ウイスキーの刻 ~Whiskyのとき~

耳を澄ませば聴こえるウイスキーのメロディ。
『ウイスキーの刻』は、その真実を探し求めていきたいと思います。

『書斎』⑦其の二

2019-12-02 19:19:19 | 日記
 こんばんは。Aokiです。

 エルダーフラワーの森を抜けますと、珊瑚の砂浜が広がっています。

 眩い日差しに澄んだ海。

 こんな日は、静かな無人の湾を潜り、
 乾いた喉にテキーラを流し込み(良い子は真似をしませんように)、
 生きものとしての刻を過ごします。

 この一杯が、冬のベールに覆われた心を、温かな海へと誘ってくれます。


 『永遠のBLUE』

 無名のカクテルに名前があるとすれば・・・


 レシピは、旅先ご案内人のオーナーバーテンダーさんにお尋ねください。

 ※オーダーもしてくださいね。


 ときどき、「このまま掲載はできないな・・・」と感じる記事がございます。

 素直に綴ることが、必ずしも真意をお伝えすることにはならないのかもしれません。

 文章の稚拙さも相まって、お見苦しい内容になる場合は、
 さほどかわり映えがしないと分かりつつも、書き直しております。

 ということで、オリジナルではございませんが・・・


☆☆☆

『シンプルであるがゆえに』


 人が海から生まれ、海に還るとするならば、

 私は現在、波打ち際には、おりません。


 道に迷っているうちに、波打ち際に辿り着けず、

 未知なるものに翻弄されるうちに、
 人々の誰もが知ることを学ぶ機会を逸し、

 満ちたりた日々をのほほんと過ごしているうちに、
 群衆から取り残され・・・


 無駄であっても、理不尽なことでも、必要なことを行い、

 お得感満載であっても、不必要なことには関心が持てずにおります。


 「人類のために何か役に立ちたい」という大仰な考えはなく、

 「人助けをするぞ」という意気込みもございません。

 しかしながら、こうした考えを“青臭い”と揶揄する評論家にもなれません。


 では、何が出来るのか。


 人々よりも感度が低い分、

 人々よりも志が低い分、

 そして、人々よりも歩みが遅い分、

 人々の歩いた後に落ちているものを拾うことが出来るようです。


 多くは心無いゴミですが
 (自分のゴミは自分で始末した方がよいかもしれませんね)、

 ときに、“落としもの”があれば、ご本人にお届けし、

 ときに、落とした種が芽吹けば、そっと育み
 (通行人に迷惑顔で見られますが)、

 そして、誰も棲まない海辺の小屋で、一本のウイスキーと出逢い、

 “ウイスキーの刻”を知った・・・

 ・・・ような気がいたします。

 もちろん、思い込みの可能性大です。


 それでも、その小屋が暖を取るのに必要な場所であったとしたら、
 いつまでもそこに留まることは慎んだ方がよいと思います。

 先人が過ごした場所です。

 次の方へお譲りするのが筋かと思う次第です。

 そして、小屋を出るときは、次に訪れる方のために、
 新たな一本を置いていくのが礼儀と思っております。

 そのウイスキーを気に入ってくださるかどうかは、わかりません。


 その小屋の地図をしたためようとしましたが、
 “地図の読めない”アミノ酸結合体ゆえ、諦めました。

 絵心もありませんし、方向音痴でもあります。

 直線距離でお示しできない以上、非効率的ではありますが、
 迷路の壁をつたうように、記しております。

 ですが、低い感度、低い志、そして、遅い歩みの三重苦ですので、
 不格好は否めません。


 時おり「『ウイスキーの刻』は、最初から順にお読みください」
 とお伝えしますことには、意味がございます。

 記事の一つ一つに意味があるわけではございません。


 「では、何に意味があるのだ?」

 そんな無粋なことは、お尋ねされませぬよう。


 一つ一つに意味は無くとも、
 ひとつひとつ歩むことには意味があるのです。


 『ウイスキーの刻』

 ここには意味などございません。

 ただの看板にすぎません。

 安い酒しか置いていない古びたBARと同じです。

 旅行会社のツアーに組み込まれることのないBARでございます。


 ですが、凍土を歩き続けた方がこの扉を開きますと、
 ウイスキーがございます。


 オールドボトルはございません。

 昔、どこでも買えたウイスキーがあるだけです。

 他に何か必要でしょうか?
 (決して、挑発しているわけではございません。)


 私がたまたま辿り着いた“ウイスキーの刻”はどなたとも共有できませんが、
 私の知らない“ウイスキーの刻”を感じていただきたく、
 あの小屋にウイスキーを置いてまいりました。


 そこには、どなたでも行けますし、道のりはとてもシンプルです。

 ただ、群衆に遅れずについて行ける方々には、お勧めいたしません。

 美味しいウイスキーが飲める立場を放棄するなど、勿体ないことです。

 なにしろ、そこには一本の安いウイスキーしかないのですから。


 美味しいウイスキーには、酔いしれることができます。

 その小屋のウイスキーは、美味しくないかもしれません。

 しかし、凍土を歩き続けた方を温めるものかもしれません。



 “美味しいウイスキーを飲む”ことと、
 “ウイスキーを美味しく飲む”こと・・・

 似て非なるものかもしれません。


 ウイスキーを置き、小屋の扉を開けますと、
 あの凍てついた景色が、いつしかブルーラグーンに代わっていました。


 『永遠のBLUE』も『モヒート』も、
 眩いカクテルがとても哀しげに映るのは何故でしょう?


 光あるところには陰がある・・・のではなく、

 光を支えるのが陰だからなのかもしれません。


 光に群がるのが生きものの本能だとしても、

 瞳を閉じることで見えるものがあることを、
 ウイスキーが教えてくれるような気がいたします。


 カクテルをいただいているのに、「ウイスキーが教えてくれる」・・・

 そんなおかしなことも、「さもありなん」と受け止めてくれるのが“刻”。

 傍らの一杯を、どうか大切に。


   ~『永遠のBLUE』~に寄せて


                         Z.Aoki
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