「伝説と化すWASP」を、映画「The Social Network」でも感じさせられました。 「Chariots of Fire」を彷彿させる、テムズ河のボート競走の描き方に、WASPが幅をきかせた時代が過ぎ去って行く様が重なります。 不器用にしか人と関われない若者たちに、観終わった後、しみじみと心を寄せてしまう、良い映画でした。スピード感ある展開にも惹きこまれました。
映画「The Social Network」も予告編で伝統的なWASP文化が伺え、魅力を感じています。 WASPとは少し違うかもしれませんが、生きる姿勢という観点からは、「Chariots of Fire」を彷彿させられるようですね。 WASPが幅をきかせた時代が過ぎ去って行く・・・、でもクリスマスシーズンには、パーティーの種類で明瞭に浮かび上がってくるのではないでしょうか。 今はもうそのようなことはなくなっているのでしょうかねぇ。 小学生のときに、“Little Women”(若草物語)の家族、生き方、行動力に感動とコメントしましたが、WASP(差別心や偏見を除いて)的なものが会うようです。「和SP」なんでしょうか。意外と右肩下がりのストライプが似合ったりするかもしれませんね。
「恋愛感情は、生きものとしての生命の力そのもの」に共感します
ときに理不尽な湧き起こる感情を消してしまうのが、正しいと錯覚してしまいますが、恋愛感情も社会で起こるさまざまな感情も自分自身で味わいつくして受け入れることで、破壊力から、昇華された新しい力になると感じています
恋愛小説は、いつの時代になっても形態が変わろうとも、きっと無くならないことを、願うものです。
それは、何方かタレントさんも仰っていたように、恋愛も文化だと思うからです。(笑)
ちょっと思ったのは、
本当に幸せな恋愛の最中には言葉がいらないような気がします。言葉が必要なのは・・まだその恋に自信が無いとき。でもそれじゃあ小説は書けませんね。
恋愛についての自信もないんですけれど小説など読んでの感想です。。いろいろ難しい理屈も(すみません)いらない。
う~ん、良い歳をしているのに、こんなことしか書けないことが、恥ずかしい。文才が無いということで、失礼します。
「源氏物語」も一度はちゃんと読んでみようと思いつつも、40代半ばの今に至っています、、、vvv。
(やはり、「なんで、けっきょくは終始、『色事』にうつつをぬかしてるような男の話しを日本人はそんなにありがたがるんだ?」みたいな固定概念も邪魔していたのだと思うのですが、、、)
ちょうど昨夜、曾野綾子さんのエッセイ集を読んでて、「相手の男性が、女性を娼婦とわかってて受け入れ、それでも(その人の、「過去」ごと、)受け入れ、愛すところに『文学』が生まれる」とおっしゃってたところに、リンクしましたね~。
(オペラにもそういう話しが多いですしね。「芸術」全般、そういうものなのかもしれない、、、、)
男性が女性を(配偶者?恋人?)「ツール」として、使いたい(恋愛という道筋を通って?)ビジネスの一部のようなものにしてしまう傾向がある、というのは、女性の側にも、とっても言えるなあ、と時々呆れることがあるくらい、、、。
たまーに「彼はNY駐在になるようなエリートだから、絶対結婚したいと狙って手に入れた」みたいな話しも聞きますしね~。
(そういうところには絶対「文学」や芸術は生まれないと思いますけどね、「哲学」も然り、では?)
そういう意味では、わたしはむしろ、「同性愛」の方がより「純粋」なのかもしれない、とか思ってしまうときがあるわけです、、、。
(社会的な保証とか安定とかを得たい為の「恋愛」ではないから、、、)←もっとも、彼らもそういった、法的な保障を求めて、「同性愛婚」を認めろ、と戦ってるわけでもありますが、、。
(正直、ストレート、とはいえ、国際結婚をして渡米し、差別や偏見、日米共の人の時々の無理解、にも我慢した上での婚姻という法の守りにあずかる者としてはそれも一寸複雑な所がありますが、、、)
ところで「億夜」読ませていただきました。
高樹先生の長編は「満水子」に次ぎ、2作目、でした。
なんとも、こちらも「大きな『体験』をさせていただいた」、といったような感じでした。
(余韻がすごくて、読了してから2,3日、ぼお~っとしてるような、、、)
けっきょく、竹雄と沙織は再会してからは一度も結ばれなかった、というのがとってもとってもよかったです。
三部作の、「その細き道」「時を青く染めて」も是非入手して読ませていただきたいです!
なんか、だんだん「恋愛文学」って、人間の「核」のようなものかもしれない、というような気もしてまいりました、、、。
話しがなかななかまとまらないのですが、日本ではなんだかんだ言っても、まだ男女が=対等になってないから、お互い「男も女も一人間」として向き合えないような、だから、正面切っての「恋愛」が難しい?(若い男性は逆に、女性恐怖症も増えてるようですし、)ような気もしています。
どちらにしろ、日本でも、いずれの人間関係もアメリカのように「無機質」、相手に何を望むか、何が得られるか、の「目的」次第になってきてるようにも思いますね。
(やっぱり又そういうところでも文学も芸術も、&こちらでは、大きな産業の映画、でも「ネタ」にならないのだと思うのですが、)
女性を理解するのには最適ではないかと思うからです。
ところが、実際は何故ここまで的確に男心を表現出来るものなかと驚くばかりなのです。
先生の中には間違いなく男が居ると都度思ってしまいます。
satokoさんも仰ってましたが盲目の時期には言葉は要りませんし恋愛小説を手にすることも無いのでは、と思います。
脳内からドーパミンが減少しはじめて冷静を取り戻し始る頃からが地獄の1丁目です(笑)
共感を求めて本屋さんを彷徨うのです。
失恋を病とするなら薬は時間と恋愛小説だけです。
先生の作品を読み終えると、きまって2、3日ボォーとなります。
湯あたりに似た感じですが何なのでしょうか。
何か変な物質が脳内に分泌されるみたいです(笑)
ここが閉じられたあとも先生の作品を追い続けてゆく所存です。
satokoさんのコメント好きでしたよ。
功成り名遂げた老大家が、美しい少年に恋をして、無様なままに死んでいく話しですが、それまで生きてきた知識も知恵も役に立たない、ということ。
だから、無惨であり尊いとも言えます。
人間をそんな風に危険にさらす事は、他にありませんね。
私もきっと、自分の老いた姿に絶望しながら、にも拘わらず、あくせくと、惨めになりながら、誰かを恋し続けて、冷笑の中で哀れな死に方をするんじゃないかしら・・
仏門などには、ゼッタイ入りません!
初期化ができるのかも知れませんね。
仕事が多忙なころ一仕事終わると、
脳の初期化にと、バーやクラブで遊んで帰ってましたが、
余り体に良く有りませんでしたね。苦笑
恋愛は落差が有れば有る程、
恋のエネルギーがより強くなると、
諸先輩が宣い何となく納得してましたが、
今、振り返ってみると僕はそうではなかったようです。
身の回りの女性の存在に関してそれ程の疑問点はなく、
僕なりに理解できていたので僕に好意があるかを、
慎重に判断するだけでよかったです。
性格でしょうか。
商家の娘でしたが割りと人に興味の強い妻と、
巡り会えたので幸せだったと思います。
女性の書いた恋愛小説は停滞した状況の、
社会で栄えて生き残って来たと、おっしゃっていながら、
経済成長著しいアジアの国々に期待します、
とはよく考えると矛盾した発言ですよね?
ウィキリークス創設者がイギリスで別件逮捕され、
イギリスの旧称からMI6(エムアイシックス・ 軍情報部第6課)、
現在のSecret Intelligence Serviceを調べると、
僕も中学生の頃によく読んだイギリスの作家、
短編「雨」を書いたサマーセット・モームも、
40才からMI6の諜報機関に所属し、
同性愛者だったそうで少し驚きました。
もう一つジャン・コクトーの「恐るべき子供達」は、
レイモン・ラディゲの死で悲嘆し、
阿片中毒に陥っていた時に書いたとか、
子供達の言葉のやり取りが尋常ではなく、
若い頃に驚いたので妙に納得しました。
えっ?高樹さんは仏門には入れませんよ!
菩提寺が有れば皆さんそれぞれに、
染み付いた気風が有ると感じます。(多分昭和世代の方までは。)
ピース・リヴァーさんは既に胃腸が弱点の方だったので、
仏門どころか渡り掛けてるのではないかと心配です。
長々と失礼しました。
修道院にも・・
その昔ちょっとだけあこがれたことがありましたが、赤い靴にあこがれた少女には到底無理なことでした。
で、
思っていたような人生ではなかったかも知れませんが今こうして曲がりなりにも母親業が出来ることに感謝です。
高樹先生の生き方は、私にとっては憧れの姿です。
自分の老いていく姿に絶望しながら、何事も成せなかった人生のほうこそ惨めです。もちろんですね。
こんな風な事を仰る作家、高樹先生に乾杯!!
私もいくつになっても恋愛小説愛好家でいるつもりです。
「東アジア文学フォーラム」に北朝鮮、台湾からの参加はなく、スポーツ大会が超えた壁を、文学交流で感じさせました。
歴史、国家、軍隊。。。様々な装置の中で、私達一人一人の存在はとても小さいけれど、確かなものは、心に育み、育まれる愛であると信じます。
愛の形態は、人の数だけあるのでしょう。
夫婦と契った彼は、魂の伴侶でした。いつかやってくる、肉の別れを思うと悲しくなります。その時まで、恋ひ恋ひて言尽くし、あるいは、言なくぬくもりに歓び、二人の関係を大切にしようと誓います。
体制や死に魂の伴侶と引き裂かれる痛切を思いつつ。
タイトルは、「愛とは」に続く、フォ-ラムでのお言葉と伺いました。感慨深くかみしめております。
福岡の皆さま今夜遅く、仲良くして貰ってるNomaも、
下記で『M-Swift』と一緒にヴォーカル&トークで出演します。
深夜にも強い方々は、
お集まりなってお楽しみ下さい。
宜しくお願い致します。
M-Swift『Sunshine of Love』'3thは
「Love」がテーマのアルバムです
12/10 (金)場所;福岡市中央区舞鶴1-8-28
マジックスクエアビル1F
Keith Flack
092-762-7733(ご連絡は夜8時以降かな?)
Keith Flackにて深夜1時頃より、
「Love」がテーマのブラジリアンテイスト、
ロック&ダンスミュージック。
費用は不明ですが3000円~程度?ご確認下さい。
(株)ナノ・ユニバース協賛のイベントです。
M-Swift 『Sunshine of Love』 Release Tour
supported by nano・universe
iTunesで試聴。
http://itunes.apple.com/jp/album/sunshine-of-love/id405912047
YouTubeは携帯試聴も可。
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DSBP0lK1Fdis&v=SBP0lK1Fdis&gl=JP
楽しみましょう!?
体調崩してないですか
お元気で頑張ってください
気に入ればCD購入ですね?
M-Swift『Sunshine of Love』'3thは
「Love」がテーマのアルバムです。
是非、お近くの方はお立ち寄り下さい。
尚、イベント元の(株)ナノ・ユニバースはファッション関連の若者から中年向けの会社です。
男と女の違い、日本の特異性、私には難解でしたが、アジアの小説家の皆さんにはよく理解してもらえたのでしょう。
初期化のコメントを見て恋愛小説を書くにはやはり恋愛が必要だとわかりました。
福岡のどこかで先生とばったり出会ってそのまま恋におちるなんてことが起こらないとも限らない。そんな期待をしました。
男の愛は一途。ガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」という映画を思い出します。
50年間ひとりの女性を追い求める。ただし、肉欲は適当に処理しているからある意味健全な一生を送っている。
結ばれる前に晒した老いた醜い躰。それが輝いて見えたのが不思議とリアルだった。
まもなく閉じられるこのブログ、残念です。
日本側の責任者が、「小説作法ABC」の著者の島田雅彦先生とのことで、きっと論理的にも整理された素晴らしい会になられたものと羨ましく思います。
ますますのご発展をお祈り申しあげます。
でも、とても難しい内容で、思うようにコメントできず、遅れてしまいました。
本当に難しい。すぐに理解される皆様が羨ましい限り。恋愛観も多様化しているし、自分自身、恋愛が分かっていないのかもしれませんが。
何度か読んでもしっくり理解できず、部分的な感想になりますが。
冒頭の「源氏物語」は、「かな文字」の賜物かなという気もします。
漢文では表現できなかった日本人特有の(恋愛)感情を、二重言語化より、高度な表現能力を獲得した日本人と文化の優秀性は誇らしく思います。
フォーラム開催地を「門司」にされたのも隠れた意味があるのでしょうか。
ハングルオンリーの韓国は今後どうするのでしょうか。
「初期化」
初期化といえば、イニシャライズ、フォーマットとなりますが、恋愛は、むしろ不連続的な強制修正(一気に置き換える)のような感覚です。
意識の中の柱や梁が解けたような、風がすうーっと通り抜けるような、不連続的な置き換えのような・・・感覚でしょうか。
「仏門に入らない」
流行の「希望」をキーワードにしてみれば、仏教というのは、苦境でも「希望」を持たずに、すべてを仏に委ねて救済される生き方になるようです。
仏門に入らないとは、すべてを捨てずに、恋愛という希望をいだき続ける生き方でしょうか。
「文化の摩擦」
フォーラムでは、いい意味での文化の摩擦と融合が図られたことがよく伺えます。
3テーマとも素晴らしく、参加された方は、ハードだったと思いますが、着実に歩を進められたことと思います。
文中で、上海の女流作家との「恋愛の欲望」観のずれについて言及されておられますが、歴史的・社会的な背景と「恋愛観」についてのご教示を楽しみにしております。
「愛」、サラン、LOVE、アガペー・・・いろんな概念がありますが、その民族の個人が、何にどう感じ、どう行動するかなど。
異なる文化を伝え、理解することは本当に大変な労力を要することと思います。
「SIAーTV」
バリ編をネット視聴して、当日の様子がありありと思い出されました。
画面に小さく自分の横顔がチラリと、変な表情(顔が変?)
異文化を理解しようするには、Imaginationなど大変なエネルギーを必要とし、自分の中で文化の摩擦が生じていた様子が客観的に確認できました。
まとまりのないコメントになりましたが、さて、本日はクリスマスの第3ADVENT、パリ、ニューヨークはクリスマスマーケットなどで華やかでしょうね。山口も?
Weihnachtsmarktで買ってきたドイツのクリスマスソングのCDを聴きながら書いています。
Gcさん、コメントにお心遣いありがとうございます。名前がでると、何だか気恥ずかしいものですね、でも、感謝です。
高樹先生にもいつか、きっとお目にかかれるような気がして来るから不思議です。
あの時の、satokoさんも、もう少しがんばりたいと思います。
異文化を理解するのは、頭だけではなくて心であるかもしれないと思ったりします。
恋愛は謎に満ちています。
究極の愛は、アガペーであろうかと思いますが、悲しいかな、人はそこに行き着くのが難しい。
というか、私などは、本物の恋愛経験があったかどうか・・
時々、恋愛の果てに自滅する人のことを、とやかく言うものですが、ただ、運が良かったというだけかもしれません。
恋愛はばら色とは限らない場合が多いように思います。
「知識は愛に及ばず」の草稿も同様でしたが、論理的に読むには、かなり難解です。
しかし、考えようとせず、感じるままに拝読すると、なんとも味わい深く、わかったような気になるから不思議です。これは、私が女性だからでしょうか。それとも、私の恋愛体験によるのでしょうか。
平安時代。「同じアジアでも、同時代の中国に目を向けると、男女の格差が固定しており、女性に地位も権限もなかったのに対し、日本では、平和で内向きで、女性はplayingに興じ、女流文学が花開きました」との、米国人の日本中世文学博士の説明に、「いえ、当時の日本女性も、父や夫の姓や官職で呼ばれ、男女の格差はありました」と反論したものの、それを建前の性差だと理解すれば、精神的には対等だったといえるのかもしれません。
豊かな恋愛は、対等な関係から生まれ、育まれます。
日本の貴族支配が武家支配に移り、その間にも「恋愛文学」が息づいたとすれば、それは、庶民が支えたといえないでしょうか。「貴族性」に対して「武者性」を挙げられましたが、私は、「庶民性」を思い浮かべました。武家支配の下、芸術性には欠けるが、生活の躍動感あふれる、御伽草子に始まる庶民の文学は、風紀にうるさい江戸幕府、男性国家である近代国家となってからも地下水脈となって受け継ぎ、戦後の戦争放棄を宣言した国家にて、高樹のぶ子を生みだしました。
恋愛小説を得意とされる高樹先生には、読み手の体験「どんぶり・杯」の違いなど一顧せずに共感を呼び起こす創作を期待しています。
手引きしてくれたのは、書店で求めた当世女流による解説書(?)でした。一応男性の著書も読みましたが、どこか違和感がありました。
古典も手がけられていると伺っています。心から楽しみにしています。
うまいですね
確かにそんな感じがします。
「愛とはあるよきものに結びつける情念のこと」という高樹のぶ子先生の愛の定義や各国の作家の愛の定義など、興味深い内容でした。
また、各国の作家の作品紹介など他では得られにくい貴重な情報が掲載されていました。
前記コメントを省みて、フォーラムの内容が難解に感じられたのは、知識で理解しようとしてしまったからでしょう。
木蓮様が、「感じるままに拝読すると、なんとも味わい深く、わかったような気になるから不思議です。」とおっしゃったような視点から見れば、なるほどそのように思えます。
一昨年のブログで、「人間というのは、描ききれない。」とのことでしたが、「知識は愛に及ばず」というのもそのような視点からで、知識や言語の限界性のお話と理解しています。
思い起こしてみれば、「象は鼻が長い」という文章は自然に浮かびます(日本人的感覚として)が、文字にしたとたん、おそらく私は主語を意識して文章を書き直してしまうでしょう。
わが国の教育の成果か、職業病か、ちょっと反省させられるところです。
そろそろ日本人的な言語感覚を取り戻して、そうすれば、世界がより豊かに瑞々しいものに感じられ、生活が一日一日新鮮なものとなるような気がします。
そして、一見平凡な生活、社会の中でも、「素敵な生き方・演じ方」ができるように、自然体で全身の五感で感じて、感覚に素直に行動してみようと思います。外見は素敵にならないので、せめて振る舞いでも。
(もうこのような会話機会がないので)
NYの木蓮様につまらない質問ですが。
何十年も前に(商社系のひと?)伺ったのですが、「アメリカ男性の見つけ方」。
ネクタイのストライプが、アメリカ系は向かって右肩下がり、ヨーロッパ系は向かって右肩上がり、大体これでシティーかウォール街か見分けがつきますが、なぜ違うのか聞くのを忘れて未だに分からずじまいです。
NY木蓮家もそうでしょうか。
ご存知ありませんか?
シャツが、ウォール街は白、シティーは派手。と言われていました。信頼を得るために、ウォール街は見た目にまで細心の注意を払っているのに対し、シティーは「生まれ」で得てるからおしゃれできる、という理由ですが、今や、シティーの3分の2がアメリカ生まれとあって、そのあたりは融合してしまってるような。。。
大きな声では言えませんが、金融関係者によれば、アメリカ人は表面上こそNo1だと誇っていても、内心のヨーロッパコンプレックスは相当だと伺えるそうです。だとすれば、、、。
アメリカ人の見分け方、も併せて、改めまして、後ほど。
「シティーの3分の2」→「シティーの(ざっくりと)3分の1」
「BBも、右肩下がり」→「BBは、右肩上がり」
我が家は、いわゆる「ブランド」や「アウトレット」が苦手で、それでも相応の服装を求められる時には、「アメリカントラディショナル」と位置付けられるBrooks Brothersに頼っています。しっくりくるからです。軍服の仕立てで創業した、英国調のブランドです。
このネクタイのストライプは、右肩上がりです。
でも、モデルの男女は、アングロサクソン系だけではありません。
ウォール街で愛用してる方もお見受けします。
シティーもアメリカ式を取り入れて(活性化して)久しく、由緒や生まれだけが幅を利かせたのは昔の話、それでも、アメリカが特殊といえば、イギリスもヨーロッパにおいて特殊、そもそも、EUではなかったし、、、と、表面的には、服装やスタイルなどは融合しているようでいて、内なる対峙心は厳然とあり。
米国では、採用において、年齢・性別・未既婚すら聞けません。ましてや~人、~族、~系はタブー中のタブーです。でも、会えば察せるし、話をすればわかります。グローバル化が進んだ今は、シャツやネクタイの知識が、かえって邪魔するかもしれません。
夢の中へ様が問われたのは、違いの由来でした。
右肩下がりは、軍服のベルトに併せてたもの、という説もありましたが、服飾史に明るい方のご教示をいただきたいところです。
日本では、右肩下がりが多いとか。イギリス(ヨーロッパ)に倣っているから、とは、日本語サイト。
こちら、ブランドの枠を外して、近くのデパートを見ると、ざっくりですが、右肩上がりと右肩下がりは半々でした。
時間ばかりかかった割には、とりとめもなく、失礼しました。
「伝説と化すWASP」を、映画「The Social Network」でも感じさせられました。
「Chariots of Fire」を彷彿させる、テムズ河のボート競走の描き方に、WASPが幅をきかせた時代が過ぎ去って行く様が重なります。
不器用にしか人と関われない若者たちに、観終わった後、しみじみと心を寄せてしまう、良い映画でした。スピード感ある展開にも惹きこまれました。
何分アメリカ大陸に行ったことがなく、同郷の親しみでお尋ねしてしまいました。
「右肩下がりは、軍服のベルトに併せてたもの」というお答えが妥当かもしれませんね。
何かそんなところだと思います。
ありがとうございました。
因みに、私の数少ないネクタイは、すべて(日本、イタリア、フランス、イギリス製等)向かって右肩上がりです。
それに対して、テレビ等で見るオバマ大統領や政府関係者のネクタイは、向かって見方下がりだったものですから、そのように思えました。
ボストンやコンコードなどのニューイングランド、ペンシルバニア、ヴァージニアは、憧れの地で、是非行ってみたいと思っています。
映画「The Social Network」も予告編で伝統的なWASP文化が伺え、魅力を感じています。
WASPとは少し違うかもしれませんが、生きる姿勢という観点からは、「Chariots of Fire」を彷彿させられるようですね。
WASPが幅をきかせた時代が過ぎ去って行く・・・、でもクリスマスシーズンには、パーティーの種類で明瞭に浮かび上がってくるのではないでしょうか。
今はもうそのようなことはなくなっているのでしょうかねぇ。
小学生のときに、“Little Women”(若草物語)の家族、生き方、行動力に感動とコメントしましたが、WASP(差別心や偏見を除いて)的なものが会うようです。「和SP」なんでしょうか。意外と右肩下がりのストライプが似合ったりするかもしれませんね。
映画「ノルウェーの森」を見ましたが、少し世代が違うからか何かよく分かりませんでした。同郷の著名作家ですし応援したいところですが。
深く見せかけているだけという批判も見受けられますが、海外での高い評価もあり、やはりよく分かりません。
でも、播磨北部の草原(砥峰高原)や特に神戸の灘のあたり(神戸高校?)の映像には馴染みがありとてもうれしく感じました。
王子公園や高校前のレストラン精養軒は映りませんでしたが、(住まいは違いますが)王子公園や水道筋あたりにはよく行きます。
ご帰国の際は、知らずに兵庫県のどこかですれ違っているかもしれませんね。
ご家族で、よいクリスマスと新年をお迎えください。
新年からの「自省録」にも、ショパンはじめクラシカルが大好きで、No1映画がChariots of Fireという最愛の夫が乗り気で、家族で予定しています。来年から家族が別れて暮らすことになり(私はNYに残りますが)、ネットでの繋がりとはまた違った、「絆」の思いを込め、それぞれの地で取り組みたいと思っています。
“Little Women”からのご感銘、(僭越ですが)わかる気がします。アメリカの誇らしい伝統でしょう。「原爆を落とした国」「覇権国家」と決めつけてしまっては見えてこない、「創り主に謙虚な独立自尊」は、地域のボランティア活動や慈善活動など、脈々と受け継がれています。もっとも、ご年配の方は「クラブで仕事の話をするようになった」「最近の者は礼儀がなっていない」などと嘆かれますが。。。
「女性はネクタイの色しか・・・」とは元首相ですが、例外はつきもので、話の内容は覚えていても、服飾には関心がなく、つい見落としています。知識として詰め込んで何とかしのいでいましたが、この度のご提示で、自然な興味が湧いてきました。ありがとうございました。
渡米した2007年のNYは、その15年前とはすっかり様変わりしていました。当時経済大国1位に迫る勢いの日本。普通に日本人作家の英訳本が書店にありました。春樹氏の作品が海外での評価が高いのも、米国文学からの影響や、大学などの活動に拠るだけではなく、大手出版社の強力な英訳本販売の成果でもあるでしょう。経済の後押しは、あなどれないですね。
電子書籍も、また国内でもたもたしているように感じます。名のある作家には要らないし、出版社や書店は権益を崩さない形で対応するのでしょう。ただ、海外に日本語文学を発信し、発展に繋がるよい機会として、内向きの争いはせず、統一して、世界の歩みと同調してほしいと願っています。
私も、“Chariots of Fire”が最も好きな映画です。(とても言葉では語りつくせませんが)
テーマ音楽も魂を揺さぶり、自分の人生を真っ直ぐに駆け抜けて生きたい衝動に駆られます。
宗教や文化の本質を抑えた本当によくできた映画です。
冒頭のクリケットシーン(クリケットはRureではなくLawとして定められていて、審判絶対主義)、イギリス文化(特にスポーツ文化)とユダヤ文化の際立たせて方。
リデルにみる「プロテスタンティズム」。
一般的には、スコットランド人=ケルト系=カトリックですが、彼はプロテスタントの牧師で、神の定めた役割(道)を果たすために努力をするという「生きる姿勢」が明確に描かれています。
そして、牧師でもある父親に陸上競技を極めることについて、「お前は多くの才能を神から与えられた。走ることに妥協はいけない。妥協は悪魔の言葉だ。ジャガイモの皮むきでも完璧にすれば神を称える行為だ。」のような会話だったと思います。そして聖書を拠りどころにするというプロテスタントの典型。
よくビジネスマンが、「アングロサクソンの連中は~」という表現をしますが、アングリアのザクセン人程度であまり意味がないように思います。
むしろ経済行動で問題としているところは、「プロテスタンティズム」だと思います。
宗教関係を理解していれば、映画の意味もより深く理解できるように、ビジネス、外交等においても有効であると思います。
そして、ケンブリッジでの生活も街も本当に羨ましいような魅力あふれるもので、エリートが大学から出たがらないのがよく分かります。
将来、子供が留学でもすれば行くチャンスがあるかなぁと淡い期待をいだいていますが。
“Little Women”も、モンロー主義に守られた内向きの時代のWASP文化の醸し出す「アメリカの誇らしい伝統」だと思います。
米国も、ローマ帝国、大英帝国と同様に、ヘゲモニーによって繁栄し、それによって失速していくことになるかもしれませんね。
アメリカ社会の精神的な底流である「プラグマティズム」により、大胆な変革や再生、そして新たなモンロー主義を選択するかも。
でも、これは日本にとって悪夢で、より複雑で難しい外交問題を抱えることになりますから、米国が内向きにならないように共存関係を保っていきたいですね。
そして、「自省録」もご賛同いただいているようで、感激しています。
折々の社会情勢や実生活における事象にからみ、ある時は指針とし、ある時はAntitheseとして、精神的な矯正・研さん・励まし・創造など無限の広がりが得られるものと期待しています。
もう相互に会話はできませんが、NY等、兵庫県そして地球上のどこかにおいて、このような精神活動が息づいていることは素晴らしいですね。
同じようなお考えや家庭環境(同郷)なんでしょうか、思索中に木蓮家の方々のお声が聞こえてくるような気がします。
ショパンファンとのことですが、NYでは、1月19日のシンフォニーホールのガラコンサートは無理でしょうね。
言葉ももどかしく、思いのままに書いてしまいましたが、兵庫県のどこかでお話できたらもっとも盛り上がり楽しいでしょうね。
ご家族のご多幸とご健康そしてご活躍をお祈り申しあげます。