日米開戦の頃ですが、鶴見俊輔氏も、ハーバード大哲学科で上位5%の成績をとった人として知られています。彼は、日本では「不良少年」で、正式には高等小学校しか卒業していないようですが、現地の語学学校に通い、ハーバード大を3年足らずで卒業してしまったようです。もっとも、彼は日米開戦で逮捕され、彼を評価してくれた担任教授の推薦で、留置所の便器を机に卒論を書いて提出したため、卒業時の5%には入らなかったようです。 彼自身は当時を、勉強、勉強の「一番病だった」とあまり評価しておりませんが、担任教授、その師匠格のバートランド・ラッセルやホワイトヘッドなどの交流を興味深げに観察しています。その頃高齢のホワイトヘッドの講演の最後の言葉は、なんと、“Exactness is a fake”。世界の一流知性は奥深い! その鶴見氏自身、今は85歳位のご高齢ですが、日清戦争以前の日本人を、世界に十分伍していける資質のあった人間として高く評価する一方、それ以降の指導者を「一番病」に取りつかれた創造性のない人間と酷評しています。(彼の父親祐輔氏が東大金バッチの「一番病」患者さん!) 山崎さんは、「少し甘いかも知れない」とお断りの書評であり、私は「勉強法」に関心のある身分でもありませんが、何となく、「秀才」が書く「加速式」という書名に、危うさを感じます。やはり、加速はボルト選手に任せた方がよろしいようで・・・。
彼は「勉強ができる≠生保が売れる」を証明する典型的モデル。
机の上の勉強でどうにかなるほど、保険業界は甘くない。
山崎さんの勉強本が出たら絶対買います。是非出して欲しいです。
「自分は頭がいい」と思ってる二等兵の言い分ですね。
あるいは挙績(笑)の低い拠点長(笑)とか。
こんな愚痴が出てくるということは、生保業界がまだまだ甘い証拠。
ライフネット生命は成功しますね。
せめて、鉄鋼王カーネギーが墓碑銘に刻ませたと言う
「ここに、自分より賢い人々を、周囲に集める術を知っていた1人の人間が横たわる」
ぐらいの説教は垂れられないもののでしょうか。
本当に頭の良い人は、木村秋則氏ではないかなと思ったりする。「リンゴが教えてくれたこと」を読むと試験秀才の限界を感じる。所詮は、「解」のある世界で生きているだけなんだ。
彼自身は当時を、勉強、勉強の「一番病だった」とあまり評価しておりませんが、担任教授、その師匠格のバートランド・ラッセルやホワイトヘッドなどの交流を興味深げに観察しています。その頃高齢のホワイトヘッドの講演の最後の言葉は、なんと、“Exactness is a fake”。世界の一流知性は奥深い!
その鶴見氏自身、今は85歳位のご高齢ですが、日清戦争以前の日本人を、世界に十分伍していける資質のあった人間として高く評価する一方、それ以降の指導者を「一番病」に取りつかれた創造性のない人間と酷評しています。(彼の父親祐輔氏が東大金バッチの「一番病」患者さん!)
山崎さんは、「少し甘いかも知れない」とお断りの書評であり、私は「勉強法」に関心のある身分でもありませんが、何となく、「秀才」が書く「加速式」という書名に、危うさを感じます。やはり、加速はボルト選手に任せた方がよろしいようで・・・。
岩瀬氏=試験秀才、という前提ではなく、岩瀬氏=試験秀才+α、かつαの方がかなり大きい、と考えていいと思います。私の印象に過ぎませんが、ブログで取り上げた責任上、補足しておきます。
一般に、試験が出来る人は、物事全般に達成意欲の高い人であることが多く(あくまでも傾向ですが)、試験が出来ること自体は悪いことではありません。
また、試験というものを行うと、同じ程度の努力でも、出来る人と出来ない人とがいるわけで、これは仕方がありません。岩瀬氏も、彼だけ一日に24時間を超えて持ち時間があった、というわけではありません。
世の中には、試験が出来て、しかし人物的に困った人も多数いるのですが、ごく一般的な傾向をいえば、頭のいい人は試験が出来ることが多いし、頭のいい人と話すと気持ちがいい、というのが私の感想です。
もちろん、秀才を「信仰」するというのは、全くバカげています。秀才に任せておけば、良きに計らってくれるだろうというのは、全財産をヘッジファンドに投資するくらい愚かな行為です。
秀才は、ただちょっと感じがいいだけです。敢えて言えば、魅力の一種ですが、魅力としては割合地味なものの一つでしょう。
もともと、山崎さんにも岩瀬氏にも批判の意図はなかったのですが、いつの間にか、タコつぼから毒気を吹き出していました。ご容赦ください。
多くの若い逸材が、海外へでもどこへでも出かけて鍛えられるいい時代です。また、岩瀬氏のような方が新しいコンセプトの商品でチャレンジして頂けるのはわれわれも明るくします。山崎さんのライフワークの観点からも、岩瀬氏は逸材との感触をお持ちでした。
これからも、若い人へのエールをお願いします。
ダイヤモンドオンラインの『運用会社は宗教のビジネスモデル』を拝見しました。
ひとつだけ感想を。
歴史的に見ると、資本主義こそ宗教のビジネスモデルそのものじゃないんでしょうか?
どういう姿になるかさっぱりわかりませんが、経済成長の無い経済制度が近い未来に必要と思われますが、やがて来るそれはもう資本主義とは言えないような・・・。
> 数のパターンで殆ど説明し尽くすことが出来る。私も自己啓発本「
> 的」な本を書かないとは言い切れないし、自己啓発本マニアではない
> から種明かしはしないが、基本のパターンは4つ、それが書かれた本
> で言えば3冊だ
これはまた思わせぶりな・・・。商売上手さに本が出たら買ってしまい
そうです。
本が当分なさそうなら、ぜひヒントだけでも。
学生の時は、(1)の人に相当コンプレックスがありました。
小学校の担任が黒板に大きく書いた「努力に勝る天才なし」という言葉が重く劣等感を刺激しました。継続は力なり、とわかってはいるけれど、どうもスタミナが...。あれくらい(時間、量)勉強したら今頃は...と思う私は、やはり(2)も(3)も足りなかったいわゆる凡人ですね。もちろん勉学限定の話であって、社会生活で才能が花開く人々が圧倒的に多いんじゃないかと思われますが。
ところで「天才」と「秀才」の違いについて、山崎さんはどのようにお考えでしょうか。エントリを拝見しますと、意図的にでしょうか、「天才」という言葉を避けておられるようにも思えます。
しかし、世に天才と呼ばれる人も山崎さんのあげた特徴を持っている場合が多いと思います。例えば天才といえばアインシュタインですが、彼も「勉強の体力」を持っていたことは疑いないでしょう。
そういう意味で天才と秀才の違いについて、もしお考えがあれば、おしえてください。
というところが一つのミソのようですが、
凡人の場合は、距離を取っているうちに、戻ってこれなくなりそうなのですが。
「しばし」とは、どれくらいの時間なのでしょうか?
経済学で短期と長期がそれぞれどんな期間なのかが問題であるように、確かに「しばし」の具体的な期間は問題ですね。
私の思うに、一晩から数日くらいの時間であることが多いのではないでしょうか。
これくらいの時間があると、表面的には気分を変えていても、脳ミソのバック・グラウンドでは問題の構造整理が進んでいることがあって、思いの外物事が進んでいると思えるような、小さいけれども心地よい驚きがあります。
岩瀬式はこのポジティブなサプライズをヤル気に変えてディープ・インパクトのように追い込むのでしょう。
対象の大きさや問題の絞り込み具合にもよると思いますが、岩瀬式では、やらなければならない仕事や試験勉強なので、せいぜい長くても数日くらいの場合が多いのではないでしょうか。(氏は気が長いとはいえないので、そんなに長い期間をおかないような気がしますが、どうでしょうか)
ヤングの本では、何日なのかはっきっりしないし、予定も立たないけれども、アイデアが突然訪れるような形でアイデアが生産されるのではなかったかと思います。具体的なアイデアを解として出さなければならない場合、どのくらいの時間が掛かるかは、やってみなければ分からないというのが実情ではないでしょうか。
無意識の中の作業が進みやすいように脳に十分インプットを与えてその後に整理の時間を与え、後は、これをいつ取り出すか、どう利用するか、ということになります。
ごく卑近な凡才の例で言うと、私は、連載原稿が上手くまとまらない場合、テーマを決めて資料をざっと読んで、一眠りして、翌朝に原稿を書くことにしており、困ったときも大体これで何とかなってきました。〆切が月30本、即ち1日1本程度までなら、結構有効な方法です。複数集中すると困ることがありますが・・・・。
http://diamond.jp/series/yamazaki/10095/へのコメントです。他の読者の方々、申し訳ありません。
自民党政権が倒れたことのメディアの分析は、山崎さんが記事の中でおっしゃる通り、全く的外れだと思います。メディアの多くは、自民党の政策運営の失敗を自民党の敗北の理由だとしています。しかし、自民党の政策運営が悪いのが、政権交代が起きた原因だとしたら、なぜ50年以上、例外的な一時期を除いて政権交代が起きなかったのでしょうか。
自民党の敗因分析が多少なりとも「科学的」であるためには、過去の事象と矛盾がないものでなくてはいけません。過去にも自民党には金権腐敗政治、大不況など、幾度も政権を投げ出さざる得ないような、失態、苦境がありましたが、常に多数派を維持してきました。政策の失敗はあったかもしれませんが、それは今ここに来て政権交代が起きた主因ではあり得ません。
自民党が多数派でなくなったのは、一重に民主党が自民党の代替になりえると国民が判断したからに他なりません。小沢、鳩山、岡田と並べると、麻生、安倍、福田より格別劣っているとはあまり思えません。民主党は自民党と違っているから選ばれたのではなく、自民党と同じようなものだと思われたから選ばれたのです。
政策の違いに関しては、多くの人は「よくわからない」と感じているというのが現実でしょう。「高速道路が無料になる」「子供1人に月26,000円もらえる」と聞いても「それで大丈夫?」と不安になるはずです。「でも民主党にやらせれば、自民党と同じ程度のことはできるだろう」と考えたので、選挙もせず政権をたらい回しにした自民党にお灸をすえることにしたのでしょう。
政党は勝てば「国民が政策を理解してくれたから」と言いますし、負ければ「国民に十分わかってもらえなかった」と言います。それはそれで良いのですが、当たり前の現実に目をつぶって、朝日新聞のように「少子高齢化が象徴する日本社会の構造変化、グローバル化の中での地域経済の疲弊。そうした激しい変化に対応できなかった自民党への不信だ」などともっともらしい理屈を言うのはどうかと思います。
視覚を捉える力と聴覚が優れているか。
壁を作ってしまわないか。
ロマンを持てるか。
だと思いますね。
いらっしゃいませ。
荘司雅彦氏は筆者の大学の1、2年の頃のクラスメートで、私が、たぶん生涯を通じて一番たくさんお酒を飲んだ相手でしょう。ただし、彼は法学部で私は経済学部だったので、彼が法学部に行ってからの勉強振りは詳しく知りません。
サラリーマンを辞めて勉強しだして2年で司法試験(かつての司法試験です)に受かっている訳ですから、彼が勉強家であることも勉強が上手い人物であることも間違いないのですが、私は彼の勉強法の本を近年になって見て、「おお、実は、彼はこんなに勤勉な勉強家だったのか」と驚いた次第です。
彼の勉強法(本)の特大の長所は、乱暴に言うことを許して貰うと「バカにでも役に立つ勉強法」です。彼は、頭のいい人にも悪い人にも分かるように物事を説明することができて(丁寧で且つ飽きさせません)、ノウハウも含めて物事に対しては、それが役に立つか立たないかに対して損得を厳しく吟味するリアリストなので、実用的には彼の本から得るものは多いと思います。
岩瀬さんの本は、「岩瀬式勉強法」というよりも「岩瀬式発想」で、読み物として面白いのですが、彼の本を「実用的」に読むためには、読み手の側でも一種のセンスとある程度以上の能力が必要です。
一方、荘司さんの本は、大小の具体的なノウハウに満ちていて、誰でも本当に使うことができる知識が盛り込まれています。
彼は娘さんの受験の指導体験をもとに中学受験の本を書いていますが、彼の娘と同年代だった私の娘も彼の家に遊びに行って勉強を教えて貰ったことがあり、帰宅して述べた感想は「荘司パパは、勉強を教えるのが上手い」です。
これに対して自分のパパは「あれは、非常用だ」と敬遠されており、私が勉強を教えたことはありません。確かどこぞの中学の算数の入試問題で難しい図形の問題があって、「これ、分かる?」と試されたことが一度あるだけです。
「勉強法」は、現在ニーズがありますし、本を作る上ではなかなか魅力的な分野ですが、荘司さんの勉強法の本を読むと、私は手持ちの材料が不足しているし(私は彼ほどの勉強家ではないので)、また、彼ほど親切に書けないし、この分野は彼に任せようという気になっています。
荘司さんの本は自分でも読んでいても明日からでもできそうなわかりやすい印象がありました。
ただ資格試験でなく、普通のビジネスパーソンがアウトプットを出す上の勉強の部分ではまだその手のモノがあまりないようにも思います。
是非次の著書にしてはどうでしょうか?
期待しています。
ということなんで、ネットライフがうまくいこうがうまくいくまいが岩瀬氏のホントの秀才度には関係なし。ただ、そんなに頭がよいならネットライフみたいな比較的単純な仕事をするんじゃなくてもっとやりがいのある(頭の使い甲斐のある)仕事があろうに、とは思わぬでもなし。ま、そのうちするのかもね。