーでもねー、って、やってたんですね。タカ派が用意する評論家は、言うまでもなく、なんでも死刑!の土本のおっさんですね。リベラル側の代表は、今後は、ニワカ評論家山崎元であります、仕事の幅が広がってなにより。店主は、宗教臭くなくていいよ、わしゃ、自身に自信がないから、宗教を便宜上つかってみてるだけやからなあ、理詰め、は店主にまかせる。
本ケースに戻ると、無期の判断を下さしたのは、お国の裁判官であるのに、「ちきしょー、人権派安田めー、死刑廃止だとー」と、わけのわからんことを、押売のシンボーの小僧とハシシタが言ったわけです。安田は、人権派ではないし、無期の判断を下したりもしとりまへん、再考を、再考を、再考を。
それと、更生・社会復帰の話だが。厳罰化をよし、としても、社会復帰はダメ、とは、必然的になるもんではないんだよなあ。でも、社会復帰を許さないかたち、をわざわざ、用意しとるんよね、社会は。たとえば、微罪でも、実名報道、するやろ、被疑者段階であっても。かの、反人権派のハシシタであってさえも、被疑者、もっといえば、被告段階でも、名前をふせてもいいんじゃないか、と言うとったと思う。人権派、なんて、妄想は、ええかげんに、自身で乗り越えてくれ。
山崎さんからのコメントに先日納得し、殺人鬼とは言え人を殺す事の余りの重さに耐え切れず死刑制度廃止へと考え方を180°変えました。
しかし凶悪犯罪事件ことを思いその後も絶えないいたましい報に接するたびに心が揺れます。
抵抗出来ない(或いは、出来そうもない)相手を選びその命を奪い魂にも過酷な深いきずを負わせた者に生き続ける権利はない、人から与えられる死の恐怖を自らも実体験すべきだ。
この2本の支柱を底から周囲を取巻く形で補強するのが、許されない犯罪とその罪を犯した者に対する怒り、憎悪や憎しみです。
自分が享受する権利を他の人から奪った以上はその者にはもはや享受はさせてはならない。
殺人と言う罪が何処かにあってたまたまそれがその者をして人を殺させたのではない、その者が自らの行動で尊い人命を奪い魂を傷つけ人を不幸のどん底におとしめた以外に何ものでもない。殺人犯が死刑に処せられようとも、或いは生き延びようとも決して解放されることのない悲しみ、無念さ、もって行き場のない重過ぎる思いが生涯残るのです。
犯罪発生を事前に阻止し少なくとも最悪の事態に至らしめないことすら出来ない神とか至高の存在が(在るとして)殺人鬼を罰することもない以上は、不完全ではあっても社会を構成するメンバーが最低限の秩序を形成維持しようとすることが、例え多くの苦悩、苦悶と苦痛を伴おうとも、正しいのではないかと考え、正直に告白しますとこの確信に近い思いが、断ち切れないのです。
他方で矛盾するのが、相手が殺人犯であっても、人で在る以上は殺す事はしてはいけないこれは確かだ、との確信です。
それ故なのでしょう、殺人鬼と呼ぶことで人として扱わなくて済みそうな方法を考えます。許されない罪を犯し生命を奪ったのだから奪われるのが当然の帰結だと思いたいのです。
もしかすると、制度廃止に組する本当の理由は自己矛盾を乗越えられない程に弱虫なので仕方なく人様の力も借りて制度の廃止を望む、依拠出来る制度を無くしておこうという無意識が働く、ただそれだけのことなのかも知れません。
実際に裁判員の一員として生の事件に極めて近い立場となった場合、次々と見たり聴いたり接することとなるであろう資料や肉声の数々に、深層心理が強烈に動き激情(怒り、憎悪、憎しみ、許せないとの強烈な思い込み)から死刑宣告人に成って仕舞うのではないだろうか。
しかしまた揺り戻しが起きます、不完全である自分が加担し実行する殺人が果たして正義なのだろうか、被害関係者の方々からはこれで同感を得られるのであろうか、世の安寧が保たれるのであろうか、自分は5年10年の長期にわたって心の平静を保てるのであろうか。
本当に判りません。
人を殺す事に組する事が本当に正しいのか一抹の不安を抱えるのも事実で必ずここへと思考が戻って来て仕舞うのです。
P.S.2008-05-05 09:55:12の寄稿コメント最終行を次の通り訂正します。
無期懲役を宣告して苦しむことのほうが自分が加担した死刑執行に苦しむよりも、不完全な人間としては正しのではなかろうか、そう思えてきました。
残虐殺人の被害者と遺族(被害者は生前に意志を明示しておくしかないのでしょう)が、死刑を求める権利について自分なりに考えてみました。私は、それを認めておいていいのではないかと思っています。
◎
法律的には、「残虐な殺人をおかした犯人であることが明らかな場合」に「裁判官に死刑判決を求める旨を陳述する権利」でいいのではと思います。
事実認定と量刑認定を分け、後者について被害者と遺族が意思をうったえる権利です。
被害者や遺族の意思陳述が死刑を求めるものであっても、事件のケースバイケースで「死刑としない」という判決があってもいいでしょう。
(司法、裁判官や裁判所は、ある事件に対するある判決につき、被害者・遺族・犯人・社会に対して、その厳粛さを受けもつわけです)
しかし、死刑廃止とは、殺人のどんなケースであっても、あらかじめ、その裁判で死刑をもとめること自体を許さないということです。
私には違和感があります。
◎
「権利」とは、語源や人間の感情から考えても、ライツ・正義の感覚を含むものだと思います。
凶悪殺人の、明らかに犯人である場合には(≒「神」のように事件を見た場合に)、「死を。」という感覚
が死刑存置の考えにつながっていることは、素直に認めなければならないと思います。
◎
また、現状で日本に死刑があり、また国際社会に死刑を存置する社会がある、死刑の存在を、知っている以上、死刑を廃止するとは、ある個別の遺族には、死刑を求めること自体を奪われる、強制される、という感覚、素朴には「権利を奪われる」感覚といっては言いすぎでしょうか。
:::::::::::::::::::
上記を考え合わせると、「死刑廃止」とは、具体的には、「個別ケースで明らかに被告に凶悪殺人をおかされて死刑を望む被害者と遺族」が、大多数のそうでない投票有権者の意を受けた政治家の立法によって、あらかじめ個別のケースでの死刑を求める機会を奪われて、刑法全体の改変に挑まなければならない、ことに
なります。
私には、非常に違和感があります。
◎
刑罰には基本的に応報の要素が強くあると思います。
罰金か懲役か、罰金は幾らか、懲役が何年か、おかした行為の、被害者と遺族への、また社会への、重大性、悪質さ、に比例させようとするものでもあります。そして、その量刑は、神ならぬ現代社会(現在までの法とこれからの立法と司法)がある部分「恣意的」に決めています。死刑が論議される犯罪だけが、
応報性で決めるべきでないとはならないでしょう。
◎
死刑という行為・作業にかかわる公務員がいるから、死刑を廃止すべきだとは思いません。(仇討ちならいいのかという代案はともかく)死にまつわる職業は、
厳しく重い仕事、というだけです。厳粛であるべきだと思いますが、あってはいけない仕事ではないはずです。また、俗に「刑事や税務官は人を疑うのが仕事」といいますが、疑うのが仕事でありつつ、しかし社会に必要な職務です。もちろん死刑存置論者は、死刑にかかわる人間を蔑視することがあってはならないでしょう。
◎
遺族が犯人の死を望む場合に、絶対的な「死」刑にかんして、不完全である国家を使おうとする面があるのは認めざるをえません。自由に関するベキ論として、哲学的に疑義がありうる、とは思います。ただ、懲役
も、その何年か、二度と帰ってこない年齢の自由を国家が奪う行為です。そして、言うまでもなく被害者と遺族は殺人事件で絶対的に奪われています。
しょせん「完全」にはなれない国家や人間(遺族も含まれます)、しかし犯人がおこした殺人は究極に限りなく近い「試練」を不幸にも被害者に与えるわけです。ならば、その心の圧をへた、常人では計り知れない意思を、受け止めた上での個別判決があっていいのでは、と思います。応報(や復讐?)の心が、どれくらい生じるか、持続するか、意思表明に関する気持ちのけじめは、他者が決めることでもないでしょう。
◎
結局、「死刑廃止」とは、「もう被害者は死んでしまっているのだから、犯人に死を望むのはやめなさい」とあらかじめ一律に強制すること、それを遺族にも強制するかどうか(または冤罪の可能性を極限まで重視するか)の「信念」の問題ではないか、という考えから抜け出せない自分がいます。
◎
ぜひ加えたいのですが、殺人事件の被害者の、実名、
顔写真、勝手に解釈した人となりを、メディアにさらされることも理不尽といえば理不尽です。(知人に言われて気づいたのですが…)
たとえ、遺族が裁判で量刑を訴える機会を権利として認めるにしても、そうした場には、うまくいえませんが、もっと「(怒りをも含んだ)静けさ」が求められていいのかもしれません。
遺族の意見の陳述は、数年間、部分的に非公開としてもいいかもしれません。
(外交交渉などは時をへてから後世のために段階的に
公開されますね)
小飼弾氏(と内田樹氏)のブログです。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51050320.html
遺族の意思は量刑に影響すべきなのでしょうか。
死刑の有無にかかわらず、遺族の有無やその示した意思で、刑罰が影響を受けるという制度設計には、私は、違和感があります。
遺族が「死刑にしてくれ!」と言うことが量刑に影響を与えるなら、それは、刑罰が半ば、私的復讐の代わりをするということではないでしょうか。
立論によっては「復讐が大事なのだ」という立場もあるのかも知れませんが、私は、国家にそうしたことを担わせない方がいいと思いますし、復讐の禁止を制度設計のベースにする方がいいと思います。
それにしても、遺族ないしは世論が(人を殺せというものも含めて)希望の申し立てを行う中で、裁判員をやるのは、全く気が進みませんね。裁判官が自分だけで判決の責任を背負うのが嫌だから、裁判員を使うのでしょうか。理由はどうあれ、変な環境で、妙な制度が導入されようとしているようです。
あるブログを見たら、デブキョンのことが、かわいい、と書いてあったので気分がよくなり、やっぱり、強姦は死刑でもいい、と今日のところは、女にだけ甘く転向して、ちと小屋(ストリップではない)に行って風呂(泡ではない)でも行ってくる。
で、問題は、極刑、とは何か、の一点ですな。終身刑は、ゆるやかな死刑、とも呼ばれるし、死刑より残虐、とも言われるが、この辺りは、感受性の違いがでますわな、人それぞれ、のところに、ひとつの、極刑、を持ってこないと、制度、にならんので、未来永劫、議論は続くのでしょう。しっかし、鳩山家って、何宗でっか? 誰か、ギョーギ、せんのですか? タカ派のハトには、天罰が下ることだけ、祈りながら風呂につかります、一夜かぎりの転向とあいなりますかな。極刑こっけいウコッケイ、と意味のない言葉が浮かびました、卵、食ってないなあ、そういえば。ちなみに、人間より蝶々の方がかわいい鳩山が、コケ、にしているEUは、「いかなる死刑」、にも反対! だそうです。
存廃の課題に加え、確かに裁判員制度に就いても平行して今一度考える必要がありそうです。
1-2年前のことでしたか(時期はうろ覚えですが)外務省のWebsiteの国・地域のFileに日本に対するEUからの死刑税度廃止要請が掲載されていましたが、納得出来る説明・根拠は無かったように記憶します。(外務省・政府の見解も見かけなかったなあそういえば、あれはSiteに掲載公表した事実をEUに示すことが大事だと判断していたのでしょうかな・・・・。)
ともあれ相対する考え方を双方が認識し合い論議を深める「場」を大切にしたい、っとそう思います。
ご意見拝読しました。そして、自分とは「意見が違う」というより、「大きな前提が違う」という感じを強く持ちました。このままでは落ちつかないので、ちょっと書かせてください。
ご意見は、ひとことで言えば「死刑を廃止すると遺族が裁判で死刑を求める権利をあらかじめ奪うことになる。それはいかがなものか」ということですよね?しかし、遺族が裁判で死刑を求める権利はもともとないのでは?というか、どんな犯罪でも、被害者が裁判で「これこれの刑罰を下してください」というものではないのではないでしょうか。(間違っていたら、専門家の方・詳しい方、ご教示ください)。
それで、ご紹介のブログを拝見してふと思ったのですが、床屋政談さまは「復讐」と「賠償」をわりと似たものとお考えなのでは?
私は、その2つは違うと思っていて、「遺族のあるなしで死刑になるかどうかが左右される」というのは凄く気持ち悪いですが、「遺族のあるなしで賠償金のあるなしが左右される」というのなら分かります。
きっと私の感受性や信念が色濃く出ているのだろうと
思いますが、
◎
私は刑罰や償いというのは、社会からの応報、被害者は(残念ながら赤の他人も)公的な復讐をもって私的に精神のけじめを得るという要素は、感情のある人間、そして人間がかたちづくる社会にとって、抜きがたいのが現実なのだろうと思わざるをえません。(特に凶悪殺人に対しては)
そして私には、その現実を変えたい場合に、死刑が論議されるような明らかな凶悪殺人の被害者に、一律に「ある理想的な対応」を、立法を変えることで強いることには違和感がぬぐえません。
◎
たとえば、ある犯人に、死刑でない刑をもって対応すべきだというのなら、それを犯行や犯人の背景につき、個別具体的に説けばよいと思います。
百歩譲って、社会は死刑一般を避けるべきで、この犯人に対しても、そうすべきだという論でもいいでしょう。それを、その被害者や判事に、正面から説くかたちならば、その時それは(結果的に社会へもむかって)本当に説得力のある死刑廃止の説話になり、廃止に向けて世論が動くかもしれないと思います。
(その意味で、私は世間の圧倒的な同調圧力に具体的に立ち向かっている安田氏などには、山口の事件での弁護などに宗教的な臭いも感じますが、しかしなお、ほとんど尊敬の念も抱かざるをえません。)
◎
なので、仮に本村さんの旦那さんが山崎さんのエントリーのように「死刑を望まない」と公言されたとしても、それはよしとし、しかし死刑の存廃とは別であるべきだと思います。
◎
同時に、遺族が、当該事件での死刑をどう考えるかを述べる機会は(機会を望むならば)与えられていいと思います。
◎
現実的に、死刑は究極の刑罰であり、私は(何人かもしくは一人を殺めたら死刑といったかたちで)自動的に適用すべきだとも思いません。
また裁判一般に被害者の意向をむやみに反映すべきだとも思いません。ただ、殺人以外の普通の事件では、被害者は事実認定の席(名目?)で証言します。
とにかく、いろんな意味で、死刑や死刑適用が論議されるような殺人事件・殺人犯は、「例外」的にならざるをえないのでないかと思います。
※世論が一方的に沸騰しがちな事件(たとえば凶悪殺人)にこそ、裁判員制度は不適当だと思います(おっしゃるとおり判事側の責任回避でしょう)。
たしか宮崎哲哉さんの意見だったかと記憶しますが、規定の法で一見すると判定しがたいような、立法時に想定されていなかったようなケース、がよりふさわしいのだと思います(司法の現場は避けたがるでしょうが)。
凶悪殺人の犯人が終身刑でなく死刑になることで、精神のけじめをつける・つけたい遺族はいるか?
(→ いるだろう、と思う)
◎
被害者の感情で量刑は左右されるべき?
(→法理論的には分からない・されるべきでないかもしれない。が、通常の犯罪では事実認定の場で、被害者の証言がなされ、感情も加味されているのではないだろうか。たとえば痴漢や強姦、傷害、拉致、強盗、親しかったはずの間柄での詐欺など、深刻な事件ほど、感情を証言のかたちで訊かれ、量刑の判決がくだされている、と思われる)
◎
死刑という究極の刑罰の適用を判断する場に遺族とはいえ感情をもちこむべきか?
(→ 死刑が論議されるような凶悪殺人だからこそ、
例外的な対応がたちあがってくるのかもしれない。静かに行われるのならば是と考えてしまう自分がいる)
コメントありがとうございます。
私は法律に詳しくないので、自信がありませんが、被害者や遺族の証言は、司法にあって、原則的には、「事実を認定」するために用いられる(べきな)のではないでしょうか。
事実の中には、犯人の動機や、責任能力の有無など、判決・量刑に影響するものが含まれますが、これは、あくまでも犯人に関する事実が重要だということであって、遺族のような関係者の苦痛の程度や、処刑に対する希望ではないはずだと思います。
民事的な賠償はともかく、刑事的な判決が、遺族とはいえ第三者の「感情」に影響されるような司法は、それ自体としてダメなのではないでしょうか。
●
>遺族が、当該事件での死刑をどう考えるかを述べる機会は(機会を望むならば)与えられていいと思います。
遺族が「望み」を言うのは、彼らの自由の範囲内でしょうし、彼らの責任で行えばいいことで、それに、司法が加担するのはおかしいと思います(司法はできるだけ不偏であるべきだから)。
遺族は刑について述べない方が「より、いい」のではないでしょうか。遺族も、検察も、弁護人も、刑事裁判で主張していいのは、被告人に関する事実の認定に影響する事柄だけではないでしょうか。
そもそも、死刑を恐れるくらいなら人殺しなどしないだろ。
死刑廃止論vs存続論はまだまだ続く。
日本の国民、日本の法律、日本の社会は、ともに、この難しい問題である死刑廃止論・存続論を議論できるレベルまで達していない。国民の大半は思考停止人間だし、法律は矛盾だらけ、社会は崩壊寸前。こんな状態でこの難しい議論をするのは不可能。
だが、俺は死刑は絶対に廃止するべきだと思っている。
あと、あまり関係はないが最近人権のあり方を間違えている奴が多い。人権はいい人にのみ与えられ、悪い人には与えられないというバカな野郎がいるが、それはちがう。人権とは、いい人も悪い人も持っている物である。
この問題は、永遠に続くものだと思う。
いや、全ての実際に起きた出来事はは概念で解決は出来ないと思う。
社会は永遠に議論しながら歩んでいくのだろう。
しばらく考えて出た結論は被害者が受けた事と同じ事をするのが一番いいと思う。
私は法学にも社会学にも詳しくなく、まったく自信はありませんが、凶悪事件における法的判断に、「犯人が何をしたのか」につき、被害者にどのような「傷」を負わせたのか、は含まれていないのでしょうか。
山崎さんのご指摘のように、裁判では本来それは、含むべきでないのかもしれませんが、日本において、痴漢・強姦その他、凶悪事件では考慮されている印象があります(まず被害者に犯行時の自分と犯人の状況を訊くかたちで、たとえば恐怖を訊いていますね)。また判決の主文のあとにも「被害者に00の苦しみをあたえ、社会に衝撃を…」などとあります。これ(主文以外)は本来、余分なのかもしれませんが、ただ現状では、マスコミが騒ぐような有名事件でなくとも、被害者の苦しみも「考慮」して量刑がきめられているようです(しばしば考慮に深みがないようですが)。
また上記を抜きにしても、そもそも刑法に明文化されている犯罪ごとの量刑の大小は、あらかじめ被害者の苦しみを含めた犯罪の重大性によっているのではないでしょうか。
さて、凶悪殺人で当人の犯行が明らかな場合、被害者や遺族が犯人に死をもって刑とすることを望むという
ことは一定程度の確率で予想されます(割合はともかくまったく無いということは考えにくいでしょう)。
望まない人も、望む人もいるでしょう。私には、望むこと、そして死刑が、間違っているとは、言えません。仮に、終身刑にとどめることが、「いいこと」だとしても、被害者や遺族に「いいこと」を強いるのも
どうなのでしょうか。
そこで、「被害者や遺族の感情を審理に反映すべきでない」とすると、一律に「とにかくあきらめてもらう」か、できるだけ一律に死刑にするか、の二通りしかなくなります。
私には、前者でいくべきだとも、後者でいくべきだとも、思えないのです(哲学的には国家に頼らず自分たちで殺してくださいというのは考えられると思いますが)。
死刑判決にするかどうかはともかくとして、死刑がありうる裁判に、遺族の意思をきく場をもうけることは、「危険な一歩」かもしれませんが、ありえないことだとも思えませんが、いかがでしょう。
また、刑事と民事の裁判があるとして、凶悪殺人の被害者や遺族が死刑を望むというのは、民事裁判で犯人に死を要求するということなのかもしれません。民事裁判も、判決の強制執行は、けっきょく国家が担います。同じことといったら言いすぎでしょうか。
うまく言えないのですが、理不尽な殺人への対応で理を通そうとするときに、それが被害者や遺族に理不尽を強いるものになるならば、社会(具体的には国家)や犯人が「死刑殺人」という矛盾をひきうけるほうが、まだましなのではないかと思う自分がいます。
私、重複が多くて恐縮です。
ただ、山崎さんの最初のほうのコメント文中
>「仮に自分が命に替えても殺したい相手が居る場合、殺しても死刑にならず、生きられる保証があるなら、殺した方が得だ」。こう思う人間がいるかも知れないこと、さらに、ケースによっては、自分自身がそう思わないという保証はないこと
この主体を「凶悪殺人の遺族」で代入すると、やはり
>ルールとして、死刑の少なくとも可能性は残すべきだ。
と、ならないでしょうか。
制度にはいろいろな選択肢があるでしょうが、遺族・関係者の「復讐権」は認めない、犯人の犯罪を(世論の影響などを意識的に排して)極力客観的に個々に罰する、という制度が望ましいのではないでしょうか。刑罰が国家による復讐の代行という側面があるとしても、それはあくまでも結果論にとどめるべきで、目的化すべきでないと思います。
どなたかのコメントに、終身刑のコストが150万ドル、死刑のコストが400万ドルというコスト比較がありましたが、死刑存置の社会的コストが高くなるのは、死か生かという極端な分岐が存在することによって、これを争うことの(弁護費用などの)コストが大きくなるのでしょう。
「死刑の可能性を残す」ということで費やされる社会的に無駄なエネルギーも大きいのではないでしょうか。
また、国家が強制力を持つのは現実としてその通りですし、仕組みとして必要なことでもありますが、命を奪うところまでの強制力の行使を国家(といっても、最終的には何人かの関係する個人です)ごときに認めるのは行き過ぎのような気がします。(国家というと立派に聞こえますが、現実には、あの安倍晋三さんが首相になることもあるような、何とも頼りないものです)
この強制力の行使が、誰もが賛成する素朴な正義のためにだけ使われる保証はありません。たとえば、政治犯を国家に対する反逆として死刑にするとか、世論に迎合した死刑が横行するとか、国家が誤る可能性は大いにあります。国家が誤るのは死刑に限りませんが、人の死は重大且つ非可逆的なので、あらかじめこれを封じておくことが社会の知恵ではないか、というのが、死刑廃止論の一つの方向性だと思います。
もちろん、その場合に、「明らかに死刑にしたい」と多くの人が望むケースを死刑に出来ず、国民が満足(←些か醜悪な満足ですが、現実問題として)できない場合があるという難点はありますが、この難点は、国家の暴走を幾らか封じておくことのメリットよりも小さいのではないかというのが、目下の私の意見です。
このバランスはその国の文化・国民性・倫理観で異なり、よく死刑廃止論者の中で出て来る「世界的に云々」では説得力を持たないわけです。 あの手の理論では死刑存置者から言わせれば内政干渉の一言で粉砕されますからね。
死刑廃止論で死刑存置の人を説得するにはこのバランスの点で死刑存置の人を満足させるだけの意見を出せるかに尽きると思います。
大分前の話に戻ってしまって申し訳ないのですが、
>死刑になりたくて殺人を犯した
という人のために公認自殺場を作るという方法はいかがでしょう。
運営費の問題はさておき、無関係の納税者を殺めるより勝手に死んでもらう方が社会的に有益だと思うのですが…。
>政治犯を国家に対する反逆として死刑にする
のと同じでそういう人を自殺に見せかけて殺すという可能性は考慮していなかったのですが、
死刑を認めるのと自殺を幇助することの差が私には分からなかったりします。
『心臓を貫かれて』というノンフィクションをご存知でしょうか?
http://www.amazon.co.jp/心臓を貫かれて-マイケル-ギルモア/dp/4163521208/ref=pd_sbs_b_title_3
死刑になりたくて殺人を犯した人間がどのような人間であるか、どのような家庭環境に育ったのか、殺人犯の実弟が著者という本を、村上春樹氏が翻訳されています。既にお読みであれば、ご容赦ください。
私の意見ですが、そうした人間を、環境を理解せんと努めることは、特に当事者外の人間が死刑を論じるにあたって、コインの裏側の関係にあると思います。それは自分が置かれていたかもしれない環境と、そこでの自分自身に対する想像力ではないでしょうか。
でも社会は秩序という折り目正しい物語を必要としているらしい。必要としている根拠そのものは、いかに語ろうとも、結局よくはわからない。
殺人という行為そのものは、死刑によっても終身刑によってもどうにもできない時間に刻まれてしまった事実。それは死刑ないし終身刑によって防ぎようにも防げない、起こってしまった事柄に対する公の解釈なのだ。それは実刑が伴う解釈なのであって、抑止効果などという社会的力学が実在するという幻想とは無関係なものである。
その折り目の部分、社会という物語のひとつの終端部が死刑であるのか、それとも終身刑であるべきなのかは、我々自身の曖昧さへの怖れの度合いによって決まる。我々が曖昧さから逃避するならば死刑だし、曖昧さを薄目で見るなら終身刑だ。見たくないものを見ようとする勇気を持つなら終身刑だ。
これだから無政府主義者は・・・・・・
馬鹿はどんな馬鹿でも(世間的に有能、知能が高いと勘違いされている者は特に)困る。
このエントリーは、無政府主義の話でも国家主義の話でもないので、この話題はここ迄に。今後、話の筋に関係がないと管理者(山崎)が思った書き込みは、無断で削除することがあります。
また、ハンドルネームで結構ですから、書き込みをする場合は、「名前」を入力してください。
>長崎市長射殺:地裁死刑判決(毎日)
ま、死刑の話せにゃいかんか。さっき、涼みにサテン入って、週刊現代を読んだら、読んだら、いかんなあ、何も残っていない、大前のでかい顔、あれは、ポストの方やったかなあ、タコ社長の発言を擁護しとるその次のページが、ここまで毒のない男に生きている価値があるのかと思わせる声に出してマルクスを読む先生のコラム、だったような気がするが、すまんすまん、筋、が違うので、やめ。
連れが、ひつこく死刑ネタをふってくるので、さっき茶しばきながら言うてたことを、メモしときます。職業石原兄は、田中キンタマなど爆殺されてもしかたない、と言うてたわけでんなあ。メディアは、民主主義の敵を極刑に、的な報道をしとるけんど、民主主義の的って、おめーらもだろ三日遅れの腐れ毎日が、とわしは思ったりするし、犯人が、ヤな人ではなく、右翼、だったらどうなんだ、職業右翼どころか職業石原兄は、殺せ殺せ死刑死刑! って、押売シンボーみてーに叫ぶのかいな。思想、まで、裁く、のか、おめーら。裁判員になって、わしらアンポンタンのトーシロが、思想、まで、裁く、のか。わしは、辞退する、アナル好きやけんね、匿名諸氏の言い分にも、一理ある、政府を信用しとらんのに、死刑、はなかろう死刑は。わしは、一人も殺さない、という方に、論理的整合性を感じるんだがね、右派とはそこが違うわけやな。たとえ、田中キンタマでも、ふぐりの皮2メートルぐらいひっぱるぐらいで、勘弁したるわけや、仏心やがな。
で、わしぐらいまじめに信リンのブログを読んでいるおっさんもおらんのだが、たしか金やんも読んでたやろ、どっかで、名前みたで、木村剛とか金融おばさんの方やったかなあ。ほんでから、縁の話やけんど、金やんとこの学校におった、池尾ちゃん、なんか名前が挙がったり降ろされたり、遊ばれとんかいな、ものすげー若い、という印象もずっと昔のもんなんだなあ、信リンと同じ年やって、おっさんもおっさん、ええおっさんやなあ、金やんはまだ上、か、金やんにはかなわんで、ほんま。
なんか、ネタらしいネタ、が最近少なかったので、ネタ、でも書くか。3の倍数と3のつく数字と日経を読んだときだけアホになります、というネタと、吉兆は確信犯的に、セレブあるいはスノッブに、残飯を食わせている、というネタが、非常にうけているのだが、わし的に、昨年一番笑ったのは、日経紙面に、知った顔の学者が載っていたことだった。このセンセは、もともとマル経の師匠のケツの穴のシワなめとるようにして、どーにかこーにか職にありついたんだが、時期がちょーど、マル経つかえねー、って時期だったからして、しらーっと、まず、学生向けだけに、労働価値的考え方をあざけてみたり、ビミョーに師匠筋から距離を置きつつ、「労働」から逃げて女性問題でフェミニンなふりだけ残して、不細工だがすました顔で経営を語り始め、要するにジョーズに転向かましたわけよ、で、笑い話は、ここからや、この男、あるガッコからおみごと栄転して、左翼臭から晴れて自由の身になれる、と決まってやね、よほどうかれたんやろなあ、今まで世話になった左派の文献を、師匠からのもらいもの、まで含めて、古本屋にぜーーんぶ、売りとばしたわけ、ちゅうか、捨てたわけね、ほんでから、その古本屋はわしの知り合いだったので、つまらん学術書、二束二文でいいから、買ってよサギョインちゃんと連絡があり、そないなもんいらんでわしゃ学者やないし厳密に言うと左派ですらない、ただのおっぱい星人やと言うとるやろ、なんか他にホリダシもん、これは、ちゅうもんないん毛、とか言うたわけや。で、ここで話が終わったら、ああ、そんなことも、時流、だからあるよね、で済むんだが、ここは、天下の山崎元のブログであり、わしごとき青二才ではかなわない金やん相手やからなあ、金やん、その古本屋の名前が、まん○書店、って言いますのんや、なじみやろ、金やんは。どや、ローカルにもほどがあるやろ、今は、ぴょこぴょこぴょこぴょここびとしゃんー、とでも遊んどるんやろなあ、あのセンセも、いやー、うまくやるヤツってのは、どの世界にもいるもんやね、金やん。
>少林寺「最高師範」3800万円脱税容疑で逮捕
しまった、見出しでも出所を書かねばならんが、完全に失念したので、許せ、太陽のせいや。なにやっても生きていけるような気もしないでもないが、なにやってでもガッポリ稼げるような気は、あまりしないなあ、みんな、うまくやるもんだと思わんかね、金やん、わしらに欠けているものは、なんやろ金、死刑推進論者に転向したら、ちっとは、金儲け、でけるかね。
小沢について書かねばね。小沢、政権とったら、首相になる、そうや。心筋梗塞で、倒れてくれ、なんてのは、シャレにならんが、心筋梗塞小沢フリチンスキーなら、むき出しの糖尿金やんを首相に推薦しとくで。こないだ連れと話したんだが、そもそもの民主党の間違いというのは、連合が参画した、ことにあるんでないか、とわしと連れは思ってるんだ。連合などという「貴族」とはまったく接点のない、丸腰でなんの庇護も受けていない純然たる垢まみれの労働者が、やはし、左派政権に参画するべきだったな、アカ狩りと同時に、下層階級狩り、やりやがるのよ、小銭もちってのは、どの国でも。わしは、正直まよっている、店主や店主の連れの辻広ちゃんが言うように、正社員などとっとと整理してしまえばいいのかどうか、そばで観察している正直な印象と感想、殺せ殺せ死刑死刑! って、心の中で叫んでおります、共謀罪には反対しとかんとな、金やんと一緒にパクられそうや、そんときは、なんとなく、店主も一緒みてーで、おもろそうやけんど、井戸には放り込まれたないなあ、プリンとかに放り込んでくれんかね、どうせなら。こまめに貯金しとくか、カンパが集まるぐらいの、人徳を磨かねばな、金やんも、丸山健二・日と月と刀、読みなさい、背筋がのびるで、この小説に一見ロドンの村長が出てくるのだが、この男が実は傑物なんだなあ、わしは、金やんの顔が浮かんだで、会ったこともねーのに。「生まれて初めて人として正しく生きる術を学びたいという切望が湧き起こった無名丸は 精神の底に封印されていたものを知る。(ページ430)」。どや、金やん、精神の底にはやな、封印されていたもの、があるわけや、誰しも、愛ちゃんも、たまには、内観せられー、と日本のユダヤ人なら、思うかね、やはし。
で、宿題は?
やはり今回の事件ではっきりしたのは、【コスト(リスク)は抱えておくべきではない】ということを如実に物語ったものでした。
もはや、“人権”利権のために“人権”を叫ぶ人種差別大好き西洋人の圧力を笑い飛ばし、脳神経(障害)と殺人の医学的因果関係にまで踏み込む時が来ましたね。
そしたら生まれる前にリスクをこの世から排除出来るかもしれない。
“浄化”なんて言葉、仏教かぶれに話しを合わせて安易に使わないでね。
オウム真理教は“浄化”をの名の下、人を殺したのです。
彼らは仏教を模倣し貫こうとしましたが、信じていたのは相対する資本主義でした。ここで“かみさま~”や“仏心”など言ってる連中と同じです。
私は殺されるのも殺すのも御免なので、
ただただ逃げれるところまで逃げます。
じゃあどうせななら環境論にまで踏み込み、3歳、6歳、9歳・・と3の倍数と3のつく数の時には、脳障害の検査や生い立ちが不幸じゃないかどうかのテストを全国民の義務にしたらいかがでしょうか?
で、自分の親や子供が国家に殺され、ついでに自分も「こういうのは遺伝だから」と殺される。でも文句は言わない。国家の安全のためのリスク(コスト??)だったのだから。
脳障害・不幸な生い立ちなどを別の言葉で置き換えれば亡国で起きた大量死刑と変わりがないですね。これも国家の安全(リスク管理=コスト?)のためなら肯定される、と。
国際社会の非難も「利権主義者め!」でOK!
・・・相変わらずの差別主義、死刑制度の議論とはかみ合わないように思います。
潜伏中に骨子を固めたであろう死刑コスト論、
まだまだ水に塩を溶かしたような味気なさなので、出しのきいたしっかりしたご説明をお願いします。
※現在の死刑制度是認での議論構築だったと記憶しております。であれば現在の刑法制度に異論はないはず。
以上に基づきコスト論からセレブ妻と妹殺しの量刑の差をバチッと計算式の中略なしで教えてね!
あと一つ。あなたの小論文は、自分の使っている言葉の意味と相手の受け取った言葉の意味の差を意識していない点で、コミュニケーションがとれていないと思います。リスク(不確実性)とコスト(費用)について、少なくとも作業員さんは、なぜ同一なのかわからん?と言っています。
以前も書きましたが、リスク=コストは以下の意味ですか?例えば、殺されるかもしれないリスクは若者が夜遊びをあきらめるインセンティブになる。若者は夜遊びの楽しさという利益を失い、夜のバーは若者が来なかったので収益を上げられなかった。ゆえにリスクはオポチュニティーコストと表裏一体であり、このような観点から、リスク=コストと考えている。
上記のように書けば、もう少し周りをまきこんだ議論になりうると思います。今のままじゃあ、一人スモウですよ。
駄目だね。
どうしてもお答えいただけない。
引退宣言を真摯に受け止め
もうほっといてもらうことにしましょう。
さて、本題です。
日本の刑法、とりわけ死刑問題を考える上で
同じ結果をもたらす行為=殺人であっても、実際には量刑に差が出ます。
>セレブ妻と妹殺しの量刑の差
「妹」のほうでは加害者家族と被害者家族が一緒という被害者感情考慮説・応報論では処理しきれない状況を作り出しています。
死刑と無期、懲役15年と7年。
この差は何なんでしょう?
どなたかどうかご意見を!
お口のわりに意外に無知なんだね。妹殺しは両親が加害者側についたんだよ。だから量刑が軽くなった、な~んて誰でも知ってる。セレブ妻は違いまっせ。
ただ今お馬鹿ブームですが、お無知ブーム待ちですか笑?
お口のわりに意外に無知なんだね。妹殺しは両親が加害者側についたんだよ。だから量刑が軽くなった、な~んて誰でも知ってる。セレブ妻は違いまっせ。
ただ今お馬鹿ブームですが、お無知ブーム待ちですか笑?
日本語読解力に難有だったんですね。
もうちょっと活字を読み、文脈の理解力を養いましょう。
もう茶化すだけしかできないご様子、ここでご意見されてもさぞ不毛なことと思いますよ。どうぞ安心してご退場を。
殺人をやりそうな人間を事前に察知して排除するためのコストをホロコストと呼びますが、愛ちゃんが求められている(いた)のは巷をにぎわす犯人諸氏を事前拘束するためのホロコストを試算して現状と比較、ホロコスト遂行の方が社会への負荷が小さいと立証することではなかったでしょうか?
で、愛ちゃんはその試算をあろう事か論争の相手に要求し、当たり前だがやってくれないのでむくれている、と。
ここまではOKでしょうか?
ワタクシ魔がさしてつい齋藤孝の本を手にとってしまい、論の浅さ粗雑さに『日本語の衰退、まさか此処までとは』と頭を抱えて過ごす数日なのですが、浅くて粗雑なものにこそニーズがある、ということならば、本一冊書く根気があれば可能性としてあんなものでも売れてしまうことはあるわけで、愛ちゃんに根気が足りないのは人類にとってまだしも幸いなことなのかもしれません。
いい加減、遁走しようと思ったのですが、
言葉づらより、非力ながらも文脈や歴史を大切にしようと常日頃思っていますので、愛彦様のご指摘された
オウム?について、私なりに考えを整理しておきます。尚、死刑制度の話題から外れてしまいますので、愛彦様以外は読み飛ばしてください。
【60~70年代】
保守化する世の中に革命運動が破れ、追い詰められて
連合赤軍のように内ゲバ・内部崩壊していきます。
【70~80年代】
革命思想は変質し、より内向的に変質したものは、
精神主義的な方向へ向き、新宗教や東洋思想の隆盛等、マジックなものを求めた。(それらは宗教を求めたというより、まず冷戦構造を踏まえ、反科学主義を求めたと言った方が良いと思います。)
しかしそれも革命運動と同様、より経済主義化・保守化の風潮に敗れ、追い詰められ、連合赤軍のように内部崩壊するか外部世界を攻撃する結果に終わってしまったのが、オウムのテロや新宗教の集団自殺だと解釈することが可能です。
【90年代以降】
変質した革命思想のうちで、唯一生き残っているどころか思潮の主流になりつつあるのは環境保護運動です。それとは別にイデオロギーが蒸発ないしは透明化して行動だけが過激化していく時代がやってきたと思います。それはテロリズムやより過激な経済主義・開発主義やあからさまな軍事行動に見られます。きっと神だけではなく言葉も死んだのです。
と、このように、現実の多層化というのは主流派側からも反主流派側からも、その排他性と偏狭さによって
実現することが困難です。環境運動も一部の過激化や国家政府による制度へ取り込みで、どんどん変質していくでしょう。
私には主張というほどのものは無いのですが、ただ単一的な現実や価値観や制度よりは多層的なそれの方がましではないかということを提案しているだけです。
さて、逃げます。いざ、逃げます。逃げた方がましです。
こんにちは。愛ちゃん(←すっかり定着しましたね)の上手く説明できなかった「コスト」が「ホロコスト」のことだったという高度な解釈に脱帽します。座布団2枚!という感じですね。
それにしても、「キレやすさ」が脳の障害(大人は「物理的個体差」くらいに言い換えますが)に起因するとされた場合に(科学がそういう結論を出す「時期」は大いにあるかもしれません)、たとえば、幼稚な愛ちゃんが何かに巻き込まれて被告になり、「お前は脳障害だから死刑だ」と鑑定された場合に、どう救ってあげたらいいのか、という点を、裁判員になるかも知れない我々は考えておく必要がありそうです。
当然ですが、社会から死刑で取り除くべき脳障害をどう定義し決定するのかという手続きがきめられないと、脳障害者は危険だから死刑にすべきだという制度は機能しません。
これを国家(つまりは「誰か」ですが)の手に委ねるのは、不適切ではないかというのが、死刑廃止論の一つの有力な論拠となりそうです。
それにしても、秋葉原の事件の報道などを見ると、凶悪犯罪(殺人・放火)が趨勢として減少しているということが、信じられなくなりますね。
>愛彦さま
参加は歓迎しますが、他人のコメントへのツッコミはご自分が質問に十分に答えてからにして下さい。議論のレベルが下がったり、不必要に論点が拡散することは避けたいので、よろしくお願いします。
具体的には、制度として死刑がある方が、なぜ、いかなる意味での「コスト」が小さいのか(明確な定義が必要です)、コストの、説明を試みて下さい。私は、愛彦さんが、議論の過程でコストの計測方法を間違えたのではないかと推測していますが、今の段階で、断定はしません。
続きの話にご参加されるなら、ご自分の議論の始末をつけながらにしていただけると有り難いと思います。
色々と錯綜する議論のなか、kさんの「整理すると 」のエントリ(2008-05-05 18:22:15)はまた、素晴らしいと思いました。ありがとうございました。
いとうせいこうさんが今回の秋葉原事件についてコメントしておられます。
http://seikoito.ameblo.jp/seikoito/entry-10104521085.html
死刑になることを目的としたような自殺の変種としての兇悪事件が増加するのではないかと、常々考えておりました。佐世保事件も私にはそういう種の事件に見えてなりません。
死刑制度による犯罪の抑止効果はないという説がある中、死刑制度の存在が引き起こす凶悪犯罪というものも真剣に考えてみなくてはならないのではないか、というのが繰り返しですが私の主張です。
また、感情的応報論についても述べておきます。
いつぞや、「市中引き回しの上打ち首」と時代劇の見過ぎのようなことを発言した大臣がいました。感情的にはどこまでいっても釣り合うポイントはないのです。遺族の手で執行できればつりあうというものでもないし、犯人の家族を皆殺しにしたところでつりあわない、そういうものなのだと思います。
「自分が遺族だったらどうなのだ」という暴力的な反論については
「じゃあ死刑ならすっきりするのですか」とでもいうしかありません。
わたしが遺族ならば、一生を檻の中で過ごす犯人に時々会いに行きたいと思います。死なれてしまっては怒りすらぶつけることができませんから。
個人的にはそのような感覚を持っています。
【死刑願望】の殺人って、年ベースでどれくらいの割合で起こっているか知ってます?
それと貧困層と住所不定無職が、【刑務所入所】目的で軽犯罪を含め、犯罪がどれくらい発生しているか知ってます?つまりこれは、終身刑に繋がるお話です。
貧困層や住所不定無職も合理的人間だから、三度の飯にありつけ、安全が保証され、生活水準が上昇する刑務所入所を希望する人間が増えているのです。
【死刑願望】の殺人は、死刑に抑止力がないのではなく、脳ミソの神経回路の破綻が原因なのです。つまり、再起不能な人間をリスクとして社会に生かしておく価値がないということです。
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殺人事件の被害者の遺族が、容疑者に軽い刑の判決が出たとき、「死刑にしてほしかった」とコメントすることがよくあるが、彼らもいうように死刑にしても被害者は返ってこない。それなのに人々が不合理な因果応報を望むのはなぜだろうか。
これはゲーム理論で、コミットメントの問題としてよく知られている。一般に刑罰は、処罰する側にとっても受ける側にとってもコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ。しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると犯罪が横行するので、たとえ不合理でも処罰しなければならない。つまり秩序を維持するためには、不合理な行動へのコミットメントが必要なのだ。
このようなコミットメントを作り出すメカニズムとしていろいろな方法が知られているが、代表的なのは法律だ。どのような情状があろうと、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰され、個別に交渉して(たとえば金をとって)釈放することはありえない。そういうことは「正義にもとる」として許されないからだ。したがって究極の問題は、人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのかということだ。
これについても、進化論な説明が可能である。進化が単純な個体レベルの生存競争だとすれば、論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人(homo oeconomicus)が勝ち残るはずであり、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない。しかし、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう。
合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたないから、報復はしない。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、因果応報を好む感情が進化したと考えられる。
行動経済学が明らかにしたように、人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。それがどこまで遺伝的なもので、どこから文化的な「ミーム」によるものかについては、いろいろな実証研究が行なわれているが、感情はフランクのいうように、集団を維持するための「適応プログラム」の一種なのである。
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いまだに全くもって死刑廃止派に【更正】の概念が欠如していることに悲しくなります。作業員氏が『更正なんてどうでもいい。生きて償う~以下妄言故略』とぬかした時は、何を言っても無駄だなと思いましたね。
この間、車内銃たてこもり事件がありましたが、15年前に誘拐事件を起こしていた人間だったわけで更正を全くしていなかった(できなかった)象徴的事件でしたね。
【更正】を望む場合、社会的補助が必要不可欠ですが死刑存続派の無責任な無策発言は今となっては…ですな。
すると完全雇用が達成されますので、現行体制の下では、インフレ非加速的失業率が崩壊します。結果、急激にインフレが進行し、終局的には不景気になります。そうしますと再び失業者は発生し、貧困もまた然りです。率直に申しますと、資本主義社会では貧困は必要とされています。そうであれば、貧困と一対の関係にある犯罪も必要とされているのでしょう。もっとも、景気が落ち込む度に銃殺を繰り返す方法もあるとは思いますが、そうすると購買力がどんどん落ちていきますので、慢性の不景気になり、失業者がうじゃうじゃ発生します。銃器メーカーの社員はウハウハでしょうが、終局的には無政府状態に陥るでしょう。
【刑務所入所】目的の犯罪者について入所させないという方法もありますが、その場合は、犯罪者が徒党を組んで夜盗化する可能性があります。【刑務所入所】目的の犯罪が、組織暴力を防いでくれている訳です。もちろん、刑務所自体を企業化して採算を取る方法もありますが、採算がとれず破綻する刑務所も当然出てきますので、その場合も夜盗化する可能性を防ぐことはできないでしょう。
社会の辻褄を理論的に合わせようとすると、社会の綻びが、なぜかより大きくなり、弊害が増える場合が多いです。このため、極端や完全を求めない中庸であるあり方、妥当な妥協を受け入れる心の構えが重要だと思われます。死刑についても、また然りです。
結構古いライフゲームシュミレーションの実験で
A.攻撃だけをする
B.攻撃された時だけ反撃する
C.攻撃も反撃もしない
という三つのタイプの群を混ぜておくと
Bタイプの群が一番繁栄するらしいですね。
応報的な感情を持つことには、進化論的にも意味がありそうですよ。
ちなみに、その経済学者ってどなたですか? 後学のために教えてくださいませ。
つい言いたくなってしまいます。
質問には答えておられませんね。愛彦さんのコメントに至急削除しなければ奈良に程の問題をかんじないので、放っておきますが、コミットメント論も「コスト」の問題をきちんと整理しないと評価のしようがないので、取りあえず、無視します。
>ひねくれもの様
ロバート・アクセルロッドが提案したコンピューター・プログラムのシミュレーションがベースになった話だと思います。
もっとも、この実験の結果は死刑の可否とは関係ありません。詳しくは、アクセルロッドの本を読んで下さい(翻訳も出ています)。
ところで、死刑制度をいきなり廃止するのは無理そうですから、死刑の運用をもっと柔らかくするために以下のような方法をとってみたらいかがでしょうか?
・裁判官と司法長官は、自分が判決を下した死刑の執行準備・執行・後片付けに実地参加すること。なんたって日頃の運動不足の解消には最適ですよ。
・同時に成人国民から無作為抽出し、実名で死刑執行の準備・執行・後片付けを行ってもらい、刑務官による執行は廃止する。尚、無作為抽出で選出された人が死刑に協力したくないとゴネた場合は、死刑から無期に減刑します。尚、ゴネた人には昼食と交通費は出しません。逆に死刑執行を実施してくれた方は官邸に呼びつけて表彰を行い、盛大な慰労パーティーを行います。泥酔時には帰宅時のタクシー代も国費で面倒をみてあげましょう。うっかり首相の靴に吐いてしまっても怒らないよう、SP心得に条項を一行追加することも忘れてはなりません。
・被害者の親近者から減刑の嘆願があった場合には死刑から無期懲役に減刑を行うことにします。その逆はなしです。なんたって殺しのライセンスは国家しか持っていない筈ですから。
・直近の衆参議員選挙の投票率(交通事故発生率でも何でもいいのですが)を死刑から無期懲役に減刑する割合とする。実際の減刑者は抽選により決定します。
抽選会はぱあーっとお祭り騒ぎでいきます。その日は国民の休日にするのもいいですね。なんたって死すべき魂が一時的にせよ救われるのですから御目出度い。
・司法長官の選出条件に得度したもの乃至は仏性が認められたものという条項を入れます。憲法違反になりそうですし、仏教業界が嫌がりそうですが、官民の癒着もたまには必要でしょうしね。
その、悲しみ、ってのは、すでに死刑を廃止している国の人々にも、向けられておるのかいな? 君は、悲しむ、ことすら、でけてないように、思うがの?
山崎さんが再三要望している回答を避けておられることは私も残念ですが、
愛彦さんご自身は死刑目的の犯罪が何件発生していて長期の獄中生活を望む犯罪が何件発生しているかご存じなのでしょうか?
もしこの数字がきちんとあるならばしっかり示していただけないでしょうか。
抑止力、誘発力を考える上で重要なデータであることに疑いはありません。
まさかご自身もご存じないようなことを人に要求してはいないでしょうね…?
>経済ファシズム
社会ダーウィン主義は、自由至上主義的といわれるタイプの経済学と相性がよろしいようですね。
夏井孝裕さん
死刑目的の犯罪は、秋葉原の事件を見ると、自分はいらない人間であると思いこんだ挙句、自暴自棄になって暴れた、ということのようですね。
「コスト」なのは、受ちゃんなのか、躾ができなかった受ちゃんのママンなのか、どっちかな?
サラリーマンやっていると、資産だった人がコストになったり、逆になったり、意外と変幻するのよ。
大学生なんだから、革マ●に経済教えてもらって、民●に法律教えてもらえば、彼らも立派な「資産」かも....ね。
お名前に「心」が入れてもらえるように、宿題がんば、ですよ。
「一般に刑罰はコストがかかるので、事後的には許すことが合理的だ」
しかし処罰する側が合理的に行動することが事前に予見されると
犯罪が横行する
ので、
たとえ「不合理でも」処罰しなければならない。
「秩序を維持するため」には、「不合理な行動」へのコミットメントが必要なのだ。
コミットメントを作り出すメカニズムの代表が法律で、「どのような情状があろうと?」、犯罪者は同じ法律によって一律に処罰される。それが、「正義」だ。
したがって究極の問題は、
人々はなぜ正義を求め、筋を通す感情をもつのか?
説明は可能である。論理的に思考して自己の利益を最大化する経済人が勝ち残るはずだから、人々が合理的な判断の邪魔になる感情をもっていることは説明がつかない(???)が、そういう感情をもたない経済人が歴史上いたとしても、とっくに淘汰されているだろう(???)。
合理的な人は、他人に攻撃されても「腹を立てる」という感情をもたない(?)から、報復はしない(???)。そんなことをしても、また相手の報復をまねいて互いに傷つくだけだからだ。しかし彼が合理的であることがわかっていると、他人は一方的に彼をだまし、攻撃するだろう(?)。そういう「不道徳な」行動が横行すると集団も維持できなくなるので、
因果応報を好む感情が進化した(ぷっ)
と考えられる。
人々は感情的に行動するが、これは非論理的に行動するということではない。
<で、これは、死刑、となんか関係があるのか?>
不細工・低能な秋葉原大量殺人犯を必死になって
擁護してる死刑廃止論者は号泣されたようですが、
正義の鉄槌が下されました!
秋葉原大量殺人の被害者・遺族が死刑廃止論者
ならば良かったですね。
耳を左右、切り取って断面を張り合わせるとなんとなく蝶のような形をしている。
ある日本有数の蝶マニアの標本群の中に、妙に黒ずんでねじくれた『ひもの』のような一連の標本があり、これは何かと尋ねた客に蝶マニア、ニヤリと笑って一言、
「これは日本三大宮崎の一人でだねえ……」
「死刑は、因果応報のバランスからして、当然あるべきだ」という死刑存置派と、「死刑に追加的(終身刑に追加するという意味で)犯罪抑止力はないのだし、裁判も含めて人間の判断はアブナイから死刑はなしにしょう」という死刑廃止派の間の相違は、一つには、倫理に対する趣味のちがいでしょうが、もう一つには、裁判も含めた国の判断に対する信頼感のちがいに起因するように思えます。
後者に関しては、死刑廃止派は、判断が100%完全とはとてもいえない国に100%までの「目には目」の実現を求めなくても、終身刑でも死刑と似たような抑止力があるのだから、いいではないか、と考えます。
一方、死刑存置派は、たとえば凶悪殺人には死刑がふさわしいなら、「国≒制度」は、これに向かって、最大限努力すべきではないか、と彼らなりの正義のバランス感覚の実現を主張します。
彼らのちがいを認めた上で、次に進み、「趣味のちがい」を別とすると、一つには(1)死刑の抑止力が問題になり、政策としては、(2)死刑廃止あるいは存置の何れかによって変化する、社会的コストの変化が問題になります。
(1)については、今のところ、どうも決定的なデータは無さそうです。(2)については、ここまでのコメントによると、「死刑」という不可逆的な刑罰の存置によって、主に弁護士費用ではないかと思われますが、むしろ、社会的に掛かるコスト(一次的な支出で評価したものに過ぎませんが)が、終身刑者のメンテナンスコストよりも大きいのではないか、という意見が寄せられました(400万ドル対150万ドルという数字がありました。確証は持てませんが、反論はありませんでした)
結局、今のところ、死刑を存置することに関して、(a)「犯罪抑止力」と(b)社会的コスト(費用)は理由にならないということです。
自分で問いに答えないのだから、議論に参加する資格はないと思いますが、おそらく「愛彦」さんは、死刑存置という制度のセッティングから後に発生する社会的コストを全て数え上げなければいけないのに、死刑判決の妥当性を争う莫大な費用その他をカウントし忘れて、終身刑の囚人の生活維持費と較べて、死刑を「コスト」から正当化できる(実際には、かなり曖昧なのに)と錯覚したのでしょう。
弁護費用の妥当性や、囚人の環境とコストの問題はありますが、死刑がある方が「同じ便益を得るためのコストが、社会的に安くつく」と言えるとする根拠はなさそうです。だから、ここまでの議論を尊重した上で、私は今のところ、死刑廃止に賛成です。
もちろん、絶対的な倫理感覚の問題はあるので、死刑存置が国民多数の望みなら、手続き的には、死刑存置が正当化される可能性はあります。こうなった場合には、これはこれで、しばらくの間は仕方がないでしょう。
尚、上記の結論に至る論理とは関係ありませんが(本当に関係ないことをよく理解して下さいね!)、私は、このたび死刑を執行された宮崎勤氏も、今回の秋葉原の加藤智大氏についても、首吊りにして紫色の人間芋虫のようにしてやりたいとは思っていませんが、少なくとも、簡単に世間に出て自由になって欲しくはないと思っています。彼らが長期間に亘って、相当の苦痛(主に不自由からの)を感じることは適当でしょう。もちろん、及ばずながら、社会のためにたっぷり働いて貰う必要もあるでしょう。
「クソオタクの命は0.5人分だから今回は3.5人分、
永山基準から考えても死刑はありえない」
とか言うんですか?オタクは死んでもいいんですか?
経済学的にオタクの存在は軽いんですかね?
だったら私も今すぐ殺されないといけないですね。
後、経済評論家を自称するなら自民党が推進している
「1000万人移民計画」が及ぼす影響も是非とも
ブログ上で論じてはいただけないですかね?
後ろから刺されるのが怖くて書けませんか?
オタクか否かはどうでもいいんです。
死刑廃止論者の感覚は
殺された奴は「仕方ない」の一言で片付けて
凶悪殺人犯が処刑されると憤慨・号泣するという
特殊なものです(笑)。
薬害による殺人と個人による殺人に相違はありますか?
大まかに言うと、前者は過失致死、後者は故殺と考えるべきなのでしょうか?
因果関係は個人に帰結するのですか? それとも集団に帰結するのでしょうか?
それともこのような原始的な問いは無意味なのでしょうか?
死刑制度は因果関係は個人に帰結するというひとつの証明みたいな匂いがしますが、それは本当ですか?
正義は集団が定義しますが、正義に個人は参加できるのでしょうか? 正義のコメントを書けば、それは正義にアクセスしていることになりますか?
悪を定義することは不可能ですが、悪に参加することは割と容易なようです。
これは、ひとつの論点、なわけですな。
すでに死刑を廃止している人々は、どういう意味で、特殊、なのでしょうか? 特殊、とか、そういう意味でお使いなのですよね、日本語ってやつを?
本当に「理知的」であるならば荒らしでもない限り
理論武装して対抗しうるものかと思うのですが。
まあ経済学的にメリットの無いものは
相手をしないというだけの事なのかも知れませんが。
あと、何回か「人権の利権」という言葉が出ていますが
どなたも明確な答えを出していないですね。
まあ国内においては「触れてはならないタブー」ですから
それはそれで無理もない話なのですけども。
人権を看板に利権を得ている人間は確実に存在しますよ。
まさか知らないはずはないとは思いますが。
かの安田弁護士も「死刑廃止」を看板にする事で
死刑廃止運動団体からの講演の依頼、雑誌への寄稿、
民間からの寄付金なので巨額の富を得ていますよ。
「着の身着のままの聖者」というのは幻想です。
その他の様々な「団体」については触れるまでもないです。
確実に「増税」として我が身に降り掛かってきますので。
筆者様は高所得層であらせられますから
さほど痛みは感じられない事と思いますが。
ですが世の中は高所得層ばかりではないと言う事を
御忘れなきよう、経済学者様として御願いしたい所です。
それでなくとも増税ラッシュで不満が鬱屈している所に
「死刑廃止の為の増税」となったら確実に暴動です。
世の中、死刑となると騒ぐ人が多いですからね。
私は腕力もないし打たれ弱いので参加はしませんが。
その時はできるだけ所得を上げるよう努力しますよ。
もしかしたら経済学者様に助言を仰ぐかも知れませんね。
さほど痛みは感じられない
所得によって死刑や国防に対する認識は
変わる可能性は高い気がします。
高所得ならば自分と家族に万全のセキュリティをし、
犯罪被害者となる可能性を激減させ、死刑廃止という
ヒューマニズムに酔えるかもしれません。
高所得ならば国防の縮減により税金を減らし
侵略されたら亡命あるいは侵略軍司令部に転職というのうが合理的なのかもしれません。
高所得層に限らずいわゆる「文化人」「知識人」にも
顕著に見られる傾向ですね。
戦争中に「未曾有の非常時であるから不具者と言えども
残らず前線に出るべきである」と語っていた論客が
終戦後には「自分は戦時中不当な軍国主義と徹底的に
戦い・・・」と変節したのは有名な話です。
筆者様は「戦争反対」を訴えておられるので
まさかそのような事はないとは思いますが。
でも「戦争特需」というのもありましたね。
これも含めて重複分を削除して頂けますよう
御願い致します、しかしながら、
私のコメントを全て削除するような事のないよう
重ねて御願い申し上げます。
現代で言うなら久米宏・筑紫哲也・田原総一郎・太田光
・鳥越俊太郎と言ったあたりでしょうか、もっとですかね。
ああいった方々は「有事」の際にも「憲法九条」を盾に
最期まで抵抗してくれる事と信じております。
それで蜂の巣になったらそれはそれで見物です。
当然そこにも国民の「血税」が回されているわけで。
その上移民の犯罪も加わって大変な状態だそうです。
まるで将来の日本を見ているようですね。
まあ「人権擁護法案」なり「民族差別禁止法案」が通れば
移民の日本人に対する犯罪も「合法的」になるのですが。
人権が擁護されるって素晴らしい事ですね。
法制化運用されたとしての話ですが。
条文を拡大解釈する人間は少なくないと思いますよ。
それでなくとも普段から「差別だ」とうるさいですからね。
わかりやすい例を挙げれば、
「食事代を値引きしないのは差別だ」
という言い分が通ってしまうのです。
そうなると無銭飲食が横行します。
良心的な飲食店はたちまち潰れますね。
当然他の事例にも当てはまります。
場合によっては「このくらいで裁判にかけるのは
差別だ」とも言えてしまうという事です。
もうこうなると死刑廃止が
どうとかいう問題ではなくなります。
裁判自体起こせないのですから。
当然、「死刑にするのは差別だ」とも言えますね。
こうなってしまうと法などあってないようなものです。
人権を訴える方々は無法地帯を御望みですか?
どうか出てきて一行でもいいから返事をして下さい。
私も一人相撲は趣味ではありませんので。
ディベートを期待したのにシカトこかれたのでは
たまったものではありませんよ。
ヒューマニズムが満たせるなら無法地帯を望み
目先の税金が安くなるなら将来の侵略も容認する
・・・という自らの実存・権益のためには
亡国・売国に全く躊躇しないという方もいるのかもしれません。
今の日本政府そのものですね。
移民政策を推進しているのは
自民党の支持団体の一つである経団連。
民主党の主な支持団体は統一教会と解放同盟。
どちらに任せてもいい事はなさそうです。
そういえば筆者様は過去コメントにおいて
「戦争するくらいなら侵略される方がまし」
と書いておられましたね。
侵略戦争と自衛戦争とでは全く意味合いが違います。
他国からの侵略を野放しにすると
略奪・強姦・虐殺などの凶行が横行します。
自衛戦争はそれを防ぎ自国民を守る為のものです。
それでも「侵略される方がまし」ですか?
「移民1000万人」「人権擁護法案」「外国人参政権」
この三種の神器が揃えば武力行使など必要ないのですが。
それでも先に述べた凶行の恐怖は消えませんよ。
今の日本政府そのものですね。
移民政策を推進しているのは
自民党の支持団体の一つである経団連。
民主党の主な支持団体は統一教会と解放同盟。
どちらに任せてもいい事はなさそうです。
そういえば筆者様は過去コメントにおいて
「戦争するくらいなら侵略される方がまし」
と書いておられましたね。
侵略戦争と自衛戦争とでは全く意味合いが違います。
他国からの侵略を野放しにすると
略奪・強姦・虐殺などの凶行が横行します。
自衛戦争はそれを防ぎ自国民を守る為のものです。
それでも「侵略される方がまし」ですか?
「移民1000万人」「人権擁護法案」「外国人参政権」
この三種の神器が揃えば武力行使など必要ないのですが。
それでも先に述べた凶行の恐怖は消えませんよ。
世の中には
「侵略軍兵士を殺すよりも
侵略軍兵士に殺されるほうがまし」
と言ってヒューマニズムに酔える人もいるということです。
侵略軍兵士に殺されるほうがまし」
考え方としてはありかも知れませんが
その後を考えるといただけないですね。
自分を殺した兵士がその後数え切れない程の人間を
一人で殺したらどう思うんですかね。
その兵士を殺していればその人達は助かったのに。
せめて家族だけでも無事でいてほしいとか
思わないのですかね・・・、理解不能です。
それでも「侵略される方がまし」ですか?
「侵略される方がましです。
国、日本政府、日本人は信じられず
中国・北朝鮮の統治(殺人、強姦、強制労働)を
望む!」という見解の方もいるようです。
で、ねーちゃんたちに、そんでもなあ君ら、人を一人みんなで抱え上げて、吊す、んだぞ、そぎゃん仕事やりたくなかろうに誰しも、殺して花実が咲くものか、というと、また怒られるんだがなあ、どうよ、君ら、刑務官になれる? と言うと、おねーちゃんたちは、なーに言ってるんですか、どこの国の話ですか、首つりなんかしてる国まだあるんですか? って言うわけ。いわゆる、ゆとりちゃん、って、死刑が吊しだって知らない、とは聞いていたが、本当に知らない、んだなあ、ほんでから、いやいやいや、この国は伝統的、かどうかはさすがに言い切れないが、吊し、が好きなんだ、と教えてやると、ものすごいショックを受けたみたいで、おっさん何教えてくれますのん? という顔をしていた、ので、ほら、君ら、それでも死刑に賛成って言えるか? と踏み込むと、電気にしてください、って、言うから、だーかーらー、電気がね、残虐な刑って言われたんだがね、って、まあ、そんな話になって、おねーちゃんたちはたぶん、寝付きも寝覚めも悪い一日になったろうと思う。
どっちかといえば、そりゃ人権派、の弁護士会の一部が、裁判員に反対しはじめた、だーかーらー、わしゃ参加せん、と初めから言うとるやろ、どっちが弁護士か。
弁護士の一部が反対に転じたのは、
日本人の民度がこれほどまでに低いとは思わなかった
から、だ。わしはまあ、日本人の民度、がだいたいわかっていたので、このようなスタンスを貫いているわけだ。大衆が裁判に参加して、すぐに死刑判決が量産されるわけではない。量産されそうなのは、
でたらめな、判決
だ。司法関係者はたぶん、日本人を甘く見ていた、のだと思う。おそるべし、ゆとりちゃんたちだ、というと、ゆとりちゃんは怒るだろうが、心配しなくても、みんな、大なり小なり、ゆとりちゃんだから、まあ、ぼちぼち内観すりゃよろしい、死刑は、吊し刑、なのだけは、おっちゃんの言葉として、覚えておくように、怖くて夜眠れなかったらおっちゃんに相談しなさい。
・・・・・・・・・・・・~今のところ、もっともコストのかかる終身刑~
・・・・・・・・・・・・とかね。この本はいいですよ~。とにかく【コスト】【コスト】【コスト】です。私の主張の【コスト】の意味が不明確だという方は読んだらいいです。被害者の機会原価という概念もよく出てきます。
ちなみに著者は経済倫理学の重鎮であり、山崎氏の死刑存続者が倫理面で優位という主張を『言葉たけのつじつま合わせに過ぎない』と糾弾している(P136)。
オモシロイのはP134の『死刑廃止論者のホンネは自分だけは死刑になりたくないということであり、それをタテマエとして高く掲げる時の看板が人権尊重や人道主義なのである。この利己主義から出てくる結論は完全に合理的で……』
納得、納得。
死刑廃止が倫理面で優位だ
ありえない判決になる可能性もありますし、
皆が皆厳罰出すのを渋って妥協しないとも言えません。
となると裁判所ごとに基準が変わってしまいます。
極めてよくない話ですね、私もやりたくないですよ。
刑務官についての話もしばしば出てきますが、
彼らは彼らなりに誇りを持ってやっている事と思います。
そこは尊敬すべきところでしょうね。
確かに私には精神的負担が大きくてできないでしょう。
しかし死刑廃止となったら彼らはどこへ行けばいいんですか?
元刑務官なんてなかなか雇ってもらえないでしょうし、
天下りというわけにもいかないでしょうし。
新規刑務所の看守にでもなれればまだいいのですが。
模擬裁判の模擬話をするとやね。心神喪失等は減刑場合によっては無罪もあります、と話すと、なじぇですか彼は犯罪者だから死刑でいいじゃないですか? とシモジモは答えるそうだ。裁判員って、ゆとりちゃんの再チャレンジ(教育)のことやったのね、ものすげーコストだわい、では、本日はこれにて、そろそろ、店主どうぞ。
こういう言い分を認めてしまうと全ての刑罰に
存在意義がなくなってしまうと思うのですが。
幸せをもたらすために刑罰が存在するわけではないし、
抑止力なんて理性とか失った犯罪者には無効です。
「飲んだら乗らない」というのは「捕まるから乗らない」
のではなく「危ないから乗らない」のです。
そういう発想もできない一部のドランカーが乗るのです。
それを罰する為に刑罰が設けられているのです。
死刑相応の場合、大抵が殺人です、それでも花実は咲きますか?
こんな日本語、斉藤なんとかでさえ、声に出して読まんだろ、大きな声では言えないが、受ちゃんでも、声に出す方の斉藤程度の人間には絶対になれる、あわてんでいいから、日本語から勉強汁! では、おやすみ。
君は、半分こちら側、なわけですね。
地獄にだってハスは咲く
ってのが、たぶんダライ・ラマとわしとリチャード・ギアとシャロン・ストーンと丸山健二が言っていることではないでしょうか、あんぱんまんは君だ、わしはラマでありラマはわしである、とまでは言いませぬが、理想を求める自由ってのは、あるでしょう、はた迷惑、は重々承知でっけどね、こっちは。
誰も相手にして下さらないんで仕方なく連続投稿してたんです、
正直な所むなしかったですね、書かない方がよかったかも知れません。
まあ書いてしまった以上はログとして残るので仕方ない話ですが。
でも思うんですが、こういう話題は尽きないと思いますよ。
どちらも納得する案なんて出ないでしょうし、
出たとしてもそれを法案として提出できるわけでもないですから。
こういう話題をブログなどに書くとどうしても人が来ます。
事件や裁判の前後となれば尚更です。
下手をすると不毛な石の投げ合いになります。
難しいところです、ほんとうに。
●死刑廃止派の根拠『国家による殺人論』
絶対的生命尊重主義(ただし尊重するのはもっぱら加害者の生命であるが)の人権派は、国家が人の命を奪うことにも当然反対する。したがって死刑反対と戦争反対が彼らの一致した合言葉となる。
死刑と戦争とは、国家だけがなしうる行為であり、国家が国家であることの証しである。それを絶対に認めないということは、国家の存在を認めないということに等しいが、それでは彼らは無政府主義者、無国家主義者であるかといえば、そうではなく、国家には弱い人間を手厚く保護する義務があるという。人権の保護は国家がなすべき最重要の仕事であるという。つまり、国家は人間に対して無限に優しい神様仏様、あるいは母親のような存在でなければならないということになる。死刑を執行し戦争を繰り返す現実の国家は神仏でなく悪魔であり、死刑や戦争は国家の行う犯罪だということになる。
このような理屈は妄想にすぎないがこの種の妄想を固く信じて生きることもその人の自由である。他人がこの妄想を訂正する方法はないし、干渉すれば人権侵害といわれよう。
きちんと育って(環境に恵まれるとかじゃなくて)いれば
そもそも凶悪犯罪に手を染めたりなんかしません。
でも今の日本は軽重含めて犯罪大国ですよ。
殺人強盗などは言うに及ばず、教師の児童わいせつ、
介護疲れの心中未遂など挙げてたらキリがないですよ。
抑止力を求めるのであれば教育から福祉まで
色々な分野を充実させる必要があると思います。
でもどちらも今の日本は不十分ですね。
十年二十年経ったらどうなるのか考えるだけでも怖いです。
現在の日本は決して重犯罪大国ではありません。認識が間違ってます。初歩の初歩です。
あれは警察も悪いですし、扇動した人間も悪いです。
その少し前には児童殺害の裁判で遺族が傍聴席から
被告を蹴り飛ばした事件がありました。
まあ蹴られる被告にも十二分に非があったわけですが
モラルは崩れていく一方です。
確かに今でこそ重犯罪大国ではないですが、
このままの流れでいくと確実にそうなります。
出てくるとは思っておりませんでした。
完全に同調する味方というわけでもないようなので
どうしたものでしょうか、真ん中辺りに立っておきます。
暴動や裁判の蹴りとばしはモラル低下が原因で重大犯罪増加の前兆だって(笑)?こんなのよくあることです、今も昔も。
心配しないでください。モラル低下の標的の少年重大犯罪(殺人など)はピークのs26から減り続け、今ではピーク時の1/5ですから。
死刑があろうがなかろうがどちらでもいいんです。
現行法上そうなっているから依っているだけです。
死刑なんて普段はニュースで聞く側でしかないですから。
確かに凶悪犯罪の犯人は赦せないと思いますが、
彼が死刑になったと聞いても私が得る物は何もありません。
まあ被害者になる可能性もありますし、
遺族になってしまう可能性だってあります。
そうならない事を願いながら必死に生きるだけの事です。
凶悪犯罪がなくなれば理想ですがそうもいってくれません。
あと、廃止側の方に御願いしたいのですが
「無難な代案」が欲しいところです。
もちろん、「全てが丸く収まる」というのが前提です。
刑務所の収容数問題、刑務官の再雇用問題、
維持費用の捻出先、増税になるかならないか、
などなど様々な問題を含んでおります、非常に重いです。
「反対の為の反対」は好きではありません。
昔の少年犯罪と今の少年犯罪とでは事情が異なります。
昔の場合は戦災孤児になってやむをえず、等のケースです。
そこから少年法が定められた事くらいはご存知かと。
当時と今とではモラルは価値も基準も全く異質のものです。
愛彦さん個人はともかくとして、周囲を見渡して
モラルの高い方はどれだけ存在するのですか?
私は日々、人々のモラルの無さに嘆いております。
私の周囲が悪いだけの話かも知れませんが。
経団連の本音は
「(潰れましたが)残業ゼロ法案で
経営陣以外の日本人は過労死で
全滅してかまわない!代わりは移民でまかなう!」
というのが本音でしょうね。
>罪人を雇った企業には法人税を軽減するとかの優遇措置
いいアイデアだと思います。
それこそコスト論理はあるとは思いますが。
隔離する、というのも必要かも知れませんね。
あまりいい気分はしないでしょうから。
隔離する、というのも必要
必要ですね。
女子高生コンクリート殺人犯どもは
相変わらず事件前と同じ住所に住んでいて
遺族とスーパーで会うらしいですよ。
死刑を執行し、名前を公表すれば
遺族はこの世で会わずに済むことが確信できて
いいんですがね。
『時計仕掛のオレンジ』と『見込のない種子』
なんかはいかがでしょう。
今の論点がつかめてないので
わかりやすいところだけ口を挟ませてください
>あと、廃止側の方に御願いしたいのですが
>「無難な代案」が欲しいところです。
>もちろん、「全てが丸く収まる」というのが前提です。
>刑務所の収容数問題、刑務官の再雇用問題
これは死刑とは関係ない問題ですね。
なぜなら死刑になる人の人数はとても少ないため
死刑を廃止してもほとんど影響がないからです。
もちろん重要な問題なので
死刑を維持するにしろ廃止するにせよ
きちんと考えていかなければなりません。
>維持費用の捻出先、増税になるかならないか、
上で山崎さんがまとめておられますが、
「死刑を維持した方がよりお金がかかる」
というのが今までの議論では優勢です。
したがって、
「死刑を維持するならどうやってその費用を捻出するのか」
というのが正しい質問ですね。
是非、答えていただきたいです。
「制度運用の効率化」です。理由は以下に述べます。
死刑囚自体通常の受刑者に比べて数が少ないです。
終身刑を導入した場合と比較しても
生存する年数は死刑囚の方が短いです。
ここまでは問題無い事かと思います。
問題になってくるのはむしろ「裁判費用」ですね。
それこそベルトコンベアーにしろとまでは言いませんが
裁判スケジュールの迅速化が必要です。
素人目に見ても時間がかかり過ぎです。
勿論裁判官、検察官、弁護士等はその事件のみ
取り扱っているわけではないのでやむをえない
部分も当然あります。ですが効率化を図るのは可能かと。
当然引き伸ばしなどは論外です、費用かかりますので。
先に挙げた三者は他の業務も勿論の事ながら、
当該事件の審理精査に今まで以上に励むのが望ましいです。
審理精査の効率化が上手く図れれば少なくとも
十年単位で裁判が行われるケースは減る事と思います。
あとは判決確定後の執行です。
判決から六ヶ月後となっております。
別に皆殺しにしろとまで言うわけではありませんが、
「反省悔悛の兆しが一向に見られない」場合は
規定期間経過後に速やかに執行する方がいいと思います。
そのまま年を重ねても本人の為になりませんので。
その分の維持費用は当然削減できる事になります。
うーん・・・これ以上は私には思いつきませんね。
何か他に付け足せる箇所があれば指摘して下さい。
冤罪を増やしていいのならコストを下げることはできます。
他の刑罰であればそのやり方もありだと思います。
無限のコストをかけて冤罪をゼロにするのは現実的ではありません。
冤罪が発生しても救済のチャンスがありますし。
ですが死刑だけは膨大なコストを払っても
冤罪を防がなければいけません。
無銘さんの言うように
無駄を排し、効率化を図ることができたとしても
それはさらなる冤罪の防止のために使われるべきだと思います。
死刑裁判は世論の影響を受けやすく
中立な裁判を行うのは非常に難しいと思います。
これからはじまる裁判員制度も
きちんと運用するためには費用がかかります。
なので、「もっと費用をかけて公正な裁判を」というのが
世の中の流れなんじゃないでしょうか。
部分が大きいように思います。
勿論昔のような拷問による自白強制が
あるとは思えません、あったらあったで問題です。
その辺りはもう少し警察の方に真面目に
やってもらう他はないものと思われます。
当然、裁判の中においてでっち上げなどは
あってはなりません、誰の為にもなりませんから。
「効率化=急ぐ=手抜き」には必ずしも
繋がらないものと思われます、その辺りは
どのように判断されますでしょうか。
英語で言うと、フー、フー、フー、なんやろかね、わしでは英訳でけんがね。
要するに、わしが刑務官なら、パウロ袴田の執行には、参加しない。それが、職業倫理、において、どうか、人倫、においてどうか、まあ、しょせんは、好み、かね。兵士として、仁義なき広島風お好み焼きの土地にピカドン投下してこい、と言われれば、投下してくる職業人って、どれぐらいおるかね? もちろん、死刑廃止派のわしは、投下しない。できれば、兵士には、ならない。ゲリラになら、とか言うと、問題が複雑になるのでそれはいい。では、よい週末とよい議論を。
判決を覆すという事は前例を作ってしまう事になります。
それは死刑のみならず他の部分にも適用される恐れがあります。
そうなると後々までの禍根になります。
確かに私が同じ立場であれば最期の日まで
泣き続ける事でしょう、他に何もできないでしょうから。
「悪しき前例」として後世に残し、二度とこのような
冤罪判決の下りないようにしてもらいたいです。
敢えて「尊い犠牲」とは言いません、ただただ悲しいだけです。
「戦争を早期に終結させるため、任務をまっとうした」
との立場を終生貫いたという事です。
対馬丸を撃沈した潜水艦の人間は
「私の判断が間違っていたとは思わない。
仮にもう一度同じ立場に立たされたら
同じ判断をする事だろう」と語っていました。
いい意味でも悪い意味でも「職業人」とはそういうものです。
活発な議論、ありがとうございます。
最近「週刊現代」の「新聞の通信簿」に復帰された魚住昭さんの最近の記事を読むと、誰にも好かれていないように見える裁判員制度をかくも熱心に導入したがっている理由は、裁判員にまとめて情報提供して短期間に裁判を終わらせる仕組みにすると、裁判官の仕事上の負担が減るからということのようです。
確かに裁判員を長く拘束するわけにはいきませんから必然的に仕事量は減るでしょうし、しかも、判決に対する責任を裁判員がなにがしか負ってくれるわけですから、これは上手い業務効率化の方法かも知れません。
しかし、最近になって、一般人の法律理解のあまりの乏しさに、裁判員制度を導入しても大丈夫なのかという慎重論が、法曹界からも出てきたようです。
死刑存置の経済的コストの多くは死刑を争わない場合よりも裁判の費用が掛かることでしょうが、さて、裁判員制度が導入されるとどうなるのか。
裁判員制度のおかげで見かけ上のコストは節約されても、冤罪やずさんな判決が増えるということだと、これは大変な問題です。私は法律のプロとアマの差を実感を持って説明できませんが、アマチュアの参加を簡単に増やしていいのか、という点は、死刑制度の存廃は別としても、心配な問題です。
裁判官は自身の出世や検事との継続的な関係から有罪を出す傾向が強く、それが有罪率99%という結果になっていると指摘されています。
たしかに「裁判員制度のおかげで見かけ上のコストは節約されても、冤罪やずさんな判決が増える」という可能性はありえます。しかしこれは効率的な促成教育システムを作れば、そのリスクを減らすことはできるでしょう。しがらみのない市民が裁判に参加してこそ、手続的正義や疑わしきは被告人の利益にといった、近代法哲学を体現するよいチャンスになると思います。
ただし私自身がもし被告になったときに、ドキュンな裁判員だったら、恐怖のどんぞこにたたき落とされてしまいます。。。難しいですね、
そう考えると、アメリカみたいに職業裁判官と裁判員のどちらを選択するか自由ならいいんですけどね。選択が広がることは、よいことだと思います。
http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/index.html
現状のままであれば、裁判員制度導入は
それこそ署名やデモをしてでも辞めさせるべきです。
前のコメントにも書きましたが、
裁判所ごとに基準が大きく変わるリスクが高いです。
それは「地域差」という一つの差別に繋がる恐れがあります。
>法律のプロとアマの差
純粋に「知っているか知らないか」でいいと思います。
前者と後者とでは被告を見る目が全く変わります。
中には偏狭な「正義感」に執われ変な判決を出す人も
出てくるかと思われます。極めて危険です。
そもそも裁判員制度って誰が発案したんですかね?
単純に私が無知なだけなんですが。
「アメリカ式にしよう」という右倣え思考であれば
短絡と言う他はありませんよ。
拘束されて仕事は休まないといけないし
下手したら人の生き死にに関わらないといけないし
どれだけお金貰えたとしても私はやりたくありません。
とりあえず署名用紙を郵送で頼みました。
「民意」として届く事を願います。
御教授下さい、「ネット通販で買える」という前提で。
何分田舎住まいなもので、近くにまともな書店が
無くて不自由しております。
それから裁判官制にせよ陪審員制にせよ、どんなに理想的で精緻な法議論をしようとも、最後には死刑判決を下すか下さないかの二者択一のスイッチを押すことになる訳ですから(論理展開が精緻だとしても、結論は常に粗雑。)、現行死刑制度の元の陪審員制であれば少なくとも陪審員と裁判官の全員一致で死刑判決が下るべきだと思います。それしか誤った死刑判決の抑止力は無いと思います。認知上の集団のバイアスについては、どうしたらいいですかね。おそらく避けようがないですね。
『あっという間に山のように死刑執行したのはおれだ
やつらを殺ったのはこのおれだ
人間だ
おれを死神と呼ぶな
むしろ死神を鳩山と呼べ』
あの怒り方の正解は、文脈上こうだとおもいますね。
これまでの歴任大臣が手を付けなかった部分を
一手に引き受けている、という見方もできます。
さすがに量産体制は問題だと思いますがね。
手を付けなかったら「職務怠慢」と罵られ、
やり過ぎたら「死神」と称される、難しい所です。
現場の光景を一部始終見せておくべきでしょうね。
そうすれば判子を押すかどうかじっくり
考えるようになると思いますよ。
死刑本は山のようにあって、なんでも読めばいいし、結局はコギトなんとかかんとか、の問題であるからなあ倫理なんてものは。他人はあんましかんけーないと思うがなあ。私がいて、私が、死刑、について、考え抜けば、ええわけやなあ、その場合、水準、も、実は意味のないことやなあ、私が、考えるか、考えないか、やなあ。
わしが、ガツン、とやられたのは、すでにほぼ死に神と化している、ナベアツのアホ表現なみにヨイヨイの辺見庸が、繰り返し、垂線、垂線、と表現していた、その、垂線、って言葉やなあ。初め、何いいよんねん、脳みそつまるはガンなるわ、もう厳密な意味で、別人じゃないのか辺見、と思ったほどに、文体が気色悪くなってしまって、その、いままでに読んだことのない、いやな感じ、の日本語に、垂線、垂線、って出てくるわけだなあ、声に出して、さあ、みんなで、読んでみよう! 垂線って、御手洗とはかんけーないわけだなあ。引力、によって、人は殺されるわけだなあ、それは、まさに、重力の作用する方向に、まっすぐに、垂線、を引く、わけだがね。どうかね、君たちは、今日から、この、垂線、という言葉から、逃れられない、気色悪いやろ、いやー、わしだけが、気色悪いまま余生をおくらんでよくて、スッキリ、したわい、水に流したようなもんだ。なんとなくゆるい三河○にしたから、より、関西人つまりヤマトとしての責任を他人になすりつけたようで、爽快だ。死刑は、廃止したほうが、よかよ。
仮に今ここで死刑廃止となったら
執行待ちの死刑囚はどう扱えばいいのでしょうか。
「一日早ければ助かったのに」というケースが
出るかと思うとちょっと不公平な気もします。
「死刑制度をなくせば、同様の事件が増える」
とも言っている。死刑制度をなくすと、大量に人を殺してしまうようなイカレポンチを多く抱えた民族を代表する政治屋一家が、あちゃらのケネディー家が飼っているハト以下、だったりするのは、死刑執行と同様、どうしようもないこと、なのだろうかね。
現行制度として、厳然と、死刑制度は、ある、ので、死刑が執行されることに、なんの不思議もない。不思議なのは、野ブタがなんで法務大臣などしているのか、というまさにこの一点だ。これは、全部、上杉隆が悪い。上杉は、野ブタそのものたる鳩山が、法務大臣にもっともふさわしくない人物であることを知っていて、死刑と野ブタ、をネタにして、あろうことか脱力しやがりながら、しのいでいる。そんな記事でしのげるなら、愛ちゃんを受ちゃんと表現した人に、五万ほど誰か包め、上杉の記事に、受けた人などおらんだろうに、ジェニのムダじゃよ、コスト、コスト、コスト、やろに大事なのは。
一日早ければ、というのは、過渡期、ではしかたないことですが、だからこそ、執行を停止する猶予する、という、手段、があるわけです。韓国はそうしているようですね。韓国には耶蘇が結構多いので、制度の違いにそういうことがどの程度影響しているのか、気になるところではあります。右派だから、死刑制度をなにがなんでもまもる、必要などありまへん、この国の保守は、錯乱しております。
『謝罪ないまま』
『原因究明なされず』
……
何年経ったって謝罪なんてしないし、原因だって究明されやしない。それを良しとして語られるタテマエ。
無駄、無駄、無駄、本気で原因究明したけりゃ、役立たず精神科医の表面的な“ゲーム”に頼ってないで、外科に頼め。そして科学的、医学的観点からアプローチせよ。
文系馬鹿の推理ごっこは何の役にも立たんといい加減に気付け。
『謝罪ないまま』
『原因究明なされず』
……
何年経ったって謝罪なんてしないし、原因だって究明されやしない。それを良しとして語られるタテマエ。
無駄、無駄、無駄、本気で原因究明したけりゃ、役立たず精神科医の表面的な“ゲーム”に頼ってないで、外科に頼め。そして科学的、医学的観点からアプローチせよ。
文系馬鹿の推理ごっこは何の役にも立たんといい加減に気付け。
鳩山大臣はさらなる奮起をして
死刑囚を殲滅して欲しい。
こちらの激論があちらに飛び火しているようですね。
コメント数が多いので読むのが大変でした。
文系の皆様の聡明さには頭が下がります。
あまり死刑制度に関して意見はないのですが、文系の方々の議論で気になった点に少しコメントさせて頂きます。
「死刑は、因果応報のバランスからして、当然あるべきだ」というのが死刑存置派ということですが、現在の日本の制度では、1名殺害しただけでは死刑にならないことが多いようです。一人の命の重さは一人の死刑で償うのがバランス良いような気がするんですが、そういう単純な話ではないんでしょうか。
それから遺族感情という話がありますが、他の犯罪では回りの家族や親族は出てきません。重要なのは被害者当人なのだが当人は死んでしまっているので、生き残っているものの感情が重要になってしまっているのかなと思います。ということで一つ思い浮かんだのは、自分が殺された場合の希望を役所に届けておくというのはどうでしょうか。この方法であれば、廃止派と存続派が共存できるんじゃないかなと思います。
それから経済コストの話題がよく出てきますが、大きい問題とは思えません。どっちにしてもたいしたコストではないんじゃないでしょうか。そういう意味では、倫理の趣味の問題ではなく、娯楽の趣味の問題に近いと感じます。法務大臣の趣味でどんどん死刑が執行されたり、何年間もされなかったりというのを見ると、北の国でたまにミサイルを打って威嚇しているのと同様に国家権力の発揚に近い印象を受けます。
最終的に人は死ぬわけですから、死刑になるような犯人は社会的には死んでるのと同じわけで、物理的な死が早くなるのか、そうでないのかが社会的に重要な問題なのかなと思ってしまいます。(自分の問題だったら重要でしょうけど、でもそういう立場に置かれたらむしろ死刑を望むような気がします。その方が気が楽だから。)
コスト的には、安くなった、のかもしれない、かもしれない、かもしれない・・・。バスオタのチューボーが人を殺めなくて、よかった、と言ったら不謹慎かね、まあ、不謹慎だがね。
秋葉原のホコ天歩いてるだけで刺されたり、親子で散歩してたら刺されたりすることを覚悟しなけりゃお出かけできない時代なんでしょうかね。
そんな社会に生きていかなきゃならないんですかね。やですねぇ。
死刑にさえしておけば犯罪減るんですかね。犯罪減るんなら死刑を量産しても、まぁいいかと思いますがね。死刑で安心安全が買えますかね。ここの議論の中では死刑に抑止力ないんでしたね。
死刑で安心を買えないんなら、死刑の主な機能というのは応報感情を満足させるという一点に尽きますね。
でも、応報感情って、死刑でしかケアできないもんなんですかね。死刑に癒しの機能がありますかね。どうなんですかね。
財政面、とパラレルに、生活面、が置かれると、要するに、なんでもええのか、と思うがね。知的障害者と将来の犯罪者と現死刑囚(冤罪事犯含む)、がパラレルなものだとすると、どーでもええ、のかと思うがね。
結局のところ、受ちゃん理論がまずいのは、コストのピーク、あるいは、ピークアウト、がズバリ答えられないところでないかね。終身刑がもっともコストがかかるのか、更生せずに出てきて人殺しをした(過去形)場合のコストがもっともでかいのか。更生せずにでてきて人殺しをする、ことを想定するのであれば、社会のリスク許容度、にした方が話がはやいがね。まあ、夏の思いつき、だがね。オカヤン氏、応報感情の満足、ってのの、主体は、遺族、ではなく、社会、だとわしは思うがね。殺すぐらいで癒される憎しみなど、憎しみでなかろうに。
なるほど、確かにそうだと思いました。しかし、その社会とはいったいなんでしょう。
愚考しますに、それは私なのです。クーラーの効いた部屋でソファに寝そべり、冷たいグラスを片手にテレビに向かって「こんなやつ死刑にしちゃえばいいのに」と吐き出している私です。
私はそのままの姿勢で、遺族の感情を代弁し、社会の意見を代表しているような錯覚とともに寝そべり続けているのです。
少なくとも私がテレビの画面に映る見知らぬ男に抱いた憎しみは、それでけっこう癒されているのです。
たぶん
どう考えても劣っている人間である訳ですからね。
わざわざ劣っている人間を生かしておく事は、社会にとって必要である訳がありません。
私は最近、スタンコ事件というものを知り、ますます凶悪殺人者は文系論理ではかたがつかない医学的(精神科医除く)原因究明が必要だと思いますね。PETスキャンを導入し、眼下前頭葉を観察すべきです。
私は重大犯罪を起こす【(中年)無職】というのは、脳機能障害による産出物という持論を持っているのでそういう仕損(欠陥品)が発生したらそれをどう除却し、廃棄するか(速やかにラインから外す)かが早急の制度設計、すなわちメカニズムデザインの課題だと思っています。
脳機能障害犯罪者を死刑にすべきではないという反論には、それは【ラウ゛ディ氏の遠足】のような事態が起こった場合、誰が責任を負うのか再度問いたいね。人権派が責任を持って社会復帰した精神障害犯罪者を面倒みてくれるのかね?山崎氏は、この問いに反論になっていない反論でにげているのだけれど。早く、【アファーマティブ・アクション】と同じ発想の逆差別で、偽善的なハンディキャピズムと認識すべきです。
やはり【【無職の男】】であった。国家権力が無職マップを作り、無職のクズを監視する時季が来ているのである。
【【無職】】に続き、
【【知的障害者】】というおまけ付き。
山崎論理は、凶悪殺人事件が起こるたび、ことごとく論破されている。お金儲け本出版ラッシュの山崎氏の笑わせる机上の空論的自民党批判と同じように、死刑廃止論もまた、評論家的“皆があっち向けばそっち向く”的軽々しい戯言に過ぎないのだ。
またもや、軽度の知的障害者なのであった。山崎氏の知的障害者の息子は大丈夫なのだろうか?知的障害者にも厳罰を科す制度設計が望まれる。責任の所在なき殺人犯罪は被害者の死に損である。
http://realwave.blog70.fc2.com/blog-entry-82.html
政府が犯罪者を殺すかどうかは、最後は文化の問題です。私たちの文化は、犯罪者でも拷問や、耳を切り落とすような罰は与えないという文化に生きています。私は、死刑も文化的に許すべきではない段階に来ていると思います。
林真須美の死刑は確定していますw
林真須美への死刑執行は首吊りではなく
ヒ素入りカレーを食べさせるのが乙ですね。
皆にふるまった自慢の料理で最期の晩餐・・・。彼女も満足して三途の川を渡ってくれるでしょうw
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。fykytki
例の国がミサイルを撃つのも安倍氏を望んでいるから、という面もあるように思います。tgws