コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
猫
(
崖
)
2009-02-22 09:28:09
猫をちゃんと飼ったことが有りませんから、参考になるかどうか・・・。
福山の実家では亡父が、常に3匹くらいの猫を、外飼いにしていましたので、観察はしたことが有ります。
年に二度位しか帰省しなかったのですが、帰ると誰が来たのかと好奇心は有り、確認の為か一度は足に纏わり付き、去って行くパターンでした。
20代半ば、佐倉市の友人のお屋敷を訪ねたら、猫が10匹以上はいるそうで、戸口や襖や障子の隅に、出入りの為の穴が設けてました。
やはりその時も、次から次と入れ代わり立ち代わり猫が現れ、客人に興味があるようでした。
5、6才の頃は我が家にも白い猫がいましたが、夕方から深夜に天井裏でドタバタと、縄張り争いをして煩いので、遠くの山村に連れて行かれました。
猫のフゥーァーォー・フゥー・・・と興奮し、低く頭を下げお尻を上げて牙をむき、飛び掛かりそうに身構えた闘争姿勢は、怖いものが有り犬も退散します。
猫は庭の四十雀の巣箱やペットの小鳥や金魚、時には餌場に首を出した、鶏を襲うので苦手でした。
近年、猫を触ったのはもう閉店したカフェ「あうん」の三毛猫と白黒のぶち猫です。
三毛猫は遊び好きの若い牝猫でしたが行方不明になりした。
三毛猫は全て牝とか、どうやら本当らしいです。
オーナー店主は周易学とか、僧侶兼易者兼美術商で、今はアパート経営で暮らしを立てています。
異界の入口のような店で、全てがシュールな感じでしたね。
その頃二、三年、30才近くは若い愉快な奥さんの入れた、美味しいコーヒーを飲むのが日課でした。
短歌の故鳥海昭子(中込)さんと知り会ったのはこの店です。
「コン」は化け猫でしょうから、その類いの本も。
猫の至近距離の描写や情愛が無く、お役に立ちませんでしたね。笑
ネコちゃん
(
satoko
)
2009-02-22 13:19:50
特別にネコ贔屓ではないのに、ネコも好きです。
ネコのイメージは小説や映画の中では、あまり良くないですね。
世話も大変といえば大変で、嫌いな方はとことん嫌いますね。
ネコがいると知った時から我が家に寄り付かない人もいます。
潔癖な方は無理でしょうね。
うちのネコちゃんは、わが家では、2代目です。
娘が子猫の時拾ってきて、それ以来です。
1代目は、外にも出ましたので、喧嘩が絶えず、心配しましたが、一歳で不妊手術したら大人しくなりました。オスでした。
このネコは、本当に良い子でした。
誰にも、分け隔てなく接して寂しそうな人の所に行って、慰めるのが上手。ほんとです。だから誰からも愛されました。
ところが、7年目、突然いなくなりました。
あ・・・こんなことが聞きたいのではありませんね。すみません。でもこんな事しか書けないのです。
いろいろ探しましたが、その後も見つかりません。
もうそろそろ10ヶ月になります。
きっと、どこかの寂しいひとり暮らしのおばあさんのところにでもいったのと思うことにしています。
ネコの性格も人間と一緒でいろいろ違うかもしれません。
姉の所は、ぜんぜん懐きません。
今のネコは、又娘がもらってきました。
それが発情期で大変・・オスネコが呼びに来るのです。
ちょうど手術して一週間が経ちました。
メスの手術はとても大変です。
心が痛みました。
でも、ネコ屋敷にだけはなりたくない一心で頑張りました。
またまた、この子にかかりっきりです。
一生縁があるのかと・・うんざりするくらい
べったりされますから。我が家の場合。
こんは、どういうネコなんでしょうね。
あっちこっちとたらいまわしにあって・・・不安でたまらないでしょう。かわいそうな気がします。
でも小説の世界ですからね、わかっているつもりです。
小説の世界では化けたりもするものでですね。
小道具としてというより、これからは、もしかして小説の大きなカギを握るのですか。
ネコだけが知っている・・密室の出来事。
このブログのせいでは絶対にないのですが、虚しくてやりきれない気持ちが押し寄せてきそうで気配。
しかし、これが現実です。
世の中はまいものじゃあおまへんね。頑張らねば。
紅子さんに、夢をみさせてもらっています。
いろいろ間違い字だらけでしょうが、お見逃し下さい。
ネコ
(
若林千景
)
2009-02-22 14:46:24
何年か前に突然一匹のネコが現れて我が家にアピールし続けるということがありました。因みに我が家はペットを飼ったこともなくその子を気まぐれになでたわけでもなく、またなにげに餌をあげたわけでもありません。突然どこからかやってきて家のまわりでニャーニャー鳴きつづけ、隙あらば入ろうとするのです。何故うちに執着するのか全く分かりません。そんな日が何日も続き飼うつもりもないものですから、遂に主人が車で離れた場所に連れて行きそこに置いてきたのです。
今私の勤める会社の近くには野良猫が沢山いますがこちらから歩み寄っても逃げるばかりで一向に懐きません。それが習性でしょうけど、そんなネコ達を見る度、あの不思議なネコを思い出します。似たような経験を持つ方いらっしゃいますか?
猫の顔
(
小皿
)
2009-02-22 14:47:59
僕のハンドルネームは、飼っている犬の名前からつけたものですから、自他共に認める犬U^ェ^U派です。
昔、友人のところにいた黒猫の性格がきつくて、しょっちゅう引っかかれそうになりましたから、未だに猫を抱くことが出来ません。
でも、その後、友人のところにやってきた灰色縞模様の猫は、とても性格がおとなしくて、ある時期、友人の家に入り浸っている時も、寝入った家人のところではなく、僕の側に来て丸くなってくれました。
そのことにどんなに癒されたことか。
猫は犬以上に人の感情が分かるような気がしています。
その頃から、僕は猫の性格を見分ける一つの法則を発見しました。
それは猫の顔の形です(^▽^)
猫の顔の形は良く見るとそれぞれ違っていて、総じてすらりとした面長な顔の猫は野性味が強く、人に懐かないようです。
人に懐く猫は、全体的に横に顔が長くて、楕円形を横にしたような顔形をしています。
猫好きの方から反論のありそうな僕の見解ですが、僕はこれをもとに、猫を撫でるべきか、撫でないべきかの判断しています(^o^;A
猫のあの無駄のないしなやかな動きに、最近僕はとても惹かれます。
うちのワンコたちがいなくなったら、猫もいいかもと思うほどに…
でも、ネコタイプの女性の扱いには全く自信がありません(⌒_⌒;)
フランスば
(
Unknown
)
2009-02-22 16:01:41
飼猫には電子チップを埋め込んで野良猫にならないやうにするさうです。
犬と猫の違い
(
変節
)
2009-02-22 16:48:53
犬はどんな飼い主が飼っても、あまり変わりないでしょう。しかし、猫は、飼い主の飼い方によって大きく変わってきます。子猫の時にきちんと躾をすれば、むやみやたらに隣家で糞尿をするようなことはありません。躾をしなければ、平気で人の家の庭に糞をします。うまく躾をしても、隣家にあがったり人の家の池の魚を食べたりするので、犬のように鎖をつけて飼っている人もいます。犬よりも猫の方が自由奔放で行儀が悪いのは間違いありません。
ブログの変節という言葉について考えました。社会の変化に敏感であり続けるのなら、それなりの小説を書いて頂きたい。変わりたい気持ちがあるのなら、ブログのコメントの流れにも敏感であってほしいですな。ここ数日のコメントは面倒くさいから無視ですか。偉い作家を批判する気は毛頭ありませんが、少し無責任に感じます。
性格
(
高樹のぶ子
)
2009-02-22 18:16:29
去勢してない猫の場合、雄と雌では、かなり性格に違いが出てくるものでしょうか・・
においに敏感なのは、人間であれば雄ですよね。猫もそうなのかしら・・
その質問とは別ですが、猫好きな男性と嫌いな男性では、性格がどう違うのでしょう・・コンは石井京の部屋から巡り巡って、いまは松本のところにいます。二人の男のどちらが猫派なのだろうと、考えています。作者も解っていない領域ですが、微妙に小説に影響が出そうな気もして・・
あくまでも主観ですが・・・
(
夢子
)
2009-02-22 18:43:06
コンは京さんにとても似合っています。
少なくとも松本は、
このような猫を飼うような感性がない男性としか思えないのですが・・・
それは私の感覚ですよね。
私の友人の飼っている猫が・・
これが「ぷっくり」と太っていて、
顔が横に長くて人懐っこいのですよ。
とてもご主人様に忠実な可愛い猫ですが・・
小皿さんのお話についつい笑ってしまいました。
きっと・・
「ぷっくり」小太りな猫は人懐っこいのでしょうね~
私自身は猫が大ッ嫌いなんです。
どちらかというと・・
犬の方がまだ良いかもしれません。
でも、犬も飼うという気持ちにはなれません。
私が相手にしたいのは・・・
小動物ではなくて、
人間。。
息子は・・
小動物嫌いの私の元では思うように飼えなかった猫を、
いずれ飼って可愛がりたいと言っています。
京さんのようになるのではないか?と・・・
少々心配!なのですが。。(苦笑)
去勢について
(
黒猫
)
2009-02-22 19:32:19
手術前と後では確実に性格は違うでしょう。雄も雌も。
匂いには雄も雌も敏感です。
猫好きの男と猫嫌いの男の性格の違いは、人それぞれで一括りにして決めつけることはできないのではないかと思います。
実際に飼ってみられたらどうですか。人から聞いた話をふくらまして書いても読者の胸を打つ表現には至らないでしょう。何事も手ぬきは禁物。
ガーン
(
カンガン
)
2009-02-22 21:14:05
コウガンガンで去勢されました。ウチの白猫と同じで、女性を見ると怖くなってふるえがとまりません。うちの白ちゃんのほうがまだ元気です~(<~"〇"~>)~
野生時代にかえってみれば
(
marikome
)
2009-02-22 22:01:00
以前、動物学者の先生にイヌとネコの生態について聞いたことがあります。それによると…。
イヌは野生時代、群れで生きてきた。だからヒトとの関係、序列をとても気にするし、ひとり(一匹)で取り残されることを非常に嫌う。3~4時間もひとりにされると、とてもさびしがる。
ネコは基本的に群れでは生きない動物で、孤独に強い。ヒトと自分とを分けて考えていて、そのことが「わがまま」「自分勝手」ととられやすい。
…で、留守がちの家庭で飼うのなら、ネコが適している。適応力もある。また、イヌがストレスをためるのは対人間関係だが、ネコはむしろ対ネコ関係がストレスのもとになる…と、お話が続きました。
オオカミの生態、ヤマネコの生態に近いと考えるのだそうです。
ネコ派とは?
(
崖
)
2009-02-22 23:39:52
これも主観的な感想になるのかも。
さて、このコメントを書きながら整理してみないと、一概に猫派の男性と嫌いな男性の、性格は捉えら切れません。
先ず絵画から迫って、熊谷守一の有名な「猫」の絵を連想すると、画家本人やこの絵が好きなコレクターやファンには、次男坊的な自由なイメージが漂っています。
都会育ちの亡父はコリー犬などを飼って育ちましたが、次男坊でしたからしっかり勉強をして、家からは独立して行く人生計画を立て、大企業組織の中で生き、余生を広大な庭で外飼いとは云え、猫を飼って過ごしました。
(その後、兄は戦死等で一応跡取り)
これは組織からの開放感からか、元来の自由が好きな性格か、これは彼が少しエゴイストでしたが、自由が好きな性格だったと思います。
ただ「京」はマンションのような所で自由の象徴「コン」を飼い、気ままな猫にとっては甚だサディスティックな環境、それでも猫を飼うギリギリの心理情況はエゴイスティックですね。
(飼ってたのは自殺した彼女?)
猫好きな男性はエゴイストかも知れませんが、気ままに生きる環境にいる猫が好きなんです。
つまり「京」は余り猫好きではないのでしょう。
一方「松本」はどうでしょう?
猫のように紅子やそれぞれの女達を、自由にさせているような感じが好みですから、エゴイストですが個人が確立している大人です。
つまり「松本」には猫好きの資格が有るでしょう。
前段の質問、哺乳類は♂が嗅覚が発達していると思います。
「コン」は猫ですから視覚と聴覚が発達しています。
人や梟と同じく目が正面に並び、遠近感は正確でしょうね。
生殖機能がないと♂も♀もフェロモンがないようで、性格に関わらずエロスに対しては、どうしても鈍感になるでしょう。
ただいろんな補填の効果は有るようです。笑
追記
心優しいドンファンが昨年53才で亡くなりましたが、彼が生前の30代に飼っていた、猫をマンションの10M近い高さの窓から、発作的に投げ落とした話をしましたね。
何故か詳細は聴きませんでしたが、付き合っていた女の思い出の、猫だったのかも知れません。
Unknown
(
Unknown
)
2009-02-23 01:02:30
猫好き作家:大佛次郎、向田邦子、小池真理子、村上春樹、村松友視、仁木悦子、内田百、谷崎潤一郎、三島由紀夫、浅田次郎、保坂和志、群ようこ、庄司薫、よしもとばなな、池波正太郎、赤川次郎、金井美恵子、坂東眞砂子、南伸坊
犬好き作家:椎名誠、丸山健二、戸川幸夫、池田満寿夫、三田誠広、小川洋子、伊集院静、近藤紘一、景山民夫、江国香織、辻真先、江藤淳
www.nekomi6.com/から適当に編輯
仮説
(
高樹のぶ子
)
2009-02-23 01:12:41
猫が好きなのは、あの手触りが心地よいのでは・・そして犬が好きなのは、アイコンタクトが快感なのでは・・・皮膚感覚派と感情交流派?
猫にはエイズが多い
(
Unknown
)
2009-02-23 01:24:33
さうだ(人には移らないが)。
犬との獣姦はK9と云ふさうだ - 女性が革のジャンパーやパンツを着てゐると疑はれる。
◯
(
崖
)
2009-02-23 02:06:17
猫は皮膚感覚派、犬は感情交流派の仮説は成り立ちそうですね。
ただその両方を備えているのが、超小型犬の中にいます。
きっとマンションでの猫派はその感覚と、気ままな性質からくる、自由なイメージが好きなんでしょう。
見つめあうこと
(
小皿
)
2009-02-23 02:44:25
以前明石屋さんまの番組に出ていた黒沢年雄が「犬は目を逸らす」といったのを、さんまが「なんですのん、それ?」って突っ込んでいましたが、犬を飼っている人間には、彼が言わんとしていることがよく分かりました。
実際に、犬の目をじっと見ると、犬って必ず目を逸らすのです。
飼い主のことが気になって仕方ないけれども、目が合うと逸らしてしまう…。
気の弱い犬なら、こっちを見るなとばかりに吠えることでしょう。
僕が見る限り、犬は見つめあうことが苦手です(^^;ゞ
見て、見てってアピールはするんですけどね。
そういう意味では、感情交流派かもしれません。
猫のしなやかさは、僕にはとても魅力的です。
あの肌触りは、僕の知る犬にはいませんね(*´ー`)
僕の感覚で言えば、犬好きにとっての犬は、その性別に関係なく同性の友人を求めるような情愛、猫好きの人にとっての猫は、逆に異性の友人に求めるような情愛のような気がしますが…
単なる思い付きってだけかもしれません(^o^;A
深夜便 訂正
(
崖
)
2009-02-23 03:03:15
一昨年九月一日の深夜便出演の時のアンカーは榊さんでしたね。
土曜に榊さんの語りを聴いて、ハッと間違いに気が付きました。「人生、私流」でした。
ジャズの明石さんではなく間違いでした。
ご両人とも都会的なセンスの語りなので間違えてしまった。
深夜便のジャズを聴いてました。笑
猫派の男が好き
(
ピータン
)
2009-02-23 11:26:23
実家では絶えず猫を飼っていました
猫の甘え方は傍若無人で、ストッキングに毛が付くから、出社前はヌリつくなと言っても知らん顔。猫嫌いの父の膝に乗って大騒動になったことも・・・
そうかと思えばこちらが構いたい時には無関心だったり・・・そういったマイペースなところが一緒に住むには居心地の良い生き物です
一方、犬を見ていると、ご主人様の愛を一身に受けたい様子、忠誠心に心が痛む気がします。傍らで寝そべっている間もご主人様の動向を気にしているのが不憫です
恋愛に於いては犬みたいな男が好き
「来い来い!」っ言うと待ってましたとばかり飛びついてくるような
お散歩していると、ついついよその女の子が気になって、チラチラと見てしまい、運よく何かもらえれば少しついて行く(犬って道に落ちている物をいちいちチェックしてますよね)、それを叱ると反省の「伏せ状態」でこちらのご機嫌を伺うような・・・仕事がバリバリ出来て、ロマンスグレーのおじ様だったらもう最高!
そういう男性は猫好きだと思います
犬が好きな男性は犬に同性の友達感覚を求めている気がします
猫好きな男性は猫に異性を求めている恋愛体質なヒトが多い気がしますよ
いとおしい猫ちゃん!
(
いちい
)
2009-02-23 15:10:38
自家用車に猫を乗せ静岡の住まいから新潟の実家へ帰省した家族のことを以前ラジオで聴きました。
実家へ着いた辺りで、猫ちゃんがどこかへ行ったまま戻らなくなってしまった。
探しても見当たらないので仕方なく再び車で住まいへ戻った。
その後、長いこと戻らないので、いつしか飼っていた猫ちゃんのことは忘れていた。
ところが、2年余りたったある日のこと、見知らぬ猫が家の外に現われた。傷だらけになってやせ細っていた。
奥さんは、はっとして猫の名を呼んだ!
あの2年前まで飼っていた愛猫だと分かった。
ワンちゃんだったら、さもありなん、ですが、そうした猫ちゃんがいることを、私は初めて知った。
本当の話
(
satoko
)
2009-02-23 15:40:35
感動的な話ですね。
実は、いちさんの話で思い出しました。
子供だった頃、うちに迷いネコが住み着き、子供を生みました。数匹ほどだったと思います。
多分全部貰い手があったのだろうと思いますが、
一匹残ったネコちゃんは、一山超えたあるお家に貰われていきました。親猫は暫く探していましたが、そのうち諦めたのでしょう・・・
どれほどか、たったある日、その子猫がやせ細って舞い戻ってきました。大きくなっていましたが分りました。
子猫は甘えようと寄っていくのに、親猫は喜ぶかと思いきや、かーと威嚇して追い払おうとしました。親猫は薄情なものでした。
そのうち、又子猫はどこかへ行きました。かわいそうでしたよ。
どうなったかよくは覚えていません。私も子供でした。
その親ネコは、死ぬまでうちにいました。
今頃になって思うのは、子供だって一度や二度くらいではなく、お産もしたはず・・・どうしてたのでしょう。
その事を聞くにも、両親はもう居ません。
やっぱり、ネコには縁があるようです。
しかしながら、犬もずっと居ました。それも迷い犬です。
不思議ですよ、前の犬が亡くなった時、一カ月くらいして現れたのです。
生き物にも心もあると思うのです。
ないと思うほうが楽ですけれど・・・ネ。
Unknown
(
犬ワングランプリ
)
2009-02-23 17:38:37
お疲れさまでした
ブログよく拝見してます
毎回興味深いです
白虎
(
崖
)
2009-02-23 17:40:53
虎は猫の仲間、五黄寅と云って、情念深い人の象徴でしたよね?
虎は千里を走り助ける、とも。
子供頃に居た猫も、山村の農家から何度か戻って来てました。
尚、我が家で飼っていた犬(15才没)は、10才を過ぎた頃、鎖が切れ7ヶ月も自宅に帰れず、首輪の登録チップのお陰で、保健所から連絡が有り帰宅しました。苦笑
ひょっとして猫の瞳は、星が見えるから移動できるのかも。
高松塚古墳の石室に四神と天井には星座が描かれてますね。
四神とは東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武(蛇の絡んだ亀)
白虎、これはなかなか「コン」の未来は面白そうです。
コンは何色だったけ?
猫を触った感触は苦手ですが、ペットを襲わない限り、幼い猫は面白いので楽しいです。
我が家のブロック塀を歩く、猫は中型犬の大きさ、手足は太くて長く逞しく、まるでコーカサス?山猫の風格です。
群れる人間よりは、マイペースを確保して生活できるタイプが、男女とも「自分」を襲わない限り好みです。笑
目に見えない世界
(
いちい
)
2009-02-23 18:07:47
小説が全くのフィクションだと思う方もいらっしゃるでしょうか?
猫ちゃんの話し一つとっても、不思議なことが沢山あるのでは、と思います。私の「ローズ」という作品(上のリンク先)に登場する、ヴォルゾイ犬は、実在しています。キャラクターは異なりますが、別な意味で現実のワンちゃんも、人と同じほどの歴史を内包しております。また、「白鷺の飛翔」(性同一性障害とインターセックスをテーマにした作品)に登場する白鷺も身近な所に居ました。こちらもキャラクターは異なりますが。
一面、現実存在体も、ストーリーの中と同様、謎が秘められています。
それは、人の人生と同様に。
高樹さんが、猫ちゃんを全く知らなくても、猫ちゃんをストーリーの中に登場させ描くことが出来ます。
人が胎内に宿り、その後霊を吹き込まれ精神を持った人間が誕生するように、そこで猫ちゃんが動き出すのです!
この宇宙に存在するすべて、それらが空想の世界の出来事であっても、この宇宙に存在している、というのが私の持論です。
Unknown
(
Unknown
)
2009-02-23 23:41:20
人のブログで自分の小説の宣伝しないでほしいな。
猫のことを知らなくても猫のことは書けるけど、弱い。
猫の観察
(
崖ノ猪
)
2009-02-24 02:45:43
公園では薄紅の河津桜が満開です。
高樹さんは瀬戸内の海辺の育ちですから、餌も豊富で野良猫や飼い猫や、産まれたばかりの子猫も、沢山いた地域で観察は充分な筈でしょう。苦笑
寒い雪国やマンションの猫ではありませんがね。
やれやれ、笑
LIVE
(
乃阿一葦
)
2009-02-24 17:21:45
「甘苦上海」の猫の存在は、今のところ猫そのもののキャラクターが表出しているのではなく、登場人物の一人として託された立場であるわけですが、これが、LIVEということで、どう息が吹き込まれるか、猫ちゃん自身が具体的に動き出すのかが、興味あるところですネ!
今昔の猫の飼い方
(
崖
)
2009-02-24 19:29:14
猫を理想的に飼っていた友人の家について、度々書きましたが少し補足をします。
彼の娘さんの一人は中国学専攻のようで、未だ北京にいるのかも。
彼の家には'67年~'75年の頃に数回出入りをしました。
そこの猫はモノトーンの濃い縞猫で、全て同じ縞猫でした。
代々素封家といわれてる家で、当時、父親は開業医で屋敷内に医院も有りました。
彼には他に姉妹が四人も居ましたから、居間や応接室や各部屋も、清潔感が有り良く片付いていました。(現在と明治生まれは、娘の躾が全然違いますね。苦笑)
父親は医学と尺八、母親は短歌と絵画が趣味でした。
その頃に世田谷育ちの母親から、原木栽培の生椎茸を送って戴いたことが有ります。
その後何年かして母親から、曹洞宗の施餓鬼用のお堂(僧侶の宿泊も可)と、墓地の造成の設計を依頼されました。
そこに暮らす縞猫達の動きは、皆スリムな体型で、そっとゆったり徘徊してました。
尚、杉並で二、三年前に猫を飼ってる、依頼の有った知人女性の部屋に二度上がりました。
これも和猫でしたが、茶と白のぶちの猫で、戸締まりをして飼っているせいか、ころころと太りちょこちょこと歩いてました。
彼女は僕に触らせようと、猫を抱いて僕に振りましたが遠慮しました。苦笑
何となく友人の屋敷の猫には、きっと野生の未知能力が有るのかも知れません。
記憶
(
高樹のぶ子
)
2009-02-24 22:13:05
犬に関しては、人間を良く覚えていて、賢い犬は飼い主以外からは餌をもらわない、食べない、と聞きます。猫は場所に記憶があり、人間にはそっけないと一般的に言われていますが、コメントにあるように、長い年月をかけて戻ってきた猫もいるのですね。
それは猫に、記憶があるからでしょうか。それとも嗅覚とか土地感などの五感が優れているからでしょうか。つまり、「記憶の地図」があるのか「生理的な反応」が優れているのか・・
なぜこんなことをここに書いているのかといえば、どなたかのご指摘にあったように、「飼わなくては解らない」領域だからです。コンの「過去」をどう描くか・・アイデアが浮かばないもので・・たとえば、鮮烈な一瞬というものが猫の過去にあったとして、同じような一瞬が再びあったばあい、何らかの反応を示すかどうか・・
ご参考
(
ネコ好き
)
2009-02-24 23:34:59
猫にも当然記憶はあります。知能はヒトの幼児程度と一般に言われているようです。嗅覚と聴覚にはたいへん優れています。
ヒト世界の出来事が記憶の対象になるかは疑問です。猫自身の生命が脅かされるような事態は、さすがに後々まで記憶が残るかもしれませんが。飼われている猫でも、ヒト世界とは一線を画して生きています。飼い主が変わっても、エサが足りていれば変わりなく生きていけるのが猫です。
文学的には面白くない生態解説ですが、ご参考までに。
素敵な猫ちゃん!
(
乃阿一葦
)
2009-02-24 23:41:12
自分に餌を与えてくれた飼い主。親に代わって育ててくれた人間。いったんは迷子になったものの、自分の帰るべき所へ、五感をフル回転させて戻ってきたのだと思います。
高樹さんには、「冷たい猫」という作品がおありでは。私は読んでいませんが。一般的な猫像を、あるいは鋭い感性で捉えていらっしゃるのでは、と推測しますが。
独特な猫ちゃんが出てきても良いかな、などと思いますが。作品があるバランスで纏まるのなら!
子供の頃飼っていた2番目の猫は、背中とお腹の間にガン様のものが出来、穴が開いてやがて姿を消しました。縁の下かどこかで旅立ったのだと思います。
高樹さん! 猫って、注視して、あたかも私の心を覗くように、ニャ~オ~って鳴くんですよ! 人の温もりを求めるんです!
以下コメント(良いとこを掬い取ってください):
猫にも犬や人と同じように、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚といった五感がある。
猫の場合は聴覚が敏感で、聴くことで情報収集する。
視力は、人の約10分の1程度で近視。(目の前にある物を、首を傾けて見つめる)
夜行性の猫は、暗闇でも見える能力に優れてる。
月明かりのようなわずかな光でも最大限に瞳孔を開いて、光を取り込む。このため猫は暗闇で人の約5倍の明るさで物を見ることができるとか。
五感の中で、最も優れているのが聴覚。
人が聞き取れる高音が約2万ヘルツくらいなのに対して、猫の場合は約6万ヘルツ以上もの高音を聞き取ることができるとか。音のする方向、音質の種類、音源までの距離を知る能力もあり、獲物が発するわずかな音でもキャッチして捕らえることができる。
嗅覚は犬と比較するとはるかに劣っていますが、人の数万~数十万倍くらいあると。
猫は食べ物、縄張り、他の猫の情報など様々なことをニオイで感知。鼻だけでなく口でもニオイを嗅ぐことができる。
猫の口の中には、上あごの前歯のつけ根あたりに“ヤコブソン器官”という器官があり、マタタビやフェロモンなど鼻とは別のニオイを感じ取ることができるようです。
猫が感じる味覚は、甘い・すっぱい・苦い・塩辛いの4種類だとか。
触覚で最も重要な役割をしているのがヒゲ。
ヒゲは触毛と呼ばれ、根元に神経細胞がたくさん集まっているので、わずかな刺激でも敏感に感じ取ることができる。-
猫について
(
崖ノ猪
)
2009-02-25 07:16:34
猪の思い付き。
猫の生態の取材はこの方たちが好いかも。
葡萄作りが縁です。
お二方とも読書好き。
高梁で葡萄作りとデザイン制作を生業にしています。
ご家族はご夫妻(50才後半)とお母様と子供さんは猫三匹と外猫少々と犬もいるようです。
こちらは人気ブログですね。
HPから直接の生取材も可能です。(源内さん)
その時は杉並の「磯つぐみ」さんの紹介とお伝え下さい。
トドさんの奥様、アシカさんのブログ↓
アシカのアトリエ
http://ashica.blog73.fc2.com/
お二方のHP↓
タイトル:
半農半デとは? トドのぶどう 岡山
URL:
http://jig145.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0225B4WHl62XfPYB/0?_jig_=http%3A%2F%2Ftododesu.com%2Fhanno.html&_jig_keyword_=%94%BC%94_%94%BC%83f%82%CC%83g%83h%93%FA%8BL&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fonesearch%3Ffr%3Dm_top_y%26p%3D%2594%25BC%2594_%2594%25BC%2583f%2582%25CC%2583g%2583h%2593%25FA%258BL&_jig_source_=srch
磯つぐみよりw
変節とは
(
まぐ
)
2009-02-25 14:24:56
主義や主張や信念を変えることです。
昔先生が雑誌や講演会などで発信・発言した主張を今になって「あれは間違っていた」と感じている…ということなのでしょうか。
小説のスタイルが変わったということなのであれば何の問題もありませんが、それはただの「変化」であって「変節」とはいいませんよね。なぜ一度「変節」という言葉を使った後に「変化」と言い直しているのでしょうか。
小説のスタイルが変わることと、個人的な主義主張が変わることは全くの別物ですが、そのどちらを指しているのかいまひとつ分からない文章だったので、コメントさせていただきました。
猫と関係なくて申し訳ありません。
変節
(
高樹のぶ子
)
2009-02-25 14:44:15
変節という言葉は、主義主張や論があった時代の言葉で、すでに実態のない言葉なのかもしれません。だからこそ、ちょっと使ってみたかった・・というわけ。変節という言葉を使えるほど、かつての自分に主義主張があったかといえば・・そんなもの無かったですね。今回の芥川受賞作「ポトスライムの舟」も、貧困状態を描いているといえますが、プロレタリアート文学とは違います。主義主張とは遠い小説です。彼女がどう変化していっても、変節はしないわけです。言葉によって、ある時代を思い出すということも、ありますね。
今日の日経紙面
(
高樹ファン
)
2009-02-25 15:58:42
書くか書くまいか迷ったのですが、あえて書かせて下さいませんでしょうか。
わたくしは、高樹作品を信奉するというほど先生の作品に精通した読者ではございませんけれど、先生の作品や表現が好きで、好きというか、とてもしっくりくるものがあって、好んで読まさせて頂いておりました者でございます。
ところが甘苦上海だけは、どうにもしっくりいかず、その理由が今までわからないでおりました。
特に今日の紙面は読むのが苦痛でした。
なぜなのでしょう?自分なりに考えてみました。
誠に失礼なことを申し上げるようですが、わたくしの常識では、精神的な面ならともかく、24歳の女性に肉体的な面で51歳の女性が勝てるとは到底思えません。小説のなかの出来事とはいえ、作者(高樹氏自身)の生身の生々しい声が聞こえてくるようで、とても息苦しかったのでございます。
わたくしも先生とほぼ同年齢でございます。見た目はごまかせても、服を脱げば60歳は60歳。哀しい限りでございます。仕方ないといえば、仕方のないことと、わたくしは自分の老いを静かにうけとめております。
作中の紅子が先生の投影とは思いませんけれども、何やら作者の奢りが聞こえてくるようで息苦しさを感じるのでございます。先生はお美しく、実人生の恋においても自分の気持ちに正直に相手を勝ちとってきた方と聞いております。それが紅子という登場人物に悪い形で投影されているのではないでしょうか。
世の中の女性は、すべての人が勝ちとる恋愛をしているわけではございません。わたくしなど、そのような積極的な恋愛はしたことがなく、紅子の生き方や考え方に強い嫌悪感を感じております。
電動はぶらし、という表現にも驚きました。すべての女性が、そういうものを愛用しているわけではないかと存じます。また、性の不条理は、20代の女性でも感じることであり、周ちゃんであっも感じている可能性はあるかと思います。電動はぶらし程度で逃げていくようなおぼこい娘でもないようにも思いました。
読んでいて、同じ女性としてその見解の相違に余りの苦痛を感じ、お便りさせて頂きましたこと御許し下さい。
作風が変わっていくことはすばらしいことと存じますが、余りの変わりように、わたくしのようなファンを失ってしまうこともままあるかと存じます。少しでもオールドファンの声に耳を傾けてくだされば幸甚に存じます。
猫の主張?
(
崖ノ猪
)
2009-02-25 16:56:39
数日不在のようです。
在宅のトドさんは猫についての取材、役立つかどうか疑問でしたが了解はされています。
前記のHPに連絡先が表記されています。
ある主張
(
崖
)
2009-02-25 17:22:52
読者に参考まで。
村上春樹さんが面白いコメントをしてます。
「僕は自分を咬んだり、刺したりするような本だけを読むべきだと思う。本とは、僕らの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。」
意外と彼は好いこと言ってます。
彼のイスラエル賞の受賞式でのスピーチも感心しましたのでアドレスも参考までに。↓
http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php
お返事ありがとうございました
(
まぐ
)
2009-02-25 17:42:11
>変節という言葉は、主義主張や論があった時代の言葉で、すでに実態のない言葉なのかもしれません
yahooで「変節」で検索すると、上位に来るのは政治関係の記事が多く、明らかに「主義主張を変える」という意味合いで使われています。
今でも「変節」=「主義主張を変える」という意味で使っている方が大勢おられるので、「実体がない」とは思えないのですが…。
たとえ政治関係の世界でしか生きていない言葉だとしても、言葉は言葉。ちゃんと意味を持って使われている以上、「実態がない」と言ってしまうのは少々安易かと思いました。
思想小説といえるような小説が新しく登場しないのは、優れた思想小説はどんなに時代が流れても色あせることがないので、何十年・何百年経っても人々に読まれ続け、その結果、後発の思想小説はレベルが低ければどんどん忘れ去られてしまうからではないでしょうか。淘汰が激しいので、優れた古典がいつまでも残るのだと思います。最近の小説に主義主張がないというよりも、古典に勝てないので誰も書く気がおきず、書く必要性も感じないのではないでしょうか。
時代性
(
小皿
)
2009-02-25 20:03:44
僕は昭和40年代の生まれですが、いわゆる団塊の世代と呼ばれる人々の子供たちの世代になります。
アメリカとソ連という二つの政治のイデオロギーが凌ぎを削っていた時代。
日本でもまだ左翼的な思想を多くの人が支持していたし、学園紛争などで日本の若者たちが大きく揺れていた時代を、多感な青春時代として、高樹さんは過ごされてきました。
僕自身、その当時青春を過ごされた人たちを羨ましく思うことがあります。
思想や信条を誰もが熱く語った時代だったでしょうし、その熱さこそ僕が憧れを持つ理由だと感じています。
その時代から20年が経った僕の学生時代というのは、新人類などという言葉が紙面を飾り、いわゆる「しらけ」の文化、それは熱くなることを冷笑するような空気が時代に合ったと思います。
今また、僕の学生時代より20年を経て、ますます思想信条をもって、それについて語り合うような若い人たちは、ごく僅かとなっているような気が僕はしています。
熱い時代を生きた高樹さんならばなおさらのこと、今の日本の若者たちにそうしたイデオロギーを持った人がいないことを感じておられるのではないでしょうか。
ノンポリ、ゲバ棒、赤軍、デモ隊…今は死後になりつつある言葉たちと一緒に「変節」という言葉は、当時活きていたのだと思います。
そうした時代を生きてこられた高樹さんと、僕のような男が使う「変節」という言葉の意味や重さは、また別に意味を持っているように思います。
実体がないとおっしゃったのは、言葉の意味としての実体ではなく、そうした言葉の持つ背景のようなものではないかと、高樹さんとマグさんのやり取りを読んで思いました。
小皿様へ
(
まぐ
)
2009-02-26 08:37:19
小皿様のコメントは理路整然としていて、小皿様なりの主義主張を感じます。単語の使い方を間違っている高樹先生の文章よりもきちんとご自分の意思を示しておられるので、マスメディアが言うようないわゆる「シラケ世代」のイメージは伝わってきません。
ノンポリ、ゲバ棒、赤軍、デモ隊というイメージに熱い思想信条があったかというと、そういう行動に関わった人間全員がそうだったとは言い切れないと思います。なぜなら、「ゲバ棒」を手段にしていた人と目的にしていた人の二通りがいるからです。
昭和40年代の生まれなら、暴走族をご存知ですね? 暴走族の暴走行為には「反社会」を目的としていた人と、「ただ走りたいだけ」という人がいたはずです。前者は暴走行為は手段ですが、後者は目的です。ゲバ棒を振り回していた人の中にも、それが目的だった人もいたのではないでしょうか。
話がずれてしまったので「変節」に戻しますが、高樹先生は「かつての自分に主義主張があったかといえば、そんなもの無かった」と認めておられます。「ちょっと使ってみたかった(だけ)」とおっしゃっています。
高樹先生は確かに学園紛争をじかに知っておられる世代でしょうけど、ここで使った「変節」という言葉に学園紛争の時代をイメージするのは、少々深読みしすぎかと感じました。高樹先生の小説は、どちらかというとヒッピー的な空気が感じられます。「自由な恋愛」とか「性欲に流されるセックス」とかを書いていらっしゃる方ですので。
実態がない言葉をわざわざ使って高樹先生が何が言いたかったかといえばただの「変化」です。「変節」という言葉に本当に実態がないのだとしたら、その言葉の意味をきちんと理解できる人も少ないわけですから、そういう人が高樹先生の文章を読んだら「変節は変化のかっこいい言い方」と勘違いする人が大勢出てきます。それが気になったので、昨日、ここにコメントいたしました。
まぐ様へ
(
小皿
)
2009-02-26 11:39:07
ご返事ありがとうございます。
ある一時代に青春を生きた人間にとって、その時流れていた空気というのは多分生涯消えることはないのだろうと思います。
僕の生きた80年代にあった「しらけ」の空気は、僕の中にも内包していると思っています。
もちろん、当時から自分の中に違和感を覚えていましたから、その前の全共闘世代への憧れがあるのかもしれません。
おっしゃるように、世代とひとくくりにしたところで、その中に様々な考えを持っておられる方がいて当然かと思います。
高樹さんの『霧の子午線』という作品に、その時代のことが描かれる部分がありますが、主人公の女性たちはどちらかといえば何となく参加している感があったりします。
ただ、時代の空気は感じていた。
暴走族といえども、そのグループの中に流れている空気を、グループの人間は感じているのと同じように。
「変節」という言葉から学園紛争をイメージしたわけではなく、そうした言葉が出てきた高樹のぶ子という作家の生きた青春時代が想起されたというところでしょうか。
一般的に良くないと感じられる「変節」という言葉を敢えて高樹さんは使われました。
いまや時代が変化を求めている時代ですから、高樹さんの言いたかったことは「変化」ではなかったのではないかと、高樹さんの文章を読んで思ったのです。
作家が自分の作品のスタイルや作風と変えることは「変化」という言葉では弱い。その前に、「変節」という言葉を用いることで、その弱い部分を補うような効果があったのかもと感じたりしています。
それは意図的であったかもしれませんし、意図しないものであったかもしれない。
ただ、文章を読んでいて僕の中にそうした意味合いで高樹さんの伝えたいと思うことがすんなり入ってきたのです。
言葉を受け取る感覚は、まぐ様のように正確で厳密なとらえ方をされる方もいれば、僕のように何となく解釈してしまうものもいて、同じ言葉でも人それぞれに意味合いが微妙に違うのですね。
「変節」という言葉一つで、高樹さんも交えて、こうして言葉を交わせたことは、とてもエキサイティングなことでした。
ありがとうございます。
Unknown
(
Unknown
)
2009-02-26 23:59:31
まぐさんの意見はいつもクリニカルで面白い。少なくとも、めくらファンの意見よりは的を得ている。
Unknown
(
Unknown
)
2009-02-27 00:51:39
クリニカル→クリティカル
的を得ている→当を得ている or 的を射ている
大丈夫ですか??
Unknown
(
Unknown
)
2009-02-27 01:00:49
しかも、制限用語だし――
Unknown
(
Unknown
)
2009-02-27 01:25:13
こういう書き間違いする人、どっかで見たぁ!
化けの皮って、薄っぺらなんだね。カッコワル
変?
(
深夜便
)
2009-02-27 01:37:59
Unknown同志で批判しあってる。なんか、滑稽。
小皿さんへ
(
崖
)
2009-02-27 05:15:08
小皿さんの団塊世代の青春や、その後の生き方にも、熱気のようなものを感じるとおっしゃられてるので、それは何かを整理してみましょう。
一般論ですが僕らの世代は青春時代、先ず親達が経済的豊かになりつつ、人生経験も豊かでした。
彼らは20代の若いときに、戦争も直接的に経験をしてます。
そして貧富の差に関わらず、彼らはいろんな思い出を振り切り、頑張って我々を自由に生きれるように育てたと思います。
この熱さは我々世代に、便利な時代でなかっただけに、かなり遺伝したと思いますよ。
失礼ですが高樹さんは団塊世代の女性ですから、かなり必死でハズバンドを、見付ないといけない世代でした。
高校生時代から僕らの世代の女性達は、学校の教諭からも適齢期の男一人に、トラック一杯の女性の計算だ、と言われたことが有るそうです。
だから早く男性を見つけろとね。
例えば高樹さんは'69の夏に、車の免許を取りに行ったとは、当時の女性としては早い時期です。
ところが男性達はかなり違っていましたね。
地方から都会に集まった男達は、未だ夢想をしていた感じでした。
男の習性でしょうか、自由な立場に立つと、理想郷を家庭にも社会にも描きます。
しかしこれは直ぐに円高時代に入って、見事に幻想となりました。
あの時代は内需は不景気なのに奇妙でした。
それは1973年~79年の間です。
この間に土地が凄く暴騰しました。
団塊世代の不動産ニーズを見越しての、企業戦略だったのでしょう。
そして我々の世代は余程のことをしないと、自力だけでは中産階級にもなれ状況でした。
恐らく苦闘した団塊世代も親の世代に似て、去る時は静かに消えて行くでしょう。
こんなの一般論ですが、小皿さんの何かになるでしょうか。
ありがとうございます
(
小皿
)
2009-02-27 22:21:50
崖さん、コメントありがとうございます。
僕の高校の世界史の先生が、今思えば団塊の世代の方で、その先生から先生の高校、大学時代の学園紛争の話を聞かされました。
その先生の授業自体、好きなことを熱く語っているという具合の授業でしたから、僕はとっても好きで、授業が本当に楽しかったです。
その先生の熱さが、あの時代への僕の憧れの元になっている気がします。
clinicalは
(
Unknown
)
2009-03-01 23:17:19
分析的と云ふ意味だし、『的を得ている』と云つても一向構はない。
英語も良く知らない高校生が変に論理的に考へて日本語を知らないだけ、のコメント。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
福山の実家では亡父が、常に3匹くらいの猫を、外飼いにしていましたので、観察はしたことが有ります。
年に二度位しか帰省しなかったのですが、帰ると誰が来たのかと好奇心は有り、確認の為か一度は足に纏わり付き、去って行くパターンでした。
20代半ば、佐倉市の友人のお屋敷を訪ねたら、猫が10匹以上はいるそうで、戸口や襖や障子の隅に、出入りの為の穴が設けてました。
やはりその時も、次から次と入れ代わり立ち代わり猫が現れ、客人に興味があるようでした。
5、6才の頃は我が家にも白い猫がいましたが、夕方から深夜に天井裏でドタバタと、縄張り争いをして煩いので、遠くの山村に連れて行かれました。
猫のフゥーァーォー・フゥー・・・と興奮し、低く頭を下げお尻を上げて牙をむき、飛び掛かりそうに身構えた闘争姿勢は、怖いものが有り犬も退散します。
猫は庭の四十雀の巣箱やペットの小鳥や金魚、時には餌場に首を出した、鶏を襲うので苦手でした。
近年、猫を触ったのはもう閉店したカフェ「あうん」の三毛猫と白黒のぶち猫です。
三毛猫は遊び好きの若い牝猫でしたが行方不明になりした。
三毛猫は全て牝とか、どうやら本当らしいです。
オーナー店主は周易学とか、僧侶兼易者兼美術商で、今はアパート経営で暮らしを立てています。
異界の入口のような店で、全てがシュールな感じでしたね。
その頃二、三年、30才近くは若い愉快な奥さんの入れた、美味しいコーヒーを飲むのが日課でした。
短歌の故鳥海昭子(中込)さんと知り会ったのはこの店です。
「コン」は化け猫でしょうから、その類いの本も。
猫の至近距離の描写や情愛が無く、お役に立ちませんでしたね。笑
ネコのイメージは小説や映画の中では、あまり良くないですね。
世話も大変といえば大変で、嫌いな方はとことん嫌いますね。
ネコがいると知った時から我が家に寄り付かない人もいます。
潔癖な方は無理でしょうね。
うちのネコちゃんは、わが家では、2代目です。
娘が子猫の時拾ってきて、それ以来です。
1代目は、外にも出ましたので、喧嘩が絶えず、心配しましたが、一歳で不妊手術したら大人しくなりました。オスでした。
このネコは、本当に良い子でした。
誰にも、分け隔てなく接して寂しそうな人の所に行って、慰めるのが上手。ほんとです。だから誰からも愛されました。
ところが、7年目、突然いなくなりました。
あ・・・こんなことが聞きたいのではありませんね。すみません。でもこんな事しか書けないのです。
いろいろ探しましたが、その後も見つかりません。
もうそろそろ10ヶ月になります。
きっと、どこかの寂しいひとり暮らしのおばあさんのところにでもいったのと思うことにしています。
ネコの性格も人間と一緒でいろいろ違うかもしれません。
姉の所は、ぜんぜん懐きません。
今のネコは、又娘がもらってきました。
それが発情期で大変・・オスネコが呼びに来るのです。
ちょうど手術して一週間が経ちました。
メスの手術はとても大変です。
心が痛みました。
でも、ネコ屋敷にだけはなりたくない一心で頑張りました。
またまた、この子にかかりっきりです。
一生縁があるのかと・・うんざりするくらい
べったりされますから。我が家の場合。
こんは、どういうネコなんでしょうね。
あっちこっちとたらいまわしにあって・・・不安でたまらないでしょう。かわいそうな気がします。
でも小説の世界ですからね、わかっているつもりです。
小説の世界では化けたりもするものでですね。
小道具としてというより、これからは、もしかして小説の大きなカギを握るのですか。
ネコだけが知っている・・密室の出来事。
このブログのせいでは絶対にないのですが、虚しくてやりきれない気持ちが押し寄せてきそうで気配。
しかし、これが現実です。
世の中はまいものじゃあおまへんね。頑張らねば。
紅子さんに、夢をみさせてもらっています。
いろいろ間違い字だらけでしょうが、お見逃し下さい。
今私の勤める会社の近くには野良猫が沢山いますがこちらから歩み寄っても逃げるばかりで一向に懐きません。それが習性でしょうけど、そんなネコ達を見る度、あの不思議なネコを思い出します。似たような経験を持つ方いらっしゃいますか?
昔、友人のところにいた黒猫の性格がきつくて、しょっちゅう引っかかれそうになりましたから、未だに猫を抱くことが出来ません。
でも、その後、友人のところにやってきた灰色縞模様の猫は、とても性格がおとなしくて、ある時期、友人の家に入り浸っている時も、寝入った家人のところではなく、僕の側に来て丸くなってくれました。
そのことにどんなに癒されたことか。
猫は犬以上に人の感情が分かるような気がしています。
その頃から、僕は猫の性格を見分ける一つの法則を発見しました。
それは猫の顔の形です(^▽^)
猫の顔の形は良く見るとそれぞれ違っていて、総じてすらりとした面長な顔の猫は野性味が強く、人に懐かないようです。
人に懐く猫は、全体的に横に顔が長くて、楕円形を横にしたような顔形をしています。
猫好きの方から反論のありそうな僕の見解ですが、僕はこれをもとに、猫を撫でるべきか、撫でないべきかの判断しています(^o^;A
猫のあの無駄のないしなやかな動きに、最近僕はとても惹かれます。
うちのワンコたちがいなくなったら、猫もいいかもと思うほどに…
でも、ネコタイプの女性の扱いには全く自信がありません(⌒_⌒;)
ブログの変節という言葉について考えました。社会の変化に敏感であり続けるのなら、それなりの小説を書いて頂きたい。変わりたい気持ちがあるのなら、ブログのコメントの流れにも敏感であってほしいですな。ここ数日のコメントは面倒くさいから無視ですか。偉い作家を批判する気は毛頭ありませんが、少し無責任に感じます。
においに敏感なのは、人間であれば雄ですよね。猫もそうなのかしら・・
その質問とは別ですが、猫好きな男性と嫌いな男性では、性格がどう違うのでしょう・・コンは石井京の部屋から巡り巡って、いまは松本のところにいます。二人の男のどちらが猫派なのだろうと、考えています。作者も解っていない領域ですが、微妙に小説に影響が出そうな気もして・・
少なくとも松本は、
このような猫を飼うような感性がない男性としか思えないのですが・・・
それは私の感覚ですよね。
私の友人の飼っている猫が・・
これが「ぷっくり」と太っていて、
顔が横に長くて人懐っこいのですよ。
とてもご主人様に忠実な可愛い猫ですが・・
小皿さんのお話についつい笑ってしまいました。
きっと・・
「ぷっくり」小太りな猫は人懐っこいのでしょうね~
私自身は猫が大ッ嫌いなんです。
どちらかというと・・
犬の方がまだ良いかもしれません。
でも、犬も飼うという気持ちにはなれません。
私が相手にしたいのは・・・
小動物ではなくて、
人間。。
息子は・・
小動物嫌いの私の元では思うように飼えなかった猫を、
いずれ飼って可愛がりたいと言っています。
京さんのようになるのではないか?と・・・
少々心配!なのですが。。(苦笑)
匂いには雄も雌も敏感です。
猫好きの男と猫嫌いの男の性格の違いは、人それぞれで一括りにして決めつけることはできないのではないかと思います。
実際に飼ってみられたらどうですか。人から聞いた話をふくらまして書いても読者の胸を打つ表現には至らないでしょう。何事も手ぬきは禁物。
イヌは野生時代、群れで生きてきた。だからヒトとの関係、序列をとても気にするし、ひとり(一匹)で取り残されることを非常に嫌う。3~4時間もひとりにされると、とてもさびしがる。
ネコは基本的に群れでは生きない動物で、孤独に強い。ヒトと自分とを分けて考えていて、そのことが「わがまま」「自分勝手」ととられやすい。
…で、留守がちの家庭で飼うのなら、ネコが適している。適応力もある。また、イヌがストレスをためるのは対人間関係だが、ネコはむしろ対ネコ関係がストレスのもとになる…と、お話が続きました。
オオカミの生態、ヤマネコの生態に近いと考えるのだそうです。
さて、このコメントを書きながら整理してみないと、一概に猫派の男性と嫌いな男性の、性格は捉えら切れません。
先ず絵画から迫って、熊谷守一の有名な「猫」の絵を連想すると、画家本人やこの絵が好きなコレクターやファンには、次男坊的な自由なイメージが漂っています。
都会育ちの亡父はコリー犬などを飼って育ちましたが、次男坊でしたからしっかり勉強をして、家からは独立して行く人生計画を立て、大企業組織の中で生き、余生を広大な庭で外飼いとは云え、猫を飼って過ごしました。
(その後、兄は戦死等で一応跡取り)
これは組織からの開放感からか、元来の自由が好きな性格か、これは彼が少しエゴイストでしたが、自由が好きな性格だったと思います。
ただ「京」はマンションのような所で自由の象徴「コン」を飼い、気ままな猫にとっては甚だサディスティックな環境、それでも猫を飼うギリギリの心理情況はエゴイスティックですね。
(飼ってたのは自殺した彼女?)
猫好きな男性はエゴイストかも知れませんが、気ままに生きる環境にいる猫が好きなんです。
つまり「京」は余り猫好きではないのでしょう。
一方「松本」はどうでしょう?
猫のように紅子やそれぞれの女達を、自由にさせているような感じが好みですから、エゴイストですが個人が確立している大人です。
つまり「松本」には猫好きの資格が有るでしょう。
前段の質問、哺乳類は♂が嗅覚が発達していると思います。
「コン」は猫ですから視覚と聴覚が発達しています。
人や梟と同じく目が正面に並び、遠近感は正確でしょうね。
生殖機能がないと♂も♀もフェロモンがないようで、性格に関わらずエロスに対しては、どうしても鈍感になるでしょう。
ただいろんな補填の効果は有るようです。笑
追記
心優しいドンファンが昨年53才で亡くなりましたが、彼が生前の30代に飼っていた、猫をマンションの10M近い高さの窓から、発作的に投げ落とした話をしましたね。
何故か詳細は聴きませんでしたが、付き合っていた女の思い出の、猫だったのかも知れません。
犬好き作家:椎名誠、丸山健二、戸川幸夫、池田満寿夫、三田誠広、小川洋子、伊集院静、近藤紘一、景山民夫、江国香織、辻真先、江藤淳
www.nekomi6.com/から適当に編輯
犬との獣姦はK9と云ふさうだ - 女性が革のジャンパーやパンツを着てゐると疑はれる。
ただその両方を備えているのが、超小型犬の中にいます。
きっとマンションでの猫派はその感覚と、気ままな性質からくる、自由なイメージが好きなんでしょう。
実際に、犬の目をじっと見ると、犬って必ず目を逸らすのです。
飼い主のことが気になって仕方ないけれども、目が合うと逸らしてしまう…。
気の弱い犬なら、こっちを見るなとばかりに吠えることでしょう。
僕が見る限り、犬は見つめあうことが苦手です(^^;ゞ
見て、見てってアピールはするんですけどね。
そういう意味では、感情交流派かもしれません。
猫のしなやかさは、僕にはとても魅力的です。
あの肌触りは、僕の知る犬にはいませんね(*´ー`)
僕の感覚で言えば、犬好きにとっての犬は、その性別に関係なく同性の友人を求めるような情愛、猫好きの人にとっての猫は、逆に異性の友人に求めるような情愛のような気がしますが…
単なる思い付きってだけかもしれません(^o^;A
土曜に榊さんの語りを聴いて、ハッと間違いに気が付きました。「人生、私流」でした。
ジャズの明石さんではなく間違いでした。
ご両人とも都会的なセンスの語りなので間違えてしまった。
深夜便のジャズを聴いてました。笑
猫の甘え方は傍若無人で、ストッキングに毛が付くから、出社前はヌリつくなと言っても知らん顔。猫嫌いの父の膝に乗って大騒動になったことも・・・
そうかと思えばこちらが構いたい時には無関心だったり・・・そういったマイペースなところが一緒に住むには居心地の良い生き物です
一方、犬を見ていると、ご主人様の愛を一身に受けたい様子、忠誠心に心が痛む気がします。傍らで寝そべっている間もご主人様の動向を気にしているのが不憫です
恋愛に於いては犬みたいな男が好き
「来い来い!」っ言うと待ってましたとばかり飛びついてくるような
お散歩していると、ついついよその女の子が気になって、チラチラと見てしまい、運よく何かもらえれば少しついて行く(犬って道に落ちている物をいちいちチェックしてますよね)、それを叱ると反省の「伏せ状態」でこちらのご機嫌を伺うような・・・仕事がバリバリ出来て、ロマンスグレーのおじ様だったらもう最高!
そういう男性は猫好きだと思います
犬が好きな男性は犬に同性の友達感覚を求めている気がします
猫好きな男性は猫に異性を求めている恋愛体質なヒトが多い気がしますよ
実家へ着いた辺りで、猫ちゃんがどこかへ行ったまま戻らなくなってしまった。
探しても見当たらないので仕方なく再び車で住まいへ戻った。
その後、長いこと戻らないので、いつしか飼っていた猫ちゃんのことは忘れていた。
ところが、2年余りたったある日のこと、見知らぬ猫が家の外に現われた。傷だらけになってやせ細っていた。
奥さんは、はっとして猫の名を呼んだ!
あの2年前まで飼っていた愛猫だと分かった。
ワンちゃんだったら、さもありなん、ですが、そうした猫ちゃんがいることを、私は初めて知った。
実は、いちさんの話で思い出しました。
子供だった頃、うちに迷いネコが住み着き、子供を生みました。数匹ほどだったと思います。
多分全部貰い手があったのだろうと思いますが、
一匹残ったネコちゃんは、一山超えたあるお家に貰われていきました。親猫は暫く探していましたが、そのうち諦めたのでしょう・・・
どれほどか、たったある日、その子猫がやせ細って舞い戻ってきました。大きくなっていましたが分りました。
子猫は甘えようと寄っていくのに、親猫は喜ぶかと思いきや、かーと威嚇して追い払おうとしました。親猫は薄情なものでした。
そのうち、又子猫はどこかへ行きました。かわいそうでしたよ。
どうなったかよくは覚えていません。私も子供でした。
その親ネコは、死ぬまでうちにいました。
今頃になって思うのは、子供だって一度や二度くらいではなく、お産もしたはず・・・どうしてたのでしょう。
その事を聞くにも、両親はもう居ません。
やっぱり、ネコには縁があるようです。
しかしながら、犬もずっと居ました。それも迷い犬です。
不思議ですよ、前の犬が亡くなった時、一カ月くらいして現れたのです。
生き物にも心もあると思うのです。
ないと思うほうが楽ですけれど・・・ネ。
ブログよく拝見してます
毎回興味深いです
虎は千里を走り助ける、とも。
子供頃に居た猫も、山村の農家から何度か戻って来てました。
尚、我が家で飼っていた犬(15才没)は、10才を過ぎた頃、鎖が切れ7ヶ月も自宅に帰れず、首輪の登録チップのお陰で、保健所から連絡が有り帰宅しました。苦笑
ひょっとして猫の瞳は、星が見えるから移動できるのかも。
高松塚古墳の石室に四神と天井には星座が描かれてますね。
四神とは東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武(蛇の絡んだ亀)
白虎、これはなかなか「コン」の未来は面白そうです。
コンは何色だったけ?
猫を触った感触は苦手ですが、ペットを襲わない限り、幼い猫は面白いので楽しいです。
我が家のブロック塀を歩く、猫は中型犬の大きさ、手足は太くて長く逞しく、まるでコーカサス?山猫の風格です。
群れる人間よりは、マイペースを確保して生活できるタイプが、男女とも「自分」を襲わない限り好みです。笑
猫ちゃんの話し一つとっても、不思議なことが沢山あるのでは、と思います。私の「ローズ」という作品(上のリンク先)に登場する、ヴォルゾイ犬は、実在しています。キャラクターは異なりますが、別な意味で現実のワンちゃんも、人と同じほどの歴史を内包しております。また、「白鷺の飛翔」(性同一性障害とインターセックスをテーマにした作品)に登場する白鷺も身近な所に居ました。こちらもキャラクターは異なりますが。
一面、現実存在体も、ストーリーの中と同様、謎が秘められています。
それは、人の人生と同様に。
高樹さんが、猫ちゃんを全く知らなくても、猫ちゃんをストーリーの中に登場させ描くことが出来ます。
人が胎内に宿り、その後霊を吹き込まれ精神を持った人間が誕生するように、そこで猫ちゃんが動き出すのです!
この宇宙に存在するすべて、それらが空想の世界の出来事であっても、この宇宙に存在している、というのが私の持論です。
猫のことを知らなくても猫のことは書けるけど、弱い。
高樹さんは瀬戸内の海辺の育ちですから、餌も豊富で野良猫や飼い猫や、産まれたばかりの子猫も、沢山いた地域で観察は充分な筈でしょう。苦笑
寒い雪国やマンションの猫ではありませんがね。
やれやれ、笑
彼の娘さんの一人は中国学専攻のようで、未だ北京にいるのかも。
彼の家には'67年~'75年の頃に数回出入りをしました。
そこの猫はモノトーンの濃い縞猫で、全て同じ縞猫でした。
代々素封家といわれてる家で、当時、父親は開業医で屋敷内に医院も有りました。
彼には他に姉妹が四人も居ましたから、居間や応接室や各部屋も、清潔感が有り良く片付いていました。(現在と明治生まれは、娘の躾が全然違いますね。苦笑)
父親は医学と尺八、母親は短歌と絵画が趣味でした。
その頃に世田谷育ちの母親から、原木栽培の生椎茸を送って戴いたことが有ります。
その後何年かして母親から、曹洞宗の施餓鬼用のお堂(僧侶の宿泊も可)と、墓地の造成の設計を依頼されました。
そこに暮らす縞猫達の動きは、皆スリムな体型で、そっとゆったり徘徊してました。
尚、杉並で二、三年前に猫を飼ってる、依頼の有った知人女性の部屋に二度上がりました。
これも和猫でしたが、茶と白のぶちの猫で、戸締まりをして飼っているせいか、ころころと太りちょこちょこと歩いてました。
彼女は僕に触らせようと、猫を抱いて僕に振りましたが遠慮しました。苦笑
何となく友人の屋敷の猫には、きっと野生の未知能力が有るのかも知れません。
それは猫に、記憶があるからでしょうか。それとも嗅覚とか土地感などの五感が優れているからでしょうか。つまり、「記憶の地図」があるのか「生理的な反応」が優れているのか・・
なぜこんなことをここに書いているのかといえば、どなたかのご指摘にあったように、「飼わなくては解らない」領域だからです。コンの「過去」をどう描くか・・アイデアが浮かばないもので・・たとえば、鮮烈な一瞬というものが猫の過去にあったとして、同じような一瞬が再びあったばあい、何らかの反応を示すかどうか・・
ヒト世界の出来事が記憶の対象になるかは疑問です。猫自身の生命が脅かされるような事態は、さすがに後々まで記憶が残るかもしれませんが。飼われている猫でも、ヒト世界とは一線を画して生きています。飼い主が変わっても、エサが足りていれば変わりなく生きていけるのが猫です。
文学的には面白くない生態解説ですが、ご参考までに。
高樹さんには、「冷たい猫」という作品がおありでは。私は読んでいませんが。一般的な猫像を、あるいは鋭い感性で捉えていらっしゃるのでは、と推測しますが。
独特な猫ちゃんが出てきても良いかな、などと思いますが。作品があるバランスで纏まるのなら!
子供の頃飼っていた2番目の猫は、背中とお腹の間にガン様のものが出来、穴が開いてやがて姿を消しました。縁の下かどこかで旅立ったのだと思います。
高樹さん! 猫って、注視して、あたかも私の心を覗くように、ニャ~オ~って鳴くんですよ! 人の温もりを求めるんです!
以下コメント(良いとこを掬い取ってください):
猫にも犬や人と同じように、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚といった五感がある。
猫の場合は聴覚が敏感で、聴くことで情報収集する。
視力は、人の約10分の1程度で近視。(目の前にある物を、首を傾けて見つめる)
夜行性の猫は、暗闇でも見える能力に優れてる。
月明かりのようなわずかな光でも最大限に瞳孔を開いて、光を取り込む。このため猫は暗闇で人の約5倍の明るさで物を見ることができるとか。
五感の中で、最も優れているのが聴覚。
人が聞き取れる高音が約2万ヘルツくらいなのに対して、猫の場合は約6万ヘルツ以上もの高音を聞き取ることができるとか。音のする方向、音質の種類、音源までの距離を知る能力もあり、獲物が発するわずかな音でもキャッチして捕らえることができる。
嗅覚は犬と比較するとはるかに劣っていますが、人の数万~数十万倍くらいあると。
猫は食べ物、縄張り、他の猫の情報など様々なことをニオイで感知。鼻だけでなく口でもニオイを嗅ぐことができる。
猫の口の中には、上あごの前歯のつけ根あたりに“ヤコブソン器官”という器官があり、マタタビやフェロモンなど鼻とは別のニオイを感じ取ることができるようです。
猫が感じる味覚は、甘い・すっぱい・苦い・塩辛いの4種類だとか。
触覚で最も重要な役割をしているのがヒゲ。
ヒゲは触毛と呼ばれ、根元に神経細胞がたくさん集まっているので、わずかな刺激でも敏感に感じ取ることができる。-
猫の生態の取材はこの方たちが好いかも。
葡萄作りが縁です。
お二方とも読書好き。
高梁で葡萄作りとデザイン制作を生業にしています。
ご家族はご夫妻(50才後半)とお母様と子供さんは猫三匹と外猫少々と犬もいるようです。
こちらは人気ブログですね。
HPから直接の生取材も可能です。(源内さん)
その時は杉並の「磯つぐみ」さんの紹介とお伝え下さい。
トドさんの奥様、アシカさんのブログ↓
アシカのアトリエ
http://ashica.blog73.fc2.com/
お二方のHP↓
タイトル:
半農半デとは? トドのぶどう 岡山
URL:
http://jig145.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0225B4WHl62XfPYB/0?_jig_=http%3A%2F%2Ftododesu.com%2Fhanno.html&_jig_keyword_=%94%BC%94_%94%BC%83f%82%CC%83g%83h%93%FA%8BL&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fonesearch%3Ffr%3Dm_top_y%26p%3D%2594%25BC%2594_%2594%25BC%2583f%2582%25CC%2583g%2583h%2593%25FA%258BL&_jig_source_=srch
磯つぐみよりw
昔先生が雑誌や講演会などで発信・発言した主張を今になって「あれは間違っていた」と感じている…ということなのでしょうか。
小説のスタイルが変わったということなのであれば何の問題もありませんが、それはただの「変化」であって「変節」とはいいませんよね。なぜ一度「変節」という言葉を使った後に「変化」と言い直しているのでしょうか。
小説のスタイルが変わることと、個人的な主義主張が変わることは全くの別物ですが、そのどちらを指しているのかいまひとつ分からない文章だったので、コメントさせていただきました。
猫と関係なくて申し訳ありません。
わたくしは、高樹作品を信奉するというほど先生の作品に精通した読者ではございませんけれど、先生の作品や表現が好きで、好きというか、とてもしっくりくるものがあって、好んで読まさせて頂いておりました者でございます。
ところが甘苦上海だけは、どうにもしっくりいかず、その理由が今までわからないでおりました。
特に今日の紙面は読むのが苦痛でした。
なぜなのでしょう?自分なりに考えてみました。
誠に失礼なことを申し上げるようですが、わたくしの常識では、精神的な面ならともかく、24歳の女性に肉体的な面で51歳の女性が勝てるとは到底思えません。小説のなかの出来事とはいえ、作者(高樹氏自身)の生身の生々しい声が聞こえてくるようで、とても息苦しかったのでございます。
わたくしも先生とほぼ同年齢でございます。見た目はごまかせても、服を脱げば60歳は60歳。哀しい限りでございます。仕方ないといえば、仕方のないことと、わたくしは自分の老いを静かにうけとめております。
作中の紅子が先生の投影とは思いませんけれども、何やら作者の奢りが聞こえてくるようで息苦しさを感じるのでございます。先生はお美しく、実人生の恋においても自分の気持ちに正直に相手を勝ちとってきた方と聞いております。それが紅子という登場人物に悪い形で投影されているのではないでしょうか。
世の中の女性は、すべての人が勝ちとる恋愛をしているわけではございません。わたくしなど、そのような積極的な恋愛はしたことがなく、紅子の生き方や考え方に強い嫌悪感を感じております。
電動はぶらし、という表現にも驚きました。すべての女性が、そういうものを愛用しているわけではないかと存じます。また、性の不条理は、20代の女性でも感じることであり、周ちゃんであっも感じている可能性はあるかと思います。電動はぶらし程度で逃げていくようなおぼこい娘でもないようにも思いました。
読んでいて、同じ女性としてその見解の相違に余りの苦痛を感じ、お便りさせて頂きましたこと御許し下さい。
作風が変わっていくことはすばらしいことと存じますが、余りの変わりように、わたくしのようなファンを失ってしまうこともままあるかと存じます。少しでもオールドファンの声に耳を傾けてくだされば幸甚に存じます。
在宅のトドさんは猫についての取材、役立つかどうか疑問でしたが了解はされています。
前記のHPに連絡先が表記されています。
村上春樹さんが面白いコメントをしてます。
「僕は自分を咬んだり、刺したりするような本だけを読むべきだと思う。本とは、僕らの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。」
意外と彼は好いこと言ってます。
彼のイスラエル賞の受賞式でのスピーチも感心しましたのでアドレスも参考までに。↓
http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php
yahooで「変節」で検索すると、上位に来るのは政治関係の記事が多く、明らかに「主義主張を変える」という意味合いで使われています。
今でも「変節」=「主義主張を変える」という意味で使っている方が大勢おられるので、「実体がない」とは思えないのですが…。
たとえ政治関係の世界でしか生きていない言葉だとしても、言葉は言葉。ちゃんと意味を持って使われている以上、「実態がない」と言ってしまうのは少々安易かと思いました。
思想小説といえるような小説が新しく登場しないのは、優れた思想小説はどんなに時代が流れても色あせることがないので、何十年・何百年経っても人々に読まれ続け、その結果、後発の思想小説はレベルが低ければどんどん忘れ去られてしまうからではないでしょうか。淘汰が激しいので、優れた古典がいつまでも残るのだと思います。最近の小説に主義主張がないというよりも、古典に勝てないので誰も書く気がおきず、書く必要性も感じないのではないでしょうか。
アメリカとソ連という二つの政治のイデオロギーが凌ぎを削っていた時代。
日本でもまだ左翼的な思想を多くの人が支持していたし、学園紛争などで日本の若者たちが大きく揺れていた時代を、多感な青春時代として、高樹さんは過ごされてきました。
僕自身、その当時青春を過ごされた人たちを羨ましく思うことがあります。
思想や信条を誰もが熱く語った時代だったでしょうし、その熱さこそ僕が憧れを持つ理由だと感じています。
その時代から20年が経った僕の学生時代というのは、新人類などという言葉が紙面を飾り、いわゆる「しらけ」の文化、それは熱くなることを冷笑するような空気が時代に合ったと思います。
今また、僕の学生時代より20年を経て、ますます思想信条をもって、それについて語り合うような若い人たちは、ごく僅かとなっているような気が僕はしています。
熱い時代を生きた高樹さんならばなおさらのこと、今の日本の若者たちにそうしたイデオロギーを持った人がいないことを感じておられるのではないでしょうか。
ノンポリ、ゲバ棒、赤軍、デモ隊…今は死後になりつつある言葉たちと一緒に「変節」という言葉は、当時活きていたのだと思います。
そうした時代を生きてこられた高樹さんと、僕のような男が使う「変節」という言葉の意味や重さは、また別に意味を持っているように思います。
実体がないとおっしゃったのは、言葉の意味としての実体ではなく、そうした言葉の持つ背景のようなものではないかと、高樹さんとマグさんのやり取りを読んで思いました。
ノンポリ、ゲバ棒、赤軍、デモ隊というイメージに熱い思想信条があったかというと、そういう行動に関わった人間全員がそうだったとは言い切れないと思います。なぜなら、「ゲバ棒」を手段にしていた人と目的にしていた人の二通りがいるからです。
昭和40年代の生まれなら、暴走族をご存知ですね? 暴走族の暴走行為には「反社会」を目的としていた人と、「ただ走りたいだけ」という人がいたはずです。前者は暴走行為は手段ですが、後者は目的です。ゲバ棒を振り回していた人の中にも、それが目的だった人もいたのではないでしょうか。
話がずれてしまったので「変節」に戻しますが、高樹先生は「かつての自分に主義主張があったかといえば、そんなもの無かった」と認めておられます。「ちょっと使ってみたかった(だけ)」とおっしゃっています。
高樹先生は確かに学園紛争をじかに知っておられる世代でしょうけど、ここで使った「変節」という言葉に学園紛争の時代をイメージするのは、少々深読みしすぎかと感じました。高樹先生の小説は、どちらかというとヒッピー的な空気が感じられます。「自由な恋愛」とか「性欲に流されるセックス」とかを書いていらっしゃる方ですので。
実態がない言葉をわざわざ使って高樹先生が何が言いたかったかといえばただの「変化」です。「変節」という言葉に本当に実態がないのだとしたら、その言葉の意味をきちんと理解できる人も少ないわけですから、そういう人が高樹先生の文章を読んだら「変節は変化のかっこいい言い方」と勘違いする人が大勢出てきます。それが気になったので、昨日、ここにコメントいたしました。
ある一時代に青春を生きた人間にとって、その時流れていた空気というのは多分生涯消えることはないのだろうと思います。
僕の生きた80年代にあった「しらけ」の空気は、僕の中にも内包していると思っています。
もちろん、当時から自分の中に違和感を覚えていましたから、その前の全共闘世代への憧れがあるのかもしれません。
おっしゃるように、世代とひとくくりにしたところで、その中に様々な考えを持っておられる方がいて当然かと思います。
高樹さんの『霧の子午線』という作品に、その時代のことが描かれる部分がありますが、主人公の女性たちはどちらかといえば何となく参加している感があったりします。
ただ、時代の空気は感じていた。
暴走族といえども、そのグループの中に流れている空気を、グループの人間は感じているのと同じように。
「変節」という言葉から学園紛争をイメージしたわけではなく、そうした言葉が出てきた高樹のぶ子という作家の生きた青春時代が想起されたというところでしょうか。
一般的に良くないと感じられる「変節」という言葉を敢えて高樹さんは使われました。
いまや時代が変化を求めている時代ですから、高樹さんの言いたかったことは「変化」ではなかったのではないかと、高樹さんの文章を読んで思ったのです。
作家が自分の作品のスタイルや作風と変えることは「変化」という言葉では弱い。その前に、「変節」という言葉を用いることで、その弱い部分を補うような効果があったのかもと感じたりしています。
それは意図的であったかもしれませんし、意図しないものであったかもしれない。
ただ、文章を読んでいて僕の中にそうした意味合いで高樹さんの伝えたいと思うことがすんなり入ってきたのです。
言葉を受け取る感覚は、まぐ様のように正確で厳密なとらえ方をされる方もいれば、僕のように何となく解釈してしまうものもいて、同じ言葉でも人それぞれに意味合いが微妙に違うのですね。
「変節」という言葉一つで、高樹さんも交えて、こうして言葉を交わせたことは、とてもエキサイティングなことでした。
ありがとうございます。
的を得ている→当を得ている or 的を射ている
大丈夫ですか??
化けの皮って、薄っぺらなんだね。カッコワル
一般論ですが僕らの世代は青春時代、先ず親達が経済的豊かになりつつ、人生経験も豊かでした。
彼らは20代の若いときに、戦争も直接的に経験をしてます。
そして貧富の差に関わらず、彼らはいろんな思い出を振り切り、頑張って我々を自由に生きれるように育てたと思います。
この熱さは我々世代に、便利な時代でなかっただけに、かなり遺伝したと思いますよ。
失礼ですが高樹さんは団塊世代の女性ですから、かなり必死でハズバンドを、見付ないといけない世代でした。
高校生時代から僕らの世代の女性達は、学校の教諭からも適齢期の男一人に、トラック一杯の女性の計算だ、と言われたことが有るそうです。
だから早く男性を見つけろとね。
例えば高樹さんは'69の夏に、車の免許を取りに行ったとは、当時の女性としては早い時期です。
ところが男性達はかなり違っていましたね。
地方から都会に集まった男達は、未だ夢想をしていた感じでした。
男の習性でしょうか、自由な立場に立つと、理想郷を家庭にも社会にも描きます。
しかしこれは直ぐに円高時代に入って、見事に幻想となりました。
あの時代は内需は不景気なのに奇妙でした。
それは1973年~79年の間です。
この間に土地が凄く暴騰しました。
団塊世代の不動産ニーズを見越しての、企業戦略だったのでしょう。
そして我々の世代は余程のことをしないと、自力だけでは中産階級にもなれ状況でした。
恐らく苦闘した団塊世代も親の世代に似て、去る時は静かに消えて行くでしょう。
こんなの一般論ですが、小皿さんの何かになるでしょうか。
僕の高校の世界史の先生が、今思えば団塊の世代の方で、その先生から先生の高校、大学時代の学園紛争の話を聞かされました。
その先生の授業自体、好きなことを熱く語っているという具合の授業でしたから、僕はとっても好きで、授業が本当に楽しかったです。
その先生の熱さが、あの時代への僕の憧れの元になっている気がします。
英語も良く知らない高校生が変に論理的に考へて日本語を知らないだけ、のコメント。