日々雑感

「記憶の政治」-歴史認識について

久しぶりに自分の世界認識を更新した本に出合ったので、その更新した世界認識について述べたい。
読んだ本:「記憶の政治」(ヨーロッパの歴史認識紛争)橋本伸也 岩波書店

もともとは東アジアの国々と日本との関係のなかで「歴史認識」が問題となる中で、ではヨーロッパ等の国々の間の「歴史認識」はどのように議論されているのだろうかとの疑問より読んだものである。

この本にて更新した世界認識は以下2点
①第2次世界大戦にての連合国側の戦争責任はまったく法的な追及・裁判は行われていないとの認識をもっていたがこれは間違いで、多分に小さい事象ではあるが、ロシア系ラトビア人の対独パルチザン将校がラトビア民間人に対する残虐・殺人行為を戦争犯罪として問われ、21世紀になってから欧州人権裁判所にて有罪とされた事例が存在すること。
この事件のラトビア民間人は対独協力をしていた可能性のある人々であり、ロシア系ラトビア人対独パルチザンは”連合国”サイドの人間ということになる。この裁判でロシア政府・市民がこのシア系ラトビア人対独パルチザンを全面的にバックアップした。

②かねてよりヨーロッパでは、ドイツナチズムおよび枢軸国ファシズムは絶対的悪でありそれに対抗したソビエトを含む連合国は絶対的な善であるという考え方がされており、自分もまたそれに引きずられた考え方をしていた。
しかしソビエトによる抑圧または併合されていた東欧諸国やバルト諸国にとってはソビエトのよる抑圧もまたドイツナチズムおよびファシズムに並んだ悪であり、欧州議会において(いやいやながらのようであるが)その主張がそれなりに認められていることを新しく認識した。

この2点のことは今後の世界中の「歴史認識」のせめぎあいにかなりの影響があると思われる。

上記①に関して言えば、連合国側の第2次世界大戦中の戦争犯罪もまた裁かれるのであれば、原爆投下もドレスデン爆撃も東京大空襲もまた戦争犯罪として問われるべきことであるからだ。ロシア政府によるそのような問題提起があったこともこの本には書かれていた。
上記②について言えば、ドイツナチズムの悪行もまた相対化されるものであれば、スターリニズムによる抑圧やアメリカによる幾度の外国への侵攻もまたナチズムにも匹敵する悪行として大きな問題となってしまう。

東京裁判・ニュルンベルグ裁判にはかなりの問題点があることは認識する。ただ、だからと言ってそれを否定するよりも、上記①に関して言えば、連合国側の第2次世界大戦中の戦争犯罪もまた今後裁くべきなのだ。今からでも連合国側の偽善をも追及し、原爆投下もドレスデン爆撃も東京大空襲もまた戦争犯罪として問われるべきなのだ。また上記②に言えば戦後のソビエトやアメリカの偽善もまたこのまま見過ごしてはならないことなのだ。

21世紀はこのような「歴史認識」戦争の世紀なのだろう。過去の植民地支配への「歴史認識」とも合わさってなんともややこしい世紀となるだろうが、これは避けることのできないことなのだろう。その大きな枠組みの中で日本と東アジア諸国との「歴史認識」問題も解決されるべきことと考える。逆に言えば、その枠組みの中でした解決は不可能なことようにも見える。
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