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そんなの関係ない
(
ビー玉
)
2007-12-23 06:14:01
おはようございます。
早起きしたのではありません。嫌なことがあって、一晩中、ひとりで飲んでいたのであります。でも、そのおかげで、今日は一番乗りです。
きれいな薔薇ですね。冬に咲く薔薇って、初めて見ました。
高樹先生は、きれいですよ。お若くも見えます。
最期の開花なんて、ありえないですよ・・・。
そんなの関係ない、そんなの関係ない!って感~んじです。
紅い薔薇
(
崖 揺岩
)
2007-12-23 09:56:12
冬の紅い薔薇が綺麗に咲いてますね。
食べ頃です。(笑)
毎年こちらの庭でも、冬の薔薇が咲きますが今年は無理です。
桃色の薔薇の蕾が三本ありますが、この冬の開花には難しい大きさです。
これでは蕾が膨らんでも、恐らく凍死の運命かも。
西側の庭の片隅には紅い薔薇がありますが、こちらは冬を受け入れてます。
この紅い薔薇は35年も生きてます。
昔々には[薔薇の庭]のアルコーブが在りましたが、世話をする父も亡くなり薔薇も消えました。
ところが20年近く前に、草刈りをしていると、ごく小さな薔薇の弱々しい木を発見!
掘り返すとこれまた小さな古い薔薇の根塊から発芽したものでした。
これを移植し復活した、この紅い薔薇は母の父の想い出です。
紅い薔薇はなかなかしぶとい運命の持ち主です。(笑)
画像の牡丹も逞しく成長してますね!
こちらは消えてますが、杉並の牡丹は七、八年元気にしてます。
風情のある品種名を忘れましたが、ほんの少しピンクがかった白い花です。
それにしても紅い薔薇は、ちょうど好い咲き方です。
明日はクリスマスか・・・。
最期の?
(
崖 転岩
)
2007-12-23 12:29:57
最後の開花で最期は酷いミスです。(怒!)
綺麗な薔薇
(
いちいの窓
)
2007-12-23 12:36:23
綺麗な薔薇には、棘がある。しかし、薔薇には奥深い味わいがありますネ。
「いちいの窓」はクリスマスの飾りつけ。いや、このリンク先です。
「文芸と資格」サイトは、「高樹のぶ子SIAブログ」コーナー、薔薇の花が、いちりん、飾ってありますよ!
http://www7.ocn.ne.jp/~i38/
今日の携帯世代の日本の若者に;「風情のある」という表現が、趣をもって伝わるでしょうか?
のあいちい
風情か~?
(
崖
)
2007-12-23 14:54:17
言葉としての[風情]は死語かも。
我が家は陶芸家が二人もいるし、習い事をしてるのでいくらか風情が通用します。
息子はどちらかといえばモダニズムから、少し飛躍した造形を好む様です。
でも結局のところ、[和]に一度は戻る人も多くいます。
ただ携帯世代の若い女は不安のためか、何人もモノクロ画の[蓮の花]の絵を買って、飾ったりするのでどうなんだろう?
近年の園芸植物の高級新品種のネーミングは中々洒落てますよ。
牡丹は[雪女]とか[雪麗人]だったかな?
もう少し好い名前だったが、酔っ払ってたので忘れてしまった。
池から流れる水路の笹刈りをしないと。
薔薇の眠り
(
ピース・りヴァー
)
2007-12-23 16:51:43
薔薇といえば、ドイツの詩人リルケの詩で、とても気にかかっている作品がありますので、そのことについて書いて見ます。
高橋健二の『ドイツの名詩名句鑑賞』という本に、リルケ自選の墓碑銘として、次のような詩があげてあります。原文はよして、日本語訳だけ書いてみます。
おお、ばらよ、純粋な矛盾よ、
このようにおびただしいまぶたの奥で
だれの眠りでもないという喜び。
このあと、次のような高橋健二氏のコメントが書かれています。
「南スイスの寂しい寒村ラロンの丘の上の小さい教会の壁にこの句が刻まれている。なぞめいた詩句である。いろいろに解釈されている。フランスの訳では、
おおバラ、純粋な哀しい矛盾の花よ、
花びらと花びらはいくえにも重なって、
まぶたのように
もはやだれの眠りでもない
寂しい夢を秘め包んでいる美しさ。
神秘的な詩は、いくども口ずさんで味わうべきあろう。」
原文を挙げずに云々することをおゆるい願いたいのですが、高橋氏の訳と、フランスの訳は、少しちがいます。
問題の箇所は、高橋氏の訳の三行目「だれの眠りでもないという喜び」で、これは僕の解釈では、「だれのものでもない眠りがあるという喜び」となります。すると、この詩はフランス訳のほうが正しくて、この趣旨で高橋氏の訳に少し手を加えると、俄然意味が明瞭になります。
おお、ばらよ、純粋な矛盾よ、
このようにおびただしいまぶたの奥に
だれのものではない眠りがあるという喜び。
僕の解釈では「眠り」とは、生命ということになります。するとこの詩全体が、一つの比喩(暗喩)になっていることが分かります。
ここまできて、あらてめて、写真の薔薇を見てみると、なんだか、趣がちがってきませんか。
我田引水で、申し訳ありません。
眠り?
(
崖
)
2007-12-23 20:22:15
高橋氏とフランスの訳も共通してますが、[眠り]がゴロも今一つなのと何だか意味不明です。
原典は異訳できそうもないワードですか?
例えばフランスの訳の
[もはやだれの眠りでもない]
これを
[もはやだれの陶酔でもない]
陶酔とか覚醒とか、薔薇の美しさで麻痺した現象を表した言葉だと、意味も落ち着くのですが・・・笑。
画像の薔薇はクラッシックな花高のある品種ですね。
開き具合が花屋さんに置いてる花の印象です。
それより高樹さんが紅葉といい、植物の面倒をみるタイプと、思ってもみなかったので感心感心です。
薔薇は[チャールストン]という品種の絵を何点か描きました。
御影石の粗い石垣を背景に。
花の花高は少し低い方で、発色が良く派手さを通り越して、ハレーションを起こし、透明感のある赤い薔薇です。(笑)
栽培の仕方に依って咲き方も、かなり趣が異なります。
蕾の頃は黄色ですが少し開き初めて赤くなり、花びらの外側の黄色は開くに従い純白に退色します。
花びらの表は真紅、裏は純白になるのですから、太陽光でハレーションを起こす位に発色が好いのです。
これは上手く咲かせないと下作(ゲサク)になります。
この[チャールストン]はもう珍しくなく、現在はバラ公園等にも有ります。
開発は35年前なのかな、市販の鉢植えは10年位前でした。
近年は花びらが少なめで、カップの浅い薔薇を選んで渡します。
これ、流行りで結構割高です。
薔薇談議になってしまいました。
はじめまして!
(
空海望
)
2007-12-23 20:35:24
見せていただいているのは
もう、何ヶ月も
コメントは 初めて?
薔薇 … すごく魅せられる
でも、期待の開花で
ガッカリなんてことありませんか
「これ以上、開きもせず、散りもせず・…」
これ最高! 極上というのは
高々知れたものかも知れません。
入れてみました!
(
ベランダの薔薇
)
2007-12-23 23:34:24
高樹のぶ子さま!
「文芸と資格」のHPに、高樹のぶ子さまの家の「ベランダの薔薇」入れてみました。「SIAブログ」のスクリーンの上に、です。イメージが近い形で、あの薔薇の部分を。
トークブログが、我が家の感じではありませんか?
http://www7.ocn.ne.jp/~i38/
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
***************************
「切り薔薇」
悲しいあしたの夕ぐれに
一輪の薔薇が咲いている
あしたが来ない命のことを
真紅の顔に託してる
悲しいあしたの夕ぐれに
水を入れ替えじっと見る
訂正です。
(
崖揺岩
)
2007-12-24 12:42:41
[チャールストン]の作出は約45年前のフランスでした。
少し怪しいので調べました。
作出植物の特許は何年なのか、市販はずいぶん遅い品種でした。
既に35年前に、三鷹の神代植物公園には有りましたが・・。
[チャールストン]の検索の過程で、古代ギリシャ女流詩人サッポーが出て来ましたが、これは有史初の[女流]かも。(笑)
後世はキリスト教の普及により、散々酷い扱いを受けてますね!
かなり近代以降の女性に貢献した詩人です。
この詩人は[正統派の女流]の様に思われます。
日本の[女流]の方々も影響をされてるのでしょうか?
機会が在れば目を通します。(笑)
今夜はイヴか、よし、俺も挑戦しよ~っと!!
サッポーに敬意を表して!
仇討ちをしないと!(爆笑)
無音のメロティー
(
永久新人
)
2007-12-24 16:44:49
我が家の垣根にも、ちょうど高橋さんのバラのような、紅いバラが一輪、咲いております。
私は音楽が好きなので、なにか、無音のメロティーのような気がいたします
お名前を間違えまして
(
永久新人
)
2007-12-24 16:46:57
なんとも申し訳なく、--
サッフォーの訳詩はこんなもの・・・
(
崖 揺岩
)
2007-12-25 12:08:47
サッフォーは後世に、葬り去ろうとするキリスト教会の勢力が有り、殆どの事実が伝承されてませんね。
自殺やレズも全くの疑問と考えます。
検索で古代ギリシャ詩人サッフォーの2編?の詩が有りり、その中に[薔薇]も出てましたので。
これは作詩・作曲で竪琴を使い踊りと謡う感じですね。
明るく面白い詩のようでした。
・TranslunarParadise検索先
http://www.ne.jp/asahi/red/tambourine/v-rosesap.htm
詩の題名不明?
「アプロディテへの讃歌」?
あの女(ひと)がまだわたしたちと一緒にいた頃は、
貴方(あなた)を女神のようにうやまい尊んでは、
貴方の歌を聴くのを、ことさらに喜んだものでした。
それが、今ではリューディアの婦人たちの間にあって、
いときわだった女人(ひと)としてかがやくさまは、あたかも
日の沈んだのち、ばらいろの指もつ月がかがやき出で、
あらゆる星々の光を奪うにも似て。さし出でる月は、
鹹(から)い海面(うなも)や一面に花咲きそろう野原の上に、
かがやく白銀(ぎん)のひかりを、ゆたかにふりそそぐ。
すると白露は玉なして地にしたたり、
薔薇やたおやかな芳香草(アントリュスカ)、
また花うるわしい蜜蓮華(メリロートス)が、ほこらびひらく。
Charles-August Mengin. "Sappho" Oil on canvas, 1877
[かの地で]かなたこなたとさまよっては、
あの女(ひと)はやさしいアッティスを想って、
傷つきやすいその心は、貴方への憧れに、重く閉ざされる。
死んでしまったら、貴女はそれまでのこと。
後の世の誰ひとりとして貴女のことを
想い出してはくれますまい。
なぜとて、貴女はかのピエリアの薔薇に、
さのみ関わりもなく生きてきた身。
魂はここを飛び立って、冥王の府でも
形姿(かたち)もおぼろな死霊にまじって
名もなきままに、ただよい歩くことでしょう。
「サッフォー 詩と生涯」 沓掛良彦 1988年 平凡社より
以下これは名無しの方の引用です。
『なお彼女の詩はひとつの連が4行から成り、最初の3行は11音節、最後の1行は5音節という形式を取っており「サッフォー・スタイル」と呼ばれています。』
(上記の詩は果たして?)
訳詩からも柔らかく伸び伸びした感受性が伝わってきます。
海辺の育ちの僕には楽しそうな詩でした。
比べるのは変ですが、[ゴッホの手紙]は、内容も書くスタンスも、何故か僕は苦手でしたし今もそうです。
正確に理由は解っていますが、ひと夫々としか語れませんね。
訳者の沓掛良彦氏はサッフォーの詩に、命を吸い盗られ疲労困憊したらしいです。?(笑)
ところで、フログのファサードの岩のデッキは、何かサッフォーと関係があるのですか?
一輪の赤い薔薇から面白い話しを知りました。(笑)
昨夜は街に出たら、珍しく楽しいイヴでした。
大仏次郎賞
(
ピース・リヴァー
)
2007-12-25 12:21:58
新聞をまとめ読みしていたら(僕はそういう癖があるのです)大仏次郎賞に関する高樹さんの選評が載っていました。受賞作の吉田修一氏の『悪人』は、文章の彫りが深く、それに方言と物語の舞台が懐かしくて、連載時にかなりまじめに読んだ覚えがあります。終わり方に、工夫が凝らされていましたね。僕が新聞小説(朝日新聞)で、一番感動したのは、小川国夫の『悲しみの港』ですね。これは全部切り抜いたうえ、刊行された単行本も買いました。そうしたら、あとで吉本さんが、雑誌でこの作品をほめているのを読んで、無性に嬉しかったものです。新聞小説だろうが、なんだろうが、いいものはいいのじゃないでしょうか。
ダルな一日
(
高樹のぶ子
)
2007-12-25 15:11:43
時折、何もする気にならない、出来ない、やっても上手くいかない一日というのがあります。
それが今日・・
長い作家生活だと、そういう日は、全くなにもしないでボーっとしているのがいいということが解かってるので、ボーっとして外を眺めています。
すると、面白いことが解かってきました。そういう日は、パソコンのキーボードで、左手の薬指と小指(AやWを押す)の力が弱くて、打ち直しばかり
しているってことです。
多分、脳のなかの、そのあたりが、血行不良になっているのでしょう。
そうなんです、小指と薬指は、体調のバロメーター!
自分の体調のバロメーターって、知っててソンはないですよね。そして、今日はアカンと思ったら、できるだけサボる。
ウツにならない秘訣です。
そしてこう思いましょう「だれか、私の代わりに働いて!あたしの分まで!」
ああ、この台詞、コミカン登場です。
彼女も、ビニールかぶって、フテねしてます。
疲れ?
(
崖
)
2007-12-25 16:17:22
最近、お疲れの様ですね。
何と言っても寝るに限ります。
昨日、街に出掛ける前に試しに、SIAアドレスにメールでPhoto添付で送信してみましたが不可能でした。
Photoはスィートピーの絵と芥子の花でした。
残念ながら不可能の様で諦めます。
携帯から昨年はデザイン&印刷屋のパソコンに、イラストPhotoと文章とレイアウトPhotoを、送信して年賀状は作成しました。
ただ先方の受注担当はワイフでした。
携帯から自分のパソコンにメールもPhotoも送信できますから便利に成りました。
あっ~!そうだった!
高樹さんは年賀状を、パソコンで挑戦する予定でしたね!
寝てる場合では無いんだ?
それが気が重い一日の原因なのでしょう? (爆笑)
[年賀状]のご健闘をお祈りします。
ご苦労様!
元気を出すためには!
(
ピース・リヴァー
)
2007-12-25 17:59:57
実を言いますと、僕は今から二十年ほど前に癌で、胃袋を全部摘出しました。その後健康法をいろいろ勉強してきましたが、最終的に行き着いたのは、西原克成という医者が主張している全く簡単な方法です。咀嚼と骨休めと腹式鼻呼吸です。詳しく言うと長くなるので、簡単に言いますと、まずご飯をよく噛むということ(一口30回以上)、つぎに腹式呼吸と鼻呼吸を組み合わせること(口では呼吸しないこと)、最後に、これこそ現代人にとってはもっとも困難なことですが、夜、最低8時間は横になって、脊椎を重力から開放して、赤血球の造血を助けてあげることことです。特に女性にお勧めするのは、咀嚼です。これを忠実に実行されれば、肌がぴかぴかにきれいになり、体型は理想的なることを請合います。高樹さん、実行してみてください。
照り葉ノイバラ
(
崖 揺岩
)
2007-12-26 02:31:14
薔薇つながりで。
サッフォーの詩の海辺の薔薇は野バラに近いものの様です。
野ばらといえば、日本の海辺に咲くテリハノイバラは、イギリス人により1700年代に多分こっそり、伊豆七島で採集されました。
この遺伝子がパーゴラのツルバラを作り、それで全てのツルバラは照り葉なのです。
これを30年位前、磯釣りに行って採集して判明し驚きました。
フランス革命の宮廷の庭を飾った薔薇が、日本の原産の遺伝子だったのです。
このテリハノイバラも鉢植えで楽しみましたが、立派に咲き過ぎて、やはり野に置け・・です。
その後、磯のテリハノイバラの絵を二、三点描きました。(笑)
こちらの海辺は潮の輝きが好いです。
サッフォーの詩を不足部分と勝手に少し漢字手直し整理。
近年にエジプトで見つかったのと漣詩らしいです。?
4行から成り、最初の3行は11音節、最後の1行は5音節という形式。
サッフォーはルネッサンス以降は再評価され、建築も機能主義からの脱却のために、ルネッサンスから再出発したので、何だか親しみを感じます。
個人の自由の確立ってところですかね。
私のアッティスよ 私たちの愛しのアナクトリアへ
あの女(ひと)がまだ私たちと一緒にいた頃は、
貴方(あなた)を女神のように敬い尊んでは、
貴方の歌を聴くのを、ことさらに喜んだものでした。
それが、今ではリューディアの婦人たちの間にあって、
いと際立った女人(ひと)としてかがやくさまは、あたかも
日の沈んだのち、薔薇いろの指もつ月がかがやき出で、
あらゆる星々の光を奪うにも似て。さし出でる月は、
鹹(から)い海面(うなも)や一面に花咲きそろう野はらの上に、
かがやく白銀(ぎん)のひかりを、ゆたかにふりそそぐ。
すると白露は玉なして地にしたたり、
薔薇やたおやかな芳香草(アントリュスカ)、
また花うるわしい蜜蓮華(メリロートス)が、ほこらびひらく。
[かの地で]かなたこなたと徨っては、
あの女(ひと)はやさしいアッティスを想って、
傷つきやすいその心は、貴方への憧れに、重く閉ざされる。
死んでしまったら、貴女はそれまでのこと。
後の世の誰一人として貴女のことを
想い出してはくれますまい。
何故とて、貴女はかのピエリアの薔薇に、
さのみ関わりもなく生きてきた身。
魂はここを飛び立って、冥王の府でも
形姿(かたち)もおぼろな死霊に混じって
名も無きままに、漂い歩くことでしょう。
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早起きしたのではありません。嫌なことがあって、一晩中、ひとりで飲んでいたのであります。でも、そのおかげで、今日は一番乗りです。
きれいな薔薇ですね。冬に咲く薔薇って、初めて見ました。
高樹先生は、きれいですよ。お若くも見えます。
最期の開花なんて、ありえないですよ・・・。
そんなの関係ない、そんなの関係ない!って感~んじです。
冬の紅い薔薇が綺麗に咲いてますね。
食べ頃です。(笑)
毎年こちらの庭でも、冬の薔薇が咲きますが今年は無理です。
桃色の薔薇の蕾が三本ありますが、この冬の開花には難しい大きさです。
これでは蕾が膨らんでも、恐らく凍死の運命かも。
西側の庭の片隅には紅い薔薇がありますが、こちらは冬を受け入れてます。
この紅い薔薇は35年も生きてます。
昔々には[薔薇の庭]のアルコーブが在りましたが、世話をする父も亡くなり薔薇も消えました。
ところが20年近く前に、草刈りをしていると、ごく小さな薔薇の弱々しい木を発見!
掘り返すとこれまた小さな古い薔薇の根塊から発芽したものでした。
これを移植し復活した、この紅い薔薇は母の父の想い出です。
紅い薔薇はなかなかしぶとい運命の持ち主です。(笑)
画像の牡丹も逞しく成長してますね!
こちらは消えてますが、杉並の牡丹は七、八年元気にしてます。
風情のある品種名を忘れましたが、ほんの少しピンクがかった白い花です。
それにしても紅い薔薇は、ちょうど好い咲き方です。
明日はクリスマスか・・・。
最後の開花で最期は酷いミスです。(怒!)
「いちいの窓」はクリスマスの飾りつけ。いや、このリンク先です。
「文芸と資格」サイトは、「高樹のぶ子SIAブログ」コーナー、薔薇の花が、いちりん、飾ってありますよ!
http://www7.ocn.ne.jp/~i38/
今日の携帯世代の日本の若者に;「風情のある」という表現が、趣をもって伝わるでしょうか?
のあいちい
言葉としての[風情]は死語かも。
我が家は陶芸家が二人もいるし、習い事をしてるのでいくらか風情が通用します。
息子はどちらかといえばモダニズムから、少し飛躍した造形を好む様です。
でも結局のところ、[和]に一度は戻る人も多くいます。
ただ携帯世代の若い女は不安のためか、何人もモノクロ画の[蓮の花]の絵を買って、飾ったりするのでどうなんだろう?
近年の園芸植物の高級新品種のネーミングは中々洒落てますよ。
牡丹は[雪女]とか[雪麗人]だったかな?
もう少し好い名前だったが、酔っ払ってたので忘れてしまった。
池から流れる水路の笹刈りをしないと。
高橋健二の『ドイツの名詩名句鑑賞』という本に、リルケ自選の墓碑銘として、次のような詩があげてあります。原文はよして、日本語訳だけ書いてみます。
おお、ばらよ、純粋な矛盾よ、
このようにおびただしいまぶたの奥で
だれの眠りでもないという喜び。
このあと、次のような高橋健二氏のコメントが書かれています。
「南スイスの寂しい寒村ラロンの丘の上の小さい教会の壁にこの句が刻まれている。なぞめいた詩句である。いろいろに解釈されている。フランスの訳では、
おおバラ、純粋な哀しい矛盾の花よ、
花びらと花びらはいくえにも重なって、
まぶたのように
もはやだれの眠りでもない
寂しい夢を秘め包んでいる美しさ。
神秘的な詩は、いくども口ずさんで味わうべきあろう。」
原文を挙げずに云々することをおゆるい願いたいのですが、高橋氏の訳と、フランスの訳は、少しちがいます。
問題の箇所は、高橋氏の訳の三行目「だれの眠りでもないという喜び」で、これは僕の解釈では、「だれのものでもない眠りがあるという喜び」となります。すると、この詩はフランス訳のほうが正しくて、この趣旨で高橋氏の訳に少し手を加えると、俄然意味が明瞭になります。
おお、ばらよ、純粋な矛盾よ、
このようにおびただしいまぶたの奥に
だれのものではない眠りがあるという喜び。
僕の解釈では「眠り」とは、生命ということになります。するとこの詩全体が、一つの比喩(暗喩)になっていることが分かります。
ここまできて、あらてめて、写真の薔薇を見てみると、なんだか、趣がちがってきませんか。
我田引水で、申し訳ありません。
高橋氏とフランスの訳も共通してますが、[眠り]がゴロも今一つなのと何だか意味不明です。
原典は異訳できそうもないワードですか?
例えばフランスの訳の
[もはやだれの眠りでもない]
これを
[もはやだれの陶酔でもない]
陶酔とか覚醒とか、薔薇の美しさで麻痺した現象を表した言葉だと、意味も落ち着くのですが・・・笑。
画像の薔薇はクラッシックな花高のある品種ですね。
開き具合が花屋さんに置いてる花の印象です。
それより高樹さんが紅葉といい、植物の面倒をみるタイプと、思ってもみなかったので感心感心です。
薔薇は[チャールストン]という品種の絵を何点か描きました。
御影石の粗い石垣を背景に。
花の花高は少し低い方で、発色が良く派手さを通り越して、ハレーションを起こし、透明感のある赤い薔薇です。(笑)
栽培の仕方に依って咲き方も、かなり趣が異なります。
蕾の頃は黄色ですが少し開き初めて赤くなり、花びらの外側の黄色は開くに従い純白に退色します。
花びらの表は真紅、裏は純白になるのですから、太陽光でハレーションを起こす位に発色が好いのです。
これは上手く咲かせないと下作(ゲサク)になります。
この[チャールストン]はもう珍しくなく、現在はバラ公園等にも有ります。
開発は35年前なのかな、市販の鉢植えは10年位前でした。
近年は花びらが少なめで、カップの浅い薔薇を選んで渡します。
これ、流行りで結構割高です。
薔薇談議になってしまいました。
もう、何ヶ月も
コメントは 初めて?
薔薇 … すごく魅せられる
でも、期待の開花で
ガッカリなんてことありませんか
「これ以上、開きもせず、散りもせず・…」
これ最高! 極上というのは
高々知れたものかも知れません。
「文芸と資格」のHPに、高樹のぶ子さまの家の「ベランダの薔薇」入れてみました。「SIAブログ」のスクリーンの上に、です。イメージが近い形で、あの薔薇の部分を。
トークブログが、我が家の感じではありませんか?
http://www7.ocn.ne.jp/~i38/
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
***************************
「切り薔薇」
悲しいあしたの夕ぐれに
一輪の薔薇が咲いている
あしたが来ない命のことを
真紅の顔に託してる
悲しいあしたの夕ぐれに
水を入れ替えじっと見る
少し怪しいので調べました。
作出植物の特許は何年なのか、市販はずいぶん遅い品種でした。
既に35年前に、三鷹の神代植物公園には有りましたが・・。
[チャールストン]の検索の過程で、古代ギリシャ女流詩人サッポーが出て来ましたが、これは有史初の[女流]かも。(笑)
後世はキリスト教の普及により、散々酷い扱いを受けてますね!
かなり近代以降の女性に貢献した詩人です。
この詩人は[正統派の女流]の様に思われます。
日本の[女流]の方々も影響をされてるのでしょうか?
機会が在れば目を通します。(笑)
今夜はイヴか、よし、俺も挑戦しよ~っと!!
サッポーに敬意を表して!
仇討ちをしないと!(爆笑)
私は音楽が好きなので、なにか、無音のメロティーのような気がいたします
自殺やレズも全くの疑問と考えます。
検索で古代ギリシャ詩人サッフォーの2編?の詩が有りり、その中に[薔薇]も出てましたので。
これは作詩・作曲で竪琴を使い踊りと謡う感じですね。
明るく面白い詩のようでした。
・TranslunarParadise検索先
http://www.ne.jp/asahi/red/tambourine/v-rosesap.htm
詩の題名不明?
「アプロディテへの讃歌」?
あの女(ひと)がまだわたしたちと一緒にいた頃は、
貴方(あなた)を女神のようにうやまい尊んでは、
貴方の歌を聴くのを、ことさらに喜んだものでした。
それが、今ではリューディアの婦人たちの間にあって、
いときわだった女人(ひと)としてかがやくさまは、あたかも
日の沈んだのち、ばらいろの指もつ月がかがやき出で、
あらゆる星々の光を奪うにも似て。さし出でる月は、
鹹(から)い海面(うなも)や一面に花咲きそろう野原の上に、
かがやく白銀(ぎん)のひかりを、ゆたかにふりそそぐ。
すると白露は玉なして地にしたたり、
薔薇やたおやかな芳香草(アントリュスカ)、
また花うるわしい蜜蓮華(メリロートス)が、ほこらびひらく。
Charles-August Mengin. "Sappho" Oil on canvas, 1877
[かの地で]かなたこなたとさまよっては、
あの女(ひと)はやさしいアッティスを想って、
傷つきやすいその心は、貴方への憧れに、重く閉ざされる。
死んでしまったら、貴女はそれまでのこと。
後の世の誰ひとりとして貴女のことを
想い出してはくれますまい。
なぜとて、貴女はかのピエリアの薔薇に、
さのみ関わりもなく生きてきた身。
魂はここを飛び立って、冥王の府でも
形姿(かたち)もおぼろな死霊にまじって
名もなきままに、ただよい歩くことでしょう。
「サッフォー 詩と生涯」 沓掛良彦 1988年 平凡社より
以下これは名無しの方の引用です。
『なお彼女の詩はひとつの連が4行から成り、最初の3行は11音節、最後の1行は5音節という形式を取っており「サッフォー・スタイル」と呼ばれています。』
(上記の詩は果たして?)
訳詩からも柔らかく伸び伸びした感受性が伝わってきます。
海辺の育ちの僕には楽しそうな詩でした。
比べるのは変ですが、[ゴッホの手紙]は、内容も書くスタンスも、何故か僕は苦手でしたし今もそうです。
正確に理由は解っていますが、ひと夫々としか語れませんね。
訳者の沓掛良彦氏はサッフォーの詩に、命を吸い盗られ疲労困憊したらしいです。?(笑)
ところで、フログのファサードの岩のデッキは、何かサッフォーと関係があるのですか?
一輪の赤い薔薇から面白い話しを知りました。(笑)
昨夜は街に出たら、珍しく楽しいイヴでした。
それが今日・・
長い作家生活だと、そういう日は、全くなにもしないでボーっとしているのがいいということが解かってるので、ボーっとして外を眺めています。
すると、面白いことが解かってきました。そういう日は、パソコンのキーボードで、左手の薬指と小指(AやWを押す)の力が弱くて、打ち直しばかり
多分、脳のなかの、そのあたりが、血行不良になっているのでしょう。
そうなんです、小指と薬指は、体調のバロメーター!
自分の体調のバロメーターって、知っててソンはないですよね。そして、今日はアカンと思ったら、できるだけサボる。
ウツにならない秘訣です。
そしてこう思いましょう「だれか、私の代わりに働いて!あたしの分まで!」
ああ、この台詞、コミカン登場です。
彼女も、ビニールかぶって、フテねしてます。
最近、お疲れの様ですね。
何と言っても寝るに限ります。
昨日、街に出掛ける前に試しに、SIAアドレスにメールでPhoto添付で送信してみましたが不可能でした。
Photoはスィートピーの絵と芥子の花でした。
残念ながら不可能の様で諦めます。
携帯から昨年はデザイン&印刷屋のパソコンに、イラストPhotoと文章とレイアウトPhotoを、送信して年賀状は作成しました。
ただ先方の受注担当はワイフでした。
携帯から自分のパソコンにメールもPhotoも送信できますから便利に成りました。
あっ~!そうだった!
高樹さんは年賀状を、パソコンで挑戦する予定でしたね!
寝てる場合では無いんだ?
それが気が重い一日の原因なのでしょう? (爆笑)
[年賀状]のご健闘をお祈りします。
ご苦労様!
サッフォーの詩の海辺の薔薇は野バラに近いものの様です。
野ばらといえば、日本の海辺に咲くテリハノイバラは、イギリス人により1700年代に多分こっそり、伊豆七島で採集されました。
この遺伝子がパーゴラのツルバラを作り、それで全てのツルバラは照り葉なのです。
これを30年位前、磯釣りに行って採集して判明し驚きました。
フランス革命の宮廷の庭を飾った薔薇が、日本の原産の遺伝子だったのです。
このテリハノイバラも鉢植えで楽しみましたが、立派に咲き過ぎて、やはり野に置け・・です。
その後、磯のテリハノイバラの絵を二、三点描きました。(笑)
こちらの海辺は潮の輝きが好いです。
サッフォーの詩を不足部分と勝手に少し漢字手直し整理。
近年にエジプトで見つかったのと漣詩らしいです。?
4行から成り、最初の3行は11音節、最後の1行は5音節という形式。
サッフォーはルネッサンス以降は再評価され、建築も機能主義からの脱却のために、ルネッサンスから再出発したので、何だか親しみを感じます。
個人の自由の確立ってところですかね。
私のアッティスよ 私たちの愛しのアナクトリアへ
あの女(ひと)がまだ私たちと一緒にいた頃は、
貴方(あなた)を女神のように敬い尊んでは、
貴方の歌を聴くのを、ことさらに喜んだものでした。
それが、今ではリューディアの婦人たちの間にあって、
いと際立った女人(ひと)としてかがやくさまは、あたかも
日の沈んだのち、薔薇いろの指もつ月がかがやき出で、
あらゆる星々の光を奪うにも似て。さし出でる月は、
鹹(から)い海面(うなも)や一面に花咲きそろう野はらの上に、
かがやく白銀(ぎん)のひかりを、ゆたかにふりそそぐ。
すると白露は玉なして地にしたたり、
薔薇やたおやかな芳香草(アントリュスカ)、
また花うるわしい蜜蓮華(メリロートス)が、ほこらびひらく。
[かの地で]かなたこなたと徨っては、
あの女(ひと)はやさしいアッティスを想って、
傷つきやすいその心は、貴方への憧れに、重く閉ざされる。
死んでしまったら、貴女はそれまでのこと。
後の世の誰一人として貴女のことを
想い出してはくれますまい。
何故とて、貴女はかのピエリアの薔薇に、
さのみ関わりもなく生きてきた身。
魂はここを飛び立って、冥王の府でも
形姿(かたち)もおぼろな死霊に混じって
名も無きままに、漂い歩くことでしょう。