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ハーバードの授業もピン・キリ?
(
山崎元
)
2011-01-24 03:10:01
「ハーバードの人生を変える授業」という新刊本をつい買ってみたのだが、別に悪いことは書いていないのだが、ハーバードの学生はこんな内容を逐一教えなければならないくらい「子供」なのか、と驚いた。
サンデル先生の授業に参加している学生と同じ学生がこういう授業を聞いているとすると些か釈然としないが、こんなものなのかも知れない。
Unknown
(
Unknown
)
2011-01-24 08:45:40
上から目線で物事を語るのは止めた方が良いと思います。
ブログのコメントで不思議なこと
(
山崎元
)
2011-01-24 13:14:18
ブログをやっていて、常々不思議に思うのは、上記の「上から目線で物事を語るのは止めた方が良いと思います」とか「意見はひとそれぞれではないでしょうか」といった趣旨の反感を伴った感想、のようなコメントだ。
特段有害ではないし、「枯れ木も山の賑わい」的な側面もあるので、ブログの管理者としては、コメント欄から削除するようなことはしない方針なのだが、書き手の心情が今ひとつよく分からない。
ブログに何らかの意見をわざわざ書く以上、反発を感じる読者が一定数いることは予想の範囲内だし、多くの場合むしろ期待するところでもあるのだが、何の「論」にもなっていない感想をコメント欄にわざわざ書き込む人は何を意図しているのだろうか。
不愉快や嫌いなら単に無視すればいいし、内容に問題があると思う場合、暇があって手間をいとわないなら内容のあることを書けばいい。
否定的なものも含めて感想も情報であり、書いて貰って構わないのだが、「わざわざ書く」人の、時間感覚とプライドはどんな構造になっているのかについては常々不思議に思っている。
Unknown
(
Unknown(ひえみそ)
)
2011-01-24 14:04:54
・・・何の「論」にもなってない感想・・・こういう書き方が、上から目線と言われやすい様に思いますが・・・。
Unknown
(
通りすがり
)
2011-01-24 14:25:42
いい質問だ! 君名前は?
事実
(
山崎元
)
2011-01-24 16:51:48
ひそえみ様
ご意見はよく分かりますし、営業上は参考になるのですが、「何の『論』にもなってない感想」というのは、事実ではないでしょうか。
意見の質にも上下があるのは覆いがたい事実です。それを認めないのは、意味のある意見を書いて下さっている人に対して、失礼な気がします。
ただ、何れにせよ、なぜわざわざ「感想」を書き込むのか、その(たぶん)屈折した心理は謎のままです。
知識と理解は別なのでは。
(
サプライザー
)
2011-01-24 17:34:28
初めて書き込みします。
「ハーバードの人生を変える授業」をちょうど昨日読んだのですが、私は良い本だと思いました。
あの本に書かれている内容は、確かに当たり前と感じられることが多いですが、一方で本質的には理解できていない人が多いのではないでしょうか。
でなければ、例えば「富と幸福の間の関連性は低い」のに多くのエリートが高収入を得るために躍起になるはずがありません。
タル・ベン・シャハー氏の授業のよいところは、実践型・体験型なことだと思います。
たとえば、感謝することが大切、と言葉で言われるのと、毎日実際にノートに書いてその効果を実感するのとでは雲泥の差があるでしょう。
ですので、もしかしたら書籍化には向かない内容なのかもしれないですね。
Unknown
(
POPO
)
2011-01-24 17:39:55
著名で影響力のある方が、葬式と結婚式を前回否定してしまいましたからね・・・。これで生活している人達にとっては、許すことのできない存在でしょう。コメント欄を炎上させたり、管理人を不快にさせてブログを閉鎖に追い込みたくなるのは当然だと思います。
Unknown
(
RTB
)
2011-01-24 21:23:11
葬式と結婚式をで生活している人達が、コメント欄を炎上させたり、管理人を不快にさせてブログを閉鎖に追い込んでいるのを見ると、本当に要らないんじゃないかと思えてくる不思議。
葬式と結婚式をで生活している人達って思考レベル低いのかね。
暇つぶしなのかなあと・・・
(
タロ
)
2011-01-24 23:00:27
内容を伴っていると本人が思っているか、単なる暇つぶしなのでしょう。
私自身、ここにコメントすることがありますが、内容が伴っているとも思えないときもあるし、暇がなかったら書くどころか見ることすらないでしょう。
暇があったらブログを巡回する人がいることを考えれば、コメントの書き込みもタバコや酒のようなものであって、時間感覚やプライドとは特に関係ないのだと思います。
ところで、サンデルの授業は私が学生であれば参加してみたかった魅力あるものですね。
私は「年末年始のNHKは要チェック」と思っていたので、幸い、録画しておきました(笑)
近頃の学生はこんなものなのか?という山崎氏の問いですが、こと哲学に関する限り、そんなもんなんだと思います。
「レベルが低い」からではなく、「必要ではない」ので読まなくなり、結果的に哲学の基礎から丁寧に説明しないといけないのだと思います。
哲学を学ばなくても入学できますし、専攻も違えば読まない可能性も大きいですからね。
もう一つ、「信仰心の低下」も原因になるのかなあとも思います。
100年かそれ以上前の欧米人の日記等を見ると、今よりも宗教を身近に置いていた事が伺えます。
当然、日常の道徳的な疑問を神学や哲学に照らし合わせる機会も多かったでしょうし、そのための教養という側面もあったでしょうから(実際、彼らは「なぜ日本人はキリスト教徒ではないのに道徳的なのか?」という疑問をしばしば記しています)。
20世紀というのは、そういった道徳的な疑問を持たずとも「お気楽」に生きてこれるようになった時代で、だからこそ「ムズカシイ」ことを考えなくても済むようになり、おかげで最初から説明しなければいけなくなったのだと思います。
「漢学の素養」なんてのもそうですよね。
60年前に「鼎の軽重を問う」なんて言葉(そしてその由来)を学生が知らなかったら馬鹿にされたでしょうが、今は「読めればオッケー」な時代です。
かつては君臣(天皇とその臣下たる民)の秩序を保つために必要だった漢学も必修から外れ、そうした空気に接した人間が少なくなるにつれフラットな人間関係になり、「上から目線に慣れない」ようになったのかなあとも思います。
ま、昔は旧陸軍上がりの上司がいて、普通にぶん殴られたそうですし、一昔前の部活動もその空気を残していたようですから、そっちの理由かもしれませんけど。
Unknown
(
りょこうばと
)
2011-01-25 03:49:37
街中でたまに見かける絵にも文字にもなっていない意味不明の落書きに似てる気がしました。
何か表現したいものがあるけど、具体的に表現できる能力まではないので、取りあえずペンキを塗りつけてみた感じ。
こういう人たちを上手く利用してお金を儲けようとしてるのが炎上マーケティングだと思います。
きにくわないけど、気になる。
(
すばる
)
2011-01-25 11:34:50
きにくわない、嫌いだけど、気になるから読んでしまうのかな。
様々な情報が溢れる興味深いブログが、好き嫌いの感情で荒らされるのは、堪らなく嫌です。
ブログ炎上をさせるのは、自分に関わりのない人の家の火事の燃え具合を楽しみ写メで写真取っているそんな感覚でしょうか。
なるほど…
(
くおんつ
)
2011-01-26 16:39:20
サンデル教授の語り口を聞いているとつい納得させられてしまうところなんですが、ちゃんと自分の価値観で判断しないとダメですね。
論理だけでなくて感情も大事にする日本人的な?切り口だと感じました。
それはそうと、相手に反感を持ったら、無視する人だけじゃなくて、相手を攻撃(忠告とも言う)しようとする人がいても何も不思議じゃないと思います。
反感と攻撃
(
山崎元
)
2011-01-27 02:09:00
くおんつ様
コメントありがとうございます。
確かに、反感を持った場合に、相手を攻撃したくなることは分かります。
ただ、余計なことを言わない方がいいのかも知れませんが、論になっていない単なる感想の叫びみたいなコメントを書くことで、「攻撃」したつもりになるというのは、いかに何でも精神的に惨めではないでしょうか。はっきりいって、論拠なしに反感だけを表すとバカに見えます。
私なら、どんなに反感をもった相手に対しても(むしろ、反感を持ったいてであればなおのこと)、少なくなとも、実名では、そんなコメントを書きたくはありません。匿名で書くなら、他人に対して恥ずかしくはありませんが、自分自身の気持ちとしてはもっと惨めになるでしょう。
ブログの管理者としては、反感を表していて内容の無いコメントは、ブログの賑わいとしても、管理者の度量の広さを表現する上でも、むしろ歓迎すべき行動なので、困るわけではないのですが、それを書き込む人の(ほの暗い?)心理が今一つ釈然としません。(これは皮肉ではなく、本音です)
反感に論は無いのでは?
(
タロ
)
2011-01-27 13:38:45
そもそも、山崎さんが仰るような反感のレスに「論」は無いと思います。
「反論」ではなく「反感」なのですから。
上から目線を嫌がる若い人間に「なぜ?」と訊いても、筋道通った論は出てこないでしょう。
多分、なんとなく嫌なんだと思います。
書き込む行為も、そんなに攻撃を意図したものではなく、単に独り言に近い感覚のものでしょう。
攻撃するならもう少し攻撃性の高い言葉を選ぶでしょうしね。
話し言葉と違い、ネットを含めた様々なツールは世代や感覚によって使い方が大きく異なるので、理解できない人がいるくらいの方が「世の中には色々な人がいて、今日も平和で安心だ」ってなもんでしょう。
Unknown
(
okefenokee
)
2011-01-27 18:16:48
突然お邪魔します。
主題と関係ないことですみません。
いつからか「上から目線」という言葉が使われ始め、それも否定的な意味を持っているらしいのですが…
そもそも「上から目線(正確な定義はあるのかな?)」はいかなる場面においても悪いことなのか?そうならハーバードとはいわないまでも東京大学へ入学しない方がいいし、官僚なんかになるのはもってのほかだ。大学の教官だってだめだ。ということになるのでは?
山崎さんがいくら「何の『論』にもなっていない」と書かれても「反感」表現を繰り返す方がいるのは「極端な意見を表明したり、上から目線はいけない」というその方なりの思い込み(正義感に近いもの)もあるのではないでしょうか?何となく嫌、とか独り言に近いもの、というよりはもっと強い感情があるのでは、と思います。ついでに極端なことを言う方は大体反論も覚悟していると思うのですが、その相手の懐に飛び込む気概はないのかなあ。
それともっと脱線しますが、私は葬儀や結婚式の仕事をする方が、反感の情をを書き込んでいるのではないと想像しています。そんなに単純なのかな?
それより関係者の方の「商売なんだから儲けて当たり前」と書かれたコメントの方がよっぽどすっきりします。山崎さんが「いらない」とおっしゃっていることは先のふたつだけではないと思います。
最後に、私はいつも山崎さんの「論」は明解だと思っておりますが、必ずしも共感を持てるわけではありません。これは自分の大学の指導教官に対するものと似たものがあります。
山崎さんに「論」ではなく感情をぶつけてくる方は、もしかしたら私よりもはるかに山崎さん自身に親近感を感じているような人なのかな、とも思います。
反感と攻撃について
(
くおんつ
)
2011-01-28 01:10:01
そうですね。
本人ではないので、そういった惨めさというか虚しさのようなものを感じているのかどうかはわかりませんが、いずれにせよ、少なくとも一時的には、相手を攻撃することの快感の方が強いのではないでしょうか。
それから、なぜ論拠を示されていないのか、ですが、
まず、反感という感情を抑えて論を構築する能力があるのかどうかという点。それから、論を構築するのはある意味、相手に自分の言い分を理解してもらうという目的が裏にあると思いますが、これは反感という感情と相反するので受け入れがたいのではないかという点。さらに、自分よりも頭がいいであろう相手と議論をしても勝てそうもないのであえて論拠を示さないとか、なんとなく話をしても無駄であると(理解しあえないと)悟っているとか、いろいろ理由付けはできるように思います。
インセンティブ
(
tig
)
2011-01-28 08:54:03
山崎 様
今回のトピックでは、山崎さんの本文よりもコメント欄のやりとりにコミュニケーションの面白さを感じました。(勿論、本文の内容は多数の愛読者に興味を抱かせるものだとと思います。)
山崎様は「論」の無い書き込みをすることの精神的な空虚さについての違和感、不可解さを感じられていることかと思います。ただ、もともとブログのコメント欄では、各自の書き込みのインセンティブが非常に多様だということではないのでしょうか。まともな反論をするには論を構築する思考コストがかかりますし、そもそも自説を主張し相手を説得するのが目的でない場合も多々あると思われます。
基本的にはそうした、思考のテストがブログの醍醐味なのだとは思いますが、ただの落書き帳として使えるのも事実です。コメント欄を解放したブログはそのようなメディアなのですから、山崎様はコメント欄の意見とゴミを任意に分別して扱えば良いのだと思います。
思考コストには思考資産が要る
(
のらひこ
)
2011-01-28 14:55:25
今の若い人が良く使う言葉に「別に~」がありますが、これは彼らが思考資産を持っていないことの現れでしょう。だから論を立てるだけのコストを投下できない。しかし、有りもしない「個性の尊重」の教育の成果で基盤の無いプライドだけはある。そのウメキが様々なブログへの荒らしになるのでしょうね。荒らし自身もそれをする人もゴミですから、無視していきましょうよ。
だって山崎さんとはレベルが違いすぎるけど
(
つっかかってみたいんだもん
)
2011-01-28 16:12:23
冒頭のコメントは「上から目線で物事を語るのは止めた方が…」という事自体が指図っぽくて上から目線な感じで、矛盾している印象を受けました。でもその後の「ブログのコメントで不思議なこと 」が面白かったので、つまらない火種でも撒いてみるものだと、一瞬思いました。(←うわ、迷惑だ。スパムまがいの不適当な火種は読者だって嫌だ!)
上から目線がいつも悪いわけじゃなくて、店主が「あの本つまんねぇ」とか書いたら、客も別の高みから「いや、あの本はいいぜ☆」みたくワイワイ反論するのが丁度いいです。(それはそれで知的に苦しいな。反感や共感をを抽象的につぶやきっ放す方が楽だな。)
サンデル教授は感じいいです。哲学は退屈で敷居が高いイメージの私にとって、好感度は重要事項です。論理はほぼ鵜呑みなのでくおんつさんの「自分の価値観で」が身に沁みます。放送よりも録画の方が、一旦停止して考えたり調べたりできるので安全です。生講義だと丁々発止のやりとりについていけず、臨場感くらいしか収穫が無さそうです。
カントについては「殺人鬼に言っちゃっていいわけねぇ!理屈じゃねぇ!(あ、理屈の学問か)」ロールズについては「そりゃそうだ。生まれつきの不遇を見殺しにするのは忍びない。だけど対象となる共同体を地球にまで拡げてその公正に人生を捧げたら、自分が貧乏になって、家族や身近な人の不運を補ってあげられないかも。鳩山さんみたいなエリートがこんな思想を体現していたら尊敬するのだがなぁ。」
…とこんな程度の感想です。カントもロールズも原著は読んだことないです。読者のレベルもピン・キリなので常連さんからゴミと評されると悲しいです。精進してかららまた書き込みたいです。自国における思考資産の格差を是正して住み心地を良くする為にも、温かくコメントの範を示してほしいです。
ま、眩しい。。
(
へなちょこ技術者
)
2011-01-29 00:42:43
> あれこれ文句を並べた後に繰り返すのは気が引けるが、一つの授業のサンプルとしては、サンデル先生の授業はあまりに輝かしくて、直視するのが眩しいくらいだ。折に触れて勉強し直すことにしようと思う。
確かに、ハーバードって美人が多いなって思いました。。え?そーいう意味じゃない?
オフトピック
(
くまさん
)
2011-01-29 10:33:35
「上から目線」は否定的な言葉だと思います。少なくとも、私は肯定的なニュアンスでこの言葉が使われた例を知りません。
では、「上から目線」のなにが問題かというと、「相手を見下す」という無礼な態度です。この観点からは、本エントリは「上から目線」には該当しないと思います。異論を唱えるだけで、「上から目線」認定されてはたまりませんね。
山崎さんは
>何の「論」にもなっていない感想をコメント欄にわざわざ書き込む人は何を意図しているのだろうか。
と疑問を呈されてますが、「これは筋道だてて考えを表明する」といったトレーニングを受けた人だから感じるのだと思います。そういったトレーニングを受けていない小学生の会話なんてこんなものではないでしょうか。レッテル張りの応酬ですね。
理性と感情
(
ごっちん
)
2011-01-29 23:36:34
いつも、読ませていただいております。
「上から目線」ってことばが、そもそもどうかなと思います。
まじめに「論」をかわすことができる人は、そのようなことばは使わないと思いますから。
上記の本の内容であると、「ハーバード」って言葉を使う出版社の出版物の内容が、議論対象になる気がします。
「ハーバードもたいしたことない」っていう分かりやすい意見を作りだせると思います。
あくまで本から判断した、「ハーバード学生」の印象について述べている内容に対して、上も下もないと思います。
山崎様の判断ではなく、ハーバード~で本を手に取る方々の一部についてです。
ブログにもありますように、マンデル教授の教条のような講義に対しても、理性的な判断・意見を加えています。
その山崎様の意見に対して、まったく土俵にあがった意見でないと思います。
たぶん、ブログ内容も理解できてない方だと思います。
そんな方に意見で、山崎様の思考に邪魔をいしないでいただきたいものです。
コメントの前向きと後ろ向き
(
くえんつ
)
2011-01-30 10:11:59
「上から目線」などと、そこで終わってしまうようなコメントをするかわりに、「例えば授業で代わりにどのような議論をすれば、もっと良い議論になると考えているのですか」みたいなコメントで、意見を言い合うほうが、このブログのクオリティーは高まると思いますし、そのほうが楽しいと思います。時間が勿体ないですよね。
話は変わりますが、サンデル先生によって、大学の一講義がこれだけ、世の中に影響を与えるという事が示された事は画期的な事ではないでしょうか。大学で講義を行っている関係者は、かなりインスパイアされた事と思います。そういう部分が私はすごいと思いました。私が大学で講義する立場の人間なら、サンデル講義モデルをバージョンアップした講義ができないかなあ。みたいな事を考えたことでしょう。やっぱり眩しいですよね。
そう思います
(
学生
)
2011-01-30 13:33:57
横レスで、すいません。。
事情に詳しくなかったとしても、話題に興味の有る人に対して優しいコミュニティであってほしい。みんなの知識レベルが向上するように。
という事ですよね?凄く同感です。
ただ、コメントの範を示す、という意味が良くわからないのですが?
>自国における思考資産の格差を是正して住み心地を良くする為にも、温かくコメントの範を示してほしいです。
サンデルは哲学者?
(
大田
)
2011-01-31 14:44:50
サンデルの議論は哲学者あるいは哲学を本気でやったことのある人から見ればずいぶんと雑であり、通俗的でもあるので、これを「哲学」と呼ぶのは厳しい気がする。ただ、授業の盛り上がりは素晴らしいものであったし、これがきっかけで学生が「考えるとはどういうことか」を一生懸命に“考える”のであれば、やはり一流の授業と言うしかない。これを、文字に直してしまうとライブの盛り上がりは消えて、論そのものだけが対象になるので、山崎さんが本から受けた印象は仕方のないものだと思う。
ただし、私自身はサンデルの一流のパフォーマンスを認めるにしても、日本の大学の授業が、少なくともトップの大学の授業は彼のようになってほしくはない。
「意見はひとそれぞれではないでしょうか」に思う
(
のらひこ
)
2011-01-31 14:48:59
様々な集会や会議で「意見はひとそれぞれではないでしょうか」とノタマウ成人人士がいて唖然とすることがありますね。身長、体重、女性の好み、みんな違って当たり前という前提の上で、集会や会議をしているのに、鬼の首でも取ったようにこのフレーズを出してくる人がいます。なにかハトヤマさんが増えてきたんでしょうかね?イヤハヤ
確かに「人それぞれ」の面もあるのでは?
(
タロ
)
2011-02-02 12:21:32
「意見は人それぞれ」と会議中に言及するのは、そう無駄なこともでもないかも知れませんよ。
世の中には、明らかに優劣が決まっている議題もあるでしょうが、価値観によって評価が分かれる議題もあります。
そんな時、往々にして自らの価値観に基づく意見を恰も「優れている」かのごとく示す人もいるわけで、「それは優れているのではなく、君が推しているだけだ」という意味合いでけん制するのは、悪くない話だと思います。
価値観次第で決まる議題なら、「多数決の決定に皆が従う」と決めてしまえばいいわけですし、逆に「本当は優劣がある」のなら、その根拠を示せば良いということになり、煮詰まった議論を先に進めるよいきっかけになるのではないかと。
Unknown
(
善哉
)
2011-02-03 12:42:27
はじめてコメントします
この記事のコメントの流れ、なにやら「授業」のようですね
おそらく、山崎先生はこうなることを狙ってことと思いますがどうですか?
事実や意見などを前にして、反射的に<わくわくする><なんか嫌><かっとなる><どきどきする><うれしい>と、なんらかの感情や感覚あるいは感想を持つのは普通のことなのではないかと思います
しかし、その状態でとどまっていては、”だって、だって、だってそう感じたんだもん”という状態にとどまっているだけということでしょうか
自分の中で起こった感情や感覚を丁寧に言葉にしていく過程が深い思索につながり、人間的な成長があるのではないかと感じました
サンデル先生の「正義」の授業も、なんとなくおかしい、なんとなく正しいという感情を、どこから来るものか、先人はどう言葉にして論理立てきたか、あなたはどう言葉にしていくかということを話されていたように私は思いました
これからのコメント流れも楽しみにしています
弥栄
そうそう
(
のい
)
2011-02-06 07:19:13
私も、授業のように思いましたよ!
早速、サンデル先生のエッセンスを取り入れてみたのか・・・と勝手に解釈していました。
でも、本気で何してるの、この人たち?と思われてても、またそれは興味深いですね。(私は、匿名で批判コメントを載せるのは、なんというか、”正義”がない、というか、姑息なやつだな、と思います。)
私は、山崎さん(さんでよいのか・・・)のように、サンデルさんの主張に反論できるほどの能力がないので、なるほどな、と素直に思って読ませて頂きました。
サンデル先生的授業のチャンス
(
山崎元
)
2011-02-06 16:43:29
サンデル先生的な学生とやりとりのある授業ができるかどうかは、学生の数、学生の準備と学力、教師の力量とやる気、によって決まると思います。目下の私の力量では、得意な領域の話題であっても、できれば学生は20人くらいが良く、40人くらいが相手ができる限界のような気がします。
かつて一橋大の主に社会人向けの大学院で「金融資産運用論」を教えていたときに、学生数が十数名から20名前後だったので、学期によっては学生の質が高めに揃っている場合があり、活発な授業が可能だったかも知れないと思います。(学期によっては、学生のレベル的に無理があったと思います)今にして思うと、チャンスを逃した気がして、少し残念です。
獨協大学では、二コマとも300人くらいの履修登録者になるので、どうしても講演調の授業になりがちです。授業の最初に何らかの問題を出すような形で、授業中に学生に考えて貰う時間を増やそうかな、ということが現在考えている授業の改善点です。
2011年度はもうシラバスを出してしまったので、昨年と同様の授業スタイルになりますが、次年度は、たとえば「金融資産運用論」の上級編(学生に予習を要求し、出席もチェックする)の授業を作って、(たぶん履修者は少ないでしょうから)学生とやりとりをする授業をやってみてもいいかも知れない、などと考えています。
せっかくチャンスがあるので、私なりにいろいろと工夫してみたいと思っています。
日本の白熱教室
(
Unknown
)
2011-02-08 17:03:56
テレビで白熱教室増えましたね。
日本版の慶応や東大の授業なんぞ
全く見る気はないですが影響されたんでしょうね。
結構芸人並に影響されたんだと思うと笑えます。
昭和の時代から米国の物まねが大好きですが大学だけは全く治外法権でつまらない生徒を放出してきたツケが現在の日本の状態に繋がっていると思います。
少しは大学教授も反省していいところは取り入れなきゃね。
Unknown
(
ベジーデル酵素液の効果
)
2011-02-26 03:17:03
正直勉強になります。
Unknown
(
AA
)
2011-02-27 14:27:13
サンデル教授の白熱教室は初めのほうのいくつかを見たが、その論じているロジック自体は哲学を知らない私のような素人が見てもおかしな点が散見されてそれ自体をどうこう言うほどのものではないと思う。サンデル教授の授業が素晴らしいのは、たとえ素人が見ても変なロジックだとしても、無理無理他人にそれを納得させてしまうことが出来る技術にあると思う。
仕事をしているとチームのメンバーをひとつの方向に導いていくというような状況が頻繁にあり、その際に他人を説得して納得感を得ることで動機付ける能力が重要だったりします。
そもそも、個人の論理能力そのものを後天的に育てるのは無理だと思う。なので、自分の組み立てたロジックを他人に上手く説明する能力を育てる事に重点を置くほうが教育の方法として現実的な気がします。
思考停止!の日本人には良いかも
(
ゆうじ
)
2011-02-27 23:10:19
2/21に「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う~」というテレビ番組があり、マイケル=サンデル教授が出演していたのを見た人もいるかと思います。
私も見ていて、AAさんと同じように、「おかしな点が散見され」ました。
例えば、鉄道事故の設定で、一つ目は五人助ける事ができるが一人死ぬ、二つ目は一人殺せば五人助けることができるかも!、という物でした。この二つを同じ物だとして論を展開していたのです。
二つ目の設定は、日本語訳を聞いていても「五人を助ける事ができるかもしれません」と言っていました。
「『かも』じゃだめじゃん。同じじゃねえだろ~」と独りでツッコミを入れていました。
設定に無理はあるとしても、思考停止状態の日本人には考えさせる授業は良いのかも!しれません。
そういえば、この番組でイタリア?かどこかの天才が、日本経済の改革のために「ベーシックインカム」を推奨していましたよ。
Unknown
(
無修正アダルト
)
2011-07-03 18:53:52
こんにちは。楽しく読ませていただきました。
マオ
(
knockoff handbags
)
2012-02-06 23:06:38
小沢一郎氏はあれだけテレビでもお金の問題が流れているのに、そのまま残っているのかという事・・・あまり政治のことは分かりませんが、それが率直な感想です。
またブログ読ませていただいて勉強します。shhrr
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サンデル先生の授業に参加している学生と同じ学生がこういう授業を聞いているとすると些か釈然としないが、こんなものなのかも知れない。
特段有害ではないし、「枯れ木も山の賑わい」的な側面もあるので、ブログの管理者としては、コメント欄から削除するようなことはしない方針なのだが、書き手の心情が今ひとつよく分からない。
ブログに何らかの意見をわざわざ書く以上、反発を感じる読者が一定数いることは予想の範囲内だし、多くの場合むしろ期待するところでもあるのだが、何の「論」にもなっていない感想をコメント欄にわざわざ書き込む人は何を意図しているのだろうか。
不愉快や嫌いなら単に無視すればいいし、内容に問題があると思う場合、暇があって手間をいとわないなら内容のあることを書けばいい。
否定的なものも含めて感想も情報であり、書いて貰って構わないのだが、「わざわざ書く」人の、時間感覚とプライドはどんな構造になっているのかについては常々不思議に思っている。
ご意見はよく分かりますし、営業上は参考になるのですが、「何の『論』にもなってない感想」というのは、事実ではないでしょうか。
意見の質にも上下があるのは覆いがたい事実です。それを認めないのは、意味のある意見を書いて下さっている人に対して、失礼な気がします。
ただ、何れにせよ、なぜわざわざ「感想」を書き込むのか、その(たぶん)屈折した心理は謎のままです。
「ハーバードの人生を変える授業」をちょうど昨日読んだのですが、私は良い本だと思いました。
あの本に書かれている内容は、確かに当たり前と感じられることが多いですが、一方で本質的には理解できていない人が多いのではないでしょうか。
でなければ、例えば「富と幸福の間の関連性は低い」のに多くのエリートが高収入を得るために躍起になるはずがありません。
タル・ベン・シャハー氏の授業のよいところは、実践型・体験型なことだと思います。
たとえば、感謝することが大切、と言葉で言われるのと、毎日実際にノートに書いてその効果を実感するのとでは雲泥の差があるでしょう。
ですので、もしかしたら書籍化には向かない内容なのかもしれないですね。
葬式と結婚式をで生活している人達って思考レベル低いのかね。
私自身、ここにコメントすることがありますが、内容が伴っているとも思えないときもあるし、暇がなかったら書くどころか見ることすらないでしょう。
暇があったらブログを巡回する人がいることを考えれば、コメントの書き込みもタバコや酒のようなものであって、時間感覚やプライドとは特に関係ないのだと思います。
ところで、サンデルの授業は私が学生であれば参加してみたかった魅力あるものですね。
私は「年末年始のNHKは要チェック」と思っていたので、幸い、録画しておきました(笑)
近頃の学生はこんなものなのか?という山崎氏の問いですが、こと哲学に関する限り、そんなもんなんだと思います。
「レベルが低い」からではなく、「必要ではない」ので読まなくなり、結果的に哲学の基礎から丁寧に説明しないといけないのだと思います。
哲学を学ばなくても入学できますし、専攻も違えば読まない可能性も大きいですからね。
もう一つ、「信仰心の低下」も原因になるのかなあとも思います。
100年かそれ以上前の欧米人の日記等を見ると、今よりも宗教を身近に置いていた事が伺えます。
当然、日常の道徳的な疑問を神学や哲学に照らし合わせる機会も多かったでしょうし、そのための教養という側面もあったでしょうから(実際、彼らは「なぜ日本人はキリスト教徒ではないのに道徳的なのか?」という疑問をしばしば記しています)。
20世紀というのは、そういった道徳的な疑問を持たずとも「お気楽」に生きてこれるようになった時代で、だからこそ「ムズカシイ」ことを考えなくても済むようになり、おかげで最初から説明しなければいけなくなったのだと思います。
「漢学の素養」なんてのもそうですよね。
60年前に「鼎の軽重を問う」なんて言葉(そしてその由来)を学生が知らなかったら馬鹿にされたでしょうが、今は「読めればオッケー」な時代です。
かつては君臣(天皇とその臣下たる民)の秩序を保つために必要だった漢学も必修から外れ、そうした空気に接した人間が少なくなるにつれフラットな人間関係になり、「上から目線に慣れない」ようになったのかなあとも思います。
ま、昔は旧陸軍上がりの上司がいて、普通にぶん殴られたそうですし、一昔前の部活動もその空気を残していたようですから、そっちの理由かもしれませんけど。
何か表現したいものがあるけど、具体的に表現できる能力まではないので、取りあえずペンキを塗りつけてみた感じ。
こういう人たちを上手く利用してお金を儲けようとしてるのが炎上マーケティングだと思います。
様々な情報が溢れる興味深いブログが、好き嫌いの感情で荒らされるのは、堪らなく嫌です。
ブログ炎上をさせるのは、自分に関わりのない人の家の火事の燃え具合を楽しみ写メで写真取っているそんな感覚でしょうか。
論理だけでなくて感情も大事にする日本人的な?切り口だと感じました。
それはそうと、相手に反感を持ったら、無視する人だけじゃなくて、相手を攻撃(忠告とも言う)しようとする人がいても何も不思議じゃないと思います。
コメントありがとうございます。
確かに、反感を持った場合に、相手を攻撃したくなることは分かります。
ただ、余計なことを言わない方がいいのかも知れませんが、論になっていない単なる感想の叫びみたいなコメントを書くことで、「攻撃」したつもりになるというのは、いかに何でも精神的に惨めではないでしょうか。はっきりいって、論拠なしに反感だけを表すとバカに見えます。
私なら、どんなに反感をもった相手に対しても(むしろ、反感を持ったいてであればなおのこと)、少なくなとも、実名では、そんなコメントを書きたくはありません。匿名で書くなら、他人に対して恥ずかしくはありませんが、自分自身の気持ちとしてはもっと惨めになるでしょう。
ブログの管理者としては、反感を表していて内容の無いコメントは、ブログの賑わいとしても、管理者の度量の広さを表現する上でも、むしろ歓迎すべき行動なので、困るわけではないのですが、それを書き込む人の(ほの暗い?)心理が今一つ釈然としません。(これは皮肉ではなく、本音です)
「反論」ではなく「反感」なのですから。
上から目線を嫌がる若い人間に「なぜ?」と訊いても、筋道通った論は出てこないでしょう。
多分、なんとなく嫌なんだと思います。
書き込む行為も、そんなに攻撃を意図したものではなく、単に独り言に近い感覚のものでしょう。
攻撃するならもう少し攻撃性の高い言葉を選ぶでしょうしね。
話し言葉と違い、ネットを含めた様々なツールは世代や感覚によって使い方が大きく異なるので、理解できない人がいるくらいの方が「世の中には色々な人がいて、今日も平和で安心だ」ってなもんでしょう。
主題と関係ないことですみません。
いつからか「上から目線」という言葉が使われ始め、それも否定的な意味を持っているらしいのですが…
そもそも「上から目線(正確な定義はあるのかな?)」はいかなる場面においても悪いことなのか?そうならハーバードとはいわないまでも東京大学へ入学しない方がいいし、官僚なんかになるのはもってのほかだ。大学の教官だってだめだ。ということになるのでは?
山崎さんがいくら「何の『論』にもなっていない」と書かれても「反感」表現を繰り返す方がいるのは「極端な意見を表明したり、上から目線はいけない」というその方なりの思い込み(正義感に近いもの)もあるのではないでしょうか?何となく嫌、とか独り言に近いもの、というよりはもっと強い感情があるのでは、と思います。ついでに極端なことを言う方は大体反論も覚悟していると思うのですが、その相手の懐に飛び込む気概はないのかなあ。
それともっと脱線しますが、私は葬儀や結婚式の仕事をする方が、反感の情をを書き込んでいるのではないと想像しています。そんなに単純なのかな?
それより関係者の方の「商売なんだから儲けて当たり前」と書かれたコメントの方がよっぽどすっきりします。山崎さんが「いらない」とおっしゃっていることは先のふたつだけではないと思います。
最後に、私はいつも山崎さんの「論」は明解だと思っておりますが、必ずしも共感を持てるわけではありません。これは自分の大学の指導教官に対するものと似たものがあります。
山崎さんに「論」ではなく感情をぶつけてくる方は、もしかしたら私よりもはるかに山崎さん自身に親近感を感じているような人なのかな、とも思います。
本人ではないので、そういった惨めさというか虚しさのようなものを感じているのかどうかはわかりませんが、いずれにせよ、少なくとも一時的には、相手を攻撃することの快感の方が強いのではないでしょうか。
それから、なぜ論拠を示されていないのか、ですが、
まず、反感という感情を抑えて論を構築する能力があるのかどうかという点。それから、論を構築するのはある意味、相手に自分の言い分を理解してもらうという目的が裏にあると思いますが、これは反感という感情と相反するので受け入れがたいのではないかという点。さらに、自分よりも頭がいいであろう相手と議論をしても勝てそうもないのであえて論拠を示さないとか、なんとなく話をしても無駄であると(理解しあえないと)悟っているとか、いろいろ理由付けはできるように思います。
今回のトピックでは、山崎さんの本文よりもコメント欄のやりとりにコミュニケーションの面白さを感じました。(勿論、本文の内容は多数の愛読者に興味を抱かせるものだとと思います。)
山崎様は「論」の無い書き込みをすることの精神的な空虚さについての違和感、不可解さを感じられていることかと思います。ただ、もともとブログのコメント欄では、各自の書き込みのインセンティブが非常に多様だということではないのでしょうか。まともな反論をするには論を構築する思考コストがかかりますし、そもそも自説を主張し相手を説得するのが目的でない場合も多々あると思われます。
基本的にはそうした、思考のテストがブログの醍醐味なのだとは思いますが、ただの落書き帳として使えるのも事実です。コメント欄を解放したブログはそのようなメディアなのですから、山崎様はコメント欄の意見とゴミを任意に分別して扱えば良いのだと思います。
上から目線がいつも悪いわけじゃなくて、店主が「あの本つまんねぇ」とか書いたら、客も別の高みから「いや、あの本はいいぜ☆」みたくワイワイ反論するのが丁度いいです。(それはそれで知的に苦しいな。反感や共感をを抽象的につぶやきっ放す方が楽だな。)
サンデル教授は感じいいです。哲学は退屈で敷居が高いイメージの私にとって、好感度は重要事項です。論理はほぼ鵜呑みなのでくおんつさんの「自分の価値観で」が身に沁みます。放送よりも録画の方が、一旦停止して考えたり調べたりできるので安全です。生講義だと丁々発止のやりとりについていけず、臨場感くらいしか収穫が無さそうです。
カントについては「殺人鬼に言っちゃっていいわけねぇ!理屈じゃねぇ!(あ、理屈の学問か)」ロールズについては「そりゃそうだ。生まれつきの不遇を見殺しにするのは忍びない。だけど対象となる共同体を地球にまで拡げてその公正に人生を捧げたら、自分が貧乏になって、家族や身近な人の不運を補ってあげられないかも。鳩山さんみたいなエリートがこんな思想を体現していたら尊敬するのだがなぁ。」
…とこんな程度の感想です。カントもロールズも原著は読んだことないです。読者のレベルもピン・キリなので常連さんからゴミと評されると悲しいです。精進してかららまた書き込みたいです。自国における思考資産の格差を是正して住み心地を良くする為にも、温かくコメントの範を示してほしいです。
確かに、ハーバードって美人が多いなって思いました。。え?そーいう意味じゃない?
では、「上から目線」のなにが問題かというと、「相手を見下す」という無礼な態度です。この観点からは、本エントリは「上から目線」には該当しないと思います。異論を唱えるだけで、「上から目線」認定されてはたまりませんね。
山崎さんは
>何の「論」にもなっていない感想をコメント欄にわざわざ書き込む人は何を意図しているのだろうか。
と疑問を呈されてますが、「これは筋道だてて考えを表明する」といったトレーニングを受けた人だから感じるのだと思います。そういったトレーニングを受けていない小学生の会話なんてこんなものではないでしょうか。レッテル張りの応酬ですね。
「上から目線」ってことばが、そもそもどうかなと思います。
まじめに「論」をかわすことができる人は、そのようなことばは使わないと思いますから。
上記の本の内容であると、「ハーバード」って言葉を使う出版社の出版物の内容が、議論対象になる気がします。
「ハーバードもたいしたことない」っていう分かりやすい意見を作りだせると思います。
あくまで本から判断した、「ハーバード学生」の印象について述べている内容に対して、上も下もないと思います。
山崎様の判断ではなく、ハーバード~で本を手に取る方々の一部についてです。
ブログにもありますように、マンデル教授の教条のような講義に対しても、理性的な判断・意見を加えています。
その山崎様の意見に対して、まったく土俵にあがった意見でないと思います。
たぶん、ブログ内容も理解できてない方だと思います。
そんな方に意見で、山崎様の思考に邪魔をいしないでいただきたいものです。
話は変わりますが、サンデル先生によって、大学の一講義がこれだけ、世の中に影響を与えるという事が示された事は画期的な事ではないでしょうか。大学で講義を行っている関係者は、かなりインスパイアされた事と思います。そういう部分が私はすごいと思いました。私が大学で講義する立場の人間なら、サンデル講義モデルをバージョンアップした講義ができないかなあ。みたいな事を考えたことでしょう。やっぱり眩しいですよね。
事情に詳しくなかったとしても、話題に興味の有る人に対して優しいコミュニティであってほしい。みんなの知識レベルが向上するように。
という事ですよね?凄く同感です。
ただ、コメントの範を示す、という意味が良くわからないのですが?
>自国における思考資産の格差を是正して住み心地を良くする為にも、温かくコメントの範を示してほしいです。
ただし、私自身はサンデルの一流のパフォーマンスを認めるにしても、日本の大学の授業が、少なくともトップの大学の授業は彼のようになってほしくはない。
世の中には、明らかに優劣が決まっている議題もあるでしょうが、価値観によって評価が分かれる議題もあります。
そんな時、往々にして自らの価値観に基づく意見を恰も「優れている」かのごとく示す人もいるわけで、「それは優れているのではなく、君が推しているだけだ」という意味合いでけん制するのは、悪くない話だと思います。
価値観次第で決まる議題なら、「多数決の決定に皆が従う」と決めてしまえばいいわけですし、逆に「本当は優劣がある」のなら、その根拠を示せば良いということになり、煮詰まった議論を先に進めるよいきっかけになるのではないかと。
この記事のコメントの流れ、なにやら「授業」のようですね
おそらく、山崎先生はこうなることを狙ってことと思いますがどうですか?
事実や意見などを前にして、反射的に<わくわくする><なんか嫌><かっとなる><どきどきする><うれしい>と、なんらかの感情や感覚あるいは感想を持つのは普通のことなのではないかと思います
しかし、その状態でとどまっていては、”だって、だって、だってそう感じたんだもん”という状態にとどまっているだけということでしょうか
自分の中で起こった感情や感覚を丁寧に言葉にしていく過程が深い思索につながり、人間的な成長があるのではないかと感じました
サンデル先生の「正義」の授業も、なんとなくおかしい、なんとなく正しいという感情を、どこから来るものか、先人はどう言葉にして論理立てきたか、あなたはどう言葉にしていくかということを話されていたように私は思いました
これからのコメント流れも楽しみにしています
弥栄
早速、サンデル先生のエッセンスを取り入れてみたのか・・・と勝手に解釈していました。
でも、本気で何してるの、この人たち?と思われてても、またそれは興味深いですね。(私は、匿名で批判コメントを載せるのは、なんというか、”正義”がない、というか、姑息なやつだな、と思います。)
私は、山崎さん(さんでよいのか・・・)のように、サンデルさんの主張に反論できるほどの能力がないので、なるほどな、と素直に思って読ませて頂きました。
かつて一橋大の主に社会人向けの大学院で「金融資産運用論」を教えていたときに、学生数が十数名から20名前後だったので、学期によっては学生の質が高めに揃っている場合があり、活発な授業が可能だったかも知れないと思います。(学期によっては、学生のレベル的に無理があったと思います)今にして思うと、チャンスを逃した気がして、少し残念です。
獨協大学では、二コマとも300人くらいの履修登録者になるので、どうしても講演調の授業になりがちです。授業の最初に何らかの問題を出すような形で、授業中に学生に考えて貰う時間を増やそうかな、ということが現在考えている授業の改善点です。
2011年度はもうシラバスを出してしまったので、昨年と同様の授業スタイルになりますが、次年度は、たとえば「金融資産運用論」の上級編(学生に予習を要求し、出席もチェックする)の授業を作って、(たぶん履修者は少ないでしょうから)学生とやりとりをする授業をやってみてもいいかも知れない、などと考えています。
せっかくチャンスがあるので、私なりにいろいろと工夫してみたいと思っています。
日本版の慶応や東大の授業なんぞ
全く見る気はないですが影響されたんでしょうね。
結構芸人並に影響されたんだと思うと笑えます。
昭和の時代から米国の物まねが大好きですが大学だけは全く治外法権でつまらない生徒を放出してきたツケが現在の日本の状態に繋がっていると思います。
少しは大学教授も反省していいところは取り入れなきゃね。
仕事をしているとチームのメンバーをひとつの方向に導いていくというような状況が頻繁にあり、その際に他人を説得して納得感を得ることで動機付ける能力が重要だったりします。
そもそも、個人の論理能力そのものを後天的に育てるのは無理だと思う。なので、自分の組み立てたロジックを他人に上手く説明する能力を育てる事に重点を置くほうが教育の方法として現実的な気がします。
私も見ていて、AAさんと同じように、「おかしな点が散見され」ました。
例えば、鉄道事故の設定で、一つ目は五人助ける事ができるが一人死ぬ、二つ目は一人殺せば五人助けることができるかも!、という物でした。この二つを同じ物だとして論を展開していたのです。
二つ目の設定は、日本語訳を聞いていても「五人を助ける事ができるかもしれません」と言っていました。
「『かも』じゃだめじゃん。同じじゃねえだろ~」と独りでツッコミを入れていました。
設定に無理はあるとしても、思考停止状態の日本人には考えさせる授業は良いのかも!しれません。
そういえば、この番組でイタリア?かどこかの天才が、日本経済の改革のために「ベーシックインカム」を推奨していましたよ。
またブログ読ませていただいて勉強します。shhrr