初めてお邪魔します。JMMから来ました。アメリカの教育、経済、国際政治でときどきブログをかいているものです。 さて、日本は相変わらず、エンターテイニングものとアカデミー賞受賞作品を紹介してばかりいるようですね。ある学生たちにスラムドッグ、、、についての感想を聞いたら、生理的に許せないとするグループと、理性的にみて自分がこうしたストーリーも受け入れられるという反応を誇示するための感想なども混じっていました。 しかしここボストン郊外の街で一昨日みたState of Playのようなつい最近までの政権をなじった政治もの硬派は、なかなか日本で紹介されないようですね。昔の007並みのダブルスパイが横行する現実をなじった似非フィクションも面白いですけどね。
小生は「グラントリノ」と「スラムドッグ・ミリオネア」をみました。どちらも面白かった!
「グラントリノ」について、3点程書かせてください。
1.主人公は「フォード」を退職した年金生活者。息子は「トヨタ」のセールスマン、不良グループが乗り回すのは「ホンダ」車。この車の棲み分けを『偏見』と言うのは言いすぎでしょうか?
2.主人公の日常は犬を相手にテラスでビールを飲み、時に庭。の芝刈り……これがUAWの年金生活者の日常なの?
3.主人公が不良グループを刺激して蜂の巣になるが、あの刺激の仕方は西部劇にでもありそうなパターンだなと思ったのですが、どうでしょうか???
映画は60歳以上だと¥1,000で見られます。還暦過ぎのメリット、「長生きしてよかった」と思っています。
-草々-
お言葉ですが、ブログ上での批評は映画評論家でなくとも映画の興行には少なくない影響を与える可能性が十分有ると思います。なんといっても全体として、山崎さんのものを含めブログなるものの閲覧数は膨大な数です。わざわざ劇場へ足を運ぶうえ二時間ほど費やすのですから否定的な記事に触れれば慎重になります。逆に褒めた記事なら、あてにして行った人達の鑑賞後のクチコミで増幅するはずです(特にプロモーションの弱い映画にとっては助かります)。ともあれ馬鹿に出来ないチカラがあるのではないでしょうか。もちろん全く人気のないブログは除外です。
そもそも映画評論家でも、出るメディアによっては、そう自由に紹介も正直な批判も出来ないでしょう。
週刊新潮では、正月休み前などに映画の評価・採点を掲載していますが、主観的とはいえ結構厳しい数字もつけており、お試しや譲渡の出来ない商品を選ぶのには参考になり大変有難いことです。
レッドクリフⅡ
知人がレッドクリフⅡのDVDをどこでだか入手し、次は誰に貸すのどうのこうのと嬉しそうでした。友人にも薦めるということは、さぞかし面白かったのでしょう。おそらくストーリー展開にはそれほど期待せず、それでも別な楽しみ方があるのですね。その人は、歴史好きで、もう人生後半に入ったといえる年齢の女性です。
私の映画好きな父のレッドクリフ評も「まあ、面白いな。ストーリーじゃなくて、アクションシーンとか俳優がいいだ。まあ物語は中国的解釈だな。」などと否定的ではないです。
どうやら、山崎さんの観点からすると、私達は「ハズレ親子」のようです。
>どうせブログなのだから、これくらいはいいのではないか。
そのつもりで書かれているのだったら、
僕もそのつもりで書きます。
グラントリノについてです。
>「ブランド物の大根(役者)」にお金を払ったような気になる。
>観ている方がおしっこに行きたくなる位なので、鑑賞の際は、ご注意されたい。
ちょっと、ひどい言い方ですよね。
自分はそう思ったというのはいいけど、
最低限の礼儀というものはあるような気がしますけどね。
全体的にはいいが、なにかケチをつけたくってしようがないという感じ。
かなり、怒ってます。
感情的にいってますが、自分が敬愛しているアーティストの作品をそんなふうにいわれると、そうなりますって。
まあ、そのつもりなんでしょうが。
山崎さんは「チェンジリング」を見ましたか?
これは①映像②ストーリー性③役者、3拍子そろった傑作だと思ってます。
見てなかったら、是非見てください。
採点ははぼ同じなのですが、グラントリノの喀血に対する解釈は少し異なります。
病院に行くと2年前に掛かりつけの医者が引退しており東洋人の女医になっていたが爺さんは知らなかった。
つまりこの頑固爺さんは医者など行かないのです。 喀血もそのまま放置。 煙草はプカプカ吸うし治療もしていません。 人生の幕引きを探していたのでしょう。
グラントリノとかカウチにしか興味のない孫に代表される親族は彼に対して興味もありませんし、またその頑固さに辟易してましたからコミュニケーションもロクに取っていない様子が表現されていたかと思います。 したがって喀血にしたって知りはしないのです。
昔の良い連中ばかりだったアメリカは奥さんが亡くなった後、小賢しい息子達も含めてどこかへ行ってしまったと思っていたら、近所のモン族に何か懐かしい物を見つけたといっては少し言いすぎでしょうか。
どうせ負傷してお先は長くないから、自分が犠牲になって部隊を助けようと言う軍隊に参加していた時の発想の延長上に最後の行為はあったのだと思います。
撃たれて倒れた時に右手にあった部隊記章入りのライターは拳銃でない証と共にその象徴だったかと感じました。
レッド・クリフと較べるまでも無く、田舎町の爺さんが1人死ぬと言うスケールの小さいストーリーでここまで観客に緊張感を維持させる作品はやはりAで90点かと思います。
「新宿インシデント」見てみますね。
でも翌日になったらすっかり忘れている、そんな映画でした。私は韓国映画のチェイサーと連日で見たのですが、こちらも映像は中々でした。ストーリーは大したことありませんが。
それにしても最近の映画館はきれいで快適ですね。席もネット予約できるし。
私もスラムドッグ拝見しました。
目潰しが印象に残っております。
「盲目の歌手の方が儲かる。」
インドの事情をリアルに伝えていたと思われます。
ただ、おっしゃられるようにストーリに一貫性がないという感じがしました。
歴史的事実が映画化されたものを観るときは、史実として知っていることと、映像化されたものとの対比を楽しむもので、ストーリーを楽しむものでは無いと思います。
(というか、観る前から結末はみんなが知っている)
宮本武蔵と佐々木小次郎の対決も歴史に名を残すほどの剣士が戦ったという史実に興味があるから観るわけで、そもそもその歴史的事実に興味もなくて、浜辺で二人の男が戦うストーリーを楽しめるとは思えません。
「リアリティーがあまりに乏しくて」という記述も引っかかります。
「歴史的事実を映像化するとリアリティーが無いものになった」というのは良くあることです。
でも、実際にそういうことがあった。そのギャップもまた、歴史映画を観る楽しみの1つです。
厚労大臣が一番パニックしている(はしゃいでいる)日本ですが、それを幸せに思うべきかもしれません。
コメントありがとうございます。
映画の好き嫌いは人それぞれですね。たとえば同じ映画を見て「レッドクリフⅡ」が一番いいという人がいても、全くおかしくはありません。
今回は、敢えて、本音を強く出して感想を書いてみましたが(私にとってブログは、「意見のストライク・ゾーン」を測定するツールでもあります)、不愉快に思われた方がいらっしゃたのであれば、「申し訳ない」と謝るにやぶさかではありません。
「グラントリノ」について補足しておきましょうか。
私はクリント・イーストウッドが好きですし、特に彼の作品を生み出す能力には大いに敬意を払いますが、何の役をやっても「クリント・イーストウッドがやっている○○」にしか見えない彼は、役者としては典型的な大根だと思っています(愛すべき大根ですが)。この評価は、私にとってはあまりにも当たり前で動かしようがありません。
主演が大根でも感動を呼ぶ作品を作るクリント・イーストウッドは偉大だ、というのが私の評価です。
まあ、しょせんはブログのつぶやきにすぎないので、この程度のことは言いたいなあ・・・。
>途中、この老人が何度か喀血して病院に行き、重病であるかも知れないことが示唆されるのだが(中略)この命を捨てる献身の価値を下げているように思えるのだ。
これは違うかな、と思いました。この伏線なしに、最後自己犠牲になって銃弾に倒れたら、偽善っぽすぎてリアリティが薄れると思います。
余命いくばくもないこと、自分を責め続けてきた過去の戦争体験、隣人愛、そういうものが重なって、主人公は自ら人生の引き際を決め、あの方法を選んで長年のカタルシスを浄化させることにした、という見方を自分自身はしました。これら一つの要素が欠けてもストーリーラインが狂うと思うのですが、いかがでしょうか?
イーストウッドは大根役者かもしれませんが、ストーリーラインを作る巧みさは天性のものがあると思います。
「演技の下手な役者を軽蔑していうことば」
(Yahoo!辞書より)
僕もよくわからないでいってたのですが、ネットで検索したら、
「軽蔑」ってことばがありました。
なんか、そんなニュアンスもあるようで、ムッときたのです。
でも、愛すべき大根役者ということなら、OKです(笑)。
これって逆にいったら、誰にでも出来ることではないですからね。
やっぱり、
「許されざる者」にしても「ミリオンダラー・ベイビー」にしても
すごい役者だな~と思ってます。
感じ方は人それぞれなので、こだわるつもりはないのですが、行きがかり上、もう少し。
喀血に絡むサブストーリーは、仮に私が脚本を書くなら、さんざん心配したあげくに、実は軽症で「まだまだ長生きしますよ」と医者に言われるような(それで実は前の主治医が実はゲイだったというくらいの追加エピソードを入れて)、老人によくありがちな健康の心配話にしたいと思いました。
まだまだ十分あるこれからの人生の可能性を、しかし、いろいろと考えたあげくに現在の目的のために使う、ということなら、最後の決断がもっと生きたのではないでしょうか。意外性ももっと大きかったはずです。
もちろん、そこまで(元気で今後の人生の可能性があるのに死ぬ)ところまでやるのは、かえってリアリティーがなくなって、やり過ぎだ、という見方もあるでしょう。
しかし、全体としては、「いかにも・・」という悪く言うとクサイ演出の作品なので、そこまでやるなら、ラストの価値を高めるようなストーリーにすればいいのに、と私は、思ったのでした。
もちろん、クリント・イーストウッドが偉大なストーリー&映像作品のクリエーターであることについては、何の異存もありません。
たとえば、「許されざる者」は良かったですね。
終わりの方の小喬を塔上で人質にして脅すシーンとそれを超雲が助けるシーンなど鼻白むこと夥しくて、最後まで見ずに席を立ちました。通路のすぐ横の席だったので。
営業妨害になってたらすみません。
はじめまして。
通路の横だったとはいえ、もし他のお客の視界に入っていたら、なかなか勇気がいりますね。私は気が小さいので、内心出たくても他の客に気を遣ってモジモジしてしまいます。もし劇場の席が私にとって映画関係者でしかない人達で一杯なら、とっとと出て行ってやるのですが。
そこまでしたkakuseiさんのコメントに影響されて、レッドクリフⅡは止めとこうと思います。(営業妨害成立!)
映画評でも書評でも利害関係抜きの正直な感想は有難いですね(もちろん、信じられる言葉であることが大前提ですし、本当に利害関係がないか真実は不明ですが)。遠い昔、友人と洋画を借りて見たものの、退屈で退屈で気まずくて今でも…。
レストランの評価(東京以外で!)も、欲しいと感じているのは私だけでないと思いますが、好評価のせいで予約さえ取りにくくなるという副作用があるかも知れません。
ときどき楽しく読ませていただいております。
『大根役者』、おもしろい言葉ですよね。
>何の役をやっても「クリント・イーストウッドがやっている○○」
幼い子供がいつもの毛布にくるまれて安心するように、故郷は捨てても赤味噌の香気にキュンとくるように、ミドルエイジが
「なにを演じても○○」
という役者とその作品を、なんのかんの言いながらつい目で追ってしまう。
これってなんだか、人間という生き物の大地に根ざた欲求のような気もします。
大根なだけに。
失礼しました。
自分の場合はやはり、もし山崎さんの提案されるような終わり方であれば、かえってリアリティーがなくなる、と感じる派ですね。
イーストウッド演じる老人は、心を動かされはしたが、人に銃を向けることも厭わない、善人には程遠い人物、というのが基本線としてあるのだと思います。最後、あのような形で問題の解決を図りましたが、青年を助ける反面、十字架を背負ってきた自分の人生に結末をつける、すなわち自分自身をも助けるという意味があったのだと思います。そして、それを後押しする要素の一つとして、余命いくばくもなく、妻にも先立たれて、という事情があったのでしょう。病気の伏線がなければ、隣人を助ける面ばかりフォーカスがあたって、「罪深い&体調が悪い自分自身を赦す、解放する」という要素がうきあがってこなかったと思います。
もちろん、それぞれ主観なので感じ方は異なるのですが、自分はやはり、個別の要素を積み上げてあのような結末に結びつけた、イーストウッドは素晴らしいと思いました。(ちなみに自分にとっては結末はまったく意外ではありませんでした)
1つは、役そのものになりきる役者。
もう1つは、役者自身の個性・オーラが強すぎて役を自身の色に染めてしまう役者。
一般的に「上手い!」と観客をうならせるのは前者でしょう。しかし一方で、スターのオーラの前では芝居の上手さ・下手さなぞ何ぼのもんか!と思わされることもあります。
両方あるから面白いのかもしれません。私見ですが。
個人的にはクリント・イーストウッドよりも山崎さんの方が好きですが、「グラントリノ」のイーストウッドの体調不良とラストの感想はPorcoさんに同意さんに同意します(笑)
どうせ長生きできない命を投げたにしてはリターンが大きくてお得感があり、スッキリ終わった気がしてます。Porcoさんに同意さんのいうようなリアリティもあの状況のほうがあるように思えます。
…んまぁ、こんなことは人それぞれの感じ方なので、どうでもいいことなのですが、こんな議論?を交わすのもなかなか愉快ですね♪
ところであの悪ガキたちが出所する前に、彼らは引っ越しでもしないと大変なことになりますね(苦笑)
ジョン・ウーが描きたかったテーマは「友情」だと語っています。その点、脚本の一部不出来はあるものの、心を空っぽにして楽しもうとすれば、十分見るに値する作品に思えました。
なにより、見た後に爽快感があるのがよい。
単なるハリウッド的ドタバタ映画とは少々違う、日本人の根っこにある、儒教的価値観にピッタリくるストーリーが、爽快感の元だと思いました。
娯楽映画としては、80点でも良いと思ってます。
さて、日本は相変わらず、エンターテイニングものとアカデミー賞受賞作品を紹介してばかりいるようですね。ある学生たちにスラムドッグ、、、についての感想を聞いたら、生理的に許せないとするグループと、理性的にみて自分がこうしたストーリーも受け入れられるという反応を誇示するための感想なども混じっていました。
しかしここボストン郊外の街で一昨日みたState of Playのようなつい最近までの政権をなじった政治もの硬派は、なかなか日本で紹介されないようですね。昔の007並みのダブルスパイが横行する現実をなじった似非フィクションも面白いですけどね。
>民間企業と政府と、どちらが信用できないと思うかということになるのだろう。
僕も、政府の方が信用できないです。まだ民間企業の方がましだと思います。
当方は医者なのですが、自分の経験上、民間の病院の方が公立の病院に比べて気持ち良く仕事ができました。恐らく、患者さんやご家族に対しても、民間の病院で勤めている時の方が、いいサービスを提供できたのではないか、と思っています。
国民皆保険制度という大きな枠組みは必要だと思うのですが、細部は(すなわち、個々の病院は)民間が行うということでいいのではないか、と思っています。
「小さな政府」と「大きな福祉」案、大賛成です。
もっと正確に言えば、面白いジョン・ウー映画には魅力ある悪人役が必ず出てきます。
『レッド・クリフ』の最大の失敗点は、曹操役にあまりも魅力がなさすぎた点です。
あれではただの頑固な権力爺にしかすぎない。そしてそれに対する新世代の若者達の挑戦、この構図があまりにも陳腐すぎるというか、中国資本の思惑が透けて見えてしまい、純粋なアクションドラマとして見ようとしても楽しめない作品になってしまったようです。
(ただ、劉備役結構好きです。あの鬱々として疲れた感じが良かったですね。)
さらにⅠよりⅡの方が映像構成にさらに問題がありました。ジョン・ウーの本来魅力となるべきスローモーション・アクション・鳩の羽ばたきと言った常套句が全て裏目に出てしまった。
ジョン・ウーはきっと西部劇にアクションを学んだのであり、戦争映画を良く研究していなかったのかもしれません。集団戦闘のシーンが凡庸でつまらないものになってしまっていた。CGの濫用もそれに拍車をかけていました。
本来、ジョン・ウーは安物B級路線の方が、手腕を発揮できる監督のような感じがします。総じて今回の作品は金を積み上げればいい作品ができるわけではないという良いお手本になってしまい、非常に残念でした。
コメントありがとうございます。
仰せの内容に全面的に同意します!(おかげさまでスッキリしました)
劉備のオッサンはいい味わいでしたし、曹操は些か軽くて凡庸でした。加えて、金城武とトニー・レオンは漫画のような役作りで、映画を観ながら笑いたくなるくらいのものでした。
加えて、確かにジョン・ウーは、ちょっとB級のテイストの入った映画で「ここまでやるのか~ぁ!!」というしつこいアクションにいい持ち味があるように思います。
本当に仰るとおりだと思います。
にリアルを求めるなら、ドキュメントを
作ればいい。そんなもん、つまらない歴史
授業だし。
レッドクリフはまだ見てないのですが、
楽しみ映画の一つです。歴史的史実より
派手なアクションが好きな人は見ものかも。
リアルを映画に求めても、見ていてつまらない。
映画は楽しさがあり、感動がありの
ものだから。
私の断言言葉ですが、真・三国無双シリーズ
を楽しめる人はレッドクリフは楽しめます。